【注釈】
■マルコ2章
  安息日と割礼は、ユダヤ教徒にとっては、信仰を証しする最も重要なしるしとされていました。ここで語られている出来事は、イエス様とファリサイ派たちとの実際の衝突に基づいていると考えられます。ただしマルコが、伝えられた伝承にどの程度の編集を加えたかははっきりしません。マルコは、2章を安息日での中風の人の癒して始めて、続いて「罪人や徴税人と共に食事をする」イエス様の様子を伝え、さらに弟子たちが安息日に麦の穂を摘んだ記事(23〜28節)へと続けます。その上で、ここで安息日に手の萎えた人を癒されるのです。これらの一連の出来事を通じて、イエス様の神の国の福音が、どのような力と働きをするのかが表わされていますが、ここの手の萎えた人の癒しは、これらの出来事の締めくくりとして語られています。ここで、安息日問題が、イエス様とユダヤ教の指導者たちとの決定的な衝突の引き金となったことが語られているのです。
  おそらくマルコは、これらの結果として、イエス様が最後に十字架のおかかりになったことを念頭においています。特にここの癒しの語り方は、2章1〜12節の中風の人の癒しと共通するところがあります。どちらも麻痺した人の癒しです(この「麻痺」には霊的な意味もこめられているかもしれません。)、どちらも安息日で、そのことが論争を引き起こして、ユダヤ教の宗教制度とその権威への根本的な挑戦となっています。2章7節で「冒涜の罪」に問われたイエス様の一連の行動が、ここで決定的な結果をもたらすことになるのです。ではいったい、イエス様の福音のなにが、このような決定的な結果になったのでしょうか? 安息日の律法制度のどこが問題なのでしょうか? これがマルコのわたしたちへの問いかけです。

[1]【また会堂にお入りに】イエス一人だけが会堂に入って、弟子たちの影が見えないこの導入は2章始めと同じです。「また」とあるのは、イエス様の一行が2章1節でカファルナウムへ戻ったからで、ここは、悪霊を追い出した会堂と同じであるという印象を与えます。ただし、先の悪霊追放の時には人々から驚きと賞賛が湧いたのですが、麦畑での安息日の出来事などから、指導者たちは、イエス様が安息日を守るかどうかを監視していたのでしょう。会堂の人々もこの緊張を感じ取っているらしく、ここでは最初から、敵対的な雰囲気が感じられます。ただしこの「また」が、マルコによる意図的な付加なのか、ほんらいの伝承にあったのかは分かりません。伝承では、会堂の場所が特定されてはいなかったのかもしれません。
[2]【人々はイエスを訴えようと】「人々」とは誰かははっきり特定されていません。2章16節と24節に「ファリサイ派」がでてきますから、おそらくこの人たちを中心とする人々でしょう。「訴える」というのは、安息日制度の律法に違反した責任をとらせるために、その現場を彼らが見たとはっきりと証言してイエス様を裁判にかけるためです。
【注目していた】原語は、悪意をもって監視するように見つめることです。彼らはすでにイエス様が安息日に癒しを行なうことを予想していて、これを待ちかまえているのです。
[3]【真ん中に立ちなさい】会堂の人々は、壁に沿った石のベンチに坐っているか、床の上にマットを敷いて坐っていました。イエス様は、みんなに見えるようにその患者を「真ん中へ出てくる」(原語の意味)ように言って、立たせたのです。だからこの癒しが、安息日制度への挑発と映る結果になったのです。イエス様のこのような癒し方はファリサイ派を挑発するためでしょうか? それとも、もっと根源的な意味があるのでしょうか? これに対する答えが次の節で語られます。
[4]【律法で許されている】この言い方は、ある行為が神の律法に照らして正しいかどうかを尋問する場合の律法学者の専門用語です。ユダヤ教では、安息日に「許される」ことと「許されない」ことについて、細かな規則がありました。これらの細則は、モーセ律法に基づいて、これを実際の生活に適用するためにきめ細かく定められた「ハラハー」と呼ばれる口伝の律法で成り立っていました。またそれらの律法解釈をめぐっても様々な見解があったのです。ですから安息日に癒しを行なうことが、すぐに罪になるわけではありませんでした。安息日に治療を行なわないと死にいたる場合には、治療が許されていたのです。
  イエス様はここで、安息日に「善いことをする」と「悪いことをする」という問題、それから「命を救う」ことと「殺す」ことという問題、この二組をペアにして示しています。ここでイエス様が提起した「命と幸い(善いこと)」と「死と禍(悪いこと)」の組み合わせは、申命記30章15節にイスラエルの民が心がけるべき最も大切なこととして語られています。特に「命か死か」という問題は、ユダヤ教で律法違反を問う場合に最も重視される点でした。逆に、たとえ安息日でも、人の命を見殺しにするならば、その怠慢こそ律法違反に問われる可能性があります。イエス様は、このことを人々に問いかけたのです。しかもイエス様に反対する人々のほうも、「このこと」は分かっているはずです。だから彼らは「黙っていた」のかもしれません。このことから判断すると、イエス様自身は、神の律法にわざと違反しようとしたり、わざと律法違反の行為を挑発的に行なっているのではないことが分かります。
  ただし、「命と善いこと」「死と悪いこと」を基準にするだけなら、何も安息日に限ったことではありません。どの日でも同じことが言えるからです。ではいったい、特に安息日に、許されることと許されないことは何なのか? こういう問題(これを「決疑論」的な問題と言います)が浮上してくるのです。つまりイエス様の癒しには、通常の安息日の神聖を破るほどの「善」があるのかどうかが問われることになります。では「許される」とすれば、そのような基準とは何なのか? こうなりますと「善とは何か?」「悪とは何か?」が問われることになります。
  命を救うか殺すかは、ユダヤ教の安息日律法においても常に問題にされていました。しかし、手が萎えているだけなら、命に別状はないはずだから、わざわざ安息日を選んで癒さなくてもいいはずだ。こう考える人もいたでしょう(ルカ13章14節を参照)。後の2世紀前半に書かれたヘブル人の福音書(23節)では、イエス様に癒された萎えた手を持つこの人が、「わたしは手を用いての生活方法を求める石工でした。イエスよ、わたしの健康が回復して、卑しく食物を乞わないようにしてください」と祈ったとあります。これはおそらく癒しが生死に関わる問題であったことをはっきりさせるためでしょう。
  このように見てくると、イエス様はここで、手の萎えた人を癒すことが、単に安息日の律法制度に違反するかどうか? という決疑論の問題ではなく、もっと深いところから、この癒しを「生と死」「善と悪」の問題として提示しているのが分かります。すなわち、そもそも「神が定めた安息日とは何か?」という根本的なところから問いかけているのです。なぜなら、ここで起こる癒しは、人の力で行なうことではなく、「神が行なわれる」ことだからです。癒されるのは、神の御心の「しるし」だからです。なぜ神は、安息日に癒しを行なうのか? こうイエス様は人々に問いかけているのです。ここでの癒しが、「人の命を救う」ことと同じ重い意味を持つこと、しかもそれを行なうのが神ご自身であることが、ここではっきりしてきます。
  創世記2章1〜3節では、神が人の命を救い善いことを与えるために安息日を定められたとあります。そうだとすれば、安息日のこの癒しを妨げることこそ、神の前に人を「殺す」ことであり「悪を行なう」ことにほかならないことになります! 神こそが、「安息日の主」であり、神の御心を行なうイエス様もまた「安息日の主」なのです(2章28節/ヨハネ5章17節)。イエス様はただ挑戦のために癒しを行なっているのではありません。
[5]「見回す」や「頑なな心」などはマルコに特徴的な言い方で、5節はマルコの編集です。また「悲しむ」は、心に傷を負い深く悲しむという意味です。
【怒って】憤りを覚えることです。4節から分かるように、イエス様は決して旧約の律法を無視したり、意図的にユダヤ教の指導者たちを挑発しているのではありません。創世記2章の始めにあるように、神による創造の御業こそが、命を与え、人を救う安息日の真の意図だからです。したがって、イエス様が律法に違反しているとか律法を無視しているという解釈は誤りです。イエス様は律法をその根本のところで守り、安息日を神の御心に沿って「実行して」いるのです。むしろ、命を与え、人を救う神のみ業を妨げることこそ、「殺す」ことであり「悪い」ことになります。だから、律法に違反しているのは、彼らのほうであって、イエス様ではありません。安息日の律法の真の意味を理解して、これを神のお働きとして実行しているイエス様を「善いこと」「命を与えること」とは認めず、逆に「悪いこと」「神を冒涜すること」だと断じて、これを妨げようとするほうこそが、「許されない」行為だからです。しかも、自分たちは何も実行せず、逆に「殺すこと」「悪いこと」をしていながら、あたかも自分たちこそ神の御心に従って安息日を守っているかのように信じこみ、人々にもそのように信じこませている人たち、こういう人たちを偽善者と言うのです。イエス様が「怒った」のはこのためです。こういう正反対の偽り、光を闇と呼び、闇を光のように思いこませる偽りに対してイエス様は憤ったのです(イザヤ59章9節)。
【心の頑な】これは、かつて神とその預言者たちに対して、イスラエルの民が敵意を抱いたことを指す言葉です(申命記29章18節/詩編81篇13節/エレミヤ3章17節/同7章24節を参照)。パウロもイスラエルが福音を受け容れないことを同じ言葉で表わしています(ローマ11章7節/同25節)。
[6]【ヘロデ派の人々と】「ヘロデ派」はファリサイ派とともに、ここと8章15節のパン種のたとえと12章13節にでてきますが、この言葉はマルコ福音書だけです(マタイ22章16節はマルコから)。「ヘロデ派」については諸説があってはっきりしません。エッセネの一分派であるという説もあり、サドカイ派の一部であるという説もあります。しかしヘロデ派は、ほんらいヘロデ大王(在位前37年〜前4年)の支持者たちを指すと思われます。しかし、ここでは時期的に見て、大王の孫でその後継者であるヘロデ・アンテパス(在位前4年〜後39年)の支持者たちを指していると見られています。ヘロデ・アンテパスは、ガリラヤとペレアの領主で、ユダヤ教を尊重する穏健な統治によって支持を集め、セフォリスやティベリアスなどヘレニズム風の都市を建設しました。これから判断すると、ヘロデ派は、ファリサイ派のような宗教的な派閥ではなくむしろ政治的な傾向の党派であったと考えられています。
  彼の祖父のヘロデ大王は、代々エルサレムの大祭司職を受け継いでいたハスモン家の大祭司を廃絶して、アレクサンドリア出身のボエートスを大祭司に任命しました。その後ヘロデ家の支持を受けて、ボエートス家から大祭司がでるようになりました。しかしボエートス家は、サドカイ派に近く、ファリサイ派とは対立していたと見られています。だからヘロデ派は、おそらくヘロデに与する様々なグループの貴族階級の人たち(特にガリラヤの)であったのでしょう。彼らはガリラヤにおいて、ユダヤの「祭司長たち」に当たる人々だったと思われます。
  ファリサイ派とヘロデ派のここでの結びつきは、ヘロデ・アンティオケアパスによって殉教した洗礼者ヨハネにまでさかのぼるのかもしれません(マルコ6章14節以下)。マルコは、イエス様の死を予想させる伏線として、ユダヤ教の担い手としてのファリサイ派とローマの支持を得ているヘロデ派とをイエス様の敵対者としてあげていると見ることができます。彼らは、イエス様を「どのようにして」殺すかを相談していますが、15章1節では、祭司長たちと長老たちと学者たちが共に謀ってイエス様をピラトに引き渡すことにします。なお「殺す」とある原語は、イエス様を「滅ぼす」「亡き者にする」という意味です。

ルカ6章
 ルカ福音書5章12節〜6章16節は、マルコ福音書1章40節〜3章19節と全く同じ順序で話しが並んでいますから、ルカがマルコを下敷きにして書いていることがよく分かります。彼はマルコの描写をより具体的にしたり、現在形を過去形に変えたり、言葉遣いを改めたりしていますが、マルコとの最も大きな違いは、マルコにあるイエス様の怒りを削除してあること、マルコの終わりに来る「ファリサイ派とヘロデ派」から「ヘロデ派」を削除して、これを話しの始めに置いたことです。またマルコの最後にファリサイ派たちがイエス様を殺そうとしたとあるのもルカでは語られません。
[6]【ほかの安息日に】6章1節に「ある安息日に」とあるので、これに合わせています。6章5節の「人の子は安息日の主である」(マルコには欠けています)を受けて、5章17節と同じように、ここでもイエス様は会堂で「教えて」いるのです。
【右手が】マルコには欠けています。利き腕なのでこの人にとっては大事な手であることを強調しているのです。安息日でも癒される理由があることを言いたいのかもしれません。
[7]【律法学者たちやファリサイ派】マルコにある「ヘロデ派」を削除して、代わりに「律法学者たち」を入れています(5章17節参照)。ルカとその聴衆には「ヘロデ派」が理解できなかったからか、あるいは政治的な党派だと思われたからでしょうか。「癒されるかどうか」は、マルコの未来形から現在形へと変えられています。マルコでは、人々は、イエス様が癒しを行なうことを予想しているのですが、ここでは、イエス様がはたして癒しを行なうかどうかに注目しているのです。このことが最後のファリサイ派たちの態度の違いにも表われてきます。「安息日に」もマルコの複数形からルカでは「この安息日に」と単数になっています。
[8]【立って・・・出てきなさい】マルコと違ってイエス様は具体的に指示していて、その人はイエス様に言われたとおりに従います。
【訴える口実を】マルコでは、敵対者たちは、イエス様を即刻裁判にかけようとねらっているのですが、ここでは、イエス様を法廷へ訴えるための事実確認をすることにとどめようとしていたという意味です。
[9]この節では、「安息日」が複数から単数になり、また「善いことをする」(マルコでは二語)がルカでは一語になっていて「悪いことをする」と一致させています。またマルコでは「救う」と「殺す」とあるのを「救う」と「滅ぼす」へと変えて、内容的にも語法的にも一致するようにしています。
【彼らの考えを見抜いて】これはマルコにありません。ルカ2章35節に、イエス様が来たのは「多くの人の心にある思いが明らかにされる」とあるように、ここでも人々の思いが試されて、暴露されるのです(5章22節参照)。ファリサイ派たちの律法主義的な狭い視野に対して、イエス様は、あの善いサマリア人のように、「隣人への愛と思いやり」を実行することこそ大事なことを教えようとしているのです(ルカ10章25〜37節)。
[10]【一同を見回して】イエス様は、マルコにあるような怒りを露わにすることはしません。その代わり、ファリサイ派たちだけなく、全員を見回して、安息日に「人を救う」業をするようにと教えるのです。ここでの「手」は、その人の行ないを表わすしるしとなっています。イエス様によって彼の「手」は「元どおりになる/回復する」のです。この言葉は七十人訳では、神がイスラエルの繁栄を「回復する」という「救い」を意味しています。
[11]【怒り狂った】敵対者たちは、イエス様の癒しを予想していなかったのでしょうか? 気が動転したという意味ですが、ここでは「どうしていいのか分からない」状態のことでしょう。ルカでは、マルコとは違って、イエス様を殺す謀略は、ガリラヤでの伝道の後で(9章22節参照)、エルサレムの指導者たちによって行なわれます。

■マタイ12章
 マタイ福音書のここの記事は、もともと語録集からでているのかもしれませんが、語録集のこの部分はほとんど失われています。12章9〜10節と12節後半〜14節は、マルコの3章6節以下の記事を踏まえています。12章11節は、語録集からかマタイからかはっきりしません。ただし12節の前半「人間は羊よりもはるかに大切なものだ」は、マタイによる編集です。マタイは、イエス様が会堂にお入りなってから、ファリサイ派が会堂から出て行くまでを11節を真ん中に置いて前後が対称するように構成しています。マタイのイエス様は、その中心にマルコには表われない羊の例をだすことによって、安息日制度についてのファリサイ派の律法主義的な態度を批判し、制度よりも神の愛のほうがはるかに大事なことをはっきりと示しています。マタイは、麦の穂を摘む出来事と手の萎えた人の癒しを並べて福音書の中程に置くことで、安息日問題においてイエス様とエルサレムの指導者たちとの亀裂が最終的な段階にいたったことを語るのです。
[9]「そこを立ち去って」は、前とつなぐためのマタイの編集です。安息日はまだ続いているのです。
【会堂にお入りに】原文は「彼らの会堂に」です。マタイが「彼らの」というのは、ユダヤ人キリスト教徒たちから見たユダヤ教徒のことです。
[10]【すると】原文は「すると見よ!」で、この言い方はマタイ独特です。マタイは、マルコやルカの場合と異なり、人々のほうから「許されますか?」とイエス様に問いかけさせています。これは質問者が律法の専門家であるファリサイ派の人たちであることを表わしますが、同時にイエス様の言葉が、問いかけの形ではなく、権威ある告知として語られるためでしょう。
[1112]ここはマタイだけの編集で、この話の中心となるところです。マルコにもルカにもこのような例は語られません。ただしルカでは、13章15節と14章5節に、安息日での牛やろばや息子の扱いについて語られています。イエス様の答えは明瞭で、羊でさえも安息日に助けるのなら、人間はなおさらではないか、という意味です。イエス様のこの言葉は、当時のハラハー(モーセ律法を守らせるためにさらに詳しく日常の生活を規定する教え)に基づいたものかもしれません。マタイはここで、イエス様が決して律法に違反した行為を行なっているのではないと言おうとしているのでしょう。もっとも、クムランの共同体を始め、ラビたちの中には、「井戸や穴に落ちた家畜を引き上げる」ことさえ許さなれないと考える人たちがいました。「一匹の羊」とあるのは、パレスチナの特に貧しい人たちの羊を想定しているのでしょうか。
[13]マタイは「もう一方の手のように」を入れて、完全に癒されたことを確認しています。また、「良くなった」は健康になったという意味で、マルコとは異なる原語です。
[14]【相談した】マルコではどういう話し合いか曖昧な言い方になっていますので、マタイははっきりと「会合を開いた」と言っているのです。マタイもルカ同様に、政治色の強い「ヘロデ派」を削除して、敵対者たちをファリサイ派だけに絞っています。マタイ福音書が書かれた頃には、ユダヤ教はファリサイ派だけが存続して、キリスト教の諸教会と論争をしていましたから、ここにはマタイの教会当時の状況も反映していると思われます。
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