141章 狐のヘロデ
              ルカ13章31〜33節
                  【聖句】
■ルカ13章
31ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」
32イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。
33だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。」  
                  【注釈】
                  【講話】
■悪霊を追い出し病気を癒やす
 今回のところでイエス様は、ファリサイ派の警告を受けた時に、ご自分の伝道スタイルを「悪霊を追い出し、病気を癒やす」と呼んでおられます。イエス様の神の国伝道の特長は、この一句でまとめることができます。
 「悪霊追放と病の癒やし」の伝道スタイルをほとんどそのまま実行した人をわたしは知っています。わたしがまだ若い頃に通訳をしたアメリカの宣教師オズボーン先生です。先生の伝道スタイルは、イエス様のやり方と全く同じだと言ってもいいほどです。先生は2014年現在もまだ健在で、3年ほど前に東京の川口で集会をされた時、45年ぶりに先生とお会いすることができました。先生のことはコイノニア会ホームページ→聖書講話→「わたしの場合」→4章「O先生のこと」をご覧ください。
 先生の著書『病を癒やし悪霊を追い出す』〔T.L.Osborn Healing the Sick and Casting out Devils. Oklahoma:Tulsa (1955)〕には、イエス様からの癒やしと悪霊追放の方法が具体的な実例と共に書かれています。要するに、福音書(とりわけマルコ福音書)をそのまま信じて、そのまま「実行する」ことです。イエス様に願って病気を癒やされた人がしたとおりにイエス様の御言葉を信じてお願いすることだけです。先生のすごいところは、それを自分のカリスマ的霊能としてではなく、聖書の御言葉として、信じる者には誰でも全く同じ事が起こると教えることです。こういう信仰の在り方には、癒やされない場合もあるとか、医学に頼らないとか、キリスト教以外を否定するなどの欠点もあります。しかし、聖書の御言葉を純心に信じてそのまま実行する人にわたしは先生以外にまだ出会ったことがありません。この意味で先生との出会いはわたしにとって貴重な体験です。
 オズボーン先生の伝道を「霊能的」と呼ぶのはふさわしくないかもしれませんが、20世紀を代表する偉大なキリスト者として、預言者マーティン・ルーサー・キング牧師、聖者マザー・テレサ、賢者マハトマ・ガンジー、この3人のほかに、霊能のオズボーン先生を加えてもいいと思います。「3人寄れば文殊の知恵」と言いますが、この4人を併せると歴史のイエス様像ができあがるでしょう。
 霊能の先生を紹介しましたが、もう一人わたしが師と仰ぐ方がいます。小諸で結核患者たちを自宅に引き取って世話をして一生を終えられた川口愛子先生です。先生のことはコイノニア会ホームページ→聖書講話→「川口愛子先生と真理子さん」をご覧ください。純粋に信仰と希望と愛に生きられた川口先生、通称「小諸のママさん」のことをわたしは忘れることができません。先生はイエス様の霊能ではなくイエス様の霊性をそのまま生きられた方です。お二人を通じて、まことの「霊能と霊性」を知ったことはわたしにとって最大の恵みになっています。
■権力とイエス様の道
 今回教えられるもう一つのことは、イエス様の旅が、ヘロデの迫害に始まりエルサレムでの死で終わっていることです。ヘロデはイエス様の霊能を耳にした時、洗礼者ヨハネの場合と違って、当初、イエス様を自分の権力の手先として利用しようともくろんだ節があります。しかし、イエス様の志が、権力の誘いに乗ることなく、ひたすら神の導きに従うことにあるのを察知して、領内から排除するか、洗礼者同様に殺害しようともくろんだのです。
 このように、懐柔策あり排除策あり迫害策ありですから、神の道と政治権力との関係は一定ではありません。権力と神の道の相互関係は複雑で流動的です。宗教のほうが権力に近づこうとする誘惑に陥る場合もあります(マタイ4章8〜10節)。社会秩序のために国家の法に従うパウロの方針から(ローマ13章1〜7節)、サタンの弾圧に抗するヨハネ黙示録の忍耐まで(ヨハネ黙示録13章11〜18節)、その間に様々なヴァリエーションが考えられます。しかし、エクレシアは、いかなる場合でも右顧左眄(うこさべん)することなく、主の「永遠の命」の御言葉だけを歩む心がけが大事です。
 権力とエクレシアの関係を日本で見れば、キリシタンの場合があります。信長はキリシタンを擁護することで、一向宗を弾圧し天下布武(武をもって天下を支配する)のためにキリスト教を利用しようとしました。しかし、秀吉の時にその方針が揺らぎ始め、徳川家光の時には、仏教の僧侶の進言を受けて厳しい弾圧に乗り出しました。以来370年を経て、今ようやくこれらキリシタンの人たちの信仰が報われ、この国の民に実りをもたらそうとしています。キリシタン殉教の歴史は、日本人のキリスト教の霊性を支える貴重な宝なのです。
■キリスト教の弁明者たち
 ただし、徳川時代のキリシタンたちが見落としていた二つのことがあります。一つは、16〜17世紀にかけて、ヨーロッパでは、ローマカトリックとプロテスタントの間で熾烈な宗教戦争が闘われていたことです。カトリックのポルトガルとスペイン、対するプロテスタントのオランダ、この対立が日本のキリシタンの運命に影を落としていることをキリシタンたちは全く知らなかったのです。キリスト教の世界的な状勢に疎(うと)いことが、彼らの運命を左右するけっかになりました。
 もう一つは、日本国内で、特に仏教の側からキリスト教への反感と憎悪が生じていたことです。キリシタンはこの点にも無警戒でした。この点で、ヘレニズム時代のキリスト教時代に「キリスト教の弁明者たち」が数多く現われて、ローマ帝国とヘレニズム世界に向けてキリスト教の弁明に努めたことと対照的です。当時の教会は、批判されれば批判を返し、論難されれば論議で応え、決して譲ることなく言葉を尽くして弁明を続けました。これら「キリスト教の弁明者たち」の果たした役割はとても大きかったのです。
 国外情勢に無知で、国内情勢に無警戒であったことがキリシタンたちを苦境に追い詰めとも言えましょう。だからこれからの日本のエクレシアに携わる人たちは、常に内外の状勢に目を向けながら、反論には反論し、非難には批判を返し、小事から大事にいたるまで、常に発言を繰り返すことがとても重要なのです。
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