【注釈】
■最初の弟子たちの召命
ヨハネ福音書では、弟子たちの召命が二日にわたって語られています(1章35~42節/同43~51節)(ただし41節の異読については注釈を)。まず洗礼者の証しが繰り返され、これが引き金になって一連の召命が次々と起こります。
最初の弟子たちは、第一日目ではアンデレと無名の弟子とペトロで、第二日目はフィリポとナタナエルです。この福音書に登場する弟子は、彼らのほかに、イスカリオテのユダ(6章71節)、ディディモと呼ばれるトマス(11章16節)、ゼベダイの息子たち(21章2節)だけです。共観福音書のように十二弟子全員の名前はでてきません。それでも十二弟子がいたことは語られています(6章70~71節/20章24節)。
最初の弟子たちも共観福音書(マルコ1章16~20節)とは異なっていて、「ゼベダイの息子たち」(ヤコブとヨハネ)がでてきません。だから、共観福音書と共通するのは、アンデレとその兄弟ペトロの二人です(ただし、注釈の「二人の弟子」を参照)。彼らの召命の場所も死海に近いヨルダン川の流域(1章28節)だと思われますから、マルコ福音書の言う「ガリラヤ湖畔」ではありません。
さらに重要なのは、召命のきっかけとなるアンデレと無名の弟子が洗礼者の弟子であったことが明記されていることです。これに続くペトロとフィリポとナタナエルも、同様に洗礼者の弟子であったことが言外に含まれているのでしょう。共観福音書のほうは、最初の弟子たちと洗礼者との関係を明らかにしていません。ただし使徒言行録に、イエスが弟子たちと生活を共にしたのが「洗礼者の時に始まる」(使徒1章22節)とありますから、共観福音書とヨハネ福音書との間に矛盾はありません。
そうだとすれば、召命の場所も、またその時期も、最初のきっかけは洗礼者がいたヨルダン川であって、その後で、ガリラヤ湖畔で、改めて4人への「完全な召命」が行なわれたと見ることもできます。もっとも共観福音書にもヨハネ福音書にも、そのような「二重の召命」がでてきませんから、これは推測になります。しかし、イエスが洗礼者から洗礼を受けたことを考えあわせると、ヨハネ福音書の証言のほうが史実に基づいていると考えられます。イエスと弟子たちとが、洗礼者を通じてすでに知り合っていたとすれば、マルコ福音書での召命の出来事もより自然に理解できるからです。
ただし、ヨハネ福音書は、史実とこれに基づく伝承をヨハネ共同体の解釈によって神学的に再構成しています。だから、1章35~51節は、召命の出来事を後から振り返って「再解釈」することで、イエスのメシア性とその神的な霊性が弟子たちに啓示される様子を「まとめている」と見るべきでしょう。共観福音書では、イエスが「神の子メシア(キリスト)」であることが、フィリポ・カイサリアにおいて初めてペトロに啓示されますが(マルコ8章27~29節その他)、ヨハネ福音書では、出会いの最初の二日間で、教会の復活信仰成立の前後にわたってイエスに与えられるほとんどすべての称号がでてきます。イエス復活以後の教会が到達したキリスト観が、一括して最初に語られ、そのキリスト観がどのように成就したのか、その過程が、以下で語られるのです。
■1章
[35]【その翌日】洗礼者の証しから数えて三日目になります。
【一緒にいた】原文は「共に立っていた」。「共にその場にいた」という意味にもなりますが、「再び」とありますから、「共に立ってイエスを待っていた」と解釈するほうがいいでしょう。
【二人の弟子】一人はアンデレです(40節)。もう一人のほうは「イエスが愛した弟子」のことで、ゼベダイの息子の一人ヨハネ(使徒ヨハネ)だというのが伝統的な解釈です。最後の21章では、復活したイエスと弟子たちとの最終の出会いが語られていて、ペトロと「主が愛した弟子」の二人がイエスの後に「ついて行き」ます。この状況は、ここ1章37~38節の状況と類似していますから、ヨハネ福音書の編者は、最初の三日目のこの二人の弟子たちを最後の二人と対応させているとも考えられます。マルコ1章16~20節=マタイ4章18~22節でも、シモン・ペトロとアンデレがまず召命を受け、続いてゼベダイの二人の息子(ヤコブとヨハネ)が召命を受けています。
だとすれば、アンデレとシモン以外の「もう一人」が、ゼベダイの息子であり、それが「イエスの愛(まな)弟子」であった可能性があります。ヨハネ福音書の最終の編者は、今回の箇所の「もう一人の弟子」はイエスの愛弟子ヨハネであると判断していると思われます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕。アンデレとフィリポは同郷で、ベトサイダ出身なので(1章44節)、この「もう一人」はフィリポのことだと見る説もありますが、フィリポは43節で初めて登場しますから、この見方は不適切です。
[36]洗礼者の証言が繰り返されるのは、この証言がイエスの最初の弟子たちが生まれるきっかけになったからであり、同時に、イエスが神から遣わされたという証言が、洗礼者から弟子たちへ受け継がれるからです。
【見つめて】原語「エンブレポー」(見つめる/注視する)〔アオリスト分詞〕は、ヨハネ福音書では、ここと1章42節だけに用いられています。「言う」は現在形ですから、二つの行為が並行して行なわれています。原文では、洗礼者が「注視する」のはイエスのほうなのか、イエスの歩く姿のほうなのか、ふたとおりに読むことができますから、「イエスが歩いているのを見つめて」〔NRSV〕と「イエスが通り過ぎようとするのに目を止めて」〔REB〕とふたとおりに訳し分けられています。
[37]【二人の弟子】原文は「彼(洗礼者)の二人の弟子は(それを聞いて)」とも「二人の弟子が彼(洗礼者)の言うのを(聞いて)」とも読むことができます。
【従った】「従う」はユダヤ教では「弟子入り」することを指します。「従う」は、今回の箇所で3回繰り返されていますから(37節/38節/40節)、これがここの鍵語です。この言葉はヨハネ福音書では特に重視され、神学的な意味が与えられています(8章12節/12章26節/21章19節/同22節)。なおここの動詞はアオリスト形ですから、「洗礼者のもとを離れて、それ以後はイエスに付き従った」のです。
[38]【振り返る】イエスの最初の行為です。二人が「従い」始めると同時にイエスが「振り返る」のです。福音書でこれがイエスについて用いられる時には、何か意外なことが言われたり行なわれたりする場合が多いようです(マタイ9章22節/ルカ7章9節/同10章23節など)。この語は、ヘブライ語「シューヴ」(戻る/復興させる/立ち返る/悔い改める)を思い起こさせますが、神/主についてこの語が用いられるのは、神が再び主の民を「顧(かえり)みる」こと、あるいは囚われの民をもとの国土へ「帰らせる/復興する」ことを指す場合です(エレミヤ書12章15節/イザヤ書63章17節)。
【何を求める】原語のギリシア語「ゼートー」もこれに相当するアラム語「ブアー」も、「求める/ほしがる」の意味だけでなく「探し求める/探求する」の意味があります。「あなたがたが探し求めるもの何なのか?」という意味もこめられていると思われます。なお、「ラビ」と「振り向く/振り返る」と「何を/誰をさがして?」は、20章14~16節にもでてきます。始めと終わりとの対応が意図されているのでしょう。「何を?」には「誰を?」と読む異読があります。
【ラビ】これについてはすでに説明しました。この呼びかけは、主として70年以降のファリサイ派を主流とする「ラビ的ユダヤ教」の時期に用いられるようになりましたから、ナザレのイエスの言葉としては不適切だという見方があります。しかし、70年以前の納骨箱にも、ここに訳されているギリシア語「先生」が刻まれた碑銘が存在しますから、イエスの当時でも、「先生」に相当する「ラビ」が用いられていた形跡があります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕。
【泊まる】原語には「留まり続ける」の意味があり、今回の箇所に3度も繰り返されていますから、ここにも神学的な意味がこめられていると見ていいでしょう(8章31節)。
[39]【来て見なさい】原文は「来なさい〔命令形〕。そうすれば見る/分かるだろう〔未来形〕」ですが、これは「来れば分かるよ」という強い誘いです〔Wallace.
Greek Grammar: Beyond the Basic. (1996).490〕〔新共同訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕。"Come and see."〔NRSV〕〔REB〕「見る」を「見なさい」と命令形に読む異読も多数あります。
まずイエスのもとへ「来る」こと(5章40節)、そしてイエスを「観る」ことは、ヨハネ福音書ではイエスを「信じる」ことへつながる重要な行為です(14章9節)。なお、知恵(ソフィア)思想でも、知恵を「探し求める」者には、知恵のほうからその人に自分を「顕す」こと、しかも知恵は自分を求める者を探し求めていると語られていますから(箴言1章20~21節/知恵の書6章12~16節)、神のロゴスであるイエスと、神の知恵であるソフィアの共通性が指摘されています〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
【泊まった】39節を字義どおりに採れば、弟子たちはイエスの招きに応じて、イエスと共に「宿泊した」ことになります。「宿泊する」は一時的な宿りを意味しますが、同時に弟子たちがそれ以後もイエスと永続的に「留まり続ける」ことをも含みます。だから、ここに「一時的」と「永続」の二重の意味がこめられていると解釈することができます。「ロゴス」が地上に一時的に宿ったことと、ヨハネ共同体が、天にいるイエス・キリストと永遠に共に宿ることとの二重性が、ここの原語「メノー」によって表わされているのでしょう〔McHugh. John 1-4. ICC. 152〕。
【午後四時】原語は「第十の時刻」です。これが現在の午後四時にあたるのは、ヨハネ福音書の時刻が、明け方の6時を「第一の時刻」にして始まるからです(4章6節と19章14節の「第六の時刻=正午」も同じ)。しかし、問題はここでの時刻表示が何を意味しているのか?ということです。ユダヤではこの時刻は、夕食(とその支度)が始まる頃を意味します(ルカ17章7~8節参照)。ヨハネ福音書は、ここで食事のことを明示していませんが、この時刻が「食事の準備をする時刻」であることを読者に読み取らせようとしているのでしょう。だから、イエスと弟子たちとの出会いの最初の日が「夕食」で終わることになります。これは、この最初の食事が、イエスと弟子たちとの最後の食事(21章12節)と対応していることをも示唆するのでしょう。
ここでヨハネ福音書の「時刻」について、簡単に触れておきます。イエスの頃のパレスチナでは、エルサレムを中心にまだ伝統的な太陰暦が用いられていました(ただしクムラン宗団などはこれに対抗して主として太陽暦を用いていました)。太陰暦は、月の運行によるものですから、一日は日没と共に始まり次の日没までで終わります。季節によって、昼と夜の長さが違いますから、「1時間」の長さも季節によって変化します。これに対して、イエスの頃は、ローマ帝国の影響で、ローマの太陽暦がパレスチナにも入り込んでいました。ローマ式の一日は、昼間が12時間で夜間も12時間です。このために、ヨハネ福音書では、昼間はローマ式の朝から夕刻までの12時間ですが(11章9節)、夜は夕刻から夜明けまでが、四つの「見張りの時刻」に区切られています(現在の18時~21時/21時~0時/0時~3時/3時~6時)。
[40]【二人のうちの一人】先に述べたように、アンデレと共にいた「もう一人」とは、最後の晩餐の席でイエスの胸に寄りかかった「イエスの愛弟子」(13章25節)のことであり、ペトロを大祭司の庭に招き入れた「もう一人」(18章15節)の弟子であると読み取ることもできます。共観福音書では、ペトロとアンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネがイエスの内弟子として共にでてきますから(マタイ4章18~22節など)、40節の「もう一人」は伝統的に使徒ヨハネだと見なされています。
【アンデレ】「アンデレ」は「勇気」を意味するギリシア名で、紀元前3世紀頃からユダヤ人の間で一般に用いられました。彼はペトロの兄弟でベトサイダの出身です。共観福音書では、ペトロたちと共に漁をしていてイエスの召命を受けていて、マタイ10章2節では、十二弟子のリストに、ペトロと並んで最初にでてきます。また、アンデレを加えた4人がイエスに質問しています(マルコ13章3節)。しかし、共観福音書ではそれ以上なにも語られていません。以後のキリストの教会では、「ペトロとヤコブとヨハネ」が教会の中心的な存在とされていたので、使徒のリストでは3人から区別されているようです(マルコ3章18節)。
ヨハネ福音書では、彼は洗礼者の弟子で、最初にイエスの弟子になりましたから、『アンデレ行伝』では「プロトクレトス」(最初に召命された者)と呼ばれています。彼はペトロをイエスのもとへ連れてきます(1章42節)。また5000人への供食では、イエスにパンと魚のことを伝えるのがアンデレです(6章8~9節)。彼はフィリポと共にギリシア人をイエスに紹介しようとしています(12章22節)。トゥールのグレゴリウス(538~94年)が著わした『祝福された使徒アンデレの奇跡』(別名『アンデレ行伝』)によれば、彼はアカイアから、マケドニア、ガラテヤ、カパドキア(現在のトルコ)の地域で伝道しました。しかし、アカイア州(現在のギリシア南部一帯)のパトラエ(ペロポネソス半島の北部沿岸の都市)で、ローマの総督によってX形の十字架(「聖アンデレの十字架」と呼ばれています)にかかって殉教したと伝えられています。このようにアンデレはギリシアとの関わりが深いので、パトラエで殉教したアンデレとローマで殉教したペトロとが兄弟であることから、ギリシア正教とローマカトリックは、姉妹関係にあるとされてきました〔Pope Benedict XVI.
The Apostles. 63〕。この使徒は、スコットランドの守護聖人で、そこには、ゴルフの発祥地として有名なセント・アンドリュースの町があります。
【シモン・ペトロ】「シモン」はヘブライ語「シメオーン」のギリシア語読みで、「ペトロ」は「石/岩」を意味するギリシア語です。彼はアンデレと兄弟です(マタイ10章2節/ルカ6章14節)。「兄弟」には冠詞が付いていますが、兄弟が二人だけとは限らないようです。なお42節に「ヨハネの子シモン」とありますが(ギリシア語読み「ヨーアネース」/ヘブライ読み「ヨーハーナン」)、マタイ16章17節では「バルヨナ」(ギリシア語「バリオーナー/バルイオーナー」)、すなわち「イオ/ヨーナーのバル(息子)」です。
[41]【まず】原語に三つの異読があります。
(1)「まず」(原語は「プロートン」)と採れば、アンデレはシモンの兄弟であり、同時にフィリポと同郷の人ですから、「まず」自分の兄弟であるシモンのほうを先に探し出して(「出会った」にはこの意味もあります)、彼をイエスの所へ連れてきたことになります。 "He first found..." 〔NRSV〕"The first thing he did was..."〔REB〕
(2)「第一の人/始めの人」(原語は「プロートス」)と採れば、「二人のうちの<始めのほうの>人アンデレは」の意味になりますから、アンデレが「もう一人」よりも先にイエスに従い始めて、「もう一人」はすぐその後を追ったことになります。
(3)「朝早く」(原語は「プローイ」)と採れば、二人がイエスと共に泊まった翌日のことになります。だから、41~42節で、アンデレがシモン・ペトロをイエスのもとへ連れてくるのは、アンデレたちとイエスとの出会いの「次の日」のことになります〔新約原典テキスト批評〕。この読み方だと、39節で二人がイエスと共に「宿泊」して、翌日ペトロとイエスとの出会いが起こりますので、時間的に見て「とどまる」ではなく「宿泊する」の意味であることがはっきりします。また、1章19節から2章1節までの間に、一日加わることで、全部で七日間になります。
(3)の「朝早く」だと、2章初めのカナの奇跡が、イエスの復活の日にあたる七日目になりますから、この読みは、このことを意識した後からの変更かもしれません。ここは現行の(1)に従って、カナの奇跡を数えて六日目にするほうが適切でしょう(「六日間」については後で扱います)。
【メシア】アンデレのこの告白は、共観福音書では、ペトロによる告白として重要な意味を持っています(マルコ8章29節/マタイ16章16節/ルカ9章20節)。それは、ペトロのこのメシア告白が、ガリラヤ湖から40キロほど北にあるフィリポ・カイサリアで行なわれ、この告白がイエスの伝道活動のちょうど中程にあたるからです。この出来事を境に、イエスは、受難を覚悟してガリラヤからエルサレムへ向かうことになります。しかしヨハネ福音書では、これがアンデレの告白として最初に来ます。
旧約聖書(ヘブライ語)の冠詞付きの「ハ・マーシーアハ」(アラム語は「メシーハー」)は、「油注がれた者(=王/祭司/父祖)」のことで、「メシア」にあたるギリシア語は「クリストス」です。共観福音書のほうではギリシア語「クリストス」が用いられていますが、ヨハネ福音書では、共観福音書とは異なって、ギリシア語ではなく、ほんらいのヘブライ語「メシア」が用いられていて、「『メシア』を(ギリシア語に)訳せば「キリスト」のことです」と説明を加えています(この場合の「キリスト」は小文字で無冠詞です)。新共同訳は、ここの原語「クリストス」をそのヘブライ語「メシア」のほんらいの意味を汲んで「油を注がれた者」と意訳しています。ただし、ここでの「メシア」は、洗礼者の証言に基づいていますから、「世の罪を取り除く神の子羊」と内容的に同じです。だとすれば、「メシア」は、パウロ書簡に出てくる「キリスト」と内容的にそれほど変わらないと思われます。"which is translated Anointed/or Christ." 〔NRSV〕"which is the Hebrew for Christ"〔REB〕
「メシア」が「来たるべき救助者/救い主」の意味で用いられるのはダニエル書で、その9章24~26節には次のようにあります。「虐げられ荒廃しているあなた(ダニエル)の民(ユダの民)とあなたの都(エルサレム)が、その罪科が赦されて、とこしえの義がもたらされ、とこしへの正義が到来して、至聖所に油注ぎ(ミーシャハァ)が起こるまで『70週』が定められています。さらに、エルサレムを再建/復興せよとのお告げが出てから、油注がれた君/王(マーシーアハ)の到来まで7週があります。その後『62週』の間に堀と大路を具えた都が復興します。62週が過ぎると油注がれた者は不当にも断たれ(殺され)、次に来る指導者/王の軍隊が都と聖所を荒らすでしょう。 」〔Translated by John J. Collins.
Daniel. Hermeneia(1993).345-46.〕。
ここには「人の目から隠された神秘の歴史」が語られていますが、旧約時代以後の旧新約中間期では、苦難の時代に続いて希望をもたらす「メシア」来臨への待望が高まります。しかし、「メシア」がどのような人物なのか? あるいはメシアの到来が何をもたらすのか? これの意味する内容は、人によって、あるいは時代によって様々でした。したがって、「メシア」が意味する事/者は、それが用いられる時と、これを用いる人々/共同体によって判断しなければなりません。しかし、どのような意味にせよ、人々一般の理解では、神の民の霊的な復興と民族的な解放を含むものでしたから、そこに何らかの政治的あるいは社会的な変動が予想されるものでした〔フランス『マルコ福音書』〕。マルコ福音書の冒頭に「神の子イエス・キリスト」とありますが、この「キリスト」は、「神の子」とあるように、すでに70年頃のキリスト教会が用いる特定された内容を含んでいます。しかし、マルコ福音書以前の伝承では、特に伝承がイエス在世当時にさかのぼるとすれば、「メシア」には、当時一般の人々が期待していた「ダビデ的なメシア」、すなわちローマ帝国から独立し、ユダヤ王国を回復するために主から油注がれた者という意味を帯びていたと思われます。
[42]【ケファ】マタイ福音書でもヨハネ福音書でも、ペトロの告白と彼に新たな名前が授与されることが共通しています。マタイ福音書では「ペトロ」が「教会の土台」を意味しますが、ヨハネ福音書では、イエスが「彼を見つめて」とあるように、その人柄を見抜いてつけた名前になっています。「呼ぶことにする」の動詞は未来形ですが、これは「後になってそう呼ばれるだろう」ではなく、今からそう呼ぶという意味でしょう。未来形のこの用法は旧約から来ています(創世記17章5節)。
「ケファ」は、イエスが用いたアラム語「ケーファ(ー)」のギリシア語読みです。アラム語「ケーファ(ー)」は、大きな岩、あるいは岩盤のことですが、岩盤や岩が崩れて散らばったかけらもまた「ケーファ(ー)」と呼びますから、アラム語では、大きな「岩」 "rock"と比較的小さな「岩のかけら/石」"stone" の区別がはっきりしないようです。これに対してギリシア語では「石」は通常「リトス」で、「ペトロス」は正確には「石ころ」のことで、どっしりした「岩/岩盤」(ペトラ)のことではありません〔ギリシア語小辞典〕。
マタイ16章18節には「アナタはペトロス(単数)、このペトラ(複数)の上にわたしのエクレシアを建てる」とあります。だから、「ペトロス」という「岩の上に」教会を建てるという訳は、ギリシア語の「石」の意味から見れば適切でないことになります。ただし、ユダヤでは、昔から神殿は、「隅の親石」(詩編118篇22節)を基点として土台を造りますから、神殿を「<石>の上」に建てるという言い方はおかしくありません。もっとも、イエスの言葉は、続いて「このペトラ(複数で「岩」)の上に」とあるので、「ペトロス」も「ペトラ」もアラム語の「ケーファース」と同じ意味で用いられています。
このように見ると、イエスがシモンを「ケーファ(ー)」と呼んだのは、固い「石」をイメージしたのか、どっしりした「岩」のことなのか、判断が分かれます。しかし、マタイ16章18節では「ペトロス(単数)」(石)と「ペトラ(複数)」(岩盤/岩)の両方がでてきますから、ここでの「ペトロ」は、両方の意味を含むアラム語「ケーファー」の用法から考えて、「岩盤」の意味に近いでしょう(マタイ7章25節参照)。なお、この「岩」とはペトロのことではなく、実際はペトロが信仰を置いている「イエス自身」を指しているという解釈もありますが(プロテスタント側から)、これはカトリック教会の解釈を意識して、これに対抗する教派的な見解ですから適切とは言えません。
問題は、ヨハネ福音書でのこの「ケファ」が、マタイ16章18節にあるイエスの言葉のような意味を含んでいるのかどうか?です。この点では、ヨハネ21章で、復活のイエスがペトロに3度も「わたしの羊を養育せよ」と命じることで、始めの「ケファ」と終わりの「司牧命令」とが対応していると見ることができましょう。
【呼ぶことに】原語の動詞は受動態未来形「あなたは呼ばれるだろう」ですが、ここでは「今から」ケファと呼ぶことにするという意味です。これを後で起こることへの預言と採れば〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕、共観福音書のペトロの告白と時期的に一致しますが。
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