18章 イエスの神殿
                  
2章12〜22節
■2章
12この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。
13ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。
14そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。
15イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、
16鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
17弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。
18ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。
19イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」
20それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。
21イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。
22イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
                   【講話】
                  【注釈】
■神仏を拝む場所
 今回は「神殿」、すなわち「神様を拝む場所」についてです。現在日本には、新宗教・既成宗教を取り混ぜて、いろいろな礼拝施設があります。その中で、わたしが一番身近に知っているのは神社とお寺と教会です。この三種類の礼拝所は「神仏を拝む」という点で共通しますが、それぞれに異なったところもあります。
 神社の起源を尋ねると祖霊崇拝や自然崇拝に行き着きます。しかし、わたしにとって、神社とはその村その町を守るカミが祀ってある場所という印象が強いのです。こういう村落共同体のカミだけでなく、これらの統合としての国家神道の神社があります。その起源は、日本に王権が誕生した大和朝廷の時代にさかのぼるものです。平成天皇が即位した時に大嘗祭という儀式が行なわれ、新しい天皇が、ユキ・スキの二つの社にこもってその年の稲の初穂を皇室の先祖のカミと共に食すると、天皇の肉体にカミが宿るという儀式が行われました。これは国家神道の性格をよく表わしていて、政治を天皇の「政」(まつりごと)と呼ぶのもこれから始まったのかもしれません。神社という所は、わたしたちに国とカミとの出会いを感じさせます。
 仏教の寺院は、ほんらいストーパ(卒塔婆)と言われて、お釈迦様の遺骨を祀る塔として始まりました。お寺のお坊さんの住まいを「塔頭」(たっちゅう)と呼ぶのもここから出ているのかもしれません。お寺はほんらい遺骨を祀る場所であって、お寺とお墓、特に先祖の遺骨との結びつきの強いのが分かります。日本人は身内の人の遺体に強く執着すると言われるのも、こういうところからきているのでしょう。家にある仏壇は、先祖との出会いの場になっています。
 これに対してキリスト教の教会堂は、イエス・キリストとその父の神に出会う場所です。イエス・キリストを通じて神と出会う場が、キリスト教の会堂の目的です。かつての欧米の教会堂は、このほかに、その教会の教区の人たちが集まる会合の場所でもあって、例えばイギリスでは、市民の集まる公会堂、今で言う市民会館ができるのは十八世紀になってからです。それまでは教会堂や都市の聖堂が様々な会合の場になっていました。
■自己と宗教
 国と先祖と神、この三つは、わたしたちにとってどれも大切です。これらは、どれをとってどれを捨てるのか、という性質のものではないからです。しかし、人が窮極のところで、この三つのどれを最も大切だと考えるのかは、やはりその人にとっても、その民全体にとっても重要な意味を持っています。
 このことは、皆さんが「わたくしは・・・・・です」という言い方で自分を考えてみると分かります。わたし自身について言えば、「わたくしはかつて甲南女子大学の教員でした」「わたくしは私市の家族の者です」「わたくしは日本人です」「わたくしはクリスチャンです」などがすぐ思い浮かびます。「わたくしは・・・・・です」というのは、自分が何者であるか、自分の「アイデンティティ」、これを他人に対してはっきりさせるときの言い方です。「・・・・・です」の部分には、職場、家族、国籍、自分の信じている宗教、その他いろいろなものが入ります。考えてみると、その部分には、自分がなんらかの形でそれに「所属している」あるいは「従属している」ものが来ることに気がつきます。
 「所属する」とか「従属する」とか言うと、なんだか自主性がないように聞こえます。ところが、その人が最もその人らしく発言したり行動したりするときには、この「わたくしは・・・・・です」がとても大切な意味を持つのです。そこが決まらないと、自分の意見や行動を他人に向かってなに一つ示すことができないからです。「わたしは・・・・・です」は、自分の考えや立場を言い表わすときの基礎になるのです。学校長、社長、会長、クラブのリーダーなどは、この「わたくしは・・・・・です」によって自分が「長」であることを自覚します。「長」と名の付く地位の人は、自分がそれに所属している団体や組織それ自体から自己の発言力を引き出しているのです。そして、この所属こそが、彼が「自己を発揮する」源になっています。自分の主体性をそこから得ているからです。だから、なにかに「所属する」ことは、「主体性」がないどころか、それこそが彼の主体の根元になっていると言えます。このように、人間というものは、なにかに絶対的に所属しているときに、もっとも強く自分の「主体性」を発揮できるのです。
 自分は国に属するのか、家族に属するのか、神に属するのか?これは人間にとって最も基本的な問いです。先に神社やお寺や教会堂についてお話したように、この三つのどれかひとつだけで成り立っている宗教はありません。どの宗教もそれぞれに全ての所属関係を含んでいます。しかし「拝む」という行為は、窮極のところで自分はなにに所属しているのかを決定する行為ですから、同時に、その人の主体性を追求する行為でもあります。
■イスラエルの神殿
 今回のイスラエルの神殿は、キリスト教の会堂とは違います。イエス様の時代には、ユダヤ教の「神殿」はエルサレム以外にありませんでした。それ以外の地域には、いわゆる「シナゴーグ」と呼ばれる会堂があって、ここが礼拝や会合の場所として用いられていました。しかしエルサレムの神殿は、字義どおりイスラエルの神がそこに臨在する場所であって、その境内は聖域とされていて、ユダヤ教徒以外の人は、外庭と呼ばれている一定の区域以上からは本殿に近寄ることが許されませんでした。ユダヤ教徒でも、女性は「女性の庭」と呼ばれる一定の所に限られていました。その奥に男性のユダヤ教徒だけの場所があり、その奥は聖所と呼ばれていて、そこには祭司以外は入れませんでした。さらにその奥に至聖所と呼ばれる所があり、そこに神が宿って居られたのです。ソロモン王が神殿を建てたときには、ここに契約の箱が安置されていましたが、バビロンの捕囚以後には、これが失われたために、イエス様の時代の神殿には契約の箱は置かれていませんでした。この場所には大祭司ひとりだけが、身を清めた後で、年に一度だけ入ることができました。
■出エジプトと過越祭
 イスラエルの人々は、当時東地中海一帯に広がって住んでいましたが、イスラエルの神が居られる所はエルサレムだけですから、この神に出会うために巡礼をしなければなりません。とりわけ三月から四月にかけて祝われる過越の祭は、ユダヤ教の最大の祭りですから、大勢の巡礼たちが四方からエルサレムへお参りに集まってきました。
 2章13節にある「過越祭」というのは、その昔、イスラエルの民が、モーセという大預言者に率いられてエジプトの国から脱出したことを祝う祭りです。旧約聖書によると、それまでイスラエルの人々は、エジプトで奴隷同様の身分で重い労役に苦しめられていました。彼らには所有する土地も農地もありませんでした。そこで、モーセに率いられたイスラエルの人々は、エジプトから脱出する「出エジプト」をはたし、長い苦しい旅を続けて、ようやく神が自分たちに与えると約束された土地へたどり着くことができたのです。
 苦しい思いをしてやっと手に入れた土地ですから、イスラエルの人々は、その国土でいつまでも安らかに暮らしたいとどんなに願ったことでしょう。こういう気持ちは、長い年月、自分の国土に慣れ親しんできたわたしたち日本人にはなかなか分かりにくいと思います。英語で「ランド」は「土地・国土」を意味するように、自分の国土に安心して住めることはとても有り難いことなのです。しかし、この願いがかなえられるためには、どうしても守らなければならないことがありました。それは、イスラエルの民をエジプトから導き出した神、モーセの仕えた神であるヤハウェを固く信じて、これ以外の神に近づかないことです。
 このために、彼らにはモーセから与えられた律法がありました。出エジプト記20章にあるモーセの十戒がそれです。ヤハウェ以外の神を決して拝まないこと。自分の同胞の民を殺さないこと。同胞の持ち物を盗まないこと。同胞の信用と名誉を奪わない(裁判で嘘の証言をしない)こと。同胞の(夫婦の)愛を盗まないこと。ほかにもまだあります。皆さんは、これらの律法を見て、もしもこれらを全部守っている民族や国が現在この世界に実際に存在したら、その民族はとても偉いとは思いませんか。まして、三千年以上も前にこんな民が存在したら、彼らがどれほど高いレベルの民であったかが分かると思います。ここに、イスラエルの民が「聖なる民」と呼ばれる理由があります。
 ちなみに、モーセの言うヤハウェ以外の神を拝まないというのは、世界中の人がヤハウェ以外の神を拝まないという意味ではなく、イスラエルの民にとっては、これ以外の神が存在しないという意味です。だから、これは夫婦関係に似ています。ほかに男や女が居てもそれに心を寄せないという意味です。この場合、モーセの宗教は「唯一神教」ではなく「一神教」です。イスラエルがほんとうの意味で「唯一神教」になるのはずっと後の時代です。
■エルサレムの第一神殿
 イスラエルの民がこの神により頼んで律法に従って生きるなら、神は必ずこの民を守り、民はこの国土に安らかに住まうことができる。この約束をヤハウェとイスラエルとの間の「契約」と言います。ちょうど、夫あるいは妻が互いに相手を裏切らないという誓約を立てるように、ヤハウェの神とイスラエルの民とは、夫と妻の「契(ちぎ)り」を結んだのです。
 ところがイスラエルの民は、モーセの教え通りの「聖なる民」になることがなかなかできませんでした。初めのうちは熱心に神を求めたのですが、強くなって周りの民族を支配するようになると、国土も豊かになり、それにつれて傲慢になったからです。ダビデ王は熱心に神を求める人で、彼の時代にイスラエルは一大帝国に成長しました。王は都をエルサレムに定めました。その息子ソロモンがダビデ王の後を継ぐと、ソロモンは立派な神殿をエルサレムに建立しました。紀元前955年頃のことで、これがイスラエルの最初の(第一)神殿です。
 ソロモン王の時代にイスラエルは富み栄えました。こうして神がイスラエルの民に約束されたこと、すなわちイスラエルがこの神に従うなら、神はイスラエルを守り、国はいつまでも栄えて人々は安らかに暮らすことができるという約束が、ひとまず成就されたのです。しかしこの繁栄は長くは続きませんでした。ソロモン王の時に、王国は北と南に分裂したからです。その結果、王国の力が少しずつ弱くなって、北王国は紀元前722年にアッシリア帝国によって滅ぼされ、南王国は紀元前587年に新バビロニア帝国によって滅ぼされました。
■第二神殿
 こうしてイスラエルの国は地上から抹殺されたかに見えました。ところが不思議なことに、ペルシア帝国の時代になると、バビロンに捕らわれていた南王国のユダ部族の人たちが、エルサレムに帰還することを許されたのです。再び国土を持つことができた彼らの喜びはどんなだったでしょう。彼らは約束に忠実なヤハウェの神に感謝をささげて、さっそくエルサレムに神殿を造り始めました。これが完成したのが紀元前515年のことで、第二神殿と呼ばれています。この神殿は、その後長らくイスラエルの神の宿る所としてイエス様の時代まで続きます。ただし、紀元前20/19年、ヘロデ大王の時代に、神殿をいっそう立派で広いものにするために改築工事が始まりました。2章20節に「この神殿を建てるのに46年かかった」とありますから、イエス様の今回の出来事が起こったのは紀元後27/8年頃になります。この神殿が完成するのが紀元後64年頃ですから、イエス様の時代にはまだ改築が進行中だったことになります。しかし、せっかく完成した神殿も、ローマ帝国とユダヤとの戦争で70年にエルサレムともども破壊されてしまいました。
■神殿と犠牲
 以上で、神殿がイスラエルの国にとってどんなに大きな意味を持っていたかが分かると思います。イスラエルの神殿では、そこで執り行なわれる祭儀の中心は「神に犠牲をささげる」ことにありました。
 「一般の人のだれかが過って罪を犯し、禁じられている主の戒めを一つでも破って責めを負い、犯した罪に気づいたときは」(レビ記4章27節)、無傷の雌山羊か雌羊を神殿にひいて来て、献げ物をする人が、その手を犠牲の頭の上に置きます。それからこれを屠(ほふ)り、その血を祭壇の四隅の角に塗り、残りの血を祭壇の基(もとい)の所に流します。さらに犠牲の脂肪を切り取って祭壇で燃やして主を宥(なだ)める香りとします。これによってその人の罪が赦されます。これが個人としての罪を贖(あがな)う祭儀です。
 日本人のように農耕を主とする民族は、とりわけ生き物を殺すことを「殺生」として忌み嫌う仏教の人がこれを見たら顔をしかめるだろうと思います。しかし、中国では、紀元前1400年〜1100年頃の殷(いん)の時代に、王権が確立されるためにささげられた大量の人身犠牲の祭祀の跡が発掘されています(週刊朝日百科『世界の歴史』2号24頁)。さらにインドネシアのセラム島一帯では、生きた処女をいけにえとして月の女神にささげるという儀礼が行なわれていました。インドのある地方では現在でも娘を女神にささげる風習が根強く残っていて、これらの女性が娼婦になっているために、この地方でエイズが広がる恐れがあると報じられています(『アエラ』1993年2月23日号)。動物を身代わりに殺していたイスラエルの人が、生きた人間を犠牲にするのを見たら、今度は彼らがびっくりするでしょう。
 犠牲という言葉をもう少し広く解釈するなら、太平洋戦争では何百万という日本の若者が戦争の犠牲になりました。それだけでなく、十万を超える朝鮮半島の女性たちが、従軍慰安婦として日本軍の「犠牲」にされたと報じられています。広島と長崎の原爆の「犠牲」も忘れることができません。これは日本だけでなくアメリカも重なった犠牲です。戦争で死んだ兵士と原爆の犠牲者と朝鮮半島の犠牲者とを一緒にするのはおかしいと思う人がいるかもしれませんが、わたしは兵隊も従軍慰安婦も原爆の死亡者も皆同じように、「人間の犠牲」であると思っています。過去の時代から現代に至るまで、これに類似した犠牲が、部族や民族や国家や宗教の名において世界の各地で行なわれてきたからです。
■犠牲と暴力
 どうしてこのような「犠牲」が必要とされるのかについては、さまざまな理由が考えられます。しかし、それらの理由なり原因に共通するのは、天災・人災を問わず、なにか不幸なこと苦しいことが共同体全体にふりかかったときに「犠牲」が生じることです。その共同体が、災厄の原因を「犠牲」となる人たちに振り向けて、その人たちを迫害したり殺したりすることで災厄から免れようとする心理が働くからです。
 何かつらい苦しい状況が、ある集団に生じた場合、その集団のひとりひとりに暴力が芽生えます。この暴力は、家庭内暴力に見るように、自分たちと無関係の人に向かうのではなくて、自分たちに近い人たち、すなわちその集団内の人たちか、その周辺のほうに向かうのです。集団に近い人が、集団の弱さや不満を暴力としてぶつける相手になります。人間は自分が悪いときでも決して自分のせいにはしません。必ず仲間のせいにします。ところが人間が集団になると、何か事が起こると、仲間同士の結束を図り集団を維持したいという願いが、ほとんど無意識に働くのです。その結果、集団内の特定の人に、あるいは集団に比較的近いところにいる人に彼らの暴力が向けられることになります。これの身近な例がイジメです。グループが、もしイジメの相手を選ぶのに失敗すれば、集団そのものが崩壊することを彼らは無意識にかぎとっているのです。人間が互いに抱き合う敵意を、集団の内にいる人に、あるいはこれに近いだれかに振り向けることで互いの敵意を回避する。これがイジメの構造です。ある程度のイジメは、子どもが人間関係を学びとっていく過程として必要ですから、これを絶滅することはできないでしょう。
■共同体の暴力
 集団の暴力が共同体全体に生じた場合には、恐ろしい迫害が生じ、その結果、特定の階層や人種の人たちが「犠牲」にされます。共同体の暴力、民族の暴力、国家の暴力がこうして「犠牲」を生み出すことになります。これを防ぐためには、わたしたちひとりひとりが、自分の内に潜む暴力に目覚めなければなりません。そして、その内なる暴力をしっかりと見つめてこれに克つ努力をすることが必要です。このためには自分の罪を決して周囲の人に転嫁しない覚悟が必要です。
 けれどもこれはなかなか難しい。難しいのは、わたしたちの内に潜む暴力に自分ではなかなか気がつかないからです。先に引用したレビ記の贖罪の献げ物のところに「だれかが<過(あやま)って>罪を犯し」とありました。暴力がこわいのは、これが<過って>、すなわち無意識に働くことです。しかもこれが無意識のうちに集団全員に伝播するのです。わたしたちは後になって、自分はそんなつもりではなかったとか、知らなかったとか、みんながやったからつい自分も、などと言い訳をしますが、この言い訳は、暴力とこれの犠牲者への解決になりません。集団の暴力は、集団内の全員に蔓延するだけでなく、暴力の被害者である相手にもまた、同じ暴力を目覚めさせます。これを暴力の「模倣」と言います。被害者は加害者を模倣することで、今度は自分が加害者になります。「自分がやられたとおりに人にやってやる」のです。こうして暴力は際限なく新たな暴力を作り出して繰り返されることになります。
 絶対にしてはならないことを犯すのを英語で"violate"(破る/犯す)と言います。これは"violence"(暴力)の語源です。人間には自分でコントロールできない罪の力が潜んでいることを、この英語は表わしています。これをくい止めるには、わたしたちひとりひとりが自分に潜む罪に気がつかなければなりません。でもこれが人間にはなかなかできない。人間は「自分の」罪には弱い存在だからです。
 贖罪の献げ物は、こういう人間の弱さをよく知っています。人が<過って>罪を犯したときに、これに気がついたら先ず神殿へ、すなわち神のみ前に出ます。これは自分が気づいた罪だけではなく、自分の気がつかない罪、<過ち>のためでもあります。人間は自分の良心だけでは判断できないほど弱く自己欺瞞的で罪深い存在だということを認めるのが、「神殿に行って」神のみ前に捧げる犠牲の行為です。わたしたちは自分が知っている範囲だけではなく、知らないところでどんなに多くの人に犠牲を加えているか分からないからです。
■贖罪の犠牲
 贖罪の献げ物では、無傷の雌山羊か雌羊を買って、これを神のみ前にひいて来ます。それから、犠牲の動物の頭に必ず自分の手を置きます。これは自分の罪を献げ物に移すと同時に、自分が罪深い存在であることを神のみ前に認める行為です。それから祭司は、いけにえを殺して、その血を指で祭壇の四隅の角に塗ります。血はその生き物の命です。罪とは、神がお与えになった命を暴力で傷つける行為ですから、犠牲の血を注ぐことで自分の行なった罪を詫びるとともに、身代わりにされたいけにえを通じて自分の命を神にささげることを意味します。こうすることで、神は「その宥めの香り」をかいで、その人の罪が赦されるのです。ささげられた血の命は神のもの、「聖なるもの」となります。
 部族や民族の集団の暴力の場合は、これが相互の間で暴走し出すと、もはやなに者も止めることができない破壊と混乱に陥る危険があります。復讐が復讐を呼ぶのです。暴力を止めるには復讐を止めることが必要ですが、これが難しいのです。
 ところが、このような場合でも、部族相互の暴力の反復が停止されることがあるのです。それは、暴力を最初にふるった者の側の部族から、その部族の長、あるいは全員から尊敬されている人物、たとえば部族の宗教的な指導者・祭司などが、自ら進んでその責任をとり、両方の部族の間で犯された暴力への償いとして自らをいけにえにささげるやり方です。この場合も、彼に向かって暴力への復讐が激しく行なわれます。しかし、彼自身は無実であって身代わりの犠牲であることが大きな違いです。このような方法をとることで、不思議にも暴力は双方とも停止されるのです。
 犠牲とされたその人物は、ふるわれた暴力の復讐の的ですから、あたかも彼が罪を犯したかのように「処罰」を受けます。しかし、この場合はここで終わりません。その犠牲の儀礼が完了すると、彼は双方に平和をもたらした神聖な存在として双方から崇拝されるのです。暴力の復讐の的として憎悪の対象であったその同じ人が、一転して恵み深い平和の聖者として崇められるのです。こうすることで暴力の応報は断ち切られ、平和が回復する。こういうことが起こるのです。
 昔、台湾に大変暴力的な部族が住んでいました。彼らの間で暴力が絶えないので、あるときその部族の間でたいそう尊敬されている賢者が、彼らに向かって「そんなに暴力が止められないのなら、明日赤い頭巾をかぶり赤いマントを着た人が通るから、その人を殺しなさい」と言いました。次の日に、その賢者の言ったとおりに赤い頭巾をかぶった人が通りかかりました。すると、部族の人たちは彼が言ったとおりにその人を殺しました。ところが、その人がその賢者だったのです。それから彼らは暴力を止めたと伝えられています。暴力は犠牲を求めます。しかも、その犠牲を拝む行為だけが暴力を抑えるのです。 
■犠牲制度の崩壊
 2章13節に「ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた」とあります。そこには神の住まわれる神殿がありました。しかしその神殿は、イエス様の時代には「神の住まわれる聖域」とはほど遠い状態でした。なぜなら、せっかくモーセの教えによって伝えられた神殿での犠牲も、ほとんどその意味を失っていたからです。
 神殿での贖罪行為は効率よく運営されていましたが、そこには、神の前で自分の罪について深く反省する余裕も与えられませんでした。両替屋の役目とは、要するに今の銀行と同じです。神殿は、さながら巨大な贖罪金融システムとして、宗教と政治と経済制度を動かす中心的な機能を果たしていたのです。こうして、エルサレムの神殿制度は、巨大な宗教産業として回転していました。宗教のこういう効率化とこれによる財政的な利潤が、国を支配する特権階級を潤し、彼らの政権基盤を支えていたのです。人々は、お金を両替して動物を買えばそれで犠牲の勤めはすんだ、こう考えても不思議ではありません。イエス様が過越祭を祝うために上られたエルサレムとは、当時このような状態でした。
 ここまで制度化した宗教には、もはや人間の内面に芽生える暴力を贖いきよめる働きも力もありません。したがって、神殿制度それ自体の内部に人間の暴力が宿り始めていくことになります。こうして宗団組織内に密かに蓄積された暴力性が、神殿制度全体を巨大な宗教的暴力宗団へと変えていくのです。形骸化した宗教制度に反対する心ある人々のグループが現われたとしても不思議でありません。もしもそのようなグループが神殿宗教を非難したりしようものなら、神殿制度という宗教的な暴力は、たちまちその凶暴性を露(あらわ)にして批判グループに襲いかかるのです。
■イエス様と神殿
 わたしたちは、イエス様がなにを目指してエルサレムへ上られたのか、そのわけをうかがい知ることができます。「わたしの父の家を商売の家とするな!」(2章16節)イエス様のこのお言葉こそ、巨大な神殿に象徴される商業化した宗教に対する厳しい弾劾(だんがい)だったのです。イエス様のお言葉は、ゼカリヤ書14章21節からの引用です。共観福音書にもイエス様が神殿を清める行為がでてきますが、ゼカリヤ書からのこの引用はヨハネ福音書だけです。ゼカリヤ書には、やがてメシアが現われてほんとうの神を見失ったエルサレムに「罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる」と預言されていました。さらにその預言は、「その日には万軍の主の神殿にもはや商人はいなくなる」という言葉で結ばれていたのです。 イエス様は、神殿に入られると「縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し」(15節)ました。ヨハネ福音書のこの描写は、イエス様が、神殿で行なわれている「金儲け」だけでなく、神殿での動物の犠牲の祭儀も、さらには神殿制度そのものまでも「ひっくり返して」しまうような印象を受けます。イエス様は、神殿を「わたしの父の家」と呼んでおられるのですから、神殿の商業化を止めさせるのがその目的で、神殿そのものを否定しているのではありません。共観福音書の記事も含めて、この箇所が一般に「神殿の清め/神殿の浄化」と呼ばれているのは、この解釈に基づいています。
 イエス様は19節で、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言っておられます。これは「今建っているこの神殿は、わたしの父の家なのだから、たとえ壊されても再び建て直して見せる」と言う意味にも聞こえます。ユダヤ人もイエス様の言葉をこう受け取ったのでしょう。しかし、ここでイエス様の言われているのは、ご自分の体こそ神の御霊の宿る「神殿」なのだから、たとえイエス様の体が「壊されても」、「イエス様の体」という神殿は決して失われることがない、父なる神は必ずこれを復活させてくださる、こうも言っておられるのです(21節)。
 だから、イエス様の言われる「わたしの父の家」とは、石で造られている壮麗な神殿を指すだけでなく、むしろこれと対照された「イエス様の体」とも重ね合わされています。少なくともヨハネ福音書は、そういう意図でイエス様の行為を語っています。後の4章に、イエス様とサマリアの女との会話がでてきます。イエス様はそこでも、神を礼拝する人は、エルサレムにある神殿とかサマリアにある神殿ではなく、父なる神を「霊と真理をもって礼拝しなければならない」(4章24節)と言われています。
 「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」(17節)。これは弟子たちが、後でイエス様の行なわれたことを思い出した時に与えられた聖書の御言葉です。イエス様は、人々が神殿の真の有り様を忘れて、無知で無意味な犠牲を献げていることに強い憤りを覚え、神を礼拝することに対する熱い思いを抱かれた。その熱意がイエス様を「食い尽くす」のです。イエス様は、言わばご自分を神殿で神に捧げられる「焼き尽くす(食い尽くす)献げ物」とされたのです。
 こうして、イエス様は、ご自分の神殿批判を通して、自分になんのかかわりもない人間集団の暴力が、自分ひとりに向かうように仕向けられたのです。これが焼き尽くす献げ物に象徴される犠牲の役割です。イエス様が引き受けた罪とは、それまで蓄積された人間の罪だけではなく、それ以後も繰り返し行なわれる一切の人間の罪をも含んでいます。しかも、「ユダヤ人」の罪のためだけに犠牲になられたのではなく、「人間」の根元的な罪のために犠牲になられて、人間がそもそもの初めから内に宿していた「アダム(人間)の罪」を己に引き受けられたのです。イエス様は、これによって、ご自分を「全ての人間」の敵対と憎悪の的とされた。わたしたちがこのお方に出会うときに初めて、自分の罪に目覚めさせられるのはこのためです。
■贖罪の十字架
 神殿の浄化に始まるイエス様の一連の行為は、最後にはイエス様に十字架刑をもたらす結果になります。ところが、十字架を境に、イエス様の死の意味に大転換が生じました。憎悪の対象が崇拝の対象に変わったのです。わたしたちの内に潜む暴力の罪をイエス様の十字架に向けることで、その罪が力を失う。この不思議がイエス様の愛によって実現したのです。このような意味を担う死であればこそ、イエス様の十字架が、どんな宗教のささげるどんな犠牲よりも尊い贖罪へ献げ物とされるのです。言わば、イエス様ご自身が、神への「贖罪の神殿」となられた。
 
  あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、
  神は主とし、またメシアとなさったのです。 
                (使徒言行録2章36節)
 イエス様は、復活されて「神の子」とされ、人類の信仰を集める方になられた。わたしたちがこのイエス様を神の子として信じ敬う限り、わたしたちの内に潜む暴力はその絶対的な力を奪われます。罪の刺は人間の内でなお働き続けるでしょう。しかし、その「死の刺」は、以前のように無意識に自分の内で働いて人を傷つける力とはならないのです。
 神はこのキリストを立て、
 その血によって信じる者のために
 罪を償う供え物となさいました。
         (ローマ3章25節)
 イスラエルの宗教は、新しくよみがえりました。一民族や一国家のためでなく、人類全体の罪を解決して平和を創り出す宗教として、新たな力を与えられたのです。
 神は、わたしたちがすでに清い者になっているからではなく、贖罪の献げ物をささげなければならない罪を宿す者として、わたしたちを「イエス様という神殿」へ招いておられます。「イエス様の神殿」に招き入れられ、イエス様の犠牲に与り、自分の罪を贖い赦していただくためです。ヨハネ福音書は「このこと」を伝えているのです。イエス様の神殿に入る者にはイエス様の御霊が宿ります。十字架は復活を呼び、復活は御霊を呼び、御霊はわたしたちをイエス様の神殿へ呼び寄せます。
 人間は、なにかに所属しなければ生きることのできない存在です。わたしたちひとりひとりが、イエス様を通じて小さな聖堂とされて、自己の内で罪の贖いの赦しの犠牲をささげること、これこそが、己の内と外とに働く暴力に勝つことのできる力となります。こうして、わたしたちは「争い」ではなく「平和」を創り出していくための主体として、この世の中に働きかけていく存在となることができるのです。どうかイエス様を通して現わされた愛を受け入れて、ほんとうのあなた自身をそこに見出してください。
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