【注釈】
■マルコ11章
 マタイ=マルコ福音書に従って、今回からエルサレム伝道に入ります。ルカ福音書ではその前に「ムナのたとえ」が来ていますが、これは、エルサレムで語られる終末についての一連の説話に含めるほうが適切です。今回の共観福音書の並行箇所はヨハネ12章12~19節です。ヨハネ福音書では、入場前に、ベタニアでのラザロの生き返りと香油注ぎが来ます。香油注ぎはイエスの埋葬への予兆であり、ラザロの生き返りはイエスの復活への予兆ですから、どちらも受難と直結しています。ただし、ヨハネ福音書では、イエス一行がエリコからすぐにエルサレムへ入るのではなく、その手前にあるベタニアに泊まっています。おそらくこのほうが自然であり、実際の出来事に合致していると思われます。
 エルサレムは、ガリラヤ出身のイエスの伝道活動には危険な場所です(マルコ10章32節)。ベタニアはエルサレムから日帰りできる距離ですから(注釈参照)、一行はエルサレム入城以後もベタニアとエルサレムの間を行き来していたと考えられます(マルコ11章12節)。エルサレム伝道では、ガリラヤで見られた奇跡も行なわれず(11章20節以下のいちじくの木を枯らす出来事だけが例外)、イエスからの特定の個人への語りかけよりも公(おおやけ)のメッセージが主になります。
〔史実かどうか〕
 共観福音書が描くエルサレム入城は、実際の出来事ではなく、イエスのメシア性を強調するために、マルコが、当時のギリシア・ローマの王侯の凱旋を模倣して創作したという説があります〔コリンズ『マルコ福音書』515頁参照〕。しかし、イエスが神から遣わされたメシアとして「ユダヤ人の王を名乗った」とされたがために十字架されたことはまぎれもない事実です。アレクサンドロス大王がパレスチナを征服した際に、当時のユダヤの大祭司が、エルサレムの城門の外で大王を出迎え、彼を丁重に受け容れたのはよく知られていました。これらの例を持ち出すまでもなく、古代オリエントでは、王が行列を伴って巡行し、ある街へ入る際には、その街の指導者たちが街の門前で王を出迎える慣わしが古くからありました。その際に、王が先ずその街の神殿へ案内される場合があったようです。創世記49章10~11節に「ろばをつなぐ」とあるのも、ユダが将来王になることを預言するものであり、列王記上1章18節で、祭司ツァドクと預言者ナタンが、ソロモンをダビデ王のらばに乗せて行列を作って行き、彼に油を注いだとあるのもこの慣習から出ています。さらに、今回のイエスの行動を預言するものとして、特にゼカリア9章9節(先の創世記の記事と用語が共通する)が指摘されています。イエスはこの預言に基づいて、メシアとして、それもエルサレムを目指す「受難のメシア」として、その決意を明確に表明したと見ることができます。
 共観福音書が描く入城の特徴は、大祭司や長老たちなどエルサレムの指導者たちはだれも出迎えず、民衆が、それも組織化されることなく自発的にイエスを出迎えていることです。その際彼らが、反乱を予想させる武器などをいっさい所持していなかったことが幸いして、ローマ側の干渉を招くことがなかったのでしょう〔コリンズ前掲書515~16頁〕。イエスの入城に対する指導層と民衆とのこの異なる対応の仕方は、これ以後の展開において重要な意味を帯びてきます。ちなみに、古来のこの慣習はそれ以後も続けられ、1602年のイングランドで、エリザベス女王がロンドン郊外のヘァフィールドにあるダービー伯爵家を訪れた際にも、伯爵家にいたる森の小路を馬に乗った女王が近づくと、人々が仮面行列を作って女王を出迎え、伯爵夫人が館の門前で女王を出迎えるという「演出」が行なわれています。なお、エルサレム入城の日付については、「共観福音書補遺」の「受難週とエルサレム入城の日付」を参照してください。
[1]~[2]【ベタニア】ベタニアは、エルサレムから東へほぼ3キロの所にあって、オリーヴ山の東斜面にあたり、現在は「エル・アザーリエ」(El-azarie)と呼ばれています〔教文館『旧約新約聖書大事典』1046頁〕。イエスの頃は、神殿を囲む城壁の北東の角にある黄金の門を出て、曲がりくねった道を通り、ゲツセマネの園の北部を迂回してオリーブ山の北部へ出ると、ベトファゲとベタニアへ行く道に出ます。ちなみに、エリコへ通じる道は、エルサレム(と神殿)を囲む城壁の北東側にある羊の門からオリーブ山を迂回して北東方向へ伸びていましたから、ベタニアに通じる道とは別でした[フランシスコ会訳聖書「新約聖書の部」201頁の図を参照]〔創元社『聖書大百科』284頁地図をも参照〕。 現在は、神殿の丘の北東を起点とするエリコ道路(Jericho's Road)を南に降り、ユダヤ教徒の地区を通り抜けてオリーブ山の東に出て、そこからさらに曲がりくねったエリコ道路(417号線)を西へ行くと「ベタニア」地区に出ます。エルサレムの城門からベタニアまでの距離が4キロだとすれば、古代人の足で日帰りするのはそれほど難しいことではなかったでしょう。2016年現在、そこは、イスラエルとアラブ住民との紛争地域で、写真で見ると、イスラエルの兵士と困窮した住民たちが破壊された街の中にいるようです。
【ベトファゲ】地図によれば、ベトファゲは、ベタニア地区の西端から直線距離にして北へ1キロあまりの所にある村です。そこはオリーブ山の北西部に近く、神殿の丘までの実際の道のりは1キロ半ほどでしょうか。現在は、神殿の丘の北東を起点とするエリコ道路(417号線)から分かれてアル・マンシュラ通りを東へ向かい、ア・シヤッハー通りに入り、東へ向かうとベト・ファガ(Bet Faga)通りに出ます。イエスの頃、ベトファゲはエルサレムの一部と見なされていたのかもしれません〔デイヴィス『マタイ福音書』(4)115頁〕。
 ベトファゲ(未熟ないちじくの家)もベタニア(「アナニアの家」から転じて「貧しく謙虚な者の家」の意味になる)も、その名前が示すように象徴的な意義をこめて用いられているという解釈があります。だとすれば、マルコ11章12節以下のいちじくの奇跡はベトファゲで行なわれたことになるのでしょうか〔コリンズ『マルコ福音書』516~17頁〕。おそらく、これは後の教会によって加えられた象徴的な解釈でしょう。
【向こうの村】前方に見える村を指しますが、おそらくベトファゲのこと。
【子ろば】原語は「ポーロス」で、動物の子ども一般を指します。しかし、ここでは「ロバの子」のことです。古来オリエントでは、王がろばに乗っている図が描かれています。イエスはここで、特に「見よ、お前(エルサレム)の王がお前の所に来られる。その方は正しく、救いをもたらし、柔和で、ろばに乗って来られる。雌ろばの子、子ろばに乗って」(ゼカリア9章9節)とある預言を踏まえているのでしょう。「雌のろばの子」は、かつてヤコブがその息子ユダに与えた預言「彼(ユダ)はろばをぶどうの木につなぎ、雌ろばの子を善いぶどうの木につなぐ」(創世記49章11節)とあるのに通じます(マルコ11章2節でろばが「つないである」とあるのは、創世記のこの箇所を意識しているのか)。ヤコブはユダが将来王となることを預言しているので、この預言はダビデ王によって成就します。ゼカリア預言は、このヤコブ預言をも踏まえているのでしょう〔コリンズ『マルコ福音書』517~18頁〕。エリコでイエスが「ダビデの子」と呼ばれたのも、今回のイエスの入城と重なります。ただし、イエスは、世俗の「王」ではなく、神から遣わされたメシアとして「聖なる王」であることを人々に知らせようとしています。「まだだれも乗ったことのない」とあるのは、世俗の用に汚されたことがないという意味で、聖なる目的に献げられることを指します。この場合、通常その動物は生け贄として屠(ほふ)られますが、今回は再び持ち主に戻されると告げられています。なお、ここで「ろば」が出てくるのは、サウルが、いなくなったろばを探していてサムエルに出会い、油注がれて王になるという故事(サムエル記上9章)にならったものではないか?という説もあります。
[3]【主がお入り用】イエスがここで「主が」と言ったのは、自分のことを「人の子」と呼び、それゆえイエスが「安息日の主」であると告げたのと同じ意味です(マルコ2章28節)。ユダヤ教で「主が」は、神の意志によることを意味しますから、今回も、その子ろばを用いるのは、それが神の意志から出た聖なる目的のためであることを指します(したがって、後の教会が「主イエス」と呼ぶ意味とは少し異なります)。持ち主が、イエスの言葉に従ったのは、イエスの名声がすでにベトファゲにも届いていたからでしょう。ただし、ここで弟子たちが「主」と言うのは、ろばの「持ち主」のことで、彼もまたイエスの一行に加わっていて、その持ち主が、イエスのために自分の家からろばをひいてくるようにその場の者に告げていると解する説もあります。しかし、ここは、イエス自身が「神の意志によって」そのように告げていると見るべきです。
[7]【自分の服をかける】だれも乗ったことがない子ろばですから鞍がありません。弟子たちが自分の上着をその上にかけたのはこのためです。
[8]【自分の服を】貴人を出迎える人たちが、絨毯の代わりに自分の服をその前に敷くのは、古来、敬意を表するためのオリエントの慣わしです。ローマ兵たちもごく希にこれを行なったとありますが〔コリンズ前掲書519頁〕、おそらくこれはオリエントの慣習から出たのでしょう。
【葉の付いた枝を】ある人たちは衣服を敷き、ある人たちは野原から葉の多い枝を切ってきて、ちょうど寝床を作るように熱く敷いたのです。どのような枝なのか特定できませんが、原語は藁や葦のような植物を思わせます。
[9]~[10]王侯の凱旋や葬儀に際しては、人々が、王(あるいは王の棺)の前と後ろの両方に行列を作るのが慣わしでした。過越祭の巡礼で賑(にぎ)わう時期のことですから、イエスの行列は人目を引き、イエス一行の人たちの中には、ガリラヤからの人たちが多かったでしょう。
【ホサナ賛歌】9~10節のマルコ福音書の構成は以下の通りです。
 
ホサナ、
祝福あれ、来たるべき方に
主のみ名によって。
   祝福あれ、来たるべき王国に
我らの父ダビデの。
  ホサナ、いと高きところに。
 
 上の「ホサナ賛美」は詩編118篇25~26節からで、ヘブライ語原典では「ああ主よ、わたしたちにホサナを。/ああ主よ、わたしたちに繁栄を。/祝福あれ、主の名によって来たる者に。/わたしたちはあなたたちを祝福する、主の家から」です。マルコ福音書のホサナ賛美のはじめの3行までは、七十人訳(詩編117篇26節)のギリシア語そのままです。マルコ福音書のホサナ賛美の終わりの行は詩編148篇1節からで、ヘブライ語原典は「ハレルー、主を、天から。/ハレルー、主を、いと高きところから」ですが、七十人訳(148篇1節)では「賛美せよ、主を、天から。/賛美せよ、主を、いと高きところから」となっていますから、マルコ福音書のギリシア語はこれの後半部を踏まえています。
 「ホサナ賛美」と言いましたが、実は「ホサナ」はほんらい賛美の言葉ではなく、ヘブライ語「ホーシーハァ・ナー」(アラム語「ホーシァナー」)は「どうぞ、お救いを」(七十人訳)です。だから、これは祈願の言葉です。しかし、イエスの頃のユダヤ教では、過越祭、仮庵祭、神殿奉献祭などに118篇が歌われていました〔デイヴィス『マタイ福音書』〕(4)126頁)。また、巡礼が神殿の入り口へ行列を作って進む際にも典礼的に歌われるようになっていたのでしょう(118篇27~28節)。118篇26節の後半は、神殿を訪れた巡礼の行列に答えるために、祭司が神殿から行列に向かって祝福を与える言葉です〔コリンズ『マルコ福音書』519~20頁〕。「ホサナ」は、ヘブライ語(アラム語)のままで典礼的に用いられましたから、イエスの頃には、人々はこれをほんらいの祈願の意味ではなく、賛美として唱えていたのです。このため、王の訪問や凱旋の際などにも「ホサナ」が歌われましたから、マルコ福音書でも、人々はイエスを「王」として出迎えていると考えられます。マタイ福音書とルカ福音書は、この点をより明確して「ホサナ」が王の入城として歌われています。
 したがって、マルコ福音書でも、賛歌の4~5行は、イエス個人への賛美から、イエスの来訪を「ダビデ的なメシア王国」の訪れとして歌っているのが分かります。マルコ福音書の賛歌の最終行は、詩編148篇からですが、七十人訳の題名では、この詩編がハガイとゼカリアとに関連づけられています。「ダビデ王」の再来としてイスラエルを復興すること、これがエルサレムの民衆がイエスを出迎えた時の本音で、おそらくこの気持ちはガリラヤから来た民衆も、さらに言えば、弟子たちさえもそれほど変わらなかったと思われます。この入城の場面が、以後のイエスを「ユダヤ人の王」と結びつける契機になったのは間違いありません。ただし、イエス自身は、このような「ダビデ的なメシア」像をそのまま受け容れていなかったことが、マルコ12章35~37節の問答から分かります。
■マタイ福音書のエルサレム入城
 マタイ福音書の入城の語りは、21章1節でベトファゲに来て、エルサレム入城をはたしてから、17節でベタニアへ戻るところで、一つのまとまりを形成していると見ることができます。その間に挟まれている聖書からの引用に目と留めると、(A)5節で「シオンの娘」に向かってイエスの到来が告げられ、(B)9節で詩編118篇からのホサナ賛美があり、(C)13節でイエスによるイザヤ書56章からの引用が来て、(B')15節で再び118篇のホサナ賛美があり、(A')16節で再びイエスの詩編からの引用が来る、という交差法の構成になっています〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)111頁(注)2〕。
 さらに今回の入場の場面だけに目を留めると、以下のように、直前の二人の盲人の癒やし(20章29節~34節)と今回との用語の共通性が注目されます〔前掲書113頁〕。「従う」(20章29節/21章9節)。「群衆」(20章30節/21章8節)。「見よ」(20章30節/21章5節)。「二人」(20章30節/21章1節)。「座る」(20章30節/21章21章7節)。「道端に」(20章30節/21章8節)。「主」(20章30節/21章21章3節)。「叫んで言った」(20章30節/21章9節)。「ダビデの子」(20章30節/21章9節)。「すぐ/直ちに」(20章30節/21章2と3節)。これらの対応関係から見ると、マタイはイエスのエルサレム入城を「ダビデの子」の入城として描いているのが分かります。マタイは、マルコ福音書の記述に依存しながらも、マタイ21章5節を挿入し、マルコ11章4~5節を省くなど、記事全体に独自の構成を与えています。
[1]マルコ福音書と異なり、マタイ福音書の1節に「ベタニア」がでてきません(17節にでてきます)。また、マタイは、「オリーブ山沿いのベトファゲに来た」の後に<するとその時イエスは>を挿入して、以下の出来事がイエスの突然の命令であることをはっきりさせています。
[2]【子ろば】マルコ福音書では「子ろば」(ポーロス=動物の子/子ろば)だけですが、マタイ福音書では「(雌の)ろば」(オノス)と「子ろば」(ポーロス)の2頭がでてきます。マタイ福音書では、ゼカリヤ書の引用文が「ろばと、動物の子(子ろば)、荷を負う動物(ろば)の子に」というややこしい言い方になっています。七十人訳の原文を直訳すれば「荷/くびきを負う動物(ヒュポヅギオス)、すなわち若い動物の子(ポーロス)」です。「荷/くびきを負う動物」という言い方は通常ろばを指し、「動物の子」も子ろば(あるいは子馬)を意味しますから、七十人訳は、ヘブライ語の並行法に従って、同じことを言い換えています。ヘブライ語原典のほうは「そして彼は乗っている。雌ろばに、そして子ろば、(すなわち)雌ろばの子に」ですから、マタイ福音書はヘブライ語のほうに近いでしょう。マタイ福音書では「ろば」と、「動物の子(子ろば)(すなわち)荷を負う動物の子」とあって、ろばと子ろばの2頭がいたことになります。これは並行法を理解せずに、2頭のろばのことだと誤解したために生じた誤りであろうとも言われていますが〔ルツ『マタイ福音書』(3)220頁参照〕、子ろばを使用する場合は、通常親ろばから離さずに、親も一緒に連れていく習わしがあったことから(ヘブライ語原典はこのことを示唆?)、パレスチナの事情に通じていたマタイは、意図的に2頭のろばとした、あるいは実際に親子のろばがいた可能性があるという指摘もなされています〔デイヴィス『マタイ福音書』(4)120頁〕。「ろばがつながれ、その傍らに子ろばがいる」[フランシスコ会訳]〔新共同訳〕/「子をつれた驢馬」〔塚本訳〕。なおマタイ福音書には、マルコ福音書の「まだだれも乗ったことがない」が抜けています。ゼカリヤ書9章9節には、そのようなことが書かれていないからでしょうか。
 ちなみに、ユスティノス(2世紀後半)やオリゲノス(3世紀)たちは、マタイ福音書の「2頭のろば」について、雌ろばとは、ユダヤ教の律法という「くびき」を背負うユダヤ人の会堂のことを指し、「若いろばの子」のほうは、まだ飼い慣らされていない異邦人のことだと解釈しました。どちらも、キリストの「ロゴス」を乗せることによって、「この世」というエリコから、「教会」というオリーブ山に登り、そこから「天のエルサレム」へいたることができると解釈されました〔ルツ『マタイ福音書』(3)223頁〕。
[3]マルコ福音書では弟子たちが相手に「ろばを再び戻す」と約束していますが、マタイ福音書では、弟子たちの要請を聞いて、相手が「すぐ、ろばと子ろばを弟子たちに渡してくれる」となっています。
[4]聖書の預言の成就については、1章22節/4章14節/12章17節にもでてきます。しかし、マタイ福音書の1章と今回の21章では、どの預言者の言葉なのかが明記されていません。ゼカリヤ書は、第一ゼカリア書(1~8章)と第二ゼカリヤ書(9~14章)に分かれていて、黙示性の強い第二のほうは、後の作者によると考えられます。第二のほうは、メシア預言としてユダヤ教から新約聖書に受け継がれていますから、マタイは記憶によって、今回の引用をゼカリヤ書後半から比較的自由に引用しているのでしょう〔デイヴィス前掲書119頁〕。ただし、このことは、今回の聖書からの引用が、ゼカリヤ預言を信じていたイエス自身の言葉/想いにさかのぼる可能性を示唆するものです〔デイヴィス前掲書118頁〕。
[5]マルコ福音書には直接でてこない聖書の引用が、マタイ福音書にでてきます。ただし、正確に言えば引用の前半はイザヤ書62章11節「シオンの娘に言え、『見よ、お前の救いが来る』」からで、後半はゼカリヤ書9章9節「見よ、お前の王がお前の所へ来られる。柔和で、ろばに乗って来られる。雌ろばの子、子ろばに乗って」からです。しかし、ゼカリヤ書9章9節(七十人訳)の前半にも「シオンの娘」があり、「王がお前の所へ来る」とありますから、わざわざイザヤ書62章を持ち出さなくても、引用の全体がマタイの記憶から出たゼカリヤ書からの引用だと見てもいいでしょう〔デイヴィス前掲書119頁〕。むしろ、マタイ福音書では、ゼカリヤ書の「正しく、救いをもたらす」が抜けていて、「柔和」が強調されていることに注意すべきです。「柔和」は、イエスが、馬に乗った征服王ではなく、ろばに乗った「平和の王」として訪れたことを意味します。このような「ろばに乗った平和の王」も古来オリエントからの伝承です。
[6]~[7]マルコ福音書では、弟子たちと「居合わせた人たち」との問答がでてきて、イエスの命令が突然でありながら、すべての出来事がイエスが告げた通りであったことが分かります。しかし、マタイ福音書ではこの部分が省略されていますから、イエスの命令が実行されたことだけが強く印象づけられます。その代わりに(?)、マタイは、1節に「するとその時イエスは」を挿入して、イエスの命令が啓示によることを示そうとしたのでしょうか。
【それに乗った】原文は「それらに乗った」です。"and he sat on them"[NRSV]/"they laid their cloaks on them and Jesus mounted."〔REB〕イエスはろばを乗り継いだのでしょうか。ここでは、イエスが、通常の巡礼のように徒歩ではなく、「ろばに乗って入る」ことが重要なのです。大勢の徒歩の巡礼の中で、ろばに乗ったイエスの姿とその一行は、ひときわ目立つ存在だったでしょう。マタイ福音書は、ルカ=マルコ福音書に比べて、イエスが「ダビデの子」として入城する様子を強く印象づけています。
[8]~[9]マタイ福音書では、マルコ11章10節の「我らの父ダビデの来たるべき国に祝福あれ」が省かれ、代わりに9節の引用の冒頭に「ホサナ、ダビデの子に」が加えられています。マタイは、エルサレムが「ダビデの町」であることを強く意識しているのです。なお今回の箇所は、「預言者を殺す」エルサレムへ向けられるイエスの厳しい批判(マタイ23章37~39節)とも対応していると指摘されています。
【木の枝】マルコ福音書とは異なり、マタイ福音書では「木の枝」が敷かれますから、これは絨毯代わりというよりも、むしろ、王を歓迎する意味で「なつめやし(棕櫚の代わり)の枝」などを置いたのでしょう(ヨハネ12章13節を参照)。
[10]~[11]この部分はマタイによる編集です。
【どういう人】原文は「いったい誰なのか?」[フランシスコ会訳]とも訳せますが、「いったい何者なのか?」のほうが適切です。
【大騒ぎ】「動揺した」ことです。王の到来によるエルサレムの「動揺」は2章3節にもでてきます。この動揺は、ゼカリヤ書14章4~5節の預言とも結びついているのでしょう。
なお、「ガリラヤのナザレ」とあるのは、エルサレムでは軽蔑の意味合いを帯びています。これに対して「預言者イエス」のほうは、「王であり預言者でもある」とされたユダヤ教のモーセ伝承を思わせますから、マタイがここで言う「預言者」は、モーセが預言したように、終末にメシアとして訪れる預言者(申命記18章15と18節)のことを指すのでしょう。マタイ福音書のイエスは「預言者にして王である」という独特のメシア像です。
 このように、共観福音書のエルサレム入城の記事の中で、イエスがダビデの子としてユダヤの王であることを最も明確に表現しているのはマタイ福音書です。これに対して、はたしてイエスが、そのような「政治的な」演出を実際に行なったかどうか?について疑問が持たれています〔マーシャル『ルカ福音書』710頁参照〕。この疑問は、ゼカリヤ預言と今回の出来事との結びつきにかかわっていると言えます。ゼカリア預言とイエスのエルサレム訪問との結びつきが後代のキリスト教会による創出だとすれば、マタイ福音書をはじめ、共観福音書の今回の記事の信憑性が薄れます。しかし、イエスが、実際にゼカリア預言をその胸に秘めていたとすれば、イエスが、あえて「演出」とも見える行動を採ったとしてもおかしくありません。エルサレム当局による警護が、そのような行為を見逃す<はずがない>からという理由で、この出来事の史実性を疑問視する声もありますが、イエスは、王の威厳と同時に、これに劣らぬ「モーセの柔和」さが伴うという「不思議な演出」を採っているのが分かります。これは、当局の監視に触れるリスクをもあえて辞さなかったイエスの意図とこれに基づく歴史的な出来事だと見るべきでしょう〔マーシャル『ルカ福音書』711頁参照〕。何よりも、マタイ福音書をはじめ共観福音書が描くイエスのエルサレム入城は、歓呼して出迎える民衆が予想するような「ダビデ王の再来」とは異なる意味を持つことです。イエスは「イスラエルの王」ですが、それは終末的な意義を帯びたメシア的な王です。しかも、この王は、凱旋する権力者としてではなく、十字架を目指す神の僕としてエルサレムへ入城するのです〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)128~129頁〕。このことを忘れると、今回の記事もその史実性も見誤ります。
■ルカ福音書の入城記事
 ルカ福音書は、イエスのエルサレム訪問の目的について、すでに13章33~35節ではっきりと告げています。しかし、この部分はマタイ23章37~39節と並行関係にあり、文献的に見て問題の多い箇所ですから、イエスのエルサレム入城以後のこととして後で扱います。今回のルカ福音書のエルサレム入城の記述は、内容的に見るとほぼマルコ福音書に準じています。しかし、用語と文体に違いがあり、さらにルカは、マルコ福音書の記事に弟子たちの様子(37節)とファリサイ派の反応(39~40節)とを加えています。37節と39~40節は、ルカの編集ではなく、ルカの独自資料(L)からだと見ることもできます。続く41~44節もLからだと考えられますので、39~40節を続く41節以下に関連づけることもできるからです〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1243頁/1245頁〕。
[28]28節はルカによる編集句です。「このように話する」とは直前のムナのたとえを指します。
【先に立って】原語は「先に立って上京すべく歩み続ける」ですから、イエスが弟子たち一行を「引っ張って」行ったのです。「上京する/上がる」を十字架と関連づける説もありますが、うがち過ぎでしょう。
[29]【オリーブ畑】ルカは、マルコ福音書の言い方に「オリーブ<と呼ばれている>山」と書き加えています。新約ギリシア語原典はここの「オリーブ」を大文字にしていますが、これは「オリープの茂る場所/森」"the hill called Olivet"〔REB〕という意味でしょう。新共同訳はこれを「オリーブの畑」としたのです。ルカ福音書では、イエスの昇天が「ベタニアの近く」で起こりますから(ルカ24章50節)、ルカはおそらくこのオリーブの茂る場所を昇天の場として想定していたのでしょう。
[36]「(イエスが)進んでいくと」はルカの挿入です。ルカはマルコ福音書の「多くの人」を省いていますから、語法的に見れば、道に上着を敷いたのも弟子たちの一行になります〔マーシャル『ルカ福音書』714頁〕。しかし、内容から判断して、これは出迎えた人々のことでしょう。
[37]37節は用語も言い方もルカ的ですからルカによる挿入だと思われますが、続く39~40節との関係から、これをルカの独自資料からだと見ることもできます。
【下り坂】降りにさしかかった時ですから、オリーブ山の頂上に来た時に、エルサレムを目の当たりにして弟子たちの賛美が始まったのです。
【弟子たちの群れ】マタイ=マルコ福音書では主語が「大勢の人/群衆」ですが、ルカ福音書では、イエスに付き従ってきたすべての人たちを含む「弟子たち」全員が一斉に賛美を始めたのです。36節でも37節でも、ルカはとりわけイエスに従ってきた一行に焦点をあてているのが分かります。
【賛美する】ルカは、マタイ=マルコ福音書の「ホサナ」を省いていますから、その代わりに「賛美する」を用いたのです。
【奇跡】正確には、現代のわたしたちの言う意味での「奇跡」という言葉は聖書にでてきません。これにあたる言葉は「力ある業」「不思議」「しるし」などです。ここでも、「彼らがそれまで見てきた数々の(あらゆる)力ある業」のことです。弟子たち(とルカ)は、ここで、エルサレムへいたるまでにイエスが行なったすべての力ある業を想い起こしているのでしょう。
[38]ルカは、マルコ11章9~10節を「主の名によって来られる<王に>」とし、マルコ福音書の最後の「いと高きところ」だけを採って、「<天には平和>/いと高きところには栄光」と変えています。ルカが、マルコ福音書の「ホサナ」を略したのは、この語がパレスチナ以外の地では理解できないと考えたからでしょうか。また、マルコ福音書の「来たるべき父ダビデの王国」を「来たるべき王」に変えたのは、「王国/御国」の到来はまだ後のことで、ここでは「王」としてイエスが到来したことが祝われていると考えたからでしょう。ルカ福音書のこの言い方は、ヨハネ12章13節「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福あれ、イスラエルの王に」に近く、どちらもイエスを「主の名によって来る王」として賛美しています。ルカ福音書とヨハネ福音書は、ここで両方に共通する伝承から出ているのかもしれません。「天には平和」という言い方は異例です(ルカ2章14節では「地には平和」)。これを「もろもろの諸天に平和あれ」と読む異読がありますが、これだと複数の諸天から成り立つ宇宙全体が、イエスのエルサレム到来によって、地上の人と宇宙との平和が創造主(神)の働きによって達成されることになります。この異読はおそらく後から解釈によるものでしょう。38節全体は「謎めいている」〔マーシャル『ルカ福音書』315頁〕と言われますが、ルカはここで、イエスの誕生(2章13節)とイエスのエルサレム到来とイエスの昇天(24章50~53節)とを対応させているとも考えられます。
[39]【ファリサイ派】イエスとその一行の周囲に集まってきた群衆の中にいたファリサイ派の人たちがイエスに忠告(警告)したのです。ルカ福音書のファリサイ派は、必ずしもイエスに敵対するとは限りません(7章36節/11章37節/14章1節)。ここでも、弟子たちの「熱狂ぶり」を見て、メシア運動に対する当局の介入を恐れて、「先生」と呼びかけてイエスに注意をうながしたのでしょう(マタイ21章15節参照)。
[40]この答えはイエスにさかのぼると言われています〔マーシャル『ルカ福音書』716~17頁〕。「石が叫ぶ」は、ハバクク書2章11節「石でさえ石垣から叫ぶ」から出ています。ハバクク書のほうは不正を行なう者への厳しい弾劾ですが、今回は、メシアの到来を告げる喜びです。イエスは、ハバクク書を引き合いにだしているだけでなく、ファリサイ派の人たちの目の前で起こっている出来事が、歓喜に溢れ、危険をはらみ、これから何が起こるのか予想もつかない「不思議な出来事」であること、言い換えるとその出来事全体は「神が起こしている」ことを彼らに告げているのです。ファリサイ派は、いかにも人間的で合理的な判断に基づいて、それなりの好意から忠告しているのですが、彼らは、その合理性と彼らなりの解釈のゆえに、目の前で生起している出来事のほんとうの意義を洞察することができないのです。
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