【注釈】
■今回の盲人の癒やし
 エリコは、エルサレム地域への「入り口」ですから、エリコでの盲人の癒やしは、ガリラヤから旅を続けてきたイエスの一行が、エルサレム地域へ入ったことを示す地理的な指標です。マルコ8章22~26節の盲人の癒やしは、フィリポ・カイサリアでのペトロの告白に始まるエルサレムへの旅の直前に置かれています。だからマルコ福音書では、イエス一行のエルサレムへの旅が、盲人の癒やしで始まり、同じ癒やしで終わるという構成になります。エルサレムへの旅が、受難への旅であるだけでなく、弟子たちを「教育する」ための旅でもあることを思えば、盲人の癒やしに弟子たちの霊盲を開く旅という比喩的な意味を見出すこともできましょう〔フランス『マルコ福音書』322頁〕。
 マルコ福音書に対しマタイ福音書では、マタイ9章27~33節と今回のと、二つの癒やしが対応します。マタイ9章の癒やしは、死からの生き返りを含む四つの連続する癒やしの最後に置かれていて、これらの癒やしは、後の洗礼者ヨハネからの問いかけに答えるイエスの数々の「しるし」に対応すると見ることができます(マタイ11章2~15節参照)。だから、マタイ福音書では、盲人の癒やしは、イエスのメシア性を証しするものです。マタイ福音書では(というより共観福音書では)、今回の盲人の癒やしをもって、イエスがメシアであることの「しるし」が終わります〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)133~134頁〕。
〔資料問題〕
 資料から見ると、共観福音書には、今回の盲人の癒やしに関係する箇所が5箇所あります。マルコ8章22~26節/同10章46~52節とマタイ9章27~33節/同20章29~34節とルカ18章35~43節です。この中で、最も詳細で中心となるのが、今回引用したマルコ10章46~52節です。マルコ福音書の記事は、「エリコ」という地名以外に、「ティマイの子バルティマイ」や「ダビデの子」など、この伝承がパレスチナの具体的な状況から出ていることを示しています〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)583頁〕。癒やされた盲人自身の名前が出てくるのは、バルティマイだけです。彼が「イエスに従った」とありますから、イエスの弟子になったのです。名前が知られているのは、このためでしょう〔フランス『マルコ福音書』422頁〕。
 ルカ福音書はマルコ福音書に依存しています。問題はマタイ福音書です。今回のマタイ20章29~34節も、ルカ福音書同様にマルコ福音書に準じていると考えられます。しかしマタイは、今回のマルコ福音書の記事から、上述した理由で「二つ」の盲人の癒やしを採りだして配置したと考えられます。
■マルコ10章
[46]【エリコ】マルコ福音書では、イエスの一行は「エリコへ入り、エリコから出て行く時」のことです。マタイ福音書では「エリコから出る時」で、ルカ福音書では「エリコに近づいた時」です。エリコからエルサレムまでは27キロほどですが、岩が多い登り路で高低差が1000メートル近くもあります〔マーシャル『ルカ福音書』447頁〕。「エリコ」は現在三箇所あります。
(1)旧約聖書にある「エリコ」(民数記22章1節)は初期青銅器時代(前2900年~2300頃)にさかのぼります。旧約聖書によれば、ヨシュアに率いられたイスラエルの民がヨルダン川を渡ってカナンに侵入する際に、最初に攻撃したのがこのエリコです(ヨシュア記6章)。そこは死海の西北岸から北西へ12キロほどの低地にある城壁に囲まれた都市でした。捕囚期以後もこの町はユダヤ人の町として残ったようです。
(2)ヘロデ大王は、旧約聖書のエリコから2キロほど南西にある高台に新たなヘレニズム風のエリコを建設しました。これがイエスの頃の新約聖書のエリコです。そこには壮麗なヘロデの冬の宮殿があり劇場もありました。このエリコは、ワディ・ケルトと呼ばれる険しい渓谷の入り口にあたり、そこは「アドミニーム」(原義は「血」)とも呼ばれていますから、古くから殺害などが行なわれた場所だったのでしょうか〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)886頁〕。このエリコの北方にはイエスがサタンの誘惑を受けたと伝えられる山(エベル・クワランテル)があります。
(3)現在のエリコは、旧約時代のエリコと新約のエリコの間を通るハイウエイをさらに東に行った所にあります。そこはイスラエル領ですがパレスチナ系の住民が多く住んでいて、その東方には、ガリラヤへいたるハイウエイが通っています。
【着いた】「エリコに着いて、エリコから出る」という言い方が不自然だとして、クレメンスによる「秘密のマルコ福音書」(この文書の信憑性は疑わしい)では、エリコ滞在中に「イエスが愛した若者」の姉と母がイエスに会おうとして断わられた話が挿入されています〔コリンズ『マルコ福音書』505~506頁〕。しかし、マルコの資料は、エルサレムへ上る途中でエリコを通過したことを(おそらく口伝によって)伝えようとしているのでしょう。マタイはこの不自然さを避けて「エリコを出る時」とだけ記し、ルカは逆に「エリコへ近づいた時」として、エリコ到着後にザアカイの話を配置しています。
【大勢の群衆】「大勢の」の原語「イカノス」はマタイ20章29節のそれと異なります。「相当数の」「かなりの」という意味合いですから、イエス一行を見ようと集まった群衆の数が多いことよりも、一行と共にエルサレムへ巡礼に向かう人たちのことです(10章1節と比較)。
【バルティマイ】この名前は、アラム語「バル(息子)」とギリシア語の「ティマイオス(尊敬される人)」から合成された名前だと思われますが、「バル・タマー(汚れた息子)/バル・ティミー」というアラム語名からだという説もあり、確かなことは分かりません〔コリンズ『マルコ福音書』508~509頁参照〕。「バルティマイ」をギリシア語に訳すと「ティマイの子」になります。「道端に(いつも)座っていた」とあるから、この人はエリコでよく知られていたのでしょう。イスラエルでは、盲目になることは、伝統的に「罪への罰」と見なされていました(創世記19章11節/申命記28章28~29節)。彼らは「汚れている」とされ(サムエル記下5章8節参照)、宗教的にも排除されていたのです。しかし、主の訪れの日には「盲人の目が開かれる」と預言されていたから(イザヤ書35章5節)、イエスの盲人の癒やしには、このような終末のメシアの到来を告げる「しるし」の意味もあります。数々の癒やされた盲人の中で、名前と場所が特定されているのは彼だけで、彼は「イエスに従った」とありますから、イエスの弟子になったのでしょう。このため、当時のマルコの教会でもその名前が知られていたと考えられます〔フランス前掲書〕。
【物乞い】「物乞い/乞食」という名詞はやや特殊なので、「物乞いしている」という分詞形の異読があります。
[47]~[48]【ナザレのイエス】マルコ福音書では「ナザレーノス」で、ルカ福音書では「ナゾーライオス」ですが、ルカ福音書の言い方はマタイ2章23節/同26章71節/ヨハネ18章5節などにもでてきます。「ナザレーノス」も「ナゾーライオス」もギリシア語読みで、どちらも「ナザレ(ナザラ)出身の人」の意味です。しかし、(1)ヘブライ語の「ナージール」には「神に献げられた/聖別された」の意味があり、この意味をここに読み取る解釈もあります。(2)またヘブライ語で「ネーセル」(枝/若木)はメシアを象徴するところから(イザヤ書11章1節)、「ダビデの子」と関連づけて、このメシア預言を「ナザレの」から読み取る解釈もあります。ただし(1)も(2)も「ナザレ」の直接の根拠かどうか確かでありませんから、「ナザレ」という地名が基になって、これに上記のヘブライ語の意味が二次的に加わったと見るべきでしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1215~16頁〕〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)585頁〕。
【ダビデの子】「イエス」という名は、パレスチナではごくありふれた名前でした。だからバルティマイは「ナザレ(出身)のイエス」と特定する呼び方をしたのです。彼はすでに、ガリラヤでのイエスのうわさを聞き知っていたのです(マルコ3章8節参照)。大声で叫んだのは、イエスがどこにいるのか分からないからです。
 共観福音書でイエスについて「ダビデの子」という呼び方がでてくるのは、今回のバルティマイの場合(及びこれの並行箇所)と、マルコ12章35~37節(及びこれの並行箇所)でイエス自身が「メシアのことをなぜ『ダビデの子』と言うのか?」と問いかける場面です。これ以外には、マタイ12章23節の群衆と同15章22節のカナンの女(彼女も今回と同じく「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫びます)だけです。ただし、イエスが「ダビデの<子孫>」であることは、マタイ1章20節に始まり、使徒言行録13章22~23節/ローマ1章3節/第二テモテ2章3節にでてきます。また、ヨハネ7章42節は、イエスが、終末に来たるべき「メシア」であり「ダビデの子」ではないかと言う者たちが群衆の中にいたと証ししています。
 「ダビデの子よ」というバルティマイの呼び方は、続くイエスのエルサレム入城で、人々が「わたしたちの父ダビデの国」(11章10節)の到来だと叫ぶのと対応していますから、人々が、かつてのダビデ王国の再来を「メシア」としてのイエスの到来に期待していたことが分かります。この「メシア」は、エルサレムへの旅の出発点となったフィリポ・カイサリアで、ペトロが告白した「メシア」(新約原典では「キリスト」)につながります。ただし、イエス・キリストの受難と復活を体験したパウロが、「(イエス・キリストは)肉によればダビデの子孫」だと言う時に、今回の「ダビデの子」と同じ内容を指しているとは必ずしも言えません。終末に到来する「メシア」→「ダビデの子」→「ナザレのイエス」→受難と復活の「イエス・キリスト」という啓示の推移をここに読み取ることができましょう。
【叱りつける】神の預言者に会いたい場合は、先ずその弟子から許可を得なければなりません。だから、周囲の人たちは、大声で「直訴した」彼を黙らせようと叱ったのでしょう。
[49]それまで「叱っていた」人々が、イエスの命令を受けて、「元気を出せ。お前を呼んでいるぞ」とバルティマイを「励ます」側に一転します。幼子をイエスに近づけようとする親たちを弟子たちが叱った時に、イエスは「憤った」とありますが(10章13~14節)、今回は、人々に「彼を呼んできなさい」と命じたのです。
[50]【上着を脱ぎ捨て】バルティマイの喜びが生き生きと描かれています。この物語を彼がイエスの弟子となる「召命物語」だと理解する人は、道端の乞食にとって寒さをしのぐ必需品である「上着」を「後に残した」ことに、イエスに従う彼の決意を読み取っています〔コリンズ『マルコ福音書』510頁〕。しかし、続くイエスの言葉に「行きなさい」とあるから、この記事を「召命」と解釈するのは必ずしも適切でないでしょう。
[51]~[52]【何をしてほしいのか】原文は「(わたしが)<あなたに>何をしてほしいのか?」ですが、「あなたは何を願うか?」と「わたしはあなたに何を行おうか?」の二つが混交したような破格構文になっています(10章36節も参照)。この質問は、ゼベダイの息子たちへの問いかけを思い出させますが、求めている内容は、ゼベダイの二人と盲人とでは全く異なります。おそらくマルコは、盲人の答え「見えるようになる」に、イエスが救い主であることを「知る/信じる」者になることをも含めているのでしょう。
【先生】原語の「ラブーニ」は「ラビ」(わたしの先生)の呼格(呼びかけ)です。「ラビ」は、ほんらい霊能の聖者を指す言葉でしたが、イエスの頃には、「ご主人」「旦那さん」「先生」「師匠」など「目上の人」を指す場合に用いられました。ただし、今回の盲人の「先生」という呼びかけには、「ラビ」ほんらいの神の人への信仰がこめられていると思われます。
【目が見えるように】原語は「アナブレポ-」の未来形。「初めて」視力が与えられるのか、「失われていた視力を再び取り戻す」ことなのか、両方の解釈が可能です〔ボヴォン『ルカ福音書』(2)586頁〕。「見えるように」〔新共同訳〕[フランシスコ会訳]〔塚本訳〕。ただし "I want my sight back."〔REB〕 "Let me see again" [NRSV]〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1216頁〕。
【あなたの信仰が】共観福音書では、このイエスの答えが、今回の盲人の癒やしと出血の女の癒やし(5章34節)の場合にでてきます。そのほか、ルカ福音書では、同じ言葉が、7章50節(「罪の赦し」)と17章19節の癒やしの場合にも与えられています。「救う」には、病気癒やしと罪の赦しの両方の場合が含まれているのが分かります(2章5~10節参照)。
【行きなさい】ゲラサの悪霊憑きの癒やしでは、癒やされた人がイエスと共に来ることを許されず、自分の家と家族の下へ帰るように命じられています(5章18~19節)。しかし、今回の「行きなさい」は、5章14節の「安心して行きなさい」と同じで、単に「安心している/過ごす」ことで、必ずしも「立ち去る」ことを強く意味するわけではありません。だからバルティマイは、エルサレムへ向かうイエスに「付き従って」、その「同じ道を歩んだ」のです。マルコは、彼をイエスを信じて従う者のモデルとしているのでしょう。
■マタイ9章
[27]【二人の盲人】この9章27~31節は、マタイが、マルコ10章40~52節と同1章43~45節と同8章25~26節などに基づいて、自分なりに編集したと考えられます〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)135頁〕。マタイ福音書では、マタイ8章28節(=マルコ5章2節)と9章27節(=マルコ10章46節)と20章27節(=マルコ10章46節)と3回とも、マルコ福音書に依存しながら、マルコ福音書では「一人」とあるのに、マタイ福音書あるいはルカ福音書では「二人」に変更されています(マルコ5章2節→マタイ8章28節/マルコ10章46節→マタイ9章28節/マルコ16章5節→ルカ24章4節など)〔ブルトマン『共観福音書伝承史』(2)191~192頁〕。この理由には諸説がありますが、おそらく「二人組」というイスラエルの伝統を受け継いでいるからでしょう(創世記19章1節/同32章23節/歴代誌上11章12~14節/マルコ6章7節など)。とりわけイスラエルでは、死刑には必ず二人の証人がいなけれならないと定められていますから(申命記17章6節)、マタイは、メシアの証しとしての「しるし」の場合も、一つではなく二つ以上の「しるし」が必要だと考えたのかもしれません。
[28]【家に入ると】これはマルコ福音書と異なります。マタイ福音書では、癒やしが「その家」で行なわれることが多いです(8章14節/9章25節/また10章12節を参照)。
【信じるか】次の「主よ」と併せて、イエスを終末に訪れるメシアだと「信じるか」という意味を読み取ることができます(マタイ11章6節参照)。
【主よ】これもマルコ福音書の「先生」と異なります。マタイは、教会での呼び方を採り入れています(8章6節参照)。
[29]【目に触り】8章3節を参照。「重い皮膚病」と言い「盲人」と言い、一般に「汚れた」者に触れることが禁じられていましたから、イエスの行為は、そのような「汚れ」をも無視する行為であると解釈される場合があります。しかし、これらの場合、イエスは、人をその汚れから「癒やす」ことを意図していますから、「汚れを無視する」と解釈するのは適切でありません。逆に8章3節の場合、イエスは、「汚れ」から「浄められた」ことを証しするよう教えています。なお「触れる」とある原語は「掴む」ことをも指しますから、実際は、彼らの目を掴むようにしたのかもしれません。なお「あなたの信じるとおり」は、28節の「信じるか?」と尋ねることに対応します(マルコ10章52節と比較)。
[30]~[31]この部分はルカ=マルコ福音書の並行箇所にはありません。イエスが「絶対に言うな」と強く戒めているのは、癒やしを自己宣伝の道具とすることを避けるためですが、それだけでなく、イエスの並外れた治癒の霊能をイエスへの攻撃材料にしようとする者たちがいたからです。ここマタイ9章27~31節は、すでに指摘したように、イエスが「終末のメシア」かどうかを尋ねさせた洗礼者ヨハネからの問いかけ(11章2節以下)への答えと関連しています。しかし、30節の禁止は、それだけでなく、続く悪霊憑きの癒やしとファリサイ派の非難(9章34節)とも関連します。だから、31節の「言い広めた」は、続く33節の「群衆」の登場の伏線にもなっていると考えられます。このイエスの禁止と続くファリサイ派からのイエスへの「悪霊の頭」呼ばわりは、マタイ12章22~24節でも繰り返されます。マタイは、その直前のマタイ12章16~21節で、イエスがなぜ(そのかいもなく!)「言いふらさないように」に命じたのか、その理由を説明しています。それはイエスが第二イザヤで預言されている「人の目から隠されたヤハウェの受難の僕」であることを証しするためです〔ノゥランド『マタイ福音書』401~402頁〕。
■マタイ20章29~34節
〔構成〕マタイ福音書では、ここがメシアとしての最後の「癒やし/しるし/奇跡」物語です。物語は「(大勢の群衆が)彼(イエス)に従った」で始まり「(二人は)彼(イエス)に従った」で終わります。この二つの「従った」に挟まれて、物語の前半では「(彼らは)叫んでいった『主よ、』」が二度繰り返され、後半では、これに答えて、イエスは「立ち止まって二人を呼び寄せ」「彼らの眼に触れ」ます。マタイ福音書では、イエスの強い「慈愛の念」(34節)が特徴的です。
〔資料〕すでに指摘した通り、(諸説があるものの)マルコ福音書の物語はパレスチナ的な特徴を帯びていて、イエスの出来事にさかのぼるものです。マタイはここで、マルコ福音書の記事に依存しつつ、マタイなりの編集を加えています。
[29]【エリコを出ると】マタイはマルコ福音書の「エリコに近づくと」を省いて、エリコから「出る」時に絞り、これを「(一行が)エルサレムに近づく」(21章1節)時と対応させています。「大勢の群衆」とあるのもマルコ福音書の「多くの人々」とややニュアンスが異なり、人数が多いことを強調しています。
[30]原文は「すると見よ、二人の盲人が」で始まります。こういう書き出しはマタイ的です。マタイはマルコ福音書にある「物乞いする」を省いていますが、「道端に」とあるのはエリコからエルサレムへ巡礼に訪れる人たちから施しを受けるためです。イエスが「通りかかる/通り過ぎる」とあるのもマルコ福音書の「ナザレのイエス<である>」と異なります。マタイがマルコ福音書の「一人」を「二人」に変更している点については先に指摘しました。
【主よ】「主よ」という呼びかけもマタイ福音書だけです。原文は「わたしたちを憐れんでください。主よ、ダビデの子」ですが、「ダビデの子よ、イエス、わたしたちを憐れんでください」という異読もあります。「主よ」は後のキリスト教会の呼び方を考慮したマタイの編集でしょう。「ダビデの子よ、」という異読はマルコ福音書の影響による編集です。
[31]ルカ=マルコ福音書では、盲人の呼びかけが、最初は「ダビデの子よ、イエス」で次が「ダビデの子よ」ですが、マタイ福音書では二度とも「主よ、ダビデの子」です(最初のほうの「主よ」が抜けている異読がある)。
[32]マタイは、マルコ福音書にある人々から盲人への励ましの言葉を省いて、イエスだけに焦点を当てています。
[33]盲人の答えは、マルコ福音書では「先生、<見える>ようになることです」が。マタイ福音書では「主よ、わたしたちの<目が開く>ことです」となっています。マタイは、マルコ福音書の「ラブーニ」を「主よ」と訳したのでしょうか。「見える」と言い「目が開く」と言い、視力を「再び」取り戻すことなのか、生まれながら見えない目のことなのか、この点がはっきりしません。
[34]【深く憐れむ】原語は「腸(はらわた)がちぎれる想い」という強い慈悲の情です。マタイ福音書では、イエスが盲人たちの目に「触れ」ますが、マルコでは「盲人に言う」です。ただし、マルコ1章41節の「重い皮膚病の癒やし」では、今回のマタイ福音書と同じにイエスは「深く憐れんで手で触れて」います。
■ルカ18章
 ルカはこの盲人の癒やしを一行がエリコに<近づいた>場所に配置して、これをエリコの町でのザアカイの改心へつないでいます。人々から排除された者、憎まれている者がイエスによって人々に受け容れられる者に変容することをもって、ルカは、イエスの旅を締めくくるのです。資料的に見ると、マルコ福音書に依存しながら、冒頭の場所の設定を変更し、マルコ福音書に比べて、盲人がイエスのことを尋ねる様子を詳しく伝え、イエスが盲人を呼び寄せる際の人々の励ましなどを省いています。
 なお、マタイ=マルコ福音書では、この癒やしの前に、ゼベダイの兄弟たちの請願の記事が置かれていますが、ルカ福音書ではこれが抜けています。その代わり、ルカ福音書では、最後の晩餐の後で、聖餐の制定後に、ユダの裏切への予告と、続いて「誰が本当に偉いか」がイエスの口から語られます(ルカ22章24~27節)。この点については、先の章で扱いました。
[35]【エリコに近づく】冒頭は「~という出来事が起こった」"It happened that..." です。マルコ福音書では「エリコに入り、エリコから出て行く」ですが、ルカ福音書では「エリコの近辺」となっています。ザアカイの物語はルカ福音書だけですから、ルカの手にした伝承が「エリコに近づいた時」になっていたという説もありますが、おそらく場所はルカによる編集でしょう。マタイとは反対に、この出来事をエリコに「近づいた時」と理解したようです〔フランス『マルコ福音書』422頁〕〔マーシャル『ルカ福音書』692頁〕。なお、「物乞いする」はマルコ福音書とは異なる原語です。
[36]~[38]ルカは、盲人が「大勢の人が通り過ぎる」物音を聞いて、人々に「しきりに尋ねる」など、群衆と盲人との対話を挿入しています。人々が彼に「ナザレのイエスのお通りだ」と「告げ知らせる」と、彼は「大声で助けを呼び求める」のです(「 」の部分はマルコ福音書と異なる原語)。
【イエス、ダビデの子よ】マルコ福音書は「ダビデの子よ、イエス」です。なお、「ナザレの人」は、マルコ福音書では「ナザレーノス」ですが(例外もあります)、ルカ福音書では、四福音書で用いられる「ナゾーライオス」になっています。
[39]~[40]「先に行く人々」はルカによる編集で、イエスの前を行く人々が、道端の彼を黙らせようとすると、彼はなおいっそう助けを呼び求め、イエスがちょうど彼の側へ来た時に「はたと足を止めて」彼を「連れてくるように」命じ、イエスに対する信仰への意志を確かめるために盲人に「質問する」のです。イエスの問いかけはマルコ福音書と同じです。
[41]~[43]ルカもマタイ同様、マルコ福音書のイエスによる禁止命令を省いています。
【主よ】マタイ福音書と同様ですが、ルカがマタイ福音書を参照したのではないでしょう。
【たちまち】マルコ福音書の「すぐ」よりもさらに強い意味で、イエスが言葉を発する「その瞬間に」の意味です。
【見えるようになれ】マタイ福音書では盲人(たち)の目に触れますが、ルカ=マルコ福音書では、「見えるようになれ」と言葉を発することで癒やしが行なわれます。
【あなたの信仰が】イエスの言葉とこれを受ける者の信仰とが一つになって癒やしが起こります。ここの言葉はマルコ福音書から来ていますが、ルカ福音書では、同じイエスの言葉が4箇所にでてきます(7章50節/8章48節/18章42節/同48節)。
【神をほめたたえる】原文は「神に栄光を帰す」ことです。神の栄光を賛美することと、癒やしの出来事を見て民衆が神を賛美するのは、ルカ福音書の特徴です。この部分はルカによる編集でしょう。
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