166章 エルサレムのために嘆く
ルカ19章41〜44節
■ルカ19章
41エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、
42言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。
43やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
44お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」
                         【注釈】
【講話】
■イエス様の頃のパレスチナ
 今回のイエス様のエルサレムへの預言を当時のパレスチナの状況と結びつけるのは容易でありません。このことを十分わきまえた上で、あえてわたしなりの見方を語ることにします。
 ごく大まかに言えば、イエス様の頃の世界はとても平和な時代でした。西には帝政になったばかりのローマ帝国があり、ローマ帝国の東には、オリエントを支配するパルティア王国が広がり、さらにシルクロードを通って東へ向かうと、中国を200年支配してきた前漢の王朝から、これまた200年ほど支配を続けることになる後漢へ移行した時期になります。だから、世界は比較的安定していて、東西の交易も盛んだったと思われます。
 しかし、パレスチナに限ってみると事情が少し変わります。パレスチナは、ローマ帝国の最東端に当たり、ローマから見れば、パルティア王国と境を接する「辺境の地」でした。この事情は、ユダヤが皇帝直属の直轄領であったことと無縁ではありません。比較的安定した地域は元老院のメンバーたちの領地で、皇帝の直轄領は、帝国の周辺の不安定な地域に多かったからです。特にパレスチナは、パルティア王国と帝国との狭間にあって戦略的に重要な地域でした。こういう国際情勢を背景に、当時のパレスチナ内部にも目を向ける必要があります。
(1)パレスチナでは、前2世紀の半ば頃から、急激なヘレニズム化が半ば強制的に進められてきたために、これがユダヤの内部に深い亀裂生じさせていました。ギリシア化の影響はエルサレムにも及び、エルサレムの知識人たちがギリシア文学に通じるところまで行っていたのです。
(2)パレスチナの経済は、当時のローマ帝国の植民地化政策に支配されていて、土地を持つ自作農民たちが、大規模な土地所有者の独占的な政策によって土地を手放さざるをえなくなり、彼らが大地主に支配される小作農へ没落する場合が多く、この結果、貧富の差がひどくなっていました。
(3)エルサレム神殿制度を核とするユダヤの宗教制度は、サドカイ派を頂点とする大土地所有者の階層によって、宗教的にも社会的にも経済(金融)的にも最も効率的で都合のよいシステムとして機能していました。
(4)パレスチナの一般の農民たちの中から、長らく続いたヘレニズム化に反抗し、富を独占する支配層に反感を抱き、その敵意の矛先をローマの支配に向ける人たちが現われました。ガリラヤ北部の丘陵地帯は、こういう反抗的なユダヤ人の拠点になっていました。
(5)このような理由によって、イエス様の頃のパレスチナでは、ヤハウェ信仰を復興させることでローマの支配から脱け出し、かつてのダビデ王国の繁栄をユダヤに取り戻そうとする機運が生じていたのです。彼らの中から、ヤハウェ信仰を旗印に掲げ、民族主義を声高(こわだか)に唱える者たちが出てきました。ローマの周辺地域を利用して、ローマから独立し、その上パルティアの支配をも排除して、自分たちだけの国家を作ろうとする国粋主義的な妄想に取り憑かれる者たちが力を得ていたのです。
■隠された「平和への道」
 前63年にローマの支配下に入ってから70年以上を経て、長い間「ローマの平和」のもとで過ごしてきたパレスチナの過激な連中は、「自分たちだけの宗教国家」の建設を夢見るようになっていました。ダニエル書に啓示されている世界史の展開を自分たちの時代にあてはめて、「ローマの平和」に代わる「イスラエル独自の平和」の実現を目指すこの運動は、終末的な黙示思想に動かされていました。このようなユダヤ人たちは、ダビデ王国の再興を求めるメシアを待望するようになっていたのです。
 イエス様が、「ダビデの子」としてエルサレムへ迎え入れられたのは、このような状況のもとでのことです。けれども、イエス様ご自身の目に映っていたのは、「独立独自の平和」を目指すエルサレムとは全く異なる様相でした。イエス様の目には、近い将来、エルサレムが滅亡する姿が映っていたからです。他民族を排除して、自分たちだけの平和を夢見る「一国平和主義」こそが、彼らにとっての最大の危機であり、それこそが自滅へいたる道であることが、彼らの目から隠されているからです。隣国のサマリアさえも敵視するエルサレムが、「平和」を維持することなどとうていできるはずもないことに、どうして彼らは気づかないのか?自分の国の中に対立と差別を生み出しながら、外の国と平和を保とうとしても、そのような平和を誰も信用しないことに指導者たちはなぜ気がつかないのか?視野の狭い民族主義的な宗教的情熱とそこから生じる彼らの夢想状態こそが、エルサレムに「真の平和をもたらす道」を閉ざしているのです。
 かつてのユダ王国の宮廷は、ヤハウェ主義に驕り、自分の力を過信するあまり、自分の敵の真の恐ろしさを見抜くことができませんでした。こういう宮廷を批判して、イザヤやエレミヤたち預言者は繰り返し危険を警告しました。しかし、自分たちが築いた砦の数と武力に幻惑されて、「我にヤハウェの保護あり、敵対者何するものぞ」という勇ましいかけ声に幻惑されて、預言者たちの警告も空しく、エルサレムは滅亡への道を突き進んだのです。欺瞞に導かれたこういう慢心が、かつての南王国ユダを新バビロニアとの戦いに誘い込んで、エルサレムに滅亡をもたらしたことを「今の」エルサレムは忘れているのです。
 イザヤが見ていたのは、ユダ王国だけを護る神ではありませんでした。彼は、世界全体が何によって動かされているのか、その中にあって、イスラエルにはどういう使命が課せられているのか、これを悟らせてくれるのが、イザヤの「唯一の神」だったのです。自分たちだけでなく、世界の国々が、この神を仰ぎ見て、その真理を悟るような「神」、こういう神こそが、「イスラエルのヤハウェ」であり、唯一の真の神であるとイザヤは見ていたのです。
 今、エルサレムに入城しようとするイエス様も、かつてイザヤが見ていたのと同じヤハウェ神、全世界を一つにまとめて支配し「世界の諸民族を導くイスラエルの神」のご計画が見えていました。これこそ、イエス様がエルサレムへもたらそうとしている「神の国」の有り様でした。しかし、これが、今のエルサレムには隠されているのです。エルサレムを目の当たりにして、イエス様は告げます。「もしもこの日に、お前に真の平和をもたらす道をお前が悟っていたら、どんなによかったことか!」と。
■預言か事後預言か
 今回の記事は、紀元後70年に起こったエルサレム陥落の際の出来事とあまりに似ているので、ルカは、すでに起こったエルサレム滅亡の出来事をば、あたかもイエス様が前もって預言したかのようにみせかけるために、この記事をねつ造した(これを「事後預言」と言います)。こういう説が、20世紀の文献批評の盛んな頃に提示されました。
 これに対して、イエス様の預言は、捕囚期以前に起こったかつてのエルサレム陥落の出来事を踏まえているという反論がなされました。イザヤなど旧約の預言者たちは、捕囚の際に起こったエルサレム滅亡の悲惨な出来事を決して忘れることなく、これをイスラエルへの罪に対する「神の罰」の出来事として語り伝えたのです。イエス様も預言者たちと同じく、エルサレムへ向けて、<預言者たちが語った言葉を重ねながら>預言するのです。
 イエス様のこの預言が40年後に現実となり、エルサレム陥落の出来事が再び生じました。ルカがこの出来事を受けて、今回のイエス様のエルサレムへの預言を語っているのは間違いありません。では、ルカの伝えるイエス様の言葉が、ルカ自身も知っている20年ほど前のエルサレム陥落の出来事に酷似しているのはこのためなのでしょうか?
 ここで大事なのは、聖書の預言者たちは「出来事」を語っていることです。しかもその出来事は、ただの出来事ではなくて「神のお計らいで生起した」出来事であること、「このこと」を伝えるために預言者たちは「語っている」のです。出来事は、それ自体でどのようにでも解釈し、それなりの解釈に基づいて「語る」ことができます。しかし、それが「神による出来事」であること、「このこと」を伝える語り方は、誰もができることではありません。預言者に限らず、旧約聖書の記者たちは、イスラエルの出来事を「神によって生じた」出来事として語り伝えてきました。創世記から列王記上までの厖大な資料を基に、これをイスラエルの神「ヤハウェのみ業」として語り伝えたヤハウィストという歴史家がいます。ヤハウィストのほかに、エロヒスト、祭司資料編集者たち、申命記史家(たち)、預言者たちがいます。彼らは「神による出来事」を伝える「語り方」を熟知する人たちです。イエス様もイスラエルのこの「語りの伝統」を受け継いでいます。イエス様以後の新約聖書のユダヤ人キリスト教徒たち、パウロも四福音書の記者たちも受け継いで、この「語りの手法」を身につけている人たちです。
 だから、今回、イエス様の「語る」預言をルカが「語る」場合にも、 イスラエルの語りの「この」伝統的な手法を受け継いでいます。捕囚期以前に起こったかつての出来事が預言者によって「語られ」、これを受け継ぐイエス様が、その出来事を踏まえて、エルサレムへの預言を「語り」、その預言を、今度はルカが、自分の知っている70年のエルサレム陥落の出来事を踏まえながら「語る」のです。それらは「語られた」出来事です。わたしたちは、捕囚期の出来事と、預言者の語りと、イエス様の預言と、紀元後のエルサレム陥落の出来事と、ルカの語りと、これら五つがあまりにも類似しているのを見て驚きます。 ローマ兵が土塁を築いてエルサレムを包囲攻撃したのは、史実です。その史実が、600年前の史実と驚くほど類似している。これが、神による出来事の特徴であり、「その類似性」をも伝える「語り方」がルカの手法なのです。言うまでもないことですが、紀元前の出来事と紀元後の出来事は、場所も違えば人も違い、起こった事情も違います。ところが、それが神によって生じた出来事として見る時に、あまりにも類似してくるのです。
■神の出来事を語る
 現在世界中で神による癒やしの集会が行なわれています。わたしの体験を踏まえて言うなら、神癒を語る説教者は、例えばマルコ2章の中風の人の癒やしの物語を用いて語ります。これを聴いて信じた足の不自由な人が、祈るとその場で歩けるようになった。彼は松葉杖を棄てて壇上に上がり、自分の身に起こったことを証しするよう求められます。いったい彼は、どのような「語り方」をすればよいのでしょうか?「神が」自分の足の痛みを治してくださった。このことを「語る」のは、病院で治療を受けて治ったことを語る、あるいは針灸で治ったことを語る場合とは全く異なります。彼は、今自分に起こった「出来事」を説明したり語ったりする「語りの手法」を持ち合わせていないからです。だから彼は、自分が聴いた聖書の物語を通じて語る、「それ以外に」自分の身に起こった神の出来事を語る手段がないのです。彼に起こったのは紛れもない事実です。しかし彼は、その事実を「聖書の物語を通じて」語るのです。聖書は、「神の出来事」を語るための語りの手法を与えてくれるからです。
 本人が生きていて語る場合は、まだいいでしょう。しかし、彼がいなくなって、彼が語った記録だけが残された場合に、これを読んだ後世の文献批評家は、その記録をどう判断するでしょうか?彼は、おそらくこう言わないでしょうか?「この語り方は、マルコ福音書の語り方とそっくりだ。」そして彼は、こう判断しないでしょうか? 祈りで足が治るなどということは起こる「はずがない」。したがって、彼は、新約聖書を信じるあまり、ありもしないことを、さも実際起こったかのように語っているに「違いない」。こう判断しないでしょうか? 「はずがない」と「違いない」、このふたつの「ない」が、文献批評が聖書の語る出来事を判断する際の常套手段です。
 紀元前6世紀の捕囚の時に生じたエルサレムの滅亡がなければ、以後のイザヤをはじめ預言者たちが、この出来事を語ることがなかったでしょう。預言者たちの語りがなかったならば、今回のイエス様の預言のような語り方もなかったでしょう。イエス様の語りと後70年のエルサレム滅亡の出来事なしには、今回のようなルカ福音書の語りは生じなかったでしょう。そして、わたしたちが今行なっているルカ福音書の語りを聴くこともなかったでしょう。これら七つの出来事と語りの連鎖をわたしたちはどのようにとらえるべきでしょうか? ルカの語りは、イエス様の語りを受け継いでいますが、そこには70年のエルサレム陥落の出来事も反映しています。ところが、かつての預言者たちの語りとルカの語りが驚くほど似ているのです。「土塁を築いた」とありますが、600年を隔てた二つの土塁が、細部にいたるまで全く同じである「はずがない」。これは正しい判断です。しかし、この判断は、ルカ福音書の記事を判断する際に必ずしも適切ではありません。なぜなら、この判断は「間違いではないけれども、違う」からです。何が「違う」のか?「神が生起させる」出来事は、驚くほど類似していること。ルカ福音書は、「このこと」を語っているからです。土塁の細部に目を奪われると、「神の出来事」を見誤るおそれがあるからです。文献批評とルカ福音書とは、出来事の「見方」とこれの「語り方」が「違う」のです。出来事を「神の出来事」として見るのか見ないのか、出来事をそういうものとして語るのか、語らないのか。ここが違うのです。
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