【注釈】
■マルコ福音書の「権威問答」
 マルコ11章20節から12章の終わりまでは、信仰による祈りの力、イエスの権威問答、悪い小作人の喩え、納税問答、死者の復活問答、最も重要な戒め、メシアとダビデの子、律法学者の偽善、やもめの献金など、イエスの教えや問答や喩えや戒めなどが続いていて、13章から終末への預言に入ります。この構成は、マルコ福音書に基づくものでしょうが、ほぼ共観福音書に共通しています。ただし、マタイ福音書では、権威問答に続いて「二人の息子の喩え」が挿入されていますから、多少の違いがあります。そこで、マルコ福音書の構成から、イエスの神殿浄め以後の成り行きを概観してみます〔フランス『マルコ福音書』451~52頁〕。
(1)まず、時間の指定が11章7節から14章1節の過越祭まで出てこないことです。したがって読者は、イエスがその間ずーっと神殿で教えていたという印象を受けます。これはマルコによる「語りの手法」で、問答を含むこの間の様々な出来事は、実際は、一行が除酵祭までエルサレムとベタニアの間を往復していた期間の出来事であったことを示唆します。
(2)次に注意したいのは、マルコ11章15節から12章44節までに、祭司長たちや律法学者たちや長老たち(11章27節)、ファリサイ派の人たちやヘロデ党の人たち(12章13節)、サドカイ派の人たち(12章18節)など、エルサレムの指導層のほとんどすべてが登場して、イエスとの間で、納税や復活や律法などをめぐって論争を展開していることです。これらの論争を通じて、イエスは自分のメシア性を証ししていますが、同時にその証しは、必ずしも明白な宣言ではなく、喩えや相手への問いかけを用いた間接的な表現に留まっています。
(3)イエスと指導層との論争の背後には、常に「群衆」の存在が示唆されています(11章18節/同32節/12章12節)。イエスは、指導層だけでなく、一般の人々にも語り教えたのです(12章28~34節/同37節/同41~44節)。
(4)指導層との論争の行き着くところで、イエスによるエルサレム神殿崩壊が預言されます(13章1節)。この預言に続いて、弟子たちへの迫害と終末の苦難とキリストの再臨が予告されます。
〔資料として〕
 今回の場合、ほんらいの伝承では、イエスのエルサレム入城と神殿浄めと権威問答の三つが連続して、これにマルコが「いちじくの木と祈りの教え」を割り込ませたのではないか?という説があります。しかし、マルコの手元には、口伝、あるいは文書資料として、すでに現行のマルコ福音書の順で伝承されていたという見方もできますから、どちらの説が正しいかを決めるのは困難です〔コリンズ『マルコ福音書』539頁〕。
■マルコ11章
[27]~[28]【またエルサレムへ】11節と15節に続いて3度目のエルサレム訪問になりまが、14章49節によれば、実際は「毎日」神殿を訪れて人々に語ったとあります。イエスが語ったのは、神殿の南側にある広い「異邦人のための境内」で、そこは方々から過越祭に集まった大勢の人たちで賑(にぎ)わっていたでしょう。
【何の権威で】原語は「どのような類いの権威か」「誰から授かった権威か」と二重に問いかけています。そこには、「<われわれは>与えていない」という含みがあるのでしょう。イエスの霊能の業を通じて顕わされる「エクスーシア」(権威/威力)は、ガリラヤでは人々の賞賛を誘いました(マルコ2章12節)。しかし、11章1節以下で、特に神殿浄めでイエスが示した言動は、それまでの霊能の業とは異なり、エルサレムの宗教的な「権威」に真っ向から対立する性質のものです。だから、エルサレムの最高法院のメンバーたちは、これを見過ごすことができなかったのです。ここでは、これまでとは異なる段階で、イエスのメシア性とその「権威」が問われているのです。「<このような>権威」「<このような>ことをする」と繰り返されているのはこの意味です(ここはヨハネ2章18節に類似すると指摘されています)。指導者たちは、イエスから「自分の権威は神からだ」という答えを引き出して、これを理由に逮捕しようという意図があったのではないでしょうか〔コリンズ『マルコ福音書』540頁〕。
[29]~[30]【ヨハネの洗礼】マルコ福音書は、洗礼者ヨハネの登場と続く彼によるイエスへの授洗で始まります(1章1~11節)。イエスは、今回この洗礼者を引き合いに出すことで、彼と自分とが同じく「天からの」権威に基いていることを相手に悟らせようと問いかけます。ただしイエスはここで、自分に与えられている権威が洗礼者ヨハネのそれに優ることをも含んでいますが(1章7節/2章18~22節)、この点は明白に語られません。続く「天からの権威か?人からの権威か?」という二重の問い返しの手法は、当時のユダヤ人の論法として異例ではありません。これによって、問いの答えが、イエスから相手側に求められることになります。これに答えることをしぶるのは、問い返された相手側が「自分たちの権威」の性質を明らかにすることを避けようとするからです。イエスは、エルサレムの指導層が、洗礼者ヨハネによる「悔い改め」の警告を受け容れなかったことが、イエス自身の受難につながると見て、このように問い返したのでしょうか〔コリンズ前掲書539頁(注)8〕。
[31]~[32]【論じ合う】イエスは、洗礼者ヨハネの洗礼(と彼の言動)が「天から」か?それとも「人から」か?と言い逃れできない二者択一で問い返しています。この二者択一への明確な答えを出すことなく、何とかその場を「言い逃れる」ことが、ここでの原語「ディアロギゾマイ」の意味です〔フランス『マルコ福音書』455頁(注)77〕。マルコ福音書の文章から見ると、「天からもの」という答えが何をもたらすかははっきりしていますが、「人から」と答えた場合、その結果がどうなるかで、相手側は混乱し、ためらっているのが分かります。洗礼者は、ヘロデ・アンティパス(とヘロディア)に疎(うと)まれましたが、共観福音書には、エルサレムの指導層が洗礼者ヨハネを公然と批判したり非難した形跡はありません(ただしマタイ11章18節=ルカ7章33節)。だから、イエスの問い返しが、彼らをいっそう混乱させたのです。
【人からのもの】洗礼者ヨハネは、いったい人間なのか、それとも人間以上の者なのか、ということが問われているのでありません。彼が人間であることは自明のことだからです。そうではなく、「人<から>」とあるのは、彼の行為の「起源」を問う言い方です。彼が行なっていた「洗礼」が、ほんとうに神から与えられた啓示と使命に基づく行為なのか、それとも彼自身の勝手な思いこみから出た偽預言者の行為にすぎないのかが問われているのです。指導層が答えをしぶる背景には、「群衆」の存在があり、これが無言の圧力になっていて、指導層と群衆との間で、イエスの評価が割れていることが分かります。この対照はマルコ12章12節と14章2節にも表われますが、これ以後のイエスに対する指導層の扱いに大きな影響を及ぼします。しかし、15章11~15節にいたって、指導層と群衆が一致してピラトに死刑を要求するようになります。
【本当に預言者だと】原文はやや異例で、「~である」が過去形と分詞形で二度出てきます。「(誰が何を言おうと)洗礼者ヨハネが預言者であることは、結局のところ真実であり、これが群衆の本音から出た評価である」という意味です。おそらく指導層の中にもこの見方を共有する人たちがいたのでしょう。
■マタイ福音書の「権威問答」
 マタイ福音書の記事はマルコ福音書を下敷きにしていますが、マタイは、これに幾つかの変更を加えています。「権威問答」それ自体は、ほんらい洗礼者の弟子たちとイエスとの間の出来事であって、神殿浄めとは関わりがない別個の出来事だったという説もありますが、ヨハネ2章18節に類似の問いかけが出ていることからも、歴史的に真正性があると見なされています〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)157頁〕。
■マタイ21章
[23]マルコ福音書では、イエスが神殿内を「歩いていた」とありますが、マタイは「教えていた」に変えています。マタイはイエスの「教え」を重視します。また、マルコ福音書の「律法学者たち」を省いています。今回の神殿浄めの出来事は、モーセ律法とは直接かかわりがないと見たからでしょうか。
[24]マルコ福音書にはない主語、「わたしもまた(答えよう)」がはっきり出てきて、メシア的な権威を帯びたイエスの存在が強く印象づけられます。マタイは、相手側が問いかける「このようなこと」を神殿浄めの出来事だけに限定せず、イエスのこれまでの言動とその教えをも含む広い意味でとらえているのでしょう。マタイは、この問答をイエスを逮捕し訴える口実を見つけようとする指導層の罠だと見なしているのです。
[25]マタイは、マルコ福音書にない「どこからのもの」を挿入することで、「天からか」「人からか」の二者択一をより鮮明にしています。マタイは、相手側の二つの質問に対応させて、イエスの問い返しを二つに切り分けています。「天(神)からか」「人からか」というこの切り分け方は、使徒言行録5章38節にも出てきます。
[26]マルコ福音書では「群衆への恐れ」が、語り手のコメントになっていますが、マタイはこれを指導層が論じ合う中に直接話法で組み込んでいます。マタイは、二つの問いかけ、二つの問い返し、二つの答え方として、物語全体を構成しているのが分かります。
[27]指導層がイエスを十字架刑にしたのは、彼らがイエスを理解できなかったその無知のゆえであるという見方があります。しかし、今回の問答から、イエスに敵対する者たちは、イエスと洗礼者を結ぶ一連の出来事によって、イエス自身の有り様そのものが、「神からか」「人からか」という二者択一を迫られたことが明るみに出されるのです。
■ルカ福音書の「権威問答」
 ルカ福音書の権威問答もマルコ福音書のそれを踏襲していますが、ルカは、マルコのギリシア語の文体と用語をルカ流に改めています。
■ルカ20章
[1]~[2]【ある日】ルカは、権威問答の直前の19章47~48節で、イエスが「毎日」神殿で教えていたこと、ユダヤ人の指導層が彼を殺そうと狙っていたこと、民(群衆)がイエスを支持していたので、とらえることができなかったことなど、マルコ福音書の記事の要点をまとめてから、「ある日のこと」と今回の問答を始めています。入城から過越祭までの間にかなりの日数があったことが分かります。ルカは、よくやるように、「さて、~という出来事があった」"And it happened that..." で文頭を始めています。
【教えていた】この語はマタイ福音書と一致していて、マルコ福音書には出てきません。ルカはマタイを知っていたか、マルコ福音書とは別の資料があったという見方がありますが、そうではなく、マタイもルカもイエスの「教えの権威」のほうを重く観ている点で一致しているために「偶然」同じになったと見るほうが適切でしょう。したがって、相手側が「このようなこと」というのは、イエスの神殿浄めだけでなく、入城に始まるイエスの神殿での言動と教え全体を指しています。
【福音を告げ知らせる】原語は動詞1語で「エウアンゲリゾマイ」(福音する/福音化する)です。四福音書でこの語はマタイ11章5節に1度出てくるだけで、後は全部ルカ福音書(7回)と使徒言行録(14回)です。なおパウロとパウロ系書簡にも出てきます。
【権威を与えたのは誰か】ルカは「いったい誰が?(あなたにこのような権威を授けた)」と言い方をやや強めています。なおルカがここで用いている「近づいてきて」とある動詞は「居合わせる」ことをも含みますから、彼らはイエスを見張っていて、イエスに反論する機会をうかがっていたのでしょう。
[3]~[4]ルカは、マルコ福音書とマタイ福音書にある「(あなたたちが答えるなら)わたしもまたあなたたちに答えよう」を省いて、問いを簡潔に鋭くしています。
[5]~[6]マタイ=マルコ福音書では「論じ合う」とあるのが、ルカ福音書では「互いに推論し合う/相談する」するですから、彼らはひそひそ話し合ったのです。なお、マルコ福音書と異なり、ルカもマタイも同じく、彼らの群衆への恐れを直接話法にして彼らの言うことの中に組み込んでいます。
[7]~[8]マタイ=マルコ福音書と異なって、ルカは彼らの答えを「彼らは(洗礼者ヨハネの権威が)どこから来ているのか(自分たちには)分からないと返答した」と間接話法にして〔岩波訳〕〔NRSV〕〔REB〕、続くイエスの答えを浮かび上がらせるための場景描写にしています。これに対して、イエスの答えは直接話法です。
                     
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