【注釈】
■ルカ13章31~33節
 ルカ福音書では13章31~35節がひとつのまとまりを形成しています。しかし、ここは31~33節の「狐のヘロデ」と34~35節の「預言者を殺すエルサレム」の二つの異なる資料が「エルサレム」を共通語として(交差法で?)結びつけられています。前半部はルカ福音書だけですが、後半34~35節はマタイ23章37~39節と並行します。しかも後半部はイエス様語録(Q13:34)から出ていて、マタイ福音書とルカ福音書はほとんど同じです。内容も順序もマタイ福音書のほうがイエス様語録に近いと思われますから、34~35節は旅の途中ではなく、エルサレムで語られたと見るほうが適切でしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1034頁〕。したがって、この二つは切り離して、今回は31~33節の部分だけに留めます。
 31~33節は、ルカ福音書だけにでてきますから、これはルカ福音書の独自資料(L)からです。資料的な視点から言えば、32節のほうが生前のイエスの言葉を伝えていると見ることができましょう。ルカ福音書では、今回の独自資料(L)が、その前後のイエス様語録(Q)の間に挟み込まれていますが、これは、イエスと「共に食事をする」(13章26節)程度の付き合いでは霊的に無意味であると警告し、「主」(同22節)とともにどこまでも歩む覚悟が必要なことを示すためです。
 33節は32節のイエスの言葉をイエス復活後の観点から救済史的にとらえていますが、この二つの節は密接に結びついていて、ナザレのイエスの「エルサレムへの旅」の意義を明示しています。ここで展開される「旅」は、ヘロデの迫害に端を発して、ガリラヤよりもエルサレムでの殉教を選ぶイエスが、十字架を目指して歩む受難への旅であり、「エルサレムでのエルサレムによる受難」へ神によって導かれるのです〔コンツェルマン『時の中心』115頁〕〔フィッツマイヤ前掲書1029頁〕。今回の箇所が、警告とエルサレムへの告発の二つ記事の間に置かれているのはこのためです。
■注釈
[31]【ちょうどその時】内容的に見るなら、これはヘロデの領地内での出来事になります(9章7~9節参照)。今回の出来事はルカ福音書の文脈ではエルサレムへ向かう旅の途中の場所として設定されていますから、ユダヤの東側のペレアでの出来事でしょうか(ペレアも当時アンティパスの領内に含まれていました)〔プランマー『ルカ福音書』348頁〕。この記事は、イエスの旅が、ヘロデの圧迫が直接のきっかけであったことを裏付けるものです。ここでは「その時」がエルサレムへ向かう旅と結びつけられて、イエスがなぜエルサレムへ向かう決意をしたのか、その意図を伝える重要な鍵を提示しています。イエスはヘロデによって殉教した洗礼者ヨハネを見て、自分の受難の場としてエルサレムを選んだことが示唆されるからです。ここにルカ福音書でのイエスの生涯と活動への神学的な意義づけを見ることができましょう。
【ファリサイ派の人々】イエスと対立関係にあるファリサイ派の人がわざわざ警告に来るのは不自然だという見方もありますが、イエスの時代のパレスチナのファリサイ派は多様であって、当時のパレスチナの政治権力に対するイエスの立場は、ファリサイ派への厳しい批判にもかかわらず、ファリサイ派に通じるところが多いと見られています。現在では、ファリサイ「派」というよりもファリサイ主義的な「運動」に近かったと考えられています〔ボヴォン『ルカ福音書』(1)181頁〕。ファリサイ人たちは、エルサレムの祭司制度ほどには組織化されていなかったからです。四福音書を通じてイエスとファリサイ派が敵対するのはイエスの裁判までで、裁判から受難にかけてファリサイ派は登場しません(マタイ27章62節を除く)。ルカの頃のファリサイ派は、ユダヤ教の指導者として反キリスト教的な立場を採っていましたが、それでもルカ福音書もヨハネ福音書も、ファリサイ派にさえもイエスの救いが開かれていることを否定していません。これはおそらく、復活について、ファリサイ派とキリスト教会が共通していたからでしょう〔ボヴォン『ルカ福音書』(1)181頁〕。
【立ち去って】危険が迫っているためにすぐその場を離れるよう告げることです。為政者からの圧迫が、イエスがガリラヤを離れる直接のきっかけであったことを裏付けています。
【ヘロデ】ルカ福音書にでてくるのはパレスチナの領主ヘロデ大王(在位前42~前4年)(ルカ1章5節)とその息子でガリラヤの領主ヘロデ・アンティパス(在位前4年~後39年)(3章1節)で、このアンティパスはルカ福音書に10回でてきます。ちなみに使徒言行録では、大王の孫でアンティパスの腹違いの兄弟の息子ヘロデ・アグリッパ1世(使徒言行録12章1節以下)とその息子アグリッパ2世(同25章13節以下)です。
 ヘロデ・アンティパスは、できればイエスの霊能を己の権力のために利用しようともくろんでいた節があります(9章9節)。しかしイエスが地上の権力の支配に屈することなく神の導きだけに従うのを知って、イエスを殺害しようとしたのです。ただし彼はイエスに強い敵意を抱いていたわけではなく、エルサレムでの受難の際にも、イエスに会っています(23章6節以下)〔これはルカ福音書だけの記事ですがおそらく史実に基づくのでしょう〕。だから彼の本音はイエスの懐柔策と今回の殺害策との間で揺れていたと思われます。
[32]【あの狐】古来ヘレニズム世界でもユダヤでも「狐」は「ずる賢い/狡猾な」ことで知られていました。アンティパスは父の遺志を継いで徹底した親ローマ政策をとり、当時のクラウディウス帝に取り入ってその「友人仲間」に入り、ガリラヤ湖の畔に皇帝の名にちなんで「ティベリアス」を建設し、そこをガリラヤ支配の根拠地としました。「狐」は時に「ライオン」と対比されることから、「ライオンのローマ帝国」と「狐のヘロデ」を対比させているという見方もあります〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)325頁〕。ヨセフスによれば、ヘロデは、洗礼者ヨハネが騒乱を誘発するのではという懸念から、「先手を打って」彼を逮捕したとあります。洗礼者ヨハネの処刑で民衆の評判を落としたヘロデが、ファリサイ派を使いにしてイエスを自分の領内から退去させようともくろんだとも考えられます。そうだとすれば、ここでイエスは、「出ていけ」と警告するファリサイ派の人たちに「出ていって彼(ヘロデ)に言え」と言い返して、ヘロデの使いを逆に自分の使いにしています。
【今日も明日も】イエスは自分の歩みを「父なる神の導きの時」に委ねます(ヨハネ7章8~10節参照)。その旅は、いかなる権力にも支配されることがない「一日一日」の歩みですから「今日も明日も」です。
【悪霊を追い出し】「悪霊を追い出し病を癒やす」という句は、イエスが自分の伝道スタイルを表わす言い方です。後のラビ文書でも、イエスのことを悪霊追放の「魔術師」として記憶されているほどです〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)325頁〕。イエスの「神の国伝道」は、政治・宗教体制を批判する預言者の伝統と、イスラエルの「知恵の教師」と、同時に霊能の「神の人」の特長を帯びていたのです。
【三日目に終える】「三日目」は「三日の間」という異読もあります。ヘブライ語で「三日」は「短期間」を表わすことから(ホセア6章3節)、イエスの悪霊追放と病気癒やしの業も「間もなく神に定められた期間が来ると終わる」という意味でしょう。ただし、「三日目」は復活の時をも指しますから(9章22節)、ルカ福音書の読者は(作者も共に)イエスのこの言葉に復活を読み取ったのは間違いありません。
 「終える」と訳された動詞は「ゴールに到達する/成就する」です。イエスがエルサレムへ到達することと、そこでの受難が示唆されているのです。ヘブライ人への手紙ではこの言葉が16回もでてきて「完成する」ことを意味します(ヘブライ5章9節その他)。今回の「終える」にも「成就する/完成する」の意味を読み取る説がありますが、今回の動詞は神によって導かれた状態を表わす「受動態現在形」として用いられていて〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1031頁〕、イエスの旅が最後まで神の導きにあって「成し遂げられる」ことを指すのでしょう。
[33]【道を歩む】「しかし」で始まるのは、イエスに与えられている神の導きが、ヘロデの手にかかるのではなく、エルサレムでの死にあることを明示するためです。「ねばならない」も神の意志から出ていることを指し、「ありえない」は新約聖書中ここだけです。一日一日が御心に従う歩みなのです。
【預言者が】イエスはここで自分を旧約の預言者の一人と見なしています。ただし、イエスは洗礼者ヨハネを「預言者以上の者」と呼んでいます(7章26節)。ルカ福音書では、イエスが「主」と呼ばれていますから(7章13節その他)、イエスを旧約の預言者と同列に見てはいません。預言者がエルサレムで殺害された例は南王国ユダの王ヨアシュ(在位前802~786年)が偶像アシェラを拝したために、主は預言者たちを遣わして王に裁きを警告しますが聞き入れられず、さらにゼカルヤを遣わしたが彼も神殿の庭で石で撃ち殺されました(歴代誌下24章17~22節)。ユダの王マナセ(在位前699~43年)も主の前に悪を行ない(列王記下21章)、彼に殺された預言者の血がエルサレムで絶えることがなかったと記録されています〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』10巻3章38節〕。またユダの王ヨヤキム(在位前608~598年)はエレミヤと並ぶ預言者ウリヤをエルサレムで殺害しました(エレミヤ書26章20節以下)。32節のイエスの歩みが、33節ではエルサレムでの死と結びつけられるのです。
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