【注釈】
■マルコ福音書の宮浄め
 マルコ11章12節から26節までの構成を見ると、宮浄めの出来事(15~19節)が、「不毛のいちじくの木」の出来事(12~14節/20~26節)の間に挟み込まれています。このように、ある出来事を別の出来事で挟み込む「サンドイッチ方式」は、マルコ福音書に見られる独特の手法です(例えば、マルコ3章22~30節の悪霊についての記事が同3章20~35節のイエスの家族の記事で挟み込まれている)。こうすることで、二つの出来事を関連づけるだけでなく、挟まれた出来事に、単独では見えない意味を与えるためです。今回の出来事も「不毛の神殿」が「不毛のいちじくの木」と組み合わされることで、イエスの宮浄めの真意を明確に浮かび上がらせています〔フランス『マルコ福音書』436頁〕。マタイ福音書の場合にも見るように、いちじくの木と神殿浄化の出来事とは、マルコ以前の段階ですでに関連づけられて受難物語に組み込まれていたと考えられます〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)134頁〕。
 宮浄めの記事は、12節で動詞が複数で始まり単数に変わることで、イエス一人だけに焦点があてられます。これは、先のエルサレム入城が弟子たちを伴う群衆の参与で生じたのと際立って対照的です。「メシア王」として入城したイエスは、ここで預言者的な「裁きのメシア」として、一人で当時の神殿制度に挑戦するのです。しかも、マルコ福音書では、イエスの「浄化」は、両替人などの商売人だけでなく、犠牲を買い求める一般の人々をも巻き込んで、神殿制度そのものへの根本的な批判につながるのです。イスラエルは、かつて、エルサレム神殿において偶像礼拝を強制したアンティオコス4世からマカバイ戦争によって神殿を奪い返し(前164年)、「宮浄めの奉献祭」を行ないました。しかし、今ここで新たにイエスによる「宮浄め」を受けなければならないのです。この出来事は、エルサレムの指導層への決定的な挑戦となり、続く27節以下で、当局の厳しい批判がイエスの権威に向けられることになります。
 今回の出来事は、マルコ13章1節以下の神殿崩壊の預言へ結びついています。このことは、マルコ福音書が、ちょうどエルサレム陥落(70年)の前後に書かれたと推定されるだけに注目されます。今回を含めて一連のイエスの厳しい神殿批判とこれの崩壊の預言は、これが現実の出来事となった70年以降に、エルサレム神殿の喪失を深く嘆くユダヤ教徒と、神殿の崩壊を終末的な神の裁きだと見なすキリスト教徒の間に厳しい対立を生む一因ともなりました。
〔イエスによる神殿浄化の意義について〕
 イエスによる神殿の出来事については、次の四つの場合を考える必要があります。
(1)神殿の浄化:これは聖職の売買、両替の収入、犠牲制度の形骸化など、エルサレム神殿体制の腐敗と堕落を清める/浄化することを目指すものです。この場合、神殿それ自体は現在の状態を維持し続けることを意味します。したがって、もしもこの神殿が失われたら復元が求められます。
(2)神殿の霊的内面化:これは神殿礼拝の建物とこれに属する制度よりも、礼拝する人間の内面性を重んじて、神殿礼拝を霊的にとらえることで、礼拝がこれを行なう者の心に内面化されることを目指すものです。この場合、神殿とそこで行なわれる祭儀は新たに霊的な意義を与えられますから、建物もこれに基づく祭儀も改革はされますが廃止されることはありません。クムラン宗団が祈り求めていたのがこの種の神殿です。これはヘロデが目指した神殿の「復元」ではなく、神殿の霊的な新生につながるものです。
(3)神殿の終末化:地上の神殿に対応する天上の神殿を指します。これは天から降って終末に実現する神殿のことですから、地上の神殿は消えてなくなります。ヨハネ黙示録21章~22章5節の新しいエルサレムの「神殿」がこれに当たります。
(4)神殿の破壊/崩壊:神殿とそこで礼拝されている神を完全に否定し神殿制度を廃止することです。北王国のゲリジム神殿と南王国のエルサレム神殿が、それぞれアッシリアと新バビロニアによって破壊された場合がこれです。また、アンティオコス4世によるエルサレム神殿制度の廃止と異教化もこれに属し、後に行なわれるローマによるエルサレム神殿の破壊もこれに属します。
 イエスに先立つクムラン宗団は、当時のエルサレムの神殿制度に反対して、(2)を実践しつつ(3)の到来を待ち臨んでいました。共観福音書でイエスが行なったのは(1)の場合を含むと思われますが、「祈りの家」として(2)を意図していたと考えられます。しかし、イエスはすでに(4)を予測していますから、イエスが具体的にどのような「神殿」の有り様を思い描いていたのか、確かなことは分かりません。
■注釈
[11]11節はエルサレム入城の記事の結びとして置かれています。ローマ帝国の代官(例えばピラト)が着任して、初めてエルサレムを訪れる時には、市の指導者は威儀を正して彼を出迎え、歓迎の宴が催されました。その際、代官が神殿を訪れることも行なわれたと思われます。イエスが神殿を「視察した」(「辺りの様子を見る」の意味)とあるのは、当時のこのような慣例をマルコもその読者たちも知っていたことを思わせます。
 しかし、この11節は、これに先立つ華々しい入城の出来事の結びとしてふさわしくないと言われています。それは、11節の神殿訪問が、その翌日の神殿浄め(15節以下)の前置きとなっているだけでなく、前日の神殿の視察が翌日のいちじくの木へ呪い(12節以下)へ続くからです。大勢に出迎えられて歓迎されるべき「メシア王」が、実は神殿制度を厳しく批判する孤独な「預言者メシア」であることが、この11節に示唆されているのです〔コリンズ『マルコ福音書』520~21頁〕。11節が「入城の華々しさにそぐわない」と言われるのは、この理由からですが、マルコは、このことを承知の上で、あえてエルサレム入城に「そぐわない」結び方で11節を終えています。このような理由から、今回の神殿浄めの出来事の前置きとして、あえて11節を一緒に扱うことにしました〔『四福音書対観表』237頁参照〕。
[15]【それから】イエスの一行は、エルサレム入城の後で神殿を見回り、その日の夕方ベタニアへ戻ります。この日、イエスは、神殿の現状を目の当たりにして、神殿の有り様に強い憤りを覚えたと推測されます。その翌日、ベタニアから、おそらくベトファゲ(この名前は「未熟ないちじく」に由来する?)を経由してエルサレムへ上がる途中で、「いちじくの木」への呪いが行なわれたのでしょう。ベト・ファゲは、オリーブ山の北西の山麓近くにあるので、そこから神殿までは1キロ半ほどです。
【神殿】ヘロデ大王は、捕囚期以後の第二神殿が、ペルシア帝国の意向に沿ったために、ソロモンの神殿よりも低く慎ましい姿であることを取り上げ、大王の生涯の大事業として、これを壮大な神殿に造りかえる計画を立てました(前20/19年)〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』15巻11章1節〕。この神殿は大王の時代にはまだ完成せず、紀元64年頃にようやく最終的に完成しました〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』20巻9章219〕。しかし、この神殿はローマ軍によって70年に完全に破壊されます。
 イエスの頃、エルサレムの神殿はまだ完成していませんでしたが、それでも神殿の城壁には、「ヘロデ石」と称される巨大な石が、ほとんど隙間なくみごとな直線をなして組み立てられいました。神殿の内部もほとんど完成した状態でした。この神殿は、イスラエルの宗教の本殿として、イスラエルの民のアイデンティティーを象徴する存在だったのです。
 エルサレム神殿は、民の神殿税によって支えられていましたから、神殿制度は、当時のユダヤの財政の中核となる機能を担っていました。このため、貧しい者を搾取する制度の象徴として敵視され批判を受けることになります。イエスもそのような搾取に抗議して宮浄めを行なったという見方があります。しかし、「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれる」とあることから判断すると、イエスの行為は、神殿の単なる「商業化による搾取」への批判だけでなく、「祈りの家」であるべき神殿が、「すべての民」に開かれるべきことを求めるものです。そこには、終末において天から降る「霊的な神殿」を志向するイエスの信仰を読み取ることもできます(終末にメシアが神殿を訪れる預言はマラキ書3章1節を参照)。だからイエスは、エルサレム神殿の有り様に対して、より根源的な(それゆえに「過激」とも見える)変革を迫るもので、マルコの記述の意図もこの点に置かれています。したがって、イエスの今回の行為は、11章27節以下の「イエスの権威」への問いかけにつながります。これが、最終的に「聖所と至聖所との間の垂れ幕が真っ二つに裂ける」(マルコ15章35節)ことでイエスの業が完了することになります〔フランス『マルコ福音書』437頁〕。イスラエルの神殿の歴史とイエスの頃の神殿での犠牲の献げ方について、詳しくは共観福音書補遺の「イスラエルの神殿とイエス」を参照してください。
【両替人】イエスの頃のパレスチナでは、商業用にはギリシアとローマの貨幣(銅貨と銀貨)が用いられていましたが、神殿税など神殿にかかわる場合は、シェケル銀貨が用いられました。銀貨の鋳造は、前100年頃から、当時、ギリシア系のセレウコス朝の支配下にあったフェニキアのティルスで行なわれました。ヘロデ大王に始まるハスモン朝のユダヤでも貨幣の鋳造が行なわれましたが、これは青銅の貨幣に限られていたようです。したがって、イエスの頃には、ヘロデ王の支配下にあったガリラヤのティベリアスで青銅の貨幣が鋳造されました。しかし、銀貨は鋳造されず、シェケル銀貨の鋳造は、パレスチナと境を接するティルスで行なわれていたのでしょう。ティルスは、当時パレスチナとヘレニズム世界を結ぶ貿易の要地でしたから、そこでヘレニズム世界の各地の貨幣と両替するシェケル銀貨の貨幣価値が決められていたからでしょうか。紋様はよく分かりませんが、ザクロやシュロの葉(実際はナツメヤシのこと)などが刻まれていたのかもしれません。エルサレムで1シェケル銀貨が鋳造されたのは、第1次ユダヤ戦争(後66~70年)の頃で、片面には杯が、もう片面にはざくろの実などの紋様が刻まれていました。半シェケル銀貨には、祝祭の花束や椰子の木などが刻まれています〔教文館『旧約新約聖書大事典』311頁図〕。
 イエスの頃のギリシアやローマの貨幣には、皇帝の顔や異教にかかわりのある紋様などが刻まれていましたから、神殿でこれを用いることが許されませんでした。したがって、ヘレニズム世界の各地から巡礼に訪れたユダヤ人たちは、神殿でティルス銀貨に両替しなければならなかったのです。シェケルの価値は、その時代によって変化しますから特定することができませんが、ほんらい1シェケル=銀5・6グラムでした(「シェケル」とはほんらい貨幣でなく銀の「重さ」を表わす)。1シェケル銀貨=4ドラクマ・ギリシア銀貨=4デナリ・ローマ銀貨が一応の相場でしょうか。ちなみに、神殿税は一人あたり年額半シェケルでした(イエスの頃の貨幣について、詳しくは共観福音書補遺の「税と貨幣」を参照してください)。なお、神殿内で両替をしていたのなら、彼らは祭司かレビ人たちでしょう。後の記録によれば、過越祭での両替はアダルの月の25日から始まるとありますから、過越祭の3週間前から両替が行なわれたことになります〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)138頁〕。
【追い出す】イエスの頃の大祭司カイアファは、犠牲の動物の取引を神殿の境内の外(オリーブ山)から境内に移したことで批判を招きました(30年)。イエスもここで、売り買いする人たちを神殿の外へ追い出しているという解釈があります〔コリンズ『マルコ福音書』529~30頁〕。ゼカリヤ書14章21節には、かつてエルサレムを攻めた諸国に主(ヤハウェ)の裁きが下ることを預言し、「その日には、万軍のヤハウェの家に商いする者はもはや存在しない」とあります。「商いする者」の原語は「カナン人」ですが、七十人訳の別のアキラ版では「カナン人」ではなく「商人」となっています。イエスもここで、ゼカリヤ書の預言を踏まえて行動しているという説があります〔コリンズ前掲書〕。しかし、ここでのイエスの行動は、むしろ七十人訳のホセア書9章15節の「わたし(主)の家から彼ら(邪悪な者たち)を追い出す」のほうがより適切だと思われます〔フランス『マルコ福音書』444頁(注)56〕。ホセア書9章15~17節で、ホセアはヤハウェに不従順な偶像礼拝の地ギルガルを憎み、これに荷担する者たちを「わたしの家から追い出す」と預言しています。また、「反逆の指導者たち」を非難し、「エフライム(北王国イスラエル)は撃たれて、その根が枯れて、もはや実を結ばない」とあり、その上「彼らは諸国をさまよう者となる」とも言われています。
【鳩を売る者】マタイ=マルコ福音書には、両替人のほかに「追い出された」具体的な例はこれだけしか語られていません。小鳩は犠牲の中でもとりわけ「貧しい者」が献げるためのものでした(レビ記5章7節)。牛や山羊や羊などの犠牲の動物は、本殿の北側の境内につながれていたのか、それとも南側の境内にもいたのか、実際にどのような手順で犠牲の動物とこれの売り買いが行なわれていたのかが、よく分かっていません。鳩は場所をとらないので、本殿の南側の境内で売られていたのでしょう。
[16]【境内を通って】「物を運ぶ」とある「物」の原語は「容器/道具」など広い意味です。おそらくここでは、神殿で使用される祭儀用の「聖なる」器(うつわ)や道具のことではなく、世俗の用のための容器や道具などを運ぶのに、近道をして神殿の境内を「通り抜ける」行為を指しているのでしょう。「近道をするために器物を持って宮の庭を通り抜ける」〔塚本訳〕。イエスはこれを固く禁じたのです。イエスにとって、神殿は、それほど「聖なる」場であり、それゆえに世俗の用事で汚されてはならない「浄い」場所だったのです〔コリンズ『マルコ福音書』530頁〕。
[17]【祈りの家】「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべき」は第三イザヤの預言の最初の章からです(イザヤ書56章7節)。ただし、「すべての民にとって」はマルコ福音書だけです。イザヤ書の56章1~8節は、たとえイスラエル民族に属さない「他国の者」でも、公正を守り正義を行ない、安息日を守る正しい人であれば、主は、神殿の祭壇において彼らが献げる犠牲の捧げ物を受け容れてくださるとあります。ここでは神殿に献げる犠牲(とその香り)が祈りとひとつになっています。イエスの頃の離散のユダヤ人は、朝と夕べの祈りを欠かさなかったと言われています。これは、エルサレム神殿で犠牲を献げて祈る時に合わせたもので、今回の「祈り」も神殿での犠牲と結びついていると見るべきです〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)139頁〕。マルコ福音書の引用には「犠牲」がでてこないから、「祈り」だけが重視されているという解釈があります〔コリンズ『マルコ福音書』531頁〕。しかし、聖書に限らず引用とは、これがほんらいの文脈で帯びる意義を担ってどこまでも失わない特徴があります。ここのブライ語の原語「トゥヒラー」(祈り/執り成し/賛美/詩編)にも犠牲を伴う「執り成し」の意味が含まれますから、イエスが、とりわけ神殿の境内で語ったこの引用には、イザヤ書ほんらいの意味がこめられていると見るべきです。ただし、マルコが引用に「すべて民のための」を含めたのは、イエス以後のキリスト教会で「今や、救いがすべての民に無条件で開かれている」ことを言おうとしているのかもしれません。なお、イエスがこれを語った場所が神殿の「異邦人の庭」であることから、せっかく諸国から訪れた異邦人が、主の神殿の境内で祈ろうとしても、大勢の人々が通り過ぎる雑踏(ざっとう)の中では祈ることもできない状態を嘆いて「境内を通り抜けることを許さなかった」という解釈もあります。ただし、マルコ福音書に「異邦人の庭」とはありませんから、確かでありません〔フランス『マルコ福音書』445頁〕。
【強盗の巣】後半の引用はエレミヤ書7章11節からです。エレミヤ書7章1~11節は、特に「主の神殿」に詣でる南王国ユダの人に宛てられています。彼らは、「主の神殿は何時までも安泰である」という「無益な偽りの言葉」に信頼して、「盗み、殺し、姦淫し、偽って誓う」ことでモーセの十戒を破り、かつバアルに捧げ物を献げて偶像礼拝を行ないながら、「我々は(主によって)救われた」と言うのです。「わたし(主)の名によって呼ばれるこの神殿」は、お前たちの目からも主の目から見ても、まるで「強盗の洞窟」ではないか!というのがエレミヤの預言です。ここには、エルサレムの神殿が、遠からず滅亡するという預言が含まれています。イエスによる引用も、エレミヤ同様に、「強盗の洞窟」という比喩で神殿の滅亡を預言しているのでしょう。ただし、マルコがこの預言を記述している60~70年頃には、シカリ派と呼ばれる武装した過激なテロリストたちが神殿内で横暴を働いたりすることがあったようです。「強盗」とは、こういうテロリストを指す用語でもあったのです。あるいは、大祭司の僕(奴隷)が、神殿税から祭司が受け取る十分の一税を脅して奪ったために餓死する祭司が出たという記録があります〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』10巻9章〕〔コリンズ前掲書〕。マルコの頃の神殿は文字通り「強盗の洞窟」と化していたことになりますが、はたしてマルコがこの引用にそこまでの意図をこめているのか、確かでありません。
[18]【祭司長たちや律法学者たち】すでに最初の受難予告において「長老と祭司長と律法学者(いずれも複数)」が名指しされています(8章31節)。第二の受難予告では「祭司長たちと律法学者たち」とあり(10章33節)、この二組が今回もくり返されます。11章27節では再び「長老」が加わり、この3組が14章43節と同53節と15章1節でもくり返されています。これでみると、共通する「祭司長たちと律法学者たち」の二組の人たちが、主としてイエスを敵視していたのが分かります。17節で「あなたたち」と言われているのがこの階層の人たちです(12章12節で「イエスが<自分たち>を指している」とあるのも同様)。祭司長クラスは大祭司を頂点とする神殿制度の運営の責任者で、彼らの下で実際に制度を運用している「官僚たち」が律法学者たちでしょう〔コリンズ『マルコ福音書』532頁(注)83〕。今回の出来事に前後する「不毛ないちじく木」は、エルサレムのこの指導層を象徴すると考えられます。
 イエスを敵視するグループについて言えば、全体の傾向として、マルコ福音書では「祭司長と律法学者」の組み合わせが多く、「ファリサイ派」は単独で現われる場合が多いようです(特に2章と8章)。これに対してマタイ福音書では、「ファリサイ派」が単独ででてくる場合もありますが(9章11節/同34節/特に12章)、ファリサイ派と、「律法学者」(マタイ5章20節)やサドカイ派との組み合わせもあります(特に16章/22章34節)。特にマタイ23章では「ファリサイ派と律法学者」がイエスの弾劾の対象になります。ルカ福音書でも「ファリサイ派」単独の場合が多く(特に11章)、これに「律法学者」が加わる場合が多いようです。四福音書全体を通じて、イエスを敵視する勢力として、大祭司を頂点とする祭司長たち、律法学者たち、サドカイ派、ファリサイ派などがでてきます。神殿制度を支えているのは、大祭司を頂点とする祭司長たちで、この勢力が大土地所有者のサドカイ派とほぼ重なると見ることができましょう。律法学者たちはその下位にいて神殿制度を運用する官僚的な役割を担っていたのです。したがって、「祭司長と律法学者」のグループと「ファリサイ派」とは、イエスを敵視する点で共通するところがあるものの、この二つは区別して考える必要があります(使徒言行録23章6節を参照)。
【群衆】イエスを歓迎した先の人たちよりも、ここでは主としてエルサレムの住民たちのほうを指しているのでしょう〔フランス『マルコ福音書』447頁〕。この段階でエルサレムは、イエスを敵視する指導層と「民衆」とがはっきり区別されていることに注意してください〔フランス前掲書〕。民衆は、イエスの「教えに心打たれていた」とありますが、この場合の「教え」とは、イエスの振るまい/行動をも含むその「言動」全体のことです。
[19]【出ていった】この動詞は不定過去形ですから、1度限りのことでなく、くり返されていたことを表わします。イエスの一行は、エルサレムとベタニアの間を往復していたのでしょう。
■マタイ21章の神殿浄め
 マタイ福音書の神殿浄めの記事は、前半(12~13節)がマルコ福音書に依存しています。しかし、マルコ福音書とマタイ福音書には、次のような違いがあります。
(1)エルサレムへの入城と神殿の浄化が同じ日に行なわれます。
(2)神殿の出来事といちじくの木への呪いが、区別されて続く構成になっています。
(3)イエスの引用から「すべての民のために」が省かれています。マタイはおそらく、エルサレム神殿がすでに喪失したことを考慮して、この句を省いたのでしょう。
(4)後半部で、マルコ11章18~19節とマタイ21章14~17節とが全く異なります。
[14]レビ記21章16~23節には「からだに欠陥のある者」は、祭壇にも聖所にも近づいてはならないとあります。また、ダビデがエブス人の町(後のダビデの町=エルサレム)を占拠する際に、エブス人から「目の見えない者と足の不自由な者」でもお前を追い払うことができると侮辱された事が原因となって、後のエルサレム神殿には、このふた種類の人たちが近づくことを許されなかったという経緯があります(サムエル記下5章6~8節)。マタイ福音書に、このふた種類の人がイエスによって癒やされたとあるのは(マタイ11章5節/15章31節)、この故事を意識したものでしょう。特に今回は、このふた種類の人たちが、「神殿内にいるイエス」に近寄ってきて癒やされたとあって、イエスによって新しい時代が始まったことを告げています。
[15]~[16]【不思議な業】モーセは、主が遣わされた預言者の中でも比類がなく、主は、全イスラエルの前で、彼の手を通じて「大いなる不思議」を行なったとあります(七十人訳申命記34章12節)。今回の「イエスが行なった不思議な業」は、かつての出エジプトの際に、「主が、モーセの手を通じて行なった不思議な業」を反映していると思われます〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)141頁〕。なお、マタイ福音書の「ダビデの子」については、175章の「エルサレム入城」の注釈「マタイ福音書」の項を参照してください。
【賛美を歌わせた】詩編8篇2~3節に「幼子や乳飲み子の口に賛美を与える」ことによって「逆らう者への砦として、敵を黙らせた/鎮圧した」とあります〔新共同訳〕[フランシスコ会訳]〔NRSV〕。ただし、ヘブライ語の原典では、「幼子や乳飲み子の口に」を2節の「砦となり敵を黙らせる」に続ける代わりに、直前の1節に続けることで「(幼子たちが)天における主の威光(栄光)をたたえる」という読みもあります〔REB〕。どちらにせよ、マタイ福音書のここでの引用は、詩編8篇2~3節をまとめて引用しているのでしょう。詩編8篇は、すでにユダヤ教において、終末のメシアの到来を預言する篇として解釈されていました。この解釈が新約聖書にも受け継がれています(8篇7節→第一コリント15章27節とエフェソ1章22節/8篇5~6節→ヘブライ2章6~7節)〔デイヴィス前掲書142頁(注)57〕。なお「幼子と乳飲み子」については、知恵の書10章21節とマタイ19章13~15節を参照。
[17]【彼らと別れ】この節はマルコ11章18~19節を踏まえたマタイの編集です。「彼ら」とはマルコ11章18節の「祭司長と律法学者たち」のことで、イエスに対して殺意を抱く人たちです。だから、マタイは、彼らから「訣別して」とマルコ福音書にはない一言を入れています。
■ルカ福音書の神殿浄め
 ルカもマルコ福音書の記事を踏まえていますが、ルカはマタイとは逆に、マルコ福音書の記事を大幅に縮めています。このために、マタイ=マルコ福音書にある「(境内で)買う者たち」が抜けていて、イエスは「売る者たちを追い出した」とあるだけで、それ以外の行為はすべて省かれています。ただし、聖書の引用は共観福音書全体で共通しています。ところで、ルカの神殿浄めは、ヨハネ福音書のそれときわめて対称的です。ヨハネ福音書では、神殿浄めがイエスの伝道開始の始めに置かれていますが、共観福音書ではエルサレム入城直後です。ヨハネ福音書のほうを支持する説もありますが〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1265頁〕、共観福音書のほうが史的に正しいという見解が一般的です。ヨハネ福音書では、神殿浄めが「イエスのからだ」と比喩的に関連づけられていて、地上の神殿の崩壊と新たに霊的な「イエスのからだ」という神殿が復興することが示唆されています。しかし、ルカ福音書では、神殿が「祈りの家」であることが「強盗の巣」と対照されていて、イエスは、境内から「売る者たち」を追い出すことで、再び神殿が浄められ、そこがイエスの教えの場となるのです(ルカ19章47節参照)。ルカ福音書もヨハネ福音書も、すでに神殿が喪失した後で、ほぼ同じ頃(?)に書かれていますから、両者の違いは注目に値します。
[45]~[46]ルカはマルコ福音書にあるイエスの激しい行為をいっさい省き、引用にある「すべての民のための」も省いています。ルカは、神殿がすでに喪失した今となっては、これらの記述は不要だと判断したのでしょう。
[47]~[48]【毎日】この語はルカ福音書だけです。イエスはその後も神殿で教え続けていたのです。
【民の指導者たち】この句は節の最後に付け加えられています。最高法院の他のメンバーたちを指すのでしょうか〔マーシャル『ルカ福音書』722頁〕。彼らが明白にイエスへ「殺意を抱く」のは、ルカ福音書ではこれが初めてです。ルカ福音書では、彼らが「民を恐れていた」ことが省かれていますが、ルカは、民の指導層と民衆とを対立関係で見ているのでしょうか。
【民衆】48節はマルコ11章18節と並行します。マルコ福音書の「群衆」(原語「ホクロス」)がルカ福音書では「民衆」(原語「ラオス」)へ変わっているのは、この民衆がイスラエルの「神の民」であることを意識したからでしょうか。この段階では、エルサレムの住民はイエスに好意的です。ルカ福音書は、最後までユダヤの民衆と指導者たちとを区別しているという印象を受けます(ルカ23章48節を参照)。

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