【注釈】
■7章後半について
 仮庵の祭りの最後の日には、「昼もなければ夜もなく、夕べになっても光があり、エルサレムから命の水が湧く」(ゼカリヤ書14章7~8節)とあります。主の終末の日を待望する離散のユダヤ人たちは、この仮庵祭を祝うために四方からエルサレムへ集まり、小枝で編んだ仮小屋で祭りを過ごしました。祭りの間、ゼカリヤ書14章16~19節の朗読が行なわれ、毎朝「救いの泉から水を汲む」とあるイザヤ書12章の朗読があり、神殿の南にあるギフォンの泉まで行列が行なわれました(2013年の現在、発掘されている旧ダビデの町に「ウォーレンの縦抗」があり、岩をくりぬいた抗を降るとギフォンの泉からさらに南のシロアムの池へ注ぐ水流に出合います)。行列は、そこで汲んだ水を黄金の器に入れて、祭司がこれを祭壇に注ぐのです〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
 人々は、手に「木の実、なつめやしの葉、茂った木の枝、川柳の枝」(レビ記23章40節)などを持って行列に加わり、「ホサンナ」を唱えます。この束はヘブライ語で「ルーラブ」と呼ばれるもので、仮庵の祭りなどの祝いの時に用いられました(レビ記23章40節)。現代のルーラブには、祈祷書を手に持って祈りながら、片手で手にできる小さなものもあります。笛も演奏され、神殿では絶えることなく明かりが灯されます(出エジプト記40章38節参照)。この祭りは、秋の収穫祭でもあり、祭りの間に雨が降ると、秋以降の作物を育てる雨が与えられるしるしと見なされましたから、「雨乞い」の意味もあったのです。
 祭りの精神は、エルサレム滅亡以後のユダヤ人に受け継がれて、ローマ帝国に対するバル・コクバの反乱の時期(後132~35年)には、仮庵祭を表象に用いた貨幣が鋳造されています〔ブラウン前掲書〕。ユダヤ人キリスト教徒も「スコトの祭り」を重視しましたから、7章から8章にかけて、「水」、「光」(灯火)などの表象が表れるのはこのためです。
 イエスは、祭りの神殿の境内で、この「水」こそ「わたしが与えるであろう聖霊の水である」と公然と告げています。ヨハネ福音書はここに、ユダヤ教の祭儀を超える「聖霊の水」の働きを見ているのです。イエスは神殿の崩壊を預言しましたが、エルサレムの神殿そのものを決して否定してはいません。イエス自身は、神殿を「自分の父の家」(2章16節)として、祭司制度も神殿の神聖さも認めていました。ヨハネ福音書でイエスは、自分が何者であるかを「神殿で」語ります。これは共観福音書でも同じで、「共観福音書を通じて、イエスの描き方を見ると、それは、神を礼拝するために神に定められた神殿礼拝を肯定することであり、同時に神殿に勝るキリストの優越性である」〔Theological Dictionary of NT.〕と言われています。ヨハネ福音書においては、イエスと「父の家」との結びつきはさらに強く、聖所における神の祭儀的な臨在は、そのままイエスの「エゴー・エイミ」(わたしはある)の臨在と重なると言えましょう。
 エルサレム神殿の崩壊以後、ユダヤ教は、その祭儀的性格を失って、代わりに厳しい律法主義によってユダヤ教の危機を乗り切ろうとしていました。これに対して、キリスト教、とりわけヨハネ共同体は、旧約以来の神殿が果たしてきたその祭儀をも含めて、イエスのメシア性による霊的な王権によって、かつて神殿が果たした機能に代わるものとしたのです。ここにヨハネ福音書独特の霊的な祭儀性が生まれる基があります。
 ヨハネ福音書においては、紀元70年のエルサレム神殿の崩壊はもはや過去のことです。だから、神殿は、イエスの体という「新しく復活した」神殿によってすでに置き換えられているのです。イエスの体とイエスの御霊の臨在によって、神殿は「霊の神殿」として「すでに復活している」のです(2章)。御霊の世界では、過去と現在と未来の時間が一つになり、同時にそれが「空間化して」表わされます。これが祭りの時間であり、祭儀化された時間の意義です。だから、イエスの御霊こそ現臨する神殿であり、御霊の働きは、この「祭儀的な時」の中で起こることになります。それはちょうど、イエスの体と血をいただく聖餐において、過去の十字架と現在の贖いと未来の救いが、これに与る「その時に」凝縮されて一つになることに通じます。ヨハネ福音書が祭儀的に解釈されるのはこのためです(この点に関しては、G・S・スローヤン著、鈴木脩平訳『ヨハネ福音書』日本基督教団出版局/宮本久雄著『福音書の言語宇宙』などがあります)。
 ヨハネ福音書では、地上のナザレのイエスが、<復活したイエス>として、ヨハネ共同体を含むわたしたちに語りかけます。この構造は、「地上のイエスにおいて栄光のキリストに出会う」ことを表わすもので、日常的な時間性を超える「祭儀的な」時間構造の中で成り立つ世界です〔宮本前掲書〕。ヨハネ福音書では、地上のナザレのイエスが、復活した「もう一人のイエス」(パラクレートス)として、かつての地上のイエスを「再演する」"enact"すると言われますが、この見方は、先にC・H・ドッドが指摘していたことです〔ドッド『第四福音書の解釈』〕。
 わたしが、この点を重視するのは理由があります。それは、今回が「イエスの聖霊授与」を預言する重要な箇所だからです。聖霊授与は20章21~23節で成就します。歴史的に見ると、使徒言行録にあるように、聖霊降臨は、イエスの十字架による栄光化の後の出来事です。しかし、ナザレのイエスに栄光のキリストを観るという視点からは、ヨハネ福音書全体が、イエス・キリストとの出会いの場に通じることになります。このような語りの場から、ヨハネ福音書の言語は、日常の時間の次元ではなく、かつてのイエスが、現在のキリストの御霊の臨在の「時」の中で語る言語になるのです〔宮本前掲書〕。
■7章
[37]【終わりの日に】祭りの実際の「最終日」には、シロアムの池から黄金の器で水を神殿へと運ぶ賛美の行列があり(イザヤ書12章3節)、祭壇への潅祭の儀が行なわれました。仮庵祭での水の注ぎは、これからの雨への祈りをこめた儀式であると同時に、ユダヤ教においては、終末での聖霊の注ぎをも表象するものでした。最終日の八日目は後から付加されたもので、本来の盛大な祭りは七日目に行なわれたから、八日目にはなんの祭儀もおこなわれなかったとして、「最も盛大に祝われる」とあるのは七日目のことを指すという説が多いようです〔ブルトマン『ヨハネの福音書』770(注)85〕〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。八日目は祭りが終わり、仮庵を取り壊す日でした。しかし、この日には特別の犠牲が献げられ、「ハレル」賛歌が歌われたので、象徴的な「水の祭り」の後に、イエスが、今回の言葉を発したとしてもおかしくないと見る説もあります〔バレット『ヨハネ福音書』〕。ちなみにヨセフスは、この祭りを八日間としています。七日目か八日目かは、確定できないようです。
【立ち上がって大声で】イエスは、当時のラビと同じく、普段は坐って教えていたと思われますが、ここで「立ち上がった」とあり「大声で」とあるのは、聖霊の満たしに促されて公に人々に語ることを意味します。これは「知恵の呼びかけ」に通じるものです(箴言9章3~6節/シラ書24章19節)〔ブルトマン『ヨハネの福音書』770(注)88〕。
[38]37節の終わりと38節前半のピリオド(終止符)の位置がふたとおりあります。38節の「わたしを信じる者」の<後に>終止符が来ると、この句は37節の「飲みなさい」の主語になります(下記の私訳を参照)〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。私訳の読み方だと、「その腹」の「その」は、「信じる者」ではなく、むしろイエスを指すともとることができます〔バルト『ヨハネ福音書』〕。しかし、37節の「飲みなさい」の後に終止符を置くと、38節は、「わたしを信じる者はその腹から~」となり、「その」は言うまでもなく「信じる者」のことです。こちらのほうが一般的な読み方です〔新共同訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕〔NRSV〕〔REB〕。
渇いている人は誰でもわたしのところへ来なさい。
そしてわたしに入信する者は誰でも飲みなさい。
聖書に書いてあるとおり
「その腹から川となって
生きた水が流れ出るだろう」。
   〔REB欄外の読み〕〔私訳〕
【聖書に書いてあるとおり】原文は「聖書(冠詞付きの単数)が言っているとおり」で、通常この場合、聖書の具体的な箇所が意図されていることになります。これに続く「その人の内から生きた水が川となって流れ出る」が(旧約)聖書からの引用部分になりますが、旧約聖書には正確にこれに当たる箇所が見あたりません。しかし、「御霊/霊」が川の流れにたとえられるのは旧約でよく見られる表現です(イザヤ書12章3節/同43章19節/同44章3節/ゼカリヤ書13章1節/同14章8節/なお、エゼキエル書47章1~12節を参照)。特にイザヤ55章1節が今回の箇所と関連づけることができます。聖霊の水は4章13節にすでにでてきましたが、特にヨハネ黙示録22章17節にも注意してください。
【その人の内から】「その人」を「イエス」ととるか「信じる者」ととるかで読み方が異なります。「川」が「イエスから」流れ出るとする読みは、紀元2世紀のテルトゥリアヌスたち以来、西方(ラテン)系教会の人たちに多く、ここでの「水」を19章34節の「水」と関連づけています(現在でもこの解釈を採る説があります)。しかし、ここでの川の源を「信じる者から」と解釈する説も2世紀のオリゲネス以来、東方(ギリシア)教会系に多く、現在では、この説をとる学者が多いようです。最新の日本語訳も英米の英訳聖書(REB/NRSV)もこの解釈を採っています。4章14節から見ても、このほうがヨハネの聖霊観に近いと言えましょう。オリゲネスがこの説をとったのは、フィロンの著作に「聖書の霊的な理解者は溢れる命の泉である」とあるのに基づいているのかもしれません。西方教会がこの解釈を退けたのは、オリゲネスの解釈を「グノーシス的」であるとして忌避したためで、「信じる者」は聖書の引用に含まれないから、「その人の内から」と結びつかないと解釈したのです。
 「その人の<内>から」とある原語は「その腹から」です。「腹」は、旧約で人の最も深い想いや情念の宿るところとされていて(箴言20章27節)、そこはまた、主の律法が主の霊によって刻まれるところでもあります(「心の内に」は七十人訳では「腹の中に」と訳されています)。なお、人の言葉もそこから湧くとされました(箴言18章4節)。今回の箇所が民数記20章の岩から湧く水とタイポロジー的に対応していると見る説があり(第一コリント10章4節参照)、この観点から、この節にモーセ(予型)とイエス(対型)のタイポロジー関係を読み取る説があります。
[39]39節を教会の編集だと見る説がありますが、これは正しくありません。後からの編集は、むしろ38節の「聖書に書いてあるとおり」と、39節の「霊がまだ降っていないので~」のほうでしょう〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。39節のイエスから授かる水は、仮庵祭のユダヤ教の水と対応関係にあるからです。
【”霊”について】原語の「霊」に冠詞がついている場合といない場合とがあり、そのことによって、三位一体のペルソナ(位格)としての「聖霊」と人の内に宿って働く「霊」とを区別する場合があります。新共同訳にある ”霊” という表記は、この区別に基づくのでしょうか。しかし筆者(私市)は、ここでこういう区別にこだわるのは、必ずしも適切でないと思います。むしろここは「御霊」と訳すほうが適切でしょう。"the Spirit" 〔NRSV〕〔REB〕。
【霊はまだ降っていなかった】原文は「(聖)霊はまだなかった」。当時のユダヤ教では、最後の預言者と呼ばれたゼカリヤとマラキの死以来、主からの聖なる霊の大きな傾注がなく、来るべきメシアの到来によって再び聖なる霊の大傾注が顕れると期待されていました(使徒言行録2章17節)。ヨハネ福音書では、19章30節で、イエスにある「プニューマの祭儀」が成就した後に、初めて聖霊が降ることになります(20章22節)。
 39節の後半では、「霊」と「聖霊」のふたとおりの読みがあります。「聖霊」が「霊」へ変更されることは不自然なので、本来は「霊」であったと思われますが、イエスの十字架以前に「霊まだ存在しなかった」という誤解を防ぐために「聖霊」としたり「霊はまだ彼らの上に」を加えたりしたと考えられます〔新約原典テキスト批評〕。ただし、節の前半の「霊」の場合と同じく、ここでも「御霊/聖霊」と訳すほうが適切ではないかと思われます。英語訳では "there was no Spirit" 〔NRSV〕とあり、欄外に "the Spirit"(others Holy Spirit)has not been given" という読みをあげています。
 ヨハネ福音書は、ここで三位一体論を意識しているのではなく、神と人との「交わり」において、イエスを通して与えられる御霊はまだ存在していなかったと言いたいのです。ここでヨハネ福音書が言う「霊」は、14章15節にでてくるイエスの代理となる「別のパラクレートス」のことです。イエスの御霊(聖霊)が<まだなかった>と語るヨハネ福音書は、すでに御霊を受けて、その臨在の下にあるヨハネ共同体の言葉と重なりますから、ここにもヨハネ福音書の「時の二重性」を読み取ることができましょう。ただし、ここでは異言・預言などの特別の霊の賜物を指しているのではありません〔ブルトマン『ヨハネの福音書』772(注)92〕。
【栄光を受けて】イエスの十字架を復活と御霊の降臨に結びつけることで、十字架それ自体も「栄光」とする見方はヨハネ福音書特有です。ここには、十字架が「プニューマ」降臨の祭儀を形成しているというヨハネ福音書独特の見方があります。
[40]【この言葉を聞いて】イエスが聖霊に満たされて語った言葉に強く影響されて、その言葉に「聞き従った」人たちは、彼がモーセの後を継ぐ「あの預言者」であると信じたのでしょう。ある人たちは、さらに進んで、イエスこそ最終のメシアであると信じたようです。ここの語法には「聖書が言ったではないか」「種/子孫」などユダヤ的な語り口が反映されています〔ブルトマン『ヨハネの福音書』773(注)95〕。
【あの預言者】申命記18章15節でモーセが預言したと言われる預言者 "the Prophet" 〔REB〕のこと。この「預言者」は1章45節でも6章14節でも言及されています。しかし、イエスの頃のユダヤ教では、申命記のこの「預言者」はメシアとして到来すると信じられていましたから、40~41節で、人々は、モーセ的な「預言者」なのか、モーセ的な「メシア」なのか、それともダビデ的な「メシア」なのかをめぐって混乱が生じているのが分かります〔バレット『ヨハネ福音書』〕。このような形で「メシア」観の分裂が伝えられているのはヨハネ福音書だけで、ここは、イエスの頃のパレスチナの状況を反映しているのでしょう。
[41]【メシア】原語はギリシア語の「クリストス」(1章41節/4章25節/なおマルコ8章29節を参照)。「あの預言者」と「メシア」のふたつの称号をめぐって分裂が生じているのです。ただし、イエス在世当時は、これらの称号が特に危険視されたり問題にされたわけではありません。ローマ帝国との間に闘われたユダヤ戦争(67~73年)以後、ユダヤ教の指導者の間では、これらの称号を自称する者に対して厳しい律法違反の罪を課すようになりました。ここでの「メシア」にもヨハネ共同体が置かれていた当時の事情が反映しているのかもしれません。
[42]【ダビデの子孫】イエスの頃には、イスラエルの終末に出現するメシアが、ダビデ王の家系から出るというのが一般的な信仰です(サムエル記上17章12節/サムエル記下7章12~13節/ミカ書5章1節)。しかし、メシアがベツレヘムの生まれだというのはキリスト教による伝承でしょう〔バレット『ヨハネ福音書』〕。マタイ福音書(1~2章)やルカ福音書(1~2章)のイエス誕生の記事もこの信仰に基づいています。なお、この記事から、ヨハネ福音書の作者/編集者もこのベツレヘム伝承を知っていたことが分かります。ヨハネ共同体がイエスの処女降誕伝承を知っていたかどうかは確認できませんが、おそらくこの伝承も知られていたと思われます(1章13節を参照)〔バレット前掲書〕。
【聖書に書いてある】「またもや教義学がイエスへの道をふさぐことが分かる」〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
[43]イエスが、モーセ的な預言者か、メシアか、メシアだとすれば、ダビデ系のメシアかなど、群衆の間に分裂が生じたのです。しかし、そもそもイエスの地上的な出自は、父から遣わされた御子の霊性と関わりがありません(7章27~28節)。ブルトマンが指摘するとおり(前項目参照)、人々のこの混乱の背後にも、ヨハネ福音書の皮肉を読み取ることができます。「彼らは聖霊が与えられるために聖書を開くのではなく、イエスの由来を問うために聖書を開き、イエスに宿る霊的な実在を問わず、逆にそれを避けるために聖書が与えられているかのように聖書を開くのです」〔バルト『ヨハネ福音書』〕。
[44]【捕らえようと思う】イエスを捕らえることを「望んだ」が、実際には逮捕する意図を持って行動することはなかったのでしょう。ここは30節とよく似ています。編集者は二つの資料を組み合わせたという説もありますが、資料的な見地による本文の再構成は、現行のままでは理解不可能な時にのみ許されることです〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
[45]【祭司長たちやファリサイ派の人々】「祭司長たちとファリサイ派」については32節を参照。宗教的権威とこれを支える律法の解釈者たちをひとつのまとまりと見ています。ヨハネ共同体と同時期のファリサイ派の対立をここに読み取るのは誤りではありませんが、イエスの頃との歴史的一貫性を見落としてはなりません〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
【下役たち】32節から判断するなら、彼らは4日間イエスを見張っていたことになります。イエスの時代なら、「下役」とは、エルサレムの大祭司と祭司長たちの支配下にいる神殿警護の役人たちを指すことになります。しかし、ヨハネ共同体の時代になると、地中海全域にわたる地方のファリサイ派の指導層(ゲルウシア)の配下の者たちを指すことになりますから、ここでの用語には、イエスの頃とヨハネ共同体の頃の「二重時間」がこめられていると思われます〔マーティン『ヨハネ福音書の歴史と神学』〕。
[46]【あの人のように話した】イエスの語り方が、律法の解釈を教える学者やラビたちと異なっていて、霊的な権威と力を帯びていたからです。37節を参照。
[47]【惑わされた】宗教的に誤った教え、すなわち異端に誘われること。「お前たちまでも」とあるのは、下役たちが群衆のイエスに対する姿勢に巻き込まれたからです。ここで「ファリサイ派」だけがでてくるのは、ヨハネ共同体時代の地方のユダヤ人指導層を意識していると見る説があります〔マーティン前掲書〕。このファリサイ派の人は、下役たちの中にもイエスを密かに信じる者がいるのではと疑っているかもしれません。
[48]【議員】約70人から成るエルサレムの議会(サンヒドリン)のメンバーのこと。議会にもファリサイ派がいましたが、ここは「議員たちの中で彼を信じた者がいるか?あるいはファリサイ派の中で?」となっています。この「ファリサイ派」は、エルサレム以外の地方のファリサイ派一般をも含めているのでしょう。ファリサイ派は、特に律法の解釈と遵守を重視したからです。彼らがイエスを拒否したのは、イエスの教えの真偽を確認したからではなく、エルサレムの議会の総意に服従するからにほかなりません。ここでも、特にヨハネ共同体時代の「ファリサイ派」が意識されているという解釈があります〔マーティン前掲書〕。70年以後、パレスチナのヤムニアを拠点とするファリサイ派の最高法院(ゲルウシア)は、地方のファリサイ派にも異端審問を要請していたからです。?
[49]【律法を知らない群衆】イエスの時代、律法を学ぶ者たちは「知恵の生徒」と呼ばれ、これに対して律法にあまり関心を払わない一般の人たちを「地の民」(アム・ハアレツ)として軽蔑する傾向がありました(エレミヤ書5章4節~5節を参照)。なお律法への無知が呪いとなることについては、申命記27章26節を参照。
[50]【以前イエスを訪ねた】この句は後からの挿入でしょう。ヨハネ福音書で、登場人物を明確にするためにしばしば見られる編集です。ここでのニコデモは、3章1節以下の場合とは異なり、他の議員たちから区別されています。ヨハネ共同体の時代、地方のユダヤ教の指導者たちの間でも、ユダヤ人キリスト教徒に対する扱いが必ずしも一致していなかったことを示唆しているのでしょうか。ただし、イエスの時代とヨハネ共同体の時代の間に「本質的な統一性」があると証ししていることを忘れてはならないでしょう〔マーティン前掲書〕。7章全体を通じて、固有名詞がでてくるのは「イエス」と「ニコデモ」だけで、それ以外は全部集合的に呼ばれています。全体性と個人とのこの対比は、イエスを通して証しされる「御霊」を受けることと深く関わっていることに注意してください。
[51]【本人から事情を聞き】出エジプト記23章1節/申命記1章16節~17節を参照。「事情を聴く」とは、法廷で自分を弁護する権利を指しています。ラビのミドラシュにも「人が訴える主張を聴かずにその人に対する判断を下すことができない」とありました。
[52]【よく調べてみなさい】有力な写本類には「聖書を調べてみなさい」とあります。なお、聖書がイエスを証ししていることについては5章39節を参照。権威者たちは、聖書に即しているかのようで、実際は自分の確信を優先させて人を裁いています。彼らが誤った判断を下すのは、律法(聖書)の知識が不確かだからではなく、逆に、彼らの確信のゆえに誤りが生じるのです。彼らのその「確さ」こそが人を断罪する根拠に転じるおそれがあるからです〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
【預言者の出ないことが分かる】この訳だと「ガリラヤからはどんな預言者も現れない」という意味になりますが、実際には、ヨナはガリラヤの出身であり(列王記下14章25節)、ホセアもガリラヤ出身の可能性があります。ここで指導者は、当時ガリラヤを軽蔑して一般に言われていた諺を引用しているのでしょうか? それとも「預言者」とは、42節で言う「モーセの後に来るあの預言者」を指すのでしょうか(定冠詞付きの「預言者」という異読があります)。
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