38章 御霊の川
                    7章37〜52節
■7章
37祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
39イエスは、ご自分が受けようとしている”霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、”霊”がまだ降っていなかったからである。
40この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、
41「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。
42メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」
43こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。
44その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。
45祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」と言った。
46下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。47すると、ファリサイ派の人々は言った。「お前たちまでも惑わされたのか。
48議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。49だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。」
50彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。51「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」
52彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」
                      【講話】

                   【注釈】
■祭儀について
 ヨハネ福音書では「祭り」が大事な意味を帯びています。過越祭が2章13節と11章55節に表われますし、「ユダヤ人の祭り」が5章1節に出てきます。これはペンテコステの祭りでしょうか?今回は仮庵の祭りです。この福音書は複雑な編集過程を経ていて、全体の構成を見極めることは困難ですが、それでも、要所で祭りが大事な意味を持っているのは間違いありません。
 ヨハネ福音書には、なぜこのように祭りが出てくるのでしょう? 旧約の祭りを福音の中に復活させようとしているのでしょうか? そうではありません。仮庵の祭りで、イエス様が叫ばれると、人々の間にさまざまな憶測が流れ、分裂が生じました。このことは、イエス様が言われている「祭り」は、従来の意味とは異なっていたことを証(あか)ししています。では、イエス様が祭りで叫ばれたことは、従来の祭りとどう違うのでしょう? これが今回のテーマです。
 ユダヤの祭りに限らず、一般に祭儀としての「祭り」は、わたしたちの生活にどのような意味を持つのでしょうか? この春(2001年2月)、エジプト旅行に参加してみて、イスラム世界の貧しさに驚きました。比較的自由で恵まれていると言われるエジプトでさえ、あのように貧しいのであれば、それ以外のイスラム諸国、とりわけ、今のアフガニスタンの状況がどのようなものか想像できます。
 ところが、その貧しいエジプトの街で、ひときわ立派で美しいのがイスラム教のモスクの建物です。夜になると、暗い街中に赤々と照らし出されたモスクは、まるで街全体が、このモスクのために存在しているかのような印象を与えます。実際、この印象が見当違いでないのは、人々の熱心な宗教心をみれば分かります。朝まだき、コーランの声が町中に響き渡ります。エジプト航空の飛行機の中でも、ひれ伏して祈っている人が居ます。
 エジプトだけではありません。ヒマラヤのティベットの映像を見ても、貧しい家々が連なる中で、仏教寺院の建物だけが、異様に壮麗なのが目につきます。日本でも飛鳥・奈良時代の寺院や平安時代の壮麗な寺院が今に残っていて、その美しさにわたしたちは見とれますが、考えてみれば、その時代の庶民の生活や住まいは、今に残る大寺院、例えば奈良の大仏殿などと比べると、あまりにも貧弱であったろうと思われます。貧しい人々の住まいに囲まれて、あの大仏殿がそびえている様を想像すると、異様な感じがします。
 言うまでもなく、寺院やモスクは宗教施設であり、そこで行なわれるのは祭儀です。寺院も神社もモスクも、そして教会堂も、祭儀のために建てられています。立派な寺院であればあるほど、そこでおこなわれる祭儀も立派でなければなりません。イエス様の時代にヘロデ大王が建てたエルサレム神殿も壮麗なものでした。寺院は祭儀のため、祭儀は宗教のため、宗教は、必ずなんらかの「神話」、文字通りに「神様の話あるいは言葉」としての「神話」に基づいています。では、宗教の元となる神話はなんのために存在するのでしょうか?
 それは、民族共同体を形成するためであって、人々の心をひとつに結ぶ役目をはたすためです。今テレビで放映されている時宗の時代の「神風神話」も、戦時中、日本人が結束して国難に当たるために重要な役割を果たしました。裏を返せば、神話とこれに基づく宗教は、共同体が結束して敵と戦うこと、すなわち共同体の暴力を外に向かって最大限に発揮すること、そうすることで、ほかの共同体からの同じような暴力と立ち向かう役割を果たしていると言えます。もちろん宗教の目的と役割はこれだけではありませんが。
 暴力は、国難の時だけではありません。平和な日本の社会でも、欧米の「文明社会」でも、恐ろしい犯罪が、日常生活の中で起こって人々を驚かせます。「平和なのに」と言うよりも「平和だからこそ」、人々は互いに憎み合ったり暴力に憧れるという不思議な現象が生じるのです。カインの殺人で始まった人類の悲しい「文明の業(ごう)」の深さを今さらながら思い起こします。
 神話は、このように、共同体に潜む暴力と深く関係しています。ルネ・ジラールという人は、人類の文化の根底には、暴力が潜んでいて、神話と儀礼は、これを覆い隠すために機能していると指摘しました。それは、共同体の内に潜む憎しみと暴力をうまくコントロールして、祭儀としてその力を結集させ、国全体、民族全体、共同体全体の暴力的エネルギーを「外に向ける」役目をするのです。ですから、祭儀には、必ず暴力の犠牲となる「生け贄(にえ)」が要求されます。言い替えると、常に犠牲を創り出し、これを「血祭り」にあげることで、共同体の暴力をこれに転荷し、そうすることで、共同体内部で、暴力や迫害が生じるのを回避するというシステムが保たれるのです。
 旧約聖書の時代には、祭壇を築く、石を立てる、主のみ名を呼ぶなどの行為は、そこを「ヤハウェの領土」とすることを意味しました。旧約聖書全体を通じて、宗教的寛容を是認する言葉を見出すのが難しいのはこのためです。ヤハウェの領土拡張のためには、異教の民を虐殺する行為も正当化されたからです。現在、イスラエルとPLOとが、わずかの領土をめぐって、血で血を洗う闘争を繰り広げているのを見ていると、旧約時代の「ユダヤ教・ユダヤ人」と「異教徒・異民族」との間の領土争いがどんなにすさまじいものであったかが想像できます。
 さらに、祭儀宗教は、その共同体の富を結集させますから、その権威によって、共同体の生み出す富や利益をことごとく吸い上げる機能を発揮します。その結果、皮肉にも、立派な寺院ができるほどに民は貧しくなり、貧しくなるほどに、人々は壮麗な寺院に希望とあこがれを託すようになります。中世のヨーロッパでも、ある街が栄えて、その富が絶頂に達したときには、必ず後世に残る大聖堂、大伽藍が建設されます。祭儀は、それ自体が目的ですから、そこに費やされる莫大な富は、決して人々の生活に還元されることがありません。祭儀宗教は、このようにして、共同体の精神的・物質的なエネルギーをことごとく吸収し、これによって、その共同体を滅亡へと導く皮肉な結果になります。これが「祭儀の悲劇」です。
? 聖堂などの宗教的な建築物は、人間の宗教的な営みを象徴する最大の事例ですから、それは共同体の精神的な支柱となる営みです。だから、聖堂建築とそこでの祭儀を否定するのは、人間の宗教的な営みそれ自体を否定することにもなりかねません。問題は、人間の宗教的な営みが、具体的な姿形となって外見化し、物質化する時に、そこに実現する「宗教」が、権威や権力の象徴となり、人を救う代わりに人間の霊的で独創的な営みを圧殺し、平和の代わりに争いを、救いの代わりに滅びを、永遠性の代わりに現在の欲望の充足を求める「装置に」堕落することにあります。具体化し外見化した<宗教>は、常に内面的、霊的な変革を求めて新たにされなければなりません。
  「イースター島の悲劇」という言葉があります。この島では、その限られた土地の中で、人口が爆発的に増えました。彼らなりの「文明」が発達したからです。このために、食料をめぐる緊張が高まりました。ところが彼らは、その問題解決の道として、闘争と過度の祭儀宗教を選んだのです。人々は、大きな石像を作り、これを運ぶために、大量の丸太を伐採しました。このために島の緑が失われ、食物資源はますます不足しました。部族同士の殺し合いが始まり、その結果島は滅亡し、彼らの文化は滅びたのです。
 これは、現代における人口・資源・戦争・宗教的争いへの警告です。宗教祭儀と部族間の闘争が、資源の枯渇と戦争を引き起こした事例だからです。もしも、このような破滅を救うことができたとすれば、それは、だれか偉大な預言者が現れて、先ず「宗教改革」を実行し、伐採を防ぎ、部族間の競争や争いを防ぐ路を見いだすことにあったはずです。はたしてこれからの人類に、これができるでしょうか? このように、人類の宗教性には、人類の存続か滅亡かを決める鍵が潜んでいます。
■旧約の預言者と祭儀
 預言者アモスとホセアの時代、北王国イスラエルでは、祭儀宗教が盛んに行なわれていました。過越もその一つです。過越は元来家族から悪鬼を追放するために牧畜民の間で行なわれた儀礼です。英語の「sacrifice=犠牲を献げる」の語源は「屠殺して火で焼くこと」を意味します〔OED〕。イスラエルの祭儀は、カナンに起源を持っていて、カナン宗教の祭儀をイスラエル的に解釈し直したものです。だから、イスラエルの祭儀も農耕儀礼の影響を受けています。その農耕儀礼に中からバアル=ヤハウェの混淆宗教が生じました。このため、北王国イスラエルでは、外敵との戦いの場合にはヤハウェの名によって団結し、日常ではバアル的祭儀を行なうといいう二重性が生じたのです。北王国イスラエルの祭儀・儀礼の核心は「犠牲を献げる」ことでしたが、アモス、ホセア、イザヤ、ミカ、エレミヤたちは、このような祭儀宗教を厳しく糾弾しました。正しい信仰とは、祭儀ではなく、愛と義を行なうことだからです。
 王国の分裂以後、比較的豊かな国土に恵まれていた北王国イスラエルでは、経済の発達に伴って生活の都市化が進み、貴族の華美な文化が生まれ、壮麗な祭儀がおこなわれました。王権と神殿中心の祭司宗教とが結合し、ヤハウェ宗教は祭儀化し国家宗教になりました。
 エリヤはバアルの預言者集団と対立しました。アモスも、自分を「預言者でもなく預言者の子でもない」と呼んで集団的・職業的預言者団と決別しました(アモスが職業的預言者か非職業的か、また集団的預言者階級に属していたか、いなかったかは、必ずしも明確でありませんが)。とにかく彼は、国家祭儀の職業的預言者を「偽預言者」と呼んで糾弾したのです。北王国のベテルでは、秋の大祭儀が、金の子牛を祀った聖所で祝われました。祭司の日ごとの献げ物は神からの離反の祭儀であり、北イスラエルは指導者の罪によって滅び、滅亡は祭壇と神殿から始まる。アモスはこう預言したのです。彼の信仰の基準は、「主の言葉」にあり、主の言葉は、「義」と「公正な裁判と判断(ミシュパト)」を求めていたからです。
 ホセアは、国家祭儀の預言者たちを「偽の霊」に酔っていると攻撃しました。祭儀を通じて降る「霊」か、それとも主の御言葉を通じて降る「霊」か? どちらが、ほんとうにイスラエルを救う神の御霊なのかとホセアは問いかけたのです。ホセアたち預言者の宗教は人格的であり、その本質は、神と民が契約関係で結ばれることにありました。だから、ヤハウェの恵みは、神との契約を忠実に実行することによってもたらされると信じたのです。ホセアにも神秘体験がありましたが、その神秘体験は、没我的な神人合一(unification)ではなく、どこまでも「わたし」と「あなた」の交わり(communion)にありました。それは「融合の秘義体験」ではなく「赦罪の奥義体験」だったのです。
 「ルアハ」(霊)は、「風」でもあり「息」でもあって、自然に働きかけますが、「言葉」は、人格から発するものですから、自然な働きかけではありません。言葉なしの霊は神秘的合一をもたらしますが、ヤハウェの預言者は、神との交わりから語られる「主の言葉」によって生きたのです。
 だから、旧約の預言者たちは、常に個性的であって、自己の意識と意志を見失いませんでした。霊に酔って預言する「祭儀的賜物の預言者」ではなく、自分の存在それ自体が神様の御言葉にあって生かされる「主の御言葉の預言者」だったのです。祭儀宗教における恍惚状態の預言では、霊能の預言者に霊が降って、彼が口ばしることが「神の言葉」だとされました。しかし、ホセアでは、神の意志が直接「言葉となって」彼に臨んだのです。「祭儀の預言者」と真の「預言者」との違いがここにあります。
 第二イザヤは「苦難の僕」について預言しました。苦難の僕は、古代オリエントの祭儀に基づく神王とは決定的に異なります。民の上に立つ神的な王ではなく、自らの苦難を通じて神の救いの仲保者とされる「メシア」が、第二イザヤを通じて初めて預言されたのです。第二イザヤのメシア像にも、神話的祭儀の影響を見ることができますが、第二イザヤは、この神話を「歴史化」し、外見の祭儀ではなく、その内実を求めました。アモスもホセアも第二イザヤも、民の間に正義と公正を行なうこと、華美な祭儀によらず貧しい人たちを省みること、そして、なによりも、主を心から愛する霊を求めました。すなわち彼らは、祭儀を通して神がほんとうに求めているものはなにか? というその「霊的な意味」を、すなわち、「祭儀のプニューマ化」を追求したのです。
■祭儀のプニューマ化
 ここで確認しておきたいことがあります。それは、特にアモスとホセアの場合、彼らは決して祭儀それ自体を廃棄することを要求したのではないことです。祭儀を破棄することは、征服された民に支配者が強要する場合のように、共同体それ自体の崩壊を意味しました。預言者たちは、祭儀に含まれている宗教的・政治的・文化的な意味を十分に認識していました。それにも関わらず、彼らが目前の祭儀に対して厳しい批判の目を向けたのは、それらの祭儀が、権力を絶対化する王室と一体となり、民を虐げ「貧しい者を靴一足の値段で売る」ことを平然と行なう「人間の血を犠牲として求める祭儀」に陥っていたからです。これに仕える預言者たちも、そのような祭儀から降る霊に酔って、己の保身と権力賛美の神殿宗教に堕落していたからです。
 アモスやホセアは、そのような民の血と姦淫と権力賛美に溺れた祭儀をば、正義と公正に基づくヤハウェの言葉と、そこから降る聖なる霊によって変革し、そうすることで祭儀の本質を取り戻そうとしたのです。すなわち、彼らが目指したのは、「祭儀のプニューマ」から「プニューマの(霊的な)祭儀」へと変革することだったのです。
 このような祭儀のプニューマ化は、それ以後もイスラエルの祭儀宗教で一貫して求められ、これが、イエス様を通じて、原初キリスト教へ受け継がれました。ある宗教が、真の宗教として人類を導くためには、このような祭儀のプニューマ化が絶えずな働かなければなりません。キリスト教が、他の宗教に比べて先んじている点があるとすれば、それは、キリスト教が、このように、常に宗教的祭儀をプニューマ化し、そうすることによって祭儀の内実を変革してきたからです。
 古代オリエントの神話から変貌を遂げたイスラエルの宗教は、預言者・王・祭司としての「人の子」が、やがて「終末のメシア」として来臨することを預言していました。この預言が、イエス様において初めて現実のものになったのです。祭儀宗教へのアモス、ホセア、第二イザヤの批判が、イエス様において現実の歴史となったのです。
■知恵思想と祭儀
 昔から人類には、どの民にも、必ず「知恵の人」が存在していました。古代アッカドの洪水伝説に出てくるウト・ナピシュティームとその流れを汲む旧約聖書のノア、ペルシャのゾロアスター、中国の老子や孔子、インドの仏陀や現代ではガンジー、ギリシアの哲学者たちなどです。旧約時代のイスラエルにもそのような人たちがいました。彼らは、イスラエルの暴力的な祭儀宗教に潜む矛盾を洞察していましたから、ほんとうに平和な世の中を築くためにはどうすればよいのかを考えたのです。この人たちの書いたものが、旧約聖書の「知恵文学」と呼ばれる一群の文書です。ヨブ記やダニエル書や続編の知恵の書などがこれにあたります。ヨブ記に登場するヨブは、おそらく人類の「知恵の人」として、最も偉大な人のひとりではないでしょうか。
 「知恵文学」では、宗教の教義や祭儀にほとんど関心が払われません。イスラエルが捕囚から解放され、第二神殿の建設以後に、ユダヤ教が外に向かって開かれたのは、「知恵の人たち」の考えに沿っていました。「知恵」こそが寛容の導き手だからです。この「知恵」が「終末」への信仰と結びつく時に初めて、宗教的寛容への展望が開けます。
 このような「知恵」の宗教は、確固とした教義や祭儀や権威化した制度や教団の会員数などによって武装した「宗教」を信奉している人たちから見るならば、あまりにもひ弱で、やがて埋没する運命にあるとしか映らないかもしれません。しかし、確かなことは、そのように武装した宗団からは、終末の平和は決して来ないことです。なぜなら、そういう鎧こそ、宗教を他と対立させる道具建てに他ならないからです。宗教の名で平和を説き、宗団の名で争うという本音は、そのような鎧を着ていては、決して克服できないからです。
 「知恵」は、母なる大地と天の父との結びつきから生じて、人の心に語りかけます。それは、大地から生まれる産物とわたしたち人間との同類性を認識させます。この「知恵」が天を目指す時には、地上から超越するのではなく、むしろ逆に地上へ降る受肉の姿をとるのです。母なる大地は現実であり、わたしたちを食べさせ必要なすべてを豊かに供給してくれます。大地のこの「謙虚さ」は、しばしば、現代の欧米化した「文明」に対して忠告を発しているのです〔ノイマン『意識の起源史』(1)〕。
■ヨハネ福音書と聖餐の祭儀
  「プニューマ化」とは、祭儀を霊的なものにすること、言い換えると、「言葉化」することです。だから「霊的」とは、祭儀の外形ではなく、「主の御霊にある御言葉」を祭儀の本質とすることです。しかし、人間は肉体を具えた存在ですから、「御霊にある主の御言葉」と言っても、その行為は、必ず何らかの具体的な姿・形として現れなければなりません。これが、現在も教会でおこなわれている「聖餐の祭儀」です。「聖餐の祭儀」は、キリストの聖霊によって形成された最も複雑で重層的な祭儀であり、「イエスの贖いの死」を象徴するものです。この「贖いの死」は、パウロの福音から出て、「世の罪を取り除く神の小羊」(1章29節)としてヨハネ福音書に受け継がれます。こうして、新約聖書は、人類への「聖霊の祭儀の書」となりました。
 イエス・キリストの十字架・復活・聖霊は、歴史的で神話的な出来事です。「神話的」とは「祭儀的」ということであり、「祭儀的」とは、イエス様の死が、全人類の罪の赦しの供えものとして意義付けられていることです。したがって、これは、歴史・神話的に観れば、客観的普遍性を有する人類共同体全体の「出来事」であり、個人の心理的な状態や心理体験のことではありません。「歴史・神話的出来事」とは、歴史を創り出す原動力から生じているという意味であり、これなしには、そもそも「歴史」という概念それ自体さえ成り立たないのです。聖霊体験とは、まさにこの歴史・神話的な出来事から来る現実の出来事なのです。
 この能力によって、人類は自分の過去・現在・未来の意義と価値を認識することができます。祭儀において、「時間」は不思議な働きをします。それは過去を現在に甦らせ、未来を現在に呼び込むからです。祭儀はまた、これを行なう人たちを、その人たちのいる空間的な場所を超えて、ひとつに結び、その間を自由にコミニュケイトさせる、すなわち「交わり」を形成するのです。祭儀においては、不思議なこと、超自然的な出来事が生じますが、それは、祭儀に潜む時空一如の霊的な世界を表わすためです。だから、祭儀の中で生じる「事実」とこれの「認識」は、科学的な世界としばしば対応されて、霊的な世界に属すると見なされます。この認知があって初めて、なぜイエス・キリストの十字架の贖いによって、自分の罪が取り除かれるのか、なぜ、自分がイエス・キリストと交わりを持つことができるのか、これが理解できるようになります。イエス様が仮庵の祭りで、「大声で叫んだ」のはまさにこのことだったのです。
■日本の皇室と祭儀
 美智子皇后は、イタリアご訪問の際に、ヴァイオリンに合わせてグノーのアベ・マリアをピアノで演奏されました。また、カトリックの寺院を訪れて、その際にイエス・キリストにお祈りをされたのではないかと噂されました。もしも、祭儀とこれを執り行う人間の内面的な意識、すなわちプニューマとしての霊性、この二重性が認められないならば、このような行為は決して許されないでしょう。美智子皇后の母である正田富美子さんは、死ぬ直前に洗礼を受けましたが、葬儀は神式で行われました。これは皇后様に対する母の配慮であったと思われます。これも意識的プニューマはキリスト教でありながら、外の祭儀においては神道であるという二重性を有しています。意識と祭儀のこのような二重性は、実は徳川時代を延々と生き延びたキリシタンの伝統にもありました。日本人には、潜伏キリシタンの伝統が流れているのかもしれません。
 皇室の祭儀の政治性とその祭儀の霊性は、宗教的な権威と、政治権力と緊張関係を保つことによって、その霊的権威を保持することができます。この観点から見ると、日本の皇室が、キリスト教的になり国際的になることは、きわめて興味深いことです。皇室は、国家の政治権力やその支配力と結託することで、自らの霊的カリスマ性を喪失する道を選んではなりません。この意味で、これからの日本の皇室は、平和主義、国際主義、民本意主義のキリスト教的な霊性をますます強めていくことが重要で、皇室の祭儀的カリスマ性は、こうすることで生き延びることができるでしょう。
■ニコデモとユダヤの指導者
 今回のところでは、イエス様と「ユダヤ人」の指導者たち、特にファリサイ派との対立がクローズアップされています。ここで、イエス様による御霊の働きとファリサイ派の聖書解釈との間に深い溝が存在していることが露わになります。今回のニコデモの登場は、この点を明らかにするものです。ニコデモは、イエス様の御霊に感じてこれを受け入れようとする人々と、霊的な目が開かれないままに、己の聖書解釈に固執する指導者たちとの狭間に立っています。その指導者たちは、自分たちの権威を誇るあまり、イエス様の言葉に耳を傾ける人たちを「律法を知らない呪われた民」と呼んでいます。「彼らの中の一人」、すなわち指導層のひとりであるニコデモは、この状況の中で、イエス様の御霊に触れている人たちと霊盲な聖書解釈者たちとの間を仲立ちできるただ唯一の人物です。この意味で、51節のニコデモの言葉は、この箇所において重要な意味を帯びています。
 「以前イエスを訪ねたことのあるニコデモ」とヨハネ福音書がわざわざコメントしているように、3章でニコデモは初めて、イエス様から「御霊の風」について教えられました。そして、イエス様の言われる霊的な「生まれ変わり」のことを「母の胎からもう一度生まれ直す」ことだと誤解しました。彼は、おそらく、このことから、自分が霊盲であると自覚させられたのでしょう。その時から彼は、自分の聖書解釈と信仰生活には、なにか大事なものが欠けていることを謙虚に反省し、イエス様の言われることに耳を傾け、イエス様を通じて行なわれる霊的なみ業に注目してきたのでしょう。そうすることで、次第に御霊の世界に目が開かれてきたと思われます。19章で彼は、危険を冒して、十字架から降ろされたイエス様の遺体を葬る手助けをしていますから、そこまでイエス様を深く愛し信じるようになったのです。
 ですから、7章でのニコデモは、3章のニコデモが19章のニコデモへ霊的に成長していく経過点にいると考えられます。彼はここで、聖霊体験と伝統的な教義に基づく聖書解釈との間に横たわる亀裂をはっきり自覚し、それを的確な言葉で表現しています。彼は言います。「直接御霊が働いている本人に接してその人から聴くこと」、そして「そこで起こっている出来事」、すなわち実際に起こっている御霊の業(出来事)を自分の目で見て確認することが大事ではないのかと。これこそ、彼自身が、イエス様との出会い以来実行してきたことだからです。
 サドカイ派は、「群衆」を統率し、これを自己の監視下に置くことで、社会制度と宗教組織を現状のまま固定しようと全神経を注いでいました。ファリサイ派は、自分たちの聖書解釈の権威が脅かされることを恐れ、このために自分たちの解釈に違反するいっさいの教えも出来事も許容することができませんでした。彼らの聖書解釈は、聖書が伝えようとしている御霊の世界と、これを求めている人たちとの間に障壁を作り、御霊の働きが波及することを阻止していたのです。このために、「天国への鍵」を握りながら、自分たちの聖書解釈に従わない者たちを一括して「呪われた者」と見なす誤りに陥っていました。
 宗派に基づく聖書解釈は、必然的に教義化します。ところが、どんなに普遍性を帯びると主張する教義でも、御霊の働きそれ自体に対応できるほど柔軟性に富む教義を形成することはできません。教義学と御霊の働きは根本的に相容れない性質を持っているからです。いったん形成された宗派とこれがよって立つ教義が形成されると、これに違反する教えは、教団・教派の存続を危うくしますから、それを許容することができなくなります。その結果、自分たちの聖書解釈に基づいて相手を弾劾したり非難する事態が生じることになります。このようにして「律法を知らない民は呪われている」と断定する結果にいたるのです。彼らは、呪いを投げつけるまさにその行為によって、みずからに呪いを招く結果になります。宗派的な「聖書解釈」に対して、御霊はなにも弁明しません。御霊はただ現実に働くだけで、いっさい弁明しないからです。「私の父は今にいたるまで働いている。だから私も働く」とイエス様が言われたのはこのことです。
 ニコデモはそのような宗派の指導者たちに向かって言います。あなたがたの聖書解釈によれば、先ずなにが語られているのかをよく聴いて、その上で、自分の目で現実に行なわれていることをよく観た上でなければ、軽々しく判断を下してはいけないと。すなわち御霊のご臨在の場に、みずから立ち、これに参加することによってしか、真理は与えられないのではないかと警告しているのです。聖書解釈とは神の御言葉、神の御言葉は御霊の御言葉です。それは日々新たになっていくものです。
 ヨハネ福音書は、意図的に、ガリラヤとエルサレム、御霊の働きに動かされる人々とこれを阻止しようとする指導者たちとを対照させます。このように、御霊の働きと字義どおりの聖書解釈とを対比させ対照させながら、「見えない者が見えるようになり、見えると主張する者が、見えなくなる」(9章41節)皮肉と不思議を際だたせるのです。宗教的指導者たちは、何時の時代でも、聖書を「自分たちの側に」置きたがります。こうして、聖書解釈の実権を握ることによって、聖霊の働きを批判し、聖書を自分たちの正当化に利用しようとする傾向が生じるのです。聖霊の働きは、既存の教会やその制度にとって絶えず危険性を秘めているからです。
                             ヨハネ福音書講話(上)へ