【注釈】
■6章のパンの奇跡について
6章は、この福音書全体の中で重要な位置を占めています。しかし、ここで語られるパンと魚の奇跡もイエスの水上歩行も、ヨハネ福音書独自のものではありません。パンと魚の奇跡は、マタイ福音書とルカ福音書では一度ずつですが、マルコ福音書には二度でてきます。しかも今回の6章の物語構成は、特にマルコ福音書のそれと相通じるところが多いと指摘されています。
マルコ福音書では、五千人への供食が6章30節から始まり、続いて水上歩行が語られます(マルコ6章30節~52節)。さらに四千人への供食が8章から始まります。マルコ福音書の6章53節から二度目の供食の8章10節までを除いて見ると、四千人への供食の後で、ファリサイ派の人たちがイエスにしるしを求める記事があり(マルコ8章11節から)、続いて同14節から、パンについてイエスと弟子たちの問答が来ます。さらにマルコ8章27節以下では、ペトロの信仰告白が来て、続いてイエスの受難が予告されます(ヨハネ6章70~71節と比較)。
このように見ると、マルコ福音書の五千人への供食から最初の受難予告までの記事が、ヨハネ福音書の6章全体に凝縮されているのが分かります。両者のこの類似は単なる偶然とは思えません。だからと言って、ヨハネ福音書がマルコの福音書を踏まえていると結論することもできません。マルコ福音書とヨハネ福音書とでは、物語の記述があまりにも異なるからです。例えば、マルコ6章37節では、パンは200デナリオンで足りますが、ヨハネ6章7節では、200デナリオンでもまだ足りません。同様の違いは、「湖の上を歩く」場合にもはっきり認められます。
イエスの出来事を伝える四福音書に共通する口伝伝承が存在していて、そこから、最も早い時期(50年頃?)に、マルコ福音書への伝承が枝分かれし、さらに遅れて(60年代?)、共通する伝承から分かれた資料がヨハネ福音書に入り込んでいるのでしょうか〔E.P. Sanders and Margaret Davies. Studying the Synoptic Gospels. SCM Press & Trinity Press International: Philadelphia (1989). 103-104.〕。
供食の物語についてもうひとつ見逃せないのは、これと出エジプト記16章と民数記11章で語られる鶉(うずら)とマナの奇跡との類似性です。マナの奇跡は、イスラエルの民が、契約の箱を伴って、モーセに率いられて荒れ野を旅する途中での出来事です。出エジプト記でも民数記でも、最初に民の不満が語られます(ヨハネ6章41~42節と比較)。モーセは、主に向かって、民に食べさせる肉を求めます(ヨハネ6章5節/26節と比較)。出エジプト記16章13~14節では、民にマナが降ります(ヨハネ6章31節と比較)。民数記11章22節では、モーセは、海の魚を全部集めても民には足りないと言います(ヨハネ6章9節と比較)。これらの類似点から判断すると、ヨハネ福音書の6章には、旧約聖書のマナ物語が反映していると思われます。
さらにヨハネ6章には、列王記下4章41~44節のエリシャのパンの奇跡も反映しています。大麦のパン、男(の子)、「200」、パンの残りなどの共通点が多いからです。エリシャの師であるエリヤは、モーセが預言した「来るべき預言者」(ヨハネ6章14節と比較)だと見なされていましたから、エリシャのパンと今回のパンとの結びつきは不自然でありません。
6章については、さらに、先の5章との関連で、頁の入れ替え(入れ間違い)による錯簡の可能性も問題になります。パンのしるしは、海上歩行の奇跡物語を挟んで6章の終わりまで続きます。先に指摘したように、物語の地理的な順序から見るなら5章と6章とを入れ替えるほうが、イエスのたどった足取りがうまくつながるのです〔(27)「ベトザタの池」の注釈「錯簡について」の項を参照〕。この錯簡を認める学者もいますが〔ブルトマン『ヨハネの福音書』では4章に続いて6章の注釈が来ます〕、この福音書の編集者が、ほんらいの順序を<意図的に>現行のように改めたと見て、錯簡説に慎重な学者もいます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕〔バレット『ヨハネ福音書』〕。錯簡問題については、例えば最近我が国で出版されたものだけを見ても、大貫隆氏は錯簡を認めており〔『ヨハネによる福音書』日本基督教団出版局〕、小林稔氏は「錯簡の可能性を否定しない」と断わった上で、それでも現行の本文の変更には慎重で、編集者による増補改訂説を支持しています〔「ヨハネによる福音書」岩波訳解説〕。 マルコ福音書やマタイ福音書のパンの奇跡物語とヨハネ福音書のそれとを読み比べてみると、ヨハネ福音書の語り方は、イエスのカリスマ性に集中しているという印象を受けます。パンを与えるよう提案するのは弟子ではなくイエス自身です。イエスはさらに、自分が行なおうとすることでフィリポを「試し」ます。人々は、イエスの行なわれたしるしを見て、イエスのメシア性への信仰を深めます。ここでは、起こった出来事それ自体よりも、これを行なうイエスとこれに対する人々の反応のほうに重点が移されていますが、これは、ヨハネ福音書が「しるし」を扱うときの一貫した手法です。
ただし、ここまでの「しるし」は、弟子たちやその周囲の人たちなど、比較的限定された人々の間で行なわれていたのに対して、今回は「男だけで五千人」もの大群衆の中での出来事です。この出来事は、水上歩行のしるしを挟んで、さらにイエスの教説へつながります。だから、このしるしは、ラザロの生き返りと並んで、前半でのクライマックスになっています。
■6章全体の区分
6章は、これを五つに分けることができます。
(1) パンの奇跡:1~15節。
(2) 湖上での顕現;16~21節。
(3) パンのしるしと群衆:22~40節。
(4) パンのしるしとユダヤ人:41~59節。
(5) 永遠の言葉と弟子たち:60~71節。
この区分は便宜的なものです。6章では「パンのしるし」を中心にヨハネ福音書のメッセージの核心が語られます。3章では、洗礼の「水と霊」が問題になりましたが、同様に、今回は、「イエスの肉と血」である聖餐が問題になります。しかし、洗礼にせよ聖餐にせよ、教会が執り行なう祭儀的な視点からでは<ない>ことが重要です。6章全体は、地上の人間イエスを通して啓示される「永遠の命にいたる食べ物」を証ししていますが、同時に、その証しによって、「教会の真ん中を貫き通る、不信仰、離反、裏切り、亀裂が生じている」〔バルト『ヨハネ福音書』〕のを見逃すことができません。湖での顕現も、一見するとパンのしるしとは別個の出来事のように見えますが、これも弟子たちの恐れと関連して、6章の主題に大事な役割をはたしています。
■6章
[1]【ティベリアス湖】1~4節は物語に入るための予備段階です。「ガリラヤ湖」ではなく「ティベリアスの湖/海」とあるのはヨハネ福音書だけです。ティベリアスはガリラヤ湖の南西岸に位置しています。この町はイエスの頃のガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスによって、ヘレニズム風な都市として建設され(20年頃)、時のローマ皇帝ティベリウスに献げるために「ティベリアス」と名付けられ、領主ヘロデは、ここをガリラヤ支配の拠点にしました。アンティパスは、ユダヤ人の墓地を廃して、その上に町を建設したために、墓地を不浄だと見なすユダヤ人から「悪霊の住む場所」として嫌われました。しかし、ユダヤ戦争が終わった頃からは(70年以後)、ティベリアスがユダヤ教の拠点の一つになりました。セポリスとティベリアスは、ガリラヤのヘレニズム化の拠点となった都市だと見なされていますが、ガリラヤの住民たちへの実際の影響は限られていたようです。共観福音書では、イエスが、これらの二つの都市での伝道活動を避けている様子が読み取れます。こういうわけですから、「ティベリアスの湖」というローマ風の呼び方は、20年以降から(イエスの時代でも)用いられたのでしょう。「ガリラヤ」という地名はパレスチナ以外の地域では知られていなかったので、ギリシア・ローマの地域では「ティベリアス」の名で知られていたと思われます。この呼び方は、1世紀のヨセフスの『ユダヤ戦記』(3巻57節)にもでてきます。
パンのしるしが行なわれた場所について言えば、原文は「ガリラヤ湖のティベリアス湖の向こう側」で、同じ湖が二つの名前ででています。この言い方は不自然なので「ガリラヤの」を省いた異読もあり、逆に「ガリラヤの」に加える形で、「ガリラヤ湖の向こう側のティベリアスの地へ」という異読もあります〔新約原典テキスト批評〕。「ガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸」〔新共同訳〕とありますから、ここでの出来事はティベリアス付近のことではありません。ところが、ここを「ガリラヤ湖のティベリアスの地へ」と読む異本もあります。実はこちらのほうが、6章23節と地理的に近いのです。この場合、ヨハネ福音書での供食はガリラヤ湖西岸のティベリアス近くで起こったことになります。「ティベリアスの向こう側」という読みは、ルカ福音書の五千人への供食の場所と合致させるための後からの編集でしょうか。この問題は、共観福音書の五千人の供食の場とも関係します。マルコ6章30~44節とルカ9章10~17節とでは、供食の場所に食い違いがあります。ただし、ヨハネ福音書の「ティベリアス湖の向こう側」という言い方は、内容的に見て、マルコ福音書ともルカ福音書とも矛盾しません。
マルコ6章では、イエスの一行は、供食の後で、湖の東北沿岸に近いベトサイダへ向かい(同45節)、そこから嵐の湖を横切って西岸のゲネサレトへ来ます(同53節)。これに対して、ヨハネ福音書では、供食の場所が明言されていません。「ティベリアス湖の向こう側」とある供食の場をルカ福音書に従ってベトサイダだとすれば、そこから湖を横切ってカファルナウムへ来ることになります(6章16~17節)。地理関係では、現行のままの本文は、マルコ福音書よりもルカ福音書のほうに近いと言えます。
[2]【大勢の群衆】5節にも「大勢の群衆」とありますから、2節全体は後の編集でしょうか。「しるしを見たから」とありますが、ヨハネ福音書は「見る」という動詞を注意深く用いていますから、この群衆は、5章のベトザタでの癒やしか、4章から続くとすれば役人の息子の癒やしを「見て」イエスを信じた人たちでしょうか。「誰かに向かってしるしを行なう」という言い方はここだけです。群衆は、これから「パンのしるし」を体験することになりますが、こういう<しるし体験>が、必ずしも彼らの信仰を確かにするとは限りません(6章26節/30節)。ヨハネ福音書では、奇跡/不思議の「しるし」に基づく信仰と、真の意味での霊的な信仰が区別されるのです。
[3]【山へ登り】この節はマタイ5章1節と共通します。マタイ福音書では、イエスとシナイ山で民に教えたモーセとが重ね合わされますが、今回の箇所も、イエスをモーセと関連づけているのでしょう(6章32節/7章19節/同23節)。イエスは、モーセが預言した預言者であり(6章14節注参照)、モーセがシナイ山で律法を受けたように、イエスは、民にとってモーセなのです(1章17節/5章46節)。
【弟子たちと座り】イエスの当時のラビたちは、座って教えるのが習わしでした。マルコ6章30節では、供食に伴った弟子は十二使徒ですが、ヨハネ福音書では、この点が不明です(6章66~67節を参照)。
[4]【過越祭】過越祭は2章13節と11章55節にもでてきます。ヨハネ福音書では、祭りが、イエスの活動を区切る大事な指標になっています。また、この4節は、イエスの伝道活動の期間を知る上で重要な意味を持っています〔詳しくは「ヨハネ福音書補遺」→「ヨハネ福音書でのイエスの地理的行程」を参照〕。ここの過越では、イエスはエルサレムへ登りません。次に上京するのは仮庵の祭りの時です(7章2節)。ただし、ここの過越が「近づいていた」は、バルトが正しく洞察しているように〔バルト『ヨハネ福音書』〕、これから起こるパンのしるしが、過越の羊として与えるイエスの「からだと血」の意義を指し示しているのを見逃すことができません。だから「神の羊」(1章29節)が屠られる時が「近づいて」いることも示唆しています。
[5]【目を上げて見る】4章35節/17章1節にもこの言い方がでてきます。同じ言い方が、ルカ6章20節/同16章23節/同18章13節にもでているのが注目されています〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
【フィリポ】1章44節にあるように、フィリポはベトサイダの出身です(12章21~22節参照)。ルカ福音書では、この奇跡が、ガリラヤ湖東北岸に近いベトサイダで起こったとありますから(ルカ9章10節)、フィリポの登場はこの場所にふさわしいことになります。ルカ福音書とヨハネ福音書のこれらの共通点は偶然でないでしょう。ただし、ヨハネ福音書は、ルカ福音書と異なって、イエスのほうから先に弟子たちにパンのことを問いかけます。なお、ここでフィリポが、「どこで(食べ物を)買えばいいのでしょうか?」とイエスに問いかけるのは、ペトロがイエスに「(永遠の命の言葉を得るために)だれのところへ行けばいいのでしょう?」(6章69節)と問いかけているのと対応すると指摘されています。イエスは、フィリポを「試そうとした」とありますが、「試す」ことは「誘惑」(マタイ6章13節/ルカ22章46節)につながりますから、通常良い意味で用いられません。しかし今回は、フィリポを信仰に導こうとテストしたという意味です。続くイエスの言葉から、イエスは、すでに<自分の信仰によって>起こる出来事を知っていたことをも言おうとしているのです。
[6]【何をしようと】ここは、一般に、自分が奇跡を行なおうとすることをイエスは「知っていて」、弟子に尋ねていると解釈されています。しかし、自分が何をしようとしているのかを知っているのは当然ですから、ここはむしろ、<神がイエスを通して>、不思議な出来事を行なおうとしていることをイエスが<信仰によって>洞察していたという意味でしょう。「何をすることになるか」〔岩波訳〕。
[7]【二百デナリオン】1デナリオンが労働者一日分の平均的な賃金であることを思えば、これは労働者の半年分以上の額になります。なお「二百デナリオン<では>」〔新共同訳〕とありますが、この訳だと200デナリオン分のパンを群衆が持っていたようにも受け取れますから、「では→でも」とすべきでしょう。「200」という数字はマルコ6章37節と一致します。この物語が口頭による伝承だとすれば、このような一致は難しいと思われますから、ヨハネ共同体は、マルコ福音書と共通する資料(しるし資料?)を文書として持っていたのでしょうか〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
[8]~[9]【アンデレ】フィリポとアンデレの組み合わせは1章44節/12章21~22節にもでてきます。
【大麦のパン】「五つのパンと二匹の魚」も共観福音書と一致します。「大麦のパン」は、一般に貧しい人の食べ物だと見なされています。ただし、この節には、列王記下4章42節以下のエリシャの奇跡が反映していると考えられますから、今回の箇所に必ずしも「貧しさ」を読み取る必要がないでしょう。
パン/米、ぶどう酒/酒が、聖なる食べ物と飲物であることは古今東西共通で、オリエントでは、「パンとぶどう酒」を祭儀に用いるのは古代バビロニアにさかのぼります。これは「神の体」をパンの形で食べた古代の宗教儀礼に起源を持つのでしょう。古代オリエントの神話では、今回の奇跡に見るように、人間の手で焼かれていないパンは、特に神聖なもので、選ばれた者だけに与えられるものでした。このような「パン」は、神の言葉である「知恵」を象徴するものです。なおカトリックでは、聖餅は、ユダヤの過越にならってパン種を使わないで焼かれます。
先に指摘したように、3章には洗礼を表わす「水と霊」がでてきましたが、今回は聖餐を想起する「パン」が、イエスの与えるしるしとして、6章全体を貫く主題です。ただしヨハネ福音書では、3章の「水」と同じように、今回の「パン」も直接に教会の祭儀を指し示すものではありません。むしろ、祭儀を霊的に根拠づける「霊の出来事」として、この出来事が、読者/聴衆に実現することが求められています。
【魚】原語の「オプサリア」(複数)は、パンと共に食べるために調理したもので、通常は干して味付けしてある魚のことです。「何の役にも立たないでしょう」とあるのは弟子たちの不信仰を示唆するものです。
【子供】原語「パイダリオン」は、新約聖書でここだけです。七十人訳のギリシア語によれば、17歳のヨセフも「パイダリオン」ですから(創世記37章2節/同30節)、「少年」〔フランシスコ会訳聖書〕のほうが訳として適切でしょう。「若者」〔岩波訳〕。
[10]~[11]すでに指摘したように、ここには、マルコ6章34節以下が反映しています。マルコ福音書でパンのことを言い出すのは弟子であり、群衆を座らせるのもイエスの命令を受けた弟子たちです。ヨハネ福音書では、どちらもイエス自らがこれを行なっています。ヨハネ福音書のほうが、直接にイエスと人々を結びつけているのが分かります。10~11節とマルコ6章39~41節とを読み比べると、一致と同時に違いも見えてきます。
【人々を座らせる】マルコ福音書とは原語が少し違いますが、内容は同じで「横になる」ことです。これは宴会の時に「食卓に着く」姿勢です(ただしガリラヤの一般家庭では日常は腰を下ろすか、簡素な椅子に座って食事をしました)(13章12節/同23~25節と比較)。「草がたくさん生えていた」もマルコ6章39節と同じです。
【五千人】これの前に「人々」とありますから、ここの「五千人」は、マタイ14章21節の「女と子供を除いておよそ五千人」の意味です〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。男性ばかりが五千人集まって軍隊組織の「組になって」(マルコ6章40節参照)革命運動を起こそうとしたのではありません。
【感謝の祈り】ここでイエスは、「パンを取り上げ」「感謝して(エウカリストゥ)」「人々に分け与え」ます。マルコ福音書では「パン(と魚)を取り上げ」「天を仰ぎ/目を上げて」「祝福して/賛美して(エウロゴー)」「パンを裂き」「弟子たちに渡して」配らせます。比べてみると「感謝の祈りを捧げる」と「祝福/賛美を捧げる」が違いますが、マルコ14章23節の最後の晩餐では「(杯を)感謝して」とありますから、「感謝する」も「祝福する/賛美する」も、ユダヤ教では食事の際に同じ意味で用いられました(マルコ8章6節「感謝する」/第一コリント10章16節「祝福する/賛美する」)。ただし「目を上げる」「パンを裂く」「弟子たちに与えて配らせる」とあるのは教会の聖餐を想わせますから、この点でマルコ福音書のほうが聖餐に近いと言えます。ヨハネ福音書では、ここでのイエスの仕草を直接教会の聖餐に結びつけて解釈することはできませんが〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕、この仕草は、ユダヤ教の食事にならった最後の晩餐と同じです。だから、ヨハネ福音書の読者/聴衆は、イエスが、自分自身を過越の羊として献げた最後の晩餐を想起して、今回のイエスの仕草に教会の聖餐を見た、こう考えても不自然ではありません〔バレット『ヨハネ福音書』〕。だから、ここでの「しるし」は、教会の聖餐を生じさせる起源となりその根拠となるための「しるし」ではあっても、聖餐それ自体では<ない>のです。聖餐の祭儀は、ここで行なわれる出来事の内に隠されているのであって、以下の6章では、まさにそのことが明らかにされます〔バルト『ヨハネ福音書』〕。
[12]~[13]【満腹する】マルコ6章42節では「飽き足りた」ですから、原語が違いますが内容は同じです。マルコ福音書もヨハネ福音書も、パンが象徴的な意味を表わすだけではなく、人々が現実にパンを食べたことを前提にしています。続く14節での人々の感動と信仰は、彼らがイエスの業によって身体的に「満腹した」ことを示すからです。「霊」と「肉」との食べ物を過度に区別するのはヨハネ福音書の真意でありません。「しるし」は霊・肉両方の領域にわたる内容を包含するからです。
【パンの屑】ここでのイエスの命令もヨハネ福音書だけです。後にでてくる群衆へのイエスの教えでは、朽ちるパンと朽ちないパンが対比されますが、「パン屑」へのイエスの命令は、重要な意味を帯びています。「パン屑」の原語は「クラスマタ」で、神の御業が行われた後に残された小さな「かけら」もまた大きな恵みの「おこぼれ」として粗末にしてはならないからです。この「かけら」こそが、大事な働きをするからです。なお教会では、聖餐のパンが提供される前に砕かれた破片は「クラスマタ」と呼ばれます。ここでイエスが命じた「集める」(シュナゴー)と「失う/滅ぼす」(アポリュオー)は、物と人間の両方に用いられます。『ディダケー』(十二使徒の教訓)で聖餐について述べた9章1節に、「この裂かれたパンが山々の上に散らされながら一つにされたように、あなたの教会が地の果てからあなたの御国へ<集められ>ますように」とあり、同10章1節に「満腹した後の祈り」とあります。これはマルコ福音書=マタイ福音書とも共通しますが、おそらく、『ディダケー』は、ここのヨハネ福音書を反映しているのでしょう。「聖餐の領域の中で教会は生きるのである・・・・・それゆえ、ヨハネが6章で語っている供食の奇跡は、確かに聖餐式という形の聖餐に関係し聖餐を基礎づけている。しかし、この供食の奇跡は、まさにそれゆえに、聖餐式とそのまま同じではないのである」〔バルト『ヨハネ福音書』〕。
【十二の篭】12の篭とあるのは、ここでの弟子たちが十二使徒であったことを示唆していると見ることもできましょう。ただし、ここでは、過越の祭りとパンのしるしが関連づけられていますから、イスラエルの十二部族を意味すると解釈するほうがより適切かもしれません。ユダヤでは、食事の後には、後から来た者のために、必ずいくらかを残しておくという習わしがありました。なお「篭」とは小枝で編んで持ち運びするためのものです。「枝編み籠」〔岩波訳〕。
[14]【しるしを見て】「人々」とあるのはパンのしるしに与った人たちのことです。彼らはその体験から「言い始めた」〔岩波訳〕"began to say"〔REB〕のです。今回のパンの奇跡は、後の教会が、聖餐を語るために創出した奇跡物語であるという説があり、また列王記下のエリシャのパンの物語から生じた創出であって<歴史的な根拠を持つものではない>という意見が多いようです。2章のカナのしるしと6章の五千人へのパンのしるしと、これに続く湖での水上歩行のしるしには、復活したイエス様が重ね合わされているのは確かです。しかし、すでに見てきたとおり、ヨハネ福音書も共観福音書も、この奇跡を必ずしも聖餐と直接関連づけようとしているとは言えません。また、エリシャの故事から創出されたという見解は、なぜこの奇跡が、四福音書を通じて5回もでてくるほどエリシャと関連づけられなければならないのかが説明できません。逆に、ここには、生前のイエスが実際に行なった出来事と何か関係があると見るのが正しいと考えられます。ただしその<何か>は、イエスの場合には<霊的な出来事>ですから、事はイエスの霊性そのものに由来するものです。だから<歴史的な根拠>と言うよりも、生前のイエスへの霊的信仰的な根拠から、これらのしるし物語が生まれたのであって、その出来事への理由づけとして、エリシャの故事が反映されていると見なすほうはるかに納得できます。
イエスが具体的に何を行なったのか? これを知ることは不可能です。四福音書は、この奇跡が、人間には不可能な<神によって生じた>というまさにそのことを伝えているからです。そのような神の創造行為をだれよりもイエス自身が信じていたことを今回のパンのしるしは語っています。ただし、それが具体的に何であったのかは、ただ想定することができるだけです。大勢の人たちが集まっているのに食事ができないことから、イエスが人々に命じて、彼らが持っていたパンと魚を全部集めさせて、これに祝福の祈りを与えてから、自らの手でパンと魚を細かく分けて弟子たちを通して配らせた。このように考えることもできましょう。霊的な満たしを受けた時、人が空腹を覚えないことは、わたし自身だけでなく多くの人も体験しています。今のわたしには、これくらいのことしか想定できません。
【世に来られる預言者】1章45節で、イエスは「モーセが律法に記し預言者たちも書いている方」と呼ばれています(申命記18章15~19節参照)。ユダヤ教で、この預言は、モーセその人のことではなく〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕、後に顕れるメシア的な預言者を指すと受け取られてきました。ここで「<来たるべき>預言者」とあるのもこの意味でしょう(マタイ11章3節=ルカ7章19節を参照)。特にイエスの頃のサマリアでは(さらにサマリア出身のキリスト教徒からも)、モーセ五書に預言されているメシア(サマリアでは「タヘブ」)の到来が待ち望まれていました。この14節では、人々がイエスを神から特別のカリスマを受けて「モーセのマナの繰り返しを行なう預言者」だと認めたという見方もあります〔マーティン『ヨハネ福音書の歴史と神学』〕。
クムラン文書では、「祭司」アロンのような、あるいは「王」ダビデのような預言者が、メシア(複数)として顕れることが預言されています。ヨハネ福音書では、イエスとモーセの並行関係が、両者の違いだけでなく、両者を重ね合わす視点からも語られていますから、「モーセのような預言者的な王」を人々は求めていると解釈できます〔バレット『ヨハネ福音書』〕。また、4章では、井戸水から永遠の命の水へ、「預言者」から「世の救い主」へと、イエスによる啓示が進展します。同様に6章でも、マナを食べさせたモーセのような預言者から、永遠の真の食べ物を与える救い主へと啓示が展開すると見ることができます〔ドッド『第四福音書の解釈』〕。
諸説を前にする時、わたしたちは、霊的な出来事を理解する難しさを痛感します。筆者私市は、こういう場合に、どれかひとつに解釈を限定するのは、霊的な事柄の解釈として適切でないばかりか、危険でさえあると考えています。「したがって、この6章のいかなる部分もたった一つの解釈しか持たないと公然と主張する人はだれでも、間違った確信による愚かな誤りを犯すことになる。・・・・・福音書著者ヨハネは彼の象徴的表現にきわめて意識的に多くの意味を持たせているので、我々が彼の言葉に対するひとつの意味理解だけで満足してしまう場合、彼の持つ豊かさを奪い取ることになってしまう」〔スローヤン『ヨハネ福音書』〕。
[15]14節で物語が終わっているとすれば、15節は次の物語へ続けるための編集者による付加でしょう。ここで民衆がイエスを「王」にしようとしたことが、26節以下で、この世のパンと永遠のパンとの区別へつながることになるからです。その意味で、「世に来られた」と群衆が言っているのが注目されます。ここでは、ヨハネ福音書の他の箇所と異なり、イエスあるいは福音書の作者の言葉としてではなく、「群衆の」言葉として語られていることに注意してください。
【王にする】ヨハネ福音書では、イエスと「王」が霊的に関連しています(1章49節/特に18章33~36節を参照)。「神の王国」を伝えることが「地上の王国」を伝えることだと取り違えられているのです。「連れて行こうとする」は、王にするために無理に「奪い去ろう」とすることです。「来て奪おうとして」〔岩波訳〕。"take him by force"〔REB〕。
【山に退く】マルコ6章46~47節と比較してください。「山に退いた」こと、「イエス一人だけ」(同47節)とあることなどから、ヨハネ福音書の資料はマルコ福音書と共通することが分かります。マルコ福音書では、山に退いて「祈った」とあるだけで、それ以上の説明はありませんが、ヨハネ福音書のこの16節から、その理由がはっきりします。なお3節との関連からすれば、「さらに奥の山へ」という解釈もあります。「王権」については、群衆によるその意義の取り違えが、6章26節以下で指摘されます。だから、ヨハネ福音書は、共観福音書を「解釈している」のです。
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