【注釈】
■2章12~22節の構成
 ヨハネ福音書のこの部分に相当するのは、マルコ福音書で言えば、マルコ11章15~17節の神殿を浄める行為、同27~28節の祭司長や律法学者たちによるイエスの権威についての問いかけ、同13章1~2節のイエスによる神殿崩壊への預言などの部分です。ヨハネ福音書では、これらがひとまとめになっていますから、その資料は、内容的に共観福音書のそれと共通する伝承から出ているものの、共観福音書とは別個に伝えられたものです。ヨハネ福音書の作者は、この伝承に2章13節の導入部分と同17節の聖書からの引用と22節の弟子たちの想起の部分を加えたのでしょう。「三日で建て直す」とある19節は、後からの教会による解釈を反映しているという見解がありますが、むしろ古いイエスの言葉伝承に由来する可能性があります〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。編集部分を除く13~16節と18~21節では、後半が前半の解説になっています。
 共観福音書では、当時ユダヤの指導層によって悪用され「汚されていた」神殿をイエスがこれを「浄めた」として、この部分は「神殿の清め/浄め」と題されています。マルコ14章58節には、イエスが「人の手で造った神殿と、人の手で造らない神殿」とを対比させたという証言があります。ルカ19章の「神殿の浄め」の前には、イエスの口から、エルサレムが破壊される厳しい預言が語られています(同41~44節)。マタイ21章の「神殿の浄め」では、続いてイエスが、イスラエルの象徴であるいちじくの木を呪う出来事が続きます(同18~21節)。
 これに比べてヨハネ福音書では、イエスの「復活した体」こそが「新たな神殿」を現わすと意義づけられているのが特徴です。四福音書は、旧約の預言者たちが待望した終末の神殿、イエスの頃のユダヤ教が待ち望んでいた「メシアの到来による新たな神殿」の伝承をイエスが受け継いでいることを証ししています。ただしヨハネ福音書は、その神殿こそが「復活のイエスのからだ」であることを明らかにしているのが特徴です。
 初代のキリスト教徒は、信者ひとりひとりが「神の神殿」であり(第一コリント3章16~17節)、信者たちが形成する神のエクレシアは「キリストのからだ」(エフェソ1章22~23節)だと見なしていました。この意味では、共観福音書よりもヨハネ福音書のほうが、キリスト教的な神殿観をより明確にしていると言えます。
 さらにもう一つ大事なことは、ヨハネ福音書では、破壊された神殿に替わる「新たな神殿」の建設が、共観福音書のようにエルサレムへの入城直後のこととしてではなく、イエスの伝道活動の始めに置かれていることです。ヨハネ共同体に伝えられた伝承では、ほんらいこの出来事は共観福音書同様に受難物語の前に置かれてあったのが、ヨハネ福音書の作者によってイエスの伝道活動の始めに移されたと見られています。そうだとすれば、ほんらいの伝承資料では、12章のベタニアでの香油の出来事と神殿の記事とはつながっていたことになります。だから、ほんらいの形としては、神殿での出来事→大祭司の陰謀→ベタニアでの香油注ぎ→エルサレム入城→最後の晩餐という順序が想定されましょう。
 2章の初めのカナの奇跡に続いて、今回はエルサレムの神殿制度への批判が明確に表わされています。この反エルサレム神殿は、おそらくクムラン宗団の流れを汲む洗礼者の姿勢とも関連していると見ることができます〔市川喜一氏の指摘による〕。ここにはおそらく、先のカナの婚宴での水とぶどう酒の対比でも指摘したように、洗礼者のエルサレムの神殿制度への批判が含まれていて、これと洗礼者との結びつきから、ヨハネ福音書の編集者は、ほんらい受難直前に置かれていた神殿浄化をカナの婚宴の次に置いたのではないかと推定することができます。
 共観福音書では、受難に先立つ神殿の浄めの記事であったのが、現在のヨハネ福音書では、ラザロの復活がこれにとって代わり、神殿の出来事がカナのしるしの次に置かれています。だから、ガリラヤ(カナ)でのしるしとエルサレムでのしるしが対照されていると見ることもできます。この出来事は、過越というユダヤ教の最も大切な時に行なわれています。だから、先のガリラヤでの婚宴で水がぶどう酒に変わったしるしと同じように、「石の神殿に取って代わるイエスのからだの神殿」という主題も、ユダヤ教がキリスト教によって「置き換えられた」ことを表わすものです。
 ただし、ここで語られている「新たな神殿」は、単なる旧約から新約への「置き換え」ではありません。すでにイスラエルの歴史には、神殿の破壊(ミカ3章12節/エレミヤ書7章12~14節など)と、その再建(エゼキエル書40章~44章/ゼカリヤ書2章14~17節)にかかわる神殿伝承が旧約時代から存在していました。ヨハネ福音書は、このような神殿破壊と再興の伝承に基づきながら、これをタイポロジー的に再生させているという見方のほうが適切でしょう〔スローヤン『ヨハネ福音書』〕。だから、ヨハネの象徴体系は、旧約の神殿伝承を受け継いでいるのであって、決して旧約の伝承の「廃棄」や単なる「置き換え」ではありません。
■2章
[12]【この後】原文は「このことの後で」です。「このことの後で」とは、何か重要な出来事か大事なイエスの言葉の後にでてきて、その前との区切りを示すものです〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕。
【兄弟、弟子たち】マルコ6章3節にイエスの兄弟たちの名前がでています。弟のヤコブは、イエス復活後の教会で義人ヤコブとしてイエスを信じました。彼はヤコブの手紙の作者だと言われています。またユダへの手紙の作者は「ヤコブの兄弟」だとあるので、彼ら二人はイエスの兄弟であり、またイエスの信者であったことになります。ただし、兄弟たちの入信は、イエス復活以後のことだと言われています(7章3~5節参照)。
 そうだとすれば、兄弟たちと弟子たちとが同時にイエスに連れ添うというのは不自然です。ヘブライ語で「兄弟」は、直接の兄・弟のことだけでなく、従兄弟や義理の兄弟たち、場合によっては友人のことさえ含みますから、ここの「兄弟たち」は、ほんらい弟子たちを指していたのでしょうか?それとも、カナの出来事の後になるために「弟子たち」を加えたのでしょうか?
【カファルナウム】カナの位置にはふたとおりの説がありますが、どちらのカナからでも、内陸の丘陵地帯からガリラヤ湖沿岸のマグダラかティベリアスへ出て、そこから岸沿いにゲネサレトを経由して北岸のカファルナウムへ向かったのでしょう。なお、イエスとその母と兄弟たちは、ナザレからカファルナウムへ移り住んだと考えられます(マルコ3章31節/ルカ4章23節参照)。共観福音書では、カファルナウムはイエスのガリラヤ伝道の拠点です。ヨハネ福音書では、カファルナウムが特に重要視されているとは言えませんが、ここでは、イエスたちはカファルナウムからエルサレムへ向かったことになっています。カナからわざわざ北へ向かい、そこからエルサレムへ向かうのは不自然なので、この12節はヨハネ共同体に伝わる原伝承において単独で伝えられていたのが、そのままここへ取りこまれたのだろうと言われています〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。しかし、ヨハネ福音書の地名は、「ガリラヤ」にせよ「ユダヤ」にせよ、そこに住む人たちと密接に関係する象徴性を帯びていますから、ここの「カファルナウム」も単に地名を出したのではなく、共観福音書が証しする通り、イエスの活動の拠点がカファルナウムにあって、イエスは<そこから>ユダヤへ向かったことを表わすのでしょう。
[13]【ユダヤ人の】ヨハネ福音書では「<ユダヤ人の>祭り」という言い方が用いられていますが、これは、ヘレニズムの読者たちを意識した説明であるだけでなく、「ユダヤ人」とイエスの関わりが、ヨハネ福音書全体を流れる一つの重要な主題だからです。
【過越祭】ヨハネ福音書では、イエスの活動期間が、三度の過越祭にわたっています(2章13節/6章4節/11章55節)。このことから、イエスの伝道期間は2年3か月ほど(28年1月?~30年4月?)であったのでしょうか。共観福音書では、過越祭はイエスが十字架にかかった時の一度だけです。共観福音書では受難の過越祭の直前に「神殿の浄め」がきているのに、ヨハネ福音書でイエスの伝道活動の最初の過越祭にこの出来事を置くことができたのもこのような構成のためです。歴史的に見れば、イエスの実際の伝道期間は、共観福音書よりもヨハネ福音書のほうが正しいと見ることができます。しかし、そのような歴史的根拠よりも、祭りの祭儀的な意義とこれに対応するイエスのメシア性との関係こそが、ヨハネ福音書の大事なメッセージです。共観福音書と異なり、イエスが過越の小羊が準備されるまさにその時に殺されたとあるのも、ヨハネ福音書のこの視点から理解できます。
[14]イエスの頃(30年)に、神殿で犠牲を献げるやり方が大祭司カイアファによって変更され、それまでは、神殿の境内の「外で」犠牲の動物の売り買いが行なわれていたのが、境内の内部に移されたという見方があります。人々が犠牲の売り買いや両替を行なっていたのは、おそらく本殿の南側にある境内(異邦人の庭)であったと思われますが、動物たちはいったいどこにつながれていたのか(本殿の北側の境内?)、また実際にどのような人の流れで犠牲の動物が売り買いされ、犠牲が献げられていたのか? この辺の事情がよくわかっていません。
 イエスの批判は、神殿における<犠牲の献げ方>が商業化したそのことに向けられているのであって、神殿それ自体ではないという指摘があります〔Chilton.?The Temple of Jesus.〕。これはとても深い洞察で、今回のヨハネ福音書では、イエスと神殿での犠牲の有り様、この二つの結びつきがとても重要です。神殿制度それ自体を否定することは、ヘブライの神自体を否定することになります。かつての新バビロニア帝国やギリシア系のアンティオコス4世が行なったことはまさにこれであり、後にローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したのも同じ理由からです。ところが、エルサレムの神殿制度に反対していたクムラン宗団は、ヘブライの神を否定するのではなく、より純粋で霊的な礼拝を主なる神ヤハウェに捧げるために神殿制度を批判するのですから、同じ神殿制度を批判するにしても、その動機が異教の帝国とは正反対です。一方は神それ自体を否定し、他方はより正しいあり方で神を礼拝することを求めるからです。イエスの神殿批判も<この点から>理解しなければなりません。
【境内】原語のギリシア語「ヒエロン」は神殿の境内全体を指します。これに対して「ナオス」は、聖所と至聖所を含む本殿を意味します(19節)。
【両替をする者】神殿内で用いることが許される貨幣は、パレスチナで流通していた「ティルス貨幣」で、ギリシアやローマの貨幣など皇帝の像が刻まれている貨幣はいっさい使用できませんでした。
【牛や羊や鳩】「牛」はほんらい「雄牛」のことですが(レビ記4章14節)、ここではそれ以外の「牛」も含まれていた可能性があります。「羊」とあるのは「山羊」も含みます。鳩は貧しい人たちが献げるためのものです。
[15]~[16]共観福音書とヨハネ福音書の共通点は、(1)神殿の境内での出来事である、(2)鳩を売る者たちを追い出した、(3)両替商のテーブルをひっくり返した、(4)神殿が「神の家」であるというイエスの言葉などです。これに対してヨハネ福音書では(1)牛と羊が売られていた、(2)縄で鞭を作った、(3)イエスの言葉の内容の3点が特徴的です。
【売っている者たち】マルコ=マタイ福音書では「売る者たちと買う者たち」です。マルコ福音書では神殿内で行なわれる「不正な」取引に抗議しているようであり、ヨハネ福音書では境内での取引それ自体に抗議しているようです。マルコ福音書では、この後で、大祭司たちはイエスを殺そうと決意しています。ただし、イエスは、動物の犠牲に基づく神殿の<犠牲制度の有り様(よう)>を否定したのであって、神殿それ自体と祭司制度を直接廃止しようとした形跡は見られません。
【縄の鞭】境内には棒や武器の類を持ち込むことが禁じられていましたから、動物たちの寝わらで編んだ縄を用いたのでしょう。原語はほんらい藺草(いぐさ)で編んだ縄のことです。
【(台を)倒し】「ひっくり返す/投げ倒す」などの異読があります。
【羊や牛】共観福音書にでてきません。後からの挿入でしょうか。
【鳩を売る者】直接鳩を売る商人たちに向かって鞭を振り上げたのです。
【父の家】神殿が「神の家」(ヘブライ語「ヴェート・エロヒーム」)と呼ばれるのは旧約以来の伝統です(詩編52篇10節/同84篇11節/イザヤ書2章3節/マルコ2章26節/ルカ2章49節をも参照)。しかし「父の家」はイエス独自です。
【商売の家】「父の家」が「市場の家」と対照されています。両替(銀行の役目)と神殿税(献金)と犠牲の祭儀の一切が制度化されて、効率よく経済的にも成り立つ仕組みが完成していたのです。ここで初めて、ヨハネ福音書に16回もでてくる〔新共同訳〕「わたしの父」が登場します(マルコ11章17節の「わたし(主なる神)の家」と比較)。ここの引用は、「その日には、万軍の主の神殿にもはや商人はいなくなる」(ゼカリヤ書14章21節)を受け継いでいます。ゼカリヤ書のこの箇所では、主によって聖なる者とされたすべての異邦人たちがイスラエルの民と共にエルサレムへ集められて、聖なる神殿は主に仕えようとするすべての民に開かれであろうと預言しています。なお、ヨハネ福音書の「商売の家」にあたるのは、共観福音書では「祈りの家」(イザヤ書56章7節)に対する「強盗の巣」(エレミヤ書7章11節)です。
[17]ここの引用は「あなたの神殿に対する熱情がわたしの上にふりかかっているので、あなたを嘲る者の嘲りがわたしの上に降りかかっています」(詩編69篇10節)からです。
【食いつくす】「食いつくす」という言い方は旧約聖書では、「火で焼き尽くす」ことに用いられていて、この言い方は、特に「焼き尽くす献げ物=燔祭の犠牲」の火に用いられています(レビ記9章24節/列王記上18章38節/歴代誌下7章1節)。なお「火で焼く」は、神の役に立たない者たちを神が怒りの火で焼くことをも指します(エゼキエル書15章7節/21章37節/マタイ3章12節をも参照)
【熱意】この言葉も旧約では「主を思う熱心/熱意」を意味します(列王記下10章16節/詩編119篇139節)。特にヨハネ福音書のここでは、旧約での「食いつくした」が未来形に変わっています。これは、イエスの「神の家」に向ける「熱意」がイエスに死をもたらすことをも予め示唆していると思われます。だから、イエスの神殿での行為は、イエスがメシアとして受難し、復活する「しるし」です。
【思い出した】「弟子たちは思い出した」とあるのは、かつてのイエスの出来事を<聖書に照らして見直す>ことです。この17節をヨハネ福音書の作者による挿入と見る説もあります。しかし、旧約聖書の成就は、受難物語にも見ることができますから、この節の後半もヨハネ共同体に伝わる伝承から出ていると考えることができましょう。
[18]~[19]18~19節の問答は共観福音書に見られませんが、マルコ11章27~28節では、神殿でのイエスの行為を祭司長たちがとがめています。マルコ福音書では、イエスの神殿の浄めの記事とイエスの権威を問う問答とが分かれて記されています。マルコ福音書で分かれている二つを組み合わせたのがヨハネ福音書のほうだと考えることもできますが、すでにほんらいの伝承の段階で、問答と行為は結びついていたと見るほうが正しいでしょう。したがって、ここの部分は、ヨハネ福音書の作者による編集ではなく、彼は原伝承を引き継いでいると見るべきでしょう〔Fortna. The Fourth Gospel and its Predecessor.127〕。
【どんなしるし】ここで言う「しるし」は、2章11節の「御栄光を顕すしるし」とは意味が少し違うようです。「ユダヤ人たちは(イエスに)言った」とあるから、ユダヤ人がイエスに向かって神を試みる「しるし」を行なうように仕向けているのです。だからこそイエスは、自分の資格証明を彼らに与えることを拒否したのです(4章48節を参照/6章30節)。
【この神殿】「神殿」の原語「ナオス」は、広い神殿の境内全域「ヒエロン」のことではなく、聖所と至聖所を中心にした本殿を指しています。ここでイエスは、本殿を指さして「この」と言ったのでしょうか? それとも自分のからだを指して「この」と言ったのでしょうか?「三日で建て直す」とあるのが復活を指すのであれば、イエスは自分のからだを指して「この」と言っているとも解釈できます。
(1)もしもイエスがここで、受難から三日後に復活する自分の体を指しているとすれば、後のキリスト教会がこの神殿物語を創出したと見る根拠にもなりましょう。ただしこの解釈だと「この神殿を建てるのに46年かかった」という相手の反論は全く意味をなさなくなります。
(2)「この」は本殿を指していると解釈される場合が多いようです。だとすれば、ここでイエスが言おうとしているのは、「あなたたちは、<わたしの父の家>であるこの神殿を商売の家に悪用して、神殿ほんらいの意義を失わせている。だから、わたしの父によって、やがてこの無用の神殿が壊される時が来るだろう。あなたたちが壊すのなら壊してみなさい。わたしは直ぐにでも、あなたたちが失おうとしている<この神殿>を<興して/よみがえらせて>みせよう」という意味になりしょう。
 この解釈でも、40年後のエルサレム神殿の崩壊を体験した後の教会による事後預言だと見ることができましょう。しかし エルサレム神殿が破壊されたりその意義を失ったりする出来事は、新バビロニア帝国によるエルサレム神殿の破壊(前586年)以後もしばしば起こったことでした。特にアンティオコス4世によるユダヤ教の弾圧は(前167年)事実上の神殿喪失を意味しましたから、これらの体験はユダヤ人に深く刻まれていました。ユダヤ戦争が始まる前にも「神殿の滅亡」を預言した人物がいたことが報告されていますから、イエスがエルサレム神殿の崩壊を予感し実際にこれを預言したことは十分ありえることです。
 ただし、この場合、神殿を「建て直す」というイエスの言葉が何を指すのかが問題になります。イエスのこの言葉は、これを聞いている弟子たちにも、相手のユダヤ人にも全く理解できなかったでしょう。だからヨハネ福音書は、「これはイエスの体のことを指している」というコメントを加えているのです。ちなみにマルコ福音書には、イエスが「わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる」(マルコ14章58節)と言ったという証言があります。
【壊してみよ】神殿の出来事については、次の四つの解釈を考える必要があります。
(1)神殿の浄化:これは聖職の売買、両替の収入、犠牲制度の形骸化など、エルサレム神殿体制の腐敗と堕落を清める/浄化することを目指すものです。この場合神殿それ自体は現在の状態を維持し続けることを意味します。したがって、もしもこの神殿が失われたら復元が求められます。
(2)神殿の霊的内面化:これは神殿礼拝の建物とこれに属する制度よりも、礼拝する人間の内面性を重んじて、神殿礼拝を霊的にとらえることで、礼拝する者の心に内面化されることを目指すものです。したがって、神殿とそこで行なわれる祭儀は新たに霊的な意義を与えられますから、建物もこれに基づく祭儀も改革はされますが廃止されることはありません。クムラン宗団が祈り求めていたのがこの種の神殿です。これはヘロデが目指した神殿の「復元」ではなく、神殿の霊的な新生につながるものです。
(3)神殿の終末化:地上の神殿に対応する天上の神殿を指します。これは天から降って終末に実現する神殿のことですから、地上の神殿は消えてなくなります。ヨハネ黙示録21章~22章5節の新しいエルサレムの「神殿」がこれに当たります。
(4)神殿の破壊/崩壊:神殿とそこで礼拝されている神を完全に否定し神殿制度を廃止することです。北王国のゲリジム神殿と南王国のエルサレム神殿が、それぞれアッシリアと新バビロニアによって破壊された場合がこれです。また、アンティオコス4世によるエルサレム神殿制度の廃止と異教化もこれに属し、後に行なわれるローマによるエルサレム神殿の破壊もこれに属します。
 イエスに先立つクムラン宗団は、当時のエルサレムの神殿制度に反対して、(2)を実践しつつ(3)の到来を待ち臨んでいました。共観福音書でイエスが行なったのは(1)の場合を含むと思われますが、「祈りの家」として(2)を意図していたと考えられます。しかし、イエスはすでに(4)を予測していますから、イエスが具体的にどのような「神殿」の有り様を思い描いていたのか、確かなことは分かりません。
 おそらくイエスは、神殿を指して、堕落した神殿制度がやがて廃れて、地上の神殿それ自体もやがては霊的な神殿によって取って代わられると預言したのです。「神殿が」が「イエス自身の体」のことだというコメントは、イエスの復活とエルサレム神殿の崩壊を体験したヨハネ福音書の編集者によるものです。だからここには、ナザレのイエスの言葉と、イエス復活以後のヨハネ共同体の視点とが重ね合わされています。
【三日で】これはイエスの復活を指す言葉として「三日目に」あるいは「三日以内に」の意味に解釈される場合があります。しかし、ヘブライ語では「短い間に/間もなく」の意味ですから(ホセア書6章2節)、ほんらいはこの意味だったのでしょう。
【建て直す】原語は「エゲイロー」で、ギリシア語では「寝ている人を目覚めさせる/起こして立ち上がらせる」ことです。しかし新約聖書のこのギリシア語は、ヘブライ語「クゥム」から引き継いだ内容を帯びています。「クゥム」は「立ち上がらせる/復興する/よみがえらせる/復活させる」など多様な意味を含んでいます。共観福音書のほうは、異なる原語「オイコドモー」です。これは建物に対して用いられますから、建築物を「建て直す」の意味に限られます。ヨハネ福音書の用語は、建物を「建て直す」ことと、からだを「復活させる」ことの両方を含むことが分かります。
[20]ヘロデ大王は、かつての第二神殿が、ペルシア帝国の意向に沿ったためにソロモンの神殿よりも低く慎ましい姿であることを取り上げ、大王の生涯の大事業として、これを壮大な神殿に造りかえる計画を立てました(前20/19年)〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』15巻11章1節〕。この神殿は大王の時代にはまだ完成せず、紀元64年頃にようやく最終的に完成しました〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』20巻9章219節〕。これは神殿がローマ軍によって完全に破壊される6年ほど前のことになります。ヨセフスのこの記述に基づくなら、「46年かかった」とあるのは、イエスの頃、工事はまだ進行中だったことになります。したがって「かかった」とあるのは、必ずしも完成を意味しません。"This temple has been under construction for forty-six years."[NRSV]
 この「46年」は、工事開始の年から計算すると、イエスの神殿の浄めが行なわれたのが紀元27/28年の過越祭の時だったことになります。だから、ヨハネ福音書の三度の過越祭から判断するなら、イエスの十字架は30年の過越祭にあたります〔McHugh. John 1-4. ICC. 208〕。なお、イエスの誕生が前4年であったとすれば、紀元30年にイエスは34歳だったことになります。これは、ルカ福音書3章23節に「イエスが宣教を始められた時はおよそ30歳であった」とあることとほぼ一致します。ただし、ヨハネ福音書8章57節でユダヤ人がイエスに「お前はまだ50歳にもならないのに」と言っています。この言い方からすれば、十字架刑の時のイエスの年齢は、30歳よりももう少し上であった可能性もありましょう〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
[21]直訳すれば「かのお方が言われた/言われていたのは、御自身のお体のことだったことになる」です。「言われた」〔不定過去形〕は「そう言っておられた」の意味です。
[22]【復活された】原語は「エゲイロー」(起き上がらせる/復活させる)の受動態です。イエスが神によって「復活させられた」というのが新約聖書の証言です(ローマ4章25節/同6章4節)。しかし、この動詞の受動態はヨハネ福音書ではここだけです。ヨハネ福音書では、むしろ父の御力が御子に働いて、父子一体となることで、イエスが「復活する」と言います(20章9節/21章14節参照)。
【聖書】「聖書」の原語「グラフェー(書きもの)」は単数です(英語の“the Scripture”)。5章39節では複数です(英語の"the Scriptures")。ヨハネ福音書で、単数の場合は11回で、2章22節/7章38節/同42節/10章35節/13章18節/17章12節/19章24節/同28節/同36節/同37節/20章9節です。ほかに7章15節に「グランマタ(学問/読み書き)」が「聖書の知識」としてでてきます〔新共同訳〕。13章18節は詩編41篇10節を指し、20章9節は詩編16篇10節を指していますから、2章22節は詩編30篇4節でしょうか〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕。ただし、このように箇所を特定するのではなく、旧約聖書の復活に関する箇所全体を指すと見ることもできます。
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