[57]【祭司長たちとファリサイ派】11章47節を参照。
■12章
12章全体の区分は、主としてギリシア語原典に準じています(新共同訳も同じ)。ただし、ギリシア語原典では、9節~11節のラザロに対する陰謀の箇所と、27節~36節の人の子の受難予告とを、それぞれ段落を設けて独立させています。厳密に見れば、このほうが正確ですが、27節~36節は、内容的に見て、直前の「一粒の麦」のたとえとつながるところがあります。わたしは、12章1節~8節(マリアの香油)、9節~19節(エルサレム入城)、20節~36節(一粒の麦)、37節~43節(人々の不信仰)、44節~50節(イエスの人々への最後の御言葉)のように分けました。
12章では、始めに、再びラザロのみがえりが繰り返されます。続くエルサレム入城は、共観福音書では、イエスがイスラエルの「王」として凱旋したように描かれていますが、ヨハネ福音書では、「イエスが栄光を受けられた時」(16節)とありますから、イエスの十字架と復活が示唆されています。これと共に、ラザロが「死者の中からよみがえった」ことが証しされます。続く一粒の麦も、死と復活を意味します。これに続いて、イエスは、「ご自分がどのような死を遂げるかを」語ります(33節)。イエスの死は、この世に向けられた裁きともなりますが(31節)、その「裁き」が、同時にこの世の「救い」ともなること。これが44節以下で示されます。
■香油注ぎの物語
イエスへの香油注ぎは、マルコ14章3節~9節とマタイ26章6節~13節とルカ7章36節~50節にもでています。マタイ福音書は、マルコ福音書に全面的に依存しています。ヨハネ福音書の物語にもマルコ福音書の記事が反映していて、マタイ=マルコ福音書とヨハネ福音書では、香油注ぎの場所はベタニアです。マタイ=マルコ福音書も、ヨハネ福音書と同様に、イエスを殺す企みのすぐ後にこの物語を置いています。また、マルコ福音書とヨハネ福音書では、香油を300デナリオンで売れば、貧しい人たちに施しができるとマリアが批判される点で共通します。三福音書とも、香油注ぎが過越の祭りにつながると見ています(マタイ=マルコ福音書では過越祭の二日前。ヨハネ福音書では六日前)。
しかし、ヨハネ福音書の物語には、マタイ=マルコ福音書と異なるところがあります。マタイ=マルコ福音書では、「らい病/皮膚病の人シモンの家」での出来事であり、女性は「一人の女」とあって名前は特定されません。ユダも出て来ません(マタイ福音書で批判するのは「弟子たち」であり、マルコ福音書では「何人かの人」)。これに対して、ヨハネ福音書では、女性の名前はマリアで、彼女を批判するのはユダです。またマタイ=マルコ福音書では、香油注ぎは、エルサレム入城の後のことですが、ヨハネ福音書では入城直前のことです。もうひとつの大きな違いは、マタイ=マルコ福音書では、香油は、イエスの頭に注がれますが、ヨハネ福音書では、イエスの両足に注がれることです。さらに、「自分の髪の毛でイエスの足をぬぐった」とあるのもマタイ=マルコ福音書と異なります。
これに対して、ルカ7章では、香油注ぎの場所はガリラヤで、ファリサイ派のシモンの家です。この記事の直前に、イエスが「徴税人や罪人の仲間だ」(7章34節)とありますから、これを受けて、香油を注ぐのは「罪深い女」であり、この物語は、イエスによる「罪の赦し」を表わす出来事として描かれています。したがって、出来事が、他の三つの福音書とはかなり異なる状況に置かれています。ただし、女性がイエスの足に香油を塗って自分の髪の毛でそれをぬぐうところは、ヨハネ福音書と共通します。ルカ福音書では、女性が涙でイエスの足を濡らしたとありますが、ヨハネ福音書にそのような描写がありません。これらのことから、ルカ福音書は、マタイ=マルコ福音書の伝承とは別に、ルカ独自の伝承を持っていたと推定できます〔「ルカの特殊資料」(L)と呼ばれます〕。おそらくルカは、独自の伝承に基づきながらマルコ福音書をも参照しているのでしょう。
このように、マルコ福音書とマタイ福音書はほぼ一致しますが、ルカ福音書は、この両者とはかなり違っています。マルコ=マタイ伝承とルカ伝承とのこの違いと共通点はどこから生じたのでしょう? もともと、ガリラヤのファリサイ派の家で、罪の女性がイエスによってその罪を赦されて、涙でイエスの足をぬらして、自分の髪の毛でこれをぬぐったという伝承があり(ルカ福音書の物語に近い)、これとは別に、ベタニアのらい病人シモンの家で、ある女性(名前はマリア?)が、イエスへの愛の証しとして香油をその頭に注いだという伝承があった(マルコ福音書に近い)。ひとつには、このような説明が考えられます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。ルカは、おそらく自分に伝えられた伝承(ルカの特殊資料)とマルコ福音書の香油の伝承を融合させたのでしょう〔フィッツマイヤー『ヨハネ福音書』(1)〕。しかし、この説明に対して、最近では、四福音書の香油の物語は、ほんらいひとつの出来事から生じているという見方が出ています〔ボヴォン『ルカ福音書』(1)〕。「アラバスタの壺」「シモン」などは共観福音書に共通します。女性が、許可もなく男性の食事の席に入ってきて、自分の髪の毛を男性の前でほどいて、男性の足に接吻することは、当時の社会通念からすれば考えられないほど思い切った振舞いです。このことから、ルカ福音書が伝えるのは、そのような事実が<なかったから>ではなく、逆に、そういう出来事が<ほんとうにあった>。こう考えるほうが正しいと思われます。したがって、香油注ぎも含めて、ルカ福音書の記事のほうが、実際の出来事に近いのではないかと判断するのです。
ルカ福音書は、この女性の行為に続けて、イエスとファリサイ派シモンの対話を通じて、「愛すること」と「罪の赦し」について語っています。イエスとシモンのこの対話は、女性の行為に対する誤解を避けるためでしょう。ルカ福音書は、さらに続けて、イエスの一行には「多くの女性たち」が同伴していたことを伝えています(ルカ8章1~3節)。このことも、ルカ福音書の香油注ぎの物語の背景となっていて、ルカ福音書は、こういう女性同伴に伴う誤解を避けるためにも、香油注ぎとこれに続くイエスとシモンとの問答を同伴の記事の直前に置いていると見ることができます。
このように見ると、マルコ=マタイ伝承よりもルカ福音書が伝える油注ぎの伝承のほうが、より事実に近いのではないかと思われます。ヨハネ福音書に伝わる今回の伝承も含めて、この出来事は、おそらく口伝の段階で、いろいろ異なる形となって伝えられたのでしょう。マルコ福音書の物語が、四福音書のひとつの基準になっているのは確かです。マルコ福音書は、伝えられた伝承を過越祭の直前のこととして、香油注ぎをイエスの埋葬への準備としていますが、これには、イエスをメシア(油注がれた者)とする意味もこめられているのでしょう(イエスの「頭に」香油を注いだとあるのはこの意味)。このために、ルカ福音書の伝承が語る「生々しさ」が薄れていると言えます。
ヨハネ福音書は、マルコ福音書の記事と共通しますが(「300デナリオン」などの点で)、ルカ福音書とも共通します(特にイエスの両足に香油を塗り、髪の毛でぬぐうこと)。場所はベタニアでラザロが共に食卓に着いていますから、11章とつながっています。マルタが給仕をし、マリアが香油を塗るのもルカ10章のふたりの姉妹の記事と重なります。ただし、ルカ福音書には、女性が涙でイエスの足を濡らしたとありますから、このために自分の髪の毛をほどいてイエスの足をぬぐうのは不自然でありません。ところが、ヨハネ福音書では、マリアが涙を流したことが省かれているので、通常は頭に注ぐか、あるいは顔に塗るための香油を足に塗るのは、やや不自然に見えます。また「罪深い女性」ではない、言わば「慎み深い」マリアが、髪の毛をほどくのも、当時の慣習から見るなら、マリアにふさわしくない印象を与えます。王が即位の時には、頭に油が注がれますが、ヨハネ福音書で、香油をイエスの足に塗ったのは、イエスが「死によって御栄光を受ける」メシア王であることを象徴するためでしょう〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
おそらくヨハネ共同体は、ベタニアのマルタとマリア姉妹の伝承(ルカ福音書を通じてか?)とマグダラのマリア伝承とを保持していて、さらにラザロの復活伝承が「しるし」資料として伝えられていたと思われます。香油注ぎの記事については、ヨハネ福音書がマルコ福音書を参照しているのは確かです。ヨハネ福音書は、さらに、ルカ福音書を参照したのでしょうか? あるいは、ルカの特殊資料と共通する伝承をヨハネ共同体自体が保持していたのでしょうか? 実は、ルカの特殊資料とヨハネ福音書との間には、様々な共通性が指摘されてきました〔フィッツマイヤー『ルカ福音書』(1)〕〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。だとすれば、ルカの特殊資料とヨハネ共同体の伝承は共通だったのでしょうか? それとも別個に伝わったものでしょうか? 別個のものでありながら、相互に関係し合っているというのが、現在の見方です。例えば、この香油注ぎの場合は、ルカ福音書の伝承のほうからヨハネ福音書の伝承へ影響したと考えられます。しかしラザロ伝承では、逆に、ヨハネ共同体の保持するラザロの復活伝承が、ルカのラザロ物語(16章19節以下)に影響して、ラザロがもう一度地上へ戻ることもまた想定された?とも考えられます。場合によっては、ヨハネ共同体の保持していた伝承は、マタイ=マルコ福音書のものより古いかもしれません。確かなことは言えませんが、これらの諸伝承が結びつく過程で、ラザロの物語とマルタ=マリア姉妹伝承とが結びつき、これにさらに、ルカ福音書と共通する香油伝承が、「罪深い女」の性格を除かれて、イエスの葬りの備えとして統合されたのではないかと推定することができます。
■香油注ぎのマリア
ヨハネ12章のマリアについて述べる前に、四福音書の香油注ぎの女性について見ておく必要があります。
(1)マルコ14章の女性とマタイ26章の女性とヨハネ12章のマリアとは、いずれもベタニアに在住していて、イエスに香油を注いだ女性ですから同一人物です。彼女を「ベタニアのマリア」と呼ぶことにします。
(2)ルカ10章のマルタの姉妹マリアは、ヨハネ11章のマルタの姉妹マリアと同一人物と見ることができます。したがって、ヨハネ12章で香油を注いだのも、このベタニアのマリアであると考えていいでしょう。ここでは、ルカ福音書の伝承がヨハネ福音書のほうに影響していると思われます。ただし、ルカ福音書では、場所が「ある村で」とあって、ヨハネ福音書のように、エルサレム近くのベタニアとはなっていません。ルカ福音書では、マルタとマリア姉妹の話が、ガリラヤからエルサレムへ向かう旅の途中の出来事とされているので、彼は意図的に「ベタニア」という地名を避けたと考えることもできます。
(3)ルカ7章の「罪深い女」の場合はどうでしょうか? ルカ福音書は、この出来事のすぐ後に、女性たちを伴ったイエス一行の様子を伝えています(8章1~3節)。この部分は、イエスの伝道と女性たちとの関わりを示す重要な箇所として注目されていますが、ここに、イエスによって「七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリア」が出て来ます。罪赦されて涙を流し、イエスを愛したこの女性とマグダラのマリアとは、同じ人物であるとルカは考えていたのでしょうか? 後の教会は、このように解釈して、これが今なお伝統的に受け容れられています。そうだとすれば、ここで「ベタニアのマリア」と並んで、「罪深い女」と「マグダラのマリア」とが、香油注ぎの女性と関連することになります。したがって、次のふたつの疑問が生じてきます。
(1)ルカ7章の「罪深い女」は同8章のマグダラのマリアと同一人物か?(2)ベタニアのマリアとマグダラのマリアとは同一人物か?
疑問(1)について。「マグダラのマリア」とは、ガリラヤ湖の西岸にある漁港マグダラ出身のマリアという意味です。このマリアは、イエスの十字架刑を近くで見守っていた女性たちの一人としてあげられています(マタイ27章56節/マルコ15章40節/ヨハネ19章25節)。彼女はまたイエスの埋葬にも立ち会っています(マタイ27章61節/マルコ15章47節)。さらに、イエスの復活の証人として重要な役割を果たします(マタイ28章1節/マルコ16章9節/ルカ24章10節/ヨハネ20章1節以下)。以上の四福音書の証言から見て、彼女は、イエス一行の身の回りの世話をしていただけでなく、イエスの優れた弟子として知られていた女性ではなかったかと考えられます。四福音書に前後して書かれた『トマス福音書』では、彼女は、ペトロよりも優れた弟子として、イエスとの対話の相手役になっています。また『ペトロの福音書』(四福音書以後に、おそらくは2世紀に書かれた)の50節には、「主の女弟子マグダラのマリア」が、主の日の朝に、ほかの女性たちと主の墓を訪れたとあります。
四福音書を通じて、イエスに香油を注いだ女性がマグダラのマリアであるという証言はありません。ただし、マグダラのマリアが、イエスによって「七つの悪霊を追い出してもらった」という証言があります(ルカ8章2節/マルコ16章9節はルカからの写しか?)。「七つの悪霊」というのは、この女性が、精神的な病にあっただけでなく、道徳的にも「罪深かった」ことを示唆しますので、イエスの高弟としてふさわしくないようにも思われます。しかし、たとえそうであっても、イエスに癒された結果、優れた能力を発揮したことも考えられましょう。ルカ福音書は、イエスに香油を注いだのは、「罪深い女」であったと証言しています(7章37節)。したがって、ルカ福音書では、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリア(8章)と香油を注いだ罪深い女性(7章)と、さらに、ベタニアのマルタの姉妹マリア(10章)とが、別々に登場することになります。先に述べたように、後の教会では、ルカ福音書に出てくる罪深い女とマグダラのマリアとが同一視されるようになりました。
現代の聖書学は、このふたりの同一視を否定しています。しかし、ルカ福音書の罪深い女とマグダラのマリアとを区別する理由が、今ひとつはっきりしません。このふたりを区別する理由としては、ルカ福音書が同一人物であると証言して「いない」ことが最大の理由ですが、そのほかに「七つの悪霊に憑かれている」ことを精神的・身体的な病に限定して、これを「罪深い不道徳」な性質から区別するのです〔J・フィツマイヤー〕。けれども、「七つの悪霊」には、不道徳な罪の性質なども含まれていると見るほうが自然でしょう。したがって、精神とモラルを区別する現代的な視点は、教会の伝統的な解釈を退ける決定的な理由にはならないようです。
ところが、教会の伝統的な解釈にも問題があります。それは、マグダラのマリアが「罪深い女性」と同一視されることによって、マグダラのマリアに賦与されていたイエスの優れた女弟子のイメージが、否定されることです。ルカ8章のイエス一行の姿には、イエスの一行が、やもめとなった女性たちからの資産の援助を受けていたことがうかがわれます。この女性たちは、比較的自由な独り身であったと考えられます。そうでなければ、移動するイエスの一行に仕えることなどとうてい不可能だからです。しかし、そういう女性の中には、イエスによって罪が赦されたり精神的な病が癒された女性たちもいて、こういう一行の姿は、外部の人たちから見るならば、「いかがわしい」〔ジョエル・グリーン〕という誤解を生じさせたとも考えられます。
イエスがガリラヤで活動を始めたときから、ガリラヤからイエスに付き従った「大勢の女性たち」がいました。彼女たちは、イエスの十字架刑を最後まで見守った人たちでした(マルコ15章41/マタイ27章55節/ルカ23章49節)。イエスは、最後には、ローマ帝国に反逆した政治犯として処刑されました。長い間のガリラヤの歴史的な体験から、こういう場合にローマの軍隊がどんなに恐ろしいかをガリラヤの人たちは身に染みて知っていました。男たちを全員虐殺し、女や子供を奴隷にするのが、ガリラヤの民衆を弾圧するパレスチナの貴族階級とローマ軍のやり方だったからです。だから、イエスの十字架刑に際して、男性の弟子たちが全員逃げ去ったのは、ある意味で当然のことだったのです。しかし、イエスのガリラヤ伝道の初めから付き添った女性たちは、最後までイエスのもとに留まり、イエスの死と埋葬に立ち会ったのです。それだけでなく、おそらくマグダラのマリアを中心としたこれらの女性たちは、命がけでイエスの復活を証ししたと思われます。ルカ8章(1節~3節)の記事は、こういうイエス一行の姿を現代に伝える重要な証言です。
おそらく時代を経るにしたがって、イエス一行をめぐる女性たちの存在と彼女たちの働きが、護教的な立場から排除されるか、あるいは聖女化されることによって、その実態が薄められていった。こういう形跡を読み取ることができます。2世紀に入ると、グノーシスの異端が盛んになりますが、グノーシス派では、女性の活躍がめざましかったので、これを否定したキリスト教会は、徐々に教会内での女性の働きを制限するようになります。この傾向に伴って、イエスの高弟の一人であったマグダラのマリアにもその影響が及んだようです。最終的にマグダラのマリアは、娼婦に仕立て上げられてしまいます。教会の伝承においてこのような評価が生じたのは、アウグスティヌスに始まるとも言われています〔エリザベート・モルトマン=ヴェンデル「マリアかマグダレーナか:母性か友情か」E・モルトマン=ヴェンデル、他編『マリアとは誰だったのか』新教出版社〕。そこには女性を差別する意識が働いていると考えられますから、現代の聖書学者が、マグダラのマリアと「罪深い女」とを同一視することを退けるのは、おそらくこのような女性差別的な形跡を意識して、これを是正するためであろうと思われます。
疑問(2)について。ヨハネ12章のベタニアのマリアは、ヨハネ20章1節でイエスの復活の証人となるマグダラのマリアと同一人物でしょうか? これを同一人物とする説もあります〔バーナード『ヨハネ福音書』(2)〕。しかし、ほとんどの注釈者はこの点について全く触れていないか、あるいは、ヨハネ20章のマグダラのマリアが、「マルコ福音書やマタイ福音書やルカ福音書」に出てくる香油注ぎの女性ではないと言うだけです。ヨハネ福音書もまた、ふたりが同一人物だとは言っていません。
ただし、問題をヨハネ福音書の中だけに限ってみるならば、ことはそれほど簡単ではありません。わたしは、ヨハネ福音書が、12章のマリアと20章のマグダラのマリアとを重ね合わせて見ている可能性があると思っています。「主の愛しておられた弟子」という言い方にあるように、ヨハネ福音書には、独特の「言い控え」や「ほのめかし」の手法が見られます。だから、ふたりが同一であると語られて「いない」ことが、「区別されている」証拠にはならないのです。さらに、ベタニアのマリアは、イエスの埋葬のために香油を注いだのですから、イエスの遺体の埋葬を自分で行ないたいと願うマグダラのマリアと重なります。ヨハネ福音書では、ルカ福音書の香油注ぎの伝承に見られる女性の「罪深さ」が、おそらく意図的に、12章のマリアから取り除かれています。これは、ベタニアのマリアが、イエスの復活の証人としてのマグダラのマリアへとつながる伏線だと見ることができましょう。また、ラザロの墓の前で、マリアが涙ながらにイエスと出会う描写(11章32節~34節)と20章11節~13節での出会いとが、その描き方において共通している点も指摘しておきます。
ヨハネ福音書には、イエスの母マリア(2章)、サマリアの女(4章)、姦通の女(8章)、ベタニアのマルタ(11章)、ベタニアのマリア(12章)、マグダラのマリア(20章)などの女性が登場します。これらの女性たちは、イエスとの対話を通じて、それぞれ個人的にその存在を浮かび上がらせています。ただし、これらの人物は、現代的な意味で、個性を帯びた人物(キャラクター)として描かれているのではありません。むしろ、それぞれの女性は、女性であると同時に、彼女の属する人たちの思いを象徴する「タイプ」として登場しています。例えば、サマリアの女は、ヨハネ共同体にかなりのサマリアの人たちが参入していたことを反映しています。マルタは、ヨハネ共同体の復活信仰を代弁する人物です。マグダラのマリアは、イエスの復活の最初の証人です。同様に、香油を注いだマリアもイエスに献身的な愛の献げ物を供える人を代表しています。姦通の女の話は(8章)、ほんらいヨハネ福音書に属するものではなく、この挿話はルカ福音書の描き方に近いと言われています。もしかすると、ルカ福音書7章で涙を注いでイエスの足をぬぐった「罪深い女」が、ヨハネ福音書の罪を赦されたこの女性に投影されているのかもしれません。ヨハネ福音書では、そこに登場する女性たちが、それぞれに異なる女性像を表わしながら、相互に対照されたり重ね合わされたりしていますから、ヨハネ12章のベタニアのマリアも、20章のマグダラのマリアと対応していると見ることができます。言うまでもなく、このような対応関係は、ヨハネ福音書の中だけで見た場合に言えることです。特に今回は、ヨハネ福音書に顕された先在のロゴス(言葉/理性)としてのキリストと、同時に、ヨハネ福音書のキリストには、ソフィア(知恵)のキリストが重ね合わされていることにも注意したいと思います。ロゴスは男性名詞でありソフィアは女性名詞ですが、男性原理的な特長と同時に女性原理的な特長をも兼ね具えているというのが、ヨハネ福音書のキリストであることを思い出してください。
■12章
[1]【過越祭の六日前に】共観福音書では、イエスが十字架にかかったのが、過越祭当日の15日とされています。ところがヨハネ福音書では、イエスの十字架刑が、過越の犠牲の羊が殺される14日、すなわち、過越祭の前日になります。四福音書共に、イエスの十字架刑が、「ユダヤ人の準備の日」、すなわち安息日(金曜が終わる夕方から土曜が終わる夕方まで)の前日であったと証言していますから、受難は共観福音書でもヨハネ福音書でも金曜日にあたります。しかし、14日と15日と、どちらが十字架の年の金曜日になるのか、今では確かめることができません。ただ、過越祭の当日の15日に十字架刑が行なわれるのは不自然だという理由で、現在では、ヨハネ福音書のほうが正しいという見方が有力なようです。したがって、ヨハネ福音書では、14日が金曜日になります。 12章1節に「過越の日の六日前」とありますが、この「過越の日」も、「過越祭」当日のニサンの月の15日を指すと考えることができます(13章1節/18章28節参照)。しかし、ヨハネ福音書で「六日前に」と言うのは、ベタニアでの食事の当日を含んでいるのか、それとも、その日を含まず、食事(香油注ぎ)と過越祭当日との間に、丸六日を挟んでいるという意味なのか、これがはっきりしません。ニサンの月の15日(過越祭)が、金曜日が終わる夕方から土曜日が終わる夕方までの安息日であるのなら、ヨハネ福音書の15日から丸六日を挟んで前日というのは、ニサンの月の八日(金曜日が終わる夕方~土曜日が終わる夕方まで)になります〔巻末のヨハネ福音書補遺「受難週:マルコ福音書とヨハネ福音書の比較対照表」はこの推定によっています〕。
12章12節には、「その翌日」に、イエスがエルサレムへ入城したとありますから、この計算だと、エルサレム入城は、ニサンの月の九日(土曜が終わる午後6時から日曜が終わる午後6時まで)になります。この日を教会では「棕櫚の日曜/主日」(Palm Sunday)と呼んでいます。これは、「六日前に」とあるのを、間に丸六日を挟む意味で計算するからです。「6日前に」をイエスたちのベタニア到着の日を含めて数えるのなら、香油注ぎが行なわれたのは、ニサンの九日(日曜)になります。したがって、「その翌日」のエルサレム入城は、月曜のことになります。どちらがヨハネ福音書の真意なのか確定できませんが、エルサレムへの入城は、教会の伝統にならって、間に丸六日を挟んだ七日目(日曜)のことしておきます。なお、ギリシアやロシアの正教会では、入城の日の前日の土曜を「ラザロの日」と呼んでいます。
【ラザロがいた】「イエスが死者の中からよみがえらせた」と繰り返し、次の節でもラザロに触れていますから、これは、ラザロの物語と香油注ぎの物語が、ここで結びついたことを示すものでしょう。この導入によって、12章でも死と復活が語られることが示唆されます。
[2]【夕食が用意された】「夕食」の原語は「食事」ですから、必ずしも夕食とは限りません(13章2節/同4節/21章20節も参照)。前項で説明したように、イエス一行がベタニアに着いたのが八日の安息日であったとすれば、到着は、金曜から土曜に変わる午後6時頃以後ことになります。したがって、食事の「時」は二つの可能性がでてきます。土曜の始まる午後6時以降と、土曜の午後3時から6時までの間です。ただし、マルタが給仕をしていたとあるから、食事は安息日ではなく、安息日が終わる土曜の午後6時以後(日曜)のことだと見る説もあります。しかし、この場合には、「その翌日」(12章12節)のイエスのエルサレム入城は、「棕櫚の日曜」のことではなく、月曜が始まる午前6時以後のことになります。このことから、おそらくこの食事は、安息日を終わらせるための土曜日の午後3時以後6時までの夕食のことであろうと考えられます。これは、安息日を終わらせるための食事のことです。これは、安息日を他の日と聖別するための「ハヴダラー」(現在の英語では havdalah)と呼ばれる特別な食事です。この説だと「その翌日」は土曜が終わる午後6時から日曜が終わる午後6時までになり、イエスのエルサレム入城と日曜が重なります。これがいわゆる「棕櫚の日曜/棕櫚の主日」と呼ばれる受難週の始まりです。原文では「(食事を)用意した」とありますが、主語がはっきりしません。招待したのはマルタ=マリア姉妹とラザロの三人でしょう。マルタが給仕をしていますが、必ずしも彼女がホステスだという意味ではないようです。
〔ハヴダラー〕
ハヴダラーが明確に記されているのは3世紀のタルムードですが、これの起源は古くからで、「ハヴダラー」とは「平日と聖日との区切りをつける」という意味です。安息日は、青い細い糸と白い細い糸の二つを手を伸ばして張り、この二つが区別できなくなるほどの暗さをもって、金曜が終わり安息日(土曜)の始まりとします〔Anita Diamant with Howard Cooper:
Living A Jewish Life. Quill (1991)60-61 〕。安息日は花嫁にたとえられて、安息日になると花嫁が訪れ、安息日が去る時は、花嫁が女王に変じて、男性が女王に付き添って彼女を去らせなければなりません。これは、ほんらい、会堂ではなく、各家庭で祝われる祭儀で、通常土曜の午後遅く、安息日を「終わらせる」ための食事の終わりに行なわれます。しかし、一日の区切りがはっきりしない時代ですから、日曜の始めにずれ込む場合もあったようです。ハヴダラーで大事なのは、ワインとろうそくと香料です。ワインは家長が右手で持ち、少しこぼれるくらいまで杯にワインを注ぎ入れます。ろうそくを持つ人は取っ手が二つにくびれている燭台を手にします。香料は、飾り細工の銀製の壺状の容器に入れて手に持ちます。だから、家長を含めて、少なくとも3名の男性が必要です。家長は、聖日を平日から区別する「区切りの祈り」を捧げます。通常イザヤ書12章2~3節/詩編3篇9節/同46篇12節などが唱えられます。また、メシアの到来を告げるエリヤを呼び求める祈りが唱えられます。式が終わると、家族が「善い週を」と挨拶のキスをします〔Scott-Martin Kosofsky:
The Book of the Customs: A Complete Hand-book for the Jewish Year. Haper San Francisco (2004)85-90 〕。
[3]【高価なナルドの香油】「純粋で非常に高価なナルドの香油」は、マルコ14章3節の用語とほぼ同じです(マルコ福音書では「最も高価な」/ヨハネ福音書では「高価な」)。「純粋」とあるのはギリシア語で「信頼出来る/本物」の意味です。マルコ福音書では「石膏の壺」とありますが、ヨハネ福音書では「1リトラの」になっています。1リトラは約326グラムです。香油は、通常細長い首の壺に入っていました。「ナルドの香油」は、もともとインドや東アジアの甘松香と呼ばれる植物の根から採った甘松油(spikenard)のことで、医療のためではなく、主として香りのために用いられました。ただし、「純粋の」とあるギリシア語「ピスティケース」は、アラム語の「ピスタカ」から出ているのではないかとも考えられます。これは「ピスタチオナッツ」のことです。もしもそうだとすれば、マルコ福音書が言うのは「高価なピスタチオナッツの甘松油」のことになります。ヨハネ福音書がマルコ福音書に依存しているのは確かですが、ヨハネ福音書は、マルコ福音書の言い方を「<ほんものの>高価な<ナルドの香油>」だと理解しているのでしょう〔バレット『ヨハネ福音書』〕。
【香油の香りで】イエスの両足に香油を注いで塗り、自分の髪の毛でぬぐう行為は、ルカ7章38節の記述と同じです。ここでのマリアの行為が、パレスチナでもヘレニズム世界の場合でも、今回のような物語に出てくる女主人公にはふさわしくないと指摘されています。特にパレスチナでは、女性のこのような行為は、奴隷が主人に対して、あるいは女性がその夫に対してのみ許されることですから、少なくとも既婚の女性でなければ許されません。マリアが既婚であったかどうか、ヨハネ福音書は伝えていませんから、確かなことは分かりません。マルコ14章3節のシモンが、今回の3人の父親だったという説もあります〔キーナー『ヨハネ福音書注解』(2)〕。いずれにせよ、彼女の行為は、イエスに対する最高の敬意を表す思い切った振舞いであったのは確かです。ただし、ルカ福音書には「涙を流してイエスの足を濡らした」とありますが、ヨハネ福音書にはこれがありません。マリアをルカ福音書の「罪深い女」と区別するためでしょう。共観福音書は、イエスからマリアへの賞賛あるいは励ましの言葉で終わっています。しかし、ヨハネ福音書には、そのような褒め言葉がありません。その代わり、彼女の行為が、部屋を香りでいっぱいにしたと伝えています。この香りは、イエスにある新しい御国の到来を告げる「しるし」だとされているのです。いかにもヨハネ福音書らしい手法です。
[4]【イスカリオテのユダ】6章71節では「イスカリオテのシモンの子ユダ」とあります。これだと、父のシモンが「イスカリオテ」であるように聞こえます。この言い方はヨハネ福音書だけです。「イーシュ・カリオテ」は「カリオテの人」の意味です。父子共にカリオテの出身だったのでしょうか。マリアを批判するのは、マタイ福音書では「弟子たち」であり、マルコ福音書では「そこにいた何人か」です。このように名前が不特定なので、ヨハネ福音書はこれを「ユダ」と特定して、その上で「イエスを裏切ろうとしている」を加えたのでしょう。それまで名前がなかった場合に、これに名前を与えて、ある人物を特定するという手法は、伝説や伝承の場合にしばしば用いられます。
[5]【三百デナリオン】1デナリオンは、通常、労働者の一日分の賃金とされていましたから、300デナリオンは、労働者のおよそ一年分の賃金に相当します。この節の言葉遣いはマルコ14章5節とほとんど同じです。ヨハネ福音書がマルコ福音書を参照している証拠です。
[6]【貧しい人々】イエスの頃のパレスチナでは、ユダヤはローマ帝国の直轄のもとにあり(紀元6年から)、ガリラヤはヘロデ・アンティパスの支配下にありました(前4年~後39年)。そこでは、ローマ帝国に支配された王やサドカイ派などの貴族階級と、彼らと組んだ大土地所有者による土地の独占化が進み、銀の貨幣経済が発達していました。その上に重い税が課せられたため、それまで家族単位で生活してきた自作農の人たちが、借金のために土地を失い、小作農や農奴に近い状態に陥ったり、家族が離散してホームレスになる場合が多かったのです。ただし、「貧しい」は、経済的に「貧しい」ことだけでなく、神により頼んで生きる信仰深い人たちのことをも指しています。
【盗人】ユダを「盗人」と呼ぶのはヨハネ福音書だけですが、10章10節を参照してください。なお「心にかけない」も10章13節に同じ言い方が用いられています。ヨハネ福音書は、ヨハネ共同体当時の「偽預言者」や「偽牧者」たちをここでのユダと重ね合わせているのです。
【金入れを預かって】ユダは、献金などを入れておく金庫箱の管理を委(ま)かされていて、彼は、そこに入れられたお金をくすねていたという意味です。
[7]【取って置いた】この節の文意がはっきりしません。文字通りに訳すと「彼女のするままにさせなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておくために」となります。これでは意味が通じないので、「彼女のするままにさせなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておかせなさい」とも訳すことができます〔REB〕。しかし、これでは、マリアがイエスの葬りの備えをこれからするかのように聞こえます。後半を「わたしの葬りの日のために、それをとっておくために買ったのだから」と「買ったのだから」を補う訳もあります[NRSV]。別の写本に「とっておいた」という読みがありますので、これに従って「わたしの葬りに日のために、それをとっておいたのだから」と訳すと分かりやすいでしょう〔新共同訳〕。ところでマリアは、イエスがエルサレムで殉教することを予知して、そのための備えとして埋葬の香油を前もって準備していたのでしょうか?それとも、自分ではそうとは知らずに行なった行為が、結果として、そのような埋葬の備えの意味をイエスから与えられたのでしょうか? これには両方の解釈があります。「私の葬りの日のためにそれを取っておいたことになるためである」〔岩波訳〕は、結果としてそういう意味を賦与されたと解釈しているようです。ただし、マリアは、イエスがエルサレムで殉教することを察知して、前もって準備しておいて、このことを行なったと見ることもできましょう。
[8]【一緒にいるわけではない】イエスは申命記15章11節の言葉を念頭に置きながらも、ユダに向かってこう言ったのでしょう。ユダヤ教のラビたちの間では、「葬りは憐れみの業、施しは正義の業」であって、葬りのほうが優ると言われていました〔岩波訳注〕。
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