161章 三度目の受難予告
マルコ10章32〜34節/マタイ20章17〜19節/ルカ18章31〜34節
             【聖句】
■マルコ10章
32一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。
33「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。
34異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」
■マタイ20章
17イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。
18「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、
19異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」
■ルカ18章
31イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。
32人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。
33彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」
34十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。
                      【注釈】
【講話】
■歴史の恐怖
 イエス様による受難予告は、今回が三度目です。注釈にあるとおり、今回の受難予告は、イエス様の十字架の受難を現実に起こったほぼそのままの姿で「予告」しています。イエス様の受難の意義それ自体については、後の受難記事で扱うことにして、今回は、共観福音書が伝える受難予告を従来とは少し違った視点から見たいと思います。
 マルコ福音書には、イエス様の今回の予告を聞いて12人は「ひどいショックを受けた」とあり、イエス様に従う人たちは「恐怖を覚えた」とあります。ルカ福音書によれば、12人はイエス様の受難予告を聞いても「何も分からなかった」とあり、その理由としてイエス様の予告の意味が「隠されたままだった」からだとあります。いったい弟子たちは、イエス様の予告を聞いて「何に」そんなに驚き、人々は「何を」恐れたのでしょう? 弟子たちから「何が」隠されていたのでしょう?
 弟子たちが驚いたのは、イエス様が身の危険をも省みずにエルサレムへ向かったからであり、弟子たちには「イエス様がメシアであること」が隠されていて彼らはこの段階ではまだ「そのこと」が分からなかったからだという見方があります。しかし、共観福音書の証言をそのまま受け取るなら、これでは説明がつかないところがあります。ルカ福音書の証言からだけでも、イエス様の伝道活動のそもそもの始めから、イエス様を通して驚くべき神の御業が行なわれ(ルカ4章31節)、人々はイエス様のなさることを見て大変驚き、神を賛美したことが繰り返されています。弟子たちには「神の国の秘密を悟ることが許されている」と記されています(ルカ8章9節)。イエス様が嵐の海を鎮めると、弟子たちは恐れ驚いて「いったいこの方はどなただろう。命じれば風も波も従うとは!」(8章25節)と言い合います。ペトロにいたっては、イエス様の足下にひれふし、「どうかわたしから離れてください。わたしは罪深い者です!」(ルカ5章8節)と告白しています。さらに、ペトロとヤコブとヨハネは、山上でイエスの変貌を目撃し、その後でペトロは「あなたは神から来たメシアです」(ルカ9章20節)と告白するのです。
 共観福音書のこれらの証言から判断すると、イエス様は「通常の人」ではなく、「神御自身が」イエス様を通して働いておられることが、弟子たちにもそれとなく伝わっていたのは間違いありません。だから、イエス様が終末に顕現する「メシア」であり、このメシアを通して<聖書の神御自身>が地上で栄光を顕わし、弟子たちもこれを目撃していることを彼らなりに察知し体験していたと考えられます。だから弟子たちの目から「隠されていた」のは、イエス様が神から遣わされ終末に顕現するメシアである<そのこと>ではありません。ヨハネ福音書を引き合いに出すまでもなく、イエス様には神御自身が宿って働いておられることを弟子たちも、イエス様の周囲の人々も、さらには悪霊までもが!感じとっていたのです。
 弟子たちが今回イエス様の予告を聞いてショックを受け人々が恐れたのは、神御自身が働いておられる「このイエス様」が、エルサレムを間近にして、間もなくユダヤの指導者たちによって死刑を宣告され、ローマ人に渡され、彼ら異邦人に侮辱され辱めを受けて殺されることを<ご自分の口から>明らかにされたからです。このことに弟子たちは驚き、人々は恐れおののいたのです。繰り返しますが、弟子たちに隠されていたのは、イエス様がメシアであって、この方を通して神御自身が働いておられるそのことではありません。そうではなく、今まで体験してきた驚くべき「神の人」イエス様が、「ご栄光のメシア」として自分たちと共に居てくださったその方が、自分たちから取り去られること、こともあろうに「異邦人に侮辱されて殺される」と予告されたそのことにショックを受けたのです。
 生存中のナザレのイエス様は、栄光と霊能の神の人です。ところが今、彼らが信じてきた「神」とも言うべきイエス様を彼らは失うのです!このことが、エルサレムを間近にして弟子たちにはっきりと予告されたのですから、弟子たちのショックと人々の恐れはいかばかりだったでしょう。預言者としてのイエス様が殺されるのなら信じられないことではありません。義人の人の子イエス様が侮辱され死刑にされるのなら、必ずしもありえないことではありません。イスラエルの歴史では、多くの預言者や義人たちが、異邦人に侮辱されて殉教したことをパレスチナの人たちはよく知っていたからです。そうではなく、「神御自身が働いておられる」人の子イエス様が、いったいなぜ殺されるのか?弟子たちには「このこと」がどうしても信じられなかったのです。そんなことは「ありえない」からです。「このこと」が弟子たちには「まだ隠されたままで」理解できなかったのです。
 理解できないままにショックを受け、人々が怖じ恐れたのはそれなりの理由があります。長いイスラエルの歴史において、イスラエル民族の神ヤハウェが、イスラエルの民の前から<姿を隠して>しまうこと、ヤハウェの御名が異邦人によって汚され侮辱され、神の民が恐ろしい敵の手に渡されて逃げ惑うこと、この恐怖の体験は、今回が初めてではないからです。人が神を失い、神の民が神の敵に「引き渡される」(マルコ10章33節)ことがどんなに恐ろしいかを、ユダヤの民は身をもって知っていたからです。ミルチア・エリアーデはこれをいみじくも「歴史の恐怖」と呼んでいます。
■「受難の僕」伝承
 北王国イスラエルと南王国ユダの民は、自分たちを導いた主なる神ヤハウェが、自分たちから姿を隠して、民が主ヤハウェの敵である異邦人の手に引き渡される恐怖と悲惨をそれぞれ紀元前8世紀と前6世紀に体験しました。この歴史的な恐怖と民の多大な犠牲から生じたのが第二イザヤ書の「受難の僕」伝承です(イザヤ書49章〜53章)。主なるヤハウェは、ご自分の愛する「僕」をあえて敵の手に渡し、その僕の苦難と苦しみと死を通して初めて、その僕に栄光が授与され、この受難の僕の栄光の顕現が、諸国の民への救いの光となり、メシア到来の預言となったのです。これが「受難の僕」伝承です。捕囚期以後、この伝承はユダヤの人たちに受け継がれます。「受難の僕」伝承は、その後、ダニエル書や『第一エノク書』を通じて黙示的な「人の子」伝承と結びつきます。この黙示思想は、イエス様の「人の子」言葉やイエス様の「終末」と「神の国」到来信仰としてパレスチナに広まりますが、イエス様は、「受難の僕」伝承が預言するとおりに、ユダヤ人と異邦人の手で処刑されます。しかし、イエス様がその預言どおりに復活して受難の僕の御栄光を顕わされることで、受難の僕伝承は使徒たちに伝承され、キリスト教会に受け継がれます。イエス様が「受難の僕」への聖書預言を最も重視されたのは、これこそイエス様がご自分の霊的なアイデンティティーとされていたことだからです。
 共観福音書のイエス様は、ご自分の受難を3度も予告しています。しかし、イエス様の霊能と目覚ましい働きにもかかわらず、この「受難の僕」預言だけは、生前の弟子たちに理解されませんでした。弟子たちはそのような預言を意図的に避けていた節があります。だから、彼らにはイエス様のこの予告が「隠されていた」のです。
■共観福音書の記事まで
 このように、イエス様の生前には、イエス様が「受難の僕」預言に生きておられることを悟る者は、弟子たちを含めて、イエス様御自身以外にだれにもいませんでした。生前のイエス様が、(旧約)聖書からの「受難の僕」預言を歩まれたこと、このことが弟子たちに啓示されたのは、イエス様の十字架と御復活以後のことです。イエス様の復活の出来事それ自体は、最初期の段階では、使徒たちによって、イエス様が神から遣わされた「メシア」(キリスト)であることの啓示として受け取られました(使徒2章22〜24節)。ただし、イエス様による「受難の僕」予告は、御復活と聖霊降臨の後でも、「すぐには」理解されませんでした。だから、復活体験の最初期の段階では、イエス様の受難は、弟子たちにとってむしろ困惑でさえあったと考えられます。今回語られている弟子たちのショックと人々の恐れは、御復活以後もまだ続いていたのです。
 御復活が、イエス様の十字架の受難と結びけられることで、イエス様が生前予告しておられた「受難の僕」預言が成就したことが弟子たちに啓示されるのは、その後のことです。この段階で初めて、イエス様が生前に「人の子が苦しみを受ける」と繰り返し弟子たちに語っておられたその真意が(マルコ8章31節前半部)、ようやく弟子たちに見えてきたのです。(旧約)聖書の預言が何を指しているのか、「聖書全体にわたって」イエス様について預言されていたことが、一度に弟子たちに開示されたのです(ルカ24章25〜27節)。「受難の僕」預言とこれの成就は、パウロにも受け継がれます(ガラテヤ3章7〜15節/第一コリント15章3〜5節/ローマ3章25節)。
 イエス様の御復活から15年間ほどは、「口伝の時期」と呼ばれています。その後イエス様の御言葉を収録したイエス様語録が編(あ)まれ(45〜50年?)、受難物語と復活物語が成立し、この二つが結びついて「受難と復活物語」が成立します(60年頃?)。そこからマルコ福音書が著わされ(70年前後)、これが基になってマタイ福音書とルカ福音書が著わされることになります。共観福音書の受難予告の記事に、イザヤ書からの「受難の僕」伝承が織り込まれるまでには、以上のような伝承の過程が背後にあります。
■ルカ福音書の予告記事
 ここでルカ福音書の予告を改めて読み直すと、先ず「預言者(複数)」が人の子イエスについて書いている預言はことごとく実現するというイエス様の御言葉で始まります。その上で、イエス様が「異邦人(ローマ側の人たち)によって侮辱され、乱暴を受け、唾をかけられ、鞭打たれてから、(十字架で)殺され、三日目に復活する」と続けることで、イエス様の身に起こった実際の出来事がそのままイエス様の御言葉として語られます。これは、出来事をイエス様の<生前から>見た視点ではなく、ルカが福音書を著わすその時点から振り返って、生前のイエス様の御言葉を<ルカの現在の>視点から解釈して、イエス様の口から語らせているのです。ルカだけでなく、四福音書の作者たちは、このように、現在自分たちが置かれている状況から、過去を振り返って「回顧する」、あるいは生前のイエス様の御言葉を「想起する」視点から(ヨハネ15章26〜27節/同16章4〜14節)福音書を著わしているのです。だからこそ、ルカは、今回の記事を「(イエス様の生前の段階で)イエス様の語るお言葉の意味が弟子たちには隠されていて、彼らには全く理解できなかった」(18章34節)とコメントすることで結ぶのです〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)575〜76頁〕。したがって、ルカのこの視点は、生前のイエス様の御言葉が使徒たちに継承され、彼らの証しを受け継いだ教会から、四福音書の作者たちへ伝承された結果、受難予告の伝承が、それぞれの作者の視点から見た解釈を交えて語られていることが分かります。
■逐語霊感説
 ここで、今述べた福音書の作者とは異なる聖書記事の解釈の仕方を二つあげます。これらは二つとも極端な例で、しかも正反対の対極から今回の予告記事を見ています。
 逐語霊感説は、聖書の一言一句が、そのままで「歴史的に実際に起こった」出来事だと見なす信仰から出ています。だから、今回の記事で言えば、イエス様は、自分に起こるであろう受難の出来事をその生来から予(あらかじ)めことごとく知っていて、実際に起こった通りの順番で、起こった通りの出来事をご自分の口から言い当てていたことになります。この霊感説は、ルカの視点とは異なっていて、作者の現在から<回顧的にイエス様の過去を振り返る>のではありません。そうではなく、どこまでも、<イエス様自身の過去の視点から>その将来を見ようとするのです。言い換えると、歴史の過去の視点から、起こった出来事を未来に向けて順番に見るのですから、そこで語られる時間は過去から真すぐ未来へ向かうだけです。
 だから、出来事は、ちょうど過去から現在にいたる新聞記事を並べて見ているように、過去から現在までの時間の中で、実際に起こったその通りの順番で一連の出来事を見ることになります。そこに「回顧」は入り込みませんから、共観福音書の記事、例えば「(人の子を)侮辱し、鞭打ち、十字架に付ける」(ルカ18章32節)は、そのままイエス様の口から出た言葉になります。
 回顧的な記述はそうではありません。この場合、イエス様が実際にどういう言い方をされたのかを文献的に確認できませんが、おそらくイエス様は「苦しみを受ける」という言い方をされていたのでしょう。しかし共観福音書では、イエス様の御言葉が、「(人の子を)侮辱し、鞭打ち、十字架に付ける」となっています。ここでは、実際に起こった出来事を後から回顧することで、イエス様が言われた「苦しみを受ける」事の内容をより具体化して語っているのが分かります。こういうやり方は、古代の人たちが歴史を語る場合のごく自然な方法です。
 ある人に起こった出来事を、後になってその出来事が起こることをその人が前もって知っていたことにする手法を「事後預言」と言います。ルカ福音書を始め共観福音書のイエス様の言葉は、この事後預言にあたるかどうか? この点をどう判断するかは、イエスが生前どこまで自分に起こる出来事を予測して語ったかをどう判断するかにかかってきます。旧約聖書で預言されていたことをイエス様が信じて自ら歩まれたとすれば、これを「事後預言」と呼ぶことはできません。「事後預言」とは、イエス様が実際に予告することもなく、後の出来事を予想することもできず、しかも後で起こった出来事をあたかも初めから予知していたかのように語ることですから。
■預言を歴史化する
 次に、逐語霊感説と正反対の視点について述べます。この見方は、聖書本文それ自体が歴史的に信憑性がないと判断します。だから、共観福音書で語られている今回のイエス様の言葉も、実際にイエスの口から出たとは見なしません。極端な場合には、イエスは歴史的に見ればごく普通の人間にすぎないから、自分でも先の見通しが立たないままに、当時のパレスチナの反ローマ運動の機運の中で、メシアの到来と神の国の実現という幻想を抱いて反抗運動を起こし、その結果挫折して十字架刑に処せられ、非業の死を遂げた一人の惨めな男ということになります〔ジョン・ドミニック・クロッサン『あるユダヤ人貧農の革命的生涯』太田修司訳/新教出版社(1998年)〕。
 この視点からすれば、ルカ福音書の「受難の僕」預言は、後のイエスの弟子たちと、その伝承を受け継いだ福音書の記者たちが、イエスの復活幻想に取り憑かれたために、生前のイエス自身が全くあずかり知らぬ聖書の預言を、イエスの死後に発案して、これをイエスが生前語った言葉だとしてイエスの口に入れたことになります。だから、旧約聖書の預言をイエス自身が信じて歩んだのではなく、「受難の僕」預言をイエスという人にあてはめて、あたかも預言が彼によって成就したかのように、実際に起こってもいない<偽りの出来事>を<預言に合わせて>でっちあげたことになります。歴史が預言を成就したのではなく、預言を歴史化して「仮想の出来事」を創出したと見るのです。
 この場合、何も知らなかったイエスの死後に、弟子たちのほうが、聖書預言をイエスにあてはめたのですから、ルカ福音書が証言する<弟子たちがイエスの言葉を理解できなかった>は、師の言葉を弟子たちが理解できなかったのではなく、逆に、<師の知らないことを弟子たちが理解して師に当てはめた>というわけです。師が思いもよらなかった復活を弟子たちが発案し、師が考えもしなかった受難の僕預言を弟子たちが考え出したのですから、<弟子は師にはるかに優る>ことになります。
■預言と歴史
 以上をまとめると、今回のイエス様の受難予告について、これを解釈する三つの異なる視点が浮かんできます。
(1)預言の成就:逐語霊感説に基づく視点で、旧約聖書の預言をイエス様自身が信じて歩まれる中で、イエス様が語られたとおりの予告が現実の出来事としてそのまま成就したと見ること。
(2)事後の預言:イエス様自身は予想しなかったのに、結果として生じた出来事をその後になって、それらの出来事を旧約の預言と関連づけて、あたかもイエス様自身がそれらの出来事を予め預言したかのように見せかけること。
(3)預言の創出:イエス様の実際の歩みとは関わりなく、旧約の預言をイエス様に当てはめて、「ありもしない出来事」をイエス様に予告させ、その上でその預言が実際に起こったかのように仮想の出来事を創出すること。
 これら三つの解釈を見ると、今回は、「預言」とこれの「成就」が最も重要な課題であることが分かります。そこで「預言と成就」の視点から、共観福音書の描き方と、上記の三つの解釈を比べてみます。
(1)の逐語的な預言の成就説は、共観福音書の描く預言の成就に近いものの、(1)の逐語霊感的な預言の成就には、共観福音書に含まれる回顧的な視点が欠落していることが分かります。共観福音書は、現在の視点から過去を回顧することで、旧約からイエス様へ、イエス様から使徒へ、使徒から福音書の記者へという福音伝承の流れをとらえ直しているからです。
(2)の事後の預言説は、イエスが、旧約の預言を知りながらも、それが自分に関わることだとは気づかず、生前は自分の身に起こる出来事を全く予測できなかったと見る点で、共観福音書の描き方とは大きく異なります。共観福音書では、イエス様は、その生前、自分がエルサレムでユダヤ人の指導層とローマの権力から苦難を受けること、それだけでなく、苦難の知に「受難の僕」預言に従って、栄光を受けて復活することを見透しておられたからです。それだけでなくイエス様はエルサレムの滅亡をも予知しておられました。
 今回のマルコ10章33〜34節=マタイ20章18〜20節=ルカ18章32〜33節は、実際にイエスの口からでた言葉なのか?それとも福音書の書き手がそう言っているだけなのか?この問題をわたしなりに説明してありますから、コイノニア会ホームページの共観福音書講話と注釈の「ペトロの告白」と「受難予告」の二つの章を参照してください。
(3)の預言を仮想の出来事として創出したと見る説は、そもそも「預言」それ自体を否定するもので、歴史に「預言とこれの成就」などはありえないという見方をします。こういう見方は現在の一般的な歴史観に通じるものです。現在の学問的な歴史観では、出来事を過去の原因にさかのぼり、その原因から出来事が結果するという因果関係に基づく歴史観です。こういう歴史観では、共観福音書に見るように、現在から過去を回顧することで、これまでの出来事の全過程が、<ある目的を持って成就している>という視野は生まれてきません。したがって、現在の通俗的な歴史観では、一連の出来事は、因果関係で結ばれながらも偶発的な出来事の数珠つながりとして、そこに一貫した意義を読み取ることが難しいのです。「歴史」"history" は「語る」ことで成り立ちますから、現在の歴史観では、もろもろの出来事が、ともすれば相互に偶発的な因果関係によって、断片化された集積にすぎなくなり、その結果「歴史性」"historicity" それ自体が見失われる危険性があるのです。わたしたちが、自分個人の「履歴」"personal history" を語る場合を考えてみてください。聖書がわたしたちに語る「預言の成就」には、このように歴史観それ自体を成り立たせる大事な意義が含まれているのです。
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