【補遺】マルコ福音書の結び
マルコ16章1節~8節の復活の証しは、同時に、この福音書の結びとしても注目されています。マルコ福音書の結びについては、写本の間に異同があります。このためマルコ福音書の末尾は、大きく以下の5通りに類別することができます。
(1)マルコ16章1~8節で終わる。
(2)マルコ16章8節に続けて、聖書協会共同訳のマルコ16章の「(短い)結び(二)」を加える。「彼女たちは、命じられたことをすべて、ペトロの周りにいる人々に、手短に伝えた。その後、イエスご自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音の言葉を広められた。アーメン」〔聖書協会共同訳:日本聖書協会(2018年):新約聖書96頁。結び(二)〕。
(3)マルコ福音書16章1~8節に、「長い結び」(=マルコ16章9~20節)を加える。
(4)16章1~8節+「短い結び」+「長い結び」があります。
(5)16章1~14節+「弟子とキリストの言葉」+15節~20節という結びもあります。「弟子とキリストの言葉」は、以下の通りです。
「彼らは、以下のような口実を設けて言い逃れをしようとした。『無法と不信仰のこの時代は、サタンの下(もと)にあり、サタンは、真理である神の力が、諸霊の働く汚れた事柄に打ち勝つことを許そうとしません。だから、今こそ、あなた(キリスト)の義を顕(あらわ)してください。』彼らは、キリストに、このように言った。するとキリストは、彼らに応えた。『サタンの力が働く年数は尽きた。しかし、別の恐ろしい事が近づきつつある。だから、罪を犯した者たちのために、わたしは死に渡された。彼らが真理に立ち返り、これ以上罪を犯さないためである。それは、彼らが、天にあって、御霊の朽ちることのない栄光の義を受け継ぐためである。』」〔New Revised Standard Version: Mark. The Longer Ending of Mark.16: 14+t+15として、欄外に掲載の<t>の英訳から〕
上記の(1)の場合については、現行のマルコ福音書16章9~20節は、シナイ写本とヴァティカン写本(どちらも4世紀)の二つの有力な写本では抜けています。その他、古ラテン語写本、古アルメニア写本、古エジプト写本、シナイのシリア写本などでも抜けています。アレクサンドリアのクレメンスやオリゲネスやアンモニウスなどの著名な教父たちも、上記の部分を知りません。ヒエロニムスやエウセビオスなどの著名な聖書学者の文書にも上記の部分が見当たりません。したがって、現在の聖書本文批評の学会では、マルコ福音書は、ほんらい、16章8節で終わっていたと見なされています〔R.T.France. The Gospel of Mark. NIGTC. 685. Appended Note.〕。
マルコのこの終わり方では、イエスの復活が、「告げられますが、語られません」〔前掲書〕。マルコのこの「唐突で不自然」とも思える終わり方について、いろいろ論じられていますが、確かなことは分かりません。マルコ自身も、「もっと納得のいく」終わり方を意図していたという想定が、古来、唱えられています。しかし、現在では、マルコは、こういう神秘的な結び方を通じて、イエスの復活については、ただ目に見える出来事だけでなく、その奥に、さらに深い霊的な意義が潜んでいること、イエス復活の奥深い意義を読者自身が、自分の想念によって補い、解釈してほしい。これが、マルコの意図したことではないかと言われています〔フランス前掲書〕。
【短い結び】「短い結び」で終わる写本は、4~5世紀に北アフリカで書かれたラテン語のものです。しかし「短い結び」の起源は古く、おそらく2世紀にさかのぼると思われます〔コリンズ『マルコ福音書』802頁〕。「短い結び」は16章8節に続きますが、8節後半の「そして(彼女たちは)誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」とある内容が訂正されていて、「婦人たちは命じられたことをすべてペトロとその仲間たちに手短かに伝えた」となっています。「短い結び」の作者は、おそらく他の三つの福音書のどれかを知っていたのでしょう(マタイ福音書28章7~10節参照)。このために彼女たちが黙ったまま弟子たちに復活の出来事を告げなかったことに不審を抱いたようです。この結びだと、他の福音書との矛盾が解消します。この結びの編者は、マルコ16章8節後半で、天使のお告げによる復活の神秘に圧倒され、女性たちが恐ろしくて言葉もでなかったことが十分理解できなかったのかもしれません。この結びには「ペトロとその仲間たちに」という言い方がでていて、2世紀には、ペトロを中心とする「使徒的な」教会が、諸教会の主流になっていたことをうかがわせます。また「聖なる朽ちることのない福音」という言い方もほかには見られません。
【長い結び】「長い結び」(マルコ16章9~20節)は、2世紀半ば頃から19世紀末までマルコ福音書の結びと見なされていました。しかし、19世紀末に初めて、最初期のマルコ福音書が16章8節で終わっていたとするウェストコットとホートのギリシア語原典新約聖書が出ました(この新約原典2巻の完成は1881年)。その後も「長い結び」がマルコ福音書本文に含まれていたとする説が、ケネス・クラーク(1965年)やウィリアム・ファーマー(1974年)によって発表されていますが、現在では、「長い結び」は、120年~150年に、おそらく一人の編集者が、四福音書の復活物語から、これをまとめたものであると見なされています〔A・Y・コリンズ『マルコ福音書』806~807頁〕。「長い結び」は、マグダラのマリアへの顕現(16章9~11節)/二人の弟子への顕現(12~13節)/十一弟子への顕現と派遣(14~18節)/昇天と弟子たちの伝道(19~20節)の四つに分かれています。ここには、マタイ福音書の「番兵たちの報告」とヨハネ福音書の「湖畔での顕現」を除くと、四福音書の復活物語のすべての要素が含まれています。このような結びが加えられ、かつ、これが長い間マルコ福音書の結びだと見なされていたのは、「短い結び」の場合と同様に、マルコ16章8節での終わり方が、ほかの福音書の結びと比較すると、あまりに唐突で中途半端な印象を与えるからでしょう。
【空の墓の結び】実は、マルコ自身もマルコ16章8節の結尾の「不完全性」に気づいていて、彼自身、これの続きを考えていたという推定が現在でも絶えません〔フランス『マルコ福音書』671~75頁〕。この場合、想定されている結びとしては、
(1)弟子たちとのガリラヤでの出会いです。マルコ16章7節の「ガリラヤでの出会い」は、マルコ14章28節と呼応しています。ガリラヤは、ペトロを初めイエスの内弟子たちが初めて召命を受けた場所ですから、そこでの弟子たちへの顕現は、弟子たちへの最初の召命を今一度復活させることを意味しています。このように、マルコ福音書の復活物語は、弟子たちの再召命と、これに続く彼らの福音伝道とを予測させます。
(2)女性たちが、驚きと恐れから立ち直って、弟子たちにイエスの復活を報告することです。女性たちは、イエスの十字架の死を最後まで見届けています(マルコ15章40~41節)。にもかかわらず、マルコ福音書では、彼女たちに復活の顕現がありません。また彼女たちは「誰にも何も言わなかった」とあります。このことは、後になってから、彼女たちにも顕現が与えられ、彼女たちの最初の目撃証言が弟子たちに告げられたことを予測させます。このような「予測/想定」をあげたのは、これらの点が、マルコ福音書の8節での結びに残されている問題点だからです。
(3)これらの想定が見当違いでないことは、マタイ28章1~20節の結びを見れば分かります。ここでは、ガリラヤでの再会、女性たちへの顕現、弟子たちへの報告、弟子たちによる伝道の継続など、上にあげたマルコ福音書の結びの欠如部分がすべて語られています。
にもかかわらず、マルコ福音書はなぜ8節で結びを終えたのでしょうか? その理由として考えられることは、生前のイエスがそのまま復活したことは(マルコ16章6節の「ナザレのイエスの復活」)、すでにマルコ福音書の読者にとって自明のことであり、マルコ福音書は、この福音書を比較的少数の「内弟子たちに」向けて書いているとも考えられることです(4章10~12節/同33~34節で、イエスが内弟子たちに譬えの秘義を語っている点に注意)。その上で、マルコは、復活の出来事が、16章8節にある通り「震えあがり、正気を失う」ほどの出来事であり、その神秘と神の力にただ圧倒されるほどの事件であることを読者に悟らせたかったのでしょう。この意味で、マルコ16章8節には、「空の墓」の結びを通じて、イエスの復活の意義を「読者も共に考える」ように仕向ける意図があったと思われます。マルコは、読者に、復活の出来事を顕現物語の形式で伝えるよりも、イエスの弟子たちが、<どのようにして>この出来事を信じるようになったのかを読者に考えさせたかったのではないでしょうか。
ここで確認しておきたいことがあります。マルコは、イエスがすでに墓の中には「いなかった」という事実だけを単純に記していますが、それは、イエスが「すでに復活していた」ことをはっきりと語るためです。このことは、墓にいた「若者」が明確に告げています(この「若者」は天使であって、人間ではありません)(マルコ16章5~7節)。だから、空の墓と復活との間に「超え難い深淵」を見たり、「空の墓」が、復活顕現それ自体への懐疑を示唆しているという「現代的な」解釈をここに持ち込むのは、マルコ福音書の意図としては適切でないでしょう。
以上の記事は、主として、以下の文書に準拠しました。
〔NOVUM TESTAMENTUM GRAECE. 174. Note(z)〕
〔New Revised Standard Version: Mark. The Longer Ending of Mark.16: 14+t+15〕
〔Bruce M. Metzger & Bart D. Ehrman. The Text of the New Testament. Oxford University Press(2005). 322 ff.〕