【注釈】(2)
■2章
[1]【三日目】この編集句を除くと、この挿話は、その前後から独立した完結した物語になります。だから、この句は、おそらくヨハネ福音書の作者による編集です。「三日目」は、実際には「二日後」のことです。日付はそこで起こった出来事の重要性を表わしていますが、それが具体的に何を意味しているのかについては、説が分かれます。
(1)「三日目」がイエスの復活の日と対応していて、カナでの出来事が、復活の出来事の予兆だと見なされてきました〔ドッド『第四福音書の解釈』〕。しかし、この解釈では、カナの奇跡の意味を十分読み取ることができないという見方もあります。ヨハネ福音書が共観福音書の「三日目」を採り入れた形跡がどこにも見あたらないからです〔McHugh.
John 1-4. ICC. 116-17〕。
(2)1章19節から始まって同43節までで、連続して四日が経っていますから、カナの奇跡は六日目に起こったことになります。これは創世記1章の最初の六日間と対応していています。しかも、ヨハネ福音書のこの最初の六日間は、同時に、イエスの最期の六日間とも対応します。しかも、カナの日と十字架の日だけに、イエスの母マリアが現われるのです。
(3)1章41節の「まず」を「(翌日の)朝」とする読みを採るとすれば、43節で始まる日は1章19節から数えて「五日目」になります。したがって、その「二日後」は、七日目になり、全体で創世記1章1節~2章3節までの<創造の七日間>を表わすことになります。ユダヤ古代の暦では、水曜が週の初めの日です(クムランの暦も同じ)。したがって、1週間の曜日は次のようになります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。ただし、この日数と曜日は、1日を<夕方18時から次の夕方18時まで>として計算していますから注意してください。
水曜→1日目(1章19~28節)洗礼者の自分への証言。
木曜→2日目(1章29~34節)洗礼者のイエスへの証言。
金曜→3日目(1章35~39節)二人の弟子がイエスに従う。
土曜→安息日(1章40節)終日二人の弟子がイエスと共に泊まる。
日曜→4日目(1章41節)この日の朝にペトロがイエスに従う。
月曜→5日目(1章43~50節)フィリポとナタナエルの入信。
(この日の午後から?ガリラヤへの旅が始まり夕方1泊する)
火曜→6日目朝からガリラヤへの旅。夕方ナザレに到着する。
水曜→7日目(2章1~11節)イエス一行がナザレからカナの婚礼へ。
この七日目は、天地が完成した「結婚の日」に譬えることができます(創世記2章1~3節)。このことは、この日が小羊が勝利した婚宴の日とも対応することを意味しましょう(ヨハネ黙示録19章6~8節)。
【カナ】「カナ」と呼ばれる所は、イエスの時代のパレスチナ周辺に幾つもあり、特にフェニキアのティルスから10キロほど南東にある「カナ」がよく知られていました。このために、ここでは、それと区別するために「<ガリラヤの>カナ」と呼ばれていたのでしょう。この「ガリラヤのカナ」は、1650年~1940年頃までは、東方正教会と西方カトリック教会によって、現在の「カフル・カナ」のことだとされていました。カフル・カナは、現在のティベリアスから国道77号線で西へ10キロほど行くと南側の丘の上にあります。そこを過ぎて少し行くと、南へ折れて、丘を登りその丘を降るとナザレがあります。ナザレから見てこのカナは、5キロほど北東にあたるでしょうか(上記の曜日の計算だとこの距離が適当だと思われます)。しかし現在では、ナザレの北の方角へ15キロほどの所の丘の上にあるキルベト・カナが、聖書のカナのことではないかと見られています。イエスの時代、このカナとナザレとの間に、セポリスと呼ばれるヘレニズム風の都市がありました。ナザレからだと、丘を越えてセポリスを通り、かなりの距離になると思われます。どちらが「ほんとうの」カナかよく分からないようです。
【イエスの母】イエスよりも母のほうが先に出てきて、しかも全体を取り仕切るというのは、特に奇跡物語では異例です。「イエスの母」の導入は、おそらく口伝段階か、あるいは原ヨハネ福音書の段階で行なわれたのでしょう。4節は編集者による挿入と考えられますから、彼の手によって「イエスの母」が導入されたとは考えられません。また、共観福音書では、母マリアの存在は、誕生物語を除くならきわめて制限されています。イエスの家族の周辺には、イエスを狂人だと思った人たちさえいたようです(マルコ3章21節)。しかし、ヨハネ福音書での母は、イエスに神の力が宿っているのを少しも疑わないのです(「イエスの母」については注釈(1)を参照してください)。なお、ヨハネ共同体と母マリアとの関係を示す伝承については、下巻補遺編の「母マリアの隠喩」を参照。
[2]【婚礼に招かれた】当時の婚礼の慣わしでは、親類縁者だけでなく、いろいろな人が婚礼の宴に招かれましたから、イエスの家族が婚礼の家族と特に親しかったとは言えないようです。しかし、母と息子が招かれたのであれば、イエスの家族と何らかの交際があったと思われます。ただし、律法の教師たちは、その弟子を伴って婚宴に招かれることがしばしばありましたから、イエスも神の律法の教師として弟子たちと共にその婚宴に参加したと見ることができます。ヨハネ福音書によれば、この段階でイエスに同伴した弟子は5名だったことになりますが、後の12節から判断すると、必ずしも先の5人に限られていないようにも受け取れます。2章1~2節と12節を総合すると、イエスの母(とイエスの兄弟たち)が家族として婚宴に招かれ、イエスと弟子たちは「ラビとその弟子たち」として別個に招かれたと考えられます。2章1~2節で、母(とその息子たち)の招待と、イエスと弟子たちの招待が別個に記されているのはこのためでしょう。ただし、カナからカファルナウムへ向かう際には、イエスの家族と弟子たちが共に降っていった。これが、作者ヨハネの思い描く状況であろうと想定できます。
〔婚礼〕イエスの時代の婚礼には様々な形態があり、地域によってもそれぞれ特徴がありました。婚礼では、まず花婿が花嫁の家を訪れます。誓約式は、通常花婿の家で行なわれたと考えられますが、花嫁の家で行なわれる場合もあったようです。花婿は、花嫁を彼女の家から行列を組んで花婿の父が用意する宴会の場(通常は父の家)へつれていき、そこで祝宴が行なわれます。結婚式の重要な要素は、花婿の訪問、花嫁の行列、踊りと人々の祝福、宴会、神の祝福への七度の祈り、婚礼の成就から成り立っていました。結婚に関するユダヤ教の規定は厳しいものでしたが、実際の結婚の儀式は比較的簡単で、しかもその様式も意外に多様で、具体的な方法は地域によって異なったようです。ガリラヤは、ユダヤ人以外の人たちも多い地域ですから、それなりの特徴があり、ユダヤ教の掟に触れない限り比較的自由が認められていました〔Hezsar. The Oxford Handbook of Jewish Daily Life in Roman Palestine.357-58.〕。
正式には、婚宴は七日間続きました。花婿と花嫁に身近な人たちは、その間終始居合わせました。婚礼当日の夜の宴会は特に重要でした。裕福な家では、その町全体を招待することもあったようですから、比較的貧しい家でも、できる限りの人たちを招いたと思われます。このように、大勢の人たちが入れ替わり訪れるので、多量のぶどう酒が必要であり、しかもその量は、訪れる人の数に左右されますから、途中でぶどう酒が足りなくなることもあったようです〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。これらの宴会を含めて、婚礼全体を「取り仕切る」人が必要でした。
[3]【ぶどう酒が足りない】「婚礼のぶどう酒が尽きたので、ぶどう酒がなくなったので」のように読む異本があります。また、古いラテン語訳では、「招かれた人たちが余りに大勢で、ぶどう酒がなくなった」とあります〔新約原典テキスト批評〕。これらはおそらく現行の短い読みを説明する後からの編集でしょう。客が次々と出入りするので、予定の数を越えてぶどう酒が足りなくなったのです〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
【母がイエスに】古代の教父たちは、母からイエスへのこの言葉は、イエスに何らかの奇跡を要請していると解釈しました(エイレナイオス/アウグスティヌス/クリュソストモス)。しかし、後代になると、母は、ぶどう酒がなくなったことだけをイエスに告げているのであって、奇跡的な行為を求めているのではないと解釈されるようになりました(トマス・アクィナス/カルヴァン)。原文の「母がイエスの<ほうへ向いて告げた>」という言い方は、何か大事なことを知らせる場合の言い方ですから、必ずしも奇跡でなくても、イエスになんらかの助力を求めたと理解すべきでしょう〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕。
[4]【婦人よ】原語は「女よ」。母に対してこの言葉を用いるのは、必ずしも軽蔑の意味ではありませんが(4章21節/20章13節)、ここはやはり「母」が来るべきところですから、単なる肉親同士の間柄ではなく、イエスとマリアとの間に一定の距離があることを示しています。ヨハネ福音書のここはルカ2章49節に相当するのでしょう。
【どんなかかわりが】この言い方は旧約にも新約にもでてきて、主として「拒絶」や「関わりを否定する」意味で用いられます(士師記11章12節/列王記上17章18節/マタイ8章29節/マルコ5章7節/ルカ4章34節)。共観福音書では悪霊がイエスに向かって叫ぶ言葉です。しかし、ここヨハネ福音書では、母の要請に距離を置きながらも、直ぐに奇跡を行なって母の願いを聞き入れています。ここが、編集者の挿入だとすれば、彼は母マリアの働きを制限しようと意図しているのかもしれません。ここのイエスの言葉は、「わたしとあなたとの間に何の関係があるのですか?」「(ぶどう酒がなくなった)このことがわたしとあなたとに何の関係があるのですか?」"Woman, what concern is that to you and to me?"[NRSV]「そのことはわたしと関係がない」"That is no concern of mine."〔REB〕などの訳があります。「カトリックの説教者にとっての誘惑は、マリアの執り成しを強調しすぎることであり、プロテスタントの説教者の誘惑は、マリアに対するとがめだてを強調しすぎることである」〔スローヤン『ヨハネ福音書注解』〕。
【わたしの時】ヨハネ福音書で「イエスの時」とは、一般的にイエスが<受難の栄光を受ける>時を指します(7章30節/8章20節)。しかし「わたしの時はまだ来ていない」とある「時」は、父の導きによって何らかの行動を起こす<時>をも指します(7章6節)。今回の箇所でも、「時」は、イエスでも母でもなく、父である神の手にあるという意味です。母はこのことを理解したので、「なんでもイエスの言う通りにしなさい」と召使いに告げています。ここで言う「時」は、イエスのメシア性を証しする(奇跡の)時ですが、それは、同時に、イエスの受難の時への予兆であることをも示しています。イエスがその死によって栄光を顕す時が来るその前に、すでに栄光を顕す業が行なわれていたことをこの句の「時」が示しています〔バルト『ヨハネ福音書』〕。
[5]【その通りに】「この方(イエス)が何かを言われたら、なんでもその通りにする」は、初期のキリスト教徒たちの合い言葉でした〔スローヤン『ヨハネによる福音書』〕。この言い方を旧約にたどると、「ヨセフのところへ行ってヨセフの言うとおりにせよ」(七十人訳創世記41章55節)と、ファラオが命じています。
[6]【石の水がめ】ユダヤ教ファリサイ派の浄めのしきたりについてはマルコ7章3~4節を参照。瓶が石でできているのは、実際にも儀礼的にも汚れをよせつけないためです(例えばレビ記11章29~38節参照)。しかし、ここでの「浄め」が具体的に<どの程度の浄め>を指すのか、この点が必ずしもはっきりしません。ユダヤ教のファリサイ派の中でも、「浄め」に最も厳格な人たちは、汲んで来た瓶(かめ)の水を「死んだ水」と見なして、流れている、あるいは雨のように降る「生きた水」によって全身を洗い浄めるという規定を守っていました。しかし、パレスチナでもそれほど厳格に「浄め」にこだわらない人たちがいました。またヘレニズム世界の離散のユダヤ人たちの間では、全身の「沐浴(もくよく)」ではなく、一般には、手を洗うことで「浄め」を済ませていましたから、おそらくここでも、宴会を取り仕切る世話人は、「浄め」をそれほど厳格に考えなかったのでしょう。このために食事の前後に手を水で浄めるために汲んだ水瓶を用意したのです〔キーナー『ヨハネ福音書』(1)〕。
ここで「ユダヤ人の」とあるのは「ユダヤ教の」とも訳すことができます。ヨハネ福音書では、「ユダヤ人」は、通常「イエス」と対立関係にありますから、ここでも、「ユダヤ教の水」と「イエス・キリストのぶどう酒」とを対照させて、ユダヤ教/人の「水」が、イエスの「ぶどう酒」によって置き換えられることを象徴していると解釈されています。ただし、この段階では、両者は対立関係にあるのではなく、ここで象徴されている「浄めの水」は、クムラン宗団の系統を受け継ぐ洗礼者とその宗団のことではないかと思われます。この点は、特に「結婚の宴」から見た場合に見えてくることであり、3章29節の花婿とその友人との結びつきへつながります。
【六つ】ユダヤ教では「7」を完全数と考えますから、「6」はユダヤ教がイエスに比べて不完全であることを象徴するという説があります。モーセがエジプトのナイル川の水を血に変えた奇跡と関連づけて(出エジプト記7章19節)、「6」で象徴されるユダヤ教の「浄め」を不完全だと見なし、イエス・キリストの「血」こそが、完全な浄めをもたらすという解釈もあり、「6」は奇跡が六日目に起こったことを象徴するという見方もあります。数にこのような象徴性を読み込むことを「数秘」と言います。
【メトレテス】1メトレテスは、ほぼ40リットルです。したがって、六つの水瓶全部で現在の500~700リットルの水になります。
[7]「(イエスが)言う」は現在形で、「いっぱいにせよ」と「満たした」はアオリスト形です。イエスが<語る>と、それが出来事に<なった>ことを表わそうとしているのです。
【水】ここで言う「水」とは、「地上のパン」(6章49~51節)と同じように、人がこれによっていては、真の霊性に<生きる>ことができないものを表象します(マタイ4章4節)。「キリスト無しには、味もなく愚かであるがゆえに、(「水」は)キリストに先立つ預言者のことである。それ(水)は、旧約聖書も彼(イエス)について証しすることを示すためである」〔バルト『ヨハネ福音書』〕。
【満たした】ヨハネ福音書で「満たす」は、物質だけでなく、霊的な豊かさをも象徴しています(1章14節の「恵みと真理に満ちる」/3章29節や15章11節の「喜びに満たされる」)。
【縁まで】原語は「上まで」。ぶどう酒に変わったのは、瓶の中の水ではなく、召使いが運んだ水だけであるという解釈がありますが、水を「瓶の縁まで一杯にした」とあるのは、瓶の中にある水が全部ぶどう酒に変わったことを言おうとしていると思われます。瓶の底から上までとは、天と地とを縦割りにして、光と闇、真理と偽り、命と死の対立としてとらえるヨハネ福音書の二元性を象徴しているという説もあります〔キーナー『ヨハネ福音書』(1)〕。ヨハネ福音書の二元性が縦割りであることは正しいのですが、ここの「縁まで」にこの意味を読み込むのはうがち過ぎでしょう。
[8]【さあ】「さあ」は「今」とも訳せますから先の「わたしの時はまだ」と対応しています。
【汲む】この動詞は新約聖書では、ヨハネ福音書のここ2章8節/同9節と4章7節/同15節だけです。七十人訳では、創世記24章13節と同20節で、アブラハムの僕がイサクの花嫁を探してリベカに出会う場面にでてきます。また出エジプト記2章16節では、エジプトから逃れてきたモーセが、彼と結婚するツィポラと出会う場面で、祭司エテロの娘たちが水を汲んで満たす場面にもでてきます(なおイザヤ書12章3節を参照)。
【世話役】「世話役」の原語「アルキトリクリノス」は、ラテン語「トリークリーニウム」(食事の際に横になる3人用の寝椅子)からでたギリシア語です。ヘレニズム世界でこのギリシア語は、食事の部屋を取り仕切る人のことですが、ここでは婚礼の宴会を取り仕切る責任者を指しています。通常これは社会的に認められた身分の人で、招待主や花婿から依頼されたり、招待された客同士が選んで依頼したり、場合によっては籤(くじ)で決めることもありました。当時のぶどう酒は必ずしも上質のものではなかったので、悪酔いを避けるために水で割って飲む習慣がありましたが、ぶどう酒の質(醸造度)を決めるのも世話役の大事な仕事の一つでした。ヘレニズム時代のユダヤ人の間でも、世話役は名誉ある役目で、ぶどう酒をも含めて、宴会が律法の定めに従っているかを決めるのも彼の責任でした。この仕事を無事に果たし終えた人は、そのことで尊敬されたようです。ただし、ここカナの婚宴の場合、ファリサイ的な「浄め」の規定がどこまで厳格に守られていたかは疑問です〔キーナー『ヨハネ福音書』(1)〕。
[9]~[10]【ぶどう酒に変わった水】おそらく、瓶の水全体がぶどう酒に変わったのでしょう。水がどのようにしてぶどう酒に変じたかについてはいっさい語られません。ただイエスの言葉だけが、そのような不思議を可能にしたことを告げて、その言葉が、創造的な働きをすることだけを述べています〔バレット『ヨハネ福音書』〕。ここで大事なのは、イエスの言葉によって創造された奇跡のぶどう酒を味わいながらも、奇跡が起こったことを「知る」人と「知らない」人とがいることです。
【どこから】「どこから?」は、この奇跡がいったい「どこから」来ているのか?という問いをも含むでしょう。この問いは、イエスが「どこから」来たのか?に通じています。召使いだけがこの奇跡を知っているとは、イエスの命令を忠実に実行した人たちだけが、新しいぶどう酒の出所を知っているという意味でしょう。
【初めに良いぶどう酒を】客の酔いが回った頃合いを見計らって、より劣ったぶどう酒を出すという例は、ヘレニズムの文献には見あたらないようです〔バレット『ヨハネ福音書』〕。ここで「だれでも」が「あなた」と対比されますから、イエスの奇跡によるぶどう酒が良質であったことを通じて、その家の主人が、思わぬおほめに与ったと言いたいのでしょう。世話役の言葉は、皮肉を交えた冗談とも受け取れますが、ヨハネ福音書では、こういう場合、語る当人が全く予想もしなかった意味が、登場人物の言葉にこめられていることがあります(11章51~52節参照)。
[11]【最初のしるし】「最初の」は4章54節の「第二の」に対応します。「しるし」とは神が人に語りかける出来事の象徴のことであり、「言葉」とは、神が人に語りかける出来事それ自体を指します〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。「奇跡」は、神の言葉が働いた「しるし」であり、イエスの言葉は、彼を通じて神の言葉が「出来事」になることです。なおヨハネ福音書補遺「カナの奇跡」を参照。
【ガリラヤのカナで】2章13節から舞台が突然エルサレムへ移り、そこからサマリアでの出来事を経て、4章45節で再びガリラヤへ戻ってきます。ここの句は、そのことを前もって指示しているのでしょう。
【栄光を】「栄光を現わされた」は編集者の挿入だと考えられます。おそらく、原ヨハネ福音書では、「現わされた」のは「イエス自身のメシア性」ではなかったかと思われます。だとすれば、原ヨハネ福音書では、イエスの奇跡は、そのメシアとしての神性を顕現させることで、弟子たちを信じさせる働きをしていたことになります。ところが編集者は、この奇跡を「イエスの栄光」を顕す出来事だと観るのです。「栄光」は、1章14節の「栄光」ですが、同時に「栄光」は、イエスの物語全体の主題でもあり、「贖いの栄光」「十字架の栄光」へつながります(12章23節/17章24節)。しかし、2章の段階で「栄光」はまだ完全に成就してはいません。それは成就にいたる途上での「栄光」です(7章39節)。だからここで言う「栄光」は、最終的な成就を予兆するものだと言えましょう。ヨハネ福音書の「栄光」に、キリスト論的な意味と救済論的な意味と終末論的な意味を含ませようとする編集者の意図が見えます。
【イエスを信じた】ほんらいの「しるし資料」では、奇跡は人を信仰へ導く最も単純で素朴な「しるし」の意味を帯びていました。しかし、ヨハネ福音書では、単に「見える」しるしのことではなく(6章26節)、見えない神からの啓示(イエスの霊性)を「観る」こと、それによってイエスをほんとうの意味で「信じる」ことが求められています(20章29節)。
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