【注釈】
先に指摘したように、マルコでは、麦の穂を摘むことと手の萎えた人の癒しと多くの病人の癒しとが、セットになって語られています。ルカでもほぼこの組み合わせになっていますが、マルコとルカとの大きな違いは、多くの病人の癒しと十二人の選びとの順序が逆になっていることです。ルカでは十二人の選びの「後に」病人たちの癒しが続きます。
マタイの場合は、イエスの評判がガリラヤの内外に広まって、大勢の群衆が集まったことと(4章24〜25節)、これとは別に、大勢の病人を癒したこととが語られます(12章15〜16節)。マタイは、物語を整えるために、このように伝承をふたつに分けることがあります。
■マルコ3章
ここは、マルコによるイエスの伝道活動の最も長いまとめです。イエスは、湖畔で小舟に乗って教えていますが、これはほかの二人にはない特徴です(マタイは、13章で、この湖畔の場面を種蒔きのたとえの始めに用いています)。このまとめには、マルコでは遣われない言葉が出てきますから、マルコ以前の伝承に基づいていると思われます。しかし、地名などはマルコの編集です。群衆がイエスのもとに押しかけてきたのは、病人の癒しと悪霊追い出しが目当てであったことをマルコははっきりと語っています。同時にこの場面が、十二弟子の選びへの準備となっています。マルコは、1章28節のイエスの評判をここでも繰り返して、イエスの伝道がここから新しい段階に入ることを告げているのです。
[7]【湖の方へ立ち去られた】「立ち去る」は「退く」ことで、この動詞はマルコではここだけです。また「群衆」の原語は「大衆」で、これもマルコではここだけです。イエスはここでも大衆を避けているようですが、人々は癒しを求めてついてきたのです。湖畔では会堂と違ってイエスは比較的自由に語ることができたのでしょう。
【従った】この言葉は、通常「弟子になる」ことを指しますが、ここでは「追いかけてきた」という意味で、必ずしもイエスを信じて弟子になることではありません。ただし、ガリラヤから来た人々が「従った」とあり、それ以外の地域からの人たちは「集まった」とあって、マルコは、このふたつをある程度区別しているのかもしれません。
【ガリラヤから】マルコは、ここにあげる地名の中でも、ガリラヤを特に重視しています。ガリラヤは、イエスが活動の中心とした地域であり、マルコにとってガリラヤは、イエスの(最初の?)復活顕現があった場所です(16章7節)。ただしイエスが、ガリラヤの人たちを特別扱いしたという意味ではありません。
[8]ここにあげられている地域は、マルコが見ているイエスの活動範囲の全体を表わしています。マルコの視野は、まずガリラヤから始まって、南のユダヤに降り、その中心であるエルサレムへ向けられます。そこからユダヤの南にあたるイドマヤへ向かい、さらに東側に目を転じて、ヨルダン川の東岸沿いにあるペレアに向かいます。そこから再びガリラヤへと輪を描くように見渡しています。さらに今度は、ガリラヤの北西にある地中海沿岸のティルスに目を転じ、そこから北のほうシドンへいたります。ティルスやシドンは異邦人の地域です。ところが、同じ異教や異邦人の地でありながら、ガリラヤとユダヤの間にあるサマリアと、ガリラヤとペレアの間にあるデカポリス地方が抜けています。サマリアは、ユダヤ人たちが近づくのを控えていたからでしょう。またデカポリスはヘレニズム化した異教の諸都市だからでしょうか。
マルコがあげている地域は、イエスが訪れた地域であると見ることもできますが、むしろ、これらの地域にはユダヤ人が多く住んでいて、特にマルコの頃にユダヤ人キリスト教徒たちや異邦人キリスト教徒たちが多かった地域ではないかと考えられます。「イエスの行なわれていることをことごとく聞いて」とあるのも福音が伝えられて信じる人たちが大勢いたことを示すのでしょうか。ただしマルコ福音書では(ルカ福音書も同様)、イエスはガリラヤ伝道からエルサレムへまっすぐ旅をして、そこで十字架におかかりになります。この構成から見ますと、人々が「ユダヤとエルサレム」からも来たとあるのが注意を惹きます。イエスの伝道活動に対するファリサイ派や指導者たちと民衆との態度の違いに注目してください。
【イドマヤ】ユダヤの南に広がるネゲブ砂漠地方で、イスラエル民族が弟ヤコブの子孫であるのに対して、エドム人の地イドマヤは、兄エサウの子孫の住む地域として知られていました(創世記25章30節)。しかしイドマヤは、マカバイ戦争の頃から、ユダヤ教に改宗させられて、イエスの頃は半ばユダヤ化しており、ユダヤ人も多く住んでいました。ヘロデ王家はイドマヤの出身です。この地名は新約聖書ではここだけです。
【ヨルダン川の向こう側】ヨルダン川沿いにユダヤとは反対側の東側の地域で、「ペレア」と呼ばれていました。ここもガリラヤと同じくヘロデ・アンティパスの領土で、ユダヤ人が多く住んでいたのでしょう。ペレアの東側はナバテア王国に接していました。ただしペレアとガリラヤとの間にはデカポリス(十の都市)と呼ばれるヘレニズム化した都市連合の地域がありましたが、マルコはこのような都市については語っていません。
【ティルスやシドン】ガリラヤの北方にある地中海沿岸の都市で、フェニキア地方と呼ばれていました。異教の地域ですが、ソロモン王の時代からユダヤと貿易などの交流が盛んでした。
[9]【弟子たちに小舟を】おそらく弟子たちの誰かが所有していた船でしょう。イエスが弟子たちと船に乗るのは、4章1節/同35節/5章1節/6章45節にもでてきます。「船」は奇跡物語にも出て来ますから、イエスと弟子たちが実際に船を利用したことが伝えられているのです。イエスが船に乗ったのは、群衆に「押しつぶされる」のを避けるためで、群衆から離れ去るためではないとマルコは言うのです。
[10]【イエスに触れる】人々が集まってきたのは、彼らが「病に打たれて」いたからです。この言い方は「神の罰として病を受ける」という意味にもなりますが、ここではむしろ「病に苦しむ」ことです。マルコ5章27節にあるように、イエスに「触れる」ことは、その人の信仰が、これによって解き放たれて、イエスの力がその人に働くことを指しています。
[11]【イエスを見るとひれ伏して】原文の動詞は一度だけのことではなく、「どの悪霊もイエスに出会う度に」の意味です。この原語も通常の「ひれ伏す」とは異なる動詞が遣われています。マルコ1章32〜34節でもここと同様に病気癒しと悪霊追放が組み合わされていました。ただし6章53〜56節では病気癒しだけが語られています。これは伝えられた伝承の違いから来るのでしょうか。マルコがこのように悪霊追放を重視するのは、カファルナウムでの出来事やゲラサの悪霊に憑かれた人の癒し(5章1〜20節)などが念頭にあるからです。
【あなたは神の子】原文では主語が強調されていて「あなたこそ神の子です」となります。悪霊は先にイエスを「神の聖者」と呼びましたが(1章24節)、ここでは「神の子」と呼んでいます。この称号は最初期のキリスト教会で用いられていたものです(1章1節/15章39節)。旧約時代には、人々は「神の人」という言い方をしましたから、ここでもイエスは「神の人」として、人々の信仰を集めていたと思われます。なおマルコ5章7節では「いと高き/至高の神の子イエス」とあります。イエスが他のどのような神々の霊威よりも、またどのような悪霊の霊力よりも勝ることを悪霊は知っていたのです。「いと高き神の子」は、マルコがイエスを呼ぶ時の最高の称号です。
[12]【厳しく戒められた】原語は「叱る/非難する/戒める」などで、これは旧約聖書以来、神が悪の力を支配することを意味する用語です。ここでイエスは、「何度も警告した」「さんざん戒めた」とありますが、悪霊に向かって「出て行け」と「叱る」のではなく、悪霊に「ものを言うな」と叱るのです。もちろんこの後で悪霊は追い出されますが。イエスは、悪霊に自分の本当の身分を露わにしないように沈黙させています。自分のことを悪霊の口から証しされるのを望まなかったからですが、それ以上に、マルコでは、イエスが「神の子」であることのほんとうの意味が、十字架と復活の後で初めて証しされるからです。「その時が来るまで」は、イエスの身分は「メシアの秘密」なのです。イエスは、自分の癒しや悪霊追放の伝道が、人々に誤った印象を与えることを警戒したのでしょう。イエスが行なわれたことのほんとうの意味は、十字架と復活以後になって初めて人々に明らかになることをマルコは語りたいのです。
■ルカ6章
ルカはほぼマルコの伝承に従っています。ただし先に指摘したように、ルカはこのまとめの前に十二弟子の選びを置いていて、次にイエスの癒しの伝道をまとめてから、イエスの平地での教えへとつないでいます。この構成はマタイに似ていますから(マタイでは十二人の選びは後のほうですが、その代わりに先に四人の召命が来ています)、マタイとルカは、マルコの伝承とはやや違う形の伝承(語録集からか)に基づいているのでしょう。
こういうわけで、ルカはここをイエスの一連の教えの導入としています。だから、おびただしい群衆は、イエスの「教えを聴く」ために集まってきたのです。この点で病気癒しを求めてきたマルコの大衆とは異なります。イエスは湖畔ではなく平地に立っていますから船はありません。マルコと同様にルカでも「ユダヤ全土とエルサレム」から、人々がイエスの教えに耳を傾けようと来たのです。ルカでは、このようにイエスの病気癒しと教えとが結び付いているのに注意してください。なお、マルコの3章11〜12節は、ルカ4章41節で語られています。
[17]【平らな所に】ルカはイエスと民衆との出会いを平地においています。マタイは山の上であり、マルコは湖畔です。「お立ちになった」とあるのは、山から下りてきて、平地へ出てから、そこで「立ち止まった」という意味です。
【大勢の弟子と】これは直前の弟子たちの選びから来ています。ルカはここで、聴衆を「弟子たち」と「おびただしい民衆」とに分けていて、弟子たちと民衆とを区別しているようにも見えます(この点ではルカ8章9〜10節を参照)。また地名のリストに、ガリラヤが抜けているのが注目されます。ルカは、「ユダヤ全土」の中にガリラヤも含めているのでしょう。またマルコにあるイドマヤとペレアが抜けていますが、ルカ福音書ではイエスはこれらの地方を訪れないからです。ティルスとシドンについては、ルカ10章13〜14節を参考にしてください。ルカはエルサレムを中心とした「ユダヤ全土」(ガリラヤも含む)とティルスとシドンとの両方をあげることで、イエスの復活の後に福音がエルサレムから異邦人の世界へと広がることを示唆しているのです(使徒言行録1章8節参照)。
[19]【イエスから力が出て】マルコにはない言い方です。ルカ8章46節を参照。
同4章
[41]【イエスをメシアだと】ルカは「メシア」と「神の子」とを同じ称号として扱っています。イエスの在世当時は、「メシア」は必ずしも「神の子」と同じではありませんでした(クムランの文書では複数のメシアが世に現われると述べられています)。ただしイエスは、終末にイスラエルに顕現する唯一の「メシア」と信じられたのです。新共同訳では、福音書の原語の「キリスト」を「メシア」と意訳しているのはこの理由からです。しかしルカの頃には、「メシア」はもはや旧約時代からの呼称ではなく、「神の子キリスト」と同じ意味で用いられたのです。
■マタイ4章
マタイの4章24〜25節では、イエスが多くの癒しを行ない、イエスの評判がガリラヤの外にまで拡がったこと、その結果大勢の群衆がイエスのもとに集まったことが語られていて、これが、山上の教えを導入するための状況となっています。マタイもルカも、マルコと語録集とを踏まえていますが、癒しや悪霊追放が御国の福音の教えと結び付くのは、語録集の影響でしょうか。マタイ福音書は特に語録集との関わりが深いと見られています。
[24]【シリア中に】ここで言う「シリア」は、ローマ帝国の州区分による呼び方で、続く25節で分かるように、ユダヤを含むパレスチナ全体を含んでいます。ただしほんらいの「シリア」は、ガリラヤ湖の東北部地帯を指す言い方で、ダマスカスからアンティオケアにいたる周辺を指しています。マタイの所属する教会が、この地方にあったと考えられていて、マタイ福音書もそこで書かれたと推定されます。ここは異邦人の地でありながら、ユダヤ人が多く住んでいましたから、異邦人たちもイエスのもとへ来たのでしょう。
【苦しみに悩む者】原語は「いろいろな病気や痛みに苦しむ(具合の悪い人たち)」です。これを次の「悪霊に憑かれた」「てんかんの」「麻痺した」とつなぐ読み方もあります。この読み方だと「悪霊に憑かれた者や、てんかんや、手足の麻痺などのいろいろな病人(を連れてきた)」となります。しかし、前半は身体的な病、後半は精神的な病と区別することもできます。てんかんは、悪霊の仕業と考えられていました。
【てんかんの者】原語は「月に打たれた者」。満月は人の気を狂わせる不吉な働きをすると信じられていました。英語の“lunacy”(“luna”はラテン語で「月」のこと)もここから出ています。マタイはこれも「悪霊憑き」に含めていたのでしょうか(マタイ17章18節参照)。聖書の言う「悪霊憑き」には、現代の医学から見れば、軽度から重度の広い範囲の精神病も含まれていますから、これらを「悪霊憑き」と判断するのは控えなければなりません。「悪霊」は「聖霊」と対立するものですから、その働きは限られた範囲に限定すべきです。同じように、聖書の言う「ライ病」も、現代のハンセン氏病のことだけでなく、現代の皮膚病に当たる広い範囲を指していました。このことを十分理解した上で、病も精神病も、また「悪霊」も、イエスによる癒しを受けることができたと理解してください。
[25]【大勢の群衆】マルコの「群衆」と異なってマタイの「群衆」は複数です。しかし意味の違いはありません。「群衆」は、イエスのカリスマ的(霊的)な働きに大勢の人が惹かれたことを表わしますが、それだけでなく、イエスに敵対するファリサイ派などとは違って、イエスを尊敬し信じる人たちが大勢いたことをも証ししています。ただし群衆は、「弟子たち」と区別されていることに注意してください。イエスの裁判の場面では、群衆はユダヤ教の指導者たちにそそのかされてイエスを十字架につけよと叫びます。しかしイエスは、これらの群衆を「イスラエルの家の失われた羊たち」(マタイ10章6節)と見ておられるのです。この見方は、マタイ自身の見方とも重なります。
【デカポリス】原語の意味は「十都市地域」です。紀元前3世紀の中頃、アレクサンドロス大王の征服に伴って、ガリラヤ湖の東から東南にいたる広範囲の地域に、ヘレニズム風の諸都市が建設されました。それらは、北から、ラファナ、ヒッポス、ディオン、カナタ、アビラ、ガダラ、スキュトポリス、ペラ、ゲラサ、フィラデルフィアです。これらは創設当時から連盟諸都市として、政治的に重要な役割を果たしました。しかしその後、この諸都市連盟は、マカベア戦争でのアレクサンドロス・ヤンナイオスによる占領、ローマ皇帝ポンペウスの征服、シリアやナバテア王国の影響と支配などを受けて、最終的にはローマ帝国によってアラビア州に組み込まれるなどの変遷を経ました。ローマの支配下にありながらも、強い自治体制を持つ自由都市連盟として存続していました。これらの諸都市は、パレスチナでのギリシア文化の発祥地となりましたが、ユダヤ人の居住者も多く、彼らは比較的下層階級に属していたようです。また宗教的にも自由で、ユダヤ教を含む様々な形態の混淆宗教が共存していたと思われます。この地域はほんらい、「聖書的には」イスラエルと見なされ、ユダヤ人の居住者も多かったことから、マタイはここで広範囲なイスラエルの聖地としてこの地域をここに上げていると考えられます。
【大勢の群衆が】この「群衆」が続く山上の教えの舞台となります。したがって、ここには、イエスに従う弟子たちを中心として、イエスの癒しやしるしに惹かれてパレスチナ全土から集まった人々がいます。マタイは、イエスによる新しい福音が伝えられる場としてこのような状況を設定しているのです。