【注釈】
■マルコ1章
マルコの伝えるイエスの伝道活動は、ガリラヤから始まりますが、イエスは、ここを中心にして、周辺の異邦人の地へも足を運ぶことになります。その後で、ガリラヤからエルサレムへ向かい、そこで受難を迎えることになるのです。マルコは、イエスの「教え」について語るよりも、イエスの実際の行ないとこれに伴う出来事を描くことで、その福音を語ろうとするのです。この点でマルコは、マタイとは対照的です。だからマルコは、イエスの福音の「内容」を直接に語ることはあまりしません。神の国とは霊的な世界ですから、これを語るのは「たとえ」によらなければならないからです(4章の30節~34節)。この意味で、今回の14節~15節は、これがイエスの伝道開始の初めに置かれているだけでなく、マルコが、きわめて簡潔に、福音そのものを直接に語っている重要なところなのです。マルコは、イエスの伝える福音の内容を「神の国」と「悔い改めて信じる」という二つの言葉で表わします。イエスが伝えたいことをこの二つの言葉にまとめるのです。イエスのこの言葉と、これに先立つ洗礼者ヨハネの「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」とを重ね合わせて、マルコは、「聖霊で洗礼を授けるイエス」として、その福音を言い表わすのです。
[14]【ヨハネがとらえられた】マルコ6章17節を見てください。イエスは洗礼者ヨハネの後継者ではありませんが、「捕らえられる」ことでは、イエスも洗礼者ヨハネの道を歩むことになります。
【宣べ伝える】イエスの福音を語る時の新約聖書の言い方です。ここから教会の「宣教」という言葉が出ました。その内容が次の節にまとめられています。
【ガリラヤへ行き】原語はイエスがガリラヤへ「現われた/到来した」です。後から「来る方」は「聖霊でバプテスマする」という洗礼者ヨハネの預言がここで実現したのです。
[15]この節は、イエスが実際に語った言葉から出ていると思われます。これがマルコの伝える福音の要約です。同時にこれが、イエスの福音の出発点です(マルコ1章1節の「福音の始め」の意味)。
【時は満ちた】預言者たちが預言していた時、神によって予め定められたその時が来たのです。「時」(原語は「カイロス」)は、このように神が働かれる「とき」とその「こと」との両方を含んでいます。いわゆる「時間」(原語は「クロノス」)のことではありません。「とき」とは、イエスがガリラヤに現われた「時」と「所」をひとつにした「時場」のことです。
【神の国】ほんらいは王の支配とその支配の及ぶ領域を指す言葉です。しかしここでは神が王であり、その支配は、イエスを通じて働く聖霊の力によって広がる領域です。これは、人間が始めたことではありません。神の御霊による新しい世界が、この世にあって、しかもイエスの霊性を通して創造されていくことです。
【近づいた】ギリシア語の動詞の完了形です。ヘブライ語で「すでに来ている」という意味にもなります。事が起こっただけでなく、その事がこれからも起こり続けていくのです。だから、神の国が「近づいた」は、御国がすでに始まっていることです。マルコにとって、福音は「御国の到来」のことです。このように、すでに始まっていながら、これからも継続しつつ完成へ向かうことを「終末的」と言います。神の国は終末的な性質を持つのです。
【悔い改めなさい】「信じなさい」と並んでギリシア語の命令形です。ヘブライ語では「戻る/帰る」ことで、「(主に)立ち返る」ことを指します。だから「悔い改める」とは、悲しみ嘆いて心を入れ替えることよりも、むしろ積極的に、神が遣わしたイエスの福音へと「向きを変える」こと、その方向へ「突き進む」ことです。ただし、ここの命令形は、人間の側が進んで行なうというよりも、聖霊の働きに促されて、御国へ「導き入れられる」ことでしょう。
【福音】この言葉は、旧約聖書のイザヤ書52章7~10節を反映していて、そこの7節にある「よい知らせ」からでています。神がイエスを通じて行なう「救いの業」としての御霊の働きが福音の内容です。
■マタイ4章
イエスのガリラヤ帰還は、マタイが最も詳しく述べています。ただし、マルコの「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」は、マタイでは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と簡略になっています。その代わりマタイだけが、イザヤ書から引用するのです。マタイは、マルコ1章の14節のガリラヤ帰還と同15節の福音の告知との間に、預言の成就としてイザヤ書の引用を挟んでいます。
[12]【ヨハネが捕らえられた】イエスと洗礼者ヨハネとの関係は、ここでは何も語られていません。この出来事の背景は、マタイ14章1~12節で語られます。
【ガリラヤに】最近になって、ガリラヤは、イエスの生まれ育った地方と言うだけでなく、イエスの伝道活動にとって重要な意味を持つ場所として注目されています。このために「ガリラヤ学」という分野さえできつつあるほどです〔山口雅弘著『イエス誕生の夜明け』日本キリスト教団出版局、2002年〕。イエスが生まれた当時、ガリラヤは三重の支配の下にありました。ローマ帝国の植民地支配、ユダヤの神殿国家体制による支配、当時のガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの支配です。ガリラヤの農民たちは、ローマ帝国によって搾取され、ユダヤの貴族や大地主や大商人に土地を奪われて困窮に陥っていました。ガリラヤの人たちは、ほとんどが農民でしたが、このために農作業の傍ら、家畜を飼うなどあらゆる仕事をしなければならず、湖や川の近くの人たちは漁業もやっていました。
イエスは、このような下層階級の農民で、「木工職人」(テクトーン)と呼ばれる家に生まれました。木工職人とは、建築の仕事というより家の修理や家具作りなどの小さな大工仕事をする人のことです。イエスもガリラヤの農民職人として、手に職を覚えて成長したと思われます。そしてガリラヤの農民と飲食を共にしながら、ローマ・ユダヤ体制の支配による社会的・政治的・宗教的な圧迫の苦しみを共にしたのです。
ガリラヤは、アジアとアフリカとヨーロッパを結ぶ交通の要地で、南北およそ55キロで東西およそ40キロの狭い地域ですが、古代から様々な権力による支配を受けてきました。このために、独立と抵抗の精神が強く、一揆や抵抗運動が繰り返し行なわれてきたのです。北部は山岳地帯で、南部は比較的豊かな平野でしたから、抵抗運動は北部の山岳や丘陵地帯を拠点に行なわれました。
宗教的には、ユダヤ教の影響が強かったのですが、もともとは、アッシリアによって滅ぼされた北王国イスラエルの人たちで、王国の上層階級はアッシリアによって捕らわれていきましたが、下層の農民たちはそのまま残り、この人たちがガリラヤ人の宗教的な伝統を維持してきました。こういうわけで、イエスの当時のガリラヤは、エルサレムのあるユダヤとは、異なる風土、異なる宗教的伝統を受け継いでいたのです。ユダヤとガリラヤとは、支配と被支配の関係にあったと言えるでしょう。
[13]【ナザレを離れ】イエスがどうしてナザレを立ち去ることになったのかは、ここでは語られません。ルカ福音書では、イエスのガリラヤ訪問のすぐ後にナザレでの出来事が語られますが(ルカ4章16節以下)、マタイ福音書では、13章53~58節で語られています。なおナザレについては、次回の「イエスのナザレ訪問」で述べます。
【ゼブルンとナフタリの地方】「ゼブルン」も「ナフタリ」もイスラエルの十二部族の名称から出た地名です。しかしここのマタイの記事は、地理的に見ると正確とは言えません。ゼブルンはガリラヤ湖と地中海との中間にある山岳地帯で、そこにナザレがあります。したがってゼブルンは「湖畔」ではありません。カファルナウムはガリラヤ湖の北にある湖畔の町で、内陸のナザレからは100キロ以上離れています。だから正確には「ゼブルン地方にあるナザレを離れ、ナフタリ地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」となるべきです。
マタイ4章13節は13章55~56節と関係していて、これによれば、イエスの「姉妹たち」がナザレに住んでいたことが分かります。ナザレはもともと父ヨセフが大工をしていた町で、イエスもここで育ったのでしょう。しかしイエスがガリラヤへ戻ったときには、イエスの母も兄弟たちもカファルナウムに住んでいたようです。だからカファルナウムの徴税人が、イエスのところへ神殿税の催促にきたのです(マタイ17章24節)。イエスの姉妹たちは、結婚していたのでナザレに残ったと思われます。ヨハネが、「イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き」(ヨハネ2章12節)と言っているのもこの事情を指しているのでしょうか。
マタイは、イザヤ書8章23節の預言に基づいてこの節を構成しています。この引用は、マタイ以前から、おそらく最初期のキリスト教会からの伝承を受け継いでいます。マタイの用いた地名の原語が「ナザレ」ではなく「ナザラ」とあるのも、それがマタイ以前からのもの(イエス様語録からか?)であることを示しています。だから、ここでは地理的な意味での「ゼブルン」や「ナフタリ」ではなく、イザヤのメシア預言にある「異邦人のガリラヤ」がマタイの念頭にあったと思われます。ゼブルンもナザレもナフタリもカファルナウムも「ガリラヤ」として総称されていたからです。なおマタイの原語では「海岸の町」となっていますが、これもマルコの用いた「ガリラヤの海」(1章16節)に影響されているのでしょう(原語は「海/湖」の両方の意味)。
【カファルナウム】カファルナウムはガリラヤ湖の北岸にあります。『イエス誕生の夜明け』によれば、紀元1世紀頃のカファルナウムの人口は約1000人から多くても2000人足らずでした。この村は、ガリラヤとヘロデ・フィリッポスの領地との境界にあり、行政的にも経済的にも重要な場所で、ローマの軍隊が駐屯していました(マタイ8章5~13節の百人隊長の部下の癒しを参照)。交通の要所であったために、イエスはここを拠点にしてガリラヤと周辺地域に伝道を行ないました(マルコ1章28節)。特にここはガリラヤ湖に面していたから、舟でガリラヤ湖周辺へ出かけるのにも便利だったからでしょう。例えばイエスの故郷の内陸のナザレに比べると、この町はイエスに好意的で、大勢の人たちがイエスを信じたようです。ただし、町全体が最後までイエスに好意を抱いていたとは言えないようです(マタイ11章23節参照)。
町はほぼ碁盤の目に、道路で区画されていました。多くの住居は二,三家族から五、六家族くらいが、中庭を中心に囲む集合住宅の形をとっています。集合住宅は、玄武岩の石を泥や小石で固めた壁でできていて、床は小石と土と藁をまぜて踏み固めてあり、屋根は木の幹や枝、土や藁で作ってあります。中庭には、かまど、石のひき臼、オリーブやぶどうを搾る圧搾の道具などがありました。これらは共同で用いたのでしょう。カファルナウムには、「ペトロの家」と呼ばれる住居跡が発見されています(マルコ1章29節)。これは家としては比較的広かったようです。ここは後に「家の教会」として用いられ、「ペトロの家」と呼ばれるようになりました。4世紀以降、キリスト教が広まるにつれて、巡礼の聖地となったようです。
[15]【異邦人のガリラヤ】15節~16節は、イザヤ書8章23節~9章1節からの自由な引用です。「自由な」というのは、マタイの引用が、イザヤのヘブライ語原典と一致しないばかりか、七十人訳のギリシア語とも一致しないからです。イザヤの預言は、アッシリアに征服された(元の)北王国イスラエルの地方(ゼブルン、ナフタリ、海沿いの道、ヨルダンのかなた)に宛てられています。そこから指導者層を含む多数の民が、アッシリアによって捕囚として連行されました。代わりにアッシリアの諸地方から「異邦の民」がこれらの地方に入植して住み着くことになったのです。イザヤによる「諸民族(異邦人と同じ原語)のガリラヤ」という呼び方は、この出来事を踏まえています。イザヤは、今はこの地方が屈辱にまみれているが、やがて必ず「栄光を受ける」と預言したのです。
しかし1世紀初頭のイエスの時代には、ガリラヤは、ユダヤの民にとって、ユダヤ地方に継ぐ重要な拠点となっていて、多数のユダヤ人が居住していました。本来ガリラヤは東西の交通の要地であり、パレスチナへの入り口でしたから、ガリラヤは文字通り「諸民族/異邦人」の交流の場であったのです。またローマ帝国によるヘレニズム化(ギリシア化)も政策的に押し進められていました。マタイの頃(紀元80年代)には、ユダヤの国はもはや存在せず、エルサレム神殿も崩壊していましたから、ユダヤ人にとってガリラヤの重要性はいっそう強まっていたと考えられます。ちなみにマタイ福音書が成立したのはシリアでしたから、ガリラヤは地理的に比較的近い所でした。
先に述べたように「ゼブルン」はナザレのある地方ですから、「ナザレを離れた」イエスが、ゼブルンの「光となる」のは不自然です。イザヤの原文は、「異邦人のガリラヤ」が「栄光を受ける」とありますが、マタイの引用は、そうは言わず、15節全体(ゼブルン、ナフタリ、カファルナウムなど)を主語として、16節の「光を見る」ことへつないでいます。これがマタイ自身による編集か、マタイ以前の伝承からか、あるいはその両方かは分かりません。マタイの真意は、イエスのガリラヤ到着によって、ガリラヤ地方全体に「光が射し込んだ」ことを言いたいのです(28章16節~19節参照)。
[16]ここの引用には、「暗闇に住む民」と「死の陰の地に住む者」とあります。エウセビオスの頃から、前者をユダヤの民に、後者を異邦人に宛てられた預言として分ける解釈があります。「異邦人のガリラヤ」には、ユダヤ人と異邦人のふた種類の民がいたというのがその理由でしょう。語法的な詮索はともかく、「諸民族」をマタイがふたつに分けていると見るのは適切でないと思います。「諸民族」から逆にユダヤ人を排除して、ここでの強調がユダヤ人意外の「異邦人」に置かれているという解釈も正しくないでしょう。「諸民族のガリラヤ」というマタイの引用には、イエスの神の国の告知が、ユダヤ人にも異邦人にも等しく向けられていたと受け取るべきです。
[17]マタイの告知には、マルコにある「時は満ちた」と「福音を信ぜよ」が抜けています。また、マタイは「天の国」と呼びますが、マルコとルカでは「神の国」となっています。マルコの言う「時は満ちた」は、洗礼者ヨハネの逮捕とその殉教が、イエスの宣教の開始のきっかけになったことを意味するのでしょうか。ルカは、洗礼者ヨハネとイエスとの二人の「時の違い」をいっそうはっきりさせています(ルカ7章28節)。これに対して、マタイの告知は、神の裁きに向けて悔い改めを説いた洗礼者ヨハネの言葉(マタイ3章2節)をそのまま用いています。マタイは「天の国」を現在よりも未来へ向けて、イエスの御国の到来をイスラエルと異邦人とが共に神の救いに与る終末に観ていると言えましょう。しかしマタイは、イエスの伝える「天の国」について、ほかの福音書よりはるかに整った形で「天の王国」のかたちを語っています。5章から7章の終わりまでの「山上の教え」と13章の天の国についての一連のたとえがこれです。
■ルカ4章
ルカは、イエスの誘惑に続けて、ガリラヤでの伝道開始を語り、次にナザレでの聖霊の力ある証し、そして人々の躓きへと続けます。この順序はマルコと似ていますが、ルカはここで、マルコ福音書1章の14~15節と同28節と同39節とをまとめて組み合わせています。このまとめは物語の区切りを表わし、これから語る出来事への序文の役目をしています。マタイ福音書とルカ福音書にある「神の国の宣教」がここで抜けているのはこのためでしょうか。マルコ福音書には、洗礼者ヨハネがでてきますが、ルカはすでに3章20節で述べているのでここでは省いています。
[14]【霊の力に満ちて】ルカは、使徒言行録の著者らしく、「御霊の力にあって」(原文の意味)を加えています。聖霊を「力」と言い表わすのは、使徒言行録1章8節と共通します。この節の後半「評判が周りの地方に広まった」という言い方も、使徒言行録の8章4節や25節と共通するところがあります。福音が広まるのは、御霊の働きによるからです。
【帰られた】マルコでは、ガリラヤへ「行った/来た」とあるのが、ルカでは「帰った/戻った」になっています。ここをルカ4章1節とつないでいるのです。ルカは、イエスが、ガリラヤから出ていって洗礼を受け、聖霊に満たされて、再びガリラヤへ帰ってきたと見ているのです。御霊によって試みに遭い、御霊によって語り、御霊によって伝わるのです。
【その評判】原文は「彼についての評判」です。次のナザレの事件に見られるように、ある人たちは彼を排斥し、ある人たちは彼を援護しようとしたのです。
[15]【教えた】マルコでは、福音を「宣べ伝えた」とあるのをルカは「教えた」に変えています。ここの「教える」は、マルコ1章21節から来ているのでしょうか。
【諸会堂】ガリラヤは総人口が15万あまりで、ナザレに近いセフォリスやヘレニズム風のティベリアスのような都市とその周辺に広がる農村とで成り立っていました。都市の人口は24000人ほどであるのに対して、農村は300人~500人ほどの小さな村々で、数家族ごとに集合住宅に住むかたちで暮らしていました。だから都市と農村との間の格差が目立ちます。村の周りには、小麦や大麦、オリーブやぶどう畑があり、野菜の小さな菜園もあり、羊や山羊などの家畜も飼われていました。会堂と言っても、村の中で、中庭のある個人の住宅などがこれに当てられていて、そこで共同で食事をすることもできました。だから建物を意味する「諸会堂」と言うよりも、ガリラヤの村落にある「諸集会で」と言うほうが正しいでしょう。
【尊敬を受けられた】原語は「栄光を受けた」。人々から賞賛されたという意味と同時に神の御栄光を顕わしたという意味も含まれています。