【注釈】
■「罪の女」の挿話
 「罪の女」の挿話(エピソード)は、5世紀の写本(Codex Bezae)を始め、9世紀の写本(Codex CypriusやCodex Sangallensis)などのヨハネ福音書に含まれていますが、3世紀初頭のパピルス(p66)や4世紀の有力な写本(Codex Sinaiticus)、その他の比較的初期の写本類には含まれていません。だから、今回の部分が、ヨハネ福音書本来の一部でないことは確かです。しかし、この伝承は、歴史的に信憑性の高いものとして西方教会に口頭で伝えられてきたものです。エウセビオスは、パピアス(130年頃のヒエラポリス〔現在のトルコのパムッカレ〕の主教)が「多くの罪のために主の前に訴えられた女について別の物語を引用している」と述べています〔エスセビオス『教会史』(Ⅲ)39の17〕。彼が、「それはヘブライ人の福音書の中に見いだされる」と言っているのは、この挿話のことであろうと推定されます。したがって、2世紀の教会では、この話はイエスにさかのぼるものとして伝えられていたのでしょう。
 今回の箇所の用語や内容から判断して、この挿話に最もふさわしいのはルカ福音書だと考えられています。このためでしょうか、Fam.13と呼ばれる手稿(11~15世紀)では、この挿話をルカ21章38節につないでいます〔Metzger, al. The Text of the New Testament. Oxford (2005)87〕。おそらくルカ21章37~38節と舞台設定が結びつくからでしょう。内容的に見れば、ルカ20章20節以下で、「律法学者たちや祭司長」がカイザルへの納税をめぐってイエスを罠かけようとした挿話に続けるのが最もふさわしいという説もあります。ヨハネ福音書への導入では、現在の箇所以外に、7章36節、7章44節、また21章25節などにつないでいる写本がありますが、どの筆者も、それがほんらいの写本の一部でないことを承知しているようです。
 この挿話は、ヨハネ福音書本来の一部でないとしても、イエスの特徴を具えていて、イエスに関する真正な言い伝えであると見て間違いないでしょう。おそらく、この挿話は、姦淫に対する姿勢が「緩やかすぎる」と見なされたために、ほんらいの福音書からはずされ、種々の写本や手稿の間を転々として、現在の箇所に落ち着いたと思われます〔新約原典批評〕。なぜこの箇所に置かれたのかについても諸説がありますが、その理由として、7章51節と8章13~14節に、人を判断する/裁く根拠となる証し/証拠の問題が出てくることから、8章の「裁き」の主題と見合うからでしょう。ヒエロニュムスが、この記事をカトリックのラテン語訳(ウルガタ)に採り入れたこともあって、カトリックでは、伝統的にヨハネ福音書の記事として受け入れられており、東方正教会もこれにならい、英語欽定訳にも採り入れられて、キリスト教会全体に現行の形で受け継がれています〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
 このように、この挿話は、イエスに関する真正な伝承として、最後には、8章の始めに置かれることになりました。8章15節に「わたしはだれも裁かない」とあるので、これへの伏線として、この挿話がここに入れられたのでしょう。ヨハネ福音書にこの挿話を入れる試みが幾度かなされてきたのには、それなりの理由があります。それは、この挿話に、女性をめぐる問題が提起されていることと無関係でありません。2章でのイエスの母マリア、4章でのサマリアの女、11章でのベタニアのマルタ、12章でのマルタの姉妹マリア、20章でのマグダラのマリアなど、この福音書は、イエスと「ひとりの女性」をめぐる物語で注目されています。しかも、それぞれの女性が、各章の始めに登場して、それ以後のイエスの言葉を導き出すきっかけとなっていて、神学的に重要な意味を帯びている点にも注意しなければなりません。
 このように見ると、8章冒頭での罪の女の挿入は、それまでの過程はどうあれ、これを8章の一部として解釈するのは決して不適切でありません。もしかすると、この挿話の女性が、ルカ8章2節のマグダラのマリアと同一人物だと見なされたのかもしれません(現在では、ルカ福音書のマグダラのマリアとマタイ福音書やヨハネ福音書のマグダラのマリアが同一人物だとは見なされていませんが)。だとすれば、イエスの復活後に、イエスがマグダラのマリアに現われることへの伏線になっていると考えることもできましょう。
 ここで注意したいのは、ヨハネ福音書の構成の仕方です。5章はベトザタの池での癒やしに始まり、イエスと「ユダヤ人」の論争が続きます。6章ではパンのしるしが語られ、これにイエスの説話が続きます。7章はイエスのエルサへの上京で始まり、仮庵祭での出来事に続いてイエスの言葉が語られます。この構成にならうなら、8章の冒頭で、罪の女への断罪が置かれていて、そこから長く重要なイエスとイエスを信じた弟子たちとの対話と、これに「ユダヤ人」とイエスの論争が続くという構成が見えてきます。9章では、盲人の癒やしに始まり、これがイエスとファリサイ派との劇的な対立へ発展します。この手法から見て、8章での罪の女の記事を、単なる無造作な「挿入」として片付づけるのは、聖書本文の正しい解釈法として適切とは言えないでしょう。聖書の成立と聖書解釈の伝統が、「聖霊の導き」の下にあるという視野から見るなら、文献的な成立事情を踏まえた上でも、あえて、この罪の女の物語をそれ以降の一連の論争と説話を解く鍵として用いることが許されるのではないか。このように考えます。
 福音書の成立当時、エルサレム滅亡以後のファリサイ派とヨハネ共同体とが、深刻な対立関係にあったことが指摘されています。ヨハネ共同体の中には、迫害などによって、一時的に信仰を離れた者たちも現われたでしょう。一度共同体を離れた者たちが、再び共同体に「復帰する」ことを望んだ場合に、これらの人たちをどう扱うのか、これが共同体内で問題となっていたと推定されます。この挿話の「姦通の罪の女」は、この論争に対するひとつの解決として支持されたのではないでしょうか。いずれにせよ、このいかにも「イエス様らしい」伝承のゆえに、わたしたちは、この挿話が伝えられていることを感謝しなければなりません〔ハンター『ヨハネ福音書』ケンブリッジ注解シリーズ〕。
■8章
[53]~[1]原文では、この二つの節がつながっていて、「人々はそれぞれ家に帰ったが、イエス(のほう)はオリーブ山へ行かれた」〔塚本訳〕となっています。"Then each of them went home, while Jesus went to the Mount of Olive."〔NRSV〕ただし、冒頭の「カイ」(そこで/そして/一方で)が抜けている異読があるので、別個の文として訳されたのでしょうか〔新共同訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕。
【オリーブ山】ここは、ヨハネ福音書よりもルカ福音書にふさわしいでしょう。特にルカ福音書の受難週では、昼は神殿、夜はオリーブ山に場面を設定しているのに合致するからです。このことから、ルカ21章の最後にこの挿話を置くのが最もふさわしいという説があります。
[2]【朝早く】これの原語「オルスルー」は、今回とルカ24章1節/同24章22節/使徒言行録5章21節にでてくるだけです。なおルカ21章38節にも「民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝まだきに集まってきた」とあります。
[3]~[5]【律法学者とファリサイ派】この言い方は、イエスに敵対する者たちへの共観福音書の用語で、ヨハネ福音書の「ユダヤ人」にあたります。「真ん中に立たせる」は、裁判で尋問のために全員の中に立たせること。
【先生】原語は「ディダスカレ」で、共観福音書だけにでてくる呼び方です。ヨハネ福音書では「ラビ」とあり、「先生」という訳がつけられています(1章38節/20章16節)。
【姦通】原文は「姦通/姦淫の現場で」ですが、「罪(の現場)」という異読もあります。通常の姦淫の場合は、男女共に罰せられましたが、その仕方は特定されていません(レビ記20章10節)。タルムードでは「絞殺」となっています。しかし、婚約した女の場合でも、すでに結婚していると同じに見なされ、彼女が処女であった場合は特に厳しく、石打と定められています(申命記22章23~27節)。ただし、この規定は、今回の女性が社会的に見て具体的にどのような状況に置かれていたのかがはっきりしませんから、上記の規定が直接どのように適用されるのかが分かりません。この物語の趣旨から見て、ここで訴えられているのは、女性のほうではなく、むしろイエスのほうです。
 ユダヤが皇帝の直轄州にされていたイエスの頃は、ローマ皇帝の代官による裁定なしに、ユダヤ人同士が死刑を執行することは禁じられていました。だから、もしもイエスが、モーセ律法の通りに石で殺せと命じるなら、それは、ローマの法律に背いて殺人を教唆したことになりますから、処罰を免れることができません。逆に、もしも彼女を赦すならば、モーセ律法に従わなかったとして、人々の信用を落とすことになります。6節に「イエスを試して/罠にかけて」とあるのはこの意味です。
[6]【地面に書く】この原語は七十人訳では「登録する」の意味ででてきます。イエスが字面に何を書いていたのか?周囲の人たちの罪を告発するモーセ律法ではないか?など諸説がありますが、どれも憶測にすぎません。989年頃のアルメニアの写本では、「彼(イエス)自身が、地面にかがみ込んで、彼ら(訴える口実を得ようとする人たち)の罪を書き連ねていた。彼らは、自分の罪が石に書かれているのを見た」とあります。しかし、イエスが実際に何を書いていたかを判断することは困難です。人を死刑に処するときには、ローマの代官が、被告人と訴え出た者たちの見ている前で、判決文を書くことが当時の慣わしでしたから、ここでのイエスの振舞いは、この行為を真似ているとも思われます。律法学者たちは、イエスにローマの代官の役目を押しつけようとしています。それなら、彼らの思い通りに、その面前で代官のやるように判決文を書いて見せよう、というわけです。これは訴え出たユダヤ人たちへの痛烈なしっぺい返しになります。
[7]【罪を犯したことのない】この原語は、単に罪の行為を行なったことがないだけでなく、罪への欲望から自由であることをも含んでいます。「まず」とあるのは、申命記17章7節に、被告人の罪の証人となる者が「最初の石」を投げなければならないとあるからです。ここで見事な逆転が起こり、あっという間に、原告が被告になってしまったのです〔シュルツ『ヨハネ福音書』〕。
[8]イエスが地面に「彼ら一人一人の罪を書いていた」とある異読があります〔NRSV〕。
[9]9世紀の写本(Codex Cyprius)には「自己の罪責を自覚して立ち去っていった」とあります〔新約原典〕〔REB〕。
[10]~[11]【罪に定める】これは、裁判において「有罪にする」という意味です〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。しかし、「断罪」することだけでなく、人を内面的に「罪人とするように仕向ける」ことをも含むという解釈もあります。ここは、8章15節の「わたしはだれも裁かない」というイエスの言葉と響きあっているのでしょう。
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