【注釈】
■マルコ10章35~45節
今回も、「弟子たちの理解不足」が繰り返されます。しかし、今回のゼベダイの兄弟の「失策」は、3度にわたる受難予告の直後だけにいっそう際立っています。しかもその失策が、イエスの答えを通じて、「今の世に取って代わる世」〔フランス『マルコ福音書』415頁〕として神の国の性格が明確にされる契機になります。最初の受難予告ではペトロが叱られましたが(8章33節)、3度目の予告では、ヤコブとヨハネが叱られることになります。これら3人はイエスの内弟子であるにもかかわらず(9章2節)、イエスの予告が意味することを悟ろうとはせず(9章32節)、イエスが受けるであろう神の国の「栄光」(10章37節)の意味を取り違えるのです。兄弟はここで、ペトロを意図的に除外して、二人だけでイエスに願い出たのでしょうか?
今回の記事は35~40節と41~45節に分かれますが、前半でゼベダイの兄弟の無理な願いが語られ、後半では、兄弟の無理解が、ほかの弟子たちとも共有されていたことが暴露されます。こうして、弟子たちの失敗から、3度にわたる受難予告の真意、すなわち、イエスが「多くの人の身代金として自分の命を献げる」という福音の核心〔フランス前掲書〕が啓示されることになり、同時に、イエスの受難を通して、弟子たちが従うべき模範が提示されるのです。
〔資料について〕
今回の箇所は、35~40節と41~45節に分かれています。前半では「神の国」の栄光について語られ、後半ではイエス復活以後のマルコの時代の教会への戒めが語られているから、前半と後半とが主題として一貫しないという見方もあり〔ブルトマン『共観福音書伝承史』(1)41~42頁〕、その他の資料区分説もあります〔コリンズ『マルコ福音書』494頁〕。これに対して、後述するように、35~45節を一つのまとまった編集と見て、これをマルコ以前の資料に帰する見方も有力です〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)85~86頁〕。筆者(私市)も全体を一つのまとまった編集だと見なすほうが適切だと考えます。
(1)前半については、35~37節+40節がほんらいの形で、これにゼベダイの兄弟の殉教の後で、「事後預言」として38~39節が加えられたという見方があります〔ブルトマン前掲書〕。しかし、ヤコブの殉教は確かだとしても、問題は、使徒ヨハネが長寿を全うしたという有力な伝承が存在することです(39節の注釈を参照)。事後預言説が成り立つためには、兄弟が二人とも<すでに殉教している>ことが必須の条件になりますから、この点で事後預言説は困難です。むしろ、39節のイエスから二人への預言は、その後の二人の史実と<異なっている>可能性が高いと考えるべきです。だとすれば、イエスの預言は成就<しなかった>ことになりますから、事後預言とは逆に、39節は真正のイエスの言葉だと考える根拠になりえます。
(2)そもそも、38~40節のイエスと二人との問答は、二人が<イエスに遅れて後に>殉教することを念頭に置いているかどうかさえ疑問です。二人はイエスと一緒に殉教する覚悟があるがどうかを問われ、これに対して二人が覚悟のほどを示しているという解釈も可能だからです(マルコ14章31節/ヨハネ11章16節参照)。だから35~40節が、イエス復活<以後の>教会による伝承だとする説をあたかも自明のことだと見なすことはできません〔デイヴィス前掲書86頁〕。
(3)38~40節は、前半の二人の要請を受けて、これを後半の弟子たちへの戒めへ結ぶ重要な「移行」の役目を果たしています。特定の資料分析を前提に、前半と後半を分断することは、今回の記事が伝えようとするメッセージの重要な意味合いを見誤らせるおそれがあります。
(4)以上の見解に基づくなら、前半35~40節は一つのまとまった資料であると見ることができます(マタイ福音書の項を参照)〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)86頁〕。マルコは、この資料を文書ではなく、口伝として得ていたのかもしれません〔コリンズ『マルコ福音書』494頁〕。
(5) マルコ10章37~40節は、以下のように交差(対句)法(カイアズムス "chiasmus")によって構成されていると見ることができますから〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)86頁〕、おそらくマルコ以前にまとまって編集されていたのでしょう。
〔A〕37節「与えてください」
〔B〕37節「右に~左に」
〔C〕38節「イエスは言われた」
「わたしが飲む杯」
「わたしが洗礼される洗礼」
〔C'〕39節「イエスは言われた」
「わたしが飲む杯」
「わたしが洗礼される洗礼」
〔B'〕40節「右に~左に」
〔A'〕40節「与えられる」
(6)後半41~45節については、これとルカ22章24~27節との関係が注目されています。ルカ22章24~26節は、マルコ10章41~44節から出ていると見ることができます〔デイヴィス前掲書85頁(注)4〕〔コリンズ前掲書494頁〕。しかしルカ福音書の27節は、マルコ福音書の45節とは別個の伝承からでしょう。
■10章注釈
[35]【ゼベダイの子たち】ペトロとの「3人組」の内弟子の中で、兄弟二人だけがイエスに「願い事」を求め出ています。マルコ福音書で、ゼベダイの二人が出てくるのはこれで6度目ですが(1章19節/1章29節/3章17節/5章37節/9章2節)、5章と9章で二人はペトロと三人組です。10章28節~30節では、ペトロが弟子たちを代表してイエスに語りかけ、イエスは、これに応えて、ペトロ(と弟子たち)に生前の神の祝福と永遠の命を約束しています。ゼベダイの兄弟は、こういうペトロを意識して、自分たちだけの願い事をイエスに求めたとも考えられます〔フランス『マルコ福音書』415頁〕。
【進み出て】他の弟子たちがいない所で、自分たちだけが「進み出て」強く迫ったのでしょうか。
【お願いすることを】「これから先生にお願いすることを是非わたしたちのために実行してほしい」と「先生にひとつ頼みたいことがあります」とが混淆していて、構文がやや複雑です。「わたしたちがお願いしてよければ」とやや遠慮した言い回しで始めていますが、わたしたちの頼みを何でもその通りにしてほしいと「白紙委任」を迫るようにも受け取れます。この言い方は、ヘロデがヘロデヤに言った言葉(6章22節)を連想させるという指摘もあります〔コリンズ『マルコ福音書』495頁〕。「先生、お願いがあります。(是非)きいていただきたいのです」〔塚本訳〕が適切です。"Teacher, we should like you to do us a favour." 〔REB〕"Teacher, we want you to do
whatever we ask of you."〔NRSV〕
[36]~[37]イエスは「いったい、あなたたちは、わたしになにをしてほしいのか?」と問い返します。二人は、イエスのエルサレム入城が間近であることを意識して(32節)、「ぜひ認めて(許して)ほしい」と二人の願いを切り出します。これは、王などの権力者から認可/許可を得る時の言い方です。
なお36節のイエスの問い「~(わたしが)することを(あなたがたは)願うのか?」では、「~する」が不定詞になるべきところに未来形がきていて、マルコの破格構文になっています。
【栄光を受ける】二人の願いは「(二人が)あなたの御栄光の傍(かたわ)らに座すこと」(原文直訳)です。この「栄光」は、「人の子が父の栄光に包まれ、聖なる天使たちと共に来る時」(8章38節)の「栄光」を指します。おそらく二人は、「人の子が権威と威光と王権を授かり、諸国、諸族、諸言語の民を支配する」(ダニエル書7章13節)姿をイエスに重ねているのです〔フランシスコ会訳聖書〕。『第一エノク書』45章4~5節には、「(諸霊の主に)特別に選ばれたお方」としてのメシアがでてきます。
しかし、彼らが想い描く「栄光」は、イエスのそれとは食い違っていることが示されます。ここで二人は、イエスが「これから」取得するであろう「栄光」のことを考えているのは確かですが、それを彼らが「想い描く」ことができるのは、彼ら(とほかの弟子たち)には、かつてのイスラエルの「栄光」が念頭にあるからです。
モーセに率いられて荒野を旅した後に、イスラエルが獲得したカナンの地は、彼らの目には「約束の国土」として、泉が湧き地下水が溢れ、穀物と果実が豊に実る「善い土地/国土」(申命記8章7~10節)であり、神から与えられた「輝きに満ちた国土」だったのです。この「栄光の国土」はダビデ王朝のソロモンの時代に絶頂に達します。イスラエル王国は、十二部族の支配に従って整然と区分され、王国にはソロモン王が君臨し、壮麗な神殿が建てられます。マルコ福音書のここの並行箇所であるルカ22章24~28節では、イエスの言葉に続いて「イスラエルの十二部族を裁く十二弟子」(22章30節)でてきますが、そこには、このような「過去のイスラエルの栄光」が反映しています。しかし、ソロモン以後、イスラエルでは覇権争いが生じ、このために王国は南北に二分されます(列王記上12章)。とりわけ、北王国イスラエルは南のユダに比べて豊かでした。しかし、「輝きに満ちていた」その国土は、神への「裏切り」(偶像礼拝)と「上に立とうとする」権力争いのために、その輝きを失い、アッシリアに滅ぼされます。ホセアが嘆いた「イスラエルの栄光の喪失」とはこのことです(ホセア9章10~12節/同11章1~5節)。
このような「栄光の領土」は、ダニエル書で「麗し(の国土)」と言い表わされます(ダニエル8章9節/11章16節/同41節)〔TDOT(1)403〕。「麗し(の国土)」とは、字義どおりに定冠詞を伴う「栄光/輝き/美麗」"the beauty/splendour"のことです。ところがダニエル書の「栄光の国」は、尊大な雄山羊(アンティオコス4世の象徴)によって侵略されるイスラエルのことであり、しかもこのイスラエルの領土が「天の万軍」へ、すなわち神の支配する天の領域へつながるのです(ダニエル8章11節)。この意味でのイスラエルの「栄光の領土」は、単なる地理的な概念ではありません。その国土は、常に<神の栄光の輝き>を伴っていなければならないからです。「イスラエルの領土」は、客観的に地理的に見るなら、それほど肥沃でもなければ、「水が豊に湧き出る」所とは言えないでしょう。だから、ここで言う「栄光」は、ヤハウェへの従順と信仰に基づく<霊的な主観性>を帯びています。今回、ゼベダイの二人が「栄光」という時、彼らはこのような「かつてのイスラエルの栄光」が再び訪れることを想い描いていたと考えられます。この意味の「栄光」は、イエスの頃のパレスチナの民が「来たるべきメシア」に抱いていた「栄光」だったからです〔この問題について詳しくは、「ヘブライの伝承とイエスの霊性」19章「栄光の国土」と「輝きの領土の喪失」を参照してください〕。
【あなたの右と左に】神の栄光の御座、あるいは神の栄光を授かるイスラエルの王座の左右に席が与えられることは、最高の栄誉を意味します(列王記上22章19節参照)。神の御座や王座の「右側」(対面して左側)のほうが最高の席だと見なされますが(詩編110篇1節参照)、今回の場合、右左にそれほど違いがありません。
[38]ゼベダイの兄弟が口にした「あなたの栄光」と「あなたの左右に座る」とは何を意味するのか? そして、その栄光と御座にいたるために何が求められているのか?このことがイエスの口から明かされます。それは、二人が予想もしない出来事であり道程です。
【わたしの杯】原文は「このわたし(イエス)が飲む杯」です。旧約聖書で言う「杯」は、ほんらい神が人それぞれに授ける「分け前」のことで、それから転じて、その人の「運命」あるいは神からの「使命」を指します。それは祝福でもあり(詩編16篇5~6節/同23篇5節)、「呪い」あるいは「裁き」をも意味しました(詩編75篇9節/エレミヤ25章15~18節/エゼキエル23章31~34節)。この「裁きの杯」は、エルサレムに与えられた「主の憤りの杯」から、エルサレムを苦しめた敵が飲む「杯」へと転じることになります(イザヤ51章17節と22~23節を参照)。
ところが今回の箇所では、人間の「運命」とも「災厄」とも「裁き」ともなる「杯」が、イエス自身が飲むべき「受難の杯」として提示されるのです。「主の僕」が飲むこの「受難の杯」伝承が、イエス以前にすでにあったのかもしれませんが、今回の箇所でイエスは、神から人が受ける「杯」に独自の意義を与えているのは確かです。これがマルコ14章36節の「受難の杯」へつながることになります。
ここで、今回とゲツセマネとの間にでてくる最後の晩餐で「イエスが弟子たちに与える杯」が注目されます。イエスは、この杯と同時に「これはわたしの血」と弟子たちに告げていますから(マルコ14章22節)、「杯」は、自分の命(血による象徴)を弟子たちに「与える」ことを指しているのが分かります。だからこそ、イエス復活以後のエクレシア(教会)は、イエスから受けた「血の杯」を十字架の贖いによる「罪の赦しの杯」として、これを記念する「聖餐の杯」を制定したのです。ただし、マルコ福音書の作者が、今回ここで、イエスが言う「杯」に「聖餐の杯」の意義をこめているとは考えられません〔フランス『マルコ福音書』416頁〕。
【わたしの洗礼】イエスが「洗礼」と言う時、洗礼者ヨハネが授けていた洗礼を受け継いでいるのは間違いありません。しかしここでイエスは、「このわたしが洗礼される洗礼で、あなたたちも洗礼されることができるか?」(原文直訳)と三度も「洗礼」を繰り返しているのは、ここにもイエス独自の想いがこめられているからです。ほんらいのギリシア語で言う「洗礼される」は、不幸や悲しみに「飲み込まれる」ことです。イエスが今回言う「洗礼される」にもギリシア語のこの原義が受け継がれていると考えられます(七十人訳イザヤ書21章4節「不法がわたしをバプティゼイ(飲み込む/圧倒する)」を参照)〔フランス前掲書〕。イエスは、「わたしの洗礼」で自分の死を予告しているのです(ルカ12章50節)。洗礼者ヨハネの言う「洗礼」は、来たるべき神の裁きに備えて「悔い改め」を表わすものですから、今回イエスが言う「洗礼」を聞いて、弟子たちはこれに戸惑いを覚えたでしょう。ただし、マルコ福音書の読者は、「洗礼」という言葉に、「イエスの死と復活」と教会が伝える「洗礼」に与るキリスト教徒の「死と復活」を重ねるでしょう(ローマ6章3~5節)。このように見ると、今回の「わたしが飲む杯とわたしが受ける洗礼」は、イエスによる独特の組み合わせだと言えます。すでに3度にわたる受難予告を受けて、イエスは、予告が意味することをさらに具体的に、「わたしが飲む杯、わたしが受ける洗礼」と自分の受難を象徴させて弟子たちに告げているのです。
[39]【できます】これを兄弟の無知から出た答えだと見なしてはなりません。彼らは「理解こそ欠けるが、誠実と勇気に欠けてはいない」〔フランス『マルコ福音書』417頁〕からです。
【あなたがたは】イエスは、彼らの誠実と勇気を見て答えます。彼らもまた、イエスの杯を飲みイエスの洗礼で洗礼されることで、イエスの十字架の道をたどり、「栄光を受ける」でしょう(マルコ8章34~38節)。なお、ここでのイエスの二人への預言をコロサイ1章24節の(パウロの)告白に重ねる見方もあります〔コリンズ前掲書497頁〕。ゼベダイのヤコブとヨハネについては、以下のように古代からの伝承があり、兄ヤコブが早くに殉教したのに対して、弟のヨハネは、おそらく十二使徒のうちで、最長寿を全うしたと伝えられています。だから、今回のマルコ=マタイ福音書の記事を、兄弟の殉教以後に形成された事後預言だと見なすことは困難です。事実はこれの逆で、マルコ=マタイ福音書の記事のほうが、事実に基づく古代からの伝承と合致しないのです。だとすれば、イエスの言葉は成就しなかったことにもなります。そもそも、今回のイエスの言葉が「殉教」を指しているのかどうさえも疑問です。イエスは弟子たちに自分が受けるであろう受難に彼らも何らかの形で与ると預言したと見るべきでしょう〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)90~92頁〕。
〔ゼベダイのヤコブの伝承〕
ヘロデ大王の孫にあたるヘロデ・アグリッパ1世(前10年~後44年)は、子供の頃からローマで育ち、ティベリウス帝の後を継いだガイウス帝の好意を得て旧フィリポの領土を与えられ「王」と称するのを許されます(38年)。その後、クラウディウス帝の即位にも貢献したために、ペレア、ガリラヤ、サマリア、ユダヤの全土の王となります(41年)。彼はユダヤ人の歓心をかうためにキリスト教会を迫害し、このために、エルサレム教会の使徒ヤコブは44年(?)に殉教します(使徒言行録12章2節)。
〔ゼベダイのヨハネの伝承〕
ヤコブの殉教に対して、使徒ヨハネのほうはエフェソで老年を迎えたと言い伝えられています。
(1)エイレナイオス(130?~200年頃)は、「主の弟子で、またその胸によりかかったヨハネもアジアのエフェソにいた時、福音書を公にした」と証言しています〔エイレナイオス『異端反駁』3巻1の1。小林稔訳〕。エイレナイオスがここで言う「主の胸に寄りかかったヨハネ」とは、使徒ヨハネのことであるのは、同じ「主の愛弟子」について、「この<使徒>は・・・・・彼が神のみ言と認める我らの主イエス・キリストについて、・・・・・」〔エイレナイオス『異端反駁』1巻9の2〕と述べていることから明らかです。だからエイレナイオスによれば、「イエスの愛する弟子」とあるのはゼベダイの息子使徒ヨハネのことです。
(2)古代の教会史家であるエウセビオス(260?~339年?)は、その『教会史』で、「イエスの愛した使徒であり福音伝道者だったヨハネが、アジアでまだ生きており、そこの教会の監督であった」と述べていて、さらにヨハネが、ドミティアヌス帝の死後に、(パトモス)島への追放から戻っていたと述べ、これについてのエイレナイオスとクレメンスの二人の証言を引用しています〔エウセビオス『教会史』1巻165~70〕。エウセビオスはその引用の中で、クレメンスは使徒ヨハネが第四番目の福音書を書いたいきさつを語っていると述べていて、その中で、ヨハネは「文書に書かれていない使信を常に用いたと言われる」と述べ、ヨハネ福音書のことを「天の王国の知識(グノーシス)を全世界に伝えた」と述べています〔エウセビオス前掲書1巻171~72〕。クレメンスはまた、第一ヨハネの手紙は「議論の余地なく」使徒のものとされているが、第二と第三の手紙は否定されていること、黙示録とヨハネ福音書の二つの文書が、異なる著者によるかどうかについては意見が分かれていると伝えています。
(3)エイレナイオスは、主の愛弟子ヨハネの弟子であったポリュカルポスの弟子です。ポリュカルポスは、177年に今のフランスのリヨンの監督になりました。エイレナイオスは、友人フロリヌスに宛てた手紙の中で、自分は、使徒ヨハネの弟子であった小アジアのスミルナの監督ポリュカルポス(69?~155年?)にしばしば会ったと述べていて、その際に、ポリュカルポスが、使徒ヨハネや他の使徒たちから主について聞いたことをエイレナイオスに語ったとも述べています。ポリュカルポスが、使徒ヨハネについて語ったこと、またエイレナイオスがポリュカルポスから聞いたとするこの証言は、ヨハネ福音書成立に関する重要な伝承とみなされています。さまざまな批判にもかかわらず、現在にいたっても、この証言は根本的には否定されていないと見るべきです。
(4)パピアス(70?~146年?)は、小アジアにあるフルギア地方のヒエラポリス(現在のパムッカレ)の監督で、エイレナイオスに先立つ人でした。彼は使徒の弟子たちから、使徒たちについての言行を直接聴聞して、これらを集めて『主の言葉の解明集成』を著わしました(130年頃)。再びエウセビオスの引用からパピアスの証言を聞いて見ます。パピアスは、「わたしは長老たちに従った者に会えばいつでも、長老たちの言葉を調べたものである」と述べてから、アンデレ、ぺトロ、フィリポ、トマス、ヤコブ、<ヨハネ>、マタイがどのように語ったかを調べたと述べています。ところが彼は、これに続けて、「それ以外の主の弟子」であるアリスティオンや<長老ヨハネ>もどのように語っているかを調べたとも述べているのです〔エウセビオス『異端反駁』1巻198〕。この証言によれば、パピアスは二人のヨハネを知っていたことになります。パピアスは、自分が直接聞いた人たちのことを「長老たちにしたがった人たち」と言っています。ここで彼が「長老たち」と言うのは、彼の生きていた年代からするならば、使徒時代の次の世代に生まれた長老制に基づく呼び名のことではなく、彼が言う「長老たち」とは、明らかに使徒自身をも含めていると考えられます。パピアスが、使徒ヨハネのことをも「長老」という呼び方をしていることで、このことが分かります。ところが、彼はまた、自分が直接に話しを聞くことができた人たちのことをも「長老たち」(=使徒の弟子たち)と呼んでいるのです。彼が成人したのは、85~90年頃と思われますから、もしもだれか使徒が生きていたとすれば、使徒ヨハネ以外にはいないと考えられます。エイレナイオスは、パピアスが「ヨハネから聞いた」と述べていますが、この「ヨハネ」とは使徒のことであるとエイレナイオスは思っていたようです。なるほどパピアスはこの使徒に出会ったかもしれません。しかし、エウセビオスのほうは、この点について注意深くて、ここでパピアスの言う「ヨハネ」とは、使徒ヨハネの弟子のほうを意味していると考えています。このように、エウセビオスは、パピアスの言う「長老ヨハネ」とは、使徒ヨハネか、あるいは長老ヨハネか、そのどちらかに区別して考えていて、これはおそらく正しいでしょう。
(5)ポリュクラテスは、190年頃のエフェソの監督でした。彼がローマの監督ウィクトルに宛てた手紙の一部が残っています。それは東西教会の復活節の論争に関するものです。エウセビオスは、この時のポリュクラテスの言葉を引用していて、その中でポリュクラテスは、ヨハネ、ポリュカルポス、トラセアスサガリスなどが、復活節遵守の規範となることを述べて、その際に、ヨハネのことを「主の胸によりかかったヨハネ」と呼び、彼が主の「愛する弟子」であったと証言しています。さらにポリュクラテスは、使徒ヨハネのことを「彼は胸当てをつけた祭司であり、殉教者[これは証人とも訳せる]、教師でした。彼もエフェソに眠っています」と述べています〔エウセビオス『教会史』5巻(24)136頁〕。この「教師」という呼び方は、このヨハネが使徒であることと矛盾するものではないでしょう。
ただし、エイレナイオスもポリュクラテスも、エフェソに二人のヨハネがいたことを示唆してはいません。もっとも、このことは、二人いなかったことを意味するのでもないでしょう。ポリュクラテスはヨハネを「殉教者/証人」と呼んでいますが、ここでの「殉教者」という言い方は、「イエスの福音を伝える証人」という意味です。ところが、この「証人」は、ギリシア語で「殉教者」をも意味するために、誤って使徒ヨハネが殉教したという伝承が生まれるもとになったようです〔Bernard. Gospel According to St. John.(1) xlix~1i〕。
(6)アレクサンドリアのディオニュシオス(190?~264年?)は、オリゲネスの弟子であり、アレクサンドリアの監督でした。彼が250年に二人のヨハネを区別したのです。彼はこれを、現代の学者のように福音書とヨハネ黙示録の文体の違いから判断したようです。しかし、これの証拠として彼は、エフェソにはヨハネの名前を帯びる二つの記念墓碑があると述べているのが注目されます。このことは、パピアスが示唆するように二人のヨハネがいたことを示すことになるからです。また、先に述べたように、アレクサンドリアのクレメンス(190?~200年?)は、使徒ヨハネが、暴君の死んだ後に、パトモスから戻ったと述べていて、これだと、ヨハネ福音書とヨハネ黙示録は同じ使徒ヨハネの作であることになります。
これらの伝承によれば、ヨハネ福音書の「作者」は、たとえその弟子に口述させたとしても、実質的には、ゼベダイの子である使徒ヨハネであり、彼がイエスの愛弟子であったことになります。現在でもヨハネ福音書の著者として、またそれが書かれた場所として、新約聖書にはこれを裏付ける証言がないものの、概(おおむ)ねこれらの教父たちの伝承を受け入れている学者が少なくありません。現在トルコのセルチュクに隣接して、古代エフェソの遺跡の近くには聖ヨハネ教会堂の遺跡があり、そこに使徒ヨハネと他の弟子たちが眠ると伝えられる地下墓室があります。アメリカのヨハネ福音書研究で著名なレイモンド・ブラウンは、現存するこの墓が3世紀までさかのぼることを指摘した上で、ポリュクラテスの証言に基づいて、エイレナイオスたちの伝承を否定するに足る根拠がないと指摘しています〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)LXXXIX〕。
[40]【左】37節の原語は「アリステラ」ですが、40節では「エウオーニュモス(好い呼び名)」です。「左」のラテン語"sinister" には「不吉」の意味もあるので、これを避けて「好い呼び名」で左を指すことがあったからです。37節と原語が違うのは、マタイ20章23節に従ったのかもしれません。今回の場合、「左右」の優劣はありません。
【定められた人たち】「栄光の御座」に座ることは、たとえ苦難と殉教の死によっても、人の思惑通りにならないのです。原文は「備えられている者たちへ」とだけあって、受動態で「神の意志」を示唆しています(「わたしの父によって」を加える異読があります)。読者はここで、イエスの右と左に盗賊が十字架される姿を思い浮かべるかもしれません〔フランス前掲書418頁〕。
[41]「(10人が)これを聞いて」とあるから、兄弟はイエス一人だけの所へ出向いたのでしょう。兄弟に対して「憤慨した/腹を立てた」のは(とりわけペトロだけでなく?!)、他の弟子たちも同じです。二人が「栄光の席」をめぐる出世競争において、抜け駆けを図ったからです。このことは、ゼベダイの二人だけでなく、ほかの弟子たちも同様の出世欲を抱いていたことを示すものです。この節には、マルコの頃のキリスト教会において、競い合いによる分派活動が生じていたことが反映しているという指摘もあります〔コリンズ前掲書498頁〕。
[42]【呼び寄せて】マルコ福音書でイエスが「呼び集める」時は、特に大事なことを教えようとする場合です(3章23節/7章14節/8章34節/12章43節)。今回は、ゼベダイの兄弟たちだけでなく、弟子たち全員が誤った「栄光」を志向していることを知って、彼らに、その考え方を改めさせようとするのです。
【異邦人】原語は「諸国民」ですが、この語はユダヤ人から見た「異邦人/異教徒」を指す場合に用いられます。しかし今回は、ユダヤ人と区別された「異邦人」のことよりも、ユダヤ人(ガリラヤの領主ヘロデ!)をも含む「この世の国の」支配者たち一般を指しています〔フランス『マルコ福音書』418頁〕。「あなたたちも知っている通り」は、「誰でも知っている」世界共通の認識を意味します。したがって、イエスがここで「異邦人/諸国民」と呼ぶのは、イスラエルと区別された異邦の諸民族というニュアンスだけでなく、むしろ、パウロの言う「自然な人間性」の本質に根ざす性癖であると理解するのが適切です〔フランス『マタイ福音書』759頁〕。だとすれば、ここでイエスが戒めているのは、単に政治的な世俗の世界とイエスの神の国とを対比させているのではなく、弟子たちが想い描く「イエスの栄光の座」をめぐる相互の競い合いのことであり、イエスの「栄光」にあずかろうとする志(こころざし)にほかならないことに気がつきます。ねたみと争いをもたらす競争原理は、世俗の世界だけでなく、<弟子たちの間に共通する>神の国の中でも行なわれていたのです。
【支配する】「支配者」の原語は「支配者ぶって振る舞う者たち」で、「支配する」は民に向かって「威張る」「力づくで押さえ込む」(使徒言行録19章16節を参照)ことです。
【偉い人たち】原語は「大者」(おおもの)と言われる上位の人たちのことです。「権力を振るう」は通常のギリシア語にない造語で、権力をかさにきて横暴に振る舞うことです。イエスがここで指摘する「支配者」とか「大者」は、漠然とした世の中のことではなく、聞いている人たちに具体的に分かる人物たちを指しています。それは、イスラエルがその下に従属させられているローマ帝国の支配層であり、そのローマの支配制度に組み込まれているパレスチナの指導者たち、例えばユダヤへの帝国の代官ポンテオ・ピラトやガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスやエルサレムの最高法院のメンバーたちのことでしょう。
[43]~[44]「あなたたちの間」とはイエスが伝える「神の国」のことです。これを文献批評的な視点から「マルコの時代の教会」を指すと解釈するのは、イエスのほんらいの言葉から二次的に生じた意味だと見るべきでしょう。なお原文では「あなたたちの間ではそうでは<ない>~仕える者に<なるだろう>」と現在形と未来形が組み合わされています。「ない」には「ないだろう」という異読があり、「なるだろう」には「なりなさい」という異読があります。先の未来形の異読は、続く未来形に合わせたのでしょう。ただし、現在形であれ、未来形であれ、ここでは、時間よりも命令的な響きが強いと見るべきです。「そうであっては<ならない>。あなたたちの間で偉くなりたい者はあなたたちの間の召し使いに<なれ>」〔塚本訳〕。"It shall not be so ... must be your servant." 〔REB〕44節は9章34節で弟子たちが論じ合っていたことを受けています。「いちばん上の者」も9章35節にでてきました。ただし今回は「いちばん後の者」の代わりに「あなたたちの僕/奴隷」が来ています。この節の教えは、第一コリント9章19~26節のパウロの言葉を思わせます。イエスのここでの教えは、世俗の政治的な支配秩序を神の国の秩序と対照させていると解釈されています。しかし、イエスの時代のヘレニズムの哲学も、ここでイエスが説いているのと同じような提言をしていますから、イエスの説く「理想の指導者」像は、パレスチナの民衆にもそのまま受け容れられたと思われます。
【僕】「大者ほど仕える者になろうとし、トップほど奴隷になろうと努めよ」というのが原義です。「一番上になりたい者は奴隷になれ」〔塚本訳〕。「ドゥーロス」(僕/奴隷)は、「仕える者」よりもさらに下層に属する人たちのことで、自分のために何かをする時間さえもほとんど与えられない人たちのことです。
[45]マタイ福音書はマルコ福音書の今回の箇所を踏襲していますが、四福音書では、これ以外にヨハネ13章4~14節の洗足が内容的に今回の箇所と合致します。
【人の子】四福音書の「人の子」はダニエル7章14節に表われる「人の子」伝承を受け継いでいると言われます。その七十人訳には、「支配権」「王国」「権威」「諸民族」「僕/奴隷となる」など、今回の箇所と共通する言葉がでてきます。このように、天から終末に到来して諸国民を支配して裁く「人の子」像は、イエスの頃のパレスチナに受け継がれていました。けれども、今回のマルコ福音書の「人の子」は、「多くの人の身代金として自分の命を与える」とあることから、終末に到来して諸国民を支配し裁く「人の子」像とは決定的に異なっています。今回の「人の子」には、第二イザヤの「受難の僕」像が重ねられているからです(次項参照)。イエスが幾度も弟子たちに予告していたのは、この「人の子」であったこと、しかも弟子たちはそのことを悟ることができなかったこと、これが、マルコ福音書のメッセージです。
【身代金】囚人や戦争の捕虜などをお金を払って「買い戻す/贖う」ことは、古代の慣習として行なわれていました。ヨーロッパ中世の十字軍の場合でも、イスラム軍によって包囲されたエルサレムのキリスト教徒たちは、「身代金」を払うことで、包囲から「釈放された」と伝えられています。今回の「身代金」は、洗礼者ヨハネが告げた「罪の赦し」(マルコ1章4節)、さらにイエスが、悪霊追放や病気癒やしによって証しした「罪の赦し/罪からの贖い」(同2章9節)とも関連します。だから、ここでの「身代金」は、人間を支配し束縛する悪(霊)の力からの「贖い」(釈放/解放)の代価を意味します。「贖いとして」[フランシスコ会訳]/「あがない金として」〔塚本訳〕。ただし、新約聖書で身代金の原語「リュトロン」(中性名詞単数)が出てくるのは、マルコ福音書とマタイ福音書の今回の箇所だけです。
〔旧約と新約の「身代金」〕
ヘブライ語の動詞「ガーアル」は、世俗の社会的な意味では、負債などのため「身売り」した者を家族や親族が「買い戻す」ことです(レビ記25章47~49節)。これは家族や親族の共同体のメンバーが「割れる」ことを防ぐためで、この意味での「ガーアル」は「修復する/回復する」ことです。ここのレビ記の七十人訳のギリシア語は「リュトローシス」(身代金を払っての「身請け」「釈放」「救済」)です。またイスラエル人が、イスラエル共同体の他の人に対して罪を犯すことによって「主に背いた」場合、罪を自覚したその人は、犯した罪を告白し、相手に与えた損害に対して総額に加えて「賠償金/賠償代」を支払わなければなりません(七十人訳は「エクスアゴラゾー=贖い出す」)。賠償を受け取る親族がいない場合、その賠償金/賠償代は、祭司のものとなるか、あるいは、罪を犯した者のための「贖いの儀式」の費用にあてることになります(民数記5章5~8節)。
ただし、ヘブライ語では、「ガーアル」のほかに、これと類似した用語が四つほどあります〔TDOT(2)351〕。
(1)「パーダー=贖う」(ホセア13章14節)。ここの七十人訳は「リュトルーマイ」(身代金を支払って釈放する/救出する/贖う)。
(2)「ヤーシャ=救出する/救助する」(イザヤ60章16節)。七十人訳では「エクサイレオー=取り出す/選び出す」の中動態分詞形で「釈放する者」。
(3)「ナーツァル=引き出される/自由になる」(ミカ4章10節)。七十人訳は「リュトルーマイ」です。
(4)「アーザル=助ける/援助する」(イザヤ41章14節)。七十人訳は「ボエーテオー」(援助する/救助する)。14節ではこれと並んで「リュトルーマイ」の分詞形が「贖う者」としてでてきます。
したがって、これら五つの用語は、相互に共通する意味を含んでいて、これらの用語の背景には、イスラエルの出エジプト体験があります(この場合「パーダー」が主に用いられるようです)〔TDOT(2)354〕。「リュトロン」は、七十人訳で、イスラエルの民をエジプトの圧政から「贖い出す」など(出エジプト6章6節)、特に神が圧政から民を救う場合に用いられています。
第二イザヤ書では、「ガーアル」その他は、ヤハウェとイスラエルの民の間で「破られた契約」を「修復する/再興する」ことです。これは、罪の結果としての新バビロニアでの囚われから、「第二の出エジプト」をはたすことを意味します(イザヤ48章20節/51章10節)。この「贖い」は、ヤハウェの創造の業であり(イザヤ43章1節)、それは「罪の赦し」を伴い(イザヤ44章22節)、ヤハウェの栄光への歓喜を伴います(同23節)〔TDOT(2)354〕。
またヤハウェは「<代価>を支払うことなく」囚われのバビロンからイスラエルの民を立ち去らせるとあります(イザヤ45章13節)。ここの原語は「マヒード=代価/値段」(名詞)ですが、七十人訳のほうは「リュトロン」の複数形「リュトラ」です。なお「賠償の捧げ物」(ギリシア語複数「リュトラ」)については七十人訳レビ記19章21~22節を参照。このギリシア語はレビ記25章24節では「買い戻す/贖う」の意味でも用いられています。イスラエルの同胞を殺した者は、人殺しの罰として処刑されますが、彼は己の命を救うための「贖い金」(ヘブライ語「コーフェル=身代金」/七十人訳「リュトラ」)を受け取ってはならないとあります(民数記35章30~32節)。逆に見ると、この場合の「贖い金」とは、神を「宥める」あるいは「(罪を)償(つぐな)う」ためのものであることが分かります〔コリンズ『マルコ福音書』502頁〕。次の項にあるように、45節の「多くの人のための身代金」は、第二イザヤ書にでてくる「主の僕」との関連で重要視されています。ただし、「第四の僕の歌」(イザヤ52章13節~53章12節)には、「身代金」にあたるヘブライ語もギリシア語もでてきません。
新約での「身代金」「贖い代」で先ず注目されるのは、パウロの用法です。「(すべての人は)神の恵みにより、イエス・キリストある<贖い代>を通じて義とされる」「(このイエス・キリストを)神は、彼の血による<贖罪(の場)/賠償>として制定した」(ローマ3章24~25節)。24節のギリシア語「アポリュトローシス」(身請け金)と25節の「ヒラステーリオン」(宥めの供え物)は、パウロが原初キリスト教会から受け継いだ言い方だと見られています。ローマ人への手紙のここでは、イエスの「血」(死)が、大祭司によって至聖所で捧げられる贖罪の日の供え物、あるいは至聖所の祭壇の「贖罪の場」と見なされています。「ヒラステーリオン」は、犠牲による「罪の赦し」の意味で「贖いの座」(七十人訳出エジプト25章17節)に用いられています。今回のマルコ10章45節が、パウロのこの箇所を直接受け継いでいるとは考えられませんから、マルコ福音書とパウロ書簡は、どちらも共通する原初教会の伝承を受け継いでいると見るべきでしょう〔コリンズ『マルコ福音書』503頁〕。なお、第一テモテ2章6節に「アンティリュトロン」(贖い代)とあり、ルカ24章21節に「イスラエルを解放する/贖い出す」という動詞がでてきます。
【自分の命を与える】45節の後半部分を直訳すると、「(人の子が来たのは、)自分の命を、多くのための贖い代(しろ)を与えるためである」となります。以下に示すように、この部分には「受難の主の僕」を語るイザヤ53章10~12節が反映していると指摘されています〔新約原典引照欄〕〔岩波訳(注)4〕〔フランス『マルコ福音書』420~21頁〕。ただし、イザヤ書の七十人訳で用いられているのは、「人の子」ではなくギリシア語「パイス」(子供/家来/僕)です。
(1)「もしあなた(神)が彼(主の僕)の命を賠償の捧げ物とするなら」(イザヤ53章10節)〔ヘブライ語原典〕。"when you make his life an offering for sin"[NRSV]。ただし、七十人訳のほうは「もしあなたたちが罪について(捧げ物を)捧げるなら、あなたたちの魂は見るだろう・・・・・」。原典の異読を採用した訳として「もし<彼が>自らを賠償の捧げ物とするなら」[フランシスコ会訳]「<彼は>自らを賠償の捧げ物とした」〔新共同訳〕があります。このほうが今回のイエスの言葉に近いでしょう。
(2)「義なる私の僕は、多くの人を義とする。彼こそ彼らの不義を担うだろう」(同11節)〔ヘブライ語原典〕。"The righteous one, my servant, shall make many righteous, and he shall bear their iniquities."[NRSV]「わたしの正しい僕は、多くの者を正しい者とする。彼らの悪を、彼が背負った」[フランシスコ会訳]。ただし、七十人訳は「多くの人に良く仕える義人を義とするために、そして彼は彼らの罪を担うだろう」です。
(3)「彼は、自分(の命)を死に明け渡したから」(同12節)〔ヘブライ語原典〕。"because he poured out himself to death"[NRSV]
(4)「そして彼こそ、多くの人たちの罪を背負った。そして咎ある者たちのために執り成した」(同12節)〔ヘブライ語原典〕。"yet he bore the sin of many, and made interssesion for the transgressors." [NRSV]七十人訳では「そして彼らの罪のゆえに引き渡された」です。
ヘブライ語原典と七十人訳との間に読み方の違いがあり、英訳と日本語訳にも多少の異同があり、「贖い代」(リュトロン)という語はでてきませんが、「賠償の捧げ物」があり、イザヤ53章10~12節全体の主旨は、マルコ福音書の今回の箇所と合致しています。「あたかもイエスは、『人の子は主の僕の使命を成し遂げるために来た』と言っているかのようです」〔フランス前掲書〕。共観福音書で、イエスがイザヤ書の「受難の僕」と自分を結んで、「受難の人の子」を明確に予告している箇所はほかに見あたりません。マルコ福音書では、イエスの贖いの業が隠されている場合が多いだけに、今回の箇所が注目されています。
■マタイ20章20~28節
マタイ福音書の今回の記事は、19節の人の子の受難告知と28節の人の子の贖い予告とに囲まれています。マタイの記述はマルコ福音書を踏まえていますが、マタイはこれに二つの変更を加えて、ゼベダイの母を導入し、洗礼についてのイエスの言葉を省いています。マルコ福音書同様に、マタイ福音書でも、イエスが自分の受難を贖いの「身代金」と関連させているのはここだけです。全体の記述は20~23節と24~28節に分かれていて、前半と後半はそれぞれが、マタイによる並列法と交差法の組み合わせで構成されています〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)83~84頁〕。
〔20~23節〕
始めの要請(20節) 母と二人の息子
イエスの第一の問いかけ(21節前半)
答え(21節後半) 母のみ
イエスの忠告
イエスの第二に問いかけ(22節)
答え(22節) 二人の息子のみ
終わりのイエスの答え(23節)
21~23節には、さらに次の交差法が組み込まれています。
(A)右と左に座ること(21節)
(B)杯を飲む(22節)
(B’)杯を飲む(23節)
(A')右と左に座ること(23節)
■注釈
[20]【そのとき】マタイは、文頭をこの言葉で初めて、18章1節の「その時」と関連づけています。
【息子たちの母】マタイ福音書では、マルコ福音書と異なり、ゼベダイの兄弟の母親がイエスに請願してきます。しかし母親はこの後出てきません。だから、イエスが「あなたたちは何を願っているのか分かっていない」と言う時の「あなたたち」に母が含まれているのかどうか? まだ「できます」と答えるのは二人なのか3人なのかが、はっきりしません。「二人が言う」〔新共同訳〕/「二人が答える」〔塚本訳〕/「彼らは言う」〔岩波訳〕。
この「母」はマタイによる書き加えでしょうか? それともマルコのほうが基の資料から省いたのでしょうか? 資料の扱いにおいては、マルコよりもマタイのほうがはるかに省略や省筆を行なっています。だとすれば、今回のマタイ福音書での「母」は、マタイの追加ではなく、ほんらいの伝承から出た資料に基づくと考えることができましょう。そもそも、イエス一行のエルサレムへの旅には、十二弟子だけでなく、「その他の女性たち」も同行していたことがマタイ福音書の記述からも分かります(マタイ27章55~56節節参照)。
二人がイエスの所へ請願に来たその「大胆な」行為の背後には、彼らの母親の「強い願いがあった」という見方があります〔フランス『マタイ福音書』756頁〕。この見方に対する反論として、「母」の挿入はマタイ自身によるもので、マタイは、ダビデ王の後継者としてアドニヤとソロモンが争った時に、ソロモンの母バト・シェバが王に行なった請願(列王記上1章15~31節)をここに重ねている(「ひれ伏して」とあるのもこのため)という説もあります〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)87頁〕。「母」の登場が原初からの伝承によるのか、それともマタイによる挿入か?という問題は、「ソロモンの母バト・シェバ」の記事が、今回の「母」の登場に直接関連すると見るのか? それともマタイによる二次的な連想だと見なすか?にかかってくると考えられます。
[21]マタイ福音書では、3人を代表して母親が申し出て、イエスは「あなたは何を願うのか?」と母親に向かって尋ねます。母は「これらの二人の<わたしの息子たち>を」と、いかにも母親らしい言い方で願い出ます。3人がこれほど強くイエスに願い出たその理由には、イエスが先に告げた「栄光の座について、イスラエルの十二部族を裁く十二弟子」(マタイ19章28節)の姿があるからでしょうか。あるいは、マタイ16章17~18節だけにでてくるペトロへの「特別な叙勲」〔フランス『マタイ福音書』758頁〕もこの3人の申し出を背後で刺激しているのでしょうか。あるいは、ペトロへの叱責(マタイ16章23節)やイエスによる逆転への期待から(マタイ19章30節)、彼らにもチャンスがあると見たからでしょうか〔フランス前掲書〕。
【王座に】マルコ福音書の「あなたの栄光において」が、マタイ福音書では「あなたの王国において」と言い換えられています。マタイは、マルコ福音書の「栄光において」よりも、この世的な意味での「王国」に近い言い方をすることで、3人の「出世欲」を表わしているのでしょうか。イエスがやがて王座について、全世界を支配する様子を3人が想い描いていることが分かります。だから、イエスの「何が望みか?」も王が臣下に問いかけるように聞こえます。
[22]~[23]ここでイエスは、兄弟(あるいは3人?)に向かって答えます。マタイ福音書では「洗礼」が抜けています。マタイが参照したマルコ福音書に「洗礼」が抜けていたという説もありますが、そうではなく、マタイは、聖餐を思わせる「杯」と「洗礼」とを組み合わせることで、読者が、今回の箇所を教会の「サクラメント」と結びつけるのを避けるために「洗礼」を省略したと見ることができます〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)89頁〕。マタイは、今回の杯をマタイ26章38~39節の「杯」と結びつけています。だから、26章40~41節と読み併せると、兄弟の「できます」という返事からは、彼らの気負いと、その裏に潜む「弱さ」が見えてきます。
【わたしの父によって】これはマルコ福音書にありません(異読にありますが)。ここでのマタイ福音書のイエスの言葉は、ヨハネ5章19~23節に近いという指摘があります〔デイヴィス前掲書92頁〕。
[24]~[27]この部分の用語はマルコ福音書とほとんど変わりませんが、26節の「あなたがたの間では~<あってはならない>」とあるところだけ、マルコ福音書の現在形から未来形に変わっていて、続く「仕えるものに<なりなさい>」とある命令的な未来形と一致しています。ただし内容的にマルコ福音書とマタイ福音書に違いはありません。
[28]マタイ福音書は、用語と構文でマルコ福音書を受け継いでいます。「人の子」をイエス自身と同一視していること。イエスが自分の死を「多くの人のため」の犠牲の死であると予知していること。イエスのこの信仰の背景にイザヤ書53章の「主の受難の僕」伝承があること。これらの点をマタイはマルコ福音書よりもいっそう明確にするために、28節の文頭にある「ように」を、マルコ福音書の「~のように」から「~とちょうど同じように」へと言い換えています。
【栄光の座】この言い方は、おそらくマルコ10章37節で、ゼベダイの二人が「あなたが栄光をお受けになる時」と言う時の「栄光」に通じているのでしょう。弟子たちは、マタイ福音書がここに記している「イエスの栄光」について、イエスの言葉を聞いて、彼らなりの「栄光」を想い描いていたと考えられます。
■ルカ22章24~30節
ルカ22章では、最後の晩餐(14~18節)の後で、改めてパンとぶどう酒による聖餐の制定が行なわれ(19~20節)、続いてユダの裏切りが予告されます(21~23節)。今回採りあげるルカ福音書の箇所は、この裏切り予告に続いています。しかも今回の箇所は、上に立とうとする高ぶりへの戒めと(24~27節)、弟子たちが受けるであろう御国の報酬(28~30節)という、一見すると正反対とも受け取れる内容で成り立っています。マタイ=マルコ福音書には、最後の晩餐の後に今回のルカ福音書の並行箇所はありません。上に立とうとする者への戒めと弟子たちへの報いという組み合わせも見られません〔『四福音書対観表』286~87頁参照〕。このように、今回のルカ福音書の箇所は、その記事の配置とその構成と二つの点で、マタイ=マルコ福音書と大きく異なっています。ただし、「互いに仕え合え」というイエスの命令が、最後の晩餐の後に配置されている点では、ヨハネ13章1~15節でイエスが行なった洗足とみごとに一致しています。ルカ福音書とヨハネ福音書のこの一致は偶然とは思えません。
こういう事情ですが、マタイ=マルコ福音書の記事に対応させたるために、ルカ22章24~30節までをまとめて今回扱うことにしました。ただし、聖餐の制定直後に配置されているルカ福音書の今回の記事は、文脈的に見るとそれなりに重要な意義を帯びています。だから、この点も併せて注視したいと思います。
〔資料について〕
全体は、24~27節と28~30節に分かれています。前半部では、24節はルカの手による編集だと考えられます。25~26節はマルコ10章42~43節と内容的に並行します。問題なのは27節です。これは25~26節とは別個の伝承からでしょう〔ルカの独自資料(L)から?〕〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1412頁〕〔ノゥランド『ルカ福音書』WBC22章注釈〕。さらに問題なのは、マルコ10章45節の「身代金」への言及に対応する部分がルカ福音書のこの箇所に抜けていて、その代わりに、ルカ福音書では27節がとりこまれています。ほんらいなら、「身代金=イエスの贖い」は、ルカ福音書にふさわしい内容だと思われるだけに、これの欠落がいっそう問題です。このため、ルカは、そもそもマルコ福音書を参照しているのか?という疑問さえ提示されることになります。
後半では、ルカ22章28~30節は、ほんらい24~27節とは別個の伝承であったものが、ルカによって組み合わされたと考えられます〔ノゥランド前掲書〕。ルカ福音書のこの部分に相当する箇所はマルコ福音書にはなく、マタイ19章28節がルカ福音書のここと並行しています(特に十二部族による支配)。この問題はイエス自身による十二弟子選定とも結びついてきますから、マタイ福音書とルカ福音書とどちらがほんらいの伝承に近いのか?をめぐって議論が交わされています。
裏切りと、高ぶりへの戒めと、十二弟子による御国の支配への約束とを結びつけて、これらを聖餐制定の後に配置したのはルカでしょう。聖餐制定直後の配置には、おそらくイエス自身が体験したサタンの試みが反映していると考えられます(ルカ4章1~13節/22章3節を参照)。聖餐の後でイエスが今回の箇所を語っているのは、「仕える」とは「自分の命を捨てる」ことにつながると教えるためでしょう〔ノゥランド前掲書〕。
[24]【議論】ルカ福音書には、ゼベダイの兄弟も他の弟子たちの憤慨もでてきません。ここの原語「フィロネイキア」はルカ福音書だけで、「言い争う」というよりも、会議の席などで「異議を唱える」ことです(第一コリント11章16節)。だからこの部分はマルコ9章33~35節に近いと言えます。今回の記事は、同じ出来事が幾つかの伝承に別れて伝えられたとも考えられますが、逆に、似たような出来事が1度ならず生じたとも考えられましょう〔マーシャル『ルカ福音書』811頁〕。
【一番偉い】原語は「大きい」の比較級ですから、「~より大者(おおもの)」という意味です。比較級ですが、内容的に見て最上級と同じ意味で用いられています。ここでは、お互い同士もありますが、「周囲の人たちの目から」だれが筆頭者だと思われているのか、という意味も含むのでしょう〔マーシャル前掲書〕。
[25]25~26節はマルコ福音書からでしょうか?マルコ福音書の「あなたがたが知っている通り」が欠落し、ルカ好みの複合語「支配下に置く」(マルコ10章42節)も「支配する」と単純な動詞になっています。
【王たち】マルコの「統治者と見なされる者たち」をルカは「王たち」と言い換えています。マルコ福音書でもここでも「異教の諸民族」を念頭に置いていて、ルカは特にユダヤに対照させて異邦人の「王」を意識しているという見方もあります。しかし、「王」はローマ皇帝が地方の支配者に与える呼称の一つで、ヘロデ大王もユダヤとガリラヤの「王」と称し、息子のヘロデ・アンティパスもガリラヤの「王」と称していました。だからルカは、「イエスの弟子たちの間」とこの世の支配者たちとの区別を念頭に置いているのです。
【支配する】原語は「キュリエウオー」(主となる/君臨する/支配する)です。パウロはコリントの教会の信仰を「(自分が)<支配する>つもりはない」と言う時にこの動詞を遣っています(第二コリント1章24節)。また、復活したキリストを「死はもはや<支配しない>」(ローマ6章9節)のだから、イエスを信じて律法の下にいない「わたしたちをも罪は<支配しない>」(同14節)と言っています。ルカは特に彼の時代の教会の指導者たちのことをも考えているのでしょうか。
【守護者】この部分もマルコ福音書にありません。「恩恵を与える方(ギリシア語単数名詞は「エウエルゲトス」)」や「守護者」は、ほんらいヘレニズムの神々や神々に立てられた統治者たちへの称号です。この事情は、エジプトでもシリアでもローマでも変わりません。キリスト教徒を迫害したローマのネロ皇帝も「恩恵を与える方」「救い主」と称されました〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1417頁〕。支配者が自らをそう呼ばせたのか、民がへつらいからそう呼んだのか、どちらにせよ、「呼ばれている」には、「人々が彼らのことをそう呼ぶのなら、勝手に呼ばせておくがよい」という皮肉がこめられているのでしょう。
[26]マルコ福音書の「偉い者」と「仕える者」との対比が、ルカ福音書では「一番の大者」と「新参者/若輩」(「若い者」の意味もある)との対比に、マルコ福音書の「第一の者/筆頭者」と「僕/奴隷」との対比が、ルカ福音書では「指導する者」と「奉仕する者」に変わっています。「一番の大者」と「新参者」の対比から見て、ここで言われていることが「全員の」対等性と平等性を強調するものではないという解釈もあります〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1417頁〕。ルカが「指導する者」と「奉仕する者」を対照させたのは、ルカの時代の教会を意識したからでしょうか。ただし、ルカ福音書の段階では、後の教会の「長老」と「執事/奉仕者」との身分制はまだ確立されていません。同様に、「新参者/新たな加入者」(使徒言行録5章6節参照)がルカの時代の教会の特定のグループを指すかどうかも確かでありません。
[27]この説は問題が多い箇所です。内容的に見ると、ゲストとして招待され、食事の席についている者は(原語は、ディナーの席で、ギリシア風に左向きに身を横たえること)、当然、招待者(ホスト)の家の給仕する僕/奴隷から給仕を受けます。どちらが上か下かは一目瞭然です。イエスは、弟子たちの間でちょうど「この給仕する者」のように振る舞っている、というのがこの節の意味です。これが聖餐の後で語られるイエスの言葉だけに、その意味が問われることになります。もしもこの箇所が、ヨハネ13章1~15節の洗足の場面に続いていたとすれば、内容的にみごとに一致します〔マーシャル『ルカ福音書』814頁〕。
次に文献的な視点から27節をマルコ10章45節と比較すると、内容的にはマルコ福音書の45節の前半とルカ福音書の27節の後半とが対応しています。しかし、マルコ福音書の45節後半の「身代金」言葉は、ルカ福音書の27節の前半の「客と給仕」のたとえと全く異なります。マルコ福音書の45節の<前半>が、ルカ福音書の27節の<前半>のほんらいの資料から出ているという説もありますが〔ブルトマン『共観福音書伝承史』(1)249頁〕、いったいどちらがどちらを参照しているのでしょうか。
(1)マルコ福音書の45節の前半がルカ福音書の27節の後半から出ているのでしょうか? この場合ルカ福音書の「わたし」言葉がマルコ福音書の「人の子」言葉へ代わったことになります。それとも、
(2)ルカ福音書の27節の後半がマルコ福音書の45節の前半からでしょうか? この場合、マルコ福音書の「人の子」言葉がルカ福音書の「わたし」言葉へ代わったことになります。それよりもむしろ、
(3)マルコ福音書の45節後半もルカ福音書の27節前半も、ほんらいは別個の伝承であったのが、マルコの手元に届いた伝承資料では、すでに「ルカ22章27節+マルコ10章45節」であったと見ることもできます〔マーシャル前掲書814頁〕。マルコはルカ福音書の27節の前半の「わたし」を「人の子」に代えて、より簡略に言い換え、これに「身代金」言葉を遺して続けたことになります。「身代金」言葉は、内容的に今回の箇所にうまくあてはまりませんから、これはほんらいの伝承に含まれていたと見るべきです。
(4)そうだとすれば、ルカは、なぜ伝承の「身代金」言葉を省いたのか?という疑問が残ります。「贖い」を表わす「身代金」言葉は、ルカ福音書の内容にふさわしいからです。ルカが手にしていたマルコ福音書には、この「身代金」が抜けていたのでしょうか?それとも、ルカは、内容的に見て、今回の箇所に「身代金」言葉がそぐわないと考えたのでしょうか〔マーシャル前掲書〕。なお、マルコ福音書の45節(=マタイ20章28節)は、ほんらいこれだけで独立した別個の伝承だったと思われます。マルコ福音書の「身代金」言葉は、イエス復活以後の教会による編集だとする説が多いのですが、この言葉は、イエスにさかのぼるもので<ない>とは言えません〔ノゥランド『ルカ福音書』WBC22章注釈〕。
■ルカ22章28~30節
ルカ福音書のこの箇所は、マタイ19章28節と並行します。実はこの部分、イエス様語録の最後に置かれていた、と見られています。しかし、イエス様語録にあったのかどうか? その際にマタイ福音書とマルコ福音書とどちらが原形により近いか? など確かでありません。復元は「あなたたちは、わたしに従ってきたから、御座について、イスラエルの十二部族を裁くだろう」です〔ヘルメネイアQ558~561頁〕。マタイ福音書とルカ福音書とでは、配置が全く異なるし、マタイ福音書には「アーメンわたしはあなたたちに言う」と「更新の際には」があり、ルカ福音書には「わたしの父がわたしに御国を委ねた」があり、どちらがほんらいの語録集に近いのか分かりません〔ヘルメネイアQ〕。二人には、それぞれ異なる版のイエス様語録が届いていたのではないかとも考えられます。ルカ福音書の28~29節と30節前半はマタイ福音書にありませんから(この部分をルカの編集に帰するのは不適切です)、ルカ福音書のほうが原形に近いという見方ができましょう〔マーシャル『ルカ福音書』815頁〕〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』1413頁〕。イエス様語録に対しては、マタイよりもルカのほうが資料に忠実です。
今回の部分は、イエス復活以後に、教会によって創出されたのではないかと言われてきました。しかし、後の教会が「ユダが御座につく」などと考えるはずもなく、そもそも、十二弟子全員が、イエス以後の教会でそれほど重んじられた形跡がありません。だから、これらの言葉は生前のイエスが、十二弟子選定にあたって語られたと見るほうが自然です〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1416頁〕〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)58頁〕。イエス自身、神の国の近い到来を信じていたからです〔マーシャル前掲書〕。
[28]【種々の試練に】原語は「わたしの数々の試練/誘惑において」です。これは間近に迫った受難を指すという解釈もありますが、複数名詞ですから、これまでのイエスの伝道全体を通じて受けてきた数々の拒絶や敵対から来る「試み」を指します(例えばマルコ8章33節!)。にもかかわらず、弟子たちは、そのような<イエスと共にいる>試練に耐えて「踏みとどまり続けた」〔完了形分詞〕のです。28節はマタイ福音書に従って、「アーメン、わたしはあなたたちに言う」で始まっていたという見方もあります〔マーシャル『ルカ福音書』815頁〕。
[29]【支配権】原語「バシレイア」(王権/王権統治)は、その類語「バシレウス(王/王国)」と区別するほうが適切です。この「バシレイア」は、ほんらい領土を所有する「国家/国土」としての「王国」のことではなく、「王による統治権/支配権/王権」 "kingship" のことです。列王記上(七十人訳の第三列王記)1章46節に「ソロモンは王権(バシレイア)の座に座った」とあります。これがイザヤ書52章14節では「あなたの神はシオンで<王権統治する>」となります。これのヘブライ語動詞「マーラフ」(王として統治する)は、七十人訳では「バシレイオー(統治する)」です。この言い方は新約に受け継がれて、「天からの王権統治」(マタイ4章17節/5章8節その他)となります。この「天」はヘブライ語の「神」のことですから、「神による王権統治」ともなり(マタイ6章33節その他)、「あなた(父の神)の王権統治」(マタイ6章10節)ともなります。マルコ福音書とルカ福音書では主として「神による王権統治」(神の国)が用いられます。したがって、これはほんらい地上において働く(行使される)神からの王権統治/支配を指すもので、「この世」と区別された「あの世」を意味する現在の「天国」とは異なりますから注意してください〔織田『新約聖書ギリシア語小辞典』97頁〕。マルコ福音書でゼベダイの兄弟たちが想い描いていた「イエスの栄光」とは、こういう「王権支配」のことだと考えられます。 【ゆだねる】「ゆだねる」の原語「ディアティセーミ」には「遺言する」「取りはからう」の意味があります。これが大事なのは、この箇所に「<契約を>遺言する」/「契約を制定する」という異読があるからです。これは、ルカ22章20節の「契約」を受けていると考えられます。ルカ福音書ではこの箇所が最後の晩餐の契約の後にでてきますが、たとえそうでなくても、イエスのほんらいの言葉にもこういう契約の意味が含まれていたのではないかと考えられます〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1419頁〕。
[30]今回のマタイ福音書とルカ福音書とは、内容的に見ると共通するところがありますが、
この30節は、イエス様語録の「御座に座ってイスラエルの十二部族を裁く」が共通する以外、マタイ福音書とルカ福音書の間に共通する用語がありません。
【食事の席】メシアの到来とその際の「宴会」伝承は、イエス自身の言葉だけでなく、クムラン宗団の文書にもでている伝統的なものですから、ルカ福音書の29節と30節は、ルカ以前の資料ですでに結びついていたのでしょう。主イエスからの御国の王権に弟子たちも参与することと、終末での宴会の喜びとは、矛盾するものではなく、現在すでに始まっている御国が終末で成就することを望んで喜ぶのです〔マーシャル『ルカ福音書』817頁〕。
【王座に座って】マタイ福音書には「12の座に」とありますが、ルカ福音書では「12」が抜けています。これは、裏切りのユダを除くためのルカによる編集でしょう。「部族を裁く」とは、部族を「統治する」ことです。イエス様語録にさかのぼるこの部分には、詩編122篇3~5節〔新共同訳〕のダビデ的メシア像が重ねられています。しかし、イエスがこれを語ったのは、ダビデ王朝の頃にイスラエルの指導者たちが十二部族を支配したという過去の栄光を指すためではなく、それらの過去の体験を予型(タイプ)と見て、これから始まる新たな「霊のイスラエル十二部族」とそれらを治めるであろう「十二弟子たち」のことを預言しているのです。このように、過去の体験をこれから起こるであろう出来事への「しるし」あるいは予型(タイプ)と見なすことを「タイポロジー」的な歴史観と言います。
戻る