ヨハネ福音書を信じる
         (2022年6月18日)
■信じる会
 本日お集まりいただいた方々の上に、主様からの恵みが豊に注がれますよう祈ります。最近の若い人たちが「祈ります」と言う時には、現実はそうでない「嘘ごと」のことを指しているそうです。しかし、わたしが「祈ります」というのは、それとは逆で、「必ずそうなる」、あるいは「すでに」そうなっている実際の出来事を指します。
 わたしは、初めの頃、「ヨハネ会」は、ヨハネ福音書を「読む」会のことだと想定していました。ところが、だんだん、そうではなく、これは、ヨハネ福音書を「信じる」人の集まりのことだと分かってきたのです。
 御存知の通り、聖書には、旧約39編、旧約続編15編、新約27編、合計81編の文書があります。「聖書を信じる」のは、その中のどれでもいいのですから、何もヨハネ福音書でなくてもいいのです。マタイ福音書でもローマ人への手紙でも結構です。だから、コイノニア会のメンバーが、このヨハネ会に出てこなくても、いっこうに差し支えありません。年に2回のヨハネ会をうっかり忘れてしまっても、それはそれでかまいません。
 ところが、今ここに居る方々は、今日のこのヨハネ会を「忘れませんでした」。これは、ヨハネ福音書をただ「読んでみようか」という程度の人ではない。なにほどか、ヨハネ福音書を「信じている」、あるいは「信じようとしている」、そういう人たちだと想うのです。これは、もう、それだけで、イエス様から、その人に、なんらかの「恵みが注がれている」。こう思うのです。
■三位一体の書
 「想う」のではない。事実その通りです。なぜなら、このヨハネ福音書を<信じる>とは、とりもなおさず、三位一体の神を信じることにつながるからです。ヨハネ福音書には、天地創造の神とそのロゴスから始まって、ロゴスの受肉とそのお働き、続いて、イエス様の御復活と私たちへのパラクレートスが語られます。このように、三位一体の神の「摂理的な」啓示が明確に語られています。言うまでもなく、パウロ書簡にも、共観福音書にも、それなりに、三位一体の神を示唆する言葉が出てきます。だから、ヨハネ福音書の三位一体の神観は、パウロ書簡と共観福音書を受け継いで、それらの<最後に>書かれたことが分かります。
 三位一体の神を信じることが「できる」。これが、どんなに素晴らしい恵みなのか、信じているうちにきっと分かります。三位一体の神が、長い間、キリスト教会の「正統の」信仰とされてきたのには、それなりの理由があるからです。いろんな意味で、三位一体の神は「有り難い」です。これは理屈でない。皆さんも、ヨハネ福音書を信じて歩むうちに、その意味がだんだん分かります。なにより、ヨハネ福音書を心から信じようと「しない」人たちの集まりなんで、楽しくないですよ。
■自分の書
 ところで、今日は、ヨハネ福音書の4章からです。4章と言えば、もう「サマリアの女」ですが、ほかに、役人の息子の癒やしもあります。サマリアの女のほうは、全く予想もしなかったのに、突然イエス様のほうから声をかけられます。一方、役人のほうは、予め、イエス様のうわさを聞いて、「とにかくお願いしてみよう」とイエス様の所へやって来ます。ところが、来て見ると、全く予想もしないのに、イエス様のほうから「あなたの息子は助かるよ」と御言葉が与えられます。イエス様のほうから、話しかける場合と、何でもいいから、とにかくイエス様の所へ来る場合。このように、信じ方にふたとおりあります。
 ここに居られる方々は、すでにその段階を通り過ぎていますから、次の段階です。サマリアの女は、全く無縁だと思っていた人が、話し合っている内に、実は、自分たちが求めていた「メシア」だったと発見します。もう一方は、<自分のほう>からお願いしようと思っていたのに、来てみたら、何にもしないうちに、イエス様のほうから御言葉が与えられます。彼は、それを「ただ信じた」。それだけです。<自分からは>、イエス様の所へ来る以外に、なにもできなかった。「できたこと」は、ただ来て、ただ信じた。それだけです。「来る」(招かれる)者はたくさんいても、救われる(信じる)者は少ないです。彼はその少ない一人になった。なぜでしょう。彼は、「自分への」神からの語りかけを信じたのです。そして、「自分に」起こった出来事を信じたのです。多くの人が「信じない」ことを彼は信じたのです。
 ヨハネ福音書では、サマリアの女だけでない。ニコデモとの対話でも、ベトザタの病人の癒やしでも、盲人の癒やしでも、マルタとマリア姉妹との対話でも、マグダラのマリアとイエス様の御復活後の出会いでも、一人の個人とイエス様との出会いが、これほど詳しく語られている福音書はほかにありません。ヨハネ福音書は、「個人の書」と言われる所以(ゆえん)です。わたしは、ヨハネ福音書を<自分の信仰のために>選んでほんとうによかった。今でも、心からそう思っています。
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