ヘイモネン先生のこと
             (2021年5月16日)  
  私には、今でも消えることのない心の傷がある。それは、私が、二度目にフィンランドの教会から離れたその後になっても、ヘイモネン先生が、わざわざ下賀茂の下宿に訪ねてきてくださって、「どうか、私を助けてほしい」と願うように言ってくださったことである。その時、私は、玄関先に立って頼み込むように私を見ている先生に対して、黙ったまま、無言の拒否の眼を向けたのである。先生は、すぐにそれと気づいて、がっくりと肩を落としたように去って行かれた。私は、その後ろ姿を冷たい目で見ていたのである。
 ヘイモネン先生は、カルナ先生と共に、初めて私に、イエス様の福音を伝えてくださった方であり、私を生駒の新年聖会へ連れて行ってくださった方である。私は、その時に初めて、異言を伴う聖霊のバプテスマを受けることができた。それ以後、62年を経た今もなお、その時に体験した御霊のイエス様に従い続けている。
 先生がわざわざ訪ねてきてくださったあの時、せめて、家に入れて、先生とじっくり話し合っておけばよかった。私は、今でも、自分のあの時の心ない仕打ちを思い返して、慚悸(ざんき)の念を覚える。最大の信仰の恩師に向かって、最大の無礼を働いた。こういう想いから、悲しく辛い気持ちになるからである。しかし、今思い返しても、あの時、仮に先生を部屋へ案内して、じっくりと話し合ったところで、問題は何も解決しないどころか、かえって先生をより深く失望させてしまう結果に終わっていたであろうと想う。
 わたしたちが、フィンランドの教会から離れて、神戸に行き、そこから京都へ戻った時でも、先生は、仏教を始め日本の伝統的な神々や宗教的慣習は、「悪霊に導かれた偶像礼拝」だと固く信じて疑うことがなかった。これは、わざわざ遠いフィンランドから、日本へキリスト教の伝道に来てくださった先生の言わば信念であり、そもそも来日の動機そのものであったからである。翻って、私のほうは、友人たちと神戸へ向かって以来、日本文化と日本の宗教的な有り様に対する宣教師の「偏見と侮蔑(ぶべつ)」をさんざん論じ合っていたから、「今さら先生と話し合おうにも、その糸口さえつかめない。」こういう想いがあった。私は、言わば、68年をかけて、この時の悲しみと、無礼と、そこに含まれる問題への答えを見いだそうと努力してきたことになる。
 今の私なら、先生を家に通して、なぜ自分が先生と一緒にキリスト教の伝道ができないのか。その理由を幾分でも先生に分かってもらえるように、説明できるかもしれない。とは言え、おそらく、先生の信念を変えることは愚か、私の信仰が主の御前に決して謬りでないことを先生に理解してもらうことさえ難しいであろうと想うことに変わりはない。
 イエス様の福音とは人類の宗教の有り様に関わることであり、「宗教」とは、その人と、彼が属する民族や国の有り様と不可分にかかわる根源的な営みである。宗教は、それに生きる人、その民、その国が、長い間かかって養成してきたものだから、「宗教する人」の生き方と考え方の根幹を形成している。だから、宗教を「変える」ことは、一朝一夕にできることではなく、人類学的な智慧と知識を通して、新たな宗教を理解した上で、これを受け容れるという過程を踏まなければならない。宗教を伝える側も、伝えられる側が、過去にどのような宗教的な歴史と体験を経てきたかを予(あらかじ)め洞察した上で、聖書の神が、その人、その民にとって、ほんとうに善い結果を産み出すことを悟らせなければならない。「神」を伝えるとは、そういうことなのである。このことを、今の私なら、先生に幾分理解してもらえるよう説明できるかもしれない。そして、先生が私にしてくださったことが、どんなに大きな恵みであり、そこには、不思議な神の御手が働いていたことを理解してもらえるかもしれない。主のみもとにおられる先生となら、きっと共に喜び合える。そんな想いがする。
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