【注釈】
■マルコ福音書による三度目の予告
フィリポ・カイサリアでの最初の受難予告(マルコ8章27~31節)に始まり、ガリラヤを通過してからの第二回目の予告(9章30~32節)を経て、今回は、エルサレムを間近にして第三回目の予告になります。それだけに今回の予告は最も詳しく、弟子たちを始め、従う者たちの緊張が高まっていることを伝えています。この後に「イエスが栄光を受けた時」のヤコブとヨハネの申し出が続きます(10章35~45節)。これによって、イエスの予告と、これに対する弟子たちの無知とが、いかに大きく食い違っているかが示されます。それだけでなく、今回の受難予告は、人に仕えられるためでなく、人に仕えるために来たイエスの姿を浮き彫りにすると共に、イエスの受難が人類の贖いのための神の計画であることを明らかにします(10章45節)。
■「マルコによる秘密の福音書」事件
今回のマルコ10章32~34節について、ちょっとした事件があります〔コリンズ『マルコ福音書』486~93頁〕。1940年から、博士論文のためにヘブライ大学の研究生としてパレスチナに滞在していたモートン・スミス(Morton Smith)が、1941年に、エルサレム南東のハギオス・サバス(アラビア語「マル・サバ」)にあるギリシア正教の修道院で2ヶ月ほど研究した後で、1958年に再び同修道院に戻ります。彼が図書室において、イサクス・ウォシウスの編集によるアンティオキアの司教「イグナティウスの書簡集」を見ている時に、その「表紙と裏表紙」の下地から、ギリシア語の書簡を発見したという報告がスミス自身によってなされました〔エルサレムのギリシア正教の雑誌『ネア・シオーン』52号(1960年)〕。ただし、この報告では、彼がこのギリシア語の手紙の断片をいったい<何時>発見したのか?よく分かりません。スミスによると、この書簡断片は「いと聖なるクレメンス、『ストロマティス』の著者より、テオドロへ」で始まります。だから、アレクサンドリアのクレメンス(150~215年頃)がテオドロなる人物に宛てた書簡だったことになります。続く文面は2世紀に異端とされたグノーシス的なカルポクラテス派を批判するものですが、そこには、マルコはローマに滞在中に「主の御業」をペトロと共に書いた。しかしその中の「秘密の部分」はこれに含めなかったとあります。ペトロの殉教後に、マルコはエジプトのアレクサンドリアへ行き、書簡が言うには、マルコはそこで「交わりにおいて完成した(成熟した)者たちのための秘密の福音書」を編纂したとあります。書簡の差出人によると、この「マルコによる秘密の福音書」は、カルポクラテス派によって偽って誤用さているとテオドロに忠告しています。
これに続いて、書簡には「彼らがエルサレムへ上る途上から(イエスが)三日の後に復活するまでの間に」とあり、彼らがベタニアに着くと、ある女性が彼女の弟が亡くなったとイエスの前でひれ伏して告げ「ダビデの子よ。わたしを憐れんでください」と懇願した。弟子たちが彼女を制止すると、イエスは怒って、庭の墓の方へ行くと、墓の石が転がり、イエスは中に入って若者の手を取ると若者が起き上がった。その若者はイエスと共に居たいと願い、イエスは彼の家に入った。彼は裕福だった。若者は麻布の衣をまとい、イエスと共に過ごし、イエスは彼に神の国の秘密を教えた」などとあります。
スミスは、聖書研究協会(the Society of Biblical Literature)の1960年の国際年次大会でこの書簡について発表し、以後この書簡の真偽をめぐって長い論争が続くことになります。この書簡をクレメンスによる真正の書簡だと認めて、ここに書かれている「マルコによる秘密の福音書」こそ、ほんらいのマルコ福音書であって、現行のマルコ福音書は2世紀の偽書であるとする説、逆に、書簡の言う「秘密のマルコ福音書」のほうが、ヨハネ福音書などの記事から引用した寄せ集めの偽書(2世紀頃?)であるとする説〔フランス『マルコ福音書』411頁〕、この書簡は、時代的に見ると1700~1800年頃のギリシア語の文体で書かれていますから、この書簡を近代(17世紀)以後の偽書だと見る説、書簡の原稿は1936~1958年に書かれたものだとする説など、諸説紛々です。最近では(2001年/2003年/2005年)、この書簡それ自体が、スミスによる「ふざけたでっち上げ」だとする説も出ています。そうだとすれは、イギリスの神学者気取りの若者による悪ふざけのとんだ人騒がせの事件だったことになります。
■マルコ10章
[32]【一行が】原文にこれにあたる語はありません。したがって、十二弟子(原文は「12人」)以外にどのような人たちがイエスに従っていたのかは分かりません。しかしイエスは「わたしたちは」で話し始めていますから、自分一人のことだけでなく、自分と共にいるすべての人たちと同じ道を歩んでいることを明らかにしようとするのです。
【エルサレムへ上がる】先にはエルサレムから遣わされた人たちがイエスを監視に来ましたが(マルコ3章22節/7章1節)、今回はイエスのほうから「先頭に立って」エルサレムへ進むのです。ユダヤ教のラビにはその弟子たちがその後から「従う」のが慣わしでしたから、今回も十二人がイエスの後を追うように従っていたのです。過越祭への巡礼の人たちがすでに大勢エルサレムへ「上がって」(巡礼の用語)行きますから、イエスの一行もその中にあったと思われます。ただし、イエスの一行は「驚く」弟子たちと、これを囲むように(おそらくガリラヤから)ついてきた人たちの心配そうな顔つきで(「恐れていた」)、他の巡礼たちからはひときわ目立つ存在だったでしょう。
【呼び寄せ】一同から少し離れて弟子たちだけに密かに告げたのです(マルコ4章33~34節参照)。
[33]~[34]【人の子は】イエスの口からも「エルサレムへ上がる」ことが繰り返されていますが、このような重複はマルコ福音書の語り方です。第一回目と第二回目と同じに、イエスは先ず「人の子」で始めます。ここでの「人の子」はイスラエル共同体の中の「自分」を指す言い方です。
【祭司長と律法学者】「祭司長たち」とは神殿制度の頂点にいる指導層を指し、律法学者たちは、律法の専門家集団と言うよりも、ここでは神殿制度を形成する「官僚たち」一般を指すのでしょう〔コリンズ『マルコ福音書』485頁(注)13〕。
33~34節の三回目の予告は「人の子」で始まりますが、これは先の第一回目(8章31節)と第二回目(9章31節)に共通します。しかし、今回の「祭司長たちや律法学者たち」は第一回目(ただし「長老たち」が加わる)と同じですが、第二回目では「人々は」です。動詞に注目すると3度とも「~される」と受動態が多く用いられています。さらに動詞と主語との関係では、祭司長たちや律法学者たちはイエスに「(死刑を)宣告する」と「(異邦人に)引き渡す」とあり、異邦人たちはイエスを「侮辱する」「唾をかける」「鞭打つ」「殺す」とあって、全部で六つの動詞が並んでいます。ユダヤの指導者たちによる「宣告する」と「引き渡す」、異邦人(ローマ人)による「侮辱する」「唾をかける」「鞭打つ」「殺す」は、そのままマルコ福音書の受難記事に対応します(14章64節/15章1節/同15節/同18~20節)。しかし、これらの動詞はことごとくイザヤ書の「受難の僕」への預言で用いられていることに注目しなければなりません(イザヤ書50章6節/53章3節/同8~9節)。だから、マルコ福音書の受難予告は、イザヤ書(と詩編22篇7節)の「受難の僕」預言にさかのぼると見ることができます〔フランス『マルコ福音書』413頁〕。「受難の僕」預言からイエス自身による予告へ、イエスの予告から弟子たちによる証言へ、弟子たちの証言からマルコ福音書へという伝承過程をここに読み取ることができましょう。なお「三日の後に復活する」はマルコ福音書の3度の予告に共通しています。
【侮辱する】原語は「おもしろ半分になぶりものにする」こと。
【鞭打つ】軽い刑罰で釈放する前の鞭打ち、重罪で死刑にする前の鞭打ちなどの場合がありました。ここでは後のほうの鞭打ちです。
【三日の後に】ここは「三日目に」という異読があります。どちらの読み方にもそれぞれ有力な写本があります。マルコ福音書の受難予告は3度共「三日の後に」が共通するので、これがほんらいのマルコ福音書の読みだと思われます。「三日目に」は、マタイ20章19節/ルカ18章33節に合わせた後の編集でしょう〔新約原典テキスト批評107頁〕。ユダヤで言う「三日目」は当日を含めて計算しますから、中まる1日になります。「三日の後に」だと中にまる2日入ることになります。イエスは金曜(夕方6時から夕方6時まで)が終わる6時前の夕方に埋葬されますから、「三日目」だと金曜と土曜(安息日)と日曜(夕方6時から夕方6時まで)になりますので、マタイ=ルカ=ヨハネ福音書の証言では「三日目」は日曜の早朝になります。「三日の後に」だと金曜を含めて月曜(の朝?)が復活の日になります。
■マタイ20章
マタイ福音書では、今回の受難予告が16章21節/(17章12節)/17章22節に続いて三度目(あるいは四度目?)になります。内容的にはマルコ福音書とほぼ同じですが、今回のマタイ福音書では、マルコ福音書の記事がかなり切り詰められています。具体的には、マルコ10章32節の詳しい状況説明が省かれていますから、マタイ福音書には驚く十二人も恐れる人々もでてきません。マルコ福音書の「12人を」は「十二<弟子だけ>を」とより明確になり、「再び」が省かれています。ただし大事な箇所であるマルコ10章33節はマタイ20章18節でも変わりません。受難の最後の動詞はマルコ福音書の「殺す」が、マタイ福音書では「十字架する」に変えられ、「三日の後に」が「三日目に」となり、「復活する」では、マルコ福音書の「アニステーミ」(受動態未来形)がマタイ福音書では「エゲイロー」(受動態未来形)になっています。
マタイ福音書では、今回の予告が、ぶどう園の労働者への賃金のたとえに続き、予告の後にヤコブとヨハネの母の願いへと続きます。これに対し、マルコ福音書では、直前に金持ちの人と「永遠の命」、これにイエスに従う者たちへの報いが続き、それから予告が来ます。しかし、どちらの場合も予告の直前に「後のものが先になる」(マルコ10章31節=マタイ20章16節)が置かれている点では変わりません。
[17]【十二人の弟子だけ】この「弟子たちだけ」は、マルコ福音書の「12人」と異なります。
[19]【十字架につける】この語がマルコ福音書では「殺す」です。イエスはすでに弟子たちに「自分の命を失う」ように(10章38節)、「自分の十字架を背負う」ように(16章24節)教えていますから、マタイはこのことを踏まえて今回の「イエスの十字架」を語っているのでしょう。この教えが、弟子たちにはたして通じていたかどうか? 続く20節以下のヤコブとヨハネの母の願いは、イエスの教えとは裏腹です。なお「~するために」と新共同訳にあるのは、当時のユダヤでは、死刑を<執行する>権限はユダヤ側にはなく、ローマの代官の許可が必要だったからです。だから異邦人に引き渡された結果として、以下のことが生じるという意味で、最初から侮辱や鞭打ちを目的にして「引き渡した」という意味ではありません。
■ルカ18章
ルカ福音書は、マルコ福音書にならってルカ9章22節と同44節で2度の受難予告がなされます。しかし、その後、ルカはマルコ福音書から離れて独自資料(L)やイエス様語録を採り入れて旅の語りを続けますから、3度目の予告はマルコ福音書よりも遅く、旅の終わり近くになります。ルカはマルコ福音書の詳しい状況描写を省き、マルコ福音書の受難の詳細を「預言書に書いている通りに成就する」というルカ独自の言い方でまとめています。ルカは、旧約預言のイエスにある実現/成就という救済史の視点から語るのです。ルカ福音書は「侮辱される」「乱暴される」「唾をかけられる」と受難を表わす動詞が、マルコ福音書の能動態から受動態に変えられています(「乱暴される」はルカ福音書だけ)。また、受難予告が弟子たちから「隠されていた」ことが3度も繰り返されていて(34節)、イエスの受難の意義が、イエス復活以後の聖霊降臨で初めて弟子たちに啓示されたことが分かります。
[31]【預言者が書いたこと】旧約聖書(七十人訳)の預言者(複数)が「書いていること全部が」「成就される」ことです。「書いている」はルカの特徴的な言い方です(4章17節/7章27節/20章17節/21章22節/22章37節/24章44節)。預言成就はルカ文書の特徴ですが、「成就される」と受動態なのは、人の力ではなく神の計画によって「事が成る」ことを言うためです(ヨハネ19章24節/同36節参照)。ここで言う「預言者たちが書いたことことごとく」は、モーセ律法から詩編と預言書を含む(旧約)聖書全体を指すのでしょう〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)576頁〕。
[32]~[33]【異邦人に引き渡され】マルコ福音書やマタイ福音書と異なって、ルカ福音書には祭司長たちや律法学者たちなどユダヤ側の仕打ちがでてきませんから、今回は、受難が「異邦人たち」(ローマ側)によることが強調されています。ルカは意図して「親ローマ的」だと言われますが、こういう見方が必ずしも適切でないことを示唆するものです(ヨハネ福音書についても同様のことが言えますが)。ルカの救済史観から見れば、イエスの受難は「異邦人の側から」のものなのです。
【乱暴な仕打ち】「暴行を受ける」(原語は「乱暴する」の受動態未来形)ことで、これはルカ福音書だけです(これが抜けている異読があります)。「乱暴」の内容はルカ22章63~65節にでていますが、マルコ14章65節やマタイ26章67~28節に比べて特にひどい「乱暴」だとは言えません。ルカは今回、イエスの受難を主として「異邦人による」ものと見ています(大祭司の庭にいた監視の役人たちはユダヤ人ではなく、ユダヤ在住の異邦人だった可能性があります)。「乱暴する」(ギリシア語「ヒュブリゾー」)は「高ぶった思いで無礼を働く」ことを指しますから、ルカはこの意味で異邦人に用いたのかもしれません(詩編94篇3~4節/シラ書10章13節参照)。
[34]この節はルカ自身によるコメントです。マルコ福音書には12人が「驚いた」こととイエスに従う人たちが「恐れを抱いた」とありますが、ルカは今回、マルコ福音書のそれらの記述を省いて、その代わり、12人がイエスの受難予告を「悟らず」「いぜん隠されたままで」「理解できない状態のままであった」と三つの動詞で強めています。ルカ福音書での今回のイエスの予告が、特に12人に宛てて語られているだけに、12人のこの「無知」は際立っています。受難の意義が彼らに啓示されるのは、聖霊降臨以後だという(使徒言行録2章14節以下参照)ルカ流の救済史に基づく彼のコメントでしょう。
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