148章 小事を大事に
ルカ16章10〜12節
【聖句】
■ルカ16章
10「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。
11だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。
12また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。
〔13どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」〕
【講話】
禅宗のお坊さんたちにとって、寺院の廊下からトイレの掃除にいたるまでもが、大事な修行の一環だと聞いたことがあります。宗教的とは霊的なことです。「霊的」な生き方とは通常の人の目には見えない世界が見える人の生き方のことです。霊的なものは比喩的にしか言い表わせませんから、お金でも社会的身分でも、身の回りの「見える」現実はなんでも霊的な世界を言い表わす比喩として用いることができます。前回のたとえ話も今回の御言葉も、イエス様にさかのぼる比喩を含んでいますが、見る人聴く人読む人によって様々な解釈が可能です。
病気の兆候でも社会の出来事でも、ほんのちょっとした「しるし」が、その奥に重大な意味が隠されていることがあります。その「しるし」が示唆する隠された重要性を見誤ることなく、それが指し示す事柄を的確に読み取るのが、霊の人たちであり、真の意味での「知恵の人」です。だから、普段に主様にある導きを生きる人にとって、人目につかない些細なことが、実は大事なしるしとなり、場合によっては、導きの星になります。
このことを知っている人は、自分に与えられた些細な事でも、決して粗末に扱いません。それが自分から出たものではなく、神から出たことを知っているからです。たとえ小さな事でも、それがイエス様にある「永遠の命」につながるのだと悟るからです。小さなことが示されて、事がその通りに起こるのを知った人は、大きなことが示された時にも、それが起こる、あるいは成就するのだと知ることができます。
今回の御言葉もこの視点に立って読み取る心構えが必要でしょう。「不正にまみれた富」を用いて天に宝を積めというのは、狡いやり方で儲けたお金を利用して立派な会堂を建てたり、教会を運営したりすることを指しているとは思えません。「富」には財力だけでなく知識も権力も、その他いろいろな「この世の善い物」も含まれます。わたしたちが「この地上で」与えられる財力も地位も名誉も才能も知識も、それらすべては、人類の歴史の尺度で見ればほんの一時の出来事にすぎません。まして、宇宙と地球を創造された神様の150億年近い御業に比べると、わたしたちの行なう業は、つかの間の吐く息のよう、あっという間に消えて無くなります。しかも、地上でわたしたちができることは、どんなに立派な人のやることでも、不完全、不正確で、その上、わたし自身を含む大方の人たちにとってみれば、清潔で一点の曇りもない「聖なる行ない」だなどとはとうてい言えない代物です。
今回の御言葉については、アレクサンドリアのクレメンスの解釈がわたしには一番納得がいくように思います(注釈参照)。長い間、ヨハネ福音書を読んでいると、繰り返し出てくる「永遠の命」という言葉に次第に感化されてくるものです。何もかも一切を失って、地上に存在していた自分の一かけらさえも消え失せてしまった、こういう思いにいたる時に、それでもなお、不思議にどこからともなく訪れる喜びと平安と愛の想い、ああ、これが御復活のイエス様の御霊なんだと「知らされる」時に、それ以外の物事がことごとく、はかなく、とりとめのない事なんだと実感するのです。つかの間、過ぎゆく影のような「取り柄のないもの」、これが今回の聖句が言う「不正の富」(はかない偽りの持ち物)の正体なんだと悟らされるのです。その日、その時を主様に活かされて歩む、ただそれだけの日々の中で、「真の命」と「虚の営み」がはっきり読み取れるのです。ところが、
不思議なことですが、この永遠の命は、わたしたちの日常の生き方そのものを支えて、これにその日その時の意味を与えてくれる。こういうことも分かるのです。「このこと」を深く自覚する時に初めて、わたしたちがこの地上で行なうちょっとした行為やふと漏らす言葉も、そこに大事な意味がこめられていることに気づくのです。主の御霊に導かれて歩む者には、ささいなことでも、そこに大事な意義がこめられていることを悟るのです。地上で行なうどんな小事でも、これを大事に思う心が芽生えるのです。霊的な人とは、小事が大事であることを知る人です。前回の管理人のたとえといい、今回の「小事を大事にする」心といい、ルカ福音書の16章は、わたしたちが<この地上で>行ない語る言動の一つ一つが、神の御国と不可分で密接に関わり合うことを教えてくれます。
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