十二支と十二神将
(2025年5月1日)
以下の記事は、『岩波仏教辞典』を始め、「新薬師寺公式サイト」並びに「龍光山 三高寺 正寶院公式サイトの<薬師十二神将>」などのインターネット版と、パンフレット版の「東寺」を参照していますが、筆写(私市)が、東寺で実際に観た体験に基づいています。
「えと」すなわち「十二支」は、ほんらい、古代中国の殷の時代(紀元前16世紀頃〜前11世紀頃まで)にさかのぼるもので、十二の方位・方角と暦の十二ヶ月(四季と月と昼夜の時間)とを関連づけて、吉と凶を判定した呪術に始まります。だから、俗に「えと」と称される慣習は、かつて殷王朝が、国事を行う際に、事の吉凶を占うために編み出した技法に起源を有することになります。したがって、十二支は、ほんらい仏教とは関係がありません。
仏教では、現世の煩悩の根を絶つための方法として「十二因縁(いんねん)」があり、この十二因縁を系列化した「十二(支)縁起」があります。これにちなむ仏教の『薬師経』は、「薬師如来」の本願と功徳を説く大乗経典で、これのサンスクリット語の原典が西北インドで発見されました。これの漢訳は4世紀前半に行われ、玄奘(げんじょう)訳、義浄訳があります。薬師如来は、まだ菩薩の時から衆生救済への十二の大願を立て、病気の治療を始めとする現世利益の仏(ほとけ)として知られています。薬師如来に体現される薬師信仰は、インドよりも中国・朝鮮・日本で盛んになり、薬師如来は法隆寺創設の本尊です。天武天皇は、皇后の病気平癒を祈願して薬師寺を建てました(680年)。この薬師如来は、大日如来と同体と見なされる場合もあります。薬師如来は、日光菩薩と月光菩薩を伴う三尊で祀られ、十二神将をその眷属とします。東寺の金堂にも、この三尊と十二神将が立像で現存します。十二支は、この薬師如来によって仏教に組み込まれたと推定できます。
十二支は、東西南北の「方位」と、1月〜12月の「月」と、午前0時に始まる「時刻」と、動物のイメージとに結びつけられています。「えと」は、「子(ね=鼠)、丑(うし=牛)、寅(とら=虎)、卯(う=兎)、辰(たつ=龍)、巳(み=蛇)、午(うま=馬)、未(ひつじ=羊)、申(さる=猿)、酉(とり=鶏)、戌(いぬ=犬)、亥(い=猪/豚)」の十二支です。
十二支には、それぞれを体現する十二人の「大将」が居ます。その名称の起源はおそらく梵語にさかのぼると思われます。子(ね)=毘羯羅(びから)大将、丑(うし)=招杜羅(しょうとら)大将、寅(とら)=真達羅(しんだら)大将、卯(う)=摩虎羅(まこら)大将、辰(たつ)=波夷羅(はいら)大将、巳(み)=因達羅(いんだら)大将、午(うま)=珊底羅(さんちら)大将、未(ひつじ)=??羅(あにら)大将、申(さる)=安底羅(あんちら)大将、酉(とり)=迷企羅(めきら)大将、戌(いぬ)=伐折羅(ばさら)大将、亥(い)=宮毘羅(くびら)大将の十二神将です。
おそらく、随・唐の時代に、古代中国の十二支が、薬師如来の眷属となり、空海が唐へ渡った平安初期の頃(9世紀)には、すでに「十二神将」として、胎蔵曼荼羅図にも組み込まれていたのでしょう。なお、十二支と具体的な仏(ほとけ)との相互関係は定かでありませんが、一般的には、北の毘沙門(びしゃもん)天、北東の伊舎那(いしゃな)天、東の帝釈(たいしゃく)天、東南の火天、南の閻魔(えんま)天、南西の羅刹(らせつ)天、西の水天、北西の風天、さらに、大地の地天、天空の梵天、東の日天、西の月天(がってん)を併せて、十二天になります〔『東寺の天部隊』東寺宝物館発行(1993年〜2016年)44〜51頁を参照〕。
東寺の金堂には、平安初期(9世紀)に空海によって導入された三尊、すなわち日光菩薩と月光菩薩を従えた本尊の薬師如来が祀られていて、薬師如来の台座の真下に、小柄な十二神像が、様々な「大将」の姿で、円になって如来の台座を巡っています。これらは、仏師康生の作で(1603年)、中国からの渡来の特徴を具えていますから、槍や刀や弓矢や手斧などを持つ荒々しい姿の十二神将です〔『東寺の天部隊』32〜33頁〕。
しかし、京都国立博物館所蔵の『東宝記』によれば、平安時代の後期になると、勝覚僧正や威儀師覚仁の監督によって、小野敬藏の作を模範とする十二神将が描かれていて、そこには、穏やかながら風貌のある十二神将が描かれています〔『東寺の天部隊』44〜51頁〕。さらに、2025年4月に訪れた東寺の特別展では、宝物殿に、鎌倉時代(12世紀)の十二神将の屏風図が展示されています。この十二天屏風では、梵字の下に麗しい風貌の帝釈天、いかめしい姿で炎や風を背光にする火天、風天、水天、羅刹天などが見えます。また、女性を想わせる梵天、地天、母性的な日天、月天などが色彩を伴って描き出されています〔『東寺の天部隊』52〜55頁〕。
これが、江戸時代になると、火天や風天も穏やかな顔になり、帝釈天や日天などは、ふっくらした顔で、母性を感じさせます〔『東寺の天部隊』32〜33頁を参照〕。さらに、2025年4月の現在、東寺の宝物殿で開かれている「草場一壽の陶彩画展」では、美しい女性を想わせる女神のような神将と、優しい母神を想わせる神将像が描かれていて、天へ登る龍の見事な姿も見ることができます。これが、現代の十二神将でしょう。仏(ほとけ)に「支配される」平安初期の十二支は、獣像を象徴する十二神将ですが、それらが、仏の眷属として仏性を具えた十二神将へ、さらに、「理想の人間」像を示す現代風の十二神将へと変容する過程が見えてきます。
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