【注釈】(1)
■今回の物語について
「金持ちとラザロ」は、「善いサマリア人」と「放蕩息子」と並んで、ルカ福音書を代表する物語です。これらはどれも比喩と言うよりは寓意的な物語だと理解するほうがいいでしょう。比喩や譬えは、その時時の受け手によって様々な解釈へ発展する可能性を秘めています。これに対して、寓意は、比喩よりもさらに具体的で、典型化された人物を通して具体的な規範や教訓を聴衆や読者に悟らせるものです。ただし寓意物語は、登場人物それぞれが、別個の人たちや生き方に対応しているとは限りません。寓意は、一人の人間(例えば読者自身)の内面に潜む様々に矛盾し相反する願望や欲望や美徳や悪徳を幾人もの異なる寓意的な人物として登場させることで、その人の内面の複雑な葛藤を描き出すこともできるのです。
〔物語の構成とその先行部分〕
今回の物語は、前半(19~26節)と後半(27~31節)の二部構成になっています。前半部はさらに、この世での二人の貧富の有り様(19~22節)と、死後の二人の境遇の逆転(23~26節)に分かれており、後半部は、死者をこの世へ遣わす頼みと(27~28節)、モーセと預言者による悔い改め(29~31節)に分かれています。
今回の物語をその先行部分と関連づけるなら、富の賢い用い方を扱う不正な管理人の話があり、金銭に執着するファリサイ派がでてきて、「人目に尊ばれるものは神の前に忌み嫌われる(地獄に落とされる)」というイエスの戒めが来ます(14~15節)。それから「律法と預言者」と「神の国の福音」が対照され、続いて律法の一点一画も滅びることがないとあります(16~17節)。「律法と預言者」はアブラハムの金持ちへの答え(31節)につながります。
今回の物語をこれらの先行部分と関連づけて読むと、ラザロの話の意図も自ずと読者に見えてきます。16章全体の構成から見ると、今回の物語は、地上での富や豊かさを否定したりその無価値を強調するものではないでしょう。むしろ、与えられた豊かさを「賢明に用いる」ことで、「永遠の住まい」に与ることを求めるよう促すもので、この世の豊かさを正しく用いる道を見出させようとするものです〔プランマー『ルカ福音書』390頁〕〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1127頁〕〔マーシャル『ルカ福音書』632頁〕〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)476頁〕。ただし、この物語はルカ6章20節と同24節に対応すると考えられますから、物語の眼目は、富の用い方の正/不正よりも、「見棄てられた者への福音」にあります。この意味で、『第一エノク書』などユダヤ黙示思想の流れを汲むと思われますから〔ボヴォン前掲書478頁〕、この物語の原型はイエス自身のたとえ話にさかのぼると見ていいでしょう〔マーシャル『ルカ福音書』633頁〕〔フィッツマイヤ前掲書〕。
〔資料について〕
今回の物語はルカ福音書の独自資料(L)に基づくものですから、これは著作ルカに先立つ段階で、すでに文書化されて彼の手もとにあったものです。しかし、Lの成立過程は単純でありません。それに、今回の物語にはその基となる幾つかの原話が想定さています。
ブルトマンは、物語全体を二つに分けて、19~26節の内容を先立つ14節と15節に結びつけ、27~31節の内容を16~18節に結びつけました。彼は前半の「運命の逆転」と後半の「しるしの要求」の二つが、主題として一体化していないと見なし、さらに原話として、あるユダヤの伝説を想定しました。
ある妻が地獄に落ちたために、一人の少年が地獄にいる彼女を訪れます。すると彼女は、地上にいる夫に悔い改めるよう伝言を依頼します。少年がその伝言を夫に伝えると、夫は悔い改めた、という話です。ブルトマンは、今回の物語をこの民話が基になってできた後の教会による「作り話」(メルヘン)だと見なしました〔『ブルトマン著作集』(Ⅰ)共観福音書伝承史(1)新教出版社(1983年)309頁/334~35頁〕。
しかし、ブルトマンの説は現在支持されていません。ブルトマンが想定するユダヤの伝説もその時代がはっきりせず、福音書成立以後の可能性もありますから説得的でありません〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1127頁〕。また今回の物語をその先行部分と関連づけることで内容的に不一致だと見なすこともできません。今回の物語は、原話をも含めて幾つかの段階を経て重層的に形成されたものであり、これを著者ルカがみごとに一つの物語に編集していると見ることができるからです〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1127頁〕〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)477~78頁〕。そもそも、イエスのたとえ話それ自体が、ほんらい唯一の主題で一貫していたという前提も誤りです〔マーシャル『ルカ福音書』634頁〕。
ルカ福音書に先立つ資料(L)は、口伝による伝承と(この段階ですでに語り手のもととなる民話が含まれていた)、それがLの作者によって文書化された段階とを想定することができます。Lの段階で、「紫の衣」」や「アブラハムのふところ」(22節の「ふところ」は単数で、23節のは複数)などが加えられて、パレスチナのユダヤ人富裕層に向けた内容であったと思われます。だから、まだ異邦人向けではなかったでしょう。さらにこのLに27~28節が加わりルカのもとに受け継がれたと見ることができます。これにルカ福音書の作者が「モーセと預言者による悔い改め」を迫る29~31節を付加したという見方があります。著者ルカは、口伝ほんらいの物語の真意を損なうことなく、これをヘレニズムの読者向けにみごとに編集したのです〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)475~76頁〕。
〔背景となる原話〕
今回の物語の背景にはエジプトとユダヤとギリシアの三種類の原話が想定されています。おそらくイエスの時代のパレスチナには、これらの民話が融合した形で存在していたのでしょう。
(1)古代エジプトの原話:
次に紹介するエジプトの民話は、紀元50~100年頃のエジプトのパピルスに記録されているものです。この民話はおそらく紀元前4世紀の民話集にさかのぼるもので、これの起源は前6世紀(イスラエルのバビロン捕囚期頃)にさかのぼると思われます〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)476頁〕。
ある夜、夫セトム・カエムウェーゼの妻であるメー・ウゼシェトは、夢で、夫の入る風呂場でメロンが枝を張っているのを見つけるから、その枝の一つを折り取って、メロンと共におろして妙薬として飲むなら子供を授かるというお告げを受けた。彼女がそのとおりにして、夫と寝ると子種を授かった。夫セトムはさっそくそのことをファラオ〔ラムセス二世〕に報告した。王は彼女の首にお守りをかけて、呪(まじな)いの言葉を読み上げた。
セトムは夢で、「お前の子の名前を『シ・オレシ』(オシリスの子)とつけなさい。彼は数多くの奇跡をエジプトのために行なう」と告げられた。生まれた子シ・オレシは1歳にして2歳と言われ、2歳にして3歳と言われるほど賢かった。彼はプター神の神殿の「命の家」の書記たちと共に聖なる文書を暗唱したので、これを耳にした者は彼をエジプトの奇跡だと見なした。セトムは、少年オレシを祭りの時にファラオに引き合わせて、国中の智者たちに紹介したいと願っていた。セトムが慣わしに従って祭りの準備のために身を浄めていると、シ・オレシも共に連れてこられた。
別の日に、セトムは葬儀の甲高い追悼の声を聞いて窓を開けると、富める死者が栄誉と贅沢な副葬品と共に砂漠の墓場へ運ばれるのを見た。また別の時にセトムは、一人の貧者の死体が1枚の筵にくるまって、付きそう人もなく、メンフィスの街を砂漠へ運ばれていくのを見た。
これを見たセトムが言った。「大いなる神よ。追悼の叫びと贅沢な副葬品と共に葬られるほうが、何もないままの貧乏人よりもどれほど幸いなことか!」ところが少年シ・オレシが父に言った。「あなたが死者の国へ行ったら、この貧乏人の境遇と同じになりますように!あなたが死者の国では、この金持ちと同じ境遇になりませんように!」
これを聞いてセトムは心が沈み、「今聞いた声はほんとうにわが子の声なのか」と言った。するとシ・オレシは父に言った。「お望みなら、今しがた何もなしに埋葬された貧乏人と、大いなる栄誉をもって埋葬された金持ちと、死者の国での二人の姿を見せてあげます。」セトムが「お前にそんなことができるのか」と言うと、少年は父をメンフィスの街の西の砂漠の場所〔死者の住まう所〕へ連れて行った。そこには一つの巨大な建物があり、七つの大きな広間が人で溢れていた。二人がその七番目の広間に入ると、大いなる神オシリスの姿が見えた。オシリスは純金の王座に座り、頭に王冠を戴いていた。左にはアヌビ大神がおり、右にはトート大神がいた。死者の国の住民を裁く神々が、オシリスの左右に立っていたのである。二柱の神々の間の中央に、悪行と善行を測り比べる秤が置かれていた。トート大神は帳面を手にしてこれに記帳し、アヌビス大神は〔各人の結果を〕読み上げる役であった。
悪行が善行よりも多かった者は、死者の国の主に仕える「大食い女」に引き渡され、彼の魂は肉体と共に滅ぼされ、二度と息をすることができない。反対に、善行が悪行よりも多かった者は、死者の国に仕える審判の神々のもとへ移され、その魂は高貴な栄光ある者たちとともに天へ昇る。もし善行と悪行が釣り合った場合には、その者はソカリス・オシリス神に仕える至福の霊たちのもとへ移される。
そのときセトムは、一人の高貴な姿の男が王の着る亜麻布の着物に身を包んで、オシリス神の近くに居るのを見た。すると、シ・オレシがセトムにこう言った。「わが父よ。あの高貴な男こそ、以前に一人の友もなく筵に包まれて埋葬された男です。彼の悪行と善行が測り比べられると、善行のほうが悪行より多かったのです。彼が生まれたときにトート神が文書で彼に割り当てた生涯の年数を計算し、生前に地上で受けた幸福をも計算に入れた上でそうなったのです。そこでオシリス神が、以前あなたが見た金持ちの埋葬の身支度を、そっくりそのままあの貧乏人に与えるようにとおふれを出したのです。その貧乏人は、高貴な身分の人たちの間に移され、神の人としてオシリス神の側近く、ソカリス・オシリス神にお仕えするようにと。」
「しかし反対に、あなたが以前ご覧になったあの金持ちは、地下の世界で悪行と善行とを測り比べると、悪行のほうが多かったのです。そこで彼は死者の国で処罰されるよう命じられたのです。あなたがさきほど、〔この広間に入る時に〕死者の国の戸の蝶番(ちょうつがい)が右の目に突き刺さって、目を押さえながら身もだえし、大口を開けてわめいていたのがその男です。わたしが地上で、あなたが死者の国へ行ったら、貧乏人と同じ境遇になりますように! この金持ちと同じ境遇になりませんように!とあなたに話した通りです。」
これに続いて、シ・オレシはセトムに、地上での悪行が善行よりも多かった者たちが、地上でも神に呪われて、生活のために食い物を得ようと苦労する者たちの話がでてきます。地上で悪い者たちは、死者の国でも悪いのです〔大貫隆/筒井賢治編訳『新約聖書・ヘレニズム原典資料集』(東京大学出版会)121~25頁より要約〕。
(2)ユダヤの原話:
この民話はグレスマンがパレスチナの民話としてタルムードから引用したものです。したがって、紀元後400年以降のものですが、これの基となる原話はイエスの頃すでにパレスチナに存在していたと考えられます〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)1126~27頁〕。
パレスチナのアシケロンで二人の人が同時に死んだ。一人は敬虔なユダヤ人で、密かに骨だけが埋葬された〔死体が腐食して骨になった段階で納骨箱に納められて墓に置かれた?〕。もう一人は金持ちの徴税人の息子で「マヤン」という名の人であり、彼の葬儀には町中が参列した。敬虔なユダヤ人の友人はこの様子を見て、その不公平を嘆いていると彼は続けて二つの夢を見た。
先の夢で受けた説明では、マヤンがそのように名誉ある埋葬を受けたのは一つの善行のゆえである。それは大宴会で、招かれたのに欠席した者たちの食事を貧しい人たちに施したからである。これに対して、敬虔なユダヤ人が粗末な扱いを受けたのは、生前の彼の一つの悪行のゆえである。それは彼が、聖句の入ったテフィリンを身につける際に、その順序を間違えて、額に先につけてから後で手につけたことである。
次に彼が見た夢では死者の世界が示された。そこでは敬虔なユダヤ人が泉の傍らで憩(いこ)っており、金持ちの息子は川辺の岸にいて、喉が渇いて舌を出しても渇きを癒やすことができないでいる姿であった〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)477頁〕。
〔注〕「テフィリン」とは、イスラエルの出エジプトを憶えるために身につける聖句の小箱のことです(出エジプト記13章9節/申命記6章8節参照)。この慣わしは前4世紀頃に始まったとされますが、確かなのは前2世紀ではないかと言われています〔アンカー聖書事典(5)368~69頁〕。額の上につけるものは黒革で覆われた正方形の小さな小箱で、四つに細長く区切られていて、箱の台座に紐を通す所があり、そこに黒革の紐を通して額の上方に結びつけます。四つの区切りそれぞれには、出エジプト13章1~10節/同11~16節/申命記6章4~9節/同11章13~21節を記した聖句が入っています。腕につけるのは、聖句を容れる小さな円筒で、紐を通すための台座が付いていて、これに長い革紐を通して、腕につけてから、その紐を肘から手先まで巻き付けます。
腕につける場合は、利き腕の反対の腕(右利きの人は左腕に)巻き付けますが、先に腕に巻き付けてから額のほうにつける決まりです。テフィリンは平日の朝の礼拝の時にだけつけますが、敬虔なユダヤ人は常時つけています(マタイ23章5節参照)〔Scott-Martin Kosofsky. The Book of Customs: A Complete Handbook for the Jewish Year. Harper SanFrancisco (2004)12.〕。
(3)ギリシアの原話
次にギリシアの風刺詩人でキュニコス派の哲学者でもあったサモサタのルキアノス(120年頃~180年頃)の伝える民話をその『死者との対話』から紹介します〔北シリアのアンティオキア教会の司教であったアンティオキアのルキアノス(240年頃~312年)とは別人〕。対話はディオゲネスとポリュデウケスの間で交わされていますが、そのだいたいの内容をかいつまんで記します〔大貫・筒井編訳。前掲書119~21頁より抜粋〕。
〔ディオゲネス〕ポリュデウケスよ。明日はお前が生き返る番だから、地上に戻ったら犬(キュニコス)のメニッポスに伝えてほしい。そちらでは哲学者たちを笑っても、その笑いはまだ疑いの目で見られ、死後のことをもっとよく知ろうとする問いが幅をきかしている。しかし、こちらでは、心おきなく笑うことができる。金持ちや僭主(せんしゅ)が卑しい身分に落とされて、ほかの人と彼らを区別できるのは、彼らの悲嘆の声だけ。地上の栄華を偲んで意気阻喪して卑屈な有様だからだ。
〔ポリュデウケス〕ディオゲネスよ。彼はどんな見かけの男ですか?
〔ディオゲネス〕老人で、はげ頭、身につけているのは穴だらけのぼろ服で、山師の哲学者どもをしきりにからかっている。
〔ポリュデウケス〕しかし彼ら哲学者たちの知恵を批判したら、「お前は無知無学だ」と言われますよ。
〔ディオゲネス〕彼らにはただ「くだばれ」と言ってやればいいと伝えなさい。また金持ちどもにはこう伝言してほしい。「愚かな者たちよ、なぜ黄金を守ろうとするのか。利息を数えたり、何タラントもの金貨に金貨を重ねて自分を苦しめるのか。そのうちにお前たちも、一オロボス(三途の川の渡し船の賃金)を所持金にこちらえ来なければならないのだ」と。
〔ポリュデウケス〕そう言ってやります。
〔ディオゲネス〕美少年や力自慢の者たちには、こう言ってやりなさい。「金髪や、青や黒の瞳、紅色のかんばせもこちらにはもはやない。張りつめた筋肉やたくましい肩もない。すべてはただ埃(ほこり)で、美の骸骨しかない」のだと。
〔ポリュデウケス〕そう言ってやります。
〔ディオゲネス〕貧乏人たちには、貧乏を嘆く者が多いが、こちらではみな平等で、そちらで富んでいる者もこちらでは自分と少しも変わらないのだから、泣いたり嘆いたりしないがよいといってやるのだ。
以上、現在原話として想定されている三つの民話を紹介しました。前5世紀頃のエジプトの民話も、イエスの頃?のパレスチナの民話も、後2世紀のギリシアの哲学も、所は違いますが、内容では共通します。東洋の仏教でも儒教でも、おそらく同類の話が伝えられているでしょう。パレスチナでは、これらは広い意味での知恵思想に入るのですが、今回の富者とラザロの話は、これらのどれか一つの原話に依存するのではなく、これらの民話が融合して、パレスチナの風土にふさわしい民話としてイエスの頃に存在したと考えられます。
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