【注釈】
■9章
 9章は、イエスと弟子たち、イエスと盲人、盲人とその隣人たち、隣人たちどうし(9節)、盲人とファリサイ派、ファリサイ派どうし(16節)、盲人の両親とファリサイ派、再度盲人とファリサイ派、再度イエスと盲人、イエスとファリサイ派のように、実に様々な出会いの場面で構成されています。これらの出会いを通じて、情勢は混沌として、何がなんだか分からなくなります。こういう混沌の中から、次第にはっきりしてくること、それは「真理」です。しかし、その「真理」は、これが「見える人」と「見えない人」との対立の中から浮かび上がってくるのです。
[13]【ファリサイ派】共観福音書のようなサドカイ派と律法学者との組み合わせでなく、ここでは、ただファリサイ派だけが登場します。ユダヤ教のファリサイ派は、エルサレム滅亡以後もなお活動を続けていました。しかもこの頃、イエスをメシアと信じるキリスト教徒に厳しい弾圧を加えていましたから、ここでヨハネ福音書の作者の念頭にあったのは、イエス時代のファリサイ派だけでなく、むしろ、ヨハネ共同体と緊張関係にあった当時のファリサイ派のほうでしょう。9章では、「光」が、ファリサイ派の「裁き」と出遭いますが、ここにもヨハネ福音書特有のアイロニー(皮肉)を見ることができます。キリストの光は、この世において輝くことによって、逆に彼らへの裁きになるのです(16章8節以下)。ギリシア語の「クリシス」(批判・裁き)は、「分離する」「分ける」という基本的な意味を含みます。ユダヤ教では、「光」は伝統的に「律法」を意味しました(ロマ2章19~20節)。「光」はまた終末の裁きをも示唆します。しかし、ヨハネ福音書で言う「光」は、終末での最終の裁きのことではなく、光を受けた人たちが光をどう受け止めるかによって、裁きが「現在」において生じるのです。その上で、ヨハネ福音書は、原初キリスト教の黙示性を一歩進めて、イエス・キリストは、ほんらい「裁きのために」来たのではないことを証ししようとするのです。
[14]【安息日】安息日制度は、ユダヤ人がバビロンでの捕囚から帰還した以後に発達しましたが、イエスの当時は、神殿制度と並んで、ユダヤ教の根幹を形成していました。安息日の医療行為は、人命に関わる場合以外は一般的に禁止されていました。目に唾を塗ることは医療の目的で行なわれましたが、安息日には、特に断食している人の唾を塗ることは禁じられていました。油以外のものは、医療目的で塗ることが禁じられていたようです。パン粉などを「こねる」行為も禁止されていましたから、イエスが唾で土をこねたのも「安息日違反」になります。現代から見れば愚かとしか言い様がないほど、細かな戒律や「律法」によってユダヤ教が成り立っていたことが分かります。5章のベトザタの池での癒し同様に、ここでもイエスが安息日に癒しを行なったのは、こういう「宗教的束縛」に対する「裁き」を表明すると考えられます。
[15]【尋ねた】これは、安息日違反など律法に関する是非を問う「訊問(じんもん)」のことです。しかし、物語の進行とともに、裁くはずのファリサイ派が、逆にイエスの業によって裁かれる事態が生じることになります。
[16]【その人は】原文は「その者は神に背いている、その男のことだ」です。癒しのしるしを行なったイエスをただの律法違反者としてしか見ていないことが分かります。尋問する側からするなら、たとえ奇跡やしるしを行なった場合でも、それが神の律法に背く場合には容認することができないのです(申命記13章2~6節参照)。偽預言者がしるしを行なうことはイエス自身もこれを認めています(マタイ24章24節)。しかし、ヨハネ福音書では、しるしは、時には批判されることがあっても(4章48節)、人がこれを見て信じるための証しとして与えられています(11章42節/14章11節)。
【どうして罪のある人間が】ヨハネ福音書で「罪のある人/人間」という言い方がでてくるのはここと24節だけです。律法は、安息日でも割礼を許しています。神のみ心からすれば、割礼を守ることのほうが安息日の定めに優先するからです。こういう解釈の仕方は、ラビたちの間でも認められ論じられていたことですから、たとえ安息日に癒しのしるしを行なっても、直ちにその人を「罪人」だと判定することはできないのです。ここでヨハネ福音書は、ヨハネ共同体の時代のラビの一派の主張を語らせているのかもしれません。
【意見が分かれた】安息日での律法違反の規定を適用するかどうかよりも、イエスの行なった「しるし」それ自体に対する評価が、ファリサイ派同士の間で分裂したのです。7章43節では、イエスの言葉を聞いた群衆が分裂し、10章19節では「ユダヤ人」の間で分裂が生じます。おそらく10章19節での分裂は9章の癒しの結果でしょう。9章18節では、それまでの「ファリサイ派」が「ユダヤ人」になっていますから、10章の「ユダヤ人」と同じで、二つの用語が交換されながらユダヤ教の指導者たちを指しています。この16節で始まった分裂の溝は最後まで埋まらなかったようです。すでに6章66~68節で見たように、ヨハネ福音書では、イエスをめぐる人々が段階的に「選別され」ます。しかしながら、この選別が、さらに多くの人たちへの招きと救いへ広がる不思議な逆転現象が生じることも見逃すことができません。
[17]【どう思うのか】指導者たちは、イエスが彼の目を開けたことをまだ信じていません。だから、イエスが違反したことの確証を得るだけでなく、さらに、癒された当人にも律法違反の罪がないかどうかを尋問しています。「安息日に土をこねた」ことが、律法違反としてイエスを「罪人」だと断定する根拠です。それだけでなく、癒された人は、律法を破った人(イエス)を預言者と認めている点でも非難されます。律法からみれば、イエスは預言者ではありえないと言う。癒された人からみれば、しるしを行なったならば、彼は罪人ではありえないと言う。事実を優先させるのか、教義的論理を優先させるのか? この問題をめぐって、ラビたちの間でも、ヒレル派とシャンマイ派の間に考え方に違いがあったと言われています。したがって、もし癒しが<事実でなかった>ことが証明されるか、イエスが<罪人である>ことが証明されるかすれば、イエスは預言者では<ない>ことの証明になります。ファリサイ派が、癒しが事実かどうかをしつこく尋ねるのはこの理由からです。裁きを行なう彼らのほうが、イエスの行なった「神の業」と対立することで、逆に「裁かれる」結果になるのです。
【預言者です】ここでは冠詞がありませんから、6章14節にでてくる「モーセが預言していた預言者」のことではなく、サマリアの女の場合と同じように(4章19節)一般的な意味で「預言者」と言ったのです。
[18]【ユダヤ人】ここで「ファリサイ派」が「ユダヤ人」に変わりますが、ここで言う「ユダヤ人」は、イエスを十字架刑にしたユダヤ教の指導者たちのことで、これにヨハネ共同体の頃のファリサイ派の指導者が重ね合わされます。
【両親を呼び出して】原文は、「その人の両親を呼び出して〔確かめる〕までは、ユダヤ人は彼の言うことを信じなかった」です。「目が見えるようになった」が繰り返されているのは、アラム語の用法からでしょう。この執拗とも思える尋問は、神からのしるしを与えられる人が律法違反にあたることが、ファリサイ派の指導者たちにはどうしても納得できなかったからです。宗教的な教義と現実の霊的な働きとの間には、常にこのような溝が生じます。
[21]【もう大人】原文は「自分のことは自分で話せるほどの年齢」という意味です。ユダヤ教で法的に責任がとれる年齢は13歳以上でした。両親は、ファリサイ派の指導者が、癒しが事実でないと自分たちから言わせようとしていることを察知したのです。両親は、息子が盲目でなかったと嘘の証言をするか、あるいは息子が癒されたと証言して追放の恐れに遭うか、この狭間に立たされて、どちらとも答えることができません。だから、彼らからは曖昧な返事しか得られません。「神の業がその人に現われるため」とイエスは言いました。しかし、癒しが起こっても、それが「神の業」であることが、ファリサイ派にも、おそらく両親にも見えていません。自分たちの教義や人への恐れにおびえていて、「神の業」が見えないからです。
[22]【イエスをメシアであると】80年頃から115年頃にかけて、ヤムニアでユダヤ教ファリサイ派の指導にあたったガマリエル2世のもとで、ユダヤ教の会堂に属しながらイエスを信じている者たちを発見する方法が決定されました。それは、嫌疑をかけられた者に、礼拝中に十八祈祷を唱えさせることです。これの第12項で、背教者や横暴な支配者に対する「呪いを唱える」ことが要求されていましたが、その中に「ナザレ人〔キリスト教徒のこと〕と異端者」の句が加えられていたのです。この祈りを口ごもった者はキリスト教徒として会堂から追放されたのです。
【会堂から追放】イエスを信じる者が会堂から追放される例はルカ6章22節にもあります。しかし「会堂追放」という言葉が表われるのはヨハネ福音書だけで、ここと12章42節と16章2節です。当時のユダヤ教の会堂追放の規定はよく分かっていませんが、ほぼ次のようではなかったかと言われています。
(1)1週間の会堂追放で比較的軽いもの。
(2)30日間の公式の追放で、この間イスラエルの人との交わりが断たれます。ただし、宗教的な行事には参加を認められたようです。この処置はさらに延期される場合がありました。
(3)イスラエルからの永久追放で、ユダヤ教の指導者たちによる厳かな呪いを伴うもの。
 しかし、実際の処置は、これほど判然と区別されたものではなかったようです。第三の処置は最も厳しいもので、神への冒涜やユダヤ教への異端などがこれに該当し、「ナザレ人と異端者」もこれに当たるものでした。ヨハネ福音書が言う「会堂追放」も、これに近いものだったようです。
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