五民族平和のキリスト教
             (2020年12月6日)
 日本のクリスチャンは、あえて現在の時流に逆らって、五民族平和のキリスト教を目指してください。「五民族キリスト教圏」(the Five Nations Christendom)とは、日本と、朝鮮半島と、中国と、モンゴルと、台湾の「五民族」が、キリスト教徒で結ばれた平和な関係を築くことです。かつての日本は、今よりももっと厳しい軍事的、政治的な情勢の下で、旧「満州国」を建設することで、「五族協和」を唱えました。しかし、その方策は、不幸にして、軍司令部による民族の独自性の否定、アマテラス崇拝を強制、キリスト教などの諸宗教を圧迫、日本の国家権力による個人の人権無視という方策でした。
 今私が唱える五民族平和のキリスト教は、先の満州国の場合とは真逆の方策によるものです。五民族それぞれの中に居るキリスト教徒が、旧新約聖書が証しするイエス・キリストを信じて、相互の平和を保ち、手を携えて東アジアの平和を守ることです。これは、以下の七則によるものです。
(1)個人の人権を尊ぶ。
(2)民族の独自性を尊重する。
(3)諸宗教との共存を図る。
(4)自然科学と相互補完する。
(5)軍事力に頼らない。
(6)経済の相互補完を図る。
(7)宗教と政治制度とを分ける。
 ここで、民族の「総キリスト教化」という言い方を避けていることに注意してください。国家なり民族なりを「全体として」一つの特定の宗教の支配下に置こうとしてはならないからです。そのような国家宗教は、宗教同士の共存と共生の視野からも、個人の自由からも望ましいことではありません。ここで言う「キリスト教徒による」とは、五民族が共有する「キリストの民」が、相互に交流を保ち心を合わせることを指しています。何のためにキリスト教を伝えるのか? それは、イエス・キリストの福音こそ、その国の民に、まことの民主主義を造り出す神の力を与えるからです。これからの日本は、東アジアに、まことの民主主義を生み出す使命を帯びています。現在のアジアで、これを実行できる国は、日本だけだからです。神が日本のクリスチャンにこのような使命を与えるのは、歴史の経験に照らして、これら五民族に平和が訪れない限り、日本に真の平和が訪れることがないからです。だから、私は、たとえ厳しい政治情勢にあっても、「五民族平和」をこれからの日本の重要な国家の目的に採り入れてほしいと切に願う者です。
 国家同士の政治的な交流や宗派・宗団による組織的な交流は、人と人とのまことの「交わり」(コイノニア)の「場」を提供することができますから、とても大切です。しかし、真に平和をもたらす交流の「中身」は、権力や組織によっては生じません。人と人とのまことの「交わり」は、イエス・キリストの聖霊のお働きにある個人同士の自由な交流からしか生まれないからです。五民族にまことの平和をもたらす「イエス様外交」こそ、今の時に、五民族に最も切実に求められていることです。よその国を幸せにしない「カミ」なら、自分の国の幸せと安全を保証することができません。よその国を幸せにするイエス様であればこそ、日本の国を護り、この国に幸せと平和をもたらすことができるのです。人には難しくても、神にはできます。神の御子の力を信じ、聖霊のお働きに導かれて歩むなら、あらゆる人間的な罪の力に打ち勝って、必ず実現できます。だから、身の程をもわきまえず、あえて、今の時流に逆らって、こう呼びかけたいと思います。日本のクリスチャンたちよ。どうか、五民族平和のキリスト教を求めてください。
【補遺(1)】2021年2月22日現在、英、独、仏の三国が、インド洋に艦隊を派遣するという「異常な」行動に出ています。これは、中国が、太平洋だけでなく、インド洋も、中国の世界戦略への重要な地位を占めていると認識しているからです。かつて、元帝国が、東西のシルクロードだけでなく、インド洋も戦略ルートとして重視し、陸上だけでなく、海上の制海権をも確保しようとしたのに通じる政策です。欧米のこのような軍事的な行動は、中国が、その国家観において、いわゆる民主主義的な価値観を共有して<いない>ことが根本的な理由です。しかし、欧米の軍事的、政治的、経済的な中国対策は、中国の国家権力拡大への「抑止」にはなりますが、肝心の中国の国家の価値観それ自体が、これによって変容するとは思えません。中国に働きかけて、その国家の価値観それ自体を変容させるために、そのような力を発揮することができる国は、現在、日本だけです。これこそが、今の日本に課せられている「世界平和」達成の使命です。日本は、この意味で、国際的な平和を築く鍵となる国家的な使命を担っていることを知ってください。
【補遺(2)】五民族平和のキリスト教補遺

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