5章17節の安息日問題で、イエスは、父が働いておられる間は、自分には安息はないと言います。6章の過越の祭りで、イエスは、自分が「命のパン」であると言います。光の祭りとも呼ばれる仮庵の祭りでは、自分を「世の光」(7章12節)として顕します。9章で、安息日と律法が問題になると、イエスは、自分を律法に代わる「人の子」として顕します(マルコ2章27~28節参照)。ここ10章の神殿奉献祭では、イエス自身が、神に「捧げられた」者、すなわち神に「聖別された」神殿であり人類の執り成しを行なう大祭司であるとヨハネ福音書は証しするのです。ヨハネ福音書では、このように、ユダヤの祭りあるいは祭儀によって、イエスこそ、これらの祭儀に取って代わる存在であることが証しされます。言い換えると、そこには、旧約の祭儀に代わるイエスの到来という「置き換えの論理」が働いているのです。
[37~38]イエスは、自分を通じて働く父なる神の業を観るように告げます(14章11節を参照)。その業を観て、イエスの父がどのように大きな出来事を成就しているのかが分かれば、イエスが「神の子」であることが、自然と洞察できるからです。ただし、ヨハネ福音書は、奇跡や癒しの業それ自体を重視するのではなく、それらは、いわば、イエスが父から遣わされたことの「しるし」と見なすのです。「しるし」は、これを見る人の霊的な深さに委ねられますから、ヨハネ福音書は、「しるし」を観ることによって、イエスが父から遣わされた「神の子」であることを人は「知って、悟る」と言うのです。
イエスの時代のユダヤ教では、「神の使い」とは、イザヤやエレミヤなどの預言者たちから区別されて、特別に「しるし」となる奇跡を行なう人を指すことがありました。たとえば、エリヤ、エリシャなどが、これにあたります。しかし、ここでイエスが言うのは、このような狭い意味での「神の使い」ではなく、世の救い主として遣わされたメシア・キリストのことです。また、ここでのイエスの働きとその「しるし」は、イエス在世当時だけでなく、ヨハネ共同体のイエス・キリスト観とも重なります。
【知って、悟る】「知って」は接続法のアオリストで物事の始まりを表わし、「悟る」は接続法の現在で物事の継続を表わします。だからここでは、イエスの働きを観て、そこに父のみ業を「見いだし」、そうすることによって、さらにイエスの働きの意味を悟るようになるという意味です。
[39]【イエスを捕らえようと】7章30節/8章20節/同59節でも同じことが語られます。「イエスの時がまだ来ていなかった」と言おうとしているのです。「イエスの時」については、7章6節とその注釈を参照してください。39節は大事な区切りになっています。ここで、ユダヤ人の指導者たちとの対決が終わり、11章からは、ラザロの復活が語られ、これに続いて受難週の出来事へ入ることになるからです。
[40]この節から42節までは、39節までの結末と見ることも、ここから次のラザロの復活の物語が始まると見ることもできます。「ヨルダンの向こう側」とラザロのいるベタニアとは、距離的にずいぶん離れているので、ここはやはり、11章と切り離すほうがいいと思います。
【ヨルダンの向こう側】1章18節に、「洗礼者が洗礼を授けていたヨルダンの向こう側、ベタニア」とあり、これはヨルダン川の東のペレア地方のことです。1章28節の「ベタニア」は、「ベタバラ」など幾つかの異読がありますが、11章のエルサレム近くのベタニアのことではありません。おそらくイエスは、ユダヤ人の指導者たちの追求を逃れるためにペレアに渡ったと思われます。しかし、ここは、イエスが洗礼者によって洗礼を受けた場所でもあり、エルサレムでの受難を前にして、もう一度宣教活動の出発点へ戻ったとも考えられます。
[41]【ヨハネは何のしるしも】洗礼者は、メシアの到来を告げる「荒れ野で叫ぶ声」として、奇跡やしるしなどをいっさい行ないませんでした。洗礼者については、1章19~36節/3章22~30節/5章33~35節に出ています。記事がだんだん短くなっていくのは、1章での洗礼者の祭司たちに対する返事と同じで、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」ことを表わしているのでしょうか。「多くの人が」とあるのは、洗礼者の弟子たちのことかもしれません。洗礼者宗団とヨハネ共同体とはつながりが深く、ヨハネ福音書が書かれた頃にも、洗礼者の宗団は、まだ活動を続けていたと思われます。その中から、多くの人がヨハネ共同体へ参入したことが、この節の背景になっていると見ることができます。
[42]かつての洗礼者の弟子たちは、洗礼者がイエスについて証ししたことが正しかったことをあらためてここで確認して、イエスを信じるようになったのです。
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