【注釈】
■マルコ1章
この部分はマルコに伝えられた伝承に基づくものです。イエスは神の国の近いことを宣言したすぐその後で、二人ずつ4人の弟子を伝道へと召命します。イエスの伝道活動は、その弟子たちと終始一緒であって、この4人は、その弟子たちの中核になる人たちです。弟子の召命と派遣は、マルコ福音書の3章13節と6章7節と8章27節にでてきますが、マルコ福音書全体の構成にとって大事な意味を持っています。それぞれの箇所が、新しい展開への出発になっているからです。
ユダヤ教のラビたちの場合は、通常弟子を集めることをせず、弟子たちのほうから師を求めて集まるのが常でした。だからここでのイエスの召命の仕方は、当時の社会常識から見るとやや唐突な感じを受けます。このやり方は、通常の宗教の師ではなく、しるしと奇跡を伴う霊能者や預言者の召命の仕方に近いと言えましょう。事実ここでの召命は、霊能の預言者エリヤによるエリシャの召命物語に類似していると言われています(列王記上19章19〜21節)。
ルカによれば、この召命に先立って、イエスはナザレを訪れていますが、マタイもマルコも、イエスのナザレ訪問を弟子たちの召命の後のことにしています。ヨハネでも、召命の後でカナでのしるしが語られますから、ここはやはりマルコに従って、ガリラヤ伝道の出発に当たって、弟子の召命が行なわれたと見るほうがいいと思います。おそらくルカは、使徒言行録と同じように(使徒言行録2章)、イエスの伝道が、聖霊の注ぎによって始まったことを語りたいのでしょう(ルカ4章18節)。
[16]【ガリラヤ湖のほとりを】イエスは、ガリラヤ湖の北の沿岸にあるカファルナウムを中心にして、これより西の方の沿岸にあるゲネサレトと東の方の沿岸にあるベトサイダにかけて初期の伝道を行なって、多くの支持者を得たと思われます。この一帯は漁村で、カファルナウムは、ヘロデ・アンティパスの領地であるガリラヤとヘロデ・フィリッポスの領地であるガウラニティス地方との境界の西(ガリラヤ側)にあり、ガリラヤ湖沿いの街道にあったから、貿易による交通の要所となる町でした。ガリラヤには二つの大都市、セフォリスとティベリアスがあって、これらは、ヘレニズム化した大都市でした。セフォリスはナザレの近くにありましたから、イエスは、まだ木工の仕事をしていた頃には、たぶん父と一緒に、セフォリスを訪れていたでしょう。けれどもイエスは、どちらの大都市へも伝道に行っていません。イエスの伝道活動は、大都市の周辺に広がる農村や漁村の比較的目立たない所で、農民や漁民などを相手に行なわれました。しかし伝道の相手となる人々の身分や職業は様々で、経済的に見ても、比較的裕福な人たちも貧しい人たちも含まれていました。なお原語では「湖」と「海」とは同じで、「ガリラヤ湖」は「ティベリアス湖」(ヨハネ21章1節)とも「ゲネサレト湖」とも呼ばれています。
【シモンとシモンの兄弟アンデレ】この二人はベトサイダの出身だとあります(ヨハネ1章44節)。しかしイエスの伝道活動の頃には、家族はカファルナウムに移っていたと思われます(マルコ1章29節以下)。「アンデレ」はギリシア名で、これあたるヘブライ/アラム名はありません。「シモン」はギリシア名ですが、ヘブライ名「シメオン」と重なります。これは当時普通のことで、彼らの家が特にヘレニズム的であったのではありません。シモンは後にイエスに「ペトロ」と名づけられます(マルコ3章16節)。ここではシモンの名前が2度繰り返されていますが、これは、マルコ福音書がペトロと深いつながりがあることを証ししていると言われています。
アンデレについては、共観福音書では、イエスによる召命の記事と十二使徒の中にその名前がでてきます。それ以外では、ここで召命された4人で、終末についてイエスに尋ねる場面に名前がでてくるだけです(マルコ13章3節)。しかしヨハネ福音書では、彼は洗礼者ヨハネの弟子であって、シモン・ペトロをイエスに引き合わせたとあります(ヨハネ1章42節)。彼はパンの奇跡の場面(ヨハネ6章8節)にも登場し、また、同郷のフィリポと一緒に、ギリシア人をイエスに引き合わせる仲介をしています(ヨハネ12章22節)。後の伝承(ヨセフス『教会史Vの1』や『アンデレ行伝』とその原本)の伝えるところによれば、彼は、現在のトルコ領内のカッパドキアとガラテヤを通り、ビザンティウム(現在のイスタンブール)にいたり、そこからマケドニアを経て、アカイア州(現在のギリシア)のパトラエへ来て、そこで宣教したと伝えられています。彼の癒しを受けた総督レスビウスの妻マクシミリアのことが原因で、次の総督アイゲアテスの怒りを買って、彼は進んで十字架にかかったと言われています。アンデレの十字架は、「十」の字型ではなく、×しるしの形であったと伝えられるので、教会はこれを「聖アンデレの十字架」と呼んでいます。アンデレは、スコットランドの守護聖人で、スコットランドには、ゴルフの発祥地で有名なセント・アンドリューズがあります。
【網を打っている】原語は1語で「網投げをする」です。これは通常水の中に入って、投げ網の漁をすることを指す言葉なので、この二人は、船を持っていなかったのかもしれません。もしもそうだとすれば、彼らは比較的貧しい漁師だったと考えられます。「彼らは漁師であった」とあるのは、イエスの「人を採る漁師」という言葉へ結びつけるためです。
[17]【ついて来なさい】原文は「そこで彼らに言われた。『こちらへ。わたしの後を。』」です。イエスは二人を「こっちへ」と手招きして、「ついておいで」と言ったのです。まるで日常の会話のようです。この「わたしの後を」という言い方は、「後からついて来る/行く」という意味で、その人の弟子になるという意味にもなります。イエスの後からついていく、これがイエスの弟子になることです。
【人間を採る漁師にしよう】旧約聖書では、「人間を魚のように釣る」ことは、人を裁き苦しめることを意味しました(エレミヤ16章16節/アモス4章2節)。このことから、ここでのイエスの召命も弟子たちの伝道を通じて人々を終末の裁きに向かわせるためであるという解釈があります。しかし、ここの意味は、このような裁きのための伝道とは正反対で、人を救うことです。同じように「神のみ手に陥る」ことですが、旧約の場合とイエスとでは、結果は正反対です。ちなみに、初期のキリスト教では、「イエス・キリスト、神の子、救い主」のギリシア語の単語の頭の文字を組み合わせて「イクスス/IXTHUS」(魚のこと)と呼んでいて、魚の絵はクリスチャンとキリスト教の象徴として用いられました。
[18]【すぐに網を捨てて(彼に)従った】このことから、伝道するためには職業(と家族)を捨てなければならいい、という解釈が生まれました。仏教で言う「出家する」と同じです。仏教では、これは修行のために遍歴して行脚(あんぎゃ)する必要からでした。イエスも、弟子たちを連れて、町から町へと巡回して伝道を行ないました。しかし、「網を捨てた」とあるのは、そのような具体的な行為を指すだけではなく、弟子たちの生活態度が、イエスと一緒に福音を伝える姿勢へと根本的に変わったことを意味します。ただし、彼らが実際に「家と仕事を捨て去った」のかと言えば、必ずしもそうではありません。マルコ福音書ではイエスがしばしば船を利用したとありますが、これは弟子たちの中で船を所有している人たちがいたことを意味します。また、弟子たちが船と漁具を保持していたことは、ヨハネ福音書21章3節からも分かります。シモンはこのすぐ後で、イエスたちを家に招いて癒しを行なってもらいますから(マルコ1章29節以下)、家族とのつながりも絶たれてはいません。イエスたちは、おそらくシモンの家を拠点にして、カファルナウムでの伝道を行なったのでしょう。なお、この記事では、4人はイエスと初対面のように見えます。しかし、ヨハネ福音書1章35節以下によれば、シモンたちもイエスも洗礼者ヨハネの弟子であったとあります。したがって、彼らはすでに互いに知り合っていたと考えられます。なお「すぐに」とあるのは、マルコが話を先へ進めるためにしばしば用いる言い方です。必ずしも「急いで」行なったという意味ではありません。
[19]【ゼベダイの子ヤコブと彼の兄弟ヨハネ】19節〜20節は、これに先立つシモンたちの召命と並行して語られています。「人を採る漁師」という約束は省かれていますが、内容的に見て先の場合と同じです。原文は「少し行くと、ゼベダイの子ヤコブと彼の兄弟ヨハネがいて、彼らが網を準備している/修理しているのをご覧になった。」です。「少し進んで」とあるのは、この二組の兄弟たちが知り合いであったことを示唆します。ルカでは、彼らは「仲間」だったとあります。共観福音書を通じて、この二人は常に「ゼベダイの子」と呼ばれていて、弟子たちの間でも、二人は一組に扱われていたようです。十二弟子の中に別の「アルファイの子ヤコブ」がいて(マルコ3章18節)、彼は「小ヤコブ」と呼ばれ(マルコ15章40節)、ゼベダイの子ヤコブのほうは「大ヤコブ」と呼ばれています。もう一人新約聖書には、「イエスの兄弟」であるヤコブがいて、この人は後にエルサレム教会の柱と言われるようになります。大と小の二人のヤコブは「使徒」と呼ばれますが、主の兄弟ヤコブは「使徒」ではなく、「義人ヤコブ」などと呼ばれます。「ゼベダイの子」と呼ぶのは、ほかのヤコブと区別するためもあったからでしょう。
【網の手入れを】彼らは「船の中で網を手入れしていた」とありますから、船の所有者だったことが分かります。網も、舟で漁をするためのもので、数人で用いる大きな網だったと思われます。「手入れしていた」のは、漁が終わったからでしょう。また家には「雇い人たち」がいたのですから、シモンたちと比べるとかなり裕福な家だったようです。
[20]【彼らをお呼びになった】原語の「カレオー」(呼ぶ/召し出す)は、キリスト教の教会において、伝道のためにイエスが「召命する」ことを表わす言葉になりました。
【イエスの後に】18節と同じく、イエスの召命の言葉を聞いて、黙っているのではなく、すぐこれに「応答した」ことに注意してください。イエスに呼びかけられた人は、そのお言葉を無視したり、実行しないで黙っていてはいけないのです。
■マタイ13章
マタイの召命の記事はマルコを下敷きにしていて、どちらもイエスがガリラヤへ来て伝道を開始した直後に召命が行なわれます。ただし、マタイはマルコの記事に多少変更を加えています。マタイでは、イエスの癒しの伝道の評判が、ガリラヤの外部にまで広まるとイエスの山上の教えへと移行します。これはマタイが、イエスの「教え」を重視しているからです。
[18]【ペトロと呼ばれるシモン】マタイは、マルコにはない「二人の兄弟」という言い方を加えています。その上で、マルコの「シモン」を「ペトロと呼ばれるシモン」へと変えています。これはマタイ福音書の読者(と聴衆)たちが、すでにこの二人のことをよく知っているからです。マタイは、教会の成立と関連づけて、この召命物語を見ているのです。特に「ペトロ」とあるのに注意してください。マタイの教会はシリア地方にあったと考えられます。ここにはキリスト教の発展に大きな役割を果たした大都市アンティオキアがありました。アンティオキアの諸集会は、ペトロとのつながりが深く(ガラテヤ2章11節以下)、ここの教会ではマタイ福音書が早くから使用されていて、アンティオキアの主教イグナティオス(35頃〜110以降)もマタイ福音書を知っていたと考えられます。アンティオキアには、異邦人キリスト教徒の集会だけでなくユダヤ人キリスト教徒の集会もあったと考えられるので、マタイもユダヤ人キリスト教徒を中心とするこれらの集会に関係していたのかもしれません。マタイ福音書がアンティオキアの教会で成立したという確かな証拠はありませんが、ここのユダヤ人キリスト教徒たちとマタイとはつながりがあったと考えることができます。
[21]【別の二人の兄弟】先の「二人の兄弟」と併せて、マタイはここでも「別の二人の兄弟」という言い方をマルコに加えています。こうして二組の兄弟を並行させることで、この二組が、全く同じ状態でイエスの召命を受けたことを表わそうとしているのです。だからマタイは、次の節で、マルコにでてくる「雇い人」を削除しています。二組の兄弟が、召命を受けた時に、同じような状況にあったことを示すためでしょう。
[22]【すぐに残して】マルコでは「すぐに」は、イエスが弟子たちを呼んだことに関連していますが、マタイでは、弟子たちが「すぐに船と父とを残して」となっています。また、マルコでは「ついて行った」とあるのをマタイは「従った」へと変えています。「従う」はマタイがよく用いる言い方で、イエスの弟子になることをためらってはいけないことを説いているのです。
■ルカ4章
ルカの召命物語もマルコに準拠するところがあります。しかしルカは、マルコの物語を大幅に編集し直しています。
(1)ルカでは、この弟子たちの召命の前に、イエスがナザレの会堂で迫害を受けた出来事を記しています。だから、ここ召命の場での弟子たちと民衆のイエスへの態度は、ナザレの人々の対応とはちょうど対照的です。しかもマルコでは召命の「後に」来る悪霊追放とシモンのしゅうとめの癒しと巡回伝道とが、ルカでは召命の「前に」置かれています。だからイエスとシモンたちとは初対面ではないことになります。
(2)イエスは、マルコにあるように、湖畔を「通りかかった」のではなく、押し迫る民衆を前にして、船の中から教えを語り、召命はその後で行なわれます。
(3)最も大きな違いは、召命に先立って、奇跡的な大漁の話がでてくることです。この部分はマルコにはなく、ルカの特殊資料からでていますが、この伝承自体は、ルカだけのものではなく、他の諸教会にも伝わっていたと思われます。この大漁物語のように、従来、ルカだけの特殊資料と考えられてきたものも、実際は様々に形を変えて、諸教会に伝わっていたと考えられるようになりました。だからこの話は、ヨハネ福音書の21章1節以下にも違った形ででてきます。
(4)ルカの召命物語では、シモンが重要な役割を果たしていて、全体として「シモンの召命物語」という印象さえ受けます。ルカは、ここから始まって、シモン・ペトロが、これ以後イエスの第一弟子として重要な役割を果たすことになり、それが使徒言行録へと引き継がれることを意図していると言えましょう。
[1]【ゲネサレト湖畔】「ゲネサレト湖」はガリラヤ湖の別名です。湖の西岸の平野部は「ゲネサレ平原」と呼ばれていました。マルコとマタイの原語は「ガリラヤの海」ですが、ルカは「湖」という言葉に変えています。ルカはパレスチナの地理に疎いと言われていますが、決してそうではありません。イエスが教えを語るここでの状況は、マルコ4章1節の叙述と似ていますので、ルカはマルコのこの部分を参考にしたのではないかと考えられます。
【神の言葉を聞こうとして】「神の言葉」“The Word of God”は単数です。この言い方は、マタイ(15章6節)とマルコ(7章13節)とヨハネ(10章35節)にも1回ずつでてきますが、どの場合も旧約聖書との関連で用いられています。ところがルカはここで、イエスが伝える御国の福音のことを「神の言葉」と言い表わしていて、福音の宣教を「神の言葉を語る/宣べ伝える」こととしています。この用法は新約聖書独特で、ルカ福音書に4回(5章1節/8章11節と21節/11章28節)でてきますが、使徒言行録では14回も用いられています。福音書ではイエスが「神の言葉」を語りますが、使徒言行録では使徒たちが「神の言葉」を宣べ伝えます。「神の言葉」は、「神についての教え」という意味ではなく、「神がお語りになる御言葉」のことであり、むしろ「御国の福音」そのものを指す言い方です。しかもそれは、神が「イエスを通じて」語られる福音であり、したがってイエスご自身が、人間に遣わされた「神の言葉」であると言うことができましょう。ヨハネ福音書では、イエスは、世の初めから存在する「ロゴス/ことば」として、「言(ことば)」〔新共同訳〕と呼ばれています。ルカが転用したマルコ4章1節以下では、種蒔きのたとえが語られています。おそらくルカは、マルコのこの状況を「神の御言葉を語る/伝える」イエスのここでの状況に採り入れたのだと思います。このことは、以下で起こる大漁も、弟子たちの召命も、「神の言葉」を伝えるためであることを示唆しています。
[2]【漁師たちは】マルコと違って、船は2そうあります。また、船はすでに岸にあって、漁師たちは船から上がって網を「洗っていた」(マルコでは「手入れする」)とあります。漁はすでに終わっていたのです。これは、イエスが漁師たちに「頼んで」船を再びでしてもらうからでしょう。
[3]【シモンの舟】2節では「漁師たち」と複数ですが、アンデレの名前はでて来ません。マルコでは「シモンとその兄弟アンデレとあり」とあり、続いて「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ」がでてきます。マタイでは「ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ」とあり、続いて「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ」とあります。マタイが「ペトロ」を強調しているのは、教会の指導者としてのペトロの地位を明らかにする意図からでしょうか。ルカは、アンデレを省いて、教会の3人の大黒柱として知られているペトロとヨハネとヤコブを登場させています。ただし、5章7節には「彼らと」共に魚を集めるためにほかの船から助けを頼んだとあるので、シモンの船にいたのは一人でなかったことが分かります。ここでイエスが、「シモンの船から」教えを語る姿は、後にペトロが、「イエスの船」となって神の言葉を語る姿へと結びついていきます(使徒言行録2章14節)。
【腰を下ろして教え始められた】ユダヤ教の教師(ラビ)たちは、座って教えるのが常でした。また「教える」もルカがイエスについて用いる言い方です。イエスのこのような姿は、イスラエルの伝統的な「知恵の教師」に近いと言われています。
[4]以下の大漁の奇跡は、ルカ福音書とヨハネ福音書(21章1節以下)だけにでて来ます。二つの記事は共通するところが多く、同じひとつの伝承からそれぞれに異なって受け継がれたと思われます。ヨハネ福音書でルカ福音書と異なっている点をあげてみますと、ヨハネ福音書では、この奇跡は、イエスが復活して顕現する時にでてきます。弟子たちには、イエスが、始めはだれだか分かりません。イエスは岸辺にいて、弟子たちは船にいます。ペトロと一緒にいるのは、「主が愛した弟子」です。ペトロは魚を忘れて水の中に飛び込んで、イエスの所へ走ります(「離れてください」と言うルカの記事とは逆です)。
ところで、ルカ福音書のこの8節では、大漁の後でペトロが、イエスに向かって「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」と言っています。ここで「主よ」という呼びかけに変わる点に注意してください。「主よ」という呼びかけは、復活したイエスに対する時に用いられるからです。このことから見ると、ほんらいこの伝承は、イエスの復活と顕現を伝えるものだったと考えられます。「わたしは罪深い」というペトロの告白も、イエスの受難の時に、イエスを否定したペトロの行為を暗示しているのかもしれません。ルカ福音書の読者/聴衆は、教会のこれらの伝承をよく知っていたからです。だから、ルカはここで、復活したイエスの姿を弟子の召命と重ねていることが分かります。とすれば、ルカのこの記事は、過去の出来事ではなく、現在のルカの教会の人たちに向けられていて、復活して御霊となって御臨在するイエスからの呼びかけとして受け取られることになります。
【沖へ漕ぎ出して網を降ろし】原文では、「漕ぎ出す」はシモンだけへの単数の命令ですが、「あなたがたの網を漁獲のために降ろしなさい」は、複数の人への命令になっています。マルコを参照にした結果、このような言い方になったと考えられますが、イエスがシモン一人に命令している点に注意してください。通常ガリラヤ湖の漁は、昼ではなく夜に行なわれました。その結果何も捕れなかったのですから、イエスの命令は常識に反しています。
[5]【先生】原語は「エピスタテース」です。マルコやマタイやヨハネでは「ディダスカレ」(教師)あるいは「ラビ」です。新約聖書では、ルカだけにでてくる呼び方で、ユダヤ教の「ラビ」を訳したものです。この「ラビ」は、宗教的な指導者に対して用いるもので、「尊師」に当たりますから、ルカはこの呼び方を弟子たちや信奉者たちがイエスに対する時にだけ用いています(ルカ8章24節と45節/17章13節など)。ただし「エピスタテース」は、ギリシア・ローマでは、より一般的な「先生」の意味でも用いられました。なお「網を降ろしてみましょう」も単数形ですから、ペトロだけが答えています。夜通し働いて何も捕れなかったのに、このように答えているのは、彼のイエスのお言葉に対する信仰を表わしています。
[6]【魚がかかり】原文は「沢山の魚を囲い込んだ」です。このやり方は、網で魚を囲い込む方法です。この場合、魚が多いと1そうの船では囲い込むことができません。そこで2そう以上の船が、互いに連携して魚を逃がさないようにしなければなりません。だから二人は、「仲間」(原語は「共有者」で、漁獲をも互いに分け合う人たちのこと)に「合図を送って」、互いに連携しながら魚を引き揚げたのです。
【網が破れそう】ヨハネ21章11節では「網は破れなかった」とあります(これは二重の奇跡です)。ここでも網は「破れそうで、破れなかった」のです。
[8]【シモン・ぺトロは】ここでもペトロがみんなの代表になっています。「シモン・ペトロ」という言い方は、マタイに1回(16章16節)、ルカに1回(5章8節)ありますが、ヨハネ福音書には1章40節を始め、全部で16回でて来ます。もしかすると、ルカのここの呼び方には、ヨハネ福音書21章15節以下で、イエスがシモン・ペトロに与える大使命が反映されているのかもしれません。
【イエスの足もとにひれ伏して】原文は「イエスの膝もとにひれ伏して」です。イエスは船の中で坐っていたのでしょう。ペトロはその前にひれ伏したのです。「膝」をペトロの膝と解釈して、「跪(ひざまづ)いて言った」という読み方もあります。
【わたしは罪深い者】「罪深い者」というのは、ペトロが、なんらかの具体的な罪の行為をして、神の意志にそむいたことを指している(ルカ22章54節以下を参照)と解釈することができます。しかし、モーセやイザヤの場合のように(出エジプト記3章4節以下/イザヤ6章1節以下)、主なる神の顕現に接した者は、だれでも恐れてひれ伏すと旧約聖書にありますから、ここでもペトロは、イエスに神ご自身の御臨在を感じてひれ伏した見ることもできるでしょう。
[10]【シモンの仲間】原文は「シモンと仲間関係にあった」で、「仲間関係」には「コイノーニア」が用いられています。明らかに、ペトロや彼と交わりのあったほかの弟子たちにとって、ここでのイエスとの出会いは初めてではありません。すでに、彼らの間では、イエスを中心とする「交わり・コイノーニア」が存在していたことを示唆しています。召命はその中で起こったのです。だから、魚の大漁は、召命において、ペトロを初めとする弟子たちが、「沢山の魚を捕獲した」こととほんらい直接のつながりはありません。というのも、弟子たちが集めた集会は比較的小さなものに留まっていたからです(第一ペトロ1章1節/同2章11節)。
【人間をとる漁師】マタイとマルコでは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」となっています。ところがルカの原文では、「恐れるな。今からはあなたは、人間を生きたまま捉える者になる」とあります。「恐れるな」は、復活の顕現に接した時の状態を思わせます。また「人間を生きたまま捉える」というのは、ルカが、人間を魚にたとえて、これを「捕まえる」という言い方を避けているからだと思われます。「人を捕まえる漁師」は、すでに教会の人々の間ではよく知られていたたとえで、伝道を漁獲と見なす伝道者たちがいたのでしょうか? ルカはこの点を配慮して、人を「生きたまま捉える」、すなわち、魚のように捕獲するのではなく、人を「活かして救う」という言い方に変えたのです。
[11]【彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨てて】「今から後」もルカがよく用いる言い方で、古い状態から新しい状態へと転換を決意することを指しています。彼らはこの招きを境にして、彼らの古い職業をあらわす舟とすべてを捨てて、イエスに従うことになったのです。ここにも、彼らがすでに宣教者として働いている現在の姿が、これを決意した過去の姿と重ねられています。このような転換は、キリストの復活に接することによって生じたのです。