【注釈】
■10人の皮膚病患者の癒やし
 イエスがエルサレムへ向かって旅を続けていることにルカ福音書が言及するのは、ここで3度目です。旅は、このあたりから後半に入り、エルサレムが近づいていることを読者に知らせています。始まりは9章51節で、途中経過は13章22節で、旅の終わりは19章28節です(13章34~35節は旅の経過の視点から見れば問題ですが)。今回を含めてこれまでの3度の旅への言及は、どれもサマリア人あるいは異邦人が救いに与る段落の冒頭に来ています〔市川喜一『ルカ福音書講解』(2)318頁〕。ルカは、資料Lあるいはマルコ福音書からの資料を忠実に受け継いで、これらを<ユダヤ人から異邦人へ移行する>福音伝道の過程として、イエスのエルサレムへの旅程に重ね合わせて配置しているのです。おそらくルカはすでに、使徒言行録でのエルサレムからローマへいたる福音の行程をも視野に入れているのでしょう(使徒言行録1章8節)。
 今回もルカ福音書だけの資料Lからです。物語全体を11~14節と14節~19節に分ける見方もありますが〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)504頁〕、分けるのであれば、むしろ16節前半までと同節後半からのほうが適切でしょう〔マーシャル『ルカ福音書』649頁〕。10人癒やされたのに一人しかイエスの下へ来なかったというのが、ほんらい伝えられた出来事であって、この一人がサマリア人であったというのは、資料Lの編集者によると見ることができます。ほんらいの伝承は口伝であって、資料Lの編集者がこれを文書化したのでしょう。ルカは、この資料Lに11節と19節を加えて、全体をルカの文体で手直ししたと考えられます。Lの特徴は、場所の特定、異邦人への関心、「癒やし」と「救い」の区別などです〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)501~502頁参照〕。
 内容的に見ると、今回の癒やしは、旧約の列王記下5章のエリシャによるナアマンの癒やし〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1150~51頁、その他〕、共観福音書ではマルコ1章40~44節との類似性が指摘されています。ほんらいは10人の癒やしだけか、癒やされた中の一人しか感謝を献げに来なかったことであったのが、Lの作者によって、その一人がサマリア人だと特定されるようになったと見る説もあります〔マーシャル前掲書649頁〕〔ボヴォン前掲書505頁〕。この説は確かとは言えませんが、ルカ7章1~10節と同様に、今回の話もイエスの福音によるユダヤ人と異邦人の新たな関係の形成を伝えています。
■注釈
[11]【サマリアとガリラヤの間を】原文(前置詞「ディア」+目的格/対格「メソン」)は「サマリアとガリラヤの両方の<真ん中を>通り抜ける」ことなのか、「サマリアとガリラヤの間の<境界線に沿って>通る」ことなのかがはっきりしません。これには「サマリアとガリラヤの境界線に沿って」(前置詞「ディア」」+属格「メスー」)という異読があります。ちなみに、「ディア+対格」は理由や手段を表わす用法で、地理的な場所に用いるのはホメーロスなどの古典ギリシア語に見られます〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1153頁〕。
 もしも二つ地域の真ん中を通り抜けるのであれば、「<サマリアと>ガリラヤの間」とあるのは、先にサマリアを横切ってガリラヤへ入ることにもなりますから、今回のコースとは逆にユダヤからサマリアを通り抜けてガリラヤへ向かうことになります(ヨハネ4章3~4節参照)。「サマリアとガリラヤの境界線に沿って」であれば、ガリラヤからエルサレムへ向かうのに、先ずガリラヤとサマリアの境界に沿って東に向かい、ヨルダン川に沿ってサマリアの境界を南下して、エリコからエルサレムへ向かうことになります。敬虔なユダヤ人は通常さらに東のペレア寄りのルートを採ったと言われています。ガリラヤとサマリアの境界であれば、サマリア人とユダヤ人が混成した患者のグループができても不自然ではありません〔プランマー『ルカ福音書』403頁〕。ほんらいの資料Lでは、「境界に沿って」の意味であったのをルカが「両者の真ん中を(通る)」と誤解した(?)のかもしれません〔ボヴォン前掲書503頁〕。ルカ福音書の作者は、ギリシア北部のマケドニアか、アジア州(現在のトルコの南西部)の出身ではなかったかと考えられますから(現在、ルカの墓がエフェソの遺跡東部の聖ヨハネ聖堂跡の近くにあります)、今回に限らずパレスチナの地理に疎(うと)かったと言われています。
[12]~[13]【ある村へ入ると】原文は「~という出来事が起こった」で始まります。これは、今回の癒やしが旅の途中の出来事として起こったことを指すのであって、「たまたま村に入った」あるいは「たまたまイエスと出会った」という意味ではありません。
【らい病の十人】原文は「10人のらい病の男たちが彼(イエス)と出会った」ですが、10名ものらい病患者たちが集まるのは希ですから、彼らはイエスのうわさを聞きつけ、誘い合ってユダヤとサマリアの混成のグループになったのでしょう〔プランマー『ルカ福音書』403頁〕。レビ記13章45~46節/民数記5章2~3節にらい病患者に対する規定があり、彼らは健康者に近づくことが禁じられていたので、イエスを待ち受けて、「遠くに立ったまま」大声で助けを呼び求めたのです。原語には「出会う」と「出くわす」の両方の意味がありますが、彼らのほうからイエスに出会ったことを指すために「<彼(イエス)に>出会った」を挿入する異読があります。今回の癒やしでも「彼らのほうから」イエスに願い求めています(5章12~14節参照)。
【らい病】ヘブライ語は「ツァーラット」(重い皮膚病)で、これの患者は「ツァールーァ」です。ギリシア語でこの病気は「レプラ」で、これの患者は「レプロス」です。ただし、レビ記13章の「ツァーラット」を英訳聖書が "leprosy" (ハンセン氏病/らい病)と訳したために、聖書の「ツァーラット」も「レプラ」もハンセン氏病を指すと理解/誤解されるようになりました。レビ記の用語は伝染性の重い皮膚病の総称で、家屋に出る「かび」もこの名で呼ばれました。ギリシア語「レプラ」も鱗状の皮膚病のことで、必ずしもハンセン氏病を指すとは限りません〔織田昭『新約聖書ギリシア語小辞典』342頁〕〔William Holladay. A Concise Hebrew and Aramaic Lexicon of the Old Testament. 310.〕。だから、レビ記の「ツァーラット」を「らい病」と訳すのは、厳密には誤りでしょう〔Anchor(3)278〕。ただし、現代のハンセン氏病(らい病)は紀元前300年頃から中東で知られていて、200年後のイエスの頃のパレスチナでも、すでに「らい病」が知られていたと思われます。したがって、共観福音書の「レプラ」は、旧約の「ツァーラット」の宗教的社会的意味を受け継いでいますが、その中にもハンセン氏病が含まれていた可能性があります。今回の場合もルカ5章12節(=マルコ1章40節=マタイ8章2節)の場合も、その患者が現代のハンセン氏病に該当するかどうか確かではありませんが、その可能性があります〔Anchor(3)281〕〔織田昭前掲書343頁〕。「ツァーラット」の語源は「打たれる」ことですから、この病気が「神に打たれた」ために患者が「汚れている」と見なされ、社会的に不浄な者とされていたことがここでは重要なのです。
【イエスよ】この呼びかけは新約聖書では希で、8回のうち5回はルカ福音書です(4章34節/8章28節/17章13節/18章38節/23章42節)。4章34節/8章28節では、イエスを囲む人たちの中で悪霊に憑かれた者だけが、イエスに宿る神の霊を見抜いて叫んだとあります。おそらくこの呼びかけは、イエスの生前からの伝承を伝えているのでしょう。なお「先生」は、弟子たちがイエスを呼ぶ時の言い方ですが(ルカ5章5節)、ここでは一般的に尊敬する人に対する呼びかけでしょう。資料Lから出ているのでしょうか。
【憐れんで】後にこの用語はキリスト教会の祈祷の言葉「主よ、憐れみ給え/キリストよ憐れみ給え」になりますが、今回のルカ福音書でも、この祈りの意味が反映しているのかもしれません(詩編51篇3節/ルカ16章24節/同18章38節を参照)〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1154頁〕。
[14]【祭司たちのところ】皮膚病が治った場合に行なうべき規定はレビ記14章1~9節に出ています。彼は祭司に体を見せて、浄めの儀式を受けなければなりません。「祭司たちのところへ行き、体を見せる」とイエスが言われた通りに従ったことが、癒やしを生じさせたのです。彼らが赴いたのはその地方の祭司たちだったのか、それともエルサレム神殿の祭司たちなのか、また、癒やされたサマリア人は、エルサレムではなくゲリジムのサマリア人の祭司の下へ行こうとしたのか、そこまで詮索する必要はないでしょう。
【清くされた】神が働いたことを表わす受動形で、「神的な受動態」"divine passive" と呼ばれています。この種の皮膚病はとりわけ「汚れ」だと見なされていたので、「浄められた」とあるのです。注意してほしいのは、彼らがまだ癒やされていない状態にありながら「イエスの言葉を信じて行動した」ことです。これが現実に癒やしをもたらしたのです〔ノゥランド『ルカ福音書』(2)14節〕。
[15]~[16]【癒やされたと知った】自分の体を祭司に見せてから初めて知ったのではなく、途中で自分が癒やされたことに気づいたのです。「大声で」とあるから、嬉しさのあまりイエスのいる場所へ途中から「引き返した」(「戻る」」をこの意味に採る)のでしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1155頁〕〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)505頁〕。律法の規定によれば、祭司の認定なしにはイエスに近づくことができなかったことになりますが、レビ記の規定では、最終の認定までに七日かかります。
【ひれ伏して】前は「遠く離れていた」のに、今はイエスの足下に近づくことが出来ます。「顔を伏せる」はひれ伏すことで、礼拝する仕草ですから、イエスとイエスを通して働いた神に「感謝を献げた」のです。「彼(イエス)に感謝した」とあるのはここだけで、通常はイエスの業によって「神に感謝した」です。ここの動詞「顔を伏せる」は、復活のキリストを正式に礼拝する動詞「ひれ伏す」ではないという指摘もありますが〔ボヴォン前掲書505頁〕、ルカ福音書の読者なら、このサマリア人がこの時点で「イエスを信じて救われた」ことを読み取ったでしょう。
【この人は】文頭で強めています。ただし、物語を14節までと15節以降の二つの伝承の合成だと見なして、前半は「癒やし」を、後半は「異邦人の救い」を強調すると見るのなら、彼以外の「全員がユダヤ人だった」という意味でしょう〔マーシャル『ルカ福音書』651頁〕〔クラドック『ルカによる福音書』335~36頁〕。しかし全体を一つの物語だと見れば、必ずしもその必要はありません〔プランマー『ルカ福音書』404頁〕。ここの「サマリア人」は、ルカ福音書以前の資料Lの編集者による追加だという見方があります〔ボヴォン前掲書505頁〕。ただしサマリア人であることは今回の物語の重要な点です。単に多数の中の一人しか感謝しなかったというだけなら、この物語の大事な意義を見落とすことになりましょう〔マーシャル『ルカ福音書』651頁〕。
[17]~[18]原文は「そこでイエスは答えて言われた」で始まり、続いて問いかけが三つ続きます。始めの二つは「確か10人癒やされた? それなのに9人はどこ?」と対応し合って、続いて「(彼らは)見あたらないのか?」とあって、三つの問いかけからイエスの驚きと批判と嘆息が感じ取れます。注意してほしいのは、この問いかけがサマリア人よりも弟子たちを含む周囲の人たち(ユダヤ人?)に向けられていることです。
【神を賛美する】原文は「神に栄光を帰するために」です。不思議な神の業に驚嘆して賛美を献げたのは、それまで神を知らなかった他国の人だけで、神を知り信じているはずのユダヤ人は、一人もイエスの所へ来なかったのです。
【この外国人】原語の「アロゲネース」(他国の人/よそ者/異教徒)は新約ではここだけですが、七十人訳ではイスラエルの民以外の者たち、あるいは、特に神によって聖別された者以外の世俗の者を指す場合に用いられます(出エジプト記12章43節/レビ記22章10節)。この用語は、エルサレム神殿のユダヤ人専用の「庭」に、ユダヤ人以外の民が入るこを禁じる指示書きにも用いられています。「エスノス」(異邦人)というユダヤ人からの差別的な含みを避けて、「他国生まれの人」を用いたのでしょうか〔市川喜一前掲書324頁〕。この言い方もルカ福音書以前の資料Lからで、サマリアを始めヘレニズムの異邦人がイエスの福音を受け容れたことを反映していて、ルカ福音書もこれを受け継いでいます〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)506頁〕。
[19]イエスはここでサマリア人に向かって二重に語ります(8章48節参照)。「立ち上がって行きなさい」(1章39節/5章24節/15章18節)「あなたの信仰があなたを救った」(17章42節)。「立ち上がって行く」は神の業に与った人に命じる言い方で、「あなたの信仰があなたを救った」は、神の業が「人間の側の信仰/真実」にも関わることを示すものです。19節は、神による癒やしの業が、神への感謝とイエスへの信頼へ向かうべきことを教えるもので、この節はルカの編集による付加でしょう。しかし、ここで語られている二つの命令それ自体は、イエスにさかのぼると考えられます〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1156頁〕。
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