81章 ペトロへの司牧命令
                    21章15〜19節
■21章
15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペテロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
                  
 
                   【注釈】
                                   【講話】
■ペトロの召命教会
 現在、ガリラヤ湖の北岸にある丘の中腹に、イエス様が五千人にパンと魚を分け与えた奇跡を記念する「パンの奇跡の教会」があり、そこから、さらに東の方向に、イエス様がガリラヤ伝道の拠点としたカファルナウムの遺跡があります。パンの奇跡の教会とカファルナウムの遺跡との間に、「ペトロ首位権の教会」という聞き慣れない名前の教会があります。近くの丘を下ると70〜80メートルほどの奥行きの岸辺があって、そこは、ガリラヤ湖で漁をしていたペトロたちに復活のイエス様が顕現するのにふさわしい場所です。湖岸から70メートルほど入った所にそれは建っていて、やや黒ずんだ煉瓦でできている小さな教会堂です。湖畔まで砂利の浜になっていて、カファルナウムの遺跡のすぐ近くだから、シモンペトロとアンデレ、それにゼベダイの子ヤコブとヨハネが「人をとる漁」への召命を受けた場所にもふさわしい所で、「首位権の教会」などという名前よりも「ペトロの召命教会」と呼ぶほうがいいようです。
 案内書によれば、イエス様の頃、この辺りは石切場だったようで、ビザンティン時代の4世紀から5世紀にかけて、ここにはすでに教会堂が建てられていました。9世紀の旅行者の記録によれば、ここは「炭火の場所」と呼ばれていたようです。1187年に、十字軍がアラブ軍によって敗退させられてから一度破壊され、13世紀に再興されましたが、これもまた崩されて、その後1933年に、廃墟となっていたこの場所にフランシスコ派の修道士たちが教会堂を建て、その祭壇が完成したのは1982年だということです。
 ここが「炭火の場所」と呼ばれたのは、イエス様の復活の後に、湖の岸辺で、ペトロやその他の弟子たちにイエス様がその姿を顕現して、石の上で魚を焼いて食べたとあるヨハネ福音書の記事にちなんだのでしょう。ヨハネ福音書は、その場所を「ティベリアス湖畔」と記していますが、「ティベリアス湖畔」とあるからと言って、ティベリアスの岸辺でなければならない理由はないようです。
 おそらく、ペトロの最初の召命と、イエス様の復活後にペトロに授与された召命とを重ね合わせることで、使徒ペトロの「首位権」を確立するために、「首位権の教会 」“The Church of the Primacy”という小さな建物に似合わないいかめしい名前が付けられたのだろうと思います。教会の中には、上が平たい大きな石が安置してあって、この石は“Mensa”(食卓/祭台)と呼ばれています。
 教会の近くに泉があって、そこに比較的新しい彫像が建っています。イエス様が、立ったまま牧丈をその前に跪くペトロに差し出していて、ペトロは、その牧丈の下の方をしっかりと握っています。教会を指導する「首位権」が、イエス様からペトロへ譲渡されたことがよく分かります。カトリック教会の伝統では、首位権をイエス様から譲渡されたペトロが初代のローマ教皇で、それ以後、代々の教皇は、ペトロの首位権を受け継いで現在にいたっていると解釈されています。ところがプロテスタントは、このようなカトリックの教皇権に反論して、例えばブルトマンなどは、ペトロへの司牧命令も、重点はペトロとイエス様の愛弟子との比較対照にあると見て、ヨハネ21章のペトロへの司牧命令をあまり重視しないようです。
 このように、今回の箇所には、カトリックとプロテスタントとの長い歴史的な経緯が絡んでいて、その解釈もこういう教会史の影響を受けがちです。わたしたちは、教会史の複雑な過程に左右される必要がありませんから、ただあるがままの聖書本文を読み、そこから、わたしたちなりに、イエス様のお言葉の語りかけを聴き取るだけです。
■司牧の御言葉の意味
 今回の箇所を、カトリックの教皇権だとか、プロテスタント教会の指導者の有り様だとか、そういうレベルでとらえ、そういう観点から論じたり解釈することが、根本的に間違っているのではないか? こういう疑念を抱かずにおれません。なぜなら、「イエス様を愛すること」「イエス様の羊を養うこと」そして「イエス様のために死ぬ」こと、これらが、イエス様を信じる人たちの指導層だけに求められると思うなら、思い違いもはなはだしいからです。イエス様を愛すること、同じことですが、イエス様を信じる人たち(イエス様の羊)を心から愛すること、イエス様のために死ぬ覚悟をすること、これらは、イエス様を信じる一人一人に求められていることにほかならないでしょう。
 だから、ここでペトロに語られることは、実はイエス様を信じる一人一人の弟子たちにも、同様に求められることであり、ことこれに関して、ペトロであろうとイエス様の愛弟子であろうと、教会の指導者であろうと、一般の信徒であろうと、全く変わらない。これこそが、ヨハネ福音書がわたしたちに伝えたい一番大事なことです。だから、ここのイエス様のペトロへの御言葉は、例えばマタイ28章19〜20節で使徒たちに与えられた「宣教命令」とは異なっています。ヨハネ福音書は、洗礼を授けることにも、信者に命じる使徒の権威にも触れていません。ペトロに求められているのは、すべてのイエス様の信者に求められていることだからです。これが、ヨハネ福音書が、共観福音書と異なる大事な点です。この福音書は、イエス様を愛し、イエス様の信者(羊)を愛する者こそが、イエス様が求めるほんとうの信者であり、イエス様のほんとうの弟子であり、そういう人こそ、イエス様の信者への指導者に相応しい人であると主張しているのです。
■イエス様に「ついていく」
 今回は、「わたしに従いなさい」(21章19節)で終わるのが大事です。この御言葉は、21章のペトロと愛弟子の両方に共通する中心的なテーマです。イエス様を愛することも、イエス様の羊を養うことも、イエス様のみ跡をたどって殉教することも、愛弟子のように最後まで生き残ってイエス様の証しを立てることも、すべてが「イエス様に従う」ことただ一つに尽きるからです。主の羊とその羊飼いたちに求められている最も大事なことがこれです。ところが、わたしたちは、この一番大事なことを一番後回しにして、まず自分の生活を考え、まず自分の知識と自分の考えを大事にし、まず自分の思い通りの人生を計画し、まず自分の願望が達成されることを求めてはいないでしょうか。
 牧師も伝道師も、まず伝道のキャンペーンのことを考え、信者を募ることを考え、教会の建設を考え、その運営を考えます。当然と言えば当然ですが、「わたしを愛するか」とペトロに三度も念を押したイエス様の真意が、はたしてこれで活かされるのか?今回の記事を読むと、いささか心許(こころもと)ない気がしないでもありません。
 成功した伝道師や牧師さんたちが、イエス様に「従った」結果として、そのような「サクセス」(成功/結果)が与えられたことを疑うものではありません。しかし、それなら、「成功しなかった」(結果が出せなかった)牧師さんや伝道師たちはどうなるのでしょうか?さらに、成功した教会や教団から落ちこぼれた人たち、あるいは、そういう教会の信者から受け容れられなかった人たち、そういう人たちはどうなるのでしょうか? 
 わたしがこう思うのは、自分自身をも含めて、そういう牧師さんたち、信者さんたちを少なからず見ているからです。彼らは、牧師、伝道師として失敗者でしょうか? 「落ちこぼれた」信者さんたちは、イエス様に受け容れられない脱落者でしょうか? 確かに彼らは、成功した牧師や伝道師のやり方に「従わなかった」かもしれません。教会の牧師さんの言うとおりに「従う」ことをしなかったかもしれません。だからと言って、彼らが、イエス様に「ついていかなかった」ことになるのでしょうか? 牧師や伝道師として「成功する」ことなど全く眼中になかった主の僕たちもいます。彼らは、イエス様の羊を「飼わなかった」のでしょうか? イエス様が、ここで「<わたしの>羊」と言われる人たち、この人たちはいったいどういう人たちなのか? わたしは<このこと>がとても気になるのです。 イエス様は、三度イエス様を否認したペトロに「わたしの」羊を飼えと三度繰り返します。イエス様の言われた「わたしの」羊には、成功した教会にいる幸せな信者たちの群れのことだけでなく、成功しなかった牧師さんたちのことも、教会から落ちこぼれた人たちのことも含まれているのではないでしょうか? 一人でイエス様に祈り続ける人、そういう人こそ、ほんとうに「人に左右されることなく」イエス様にどこまでも<ついて行った>人たちではないでしょうか? こう思われてくるのです。
■洞窟の修道士たち
 聖アントニウス(251年頃〜356年)と呼ばれる人は、その昔、当時の教会や聖職者たちから離れて、その生涯のほとんどを隠棲(いんせい)して祈りと瞑想の修道生活をしました。彼は、祈りのうちに己の内面と闘い、自分のうちに潜む悪と「たった一人で」戦い続け、ヨーロッパの修道士の元祖と呼ばれています。
 トルコのカッパドキア地方には、今も数々の洞窟教会の跡が遺っていて、キリスト教がローマ帝国の国家的な宗教として認められるようになってからも、4世紀から9世紀頃まで、狭い洞窟でひそかに修道した人たちが数多くいたことを証ししています。奇岩のそびえる外の明るさとは対照的な暗い洞窟の中には、壁一面に聖画が描かれていて、彼らはその聖画に励まされながら、一人静かに祈り続けたのです。こういう人たちは、イエス様に「ついていかなかった」のでしょうか? それとも、こういう人たちこそ、ほんとうの意味で、イエス様の後にどこまでも「ついていった」人たちでしょうか?
 このような「聖者」とともに、わたしの記憶に残る一人の聖者がいます。ずいぶん以前に見たモノクロの映画なのですが、確か「聖バンサン」という名の人だったと思います。彼はその晩年、死期が近づいてきたとき、ローマ教皇からのお見舞いの使者が彼のもとへ遣わされたと告げられて、それを名誉に思うどころか、なんと使者との面会を断わったのです。貧しくて手間のかかる落ちこぼれの信者たちの面倒を見なければならないので、教皇の使者と面会する暇がないというのが、その理由でした。その時の彼の言葉が今でも記憶に残っています。彼はこう言いました。「今のわたしには、何がほんとうに尊いのかがよく見えているのだよ。」
 わたしには、ヨハネ福音書が伝えようとしている「永遠の命」は、何かこういう人たちが見ていた世界に関係しているように思えてならないのです。ひたすら主に祈り求める人たち、見棄てられた人たちを助けようとする人たち、こういう人たちこそ、ヨハネ福音書が伝えようとしている「永遠の命」に最も近い人たちであり、神は、御子を通じてお遣わしになるパラクレートスを通して、こういう人に「御自分を顕す」(14章19〜21節)ように思われるのです。「あなたはわたしを愛するか?」という問いかけと、「わたしに従いなさい」という語りかけから見えてくるもの、これがヨハネ福音書がわたしたちに伝えようとしている最も大事なことだと思うのです。
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