【注釈】
■ルカ14章1~6節について
 今回は、旅の途中で、イエスがあるファリサイ派の指導者の家で食事をした時のことです。ルカ福音書ではこれが安息日の癒やしの3度目で最後の記事です。ヘレニズム世界では、「宴会」(シンポジウム)は上流階級の大事な社交と意見交換を目的とする談論の場になっていました。ルカ福音書で宴会の場がしばしばでてくるのも、このようなヘレニズム世界を背景にしています(5章29節以下/7章36節以下/10章38節以下/11章37節以下/14章1節以下/同7節以下/22章14以下節)。しかし、ルカ福音書での宴席は、ギリシアのシンポジウムとは異なり、イエスの言葉を核にしてまとまっています。それらの宴会の場で、イエスはファリサイ派や律法学者たちと論じ合うだけでなく、上流とはおよそ正反対の階層の人たちの病を癒やすという不思議な二重性を帯びるのです〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)336~37頁〕。
 資料的に見ると、今回の記事に類似する出来事がマルコ3章1~6節=マタイ12章9~14節=ルカ6章6~11節にあります。また安息日について先のルカ13章10~17節のサタンに縛られていた女の癒やしとも共通するところがあります。このため、今回の癒やしは、イエス様語録から出ているのではないか(特に5節が)、あるいは13章の出来事と重複した伝承ではないか、などの説もあります。しかし、5節はマタイ12章11節に類似しているとは言え、これとは異なっていて、しかも記事全体がルカによって編集し直されていますから、今回の記事はルカの独自資料(L)から出ていると見るのが適切でしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1038~39頁〕〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)339頁〕。イエスが安息日に癒やしを行なったのは一度や二度ではありませんから、今回の記事も史実にさかのぼる伝承だと考えられます〔マーシャル『ルカ福音書』578頁〕。
■注釈
[1]【安息日に】文頭は「~ということが起こった」"It happened that..." というルカ福音書でしばしば用いられる出だしで始まります。13章31節以下で即刻その場を立ち去るようにファリサイ派から警告された後に、イエスは「立ち去る」気配も見せず、安息日にその地域の会堂の礼拝に出席し、その礼拝の後で、当時のパレスチナの慣習として、客人としてファリサイ派の指導者から昼食に招かれることになります。文頭の出だしから判断すれば、場所もその時期も不特定ですから、直前の記事と今回の出来事を直接関連づけないほうがいいでしょう。
【ファリサイ派の議員】原文は「あるファリサイ派の指導者」ですが、ファリサイ派には階級的な組織がありませんから、「指導者」とあるのはエルサレムの最高法院のメンバーである「議員」か、あるいは判事か、その地域の会堂長か、著名なラビだったのでしょう〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)340頁〕。イエスがファリサイ派の人から食事に招かれたことは、7章36節にも11章37節にもでています。さらに今回に続く8~9節にも、ファリサイ派による招待が示唆されていると見ていいでしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1040頁〕。
 これらの記事は、ルカ福音書の作者の構想によるとか、イエスを罠にはめようとするファリサイ派の策略から解釈される場合が多いようですが、必ずしもそれだけでなく、わたしは、ルカ福音書が、これらの記事で史実のイエスについてとても重要なことを伝えていると見ています。それは、11章37節以下での宴席でのイエスの驚くべき率直なファリサイ派批判にもかかわらず、イエスの霊性にはファリサイ派の人たちと共通するところがあったと考えるからです。同時に、イエスによる安息日の癒やしや宴席での厳しい批判にもかかわらず、なおもイエスを招待する当時のファリサイの人たちの律法遵守の厳しさと、同時に律法の運用への慎重さにも注目するからです。イエスの頃のユダヤ教は、ファリサイ派だけでなく、現在わたしたちが想像するよりもはるかに多様で、彼らの律法尊重の厳しい姿勢にもかかわらず、その運用に慎重であったことをルカ福音書は伝えてくれます。
【うかがっていた】6章7節では、律法学者やファリサイ派の人がイエスを訴える口実を得るために「うかがっていた」とあります(20章20節も同様)。今回も同様の作意があったのでしょうか? ファリサイ派の指導者ですから律法遵守に忠実なのは言うまでもありませんから、イエスが安息日規定を遵奉することを期待しながら、それだけ「注意深くじっとイエスを見ていた」という婉曲な言い方にその気持ちが表われています。
[2]【そのとき】原文は「見よ。なんとイエスの目の前に~の人がいるではないか」です。冒頭の「~が起こった」とつながり、一連の出来事が偶発的のようで、実はそこに不思議な導きの手が働いていることを表わしています。これはルカ文書(使徒言行録を含む)の叙述の大事な特長です(ルカ2章25節/5章12節/6章6節)。病人がイエスの目前にいたのは、招待したファリサイ派の人が予め仕組んだ罠であるという見方があります。しかしルカ福音書の叙述から見ると、この人は癒やしを求めて入り込んだ可能性のほうが高いでしょう。だから彼はわざとイエスの目の前にいたのです。それは、食事の主人にも客人にも思いがけないことだったでしょう。食事の席にもかかわらず、イエスが癒やされた人をすぐその後で家に帰したのもこのためです〔プランマー『ルカ福音書』354頁〕。
【水腫】一般に「むくみ」と言われるもので、体の細胞や細胞間にリンパ液などが溜まる病気で、心臓、腎臓、肝臓などの病気の予兆と見られています。原語はヘレニズム時代の医学用語ですが、当時の教養人ならこの用語を知っていたと思われますから、このことから著者のルカが医者であったことを裏付ける根拠にはならないでしょう。なお、ユダヤ教では、この病気は「神に呪われたしるし」とされていました(民数記5章22節/詩編109篇18節)。
[3]~[4]【言われた】原文では「イエスは口を切って言われ、~と語られた」で、発言を指す言葉が三度繰り返されています。原語の「答えて言う」は、セム語では、ある事態に対応するために「口を切って発言する」ことです。イエスはその場が神によって用意されたことを読み取ったのでしょう。
【律法の専門家たち】原語の「ノミコス」(律法家)はローマ法にも用いられるヘレニズム的な用語で、ルカ福音書にしばしばでてきます(7章30節/10章25節/11章45節)。これらはルカ独自の資料(L)からでしょうか。マルコ福音書からの資料では「グランマテウス」(律法の教師)が用いられています(5章21節)〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)342頁〕。イエスが「(律法的に)許されるか/正しいか」と問いかけたのは、特に彼らに対してです。しかし、この問題でイエスと律法家たちとの間に立たされているのは、実は宴席の主人のファリサイ派の指導者であることを見逃してはならないでしょう。今回のイエスの問いは6章9節と類似しています。そこでは「正しい<かどうか>?」とありますが、今回の場合も「かどうか」が入る異読があります(6章9節から来ているのでしょう)。今回は、「それとも否か?」が加わりますからさらに強く問い詰めたのです。しかし今回は、6章の場合と、イエスの尋ね方も周囲の反応もかなり違っています。
【黙っていた】律法家たちは水腫が「命に関わる」病だと判断したのでしょうか、イエスのすることを「黙認した」(「黙っていた」の意味)のです。宴会の主人は「ほっとした?」でしょう。
【手を取り】イエスが患者を引き寄せてどのような仕草をしたのか、何か言葉を発したのかは語られませんが、おそらく手を体に当てて祈るとその場で癒やされたのです。
[5]~[6]【息子】「ろば」あるいは「羊」と読む異読があります。人間と牛を組み合わせるのが不自然だと考えたから、ルカ13章15節かマタイ12章11節に合わせたのでしょう〔新約原典テキスト批評164頁〕。5節では、「あなたたちのなかでだれが~しないだろうか?」という問いかけ、人工で掘った「井戸」、ロープを用いて「引っ張り上げる」、さらに「子供」と「牛」の組み合わせなど、ここには最古の伝承(イエスの真正の言葉)が伝えられています〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)345頁〕。なお今回の伝承にはアラム語の「ブイラー」(荷物を背負う動物)と「ブラー」(息子)と「ベーラー」(井戸)の掛け詞が背景にあるのではないかと指摘されています〔前掲書346頁(注)49〕。
【安息日】そもそも安息日は、「何もしない日」ではなく神がその御業を「完成させた」日のことです(創世記2章2節)。この根本に立ち帰って、ユダヤ教の解釈でも、安息日は「神の業に見習う日」「世俗ではなく宗教的な活動の日」「家族への愛情を示す日」「友人との霊的な交わりの日」などの意義づけがされていました〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)343頁〕。端的に言えば、癒やしが世俗のことであれば禁じられます。しかし、宗教的(霊的)な業であれば認められます。まして、終末的なメシアの業であればなおのことです。イエスは安息日の律法を破ったり無視したりしたのではなく、これを完成/成就したのです。
【これに対して答える】原語は「反論する」です。動詞がアオリスト形受動態の不定詞ですから、「イエスが反論されることはなかった」あるいは「イエスに反論することは無理だった/不可能だった」です。これは14節の「静まりかえった」よりもいっそう強く、その場の雰囲気を伝えています。ルカ文書での「静まる/沈黙する」は、今回のように人間の定めや予想を超える神の業が顕われていることを人々が悟った時に示す状態を表わします(使徒言行録11章18節/同15章12節)。したがって、今回の「無言」は、マルコ3章4節にでている「無言の抵抗/反抗」とは異なっています〔ボヴォン前掲書343頁(注)35〕。
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