170章 二人の息子
マタイ21章28〜32節
■マタイ21章
28「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
29兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
30弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
31この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
32なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
                         【注釈】
【講話】
■「二人の息子」の解釈
 「二人の兄弟」の譬えは、ルカ15章の「放蕩息子」にも出てきます。しかし、放蕩息子の譬えでは、罪を犯した弟が父に受け容れられる話で、兄は父と共にいます。これに対して今回の話は、兄と弟が、その言動において正反対で、父に受け容れられるのは兄のほうです(異読については注釈を参照)。
(1)今回の話は、はじめは父(神)に従うことをせず、後になって従うことにした兄とは、神を知らず従わなかったのに後で悔い改めた異邦人キリスト教徒のことで、父に従うと言いながら実行しなかったほうは、洗礼者とイエスを拒んだユダヤ人を指すというのが、伝統的な解釈でした。これは寓意的な解釈です。
(2)しかし、今回の譬えは、イスラエル内部で生じた指導者たちと、その指導者たちから排除された人たちを含む一般の民衆との間で、洗礼者とイエスに対する姿勢が分裂していることを表わしているという解釈があります。カトリック教会は民衆と上層部との亀裂という解釈を採ってきましたが〔ルツ『マタイ福音書』〕、最近ではこの解釈を採るほうが多いようです〔デイヴィス『マタイ福音書』〕。
(3)さらに、イスラエルの指導層も民衆も、どちらも「神の民」であることを思えば、この話は、聖職者階級と一般の平信徒との間の亀裂を表わすという解釈もあります。これはプロテスタント系の解釈でしょう。
(4)口先だけで実行を伴わない話は、イスラエルに限らず、ヘレニズム世界でもアジアでも世界中に共通する話題です。「巧言令色」も「不言実行」も、宗教に限らず、あらゆる分野にわたりますから、これは人類に普遍する内容です。
■メシアの到来がもたらすもの
 マタイは、今回のイエス様の話を「悔い改め」を説いた洗礼者ヨハネを誰が信じたか/信じなかったか、で締めくくっています(32節)。この問いかけはイエス様から出ていますから、ここでは洗礼者とイエス様が重ねられています。だから、民の指導者と下層の民衆との正反対の対応は、<メシアの到来>がイスラエルに内部亀裂をもたらしたと見ることができます。
 今回の譬えでは、兄弟それぞれが、言うことと実際の行動とが矛盾しています。この自己矛盾に加えて、二人は互いに正反対の言動をするのですから、イエス様はここで、メシアの到来が、イスラエルに、自己矛盾と相互矛盾の二重の亀裂をもたらしたことを指摘しているのです。ヨハネ福音書では、この亀裂/分裂が、より明確で、深く厳しい様相を見せています。メシアの到来による終末は、人々の間に亀裂を生じさせることで「裁き/判定」をもたらすのです(マタイ10章34〜39節)。
 イエス様の神の国は、律法を守る「正しい」人と律法から排除された「罪人」とを和解させ、ユダヤ人と異邦人とを和解させ、社会の上層部と下層部とを和解させようと働くことで、神の慈悲と恵みの「義」を告げ知らせるものです。ところが、約束のメシアの到来と、これによってもたらされた「平和の福音」が、逆にこれの受け手の間に潜む亀裂を露呈させ、分裂を誘うことになるのです。「分かれ争う国は成り立たない」(マルコ3章24節)とイエス様が言われた通り、ユダヤの国は、それから40年ほど経って滅びることになります。和解は、和解を拒んだ者たちの滅びによって初めて成り立つことになったのです。わたしたちはここに、神の憐れみと厳しさの両方を見る思いがします(ローマ11章20〜23節)。
■アングロ・サクソン時代の終焉
 昨年(2015年)、EUに留まるか離脱するかをめぐって、イギリスで国民投票が行なわれ、その結果、メディアの予想を始め大方の見通しとは逆に、離脱が残留を上回り、EUを始め、世界中に衝撃を与えました。この出来事の余波がまだ続いている間に、今年(2016年)のアメリカの大統領選挙で、これもメディアを始めほとんどの識者たちの予想を裏切って、トランプがクリントンを上回り、大統領に当選しました。この予想外の番狂わせで、日本も世界中も今後の政局がどうなるのかと心配しています。イギリスの離脱に続いてアメリカが、世界支配の大国意識から離脱することを表明したのです。
 この二つの出来事は、17世紀から20世紀までの400年間、世界の政治と経済を牽引してきたアングロ・サクソン時代の終焉を告げる鐘の音である。こうわたしは評しました(詳しくはネット版の『コイノニア』96号「アングロ・サクソンの終焉」を参照)。
 米英の二か国に共通するのは、国民の間に潜む深い亀裂です。歴史を形成してきた一つの時代が、今終わりを告げようとしているのです。しかし、これに続く新たな時代がどのような形で形成されるのか、これの見通しはまだ立っていません。少なくとも、これから21世紀の終わりまでは、世界の情勢、とりわけ、日本を巡るアジアの状勢は混迷を続けるでしょう。これに伴って、日本の国情も不安定になると予想されます。この国の底辺でも深い亀裂が生じている可能性がありますから、日本人のエクレシアに課せられた責務は重大です。今後の日・韓・中の関係は、アジアの状勢を左右する大事な鍵になるからです。わたしたち日本人のエクレシアは、改めてイエス様の「和解の福音」を掲げて、韓国と中国のエクレシアと手を携えて、アジアの平和を守ろうと心がける必要に迫られているのです。
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