【注釈】
■仮庵祭でのイエスの教え
7章14節以下でイエスがユダヤ人とエルサレムの群衆に語っていることは、すでに5章でも語られていることです。これが、さらに深められて8章へ発展します。ここでは、イエスがメシアかどうかをめぐって、人々の意見が分かれますが、群衆は、様々な問いを発しながら、どちらとも決めかねています。その群衆の陰で、「ユダヤ人」の指導層は、イエスに対する敵意を深めています。ヨハネ福音書の描く「世」は、群衆と指導層の二つのグループに大別されて構成されています。このような「世」とイエスとの緊張状態が、「今しばらくの間」続くのです。
世に対するイエスからの語りかけは、5章~8章を通じて、音楽の主旋律のように変奏されながら繰り返されます(5章37~38節/6章36~39節/同44~47節/7章16~18節/同28~29節/8章23~24節/同42~43節)。繰り返しの中から、イエスに敵対する「ユダヤ人」(世)の正体が暴露されます。しかも、これらの繰り返しの合間に、6章53~58節の聖餐の言葉と、7章37~38節の御霊降臨の預言が表われます。語られている内容は、安息日問題をも含めて、共観福音書でも語られていますが、ヨハネ福音書は、それらもろもろの物語を、神の御子の啓示という一筋の物語に凝縮するのです(マタイ11章27節=ルカ10章22節がこれに近い)。ヨハネ福音書は、現行のままでも、この一連の流れを提示しています。
■7章
[25]~[26]25節が、ほんらいの資料では14節につながっていたという推定は、可能ではあっても、そうでなければならないほどの根拠はありません〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
【エルサレムの人々】原語は1語「ヒエロソリュミテース」の複数形で、こことマルコ1章5節だけにでてきます。ガリラヤから来た人たちや祭りで巡礼に来ていた人たちを含む一般の群衆とは違って、彼らは、イエスと指導層との確執を知っていたので、指導者たちによるイエス殺害の陰謀に気づいていたのでしょう。だから、イエスが公然と教え始めたことに驚いたのです。彼らは「まさか、イエスが本物のメシア(原語は冠詞付きの「ホ・クリストス」)だと議会が公認したのではないだろう?」といぶかり、メシアが現れるとすれば、彼の出身は隠されていなければならないはずだと考えるのです。
【公然と話している】7章4節を参照。ここにきて初めて、イエスは「公然と」語り始めます(18章20節参照)。
【議員たち】3章1節を参照。
[27]殉教者ユスティノス(100頃~165年頃のキリスト教哲学者)の『ユダヤ人とトリュフォンとの対話』(8の4)に次のようにあります。
「しかし、キリスト(メシア)がすでにどこかに生まれて、生きているとしても、まずエリヤが来て彼に油を注ぎ、すべての者にそのことを明らかにするまでは、誰もそうとは知らず、彼自身も自分がメシアだとは思っておらず、力も持っていないのだ。お前たち〔キリスト教徒〕は馬鹿げた噂を聞いただけのことであって、自分勝手にメシアを造り上げたにすぎない」〔大貫隆/他編『新約聖書・ヘレニズム原典資料集』〕。
このように、イエスの頃には、メシアが来臨するとしても、その出所が隠されていると考えられていました。しかし、その一方で、メシアはイスラエルを復興する「王」として来臨し、彼はダビデ王朝の末として、ベツレヘムの出身であるとも信じられていました(7章42節)。
ただし、ヨハネ福音書から判断すると、ここで言う「メシア」は、「人の子」であり「天から降った方」ですから、黙示思想の影響を受けています。『第一エノク書』の「たとえの書」(48章)は前1世紀末のものですが、その「第二のたとえ」には、天を旅するエノクが「知恵の泉」を見る場面がでています。そこでは「諸々の諸霊の主」(神)の御前で「日々の頭」によって「人の子」が選ばれます。人の子は太陽や星座が造られる前から選ばれていて、「知恵ある聖者と義人たち」に顕されますが、地上の王侯たちには隠されています。「人の子」は、この世の艱難の時に顕れてその王侯たちを裁きます〔1 Enoch. Translated by Nickelsburg.61-62.〕。『第一エノク書』のこの「人の子」は、イザヤ書42章や49章の「主の僕」伝承の影響を受けているだけでなく、ダニエル書(7章)の人の子伝承を受け継いでいます〔ニケルズバーグ前掲書〕。なおユダヤ教の文書でありながらキリスト教の第二正典と認められているラテン語エズラ記〔新共同訳続編〕の13章(95~100年頃)をも参照。
[28]~[29]
イエスは境内で叫び、教えてこう言った。
「なるほどあなたたちはわたしを知っており、
わたしがどこの出かも知っている。
しかし、わたしは自分の意志で来ているのではない。
わたしを遣わした真実な方がおられるのに
あなたたちはその方を知らない。
だがわたしは知っている。
その方はわたしと共にいて、
わたしを遣わしておられるからである。」
【叫んだ】この動詞の原語「クラゾー」は、ヨハネ福音書で4回出てきて(1章15節/7章28節/同37節/12章44節)、特に聖霊に促されて叫ぶことです。どの場合も状況が似ていて、人々がイエスに直接問いかけているわけではありませんが、イエスは、霊的な洞察によって人々の心を見抜いて語っています。ここでイエスは、自分勝手な衝動に促され、自己推薦による権威をかざして来たのではなく、(その背後におられる方から)遣わされていると告げています。
【わたしを知っている】古代では、見知らぬ人の人となりを知るために、先ずその人の出身地を尋ねるのが一般的でした。だから、ガリラヤから来た人たちを含めて、人々は、イエスの生まれも育ちも「知っている」と思い込んでいます。「確かにその通りだが、はたしてあなたがたは、それでわたしを<知っている>ことになるのか?」イエスはこう問いかけているのです。
【真実である】イエスを遣わした方が「真実」であることと、イエスが「ほんとうに」父である神から遣わされていること、さらには、イエスを遣わした父なる神が「ほんとうに存在する」ことをも含んでいます。「真実な」(アレーシノス)には「真理」(アレーセース)という異読がありますが、意味は変わりません(8章26節では「真理」)。
【わたしはその方を知っている】この節は、「あなたたちはその方を知らない」と対照されていて、ここでの主題です(8章55節を参照)。ユダヤ人一般が「神を知っている」と思い込んでいながら「ほんとうは神を知らない」ことは、ローマ2章17~24節でパウロも指摘しています。
【その方のもとから来た】その方「から来た」は、「その方と共にいる」とも読めます。ヨハネ共同体に働くイエスの御霊の臨在も重ね合わされているのでしょう(1章18節/6章46節)。
[30]【イエスを捕らえようと】主語は、まだ「エルサレムの人たち」ですが、ここでは「ユダヤ人」の指導者たちと区別されておらず、「群衆」と「指導層」がひとつになって「世」を構成しています。ここは、歴史的状況におけるイエスと指導層の相克が、ヨハネ共同体の視点から、「霊的なイエス」と「この世」の相克とも重ねられています。指導層は、一貫してイエスの逮捕と処刑を狙っていますが(10章39節)、この段階では、イエス逮捕の理由は、もはや安息日の問題だけでなく、自分が神から来ていることを公然と語ったからです(5章18節参照)。
【イエスの時】この表現は、イエスが「栄光を受ける時」、すなわち受難の時を指します(8章20節)。「イエスの時」は神によって定められていますから、この「時」には、イエスが神の小羊として捧げられるために「定められた時」という祭儀的な意味もこめられています(13章1節)。
[31]【多くのしるしを】ここには、前節と全く違う人々が「群衆」の中にいます。彼らはイエスのもとへ「引き寄せられて」いる人たちでしょう(6章44節/12章32節)。しかし、彼らの信仰は、まだ「しるし」信仰です(4章48節/6章30節)。旧約時代から旧新約中間期にかけてのユダヤ教では、ほんらい人間である「メシア」は、必ずしも「しるし」(奇跡)を行うとは考えられていませんでした。ただし、モーセやエリヤがしるし/奇跡を行なっていますから、イエスの頃には、メシア信仰が、奇跡/しるしと結びついていたと思われます(イザヤ書35章5~6節とマタイ11章2~9節を参照)。ヨハネ福音書もこのしるし信仰を受け継いでいて、この福音書に記された以上の奇跡が行なわれたことが示唆されています(21章25節参照)。メシアに対するこのような「しるし信仰」は、ヨハネ福音書に限りませんが、ヨハネ福音書では、その元となる「しるし資料/の書」が想定されていて、ヨハネ福音書は、これらの「しるし」に独自の霊的な解釈を与えています。
[32]【祭司長たちとファリサイ派】ギリシア語の「サンヒドリン」(議会)は、一般に都市の司法・行政を司る指導者の集まりを指す用語でした。新約では「最高法院」と訳されていますが、これの実際の構成は、その時々の(外国による)支配形態によって流動的であり、必ずしも固定的な構成を指すものではありません(ローマの支配層はこれを「評議会」と呼んでいました)。イエスの在世当時、ユダヤの最高法院は、ほぼ70人から成り、ローマ帝国の支配下に置かれていて、主として3階層から成り立っていました。一つは祭司長たちの派で、これには現職だけでなく元の大祭司も含まれ、さらにその息子たちも含まれていたようです。2番目に、この大祭司派と結んだ祭司長たちがいました。これら両者は、一般の会堂には直接関与せず、もっぱら神殿の祭儀・行政・警護に関与していて「サドカイ派」と呼ばれました。ただし、ヨハネ福音書には、この呼び方がでてきません。3番目に、律法学者・ファリサイ派が会堂に参与していて、イエスに対する監視と嫌疑は、このファリサイ派から上層部へ伝えられたと思われます。法院は、パレスチナの地方区にもありましたが、イエスの頃は、エルサレムの「最高法院」が実質的に地方の会堂も支配していたようです。ただし、ヨハネ福音書が書かれたのはエルサレム滅亡以後ですから、イエス在世当時のユダヤの最高法院もサドカイ派も存在していません。ただ、ファリサイ派だけが存続し、ユダヤ教の主流として活動を続けていました。このために、イエスをメシア(キリスト)と信じるヨハネ共同体は、ユダヤ教の律法の伝統に立つファリサイ派と厳しい対立を迫られることになったのです。
共観福音書では、「イエスを殺そう」としたのは大祭司を頂点とする「長老、祭司長、律法学者たち」です(マルコ8章31節/同10章33節/同14章61節)。ヨハネ福音書が「祭司長たちとファリサイ派」(7章45節/11章47節と同57節も参照)という特殊な言い方をするのは、イエスの頃の「祭司長たち」とヨハネ共同体の頃の「ファリサイ派」とを組み合わせることで、かつてのイエスと現在のヨハネ共同体の両方の敵対者をダブらせているからです〔マーティン『ヨハネ福音書の歴史と神学』〕。
【ささやいている】ここでは「不平を言う」でも「論じている」でもなく、「話し合っている」ことでしょう。「ひそひそ話している」〔塚本訳〕。
[33]~[34]イエスの答えは、面前の「下役たち」だけでなく、彼らを遣わした「ファリサイ派」と「ユダヤ人」たち(32節/35節)全体に向けられています。
【もとへ帰る】原語は「行く」「立ち去る」「家に帰る」こと。ここでは、「父の家に戻る」という意味と、人々から「立ち去って」姿が見えなくなるという両方の意味です。
【今しばらく】しばしば表われてきた表現ですが、これからも続きます(12章35節/13章33節/14章19節/16章16節)。特にここでは、この言い方が敵対する人たちに向けられていますから、イエスが「この地上に存在している間」という歴史的な時期を指しています。ただし、ヨハネ共同体がおかれている「イエスの来臨と終末の間」の「中間の時」という意味も重ねられているのでしょう。
【わたしのいる所に】原語の「エイミ・エゴー」(わたしは在る)は、「エゴー・エイミ」と同じで、神の御子イエスの霊的な臨在の場をも意味します〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。この節で語られている通り、啓示は「時」と分かちがたく結びついています。しかもその「時」は、人間が勝手に決めることができない「限られた時にしか存在しない」のです〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。啓示は、ナザレのイエスという歴史的に限定された出来事において実現されました。しかも、その啓示は、聖霊の臨在にあって<語られる>言葉として、イエス以後の歴史の時間の中で、繰り返し現在化するのです。ただし、そのような<啓示の現在化>は、歴史のイエス伝を学んだり、無時間的な「真理」や「教義」によって訪れるものではなく、このヨハネ福音書が繰り返し<語りかけている>ように、ナザレのイエスの霊性に出会うところで「語られる言葉」を聴き取るという<自分の時>において初めてその人に生起する出来事です〔ブルトマン前掲書〕。
[35]~[36]【ギリシア人の間に離散しているユダヤ人】原文は「ギリシア人たちのディアスポラ」。「ディアスポラ」は離散しているユダヤ人のことで、戦争などで土地を失ったり経済的な理由でパレスチナを離れて生活していたユダヤ人たちを総称する用語です。ローマ帝国の時代には、彼らは、それぞれの土地で一定の自治権と宗教的な自由を公認されていました。ここでは「ギリシア語を話す離散のユダヤ人」の意味なのか、「ギリシア人の間に住んでいる離散のユダヤ人」の意味なのかが問題にされています。「ギリシア人」は、地名と人種を指すのではなく、「異教徒」あるいは「異邦人」〔塚本訳〕という広い意味で用いられますから、「離散のユダヤ人たちを通して異邦人に教えを広める」という意味に理解するほうがいいでしょう(12章20~24節参照)。おそらくここでは、「異邦人の間で教える」はイエスを軽蔑する意味で言われています。しかし、ヨハネ福音書が書かれた頃から振り返ってみるなら、結果としてそのとおりのことが起こったのですから、いわば、彼らは「それとは知らずに」イエスについて正しく預言したことになります。このようなヨハネ的アイロニーは、11章49~51節のカイアファの言葉にも見られます。
【わたしたちが彼を見つけることはない】彼らは、「彼らにはイエスを逮捕できない」という意味に受け取ったのでしょうか。
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