【注釈】
■イエス様語録
 イエス様語録の本文は『ヘルメネイアQ』の番号づけ(Q17:20など)に従っていますが、これはルカ福音書の章節に準じています。ただし、20~21を省き、37を全体の末尾に置くイエス様語録もあります〔マックQ101頁〕。今回のイエス様語録は、「神の国の到来」への問いかけに対する答えですが、到来は「すでに来ている(始まっている)」と同時に「まだ来ていない(成就してはいない)」という不思議な「時」の出来事として表わされています。共観福音書(マルコ13章4節)では、これが、エルサレム神殿の崩壊と終末での人の子の再臨/来臨という二つの問いとして出てきます。イエス様語録のほうは、この二つへの答えが連続して編集されています。今回の箇所は、ほんらいなら、マタイ=マルコ福音書に従って、受難の直前に語られた終末説話として扱うべきかもしれません。しかし、ルカ福音書ではここが、イエスがエルサレムへ向かう旅の途中の出来事して語られています。イエスは、その在世中に、終末についても幾度か繰り返し語ったと考えられます。だから、ファリサイ派からの問いかけに答える形で、人の子の来臨とを終末をノアの日にたとえて旅の途中で語ったとしても不自然ではないと考えます。
[20]この部分(ルカ17章20節)は、はたしてイエス様語録にあったのか、確かでありません〔ヘルメネイアQ〕。
【目撃できる形で】原語は「じっと観察する/今か今かと見守る」。ここでは具体的に目で確認できる姿や物事のこと。[20]~[21]は、『トマス福音書』(113)に次の並行箇所があります。彼の弟子たちが彼に言った、「どの日に御国は来るでしょうか」。<彼が言った>、「それは、待ち望んでいるうちは来るものではない。『見よ、ここにある』、あるいは『見よ、あそこにある』などとも言えない。そうではなくて、父の国は地上に拡がっている。そして、人々はそれを見ない」 〔 荒井献『トマスによる福音書』講談社学術文庫284頁〕。
[21]これの並行箇所はマルコ13章21節=マタイ24章26節ですが、ルカ17章21節のほうはイエス様語録にあったのかマルコ福音書から来ているのか確かでありません。またイエス様語録にあったとしても、それが今回のルカ福音書の配置なのか、マタイ24章26節の配置なのかがはっきりしません〔ヘルメネイアQ496頁〕。
【内側に】「あなたがたの<間に>」とも読むことができます。"among you "〔NRSV〕〔REB〕"within you" 〔NRSV欄外〕
[23]23の大部分はマタイ24章26節からですが、末尾の「後を追うな」だけがルカ17章23節からで、マタイ福音書では「信じるな」です。下記の『トマス福音書』(3)を参照。『トマス福音書』では、相手が弟子たちであるのに対して、ルカ福音書ではファリサイ派が問いかけています。『トマス福音書』はグノーシス的傾向があるので、「神」や「天」を否定して、自己の内面的な悟りを重視し、同時にその悟りが外へも拡がっていると述べています。
 
 イエスが言った、「もしあなたがたを導く者があなたがたに、『見よ、御国は天にある』と言うならば、天の鳥があなたがたよりも先に(御国へ)来るであろう。彼らがあなたがたに、『それは海にある』と言うならば、魚があなたがたよりも先に(御国へ)来るであろう。そうではなくて、御国はあなたがたの只中にある。そして、それはあなたがたの外にある。あなたがたがあなたがた自身を知るときに、そのときにあなたがたは知られるであろう。そして、あなたがたが知るであろう。あなたがたが生ける父の子らであることを。しかし、あなたがたがあなたがた自身を知らないなら、あなたがたは貧困にあり、そしてあなたがたは貧困である」
         〔荒井献『トマスによる福音書』講談社学術文庫125頁〕。
[24]前半はマタイ24章27節からですが、後半はルカ福音書からです。
【来るだろう】原文には動詞が欠けていますから、「(人の子も彼の日に)あるだろう/来るだろう」などを補っています。マタイ24章27節では「人の子の<来臨/再臨>もそのようであろう」です。
[37]この節は、マタイ24章28節では「稲妻」のたとえに続き、ルカ17章37節では一連の終末予告の結びに置かれています。マタイ福音書の「死骸」に対してルカ福音書は「(死んだ)体」です。
[26]並行箇所はマタイ24章37節です。ここでもマタイ福音書の「人の子の<来臨/再臨>」とルカ福音書の「人の子の<日>」が対照的です。
[27]並行箇所はマタイ24章38~39節です。マタイ福音書では「すべてをさらった」ですが、ルカ福音書では「なにもかも滅びた」です。
[30]並行箇所はマタイ24章39節ですが、ここはルカ福音書に従っています。なお、これに続くルカ17章31~32節=マルコ13章15~16節=マタイ24章17~18節は、イエス様語録からか、マルコ福音書からか、それともルカ福音書の独自資料(L)からか、判断が難しいところですから、省いてあります〔ヘルメネイアQ520頁〕。
[34-35]ここはマタイ24章40~41節(畑にいる二人)とルカ17章34節(同じ寝台にいる二人)では大きく異なります。「わたしはあなたがたに言う」はここで資料が別の内容へ移行する場合に用いられます。これだけがルカ福音書からで、他はすべてマタイ福音書に準じています。「連れて行かれる」はマタイ福音書では現在形でルカ福音書では未来形です。ただし、『トマス福音書』(61)には「二人の男が一つ寝台で休んでいるならば、一人が死に、一人が生きる」(荒井訳)とありますから、マタイ福音書ではなくルカ福音書の「寝台の二人」のほうをイエス様語録に採用してはどうかと提起されています〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)523頁〕。
■ルカ17章20~37節
〔20~21節の資料〕ほんらいルカ17章20~21節は独立した断片として扱われています〔『四福音書対観表』201頁〕〔Dewey and Miller. The Complete Gospel Parallels. 141〕。この二つの節はおそらくルカ福音書の独自資料(L)からでしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1159頁〕。一つには20~21節がファリサイ派からのイエスへの問いかけであるのに対し、22節以下は、イエスが弟子たちに語っているからです。また、20~21節では神の国の内在が語られ、22節以下では人の子の来臨が告げられています。このため、両者を区別して扱う場合が多いようです〔フィッツマイヤ前掲書1157頁〕〔マーシャル『ルカ福音書』652~56頁〕。
 しかし、20~37節が、全体としてまとまりを見せているという見方も以前からあります。20~21節の「御国の到来」は、続く22~37節「人の子の日」とその終末性において共通するからです。これはルカの編集によるものでしょう。ルカ福音書以前の段階では、別個な伝承であったのが、ルカによってこのようにつながれたと見るほうが適切です。ただし。どちらの伝承もその内容はイエスにさかのぼると見ることができます〔ブルトマン『共観福音書伝承史』(Ⅰ)43頁〕〔フィッツマイヤ前掲書1157頁〕。こういうわけで、今回、筆者(私市)は、両ほうをまとめて扱うことにします〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)511~512頁〕〔NRSV〕〔REB〕。
〔22~37節の資料〕22~37節で「神の国が来る」から「人の子が来る」へ移ります。22節はルカによる編集でしょう。23~27節はマタイ福音書との並行箇所です。これはおそらく共通するイエス様語録からでしょう。ただし、イエス様語録がエルサレムへ向かうの途中でイエスが語ったことを記録しているとは考えられませんから、ルカ福音書の語録からのこの配置はルカの編集です。ルカは、マルコ福音書(13章)からも「人の子の日」預言を別個に引用していますから、ルカ福音書では、終末預言が17章と21章で重複することになります。
 問題は28~32節です。この部分はマタイ福音書に並行箇所がありません。「ノアとロト」の組み合わせはユダヤ教の伝承でも用いられますから(知恵の書10章4~7節)、これもイエス様語録からでしょうか?(だとすればマタイはこの部分を省いたことになります)。特に31節はマルコ福音書とも並行しますから共観福音書に共通します。ただし、マルコ福音書(13章14節)とルカ福音書では状況が全く違います。このように見ると、ルカはこの部分を独自資料(L)から採って、「人の子の日に」関する記事として23~27節とひとまとめにしたとも考えられます〔フィッツマイヤ前掲書1165頁〕。33節はイエス様語録の別の箇所からで、34~35節もイエス様語録からです。
〔構成について〕
 通常ルカ福音書では、イエス様語録とマルコ福音書は資料として別個に扱われています。このためルカ福音書の終末予告は、今回の17章ではイエス様語録から、21章ではマルコ福音書からそれぞれ引用していますから、ルカ福音書の終末預言はダブルことになります。今回、ルカはイエス様語録に基づいて終末説話を構成していますが、ルカとしては珍しく、イエス様語録だけでなく、どうやらマルコ福音書からも採り入れて、イエス様語録と混合させているらしいのです。もしマルコ福音書からでなかったとすれば、ルカは、その部分をイエス様語録から採ったのでしょうか?あるいはほか(例えば独自資料L)からでしょうか?〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)348頁〕。こういうわけで、今回は、この講話と注釈の原則に背いて、ルカ福音書と並行するマルコ福音書(マルコ13章)とマタイ福音書(マタイ24章)の部分を後に終末説話とも重複して引用することにしました。
■ルカ17章注釈
[20]【ファリサイ派】ルカ福音書の文脈では、このファリサイ派は15章1節/16章14節にさかのぼりますが、今回をも含めてどの場合でも、その場には弟子たちがおり、そのほかに聴衆もいたことが示唆されています。だから、ファリサイ派のこの問いかけに特に悪意あるいは謀略を読み取る必要はないでしょう。23節の弟子たちへの語りかけとつながるのもこのためです。
【神の国】この言葉は16章16節以来であり、次に来るのは18章16節です。大事なのは「(神の国は)何時?」という問いかけです。これは明らかに、なんらかの目に見える「しるし」、すなわち神の国到来を予告する具体的な前兆を期待する問いかけです。旧約聖書には、「神の国の到来」の予兆を<直接に>預言する箇所はありません。ただし、ダニエル書には、「人の子」が全地の権能を握り、世界を統治するヴィジョンが告げられ、またこれに伴う歴史的な予告/予兆が語られています(ダニエル書7~8章)。ただしハバクク書やクムラン文書では、イスラエルの復興を願い求める神の臨在とこれの顕現の「遅れ」を指摘し、神の来臨の歴史的な「しるし」となる具体的な時間表を作ろうと試みられています。だから、イスラエルへの神的な臨在を求める終末的な期待は、キリスト教より先にユダヤ教のほうにあります。ルカ福音書のここの質問と答えには、イエスの頃の人々のこの疑問と、イエス復活後に使徒たちが尋ねている同様の質問とが重ね合わされているのです(ルカ24章21節/使徒言行録1章6節)。
【尋ねた】ここは16章14節のファリサイ派のように、イエスを嘲笑したり罠にかける意図で問いかけているのではありません。すでに指摘したように、聴衆はファリサイ派だけではないからです。ここは「尋ねた」のであって「尋問した」のではありません。これに対するイエスの答えも問いへの「拒絶」ではなく「訂正」です〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)514頁〕。
【見える形で】原語の動詞「パラテーロー」は「観察する/じっと見守る/見張る」ことですから、神の国の到来を期待して、何らかの前兆を見ようと試みることです。この語は、ヘレニズム世界では星座を観察したり、病気の兆候を見つけることを指しましたから、ルカ福音書のここの用法もこれに近いでしょう〔フィッツマイヤ前掲書1160頁〕。イエスの答えも、ほんらいは、終末到来のなんらかの具体的なプログラムとこれによる具体的な目に見える「しるし」のことを指していたのではないか?とも考えられます〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)515頁〕。今回のこの問いかけは、3節以下の「人の子の到来の日」へつながりますから、悪意ある問いかけを拒絶する場合(ルカ11章29節/なお16章31節を参照)とは異なります。終末についての同様の問いかけはパウロの頃にも続いていました(第一テサロニケ2章2節/同5章1~3節)。
[21]【あなたがたの間に】これを「あなたがたの<内面に>」と解する説があります。原語の副詞「エントス」(内部に/内側に)は七十人訳の詩編39篇4節/101篇1節などに用いられています。相手がファリサイ派ですからこの解釈は不適切だという批判もありますが、イエスの聴衆は必ずしもファリサイ派に限定されていません〔マーシャル『ルカ福音書』655頁〕。なお、ここを「あなたがたの手の届くところに」という解釈もあります。しかし、多くの注釈はここを「あなたがたの<間に>」と解釈しています。神の国がイエスを通じて弟子たちと信じる人たちの間に「すでに来ている」ことは、イエス自身が悪霊追放の折に告げています(ルカ11章20節「あなたがたの上に」)。したがって、今回も、「あなたがたの真ん中にいるイエスの存在を通じて」、イエスの言葉と業を信じる人たちのところへ神の国とその働きが「すでに到来している」と解釈するのが適切でしょう。"For, in fact, the kingdom of God is among you ."〔NRSV〕したがって、ここでのイエスの答えは、「何時?」という問いかけにもかかわらず、続く「人の子の到来の日」という黙示的な顕現とは異なる相を表わすもので、この点で、20~21節は、23節以下とは「すでにイエスの到来で成就した御国」と「終わりの時の力ある権能の顕現」との間の緊張関係を示すと言えましょう〔ボヴォン前掲書517頁〕。
[22]22~24節は20~21節を受けています。ファリサイ派は神の国が来るのを待ち望み、イエスの弟子たちは人の子(イエス?)の終末が来るまで生き延びようと願うのです。同時に、パレスチナの社会でもイエスの弟子とその周辺でも、神の国と終末の到来について様々な憶説が飛び交っています。ルカ福音書は、神の国は今すでに来ていると伝え、人の子の到来が成就するのはまだ先だと告げるのです〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)517頁〕。
【弟子たちへ】イエスはファリサイ派からの問いかけを、弟子たち向けに切り替えます。旅は弟子の教育のためもあるからです。
【人の子】共観福音書の「人の子」について、「イエスと人の子は同一人物か」という疑問と、さらにこの点に関係して、「人の子はイエスとしてすでに来ているのか?それともこれから顕われるのか?」という疑問があります。この問題は「イエスの再臨」とも関連して、ルカ福音書の頃に(そして現在も!)「人の子」についての謎とされています。詳しくはコイノニア会ホームページ→聖書講話→四福音書補遺→「人の子」を参照。
【日を一日だけ】「~の(日々の)うちの一つ」(原文)という言い方はルカ福音書によくでる言い方です(5章17節/8章22節/13章10節)。ルカ福音書には七十人訳の影響が強いと言われていますから、七十人訳の「(諸都市)の中の一つ」から出ているのでしょうか〔申命記13章10節=七十人訳13章12節/サムエル記上27章5節=七十人訳列王記(1)27章5節〕〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(1)122頁〕。ヘブライ語の用法から見て、ここは、「せめて人の子の日々の<最初の日>でも」〔プランマー『ルカ福音書』407頁〕の意味にとる、あるいはアラム語の「日々を<是非とも>見たい」を誤訳した?などの説もあります〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1168~69頁〕。また、未来よりも人の子イエス在世中の過去に目を留めて、イエスが地上にいたあの日々の「せめて一日でも見たい」という最初期のキリスト教徒の願いではないかという見方もあります〔ボヴォン前掲書517頁(注)39〕。
【見ることはできない】ルカ福音書の時代の教会では、最初期の教会が期待していたにもかかわらず、「終末の遅れ」が問題にされていました。ここは、この疑問に答える意味もあるのでしょう。
[23]23~24節は人の子の来臨についての黙示的な預言です。25節では人の子の受難がまたも繰り返され、26節からはその来臨が全く「突然に」訪れることが語られます。しかしルカは全体を通じて、「メシア」とその「来臨」(パルーシア)という言葉を用いていません(マタイ24章27節と比較)。おそらく、今回の預言が旅の途中で語られていること、しかもそれが「すでに来ている」神の国とつながっていること、メシア来臨の事態は、エルサレムにおいて再び語られることなどを考慮したためでしょう〔フィッツマイヤ1166頁〕。ルカが「すでに来ている神の国」と「これから来るであろう人の子の来臨」をこのように二度にわたって違った角度から採り上げるのは、ルカ福音書の頃の教会では、最初期の頃の切迫した再臨と終末への期待から(パウロの第一テサロニケ4章を参照)、再臨が「遅延している」ことへの疑問に応える意図があったからです。
 終末が「どこそこに、しかじかの日に来る」といううわさは、イエス在世中だけでなく、以後のキリスト教の時代でも盛んに預言されていましたから、マルコ福音書にもイエス様語録にも、これに惑わされるなという忠告があり、ルカ福音書もそういう「終末到来説」に振り回されないよう警告するのです。なお22節はイエス様語録(21)を参照。
【出ていくな】「出ていくな」は今のままじっと留まることで、「追いかけるな」は信じるなということです。
[24]【稲妻】「稲妻」は、必ずしも現在のわたしたちが言う意味でなく、何らかの理由で空が明るくなる現象一般を指します。ルカ福音書では「照らす」ですがマタイ福音書では「輝く」です。ルカ福音書を直訳すると「天の下から天の下にいたるまで(照らす)」となり、やや奇妙な言い方ですから、ルカはイエス様語録をそのまま採用したのでしょう(マタイ24章27節と比較)。内容は明瞭で、「全世界の人たちのだれの目にも分かるはっきりとした姿で」人の子が顕現することです。この言い方はイエスにさかのぼるものでしょう。
【その日に】有力な写本やパピルスに、これが抜けています。マタイ24章27節には「(人の子の)来臨」という名詞が使われていますが、この名詞はマタイ24章に4回でてくるだけで、パウロ書簡にでてきますが、四福音書にはこれ以外にありません。マタイ福音書の「来臨」にあたる「彼(人の子)の日に」はイエス様語録からでしょうか。ただしルカ福音書には「その/彼の日に」が幾度も出てきますから(8章23節/10章12節/17章29~31節/19章42節)、抜けているのは写筆の際の見誤りだとも考えられます(省くほうを選ぶ見方もありますが〔新約原典テキスト批評167頁〕)。
[25]この節はルカによる挿入ですが、「人の子」をめぐる終末について大事なことを教えています。ナザレのイエスの十字架(受難)なくして、復活も来臨/再臨も終末もないからです。過去の歴史の出来事なしに未来の出来事もなく、「受難の栄光」(ヨハネ17章1節)なしに、終末の人の子の栄光はありえないからです。
【苦しみ】人の子イエスの「受難の苦しみ」は、ルカ9章22節/17章25節/22章15節/24章26節/同46節の5箇所にでてきます。
[26]~[27]イエスの頃のユダヤ教では、ノア(創世記6~9章)やエノク(創世記5章6節)は、「神と共に歩んだ」義人の模範とされていて、この伝承は新約聖書にも受け継がれます(ヘブライ11章7節/第二ペトロ2章5節)。
 ルカ福音書は、弟子たちのところへ「すでに来ている」(20節)神の国に始まり、人の子到来の日(22節)という終末の時、突然の顕現(24節)、苦難の時(25節)、そして、ノアの時代と全く同じ時とあって、「神のご計画の時」から見た歴史区分を聴衆/読者に悟らせようとします〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)519頁〕。
【ノアの時代にあったような】ノアと同時代(世代)の人たちの生き方が「食べては飲み、娶(めとり)り娶られ」の繰り返しとして描かれます。日常の繰り返しだけでなく、生活以外に全く関心がない状態が「ノアの時代/世代」と呼ばれて、これが神に裁かれる日が来ると警告するのです。ここの「ような」は24節の「稲妻のような」とは異なり、「それと全く同じに」の意味です〔プランマー『ルカ福音書』408頁〕。創世記では、物語がノアとその家族に焦点が当てられますが、今回は、「ノアの時代の人たち」のほうへ視点が移されます。これもイエスの頃のユダヤ教の傾向でしょう。
【箱舟に入るその日まで】創世記7章7節と第一ペトロ3章18~20節を参照。
[28]~[29]【ロトの時代】28~29節はマタイ福音書に並行箇所がありません。ここはルカによる追加説もありますが、ほんらいイエス様語録にノアの例と共に置かれていたのが、マタイがこれを省いたという見方が強いようです。だとすれば、この箇所もイエス様語録にあったことになります。ロトのことは創世記19章に出ています。「ノアとロトの時代」の組み合わせは、「神の裁きの日」としてすでにイエスの頃のユダヤ教に伝承されていたのでしょう。「ノアとロト」のこの組み合わせもイエスにさかのぼると見ていいのではないでしょうか〔マーシャル『ルカ福音書』662~63頁〕。
【ソドム】旧約聖書で「ソドム」は、「神に裁かれた罪悪の町」として知られていましたが(申命記29章22~24節/詩編11篇6節/エゼキエル書16章49節/同38章22節)、今回は、むしろ「日常生活の繰り返しに浸っているだけの人たち」に突然の裁きが訪れたと警告されています。ソドムは、現在の死海の最南端の西岸にあった町だと推定されています。ここは、古代から良質のアスファルトの産地としてエジプトでも知られていました。死海の両岸には、南北逆の方向へ動く断層があり、このため古来地震が多発しています。アスファルトの産地ですから地盤が軟弱で、強い地震によって、町ごと死海の中へ引きずり込まれたと考えられます。この地域の地下にはメタンガスが蓄積されていて、これが地殻変動によって噴出したために「火と硫黄が降った」のだと考えられます。
【火と硫黄が】ヘブライ語原典には「主は~火と硫黄を<降らせた>」(創世記19章23~24節)とありますが(七十人訳も同様)、今回の箇所では主語が明記されていないために通常「降った」と訳されます〔プランマー『ルカ福音書』408頁〕。「火と(煙と)硫黄」は、ヨハネ黙示録9章17~18節/同14章10節/同19章20節/同20章10節/同21章8節でも繰り返されています。
[30]【人の子が現れる日】30節はマタイ24章39節と並行しますが、マタイ福音書では「人の子の再臨/来臨の日」が用いられています。ルカ福音書はこれを避けて(?)「人の子が<啓示される/黙示される>日」としています。「再臨/顕現」も「啓示/黙示」も内容は同じです。ルカ福音書の「啓示される/黙示される」はパウロの「わたしたちの主イエス・キリストの<啓示/黙示>」(第一コリント1章7節)から来ているのでしょうか。だとすれば、ルカはイエス・キリストが「人の子」として来臨/再臨する日を待ち望んでいたことになります。
[31]31~32節は最古の黙示伝承を伝えるものです〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)521頁〕。マルコ=マタイ福音書ではダニエル書に預言されている「荒らす憎むべき破壊者」が顕われる時にユダヤ(エルサレム)から逃れよと警告されています。これは、終末の最終的な到来の少し前ですから、ほとんど辞義通りに解釈することができます。しかし、ルカ福音書では「人の子の日」が到来するその日のことですから、そのような暇(いとま)すらないでしょう。だから、やや比喩的な表わし方になります〔プランマー『ルカ福音書』409頁〕。ちなみに、ユダヤ戦争の際に、多くのクリスチャンたちが、この預言に従ってエルサレムから東方のペレアに逃れたと伝えられています。
 資料的に見ると、ルカ福音書にはマルコ=マタイ福音書の「上着を取りに」が抜けていたりしますが、ルカは、ここで珍しくイエス様語録とマルコ福音書と両方の資料を混在させていると見られています〔マーシャル『ルカ福音書』664頁〕。
【屋上に】パレスチナの家は一般に屋上が平らで、外から屋上へ登る階段が付いていました。夏期の気持ちのいい日には、人々はそこで、食事をしたり、干し物をしたり、談話をしたり、昼寝をしたりしました。だから、まさかの時は、屋上の階段を降りて、家の中には入ることなくそのまま逃げよという指示です。ルカ福音書では、「<自分の持ち物>が屋内にあるのに屋上にいる者は<だれであっても>、降りてそれらを取り出そうとするな」です。マルコ福音書にある「家の中へ入るな」が抜けているのは、ヘレニズムの読者が、パレスチナの家屋では屋外に階段があって屋上へ登ることを知らないからでしょう。このためにやや不自然な言い方になっています。言うまでもなく、「何かの理由で屋上にいる者はだれでも、たとえ家の中に大事な持ち物があっても、降りてきてもそれを持ち出そうとはせずに、すぐに逃げなさい」という意味です。
【家財道具】マルコ福音書の「何か」ではなくルカは「自分の所有物」と明確にしています。原語は、壺であれ何であれ自分の所有する物、あるいはその他の道具類です〔ボヴォン前掲書521頁(注)60〕。
【畑にいる者】マルコ福音書の「畑に<出かけて>いる者」をルカは分かりやすく言い換えています。
【帰る】原文は「後ろを振り向いて戻る」で、共観福音書に共通します。ルカがマルコ福音書の「~を取りに(戻る)」を省略しているのは、具体的な行動よりも終末の到来に向けて「後ろを振り向かない」心構えを重視するからでしょう(ルカ9章62節/フィリピ3章13節)。「捨てた過去を振り向かない」で未来を目指すのがルカ福音書の「地上から天へ向かう」心得です〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)521頁〕。
[32]【ロトの妻】ロトの妻のことは創世記19章26節にあります。ヨセフスは「わたしは、現在も残っているこの柱を見たことがある」〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』1巻11章4節〕と述べていますから、イエスの頃には死海の畔に人状の塩岩の柱があって、これがロトの妻の遺体だとされていたようで、人々はこのことを知っていたのでしょう。
[33]四福音書に共通して6回でてくる言葉です(マルコ8章35節/マタイ10章39節/同16章25節/ルカ17章33節/同9章24節/ヨハネ12章25節)。マタイ福音書の「(自分の命を)見出す/得る」とマルコ福音書の「救う」とルカ福音書の「我が物として存続させる」とヨハネ福音書の「愛着する」などの違いがあり、置かれている文脈も「十字架を負う覚悟」(マルコ=マタイ福音書=ルカ福音書)と「終末の到来」を迎える心構え(ルカ福音書)と「死と復活の一麦のたとえ」(ヨハネ福音書)など、意味合いが異なります。この言葉は主にさかのぼるものとして、大事に保存され、様々な状況に当てはめて言い伝えられてきたことをうかがわせます。
【保つ】原義は「命をどこまでも生み出し続けること」です。
[34]~[35]ルカ福音書と並行するマタイ24章40~41節を併せると「寝台の二人」と「挽き臼の二人」と「畑にいる二人」の三つの例があげられていて、マタイとルカは、それぞれ二つの例だけをあげています。イエス様語録には「寝台の二人」はありません〔イエス様語録34~35注釈を参照〕。
【その夜】マタイ福音書の「その時」に対してルカ福音書は「その夜に」です。以下の「寝台」と「挽き臼」の例は「夜」をイメージしているのでしょう〔マーシャル『ルカ福音書』667頁〕。ユダヤ教ではメシア到来の日が「過越祭の夜」に起こるという言い伝えがありました(マタイ24章43節/ルカ12章38節/第一テサロニケ5章2節)〔エレミアス『イエスの聖餐のことば』田辺明子訳333頁〕。この関連づけを疑問視する見方もありますが〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1172頁〕。「畑の二人」について言えば、有力な写本では36節が欠落しています。おそらく36節の「畑にいる二人」の例は写筆者がマタイ24章40節からここへ挿入したのでしょう〔新約原典テキスト批評168頁〕。したがって、36節は通常欠落して訳されています〔新共同訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕〔NRSV〕〔REB〕。
【一つの寝室】正しくは「一つの寝台」ですから同じベットに寝ていることです。"in one bed"〔NRSV〕〔REB〕。
【連れて行かれ】誰かに伴われて連れて行かれることで、「携挙」と呼ばれます。これに対して「残される」には「見棄てられる」の意味も含まれます。ここに出てくる男性と女性の二組のペアは、外目には全く同じに思われても、その内面は正反対だという意味に理解することもできますが、そうではなく、むしろ二人の内面もほぼ同じでありながら、ほんの少しだけ霊的に違うことが、神の眼から観るなら、終末には大きな違いとなって現れることを言うのでしょう。
【臼】イエスの頃のパレスチナの挽き臼は二つの石の間で穀物を碾(ひ)くので二人(の女性)が必要でした。
[37]弟子たちの「どこで?」という問いは、これに先立つ23節とも、また「(人の子の来臨が)突然訪れる」という一連の例とも、うまくつながらないと指摘されています〔マーシャル『ルカ福音書』668頁〕。しかし、むしろ弟子たちの無知/無理解を表わすためのルカによる締めくくりの挿入でしょう。弟子たちに対するイエスの答えは当時の諺で、以下のように解釈が分かれます。
(1)条件さえ整えば、どこであろうと人の子の再臨/来臨が起こる。
(2)「死体とはげ鷹」を「人間の(罪の)死体と神の裁き」と理解して「人の罪あるところ、神の裁きあり」の意味〔プランマー『ルカ福音書』411頁〕。
(3)禿鷹が死体を見逃さないように、人の子の来臨はだれの目にも明らかにである(マタイ24章28節はこの意味)。
【死体】原語「ソーマ」は「人体」を指しますが古典時代から「死体」をも意味します。マタイ福音書では「プトーマ」で「遺骸」の意味がはっきり出ています。
【禿鷹】パレスチナではハゲワシとシロハゲワシとエジプトハゲワシの三種類が知られていました。「禿鷲」はタカ科ですから「禿鷹」とほぼ同じです。白禿鷲は頭部が白く毛が薄いものと頭部だけでなく全身が白いものがあり、全身が白い鷲は、独特の威厳を感じさせたようです。白禿鷲は遠くから獲物をかぎつけて群れをなして集まりますから、今回の「禿鷹」はこの白禿鷲のことでしょう〔図書刊行会『聖書動物大事典』434頁〕。エジプト禿鷲は、頭に毛がふさふさありますから「ハゲ」ではありません。レビ記11章13節ではこれらは「汚れた」鳥に分類されています。
 今回のギリシア語「アエトス」は「ワシ(鷲)/ハゲタカ(鷹)」の両義を含みますが、鷲は死体を食べず、群れで飛ぶこともしません。七十人訳のヨブ記39章26~28節では、「鷹」(ヒエラクス)と「鷲」(アエトス)と「禿鷹」(ギュプス)はそれぞれ別のギリシア語で訳し分けています〔フランシスコ会訳聖書も同じ。ただし39章(注)9参照〕。イエス様語録の諺もここから出ているのかもしれません。しかし七十人訳のミカ書1章16節は「禿鷹」に「アエトス」が用いられています(英訳では"eagle"〔NRSV〕/"vulture"〔REB〕)。七十人訳のハバクク書1章8節も「アエトス」で「鷲」〔新共同訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕とあります(英訳は"eagle"〔NRSV〕/"vulture"〔REB〕)。パレスチナでは、「鷲」と「禿鷹」は区別されていましたが、ギリシア語「アエトス」は「鷲」と「髭鷲/禿鷹」の両方の意味で用いられたようです。
■マルコ13章
 今回のマルコ福音書とマタイ福音書からの引用は、直接ルカ福音書(=イエス様語録)と共通する部分だけに限ることにしました。今回のマルコ福音書からの引用はマルコ13章14~23節までの「憎むべき破壊者が立ってはならぬ所に立つ」時に訪れる大きな艱難の中に含まれています(ダニエル書12章9~11節と第一マカバイ記1章54節を参照)。ダニエル書の預言はギリシア系王朝のアンティオコス4世がエルサレムを蹂躙しエルサレム神殿を冒涜した出来事を念頭に置いています(第二マカバイ記5章15節/同6章2節)。この預言は以後イスラエルへの終末的な艱難への預言として伝承されてきました。イエスもおそらくこの伝承を念頭に「来たるべきエルサレム神殿の崩壊」(マルコ13章2節を参照)を予見しかつ預言していたと思われます。ただしマルコ福音書13章は、紀元70年にローマ軍によってエルサレムが滅亡した出来事のおそらく少し前に書かれたとも考えられていますから〔フランス『マルコ福音書』520~21頁〕、マルコ福音書の記事を必ずしもエルサレム滅亡<以後>の事後預言だと見なす必要はありません〔コリンズ『マルコ福音書』607~608頁〕。したがって今回の箇所は、エルサレムの滅亡という具体的に切迫した状況の下でイエスを信じる人たちに語られたメッセージでしょう。
 マルコ13章もルカ17章と同様に、終末の「しるし」とその時期を尋ねるイエスの弟子たちの問いかけで始まっていますから、この問いかけはイエス在世当時から弟子を始め人々からの問いかけだったのでしょう。マルコ福音書は、エルサレム神殿の崩壊の出来事と終末の出来事を関連づけて答えており、ルカ福音書は、神殿崩壊の出来事を踏まえた上で、さらに未来の「人の子到来の日」への問いに答えるのです。
[15]~[16]15節をそのまま読めば、屋上から降りずにどうやって逃げるのか?という疑問が生じますが、マタイ福音書はこの点を説明しています。15節の異読を含めて意訳すれば、「屋上にいるならその人は、降りて<家の中に入ろうしたり、あるいは>家の中に入って何かを取り出そうとするな」です(< >は異読から)。屋上にいるのは迫る危険を見張るためでしょうか? あるいは何らの用事で屋上にいたのでしょうか?
[21]偽りの「メシア」を気取る者たちは、イエス以後エルサレムの滅亡までの間もそれ以後も度々現われました。66年に、ガリラヤのユダの息子メナヘムは、身近な者たちを集め、マサダの岩上に経つヘロデの王宮の武器庫を襲って、武器を奪い、同郷の仲間や反乱者たちを武装させて彼らを護衛に付け「まるで王のように」エルサレムに入って反乱の首領になったと伝えられています〔ヨセフス『ユダヤ戦記』2巻433~34/新見宏訳『ユダヤ戦記』(2)49頁〕。69年には、ゲラサ出身のギオラの息子シモンは、マサダを占拠していた無頼の徒に加わり、彼らの首領となり、砦の下の者たちに「奴隷には自由を、自由人には報酬を与える」と約束して人々を集め、ついには軍団を組織したので「かなりの数の市民が彼を王のように扱った」とあります。シモンはその後もイドマヤを襲い四万もの大軍となってエルサレムを脅かしたと記録されています〔ヨセフス前掲書4巻503~43/新見訳前掲書(2)269~75頁〕。
■マタイ24章
 マタイ福音書の終末への説話(マタイ24章)は概(おおむ)ねマルコ福音書(マルコ13章)に基づいていますが、マタイはマルコ福音書の記事を拡大編集しています。マタイ24章3節(=マルコ13章3~4節)では、「<何時>神殿の崩壊が起こるのか?」と「あなた(イエス)の再臨とこの時代の成就/終末には、どんな<しるし>があるのか?」とあって、「神殿崩壊の時期」と「人の子イエスの再臨のしるし」という二つ出来事が尋ねられます。
 マルコ福音書では尋ねているのは4人の「内弟子」だけで、質問は「神殿崩壊の時期とそのしるし」だけですが、神殿(これは宇宙の表象です)の崩壊が、これに伴う一連の終末の出来事へつながるように並行されています。第1段階がマルコ13章5~13節、第2段階が同14~23節、第3段階が同24~31節でしょうか〔コリンズ『マルコ福音書』607頁/614頁〕(ただしこの分類では24~25節がどちらに含まれるのかが問題です)。
 マタイ福音書のほうでは、弟子たちのグループ全体が「密かに」イエスに尋ねますが、「神殿崩壊」とともに「イエスの<再臨>と今なりの時代の終末的な成就」も問われているのが注目されます。「二つの問い」に対して、答えのほうも「神殿崩壊」(マタイ24章4~28節)と「人の子の来臨/再臨」(同29~44節)とに区別されているようですが、その切れ目を22~23節の間に置くのか〔フランシスコ会訳聖書〕、28~29節の間に置くのか〔新約原典〕〔新共同訳〕、35~36節の間に置くのか〔フランス『マタイ福音書』890頁〕確かでありません。この点では、ルカ21章のほうが、神殿崩壊(ルカ21章7~24節)と人の子の再臨(同25~28節)をはっきり区別しているようです〔新約原典〕〔新共同訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕。
 今回のマタイ福音書からの並行箇所はすべてマタイ24章からです。問われているのは「人の子の再臨/来臨」だけですが、引用した並行箇所には、神殿崩壊の出来事と人の子来臨の出来事の両方が含まれています。イエス様語録は、ほんらい「御国の到来」の出来事ですから、二つの出来事は区別されていません。
[17]~[18]17節と18節は「屋上にいる者」と「畑にいる者」、「降りるな」と「戻るな」、「家の物をとるな」と「上着をとるな」のように対応しています。マタイは、マルコ福音書の記事を意味を変えることなく縮めています。
[23]マタイ=マルコ福音書では、17~18節も23節も「憎むべき破壊者が立って」エルサレム神殿を冒涜する時への警告ですが、イエス様語録とルカ福音書では、人の子到来の日のことになります。
[27]用語では、「なぜなら稲妻のように」"For as the lightning" とある最初の四つの語だけがマタイ福音書とルカ福音書で共通していて、その後は異なります。マタイ福音書「輝く」ルカ福音書「照らす」/マタイ福音書「東から西へ」ルカ福音書「天の端から端へ」/マタイ福音書「人の子の来臨/再臨は」ルカ福音書「人の子は彼の日に」となります。
【人の子も来る】ここでマタイ福音書だけに「パルーシア」(顕現/来臨/再臨)という用語が出て来ます。「来臨」(パルーシア)はほんらい王侯たちがその場に臨(のぞ)むことを表わす言葉でしたが、イスラエルでは神の直接的な臨在は「雷鳴と稲妻」を伴って表わされていて(出エジプト記19章16節/詩編18篇14~15節)、マタイ福音書の「来臨/臨在」は、この伝承を受け継いでいます。ただし、今回の27~28節の「再臨」が終末説話の中でどのような意味を持つかが注目されます。イエス様語録から分かるように、ほんらいのイエスの言葉は、エルサレム神殿の崩壊と終末の到来が二重映しに預言されていたと考えられます。しかしマタイは、24章で、26節までのエルサレム滅亡と29節以降の終末の到来の二つを出来事を時期的に区別しつつも、二つの出来事の終末性を保持するために、これら二つをつなぐ27節で「人の子の来臨」を導入したと見ることができましょう〔フランス『マタイ福音書』891~99頁〕。なお「パルーシア」は新約聖書でマタイ24章での4回(3節/27節/37節/39節)に始まり、第一コリント2回、第二コリント3回、フィリピ2回、第一テサロニケ4回、第二テサロニケ3回、ヤコブ2回、第二ペトロ3回、第一ヨハネ1回です。
【ひらめく】マタイ福音書の「輝く」はほんらい太陽のことではないかという説があり、また明の明星(第二ペトロ1章19節)を指すという説もあります〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)354頁(注)173〕。
[37]~[39]マタイ福音書ではイエス様語録がマタイなりの文体に編集されていて、「ノアの日々とちょうど同じく/人の子の来臨もそうであろう」(37節)とあり、続いてこれと対照する形で「その日々と同じく/・・・・・人の子の来臨もそうであろう」(38~39節)とあります。ここでもルカ福音書の「人の子の日」に対してマタイ福音書は「人の子の来臨」が来ます。「食べたり飲んだり」に罪の生活を読み取る解釈もありますが、「嫁ぎ娶る」とペアになっていますから、むしろ、普段の日常の中で来臨/再臨が突然起こることを強調していると見るべきでしょう。
[40]~[41]マタイ福音書ではルカ福音書の「寝台」が「畑」に変えられています(ルカ福音書では17章31節に「畑」が出てきます)。ルカ福音書ではノアの日と「畑と挽き臼」の例の間にロトの例が挟まります。マタイ福音書のほうがルカ福音書よりイエス様語録の実際の配置に近いのでしょうか。
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