【注釈】
■今回のマルコとマタイとルカ
 マルコ2章23節〜3章12節までには、弟子たちが安息日に麦の穂を摘んだこととイエス様が安息日に手の萎えた人を癒やされたことと湖畔で人々に教えて癒やしを行なったこととが続いて語られています。マタイの12章1節〜21節でも、同じような組み合わせで、三つの出来事が語られています。だからこれらの出来事は、この組み合わせて諸教会に伝承されていたと思われます。ただし、マルコでは、この組み合わせが、イエス様の伝道の開始の頃に置かれていますが、マタイほうでは、ガリラヤ伝道において、イエス様が十二弟子を伝道に派遣してからさらに後のほうに置かれています。おそらくは、マタイとルカは、マルコの記事をもとにして書いているのでしょう。ただ、マタイの12章8節の大事な言葉が、マルコ2章23節以下では欠けていることが注目されています。マタイとルカが参考にしたマルコ福音書は、現在のマルコ福音書より前の版であったのかもしれません。こういうわけで、わたしはマルコに従って、この組み合わせをイエス様の伝道開始の頃に置きました。イエス様は、伝道開始の直後から、安息日の問題で、ファリサイ派と対立したと考えられるからです。

 マルコの今回の部分は、本来23、24,27の節から成る短い断片であったかもしれません。マタイ(12章5〜7節)は、これに安息日と律法との関係について、ホセアからの引用を加えています。またルカのほうは、マルコが誤って引用している「アビアタル」を削除しています。さらにマタイとルカは、マルコの重要な27節を削除しているのが特に注目されています。この省筆がなにを意味するのかは大きな疑問ですが、マタイの場合は、彼の教会がまだユダヤ教の安息日を遵守していたと考えられますから、この点を配慮して27節を削除したのかもしれません。以下ではマルコに準じて注釈を付けますが、マタイとルカをも併せて見ていきます。

■マルコ2章
[23]安息日7日目毎の安息日制度は、カナンの農耕祭儀にさかのぼるとされます。本来カナンでは7は不吉な数であって、この日の悪霊の働きを鎮めるために祭儀が行なわれて、これが安息日の起源となったようです。しかし創世記の天地創造物語では、第7日目は、神が休息された聖なる日とされています。ただしこの部分は、イスラエルの捕囚以後に編集された祭司資料にもとづいています。これが、安息日を神に捧げる日と定める根拠となりました。だからこの制度は、創世記で語られる神の創造の意味を人々に分からせる目的で生まれたものです。この制度は、なによりも宇宙を創られた神が存在することを知り、人が神と共に、宇宙の創造を喜び、神の御霊の働きとしての命を祝い、これに感謝するためなのです。イスラエルではさらに、安息日は、イスラエルの民が奴隷にされていた「罪のエジプト」から贖い出された出来事を覚えて、これを祝う日でもあり、安息日が奴隷や労働者のためのものであったのはこのためです。
  ユダヤ教の安息日は、土曜の夕方6時から翌日の夕6時まででした。この日はまた「終末の安息」を象徴するものでもあり、これを守ることは、神からの聖なる戒めとして、モーセ十戒のひとつに数えられてきたのです(出エジプト20章8節)。安息日制度が特に重視されるようになったのは、捕囚期以後のことです。ネヘミヤ以後、安息日はユダヤ教の制度全体の要(かなめ)とされていて、イエス様の当時では、この制度は、社会・宗教生活全般に及んでいました。イエス様よりも後の時代になりますが、『ミシュナー』には39種類の安息日規定があり、それぞれが6つに分けられていたから、全部で234の規定があったことになります。安息日違反は、場合によっては、石打ちの刑に処せられました。ただし、ここの記事の場合のように、他人の畑で麦の穂を積んで食べる行為それ自体は違法ではありません(申命記23章26節)。しかし、麦の「穂を摘む」行為が「収穫」と見なされるなら違反となる恐れが生じます。また穂を「手で揉んだ」場合も「食事の準備」と見なされるから、やはり安息日に違反した行為となるおそれがあります。このような細則は、神と人間とが創造の喜びを共に祝うという本来の意図から離れて、人をその宗教的な権威のもとに支配し束縛するための手段と化していたことを示すものです。
 安息日制度は、このようにイエス様の当時のユダヤ教全般に及ぶ重要な意味を帯びていたから、これに批判的なイエス様の姿勢は、イエス様の神殿否定と重なって、ユダヤ教指導者との間の対立を決定的なものにしたと見ることができます。しかし、イエス様の批判的な姿勢は、決して制度それ自体を否定することを求める破壊的な行動ではなく、逆に安息日に含まれる本来の創造的な神の御霊の働きを回復させることにあったことを見逃してはならないのです。神とその御霊の働きに従うこと、これこそイエス様が何よりも大切にしたことであったのですから。
 ユダヤ教の安息日は、キリスト教によって、律法からの自由という視点から無効にされました。この制度が、日曜日を休息日とすることで継承されたのは、コンスタンティヌス帝から出ていて、必ずしも教会が積極的にこれを継承しようとした結果ではありません。したがって、日曜日は、ユダヤ教と同じ意味において、キリスト教の「安息日」とは言えないでしょう。
歩きながら「麦畑の中を通って歩いていると」の意味。この句はマルコだけです。マルコでは、弟子たちが麦畑をたまたま歩いているときに、通りすがりに穂を摘んだことになります。穂を摘む行為は、安息日の規定では「収穫」の行為にあたるから許されていないことになるのでしょう。マタイではわざわざ「空腹になったから」という理由をあげて、緊急の場合には、安息日を破ることが許される特例としての条件を与えています。しかし、摘んだ穂を「食べ始めた」とあるから、これは収穫と食事の準備の規定に触れる行為でしょう。なおマタイとマルコでは、ファリサイ派が、イエス様の弟子たちの行為についてイエス様に対して詰問していますが、ルカでは、ファリサイ派が直接弟子たちに詰問しています。なお「してはならないこと」とある原語は「権威に従わない」という意味です。
[25]この節については、サムエル記上21章1−7節を参照。旧約のダビデの故事をあげることによって、弟子たちの行為を正当化するためで、この節は後の編集による加筆です。なおダビデが引用されているのは、イエス様がダビデの子孫であるという含みからでもあります。
[26]供えのパン祭司が供えのパンを捧げる日は安息日です(レビ記24章8節)。神のパンを食べることは、緊急の場合に限って許されていました。マタイで「空腹だったとき」とあるのはこのことを意味しています。だからマタイはこれに続けて、「神殿にいる祭司」の役職をも引用して、安息日を破ることへの律法の許容条件としているのです。イエス様が祭司であるのなら、「安息日でも」その務めをおこなうことが許されるからです(民数記28詩9〜10節)。マタイはさらにホセアの言葉(ホセア6章6節)を引用していますが、この引用は、イエス様が、祭司律法を無効にしようとしているのではなく、貧者や飢餓者のためには、犠牲よりも神の憐れみのほうがより大きな命令であると教えていることを示すためです。ルカのほうでは、「手で揉んで」を加えていて、「食事の準備」としての安息日の律法違反をより一層明確にしています。なお「アビアタル」とあるのはアヒメレクの誤りでしょう。これはマルコの思い違いです。
[27]安息日は人のためこの句はマルコだけで、マタイとルカはここを削除しています。マタイは、イエス様の権威を「神殿よりも大いなるもの」として、安息日規定の根拠となる創造の秩序それ自体さえも超える権威が存在することを示そうとしているのです。したがってイエス様は創造の神と同じ権威を帯びることになります。なおマタイの「大いなるもの」とは、「大いなる者」ではなく、より「大いなる権威」が存在するという意味です。さらにマタイには、「律法にあるのを読んだことがないのか」(5節)とあって、弟子たちの行為が安息日規定に違反するものではないことを引用によって根拠づけようとしています。おそらくマタイの教会では、安息日規定が遵守されていたからでしょう。
[28]安息日の主マルコは、安息日の規定といえども、安息日にも働かれる神ご自身の支配のもとにあって(ヨハネ5章17節)、安息日は「主の権威のもと」におかれていることを明確にしています。人間が安息日の律法に従属するのではなく、逆に律法のほうが、神の憐れみのもとにある人間のために存在していると明言するのです。創造は人間が先で、安息日規定は後から生じたからです。イエス様は、「創造の神」の権威をもって、律法規定を支配する主なのです。マタイは旧約の故事を引用して、弟子たちの行為を正当化しており、ルカは、マルコのあげた旧約の故事を踏まえた上で(マルコの誤りを訂正し)、安息日の規定そのものが、主の権威によって無効になったと述べているようです。
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