【注釈】
■ルカ16章10~13節
 今回の10~13節で、10~12節はルカ福音書の独自資料からで、13節はイエス様語録からです。10節はヘレニズム世界でも(と言うより世界のどの国でも)通用する諺/格言です。「不正にまみれた富」(11節)が直前の不正な管理人の話と今回の箇所を結ぶ鍵語になっていますが、内容的に見るとうまくつながっているとは言えないようです。続く13節はマタイ6章24節と共通のイエス様語録からです。ここでも「召使い」が、先のたとえ話と格言へつなぐ役目をしています。「召使い」だけがマタイ6章24節と異なるので、この語はルカの挿入です。続く「律法と福音」、「妻を離縁する」、「金持ちとラザロ」なども、内容的に一貫した主題の下に編集されているようには見えません。どれもイエスへさかのぼるものなので、これらは、「旅の途上」にあるイエスがその時時に応じて与えた教え/諭しとしてここへ置かれているのでしょう。
■注釈
[10]【小さな事】原語は形容詞「ミクロン(小さい)」の最上級ですから「最小のもの」ですが、ヘブライ語の用法では「とても小さなもの」の意味です。
【忠実】ルカは、直前の「不正な」管理人の話が誤解を招かないように、たとえ話の真意が「忠実」にあることを教えるために今回の伝承を先のたとえ話に続けて関連づけたのでしょう〔プランマー『ルカ福音書』〕。「忠実な」は、物事や財産を委託するにふさわしい「誠実さ/正直」を意味しますが、宗教的/霊的な意味で「神への信頼/信仰」へつながります。
【大きな】原語は数が多いこと、あるいは量的に大きいことを意味しますが、続く11節の内容から判断して、これは「大事な/重要な」ことを指します。
[11]【本当に価値あるもの】原語「アレーシノス」は、「アレーテース」(真理)から出た形容詞に冠詞が付いたもので「ほんもの」「正真正銘のもの」「理想のもの」を意味します。ここでは地上の移ろいやすい「富/物事」に対して「天の神に属するもの」、「永遠不変なもの」、すなわち「永遠の命」のことでしょう。具体的には人に授与される霊的な能力、霊能の力、エクレシアの指導者としての資質などの霊的な賜を含みます。。
【不正にまみれた】人を欺くつかの間の「不正の富」のことで、ここは9節の「不正にまみれた富」を受けています。11節のこの「不正」を後に続くほんとうに価値のある「真正なもの/真実なもの」と対応/対照させることもできます。なお「任せる」とあるのはルカ19章17節を参照してください。
[12]【忠実でなければ】「他人(天の神)から委託されたものに忠実でないのなら」の意味。「~でないのなら」は「あなたが(忠実で)あるとはっきり証明される/判明するのでなければ」で、地上でのその人の生き方を指します。16章1~13節は、地上の(富の)ことよりも、天のことに目を向けるように諭す一方で、実はその天の報いが、地上での人の生き方にかかっていることを強調しているのに注意してください。ルカ福音書の「御国」は、すでに地上において、その働きをはっきりと証しするのです。
 11~12節は、とりわけ地方の教会の指導者たちが、教会の財産や物質的な富を忠実に正しく用いることを念頭に置いている(パウロが、集めた献金に対して誠実であったように)。その背景には、ルカ福音書の時代にこのような問題があったと指摘されています〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)461頁〕。これは、16章の一連のたとえが金銭問題で統一されているという視点に立つ解釈でしょうが、この解釈がはたして的確かどうかは、判断できません。
 ローマの司教であったクレメンス(30年頃~101年頃)は、コリントの教会に宛てた「第一クレメンスの手紙」を書いたことで知られていますが、その後、真正ではないが彼の手紙だとされる偽クレメンスの手紙が六つほど書かれています。その中の「第二クレメンスの書簡」(95年~140年?)は説教集です。これの8章は「地上において悔い改めの必要なこと」を説いていますが、その結びに次のようにあります。
「それゆえ兄弟たちよ。父の御心を行い、肉を聖く保ち、主の戒めを守ることによって、私たちは永遠の命を得るであろう。なぜなら、主も福音書で言われている。『もしあなたたちが小さなことさえ保つことをしないなら、だれがあなたたちに大きなことを任せるだろうか? だからあなたたちに言う。いと小さなことに忠実な者は大きなことにもまた忠実である。』だから主が意味するのはこうです。『肉を浄く保ち、(御霊の)証印を汚さないようにして、永遠の命を受けなさい。』」
 これだと、10節が11~12節の後に来ることになりますが、ここで問われているのは富や物質的な財産のことではなく、地上において人間(肉)としての生き方を御霊にあって聖く保つことです。ルカ福音書の時代背景がどのようであったかは判断できませんが、わたし(私市)は、今回のルカ福音書の伝承では、この偽クレメンス第二書簡のほうが、イエスがほんらい語った真意に近いのではないかと思います。問われているのは「マモン」ではなく、「肉」のほうなのです〔ボヴォン前掲書462頁〕。
[13]ほぼそのままで、イエス様語録=マタイ6章24節=ルカ16章13節になります。マタイ福音書とルカ福音書は完全に一致しています。ただ、ルカ福音書では、冒頭に「召使い」がくる点だけがマタイ福音書と異なりますが、これは10~12節の「主人と僕」の比喩と一致させるためのルカの編集でしょう。ルカ福音書では、この伝承が、不正な管理人の話と小事を大事にすることに結びつけられています。なお、「愛する」「憎む」は、ヘブライ語では「選ぶ/どちらかを優先させる」こと(あるいはその逆)を意味します(23節については【御国のかたち】の「天に宝を積む」の項目を参照してください)。
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