【注釈】
■ラザロの「しるし」
 ここで語られるラザロの身体的なよみがえりは、マルタが24節で告白した「終わりの日の復活」とは、対照的な出来事です。ヨハネ福音書は、終わりの時の復活をいわば今の時に移し替えて、イエスによる「復活のみ業」が、現在すでに生じつつあることを語っているのです。終末が現在に「入り込んでくる」このような事態は、「現在を終末化する」と言ってもいいでしょう。イエスが「神の国は近づいた」(マルコ1章15節)と言う時の「近づいた」も「すでに始まっている/来ている」の意味を含みます。ただし、この言い方は、「終末はすでに来てしまった」、したがって終末はもう来ないという誤解を生じますから、注意しなければなりません。だから、ラザロが墓から出てきたことは、単に身体的に蘇生(そせい)したのではなく、イエスによる「新しい創造」が行なわれる「しるし」だと理解することが大事です。イエスがユダヤへ赴くことは「死に向かう」ことであり、これがラザロの復活を起こし、イエスは「その死によって死に勝った」ことを証しするための「しるし」です。この意味で、ラザロの「よみがえり」は、イエスの「復活」と重ね合わされています。二人の命は別個ではありません。二つが一つになって初めて、霊的に永遠の「命」が成り立つからです。
 
 そこで、祭司長たちが集まって言った。「この男は多くのしるしを行っている。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の聖なる場所とわが民族を滅ぼしてしまうだろう。」彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「一人の人間が、民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが(あなたがたに)好都合だ。」そこでこの日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。
 大祭司の言葉は、ラザロのよみがえりが表す「死と復活」の「しるし」自体が、イエスの受難の原因になることを告げています。イエスが「自ら進んで」死へ赴くにつれて、死と闇の力も働き始めるのです。「我々の聖なる場所」(エルサレムとその神殿)とあるのは、イエスの受難が、何よりもまず「宗教的な」犠牲であることを明らかにします。しかも、この受難は、「散らされている<神の子たち>を一つに集めるため」です。「神の子たち」は、ユダヤ民族だけでなく、受難の意義が全人類に及ぶことを意味します(1章12節)。善い羊飼いが、羊のために命を捨てるのは、「この囲いに入っていない羊たち」(10章16節)のためでもあります。
 11章では、始めに弟子たちの口を通してイエスの死が語られ、終わりに大祭司の口を通してイエスの死が決定されます。こうしてラザロのよみがえりが、イエスの業であるだけでなく、イエスの「犠牲の死」をもたらす業であることがはっきり浮かび上がるのです。
■11章
[38]【再び心に憤りを覚えて】「再び」とあるのは、33節の後に、36~37節のユダヤ人たちの言葉が挿入されたために、もう一度繰り返したのです。37節で語られるユダヤ人たちの不信仰のために「再び憤った」という解釈もありますが、「憤り」の持つ意味は33節と変わらないでしょう。ユダヤ人を含む周囲の悲しみによって、イエスはいっそう強く霊的に動かされたのです。36~37節は、ユダヤ人キリスト教徒の編集による「しるし福音書」から出ていると見る説があります。そうだとすれば、イエスは、ここにいるユダヤ人たちと一緒に「激しく霊に感動した」ことになります。
【墓は洞穴で】「洞穴」とあるように、墓は大きな洞窟のようになっていたので、大きな(円形の)石が引き戸のように立てて、はめ込まれていました。これは獣や墓荒らしから死体を守るためでもあり、死体の汚れと腐敗を閉じこめる意味もありました。したがって、墓は、通常、町から離れた所にありました。
[39]【石を取りのけなさい】「取りのける/取り除く」とある動詞は、共観福音書では「(横方向に)転がす」が用いられています(マルコ16章4節)。しかし、ヨハネ福音書では、イエスの墓の入り口の石の場合でも、おそらく意図的に「取りのける」が用いられていますから(20章1節)、墓に象徴される死と闇に「打ち勝つ」という意味が込められているのでしょうか。38節からは、このように、ラザロのよみがえりが、イエスの復活と重ねられています
【死んだラザロの姉妹マルタが】「死んだラザロの姉妹」が欠けている異読があります。この句は後からの挿入でしょう。なお「死んだ」とある原語には「息を引き取る」という動詞の完了形が用いられています。「息をすでに引き取った者の姉妹」(原文)というこの言い方は、「死者の姉妹」という通常の言い方を意図的に避けているように思われます。29節からのマリアの存在に代わって、ここで、再びマルタが登場します。もとの物語では、イエスの命令から直ちに41節につながっていたのでしょう。マルタの登場は、彼女の発言によって40節のイエスの言葉を引き出すためです。
【もうにおいます】ラザロの埋葬には、富裕な人たちがするように、高価な香料を用いた防腐が行なわれていなかったのでしょう。44節参照。
[40]【もし信じるなら、神の栄光が見られる】原文は「あなたが信じるなら、神の栄光を見るようになる」です。先にイエスは、弟子たちに向かって、ユダヤへ行くのは「栄光を受けるため」と言いました(4節)。「栄光」は奇跡/しるしをも指しますが、ヨハネ福音書の「神の子が栄光を受ける」(4節)は、イエスの十字架とこれに続く復活をも意味します(12章23節参照)。この言葉は、イエスとマルタの先の対話には出てきませんでした。それが、今ここで、マルタに向かって告げられます。これから起きることが、単なる「しるし/奇跡」ではなく、イエスの受難と復活に重ねられて、イエスの栄光の予兆となることを告げるためです。
 ヨハネ福音書の「神の栄光を見る」は、イエスのうちに「父の神の神性を観る」という意味です(1章14節)。カナの奇跡では、弟子たちは「栄光を見て」、その結果「信じる」ようになりました(2章11節)。ところが、ここでは、「信じるならば、神の栄光を見る」のですから、順序が逆になります。先には、しるしを見てイエスの神性を信じるようになり、ここでは、イエスの神性を信じることによって、さらに高い「神の栄光」(十字架から昇天まで)を観るのです。イエスの復活の命は、イエスの神性を「観て信じる」ことに始まるからです。
 先のマルタとの対話で、イエスは、「イエスの言う意味での」復活の命を信じるか? こう彼女に問いました(26節)。ここでは、それよりも高い次元で、「神の栄光を観る」ことを信じるかと、マルタ(と周囲の人たち)に問うのです。繰り返しによって、より高い啓示にいたるヨハネ福音書の語り方をここにも見ることができます。なお「栄光を見る」という言い方はイザヤ書40章5節にさかのぼるのでしょう。
[41]【天を仰いで】原文は「目を上にあげて」。ユダヤ教では、通常エルサレム神殿の方を向いて祈ることが多かったようですが、目を上げて祈ることも行なわれました(詩編121篇1節)。イエス以後のキリスト教では、「目を(天に)上げる」祈りが一般的になったようです(ルカ18章13節の徴税人の祈りは、反対の例ですが、ここでルカは「目を天にあげる」祈り方をユダヤ教だけでなくキリスト教にも共通するものとしています)。イエスが「天を仰ぐ」祈りは、特に、パンの奇跡に際して表われます(マルコ6章41節)。またイエスが「感謝する」(エウカリストー)も、同じくパンの奇跡で表われます(マルコ8章6節/マタイ15章36節/ヨハネ6章11節)。パンの奇跡は、聖餐を表わしますから、「天を仰ぐ」と「感謝する」は、教会での聖餐(エウカリスティア)に際して、聖餐を司る者が行なう仕草を想起させます。今回は聖餐と直接関係しませんが、イエスが6章53~56節で語られていることを考えあわせると、イエスの血と体を受ける聖餐が、ここでのよみがえり/復活と重ね合わされていると見ることができます。ここを「目を天に上げて」と読む異読もありますが、「天に」は、おそらくこの聖餐の動作から、後で加えられたと思われます。このようにして、ラザロのよみがえりは、イエスの受難と贖いの愛から出る罪の赦しと、復活における創造とが一つに溶け合う「しるし」なのです。
【父よ】旧約では、神を「父」と呼ぶ例はありません。これに対して、イエスの場合は、神に向かって「お父さん」(アッバ)と呼びかけて、深い信頼と霊的な交わりを表わしています(マルコ14章36節)。イエスは、自分が父の神から「生まれた」者であることを御霊の交わりを通して深く自覚していたからです。生と死を超えた存在である神とのこのような親しい信頼と交わりこそ、旧約聖書が追求してきたことであり、イエスによって成就された神との霊的な人格関係です。御霊にあるこのような深い交わりは、キリストを信じる人たちに受け継がれて、パウロも「アッバ」と父の神に呼びかけています(ローマ8章15節/ガラテヤ4章6節)。特にヨハネ福音書には、イエスの「父」が100回以上出てきます〔新共同訳〕。イエスは、「父のみ名」によって来たのであり、父のみ業を行ないます(10章25節)。「み業」は復活の命を与えることも含みます(5章20節)。イエスがみ業を行なうのは、自分を父に明け渡して、父への愛から、自発的に父の御心に従うからです(10章18節)。このようなイエスと父の御霊にある交わりこそ、イエスを十字架の受難と栄光へ導く原因にもなっています(5章18節)。
【聞き入れてくださって感謝します】イエスは、すでにラザロのことを祈って来ていたのです。「お父様、まだお願いしないのに、もうわたしの願いをきいてくださったことに感謝します。願わずともいつもわたしの願いをきいてくださることをわたしはよく知っております」〔塚本訳〕。なおマルコ11章24節を参照。ここでの祈りが、「願い」ではなく感謝であることに注意してください。ヨハネ福音書が「しるし」としての奇跡を語る際の最も深い祈りがここにこめられています。
[42]【知っています】イエスと父との交わりは「語らずして」その思いを知ることができる人格(ペルソナ)的な交わりです。ヨハネ福音書はこの関係を「父を知る」「子を知る」と言い表わしています。
【こう言うのは】原文は「言ったのは」。イエスは、大声で、「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています」と、叫ぶように言ったのです。イエスが、このように言葉に出したのは、「近くに立っている人たち」(原語の意味)への証しのためです(12章30節を参照)。共観福音書では、イエスの奇跡は、周囲の人たちから「力ある不思議なみ業」として見られています。これに対して、ヨハネ福音書では、イエスのしるしと力が「父から」出たものであること、そのしるしが、イエスと父との深い信頼関係から生じていることを人々に語るのです(ただしルカ10章21~22節も、ヨハネ福音書のここと共通します)。この意味で、ヨハネ福音書の神学は、「キリスト中心」と言うより「父の神中心」だと言えます。
[43]【ラザロ、出て来なさい】原文は「ラザロよ、さあ、出てきなさい」。イエスが「大声で」発言するのは、御霊に促されて大事なことを語る場合です(7章37節)。
[44]【死んでいた人】39節と異なりここでは「死人」という言い方です。
【布で巻かれたまま】包帯のようなもので、両足と両手がぐるぐる巻かれていたのです。39節に「すでににおう」とありますから、香油と日常の香料などを塗って、体を布で巻いただけだったのでしょう。そんな身動きのできない状態でどうして出てこられたのかといぶかる学者もいますが、これも不思議のうちに入るのでしょう。
【顔は覆いで包まれて】「覆い」とある語はラテン語からで、汗を拭くハンカチのようなものです。このような「覆い」は、貧しい人たちの埋葬を思わせます。「顔の表情は布きれで隠されたまま」というのが原文の意味に近いでしょうか。ここはイエスの埋葬と比較されます。イエスの場合、「亜麻布」の帯状の布で巻かれていたとあります(19章40節)。「ユダヤ人の習慣に従って」とあるから、ラザロの場合も同様だったと思われます。クムラン宗団の戦士たちが終末の闘いに臨む時に「麻の衣」をまとうとありますが、この表象は、ヨハネ黙示録にいたるまで続いていて、「麻の衣」は「聖なる正しい行ない」を表わすとあります(黙示録19章8節)。「亜麻布」にもこれと類似の意味があったのでしょう。また、イエスの顔覆いも、ラザロの場合と同じです(20章6~7節)。ただし、イエスでは、顔の覆いも体の包帯も、くるんで空の墓に残されていました。この点がラザロの場合と異なります。これは死体が盗まれたのではないことを示すためでもあったのですが、それ以上に、イエスの復活の体は、もはや二度と墓に戻ることがないことを意味していると思われます。
■最高法院の決定
 11章47~53節の最高法院の場面は、マルコ14章1節~2節に相当します。しかし、マルコ福音書と違って、ヨハネ福音書では、この部分も一つのまとまった内容として語られます。ヨハネ福音書は、イエスの奇跡を「しるし」として編集した「しるし福音書/資料」と「受難物語」のふたつを軸として構成され編集されていると考えられていて、11章全体は、「しるし福音書」と「受難物語」が連結する重要なところで、ここは45~46節によってラザロの物語と結ばれています。最高法院の場面は、ラザロのよみがえりの結びになると同時に、ここでイエスの処刑が正式に決定されますから、受難物語の始まりともなります。
 おそらく、もとの受難物語では、共観福音書と同じように、イエスの処刑を決定するこの最高法院の場面の前に神殿の浄めが置かれていたのでしょう。ところが、ヨハネ福音書は、神殿の浄めを2章に移して、イエスの処刑の直接の原因として、ラザロのよみがえりを置くのです。ここにヨハネ福音書の神学的な意図がはっきり読み取れます。
[45]ここから、ラザロのよみがえりに続く最高法院の場に移ります。ここにも、編集を通じて、ヨハネ福音書の特長がよく表われています。共観福音書では、イエスが逮捕されてから、まず時の大祭司カイアファのもとで、最高法院の裁判にかけられます。ところが、ヨハネ福音書では、イエスは、まずカイアファのしゅうとであるアンナスのもとへ送られます(アンナスは「大祭司」と呼ばれていますが現職ではありません)。このために、ヨハネ福音書では、カイアファによる最高法院の場面がほとんどありません(ただし18章24節参照)。11章後半のこの部分が、共観福音書のカイアファの裁きに当たることになります。
【ユダヤ人の多くはイエスを信じた】マリアの家に来ていたユダヤ人の中で、イエスの行なったことを「しるし」として「認めて」(「目撃した」とある意味)、イエスを信じた者が多かったという意味です。しかし、信じない者もいました。ヨハネ福音書では、「イエスを信じる」ことが、一律ではなく、そこにも段階があり、「信じた者」たちがイエスから離反する場合もあれば(8章31~33節)、中途半端な状態にある者もいます。それは、「しるし」それ自体が、信仰へ導くしるしともなり、同時に敵対へのしるしともなり、分裂が生じるからです(10章19~21節)。したがって、大祭司を初めとする最高法院がイエスの処刑を決定したその根底には、イエスの行なう「しるし」に決定的に躓いたこと、すなわち彼らの不信仰がその原因であることが分かります。なお「マリアのところに」とあってマルタが抜けているのは、もとの伝承のままだからです。
[46]ファリサイ派に通告したのは、イエスに敵対する人たちであったと見ていいでしょう。共観福音書では、イエス逮捕の直接のきっかけは、イエスの行なった神殿での浄めの業です(マルコ11章18節)。共観福音書では、イエスは、エルサレム神殿とこれを中心とするユダヤ教の制度全体に対する冒涜と反逆のかどで逮捕されます。ところが、ヨハネ福音書では、復活の命を与える父の神の子として、イエスがそのしるしの業を行なったことが、逮捕につながるのです。この業が「自分を神と等しくしている」(5章18節)と見なされて、神への冒涜の罪に問われたのです。同時に、イエスの「栄光を受ける時」が、いよいよ到来したことも大事な要因です。
[47]【祭司長たちとファリサイ派の人々】イエスの時代のユダヤの最高法院は、大祭司が招集し、祭司団の長たちと長老たちと律法学者たち(ファリサイ派)、さらに有力な市民のおよそ70名で構成されていました(マルコ14章43節参照)。祭司長たちは、最高位の祭司たちで、貴族階級に属する大地主たちでした。彼らにはサドカイ派が多く、ファリサイ派は少数でした。ただし律法学者たちにはファリサイ派が多かったので、ファリサイ派の意向がなかったならば、イエスの逮捕は行なわれなかったかもしれません。ヨハネ福音書は、ここで、イエス当時の実状ではなく、エルサレム陥落以後も、ユダヤ教の指導層として活動を続けていたファリサイ派をも念頭に置いています。当時のヨハネ共同体は、ファリサイ派と宗教的に厳しい対立関係にあったので、そのことがここに反映しているのでしょう。ヨハネ福音書が言いたいのは、この階層の人たちがイエスを殺そうとしたことです。だから、54節でも、「ユダヤ人」は「ファリサイ派」と同じ意味です(9章13節/同18節)。なお文頭の「そこで」は、本来は神殿浄めの記事に続いていたのかもしれません(54節の「そこで」の繰り返しに注意)。
【多くのしるしを行っているが】ここは「いったいわれわれはなにをしているのだ。この者がいろいろ奇跡をやって見せているというのに!」と読むこともできます〔岩波訳〕〔バレット『ヨハネ福音書』〕。ここで祭司長たちが言う「しるし」は、いわゆる「不思議/奇跡」の意味です。ヨハネ福音書でイエスが行なった「しるし」は「多い」とは言えませんから、これはしるし福音書の文言のままの句でしょうか。
 聖書では、自然と超自然の区別がまだはっきりしなかったから、現代の「奇跡」に当たる言葉はありません。「力ある業」「不思議」「しるし」が、現代の「奇跡」に相当します。ただし、共観福音書では、「しるし」と「力ある業/不思議」とは同じではありません。また「しるし」は必ずしもよい意味ではありません。「しるし」は、しばしばイエスを信じない者たちから要求されます(マタイ12章38節)。
 ヨハネ福音書でも4章48節の「しるし」がややこれに近いと言えます。また偽預言者も「しるし」や「力ある業」や癒しの奇跡を行ないます(マタイ7章22節/同24章24節)。ここで祭司長たちが言う「しるし」もおそらくこの意味でしょう。ヨハネ福音書では、「しるし」は、それ自体で信仰を生み出す働きをしますが、その逆もありえます。この意味での「しるし」は、旧約聖書で言う「しるし」の意味に近いと言えましょう。これにはヨハネ福音書が、ユダヤ人キリスト教徒の編集になる「しるし福音書」を基にして成立したという事情があります。ヨハネ福音書では、共観福音書の言う「奇跡/力ある業」に比べると、終末に生起する神の出来事が現実していることの「しるし」の意味を帯びてきます。言い換えると、イエスの行なう「しるしそれ自体に終末が含まれている」と言えましょう。なぜならヨハネ福音書では、そもそも、イエスの到来それ自体が、終末の実現を啓示する「しるし」だからです。このような「しるし」理解は、ユダヤ人キリスト教徒たちが待ち望んでいた「終末に到来するユダヤ教ほんらいのメシア」として、イエスとその業とが理解されていたからです。
[48]【皆が彼を信じる】12章11節を参照。大祭司は、「皆がイエスを信じる」ようになることを恐れています。自分たちの宗教的な権威と権力が脅かされるからです。ローマ人のことは、これに付随して生じる政治的な結果として懸念されているのです。
【我々の神殿も国民も】原文は「わたしたちのところも民族も」。「わたしたちのところ」は、エルサレムとその神殿のことです(4章20節)。「民族」はユダヤ民族です。この福音書が書かれたのは、エルサレムの滅亡(紀元70年)以後のことですが、イエス在世当時の頃でも、ここで語られているユダヤ人の不安には、十分根拠があったと考えられます。だから、イエスの頃には、アッシリアによる北王国イスラエルとバビロニアによる南王国ユダの滅亡の記憶が、ユダヤの指導者たちを恐れさせたことは十分考えられます。それらはほとんど「皆殺し」に近く、ユダヤ人がかろうじて生き延びたのは、ほとんど奇跡に近かったからです。
 ただし、ここには、ヨハネ福音書の皮肉がこめられています。なぜなら、彼らが避けようとしたまさにそのことが、彼らに降りかかることになり、エルサレムはローマ軍によって破壊され、ユダヤ民族は離散し、貴族階級は滅亡し、しかも、イエスへの信仰は、いっそう広まったからです。
[49]【その年の大祭司カイアファ】18章13~14節にあるように、カイアファはアンナスの義理の息子でした。アンナスが大祭司の職にあったのは紀元6年~15年?です。シリアに駐在していたローマ総督グラトスは、彼を退位させて、カイアファを大祭司としました(紀元18年)。カイアファは20年近くも大祭司の職にありましたが、紀元36年に、シリアの総督ウィテリウスによって退職させられました。ピラトは、カイアファの在任中に、ユダヤの代官に任ぜられましが、カイアファと同じ頃にウィテリウスによって更迭されています。大祭司職は、ユダヤの律法では終生職でしたが、このように、ローマの意向によって退職させられたり任命されたりしたのです。ヨハネ福音書が「その年の」という言い方を繰り返しているのは(11章51節/18章13節)、ユダヤのほんらいの慣習を知らなかったのではないかという説がありました。しかし、ヨハネ福音書の言う「その年の」は、イエスが十字架にかかる最も重要な「その年に」大祭司であったという意味です。大祭司の最も重要な職務は、大祭司だけが、年に1度神殿の至聖所に入り、民全体の罪の贖いのために、贖罪の献げ物を捧げることでした。今この職が、イエスの十字架の贖いによって「廃止」される時が来ているのです(ヘブライ9章6~14節)。ヨハネ福音書は、このような神の時が訪れたことを念頭に置いて「その年の」と言うのです。大祭司としてのカイアファの口から出た「預言」の意味も、このことを考えるといっそう意義深さを増します。なお、ヨハネ福音書は、アンナスをも「大祭司」と呼んでいます(18章19節)。これも作者が当時の事情を知らなかった理由の一つにあげられていましたが、実際は、アンナスは、退職した後も息子を通じて影響を及ぼしていましたから、彼は「大祭司」と呼ばれていました。ヨハネ福音書の筆者や編者は、事情を知らなかったのではなく、逆に当時の実状を熟知していたことが分かります。
【何も分かっていない】「お前らは、何をぐずぐずしてるんだ!」というのが原意です。大祭司は貴族階級でサドカイ派が多く、サドカイ派は、言葉使いの荒っぽいことで知られていました。ここにも、彼らの横柄な口ぶりがうかがわれます。カイアファがピラトと同じ頃に退職させられたのは、二人の間で役職に絡む利権の癒着があったことも関係しているのでしょう。大祭司は、イエス処刑の法的根拠などは、全く無視しているのです。
[50]【あなたがたに好都合】共観福音書の場合もそうですが、ここでも、イエスの処刑の責任がユダヤの最高法院にあることが、はっきりと明示されています。ここでヨハネ福音書は、大祭司の口を通して、イエスの受難が「民のため/代わり」であり「すべての神の子たち」のためであると語らせていて、受難の意義を神学的にはっきり示しています。
 ただし、ここでの大祭司の言葉には二重の意味がこめられています。大祭司は、ユダヤの政治的かつ宗教的な最高権力者として、イエス一人を犠牲にすることによって、自分たちの身の保全とユダヤ全体の安定を意図して発言しています。ところがヨハネ福音書から見ると、彼の発言は、彼自身の全くあずかり知らぬ意味で「正しい」のです。イエスは、確かに「民のために死ぬ」からです。それは、「イエスを信じる民がひとりも滅びない」ためです(3章16節)。これはユダヤ人だけでなく、すべての人にとって「益になること」であり「みんながそのことで助かる」(「好都合」の原意)出来事です。だからここでの「好都合」には、政治的に見て「都合がよい」「利益になる」「うまくいく」という意味と、「みんなのためになる」「みんなが救われる」という霊的・神学的な意味が重ねられているのです。なお「あなたがたのために」を「わたしたちのために」と読む異読があります。おそらくこの「わたしたちのために」は、ヨハネ福音書のこういう視点から見た意図を汲んで後から訂正されたと思われます。前節に「お前らは」とありますから、これに続いてカイアファは、そのほうが「お前らのためにいいんだぞ」と言いたいのです。先に述べたように、彼の発言は、ヨハネ福音書から見ても全く正しいのですが、この発言は、カイアファ自身が意図していたこととは、全く逆の結果を招くことになり、サドカイ派もユダヤの国も滅びることになります。カイアファは、彼自身の決断によって、彼が最も恐れて避けようとしたまさにそのことを彼らの身に招くことになるのです。
[51]【預言して】大祭司には預言の霊が与えられるという伝承がありました。しかし、ここで言うのは、カイアファがそのように霊感されて語ったという意味ではありません。そうではなく、彼自身は、ユダヤ人の政治と宗教の最高権力者として、イエスを処刑する決断をくだしたのです。だから神は、彼自身の知らないところで、大祭司として彼を「用いた」ことになります。「自分の考えから話したのではない」というのはこの意味です。ただし、イエスもまた「自分の考えから話したのではない」とあります(14章10節)。カイアファは、自分の考えを話していると思っていますから、それが「自分の考えからでない」意味を帯びていることを「知らない」のです。ところがイエスは、「自分から話しているのでない」ことを自分で「知っている」のです。そうとは知らずに神に「利用される」者と、知っていて神に「用いられる」者とがいることが分かります。
【国民のために死ぬ】原文は「イエスは今まさに民のために死のうとしている」という意味です。
[52]【散らされている神の子たち】南北の王国が滅びて、イスラエルが捕囚の状態にあった時に、「散らされた民」が再び一つになる時が来ると預言者たちが語りました(イザヤ43章5節/エレミヤ23章2~4節/エゼキエル34章12節)。旧約では、「主の日」が到来する時には、異邦の諸民族からも、人々が主ヤハウェのもとに集められると預言されていました(イザヤ56章6~7節/ゼカリヤ14章16節)。新約聖書でもこの伝統が受け継がれて、キリストを信じる人たちが、あらゆる民から一つに集められるよう呼びかけられています(ヤコブ1章1節/第一ペトロ1章1~2節)。新約聖書の呼びかけは、現在進行中のこととして語られていて、これの成就は終末の時に実現するとされています(黙示録21章26節)。
 ヨハネ福音書で「神の子たち」とあるのは、ここと1章12節だけです。ここでヨハネ福音書が言うのは、イエスの死と復活が、あらゆる民に働きかけて、イエスの御霊の働くその場において、ひとつの民を実現させるという意味です。なぜなら、イエスの十字架と復活は、「そのこと」がすでに実現したと「世の人たちに」証しするためだからです(17章20節以下)。だから、これは異邦の民をも含む旧約の預言の成就に近い考え方だと言えます。ただし、10章16節には、「わたしはほかの羊も集めなければならない」とあり「一人の羊飼いと一つの群れになるであろう」とありますから、未来に向けての終末的な視点も含まれています。グノーシス思想では、「すでに真理を宿している」者たちだけが集められます。ヨハネ福音書にもこの思想があると見る人がいますが、1章12節にあるように、イエスのみ名を信じる「すべての人に」、「神の子となる」<資格が授与される>というのがヨハネ福音書の見方です。
[53]【この日から】イエスの処刑がここで正式に決定されたからです。
[54]【エフライムという町】ある異読には「荒れ野に近いサフリーム地方でエフライムという町」とあります。「サフリーム」というギリシア名は、ヘブライ語の「エフライムという名のところ」から出ています。これは、歴代誌下13章19節の「エフラインとその周辺の村落」と一致すると考えられます。このことから判断すると、これは、エルサレムの北方にあるベテルの北東に位置する所(現在のエツ・タイーベ)と推定されます。ベテルから山腹を北へ迂回した道がエフライムまで続き、そこから「荒れ野」を通ってエリコへいたる道がありました。イエスは、弟子たちと共に、「ユダヤ人の間」を逃れて、サマリアへ退いて、そこから過越祭に合わせてエルサレムへ上ったのです。
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