【注釈】
■サマリアの女の物語
〔物語の構成〕
サマリアの女の物語は(4章1~42節)五つに分けることができます。
(1)物語の設定(1~6節)。
(2)永遠の生命にいたる水(7~15節)。
(3)真の礼拝(16~26節)。
(4)刈り入れ(27~38節)。
(5)サマリアの救い(39~42節)。
(1)~(3)はイエスとサマリアの女の対話であり、(4)はイエスが弟子たちに語る言葉であり、(5)はサマリアの救いです。これを(1)~(3)と(4)~(5)の2回に分けて見ていくことにします。
〔物語の特徴〕
サマリアの女とイエスの出会いは、前章のニコデモとイエスの出会いと対照されます。ニコデモはユダヤの指導者ですが、女は無名で、ユダヤ人から見ればほとんど異教徒に近い存在です。ニコデモは、当初は信仰にいたりませんが、女はイエスを信じて、イエスのことを町の人たちに伝えます。だから4章では、イエスの伝道活動が、ユダヤの伝統から離れた道へ踏み出すのです。
その第一は、ガリラヤを含むユダヤ人/ユダヤ教徒ではなく、異邦人/異教徒に語ること。第二は、男性から女性へ向かうこと。第三は、女性とイエスの個人的な出会いです。ヨハネ福音書では、8章で姦淫の女とイエス、11章でベタニアのマリアとイエス、さらにマルタとイエスの対話、12章ではマリアの香油注ぎ、20章ではマグダラのマリアと復活したイエスの出会いが語られます。第四は、サマリアの女性が社会通念から見れば道徳的に罪の女だということ。これらが今回の物語の特徴です。
共観福音書でも、イエスと罪の女の出会いが語られますが(ルカ7章36~50節など)、ヨハネ福音書でもこの特徴が顕著です。4章でイエスは、ユダヤ教社会に潜む宗教的・性別的、そして道徳的な三つの差別の障害を克服するのです〔キーナー『ヨハネ福音書』(1)〕。
〔史実性〕
福音書と使徒言行録には、イエスとサマリアの関わりについて否定的な記事と(マタイ10章5~6節/ルカ9章51~56節)、逆に肯定的な記事があります(ルカ10章30~37節/使徒言行録8章4~25節)。使徒言行録から判断すると、伝道者フィリポがサマリアで伝道する以前には、イエスを信じたサマリア人はいなかったようにも見えます。このことから、今回の出来事の史的な信憑性に疑いがもたれています。しかし4章には、「シカル」という地名、ヤコブの泉、サマリア人の「先祖の山」、サマリアだけの「メシア/キリスト」観など、ガリラヤ人や異邦人が関知しない事柄が正確に描かれています。イエス自身が人種的な差別や性差別や道徳的差別にとらわれなかったことは共観福音書からも察知できますから、今回の物語は、ナザレのイエスの霊的な特徴を具えていると見ることができます。だからこそ、イエス復活以後に、多くのサマリア人がイエスを信じたのです(その逆ではありません)。ヨハネ共同体にはサマリアからの入信者たちが相当数いたと考えられます。このため「イエスはサマリア人だ」と非難されたほどです(ヨハネ8章48節)。したがって、今回の物語の核となるなんらかの史実に基づく伝承が存在すると見ることができます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕〔キーナー『ヨハネ福音書』(1)〕。
■4章
[1]【多くの弟子】「多く」は「弟子」だけでなく「洗礼を授ける」にもかかります。イエスから洗礼を受けることは「イエスの弟子」になることを意味しますから、洗礼によるイエスとその弟子との一体性が、続く2節の問題点になります。なお、ヨハネ福音書には、共観福音書の「使徒」という用語がでてきません。また、ここでの「弟子」の用法から見ても分かるように、十二弟子とイエスを信じる人たちとの間に明確な区別がありません。
【ファリサイ派】ヨハネ福音書が書かれた時期はエルサレム滅亡以後ですから、その頃には、イエス時代のサドカイ派も祭司長たちも存在しませんでした。ただ、ユダヤの滅亡を生き延びたファリサイ派だけが、ユダヤ教の保持者としてキリスト教の諸宗団と競合していました。ここでの「ファリサイ派」にもこういう歴史的背景が反映しているのでしょう。
【それを知ると】原文は「ところでイエスが~と知った時に」で始まります。ここの「知る」は「察知する/警戒する」ことです。「イエスが洗礼者よりもさらに多い入信者を得ている」という噂がファリサイ派の耳に入ったために、ファリサイ派からねたみをかったのでしょう。ヨハネ福音書では、ガリラヤとは対照的に、ユダヤは、イエスに敵対する場として描かれることが多く、今回もイエスは身の危険を感じたのかもしれません(特にヨハネ福音書では「神殿の浄め」が始めのほうにでてきますから)。なお、ここの構文では「ファリサイ派の人たちが~ということを聞いたということをイエスが知った」と間接話法が二つ重なります(Jesus
knew that ?the Pharisees heard that...)。しかし、ファリサイ派が聞いた内容は現在形で語られていますから、著者はおそらく「『イエスはヨハネよりも多くの人たちに洗礼を行って弟子にしていますよ』とファリサイ派が聞いたとイエスが知って」〔NRSV〕のように直接話法で語っているのでしょう。
[2]この節は、3章22節を受けて、22節を訂正するために挿入されたと考えられます。原文は「そうは言っても、イエス自身が(この期間を通じて)洗礼を授けることはなく、(実際は)その弟子たちだった」です。1世紀のキリスト教徒にとって、イエス復活以後の洗礼は、それまでのクムラン宗団や洗礼者ヨハネの洗礼からはっきり区別されていました(使徒言行録1章5節/同2章38節/同11章16節参照)。だから生前イエスが自分で水の洗礼を授けていたかどうかを明らかにすることがきわめて重要だったのです。イエスが洗礼者ヨハネの「弟子」であった一時期、水の洗礼を実際行なったのでしょうか?これについて確証はありません。
[3]【ユダヤを去り】原文は「ユダヤを見限って」です。洗礼者は、ファリサイ派の圧力によってすでにユダヤを離れていたのでしょう。続いてイエスたちもユダヤを離れざるをえなくなったのでしょう。ヨハネ福音書においては、イエスがユダヤとガリラヤを往復する際に、エルサレムでの祭りが関与していますが(2章13節/5章1節参照)、ここでは、ファリサイ派からの危険を察知してユダヤを去る決心をしたのです(7章1節/10章39節参照)。なお「再び」とあるのは2章12節から来ています。
[4]【サマリア】北王国イスラエルが南王国ユダから分離した時に(前880年)、オムリ王は、北王国イスラエルの首都としてサマリアを建設しました。その後、南王国ユダとの間に幾度か戦争がありましたが、北王国は、前722年にアッシリアに滅ぼされました。捕囚で移住させられた人たちは上層部や技能者が多く、直接土地を耕す下層の農民たちは居残ったと考えられます。しかし捕囚と同時に、バビロンやハマテなどアッシリア帝国の各地から、異国の移住者たちがサマリア地方へ送り込まれました。この頃から、サマリア地方一帯で異民族同士の婚姻が行なわれ、このために、ユダヤ側からは、宗教的純粋性を喪失した「サマリアの堕落」と見なされたのです。その後、南王国も新バビロニアに滅ぼされますが、捕囚期を終えて南王国のユダ族がバビロンの捕囚から帰還してエルサレム神殿を再建する際に(前530年頃)、サマリアを含むユダヤ周囲の部族がこれを妨害したことが記されています(ネヘミヤ記4章)。
サマリアでは、サマリア出身でサマリアの総督であったサンバラトが、ペルシア帝国の最後の王ダリウス3世の許可を得て、ゲリジム山に神殿を建てようと計画しました。ところが、ダリウス王がマケドニアのアレクサンドロス大王に破れてから(前330年頃)、サマリアは、ユダヤと組んでアレクサンドロス大王の側につき、大王の歓心をかうことに成功します。サンバラトは、大王の許可を得てゲリジム山に神殿を建て、ユダヤの大祭司ヤドアの兄弟マナセをゲリジムの大祭司に任命しました。マナセはサンバラトの娘婿で、このためサマリア人を妻としたマナセはユダヤ人から排斥されたからです。マナセ以外にも、エルサレムで排斥された「罪人」たちがサマリアへ逃げ込むことがよくあり、このため、ゲリジムの神殿は、ユダヤ側から嫌われることになります〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』11巻7章2節~8章7節〕。
もっとも、これはユダヤ側から見た記録によっているため、「サマリアの異教化」には誇張された面があると考えられます。アンティオコス4世エピファネスの時代に(前175~164年)、ゲリジムの神殿は、ギリシア風に「ゼウス・クセニオスの神殿」と呼ばれるようになりましたから、ユダヤのゲリジム神殿に対する反感がいっそう強まることになります。ついに、ユダヤの大祭司ヨハネ・ヒルカノスは、サマリアに侵攻し、激しい攻防戦になりました。1年にわたる包囲で、サマリア人は飢餓状態になり、サマリアはユダヤに占拠されました。ヒルカノスはゲリジムを破壊し(前129/8年)、ついで前109年にシケムを完全に破壊しました〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』13巻10章2~3節〕。
その後、ローマの将軍ポンペイウスがエルサレムを占拠して(前63年)、ユダヤとサマリアはローマ帝国の支配下に入ります。サマリアの町は総督ガビニウス(在位前57~55年)によって、ローマの植民都市として再建され、その後、ヘロデ大王の領土となり、「セバステ」と呼ばれました(前30年)。セバステは、ヘレニズム化することで栄えましたが、シケムのほうは、いぜん放置されていたようです。ユダヤ戦争の頃には、サマリアの人たちもゲリジム山にこもってローマに反乱を起こしましたが(67年)、これもローマ軍によって鎮圧されました。その後(72~90年)、サマリアは、植民都市としてネアポリス(現在のナブルス)と呼ばれました。ヨハネ福音書が人々に読まれるのは、ちょうどこの頃のことです。
イエスの頃には、ユダヤとサマリアとは、このような争いの歴史を背景に、宗教的、民族的、文化的に反目し合っていました。ヘレニズム化されていたサマリアの首都には、多数の異邦人が生活していましたから、彼らの存在がサマリアの異教化をうながしたことは事実です。しかし当時のサマリアの宗教は、ユダヤ側から伝えられているほど「異教化」していたとは言えません。サマリアの正典は申命記が中心で、旧約の預言書は受け入れられませんでした。また割礼、安息日規定、暦などもユダヤ式とは異なっていました。礼拝は異邦人から区別されたサマリア人の会堂で行なわれましたが、このサマリア人の会堂は、エルサレム陥落以後も続いていたようです〔キーナー『ヨハネ福音書』(1)〕。
【通らなければ】ユダヤからガリラヤへいたる道は、サマリア以外にもエルサレムからエリコへ出て、そこからヨルダン川と並行して北上するか、あるいは通常ヨルダン川東岸のペレアを通過するルートがありましたから、正統派のユダヤ教徒は通常サマリアを迂回してガリラヤへ向かいました。「ねばならない」とは神の導きを表わすという見方もできますが、サマリア経由のほうが短く、しかもイエスたちはサマリアとユダヤの境界近くにいたからかもしれません。
[5]【シカル】「シカル」は「シケム」のことです。「ゲリジム山に祝福を、エバル山に呪いを」とあるように(申命記11章29節)、この町は、これら二つの山の間に位置していて、古代から礼拝の聖地とされていました(創世記12章6節参照)。シカルは、ヤコブと(創世記33章19節)その息子ヨセフの両方にゆかりのある場所です(ヨシュア記24章32節)。紀元前330年に、ゲリジム山に神殿が建立された頃には、シケムは繁栄の絶頂にありましたが、前107年にユダヤの軍隊に破壊されてからは、回復されないままになっていました。シケムの遺跡は、現在ナブルスの東のテル・バラタにありますが、その近くにビル・ヤクブ(ヤコブの井戸)があり、現在でも水が豊富です〔McHugh.
John 1-4. ICC. 302-303〕。
[6]【ヤコブの井戸】旧約にはこれについて言及がありません。しかし、この井戸はゲリジムの麓に近い現在のナブルスの東テル・バラタにあるビル・ヤクブ(ヤコブの井戸)修道院の内部に遺っています。「井戸」の原語「ペーゲー」は、ほんらい「泉」を意味しますから、パレスチナによく見られる雨水を蓄えるためだけの「井戸」ではなく、昔から湧き水の泉でした(4章13~14節参照)。この井戸は、ヤコブが使った井戸としてサマリア地方の民族的な聖地だったのでしょう。
【旅に疲れて】次に来る「そのまま」と共にイエスの人間性を表わす表現として注目されています。南からシケムへ向かうと、ヤコブの井戸は、ちょうどその手前にあたりますから、イエスはそこへ着くと「疲れのあまりそのまま」(原文)井戸の側に腰を下ろしたのです。「井戸の側に腰を下ろす」は、モーセがエジプトからミディアンに逃れて来てエテロの娘と出会う情景を想い出させます(出エジプト記2章15節)。
【正午頃】原文は朝6時から数えて「第6の時刻」です。暑い盛りに一人で水を汲みに来るのは不自然なので、彼女は人目をはばかっていると解釈される場合が多いようです。ただし創世記29章7節に、ヤコブがラバンの娘ラケルと出会う井戸に着いたのは「まだ日の高い」時であったとありますから、このことと関連しているのかもしれません。
[7]【サマリアの女が】朝夕の水汲みは伝統的に女性の仕事でした。しかし、シカルの町の中にも井戸があったと思われますから、正午にわざわざ離れた所へ水を汲みに来るのは、社会的に(道徳的にか職業的に)疎外された女性であることを示唆しています。
【水を飲ませて】原文は「水を一口飲ませて」です。ユダヤ人の男性がサマリアの女性に水を求めるのは、当時のユダヤ教徒には考えられない行為です。ここの出会い(水を飲ませる)をヤコブとその妻となるラケルの出会いと関連づける見方があります(創世記29章9~10節)。ラケルは、ヤコブ(=イスラエル)によって、エフライム(後のサマリアのこと)とマナセの母になったからです。、北王国イスラエルは、北王国の預言者ホセアによって「姦淫の女」と呼ばれましたが、「その時が来れば主を<わたしの夫>と呼ぶようになる」(ホセア書2章18節)とあります(なお、イサクとリベカの結婚のきっかけとなったアブラハムの僕の言葉、創世記24章14節とも比較)。
[8]もしも弟子たちが一緒にいたとすれば、イエスがサマリアの女性に水を飲ませてくれるように頼む必要はなかったでしょう。この節は、弟子たちとサマリア人たちとの売買による交流をも示唆しているのでしょう。8節を7節の理由づけのための後からの編集と見て、8節全体を( )にくくる英訳があり[NRSV]、8節を7節の前に置く英訳もあります〔REB〕。
[9]【交際しない】一般的な意味だけでなく(シラ書50章25~26節参照)、食事の容器を決して共にしない(同じ容器から水を飲まない)ことを指すのでしょう。ここでの女の言葉遣いには、驚きと同時に、まさかイエスが本気で言っているとは信じられないという冗談半分の口調が感じられます。ここは「ユダヤ人の男性のあなた」が「サマリアの女性のわたしに」と「ユダヤ人」(男性形)と「女」が対比されていますから、読者に、性差別、人種差別、宗教差別の三重の壁を意識させます〔キーナー『ヨハネ福音書注解』(1)〕。
[10]【生きた水】イエスの頃のユダヤでは、雨水を貯めた水ではなく、泉から湧いてくる水、あるいは流れている水のことを「生き水」と言います。イエスがここで言う「生きた水/命の水」は、永遠になくならない聖霊の働きを指します(7章37~39節参照)。ここ10節の「生き水」が何を表わすかについて以下に二つの見方を紹介します。
〔ブルトマンの解釈〕
ブルトマンは、今回の「生きた水」の解釈において、非本質的な「自然の水」から本質的な「永遠の水」にいたろうというグノーシス的な二元論による区別をここに見いだそうとしています。「自然の水」の重要性は、啓示の認識にいたる手前の言わば「前知識」です。「なぜなら、非真正なもの(自然の水)は真正なものを(活ける水)、非本来的なものは本来的なものを指し示す」からです〔ブルトマン前掲書〕。だから彼は、今回の「生きた水」をグノーシス的な系列に置いています。今回の箇所では非本質的な「自然の水」の比喩を通じて本質的な「永遠の生きた水」を指しているから、これはグノーシス的な用語と概念に沿っていると見なすのです〔ブルトマン前掲書〕。
ただし、このようなグノーシス的な解釈は現在では支持されていません。なぜなら、彼が引用するグノーシス文献は、1世紀末から2世紀以降のものであり、これらの文献のほうが逆にヨハネ福音書から影響を受けていて、しかもそれらはヨハネ福音書をグノーシス的に解釈し直したものだからです〔McHugh.
John 1-4. ICC. 279-80.〕。
〔マキューの解釈〕
次にマキューの解釈を紹介します〔McHugh.
John 1-4. ICC. 273-79.〕。旧約聖書の用法では、「生きた水」(ヘブライ語「マイーム・ハイーム」)は「自然の水」を指していてます(創世記26章19節「生きた水の井戸」/レビ記14章5~6節「生きた/新鮮な/流れている水を浴びる」など)。旧約では「生きた水の井戸」は創世記26章19節だけです(七十人訳では創世記21章19節も)。だからサマリアの女が「生きた水」を井戸水のことだと理解したのはごく自然です。
ところがイエスは、女が言う「井戸」(12節)を「泉」(14節)と言い換えて、人間が掘った井戸(したがって涸れる場合もある)から、人の手によらず尽きることもない「泉」へと移行させるのです。「泉」(ギリシア語「ペーゲー」/ヘブライ語「マーコール」)は七十人訳に多数でてきますが、その中の8回ほどが隠喩として用いられています(詩編36篇10節/同84篇7節/雅歌4章12節/シラ書1章5節「知恵の泉」/同21章13節「命の泉」/イザヤ書12章3節「救いの泉」/エレミヤ書2章13節「活ける水の源(泉)」/ゼカリヤ書13章1節/バルク書3章12節「知恵の泉」など)。「命の泉はあなたにあり、あなたの光に、わたしたちは光を見る」(詩編36篇10節)は明らかに神から出る光/命の泉を表わします。
エレミヤは、イスラエルの民が「生きた水の源」である主を棄てて「空しい水溜め」を掘ったと非難していますが(エレミヤ書2章13節)、同時に北王国イスラエルの民も南王国ユダも共々に「主の救いと平安に与る日が来る」とも預言しています(同23章5~7節/31章1~6節)。これは、律法を見失った民の心に「新たな律法」が刻まれる時が来る(同31章33節)主の訪れの時です。「その日」には「罪と汚れを洗い浄める一つの泉が開かれる」のです(ゼカリヤ書13章1節)。
マキュー『ヨハネ福音書』は、これら「泉の水」の比喩が、今回の箇所ではモーセ律法と結びついていると見ています。サマリアでは、とりわけモーセ五書が「律法」として重視され、サマリア独自のモーセ五書を所有していたからです。彼らはサマリア独自の「モーセのような預言者メシア」(申命記18章15節)の到来を待ち望んでいました。モーセは、荒れ野を旅するイスラエルの民に、「岩を杖で打って流れ出る水」を与えたとあります(出エジプト記17章1~6節/民数記20章2~13節)。注意してほしいのは、出エジプト記17章3節と民数記20章4節に「われわれと家畜」とあることです(今回の4章12節と比較)。ヨハネ福音書は、サマリアの女に「この句」を語らせることで、明らかにサマリア人が崇める「モーセが与えた水」を念頭に置いているのでしょう。だから、サマリアの女は「あなたはヤコブよりも偉いのか?」「あなたは(モーセのような)預言者か?」と尋ねたのです。
「タルグム」(アラム語の旧約聖書注釈)では、アブラハム、イサク、ヤコブたちが掘った井戸にも新たな解釈が加えられて、これらの井戸や湧き水は、イスラエルの民が約束の国土に到達するために与えられた神の啓示を意味すると解釈されました。クムラン宗団の『ダマスコ文書』3章17節にも「彼ら(イスラエル)は豊かな井戸の水を掘った」とあって、「井戸」を神の戒め/律法にたとえています。1世紀のユダヤの思想家フィロンは「モーセが与えた井戸」(民数記21章16~18節)が「知恵」を表わすと解釈しましたが、ユダヤ教のラビはこの井戸を「律法の井戸」と呼んでいました〔キーナー『ヨハネ福音書』(1)〕。イエスはもとより、ヨハネ福音書の作者も編集者も、旧約聖書以来のこのような「生きた水の泉/井戸」伝承を熟知していたと考えられます。だから、この伝承は4章14~15節を解く鍵です〔マキュー前掲書〕。
イエスのほうから水を求めることで始まった対話は、15節で逆転して、イエスのほうが「神からの水」を彼女に与えるのです。イエスが「与える」と言う時、そこにヤコブが妻となるラケルの羊に水を「与える」姿(創世記29章10節)が反映していると見ていいでしょう。こうして、サマリア人に水を与えるイエスは、サマリア(エフライム)の先祖となる母ラケルへの花婿像と重なります〔マキュー前掲書〕。おそらくここには、南北両方の王国の民が再び呼び集められるというエレミヤやホセアの預言(エレミヤ書16章14~15節/ホセア書2章2節)が重ねられています。エレミヤ書の「生きた水の源/泉」は、ここで「永遠の命にいたる泉」として新たな意義が与えられ、ヨハネ福音書の中心的な主題になったのです。この主題はヨハネ福音書の少し後に書かれたヨハネ黙示録21章6節の「命の水の泉」と「命の水の川」(同22章1節)へもつながります。
[11]【主よ】「主よ」(キュリエ)という呼びかけは、目上の人への「旦那さん」「ご主人様」という呼びかけから、「先生/師」の意味、さらに「主イエス・キリスト」のように「救い主」にいたる様々な意味を帯びています。ここでは比較的軽い「旦那さん」くらいの意味でしょうか(15節/19節と比較)。
【井戸】ここの原語は「プレアル」(井戸)で、6節の「井戸」(ペーゲー)とは異なる語です。前出の「ペーゲー」には、「泉」と同じ意味も含まれていますが、ここでは「貯め水」を意味する原語に変わっています。イエスの与える水が「生きた水」であることを「ヤコブの井戸」と対照させるためでしょう(ただしヤコブの井戸が貯め水だったのではありません)。「御霊の水」と「自然の水」を対比させるための手法です。ニコデモ同様に、彼女もイエスのたとえを字義どおりに受け取っています。なお「井戸は深い」とありますが、井戸の深さはこれを測る時期によって異なり、深い場合は30メートルほどにもなるようです。
[12]【ヤコブよりも偉い】8章53節でも「ユダヤ人」がイエスに向かって同じような問いを発します。ここでの「ヤコブの井戸」は、イスラエル(ヤコブの別名)の部族が生きる支えにしてきた精神的・肉体的な価値全体を象徴しています。ここでは、サマリアの女の口を通して、ユダヤとサマリアのどちら側の父祖よりもさらに優れた者がそこにいることを示唆しますが、女はそのことに全く気づいていません。「偉いのですか?」は否定を予期する言い方ですから、「あんたは、まさかわたしたちの先祖のヤコブより偉いわけではないでしょうね」です。ここにヨハネ福音書独特の「皮肉」(アイロニー)がこめられています。
【わたしたちの父】「父」とは先祖のことです。ヤコブは神から「イスラエル」という名前を与えられました(創世記32章29節)。サマリアは、かつての北王国の領土でしたから、南王国ユダに対して「イスラエル」と呼ばれました。そのヤコブがシケムに定住して、そこを「エル・エロヘ・イスラエル」(「神はイスラエルの神」という意味か?)と呼んだと創世記33章18~20節にあります。
【ヤコブが与え】「(井戸を)与えた」とありますが、ヤコブが井戸を掘ったことは旧約聖書にでていません。「定住した」ことは、そこに「井戸を掘った」(あるいは井戸を買い取った)ことを意味しますから、サマリアの民間伝承として伝えられていたのでしょう。
【彼自身も家畜も】この言い方はおそらく民数記20章6~8節のメリバの水の故事から出ているのでしょう。
[13]~[14]【この水】「この」が強められていて、イエスは井戸を指しています。どんなに大事な水でも渇きを癒やすのは「一時の間」だけです。
【決して渇かない】イザヤ書49章7~10節に「イスラエルを贖う聖なる神」は「民を湧き出る水の畔に伴い行く」とあり、民は「飢えることもなく、渇くこともない」とあります。この「飢えることなく、渇くこともない」はヨハネ黙示録7章16節にもでてきますが、今回の「渇くことがない」も同じイザヤ書から来ていると思われます。しかもイザヤ書で主が「わたしの僕ヤコブ、わたしの選んだイスラエル」に「水を注ぐ」とあるのは「わたしの霊を注ぐ」ことです(イザヤ書44章1~3節)。
【永遠の命に至る水】ユダヤ教で言う「命」は三つに大別することができます〔ドッド『第四福音書の解釈』〕。
(1)「罪による死」と対照される「神からの命」のこと。これは神から離れることで失う「命」ですから、肉体の生死に直接かかわりなく、「罪を犯す」ことは「神の命」から断たれることを意味し「死んだ状態にある」ことを指します。これに対して「神と共に歩む」ことが「活きる」ことです。「罪人には死を、義人には命を」というこの考え方はユダヤ独特の価値観を伴う生命観です。「義人」と「罪人」を分ける基準は神から与えられた律法(トーラー)です。
(2)わたしたちが通常言う意味で「この世で生きる」ことです。これは生物的な命を指しますが、ヘブライでは「世」は空間的よりもむしろ時間的に「時代」を意味しますから、「ハイェ(命)・オーラム(時代の)」(この世/時代の命)になります。このヘブライ語「オーラム」にあたるギリシア語が「アイオーン」です。
(3)「この世/時代」の次に来る全く新しい「世/時代」で、神から新しく与えられる「来たるべき世の命」があります。この「来たるべき命」は、長さも質もこの世の命と異なりますが、旧約時代では「来たるべき命」もこの世の命の延長に近く、神に祝されて幸いに生きることです。したがって「来たるべき命」は(2)の生物的な命と共に(1)の神と共に生きる命のことですから、律法に生きた義人だけが与ることのできる命であり、律法に背いた罪人はこれに入ることができません。こういう来世観はユダヤ黙示思想の中で生じたと見られています。
共観福音書は、ユダヤの伝統的な生命観をほぼ踏襲していますが、律法ではなく復活したイエス・キリストを信じることで、<その復活の命に>与ることが「永遠の命にいたる」ことです。だから、ユダヤ教で言う「来たるべき命」とは異なります。しかもユダヤ人も異邦人も等しく、イエス・キリストの十字架の罪の赦しを受けることで、この「来たるべき命」に入ることができます。
ヨハネ福音書は、ユダヤ教の「来たるべき命」と共に共観福音書の生命観をも受け継いでいます。ところがヨハネ福音書では、ここ14節にあるように、「永遠の命」が「泉のように<湧き上がる>」のです。これは「来たるべき世/時代」に起こることではなく、<現在この時代/世にあって>イエスを信じる者に与えられる「命」のことになります〔ドッド『第四福音書の解釈』〕。「永遠の命<にいたる>水」とあるのは、死すべき人間の今の姿においても、なおそこに「御霊の命」が、永遠になくなることなく働き続けることを予期させます〔バルト『ヨハネ福音書』〕。
「永遠の命」の原語「ゾーエーン・アイオーニオン」(対格/目的格)には「アイオーン」(時代)の形容詞「アイオーニオス」が用いられています。「永遠の命」はヨハネ福音書に全部で17回でてきます(3章15節/16節/36節/4章14節/36節/5章24節/39節/6章27節/40節/47節/54節/68節/10章28節/12章25節/50節/17章2節/3節)。ほとんどが目的格ですが、最後の17章3節だけは、「ヘー・アイオーニオス・ゾーエー」とあり、定冠詞を伴う主格で、形容詞「永遠の」が名詞「命」の前に来ています。これで見ると、この句は受難物語に入る直前の「しるしの書」に限られているようです。受難から復活にいたる「栄光の書」で、この言い方は17章に2度あるだけですが、その代わりに「パラクレートス」が表われます。
【湧き出る】七十人訳では、同じギリシア語が特にヤハウェの霊の働きに関して用いられています。
[15]原文は「もう二度と汲みに来なくてもいいように」と強い否定です。「ください」は、動詞のアオリスト命令形ですから1度限りの出来事を指しています。12節の軽い物言いから、ここでは相手に対して真剣になっている様子がうかがえます。先にイエスが「あなたのほうから求めて」と言ったことがここで起こっているのです。この女性は、イエスの言う「水」が、自然の水とは違う何か別のこと、それが超自然的なものだということをぼんやり理解し始めたようです。しかし、それが何かはまだ分からないのです。彼女は、「自然の」人間が霊的なことを悟るかどうかの境界に立っています。
[16]~[18]イエスが、女に夫を呼ぶように命じたのは、女の過去が明るみに出されることでイエスが「預言者だ」と彼女に分からせるためです。
【五人の夫】イエスが「今のは夫ではない」と言ったのは、彼女が同棲している男性は律法で認められた「夫」ではないという意味なのか、あるいは、たとえ社会的に許容されても、5人目の夫はもはや「夫」とは言えないという意味なのかが問題にされています(マルコ10章11節参照)。モーセ五書には結婚/離婚の回数について明確な規定が存在しませんが、ユダヤ教のラビの教えでは3度目までの結婚は律法で正式に認められていたようです〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
今回の箇所は、イエスが、彼女の過去の事実を見抜いたことだけを伝えているのでしょう。パレスチナに限らず当時のヘレニズム世界では、男性は、奴隷の女や娼婦と性的に関係しても社会的に許容されましたが、女性の場合、度重なる離婚は「ふしだら」と見なされました。しかも、子供ができないという理由だけで女性が離婚される時代ですから、幾度か離縁された女性は、生活のために特定の男に頼るか、娼婦になる(これは社会的に認められていました)以外に道が見いだせない状況にあったのです。今回の女は、「ふしだら」だというのが伝統的な解釈ですが、そこには離婚を繰り返した女性に対する社会的な差別意識もあり、疎外されたこのような者への偏見が含まれていると見るべきでしょう。
ユダヤ人たちから見れば、かつてユダヤと敵対関係にあったサマリアの女は、それだけで「ふしだら」だと見なされる偏見がありました。例えば、アテナイとスパルタが闘ったペロボネソス戦争時代に、アテナイでは、「スパルタ女はふしだらだ」と言われました〔キーナー『ヨハネ福音書』(1)〕。イエスとサマリアの女との会話は、このような社会的・民族的・宗教的な偏見と差別を背景に置いて見る時に初めて、その真相が見えてきます。しかもイエスは、この女性をニコデモに優る者、「真の礼拝」を行なうことができる潜在的な「信仰者」として扱っています。
ここの「サマリアの女」は、過去の「サマリア」の歴史を象徴しているという解釈があります。かつての北王国イスラエルは、ヤハウェを離れて神々を拝み(列王記下17章16~18節参照)、その滅亡以後には「ペルシアから五つの部族が移住してきて、それぞれの神をサマリアに持ち込んだ」とあります〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』9巻14章(288)〕。アラム語/ヘブライ語で「夫」は「バアル」(主/主人)です。この「バアル」は、イスラエルの「ヤハウェ」(主)に対してカナンの土着の「バアル」(主)をも指します(ホセア書2章9~10節参照)。これの複数は「ベアリーム」で、ユダヤ教ではこれを「偽りの神々」と呼んでいました。だから、ここでのイエスの言葉は、「あなたには5人もの偽りの神々(主人たち/ベアリーム)がいた」という意味にもなります。もしもそうだとすれば、「5人の夫」には、辞義通りの意味だけでなく、当時のユダヤ人から見たサマリアへの偏見を示唆する象徴的な意味もこめられていることになりましょう。
[19]【主よ】ここでの「主」が、先の「旦那さん」よりもていねいな意味であることは、彼女がイエスを「預言者」と呼んでいることで分かります。自分の過去を言い当てた相手が「ユダヤ人の預言者」だと気づいたのです。
【預言者】ここは冠詞がありませんから、一般的な「神の人」の意味にもなりますが、次に来る女の質問から判断すると、かつてモーセが預言していた「あの預言者」(申命記18章15~18節)のことを指しているとも考えられます。サマリア人にとって、モーセ自身こそ来たるべきメシアの予型であり(出エジプト記20章21節を参照)、彼らはそのメシアを「タヘブ」と呼んでいました。
[20]【この山】かつてはアブラハムが(創世記12章6~7節)、そしてヤコブが(創世記33章18~20節)、ゲリジム山の麓にあるシケムで神を礼拝しました。サマリア人が用いていた独自の「モーセ五書」によれば、申命記27章4節に「主がゲリジムに神殿を建てるように命じられた」とありました。現行の聖書では名前が「エバル山」となっていますが、これは後に反サマリア的なユダヤ教徒が変更したのであって、ほんらい「ゲリジム」が正しい読みだったと考えられます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。イスラエルの民がカナンに侵入した最初期に礼拝したのはこの山においてであって(ヨシュア記8章30~33節)、エルサレムのシオンの山はそれからはるか後の時代のことになります。
【礼拝した】ギリシア語の原語「プロスキュノー」は、相手の前に「ひれ伏して」敬意を表することで、特に王や皇帝の前にひれ伏してその衣の裾や足に口づけすることをも意味し、そこから、神々の像の前で「礼拝する」ことを指すようになりました。七十人訳では、このギリシア語は、ヘブライ語「ヒシタハワー」(うやうやしく頭を下げる)の訳語として用いられ、頭を垂れて敬意を表わす行為を指します。しかし、このヘブライ語の動詞がヤハウェへの礼拝に用いられるようになってから「ひれ伏す」の意味になり(詩編95篇6節)、さらにエルサレム神殿で神の前にひれ伏すことから「巡礼する」ことを指すようになります(詩編5篇8節)。「山<で>礼拝する」とあって、何を礼拝するのかその目的語がないのは異教的な偶像礼拝と区別するためだという指摘があります〔McHugh.
John 1-4. 283〕。「礼拝する<べき>場所」の「べき」とは、そここそ神自身が定めた「神の顕れ」の場だという意味です。「場所」"the Place"とは特定の聖なる場所の意味ですから、女はゲリジムを指して「この山」と呼んでいるのです。
[21]【わたしを信じなさい】ヨハネ福音書では、このような場合に「はっきり言っておく」(原語で「アーメン、アーメン」)を用いるのが普通です。ここでは、イエスが言おうとすることを特に強調しています。女の尊敬をこめた呼びかけ(19節)に呼応するように、イエスもていねいに語りかけています。
【父を礼拝する】「礼拝する」の原語は未来形ですから「時が来る」には終末的なひびきがこめられています。特にここでは「父<に>礼拝する」と与格が用いられています。これは七十人訳の用法で、特に「献げ物を供えて」礼拝することを指します〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕。ユダヤとサマリアでの礼拝の祭儀的な違いが意識されているのでしょうか。先に女が「わたしたちの父(先祖)ヤコブ」(12節)と言ったのに対して、イエスは「父を礼拝する」とただ「父」だけを出しています。二つの山に共通するのはこの「父」だからです。
【時が来る】「時」には冠詞がなく「来る」は不特定の現在形です。ヨハネ福音書では「時が来る」が全部で7回でてきます(4章21節/同23節/5章25節/同28節/16章2節/同25節/同32節)。「時が来る」はイエスの受難と復活を境に訪れる「時」を指します。同時に「今その時」とありますから、その時が「すでに始まっている」のです。「今その時」には、ナザレのイエスの在世中の「時」とヨハネ共同体の「時」がつながりつつ重ね合わされています。
[22]【知らないもの】20節では、女がサマリアの過去の礼拝について語り、併せて現在のユダヤ人の礼拝に言及します。これに答えて、21節でイエスは、未来の礼拝について語ります。ここ22節で、サマリアでの過去の礼拝もユダヤの現在の礼拝も超える礼拝が、「今すでにある」と告げられるのです。だから「知らないもの」とは「現在サマリア人(あなたがた)は知らないものを礼拝している」という意味です。
【わたしたちは】イエスが、ここで「わたしたち」というのは、「ユダヤ人」としての発言ですから、「あなたがた」はサマリア人を指します。ヨハネ福音書では「ユダヤ人」がイエスと敵対関係におかれることが多いのですが、ここでは、イエスの発言に敵対関係が全く含まれて居ません。むしろ反対の意味がこめられていることが特に注目されています。
【知っているもの】ユダヤ人もサマリア人も「ほんとうの神」を知らないというのがヨハネ福音書のイエスの基本的な立場です(7章28~29節参照)。ヨハネ福音書で言う「知る」には、大きく二つの系統があります(今回の原語は「オイダ」)。
(1)「ホロー」(見る)の第二アオリスト形「エイドン」(見た)で、これは「ホロー」とは別の語幹から来ています。この「エイドン」の基の形「エイドー」(廃語)の第二完了形が「オイダ」で、これがここ22節で用いられている動詞です。だから「すでに実際に見た、その結果として現在も知っている/認知している」ことを指します。このように「ホロー」「エイドン」「オイダ」の系統は、ある出来事や事実を目で見てその結果「知っている」「認めている」ことです。
(2)これに対してもう一つの「知る」を意味する「グノスコー」は、考えたり反省したり瞑想したりしてすることを通じてある認識に到達することを指します。
【救いはユダヤ人から】サマリア人がユダヤ人からみて「異教徒」であったかどうかは微妙です。実際は、両者のアイデンティティーはそれほど判然と区別されていたわけではありません。「サマリア人は、ユダヤ人が帝国内で優位な地位にある時には、自分たちを『ユダヤ人』だと言うが、ユダヤ人の立場が悪くなると、自分たちは『ユダヤ人』ではないと言う」〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』9巻14章290/11巻18章340〕というのが実状だったようです。ここのイエスの言葉は、ヨハネ福音書のキリスト教がユダヤ教から完全に分離していたという見方に対する警告です。ヨハネ福音書では「ユダヤ人」がイエスに敵対する勢力を代表する用語だと言われていますが、この節は、このような判断が必ずしも適切でないことを証ししている重要な箇所です。
「救い」の原語「ソーテーリア」は、ヨハネ福音書ではここだけで、ヨハネ系文書全体でも希です。ここでは特に「<真の>救い」を指しますが、この意味での「救い」は七十人訳でも、イエス以後のキリスト教会でも、さらにはヘレニズム世界の神秘宗教でも用いられています。
「真の救い」とは何かについて、「確かに諸宗教には真理と誤謬があるけれども、そこには啓示に基づく宗教と自己救済の宗教とがあり、知識のある宗教と無知な宗教とがある。それが『わたしたち』と『あなたがた』の間に、ユダヤ人とサマリア人の間に存在している相違である。『救いはユダヤ人から来る』とあるのが『救いが天から来る』という真理と対立しないのは当然である」〔バルト『ヨハネ福音書』〕という解釈があります。
21節のイエスの発言が、神への礼拝はエルサレムでもゲリジムでも同じだと誤解されるのを防ぐために、22節全体が後から挿入されたという説があります。もしもそうだとすれば、「救いはユダヤ人から来る」を加えたヨハネ共同体の意図は、「真の救い」は<イエスが教えたユダヤ人から>始まったことを伝えるためでしょう〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。この場合22節の「知っているものを礼拝するわたしたち」とはイエス以後のキリスト教徒を指し、「知らないものを礼拝するあなたがた」はイエスを信じないユダヤ人とサマリア人の両方を指すことになります。
しかし、21節では、「この山でもエルサでもなく」とあって、特定の場所での神の臨在を否定し、23節では「今がその時」と場所から時へと神の臨在が切り替えられていて、その間に22節が来ています。特定の「土地の神」から人類の「歴史」(時)を導く神の臨在へのこの移行こそ、「ユダヤ人」であるイエスを通してもたらされたと23節は告げているのです。テキスト本文それ自体からは、挿入を根拠づける証拠が全くありません。だから、この挿入説は、22節の「ユダヤ人」が、イエスとの敵対関係を含まないのはなぜかを説明するための仮説です。
[23]【まことの礼拝者】神殿で犠牲を捧げる祭儀的な礼拝者に対して、霊的な礼拝をする者のことです(ホセア書6章6節を参照)。「まことの」は偽物でない「ほんもの」のことですが、このギリシア語「アレーシノス」は「主は<まことをもって>呼ぶすべての人に近くいます」(詩編145篇18節)とある旧約聖書の伝統を受け継いでいます。「真(まこと)をもって」(ヘブライ語「ヴェエメット」)は嘘偽りなく「誠実に」の意味ですから、「心と魂を尽くして」主を愛し求める人を意味します(申命記4章29節/同6章5節など)。この意味での「真の礼拝」は、ユダヤ教に限らず、ギリシアのストア哲学でもヘレニズム世界の神秘宗教でも言われていたことですから、イエスの頃には、すでに人々の宗教観がそのような「真の神」を求めていたのです。「まこと」(アレーシノス)は、続く「霊と真理」の「真理」(アレーセイア)にもつながります。
神からの御霊にある啓示と<対立してきた>はずの人間が、そのままあるがままで、御国の啓示と対立することがなくなり、御霊にある啓示の<中にあって>祈るよう導かれるまで祈らされること、<これが>「霊と真理」にあって祈ることであり、そのような時がすでに今来ているのです〔バルト『ヨハネ福音書』〕。
【霊と真理をもって】この句の解釈の歴史をたどるとおよそ以下のようになります〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕。
〔霊において〕
「霊(プネウマ)において」とは、クリュソストモス(4世紀のギリシアの教父)はこれを「肉体を持たない純真な魂によって」と解釈しました。アウグスティヌス(4~5世紀のラテン教父)はこれを「いかなる特定の地域にも限定されない」と理解しました。カルヴァンは「過度の儀式を排除した」と注釈しました(1553年)。しかしスペインのジェズイットは、このような解釈が「あらゆる祭儀的営みを廃止しようとしている」と批判しました。17世紀のフレンド派は「外見的な儀式いっさいを否定する純粋に内面的な」意味に理解しました。ルナン(フランスの神学者)は「世の終わりまで続く永遠の宗教を創立すること」だと解釈しました(1863年)。ウェストコットは「精神/霊において永遠の秩序と交わりを保つこと(第一テサロニケ5章23節)」と定義しました(1880年)。ツァーンは「特定の場所や建物を訪れることなく、特定の日や時期や形式にとらわれることがない」と解釈しました(1908年)。
〔真理において〕
「真理(アレーセイア)において」とは、プラトン(前5~前4世紀)は天的な世界に属するものが「真理」で、人間はそれが地上に映す「影」を見ているにすぎないと考えました。新約聖書は、地上の幕屋/神殿が「天の真理が地上に映された模写である」と考えました。「真理」とは「後の時代に現実する真の出来事」を指していて、神はこれを「予め表わす不完全な予型(タイプ)」として前もって人に啓示したと考えたのです。オリゲネス(2~3世紀のギリシア教父)も新約聖書の予型論(タイポロジー)に従って「真理」を理解しました。ヨーロッパの中世からルネサンス期にかけて、4章24節はほぼこのように「タイポロジー」的に解釈されてきました。
〔霊と真理において〕
ドイツの神学者ブルトマンは、「霊にあって」は「精神的、内面的な礼拝のことではなく終末的な礼拝」のことだと解釈し、「真理にあって」は「神のみ言(ことば)であるイエスが啓示する神の現実」のことで、信仰者はこれによって聖化されると解釈しました(1941年)。だから「霊」とは、人間がその理性/知性によって到達可能な世界現象を表わすものではありません。神は人間にとって奇跡であり、奇跡的に行為するからです。あらゆる祭儀は人間の営みにすぎず、その限りで神の奇跡的な告知への応答でしかありえません。祭儀それ自体は霊なる神を奇跡として指し示すことができるだけです〔ブルトマン前掲書〕。
イギリスの神学者ドッドは「霊と真理にあって」を「霊的に真理であること」と一つに結びつけて、「霊的に」とは「現在化/現実化」することだと解釈しました。「真理/まこと」は人間の「主観的な誠実さ」のことではなく、象徴的な祭儀/儀式によるものでもなく、すでに「実現している事実」として礼拝することだと理解したのです(1953年)。
アメリカの福音主義的な神学者キーナーは、「霊にあって」を使徒言行録やパウロ書簡に記されている「異言や預言」を伴う体験やカリスマ的な霊体験を指す礼拝だと解釈しています(使徒言行録2章33節/同4章31節/第一コリント14章14~15節/同26~33節)。彼は「真理の霊」を一つに見なして、これこそ歴史的なナザレのイエスの霊に源を持つと観たのです(2003年)〔キーナー『ヨハネ福音書』(1)〕。再び26節に戻ると、この節では、イエス・キリストの到来によって、神殿がもはや存在しなくなる最終的な終末にいたる時が始まります(ヨハネ黙示録21章22節)。ただしこのことは、現在行なわれている礼拝の祭儀的な意義が全面的に排除されることを意味するのではなく、祭儀的な礼拝は、そこで終末的な出来事が<現実化する>ときに、祭儀が「真正な/まことの」礼拝を指し示す象徴になるのです〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
【今がその時】イエスによって終末が今到来しているのです(26節)。終末の到来は、現在において生起する出来事となり、しかもそれが「世の終わり」まで働きを止めることがないのです。だから、すでに到来したイエスを「これから来る方」と呼ぶこともできるのです。
【求めておられる】「父」は「霊と真理」によって礼拝する者を「受け入れる」だけでなく、積極的にそのような礼拝を「父」のほうから求めており、このために<これからも働き続けることを止めない>という意味です。
[24]【神は霊である】ヨハネ系文書で神の性質をこのように述べた例は、ここのほかに「神は光である」(第一ヨハネ1章5節)と「神は愛である」(同4章8節)があります。「霊」には御霊の人格性が具わりますから「愛に輝く御霊の人格的な御臨在」を指しています。これが、ヨハネ福音書の言う「真(まこと)の礼拝」の源になります。
[25]【キリストと呼ばれるメシア】サマリアの北部には、「サマリア派」といわれる共同体が存在していたことが指摘されています〔日本聖書学研究所編『死海文書』〕。彼らは、サマリア型のモーセ五書を持ち、捕囚から帰還したユダヤ人を正統とは認めず、エルサレム神殿の礼拝を拒否していました。彼らの間には、「タへブ」と呼ばれる預言者が、やがてゲリジム山で大祭司となり、真の礼拝とイスラエルの贖いがこの山で成就することが期待されていたのです。クムラン宗団においては、モーセと来たるべきメシアとが同一視されることはありませんでしたが、サマリア派の場合は、メシア(タヘブ)は、モーセ的預言者とされていたようです〔マーティン『ヨハネ福音書の歴史と神学』〕。このタヘブは、「ろばに乗り」「マナを降らせ」「水を湧き出させ」ます。「ちょうどモーセが~したように」という言い方は(3章14節)、このようなメシアへの待望を表す彼らの間の定型句です。ユダヤ教もサマリア派も、モーセが預言した「預言者」"the Prophet"(申命記18章15節)が到来することを待ち望んでいました。ユダヤでは、この預言者が「メシア」(油注がれた者/ギリシア語「キリスト」)だと言われていましたが、サマリアでは「タヘブ」(再来者/再興する者)と呼ばれました。だから「キリストと<呼ばれる>メシア」とあるのは、「あなたがたユダヤ人が『油注がれた者』(訳せば『メシア/キリスト』)という(わたしたちサマリア人の)『タヘブ』(メシア)」のように理解することもできます〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
【その方が来る時】彼女は「霊と真(まこと)の礼拝」についても(24節)、また「その時が今現に来ている」ことも理解できません。ただ、相手が預言者だと気づいたので、「<これから来るであろう>タヘブ」のことを持ち出したのです。当時のヘレニズム世界一般では、「預言者」は過去・現在・未来について「なんでも知っている」と思われたからでしょう。
女は「<このお方>が来る時」と「このお方」を強調しています。サマリア人の先祖である「ヤコブ」の預言に「王笏はユダから離れず統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う」(創世記49章10節)とあります。これは、当時のユダヤでもサマリアでも、ダビデ王(油注がれたメシアの予型)を指す預言だとされていました。ダビデ王の時代はイスラエルが南北の王国へ分裂する以前の時代で、エルサレムにもゲリジム山にもまだ神殿がありませんでした。事実50年頃に、あるサマリア人が、ゲリジムにはかつてのイスラエルの幕屋で用いられた器が眠っていると預言し、またゲリジムに再び新たな神殿が築かれると預言したので、これを信じて大勢のサマリア人が集まったという記録があります〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』18巻4章1~2節〕。だから彼女は「このお方」タヘブの到来によって、再び両方の民が一つになる時が来ると示唆しているのです。
[26]【わたしである】英語の"I am"に当たる「わたしである」(ギリシア語「エゴー・エイミ」)は、特に復活のイエスの御霊の現臨を顕すヨハネ福音書独特の言い方で、ここはその最初の例です。「霊と真の礼拝」とは御子イエスを礼拝することであることが、ここにいたって明らかになります。サマリアの「タヘブ」よりも、ユダヤ人の「メシア」よりも、さらに「大いなる者」(1章50節)が<今あなたに>語りかけているとイエスは言うのです。同じような言葉が盲目を癒やされた人にも語られます(9章37節)。この意味で、26節はヨハネ福音書の信仰の核心を端的に言い表わしています。
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