【注釈】
■マルコ福音書の「悪い農夫たち」
 マルコ福音書では、イエスの権威問答と税金問答と復活問答との間に今回の「悪い農夫たち」の譬えが挟まり込むように置かれています。しかし、12章9節のイエスの厳しい警告とこれに続く詩編118篇22~23節からの引用は、一連の問答でイエスに向けられている問いかけに対して、「ダビデの子」でありメシアでもあるイエスの働きが意味していることを伝えるものです。ここでは、エルサレム入城以来語られてきたイエスの霊性とその権威が、さらに新たな様相を見せています。イエスは、イザヤ書5章1~7節の「ぶどう園」から話し始め、続いてたとえ話を語り、さらに同じイザヤ書の「石」を用いて話を発展させ、さらに同じイザヤ書の「家」を用いて話を締めくくっています。この手法は、ユダヤ教の会堂で語られるミシュナによる手法に対応するものです。今回のたとえ話は、後の教会によって寓意化されていますが、イエスにさかのぼる古い伝承から出ていると思われます〔マーシャル『ルカ福音書』727頁〕〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)175頁〕〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1279~81頁〕。
■マルコ12章
[1]【彼らに】11章27節の指導者たちを受けています。
【たとえ】原語「パラボレー」は「比喩」「たとえ話」「諺(ことわざ)」を指します。七十人訳ではヘブライ語「マーシャール」の訳語として用いられ、様々な形の「比喩」だけでなく「謎かけ」など広い意味で用いられますが、今回は、日常の出来事を題材にした「物語」のことです。自然現象や人間社会の出来事を「たとえ」として物語るのは、イエスがしばしば用いる手法ですが、とりわけ、今回の「たとえ話」は、マルコ福音書の中でも、まとまった内容を持つもので、現実の具体的な人たちに対応しますから、「寓意(ぐうい)」(アレゴリー)の性格を帯びています。
【ぶどう園】旧約ではぶどう園が伝統的に神の民イスラエルを指すことは先に述べました(詩編80篇9~14節/エレミヤ書12章10~11節/エゼキエル書19章10~14節)。しかし、今回は特にイザヤ書5章1~2節が念頭にあると思われます。しかし、イザヤの譬えと今回の譬えとの違いにも注意しなければなりません。イザヤ書では、裁かれるのが不毛なぶどう園それ自体ですが、今回は、これの「農夫たち」です。さらに、イザヤ書では、ぶどう園は荒廃するままに捨てられますが、今回の譬えでは、「別の農夫たち」の手に貸し与えられます〔フランス『マルコ福音書』456頁〕。今回の「ぶどう園」は、とりわけイスラエルを象徴する「エルサレム」を指すのではないかと指摘されています〔コリンズ『マルコ福音書』545頁〕。
【搾り場】多量の葡萄の搾り汁を受け容れるための大きな酒樽のことですが、今回のは、おそらく長方形の穴を掘り、そこにぶどう酒の貯蔵室を設置したのでしょう。現在、発掘されて新たに世界遺産に登録されたベエル・シェバの遺跡には、地面の下に設けられた大きな酒蔵の跡が遺っています〔筆者〕。なお、「酒槽(さかぶね)」と「見張りの櫓」は、イザヤ書5章2節(七十人訳)を反映していると指摘されています〔コリンズ『マルコ福音書』545頁〕。なお、タルグム(アラム語の聖書解釈)では、イザヤ書5章2節は「極上のぶどう」のことで、これはエルサレム神殿を指すと解釈されていました〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)180頁〕。ちなみに、キリスト教会の伝承では、「垣根」は「律法」を、「搾り場」はエルサレムを、「塔」は神殿をそれぞれ表わすと解釈されました〔デイヴィス前掲書176頁〕。
【貸して】大規模なぶどう園の経営には巨額の資本が必要でした。「貸す」とあるのは、それから利益を得るためにこれの経営を任せることです。大きな農園の不在地主は、パレスチナでは珍しいことではありませんでした。パレスチナでの大規模な農場経営は、ローマの貴族の影響を受けたヘロデ大王(在位前37~前4年)の頃から始まり、富裕層による大土地所有が進むにつれて、自作農が土地を失い、没落して小作として雇われるようになり、貧富の差が社会不安を生じる原因の一つになっていました。なお、ガリラヤでは、しばしば異邦人の不在地主の場合があり〔デイヴィス前掲書1809頁〕、地主に対する反抗はガリラヤで特に多かったので、今回の話の舞台はガリラヤではないかという説もあります。ちなみに、ガリラヤ北部の山岳地帯は、「強盗」と呼ばれる反逆者たちの隠れ場に利用されていました。
[2]~[3]大規模農園の所有者と農園を任された経営者との間では、契約が交わされますが、新しい農園の場合、少なくとも最初の4年間は収穫を見込むことができませんでした。「収穫の時」(2節)とあるのは5年目のことでしょうか(レビ記19章23~25節)。したがって、経営者は、長期間にわたり不在地主の農園を管理することになりますから、収穫の納入をめぐって、地主と経営者の間でもめ事がしばしば生じました。
 マーティン・ヘンゲルは、時代は少し早くなりますが、前3世紀に起こった次のような出来事を紹介しています。エジプトのプトレマイオス3世の時代に、王室の財務官アポロニウスは、南ガリラヤにぶどう園を所有しており、彼はゼノンを派遣してそのぶどう園を監察させています。その後、再びグラウキアスを派遣して、不在地主に代わり、ぶどう園の管理責任者メラスに命じて、ぶどう園からワインをアレクサンドリアへ運ばせています。ところが、パピルスによると、農園の労働者たちは、ぶどう酒の納入量の削減を要求してメラスともめたことが記録されています。また、ゼノンは、パレスチナにいる負債者たちから収益を得ようとして、地元の管理責任者アレクサンダーのもとにストラトンを派遣したところ、その村のエデュアと仲間たちが、ストラトンとアレクサンダーの僕たちに乱暴を働いて村を追い出したと記録されています。アレクサンダーも地元の人々の反抗を恐れて、それ以上の取り立てを避けようとしたようです。おそらく、このような事態は、前1世紀の頃まで続いていたと思われます。これで見ると、地主が僕を幾度も派遣して反抗を受けるというイエスのたとえ話は。決して誇張ではないことが分かります〔コリンズ『マルコ福音書』545~46頁〕。今回のたとえ話で、農夫たちが地主の僕を追い返したのは、その年の収穫が悪かったからではなく、むしろ収穫が予想よりも多かったことから契約を無視したのでしょうか?〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1284頁〕。
[4]~[5]2~5節のたとえ話を寓意的に解釈すれば、神がイスラエルの民に遣わした多くの預言者たちが、何も得られずに戻されたり(創世記31章42節/申命記15章12~13節を参照)、民の指導者たちによって侮辱されたり殺されたりしてきた出来事を寓意的に表わしていることになります(エレミヤ書26章20~23節/歴代誌下24章20~22節)。「頭を殴る」(ケファリオー)とありますが、これは「首をはねる」ことをも意味しますから、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスが洗礼者ヨハネの首をはねたことの寓意だという解釈もあります〔フランス『マルコ福音書』460頁〕〔コリンズ『マルコ福音書』546頁〕。
[6]【わたしの息子】この言い方は、イエスの授洗の際(1章11節)と山上での変貌(9章7節)の際に出てきました。今回は、たとえ話の中ですが、読者にイエスの受難をはっきりと印象づけるものです(使徒言行録7章51~52節参照)。「愛する(息子)」とは「独り子」の意味を含んでいます。
【まだ一人】「まだ一人」とあるのは、むしろ、「もはや(わが子)一人しか残っていない」ことで、これが最後であることを表わします。「多くの預言者たち」の後に残されたのは「わが子」である「メシア・キリスト」だけだという意味です。ここで「預言者」から「メシア」へ移行することに注意してください。
[7]~[9]「相続人を殺す」ことが、なぜぶどう園を所有することにつながるのか?という疑問が提示されています。当時のユダヤの法律では、小作農たちが4年以上納入を怠った場合、その土地は所有者に返還されるという取り決めがあったからです。小作農たちは、息子を殺してしまえば、遠く離れている地主が土地の返還を求めてわざわざ出かけて来るまでの期間に、それまでの収穫を自分たちの所有にできると踏んだのでしょうか〔フランス『マルコ福音書』461頁〕。それとも主人はぶどう園の相続をすでに息子に譲っていたのでしょうか。
 一般的に言えば、今回のように寓意的な「たとえ話」を解釈する場合に、物語の細部にいたるまでを「事実」と照合させようとすると、かえって物語の主旨を壊すおそれがあります。寓意の解釈は、この辺が難しいのですが、今回の場合も、当時の法律をそのまま解釈に適用するのは適切でないでしょう。「殺した後で」ぶどう園の外に放り出すのは、イエスの十字架の出来事から見れば順序が逆だという詮索もありますが、ここでは、農夫たちの暴挙が、ぶどう園から追い出されるきっかけになったことが重要なのです。
【戻ってきて殺す】「戻って来る」は「来る」とも訳すことができますから、「来る」は、イエスが神殿を破壊しに「来る」こと、あるいは神がエルサレムを滅亡させるために「訪れる」ことだという解釈もあります。「来る」にそこまでの意味を読み取るのは寓意の解釈として適切でないでしょうが、「ぶどう園の主人」とある「主」(キュリオス)は、イエスを遣わした神を想わせます。「わが子」は言うまでもなく「僕」でも、遣わした主人の代理人ですから、これを殺すことは主人を殺すのに等しい行為です。主人が彼らに報復するのは古代世界の慣わしとして当然です(イザヤ書5章3~6節を参照)。
[10]~[11]【読んだことがないのか】マルコ2章25節/12章26節を参照。とりわけ今回の「隅の親石」に関する引用は、イエスによる(旧約)聖書の引用の手法をよく表わす例として注目されています。イエスはここで、聖書の知識を問うのではなく、聖書の言葉から、目前の出来事を霊的に洞察するよう求めているのです。
【隅の親石】この言い方について旧約と新約からの主な引用をあげます。
(1)詩編118篇22~23篇→ヘブライ語「ローシュ(頭)・ピナー(柱/隅/首領)」→七十人訳117篇「ケファレー(頭)・ゴーニアース(隅の)」)=マルコ12章10節(七十人訳に同じ)=使徒言行録4章11節=第一ペトロ2章7節。
(2)イザヤ書8章14節→ヘブライ語「ツール(石/岩/尖った物)・ミクショール(躓き)」→七十人訳「リトス(石)・プロスコマトス(躓きの)」=第一ペトロ2章7節。
(3)イザヤ書28章16節→ヘブライ語「アベン・エベン(きわめて貴重な石)・ピナー(柱/隅/首領)」→七十人訳「リトス(石)・ポリュテレー(貴重な)/アクロゴーニアイオス(角の先端を/角張った極点の石)」=第一ペトロ2章6節=エフェソ2章20節。
 (1)に見るように、マルコ福音書の10~11節の引用は詩編118篇22~23節の七十人訳そのままです。このため、この引用は、イエスのたとえ話にマルコが付け加えたのではないかという説も出されました。しかし、(3)には、ヘブライ語の「息子」(ベン)と「石」(エベン)の掛け詞(ことば)が見られると指摘されてます。今回のたとえ話は、イエスの時代のラビたちも用いたミシュナの手法に従っていて、譬えと引用は密接に関連づけられているというのが最近の見方です。この10~11節は「たとえ話に聖書解釈を用いる際の一貫した伝統的手法を示す(新約聖書の)最初期の例」〔コリンズ『マルコ福音書』548頁〕とされています。
 (1)の詩編118篇の七十人訳の「ケファレー(頭)・ゴーニアース(隅の)」は、(3)のイザヤ書28章16節の「アクロゴーニアイオス(角の先端を/角張った極点の石)」と同じ物を指していると考えられます。(2)と(3)で分かるように、これが大事な「石」であるのは確かです。この「石」にはふたとおりの解釈があります。
【A】一般にこの石は、建物を建てる際に、その土台を形成する最初の土台石として、土台全体の一角に据えられ、そこを起点として土台全体が形成される「隅の親石」だと解されています〔コリンズ前掲書548頁〕。この石は、外部からも見えるように地面から突き出ているために「躓きの石」とも言われたのでしょう。
【B】しかし、「隅の親石」は、例えばアーチ型のドームを造る際に、その全体を支える最も大事な働きをする「要(かなめ)石」(あるいは石柱?)のことで、これには特別な装飾がほどこされていたという説もあります〔フランス『マルコ福音書』463頁〕。あるいは石造りの塀などに載せる「笠石(かさいし)」のことではないかとも言われます。古代ヘブライの建築用語の詳細がまだ不明なために、確かなことは分からないようです。
 今回の引用を内容的に見れば、詩編118篇とイザヤ書28章15~16節から分かるように、周囲を敵に囲まれて死に直面したイスラエルの民が、主からの不思議な救いの手によって形成が逆転した状態を表わしています。新約聖書では、この「石」がイエス個人を指しているのが特徴です。ラビの文献では、律法学者たちが「家造り」にたとえられていますから、イエスは、彼らを指すために今回の箇所を引用したのかもしれません。「家造りたち」が棄てた石こそが、神の家を建てるために用いられる貴重な石であったという「この不思議」こそ、イエスが今回の引用で示そうとしたことです。イエスは、すでに3度にわたり、「人の子」が指導者たちに殺されて復活することを預言してきましたが、ここで改めて、人の業が神の業によって逆転されるという不思議を示すことで、それまでの預言をいっそう明確に表わそうとしているのです。
[12] 「彼ら」とは27節の祭司長、律法学者、長老たちを指していると思われますが(11章18節)、文中に主語を示す語はなく、したがって「気づいた」のが誰なのはあいまいです。構文では、「気づいた」とある動詞に近いのは「群衆」のほうですから、聞いていた群衆もまたイエスの譬えの真意に「気づいた」ことになります。だとすれば、指導者たちは、イエスを逮捕しようとしたが、イエスの譬えが自分たちを指すことを周囲の群衆も見抜いていたから、指導者たちは、ここでイエスを逮捕することで、自分たちと群衆との亀裂が一挙に表面化することを恐れた、と言う含みも読み取れます〔フランス『マルコ福音書』464頁。〕。
■マタイ福音書の「悪い農夫たち」
 マタイは、マルコ福音書の一連の問答を受け継ぎながら、マルコ福音書の「二人の息子」の後に「王子の結婚披露宴」(ルカ福音書と共通)を挿入しています。それ以外は、マルコ福音書の「律法学者の偽善」まで同じ順序を踏襲しています(ただしマルコ福音書の「やもめの献金」が省かれています)。マルコとマタイとの語り方の主な違いは、以下の通りです。
(1)マルコ福音書では、ぶどう園の主人が、自分の息子を含めて5回も人を遣わしていますが、マタイ福音書では3回にまとめられています。
(2)マルコ福音書では、息子が殺されてからぶどう園の外へ放り出されますが、マタイ福音書では、外へ放り出されてから殺されます。
(3)イエスが指導者たちに問いかけた後で、マルコ福音書ではその答えをイエス自身が告げていますが、マタイ福音書では、相手の指導者たちが答えています。
(4)マタイ福音書では、43~44節が加えられることで、物語全体が、神への反逆よりも、神の国がユダヤ人から異邦人へ移行するという「救済史的な」意味を強く帯びています。
 これで見ると、マルコ福音書に比べてマタイ福音書のほうには、イエス復活信仰以後の教会の視点が反映していると言えます。
■マタイ21章
[33]マタイは「聞きなさい」と強い命令で始めています。また、マルコ福音書では「ある人」とあるのを「家の主(あるじ)(原語「オイコデスポテース」)である一人の人」とはっきりさせています。
【絞り場】ぶどう園では、岩を掘ってそこに収穫された葡萄を容れて足で踏み、その搾り汁を設置された大きな容器に溜める方法が採られました。マルコ福音書では「ヒュポレーニオン(下請けの容器)」とありますから、搾り汁を入れる容器のことを指すと思われます。マタイ福音書では、「ぶどう園の中に」掘られた「レーノン」ですから、これは足で踏む「踏み穴」のほうでしょう〔織田『新約聖書ギリシア語小辞典』344頁〕。
[34]~[35]マタイは、農夫たちの暴行を「袋だたき」と「殺害」と「石打の刑」の三つに絞り、3回の派遣と対応させています。ただし、マタイはここで「空手で帰らせた」を省いていますから、この場合の「袋だたき」も処刑と同じで、ここでは処刑の三つの形態が語られているとも考えられます〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)181頁〕。だとすれば、マタイはマルコよりも指導者たちの「反逆の罪」をいっそう重く見ているのです。
[36]【前よりも多く】マルコ福音書では、一人の僕の次にもまた一人が遣わされていますが、マタイ福音書では、先の一人よりも多い複数の僕たちを同時に送ったという意味でしょうか?「(その数は)初めの場合より多かった」〔岩波訳〕。それとも、次々と重ねて一人ずつ派遣したことを言おうとしているのでしょうか?また、派遣の時期は、先の失敗にもかかわらず、続いて僕を派遣したのでしょうか?それとも、その翌年のことでしょうか? これらは読者の判断に任せられています。どちらにせよ、マタイは、反逆者たちの罪が、回を重ねるごとによりいっそう重くなることを示唆しています。マタイは、マルコ12章4~5節を「同じようにした」と短くまとめていますから、彼は、ここで、特定の時期や時代のことを念頭に置いて寓意的に語っているのではありません(23章34~35節参照)。マタイがその福音書を(おそらくパレスチナ北部で)書いていた当時、パレスチナの沿岸では、エルサレムで囚われた大勢のユダヤ人奴隷たちが強制労働に従事させられていました。彼はこれを目(ま)の当たりにしていたと思われます。
[37]~[39]【敬う】原語は「遠慮する/敬意を払う/はばかる」ことで、この用語は「神の使者」に対する王の態度を表わす場合に用いられています(七十人訳列王記下36章12節)。
【相続財産】マタイは、御子イエスが父なる神の「相続人」であることを念頭においているのでしょう(ヘブライ1章2節を参照)。「彼の相続」とありますから、主人は息子にぶどう園をすでに譲渡していたのでしょうか。
【殺して】マルコ福音書と異なり、先にぶどう園の外に出してから殺しています。マタイは、当時のユダヤの法律通りにすることで、イエスの受難の出来事と合致させているのです。
[40]~[41]マルコ福音書とは異なり、マタイ福音書では、相手の指導者たちが自分で答えを出しています。
【どうするだろうか】マルコ福音書でもマタイ福音書でも、イエスのこの問いかけは、ユダヤ戦争でのエルサレム滅亡と神殿破壊を指しているというのが一般的な解釈です。しかし、「どうするだろうか?」という問いは、イエスが、終末での神による予測不可能な事態を指しているのではないか、とも指摘されています〔デイヴィス前掲書183~84頁〕。マタイ福音書では、24章9~31節の「再臨のしるし」に続いて、「忠実な僕と悪い僕」「十人の乙女たち」「タラントのたとえ」と、終末で神がその僕に、善悪それぞれの仕方で報いる譬えが続きます。マタイとその読者の念頭には、過去のエルサレム滅亡の記憶があるのは確かですが、このたとえ話でのイエスの問いかけには、エルサレム滅亡の預言だけでなく、さらに、<このたとえ話がほんらいイエスにさかのぼることをも含めて>、世の終末における神の報いと裁きをも指しているのではないでしょうか〔ルツ『マタイ福音書』(3)266頁〕。
【この農夫たち】原文は「こんなことをするような農夫たち」という意味です。
【悪人をひどい目に】原文は「彼ら悪人どもを悪しざまに滅ぼす」です。答える本人たちの口を通して自分たちの本性を露わにするという皮肉を読み取ることができます。
[42]引用の詳細はマルコ12章10節以下の注釈を参照。マタイの時代には、すでにエルサレム神殿が存在しなかったから、「<わたしたちの>目には」とあることから、ここでは「ダビデの子であり神の御子であるイエスによる新たな神殿の再興」という初代教会の伝承が意識されているのかもしれません。
[43]~[44]44節はルカ20章18節と並行します。ルカ福音書から混入したのか?あるいはその逆とも言われます。しかし、44節を含む写本が多いので、マタイ福音書とルカ福音書との直接の照合からではなく、ほんらい両者に共通する伝承から出ているものでしょう〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)175頁/186頁(注)65参照〕。この問題では、さらにローマ9章32~33節や『トマス福音書』からの引用を参照。
【民族】原語は単数。異邦人キリスト教徒を中心とする教会のことを指すのでしょう。「取り上げられる」「与えられる」は、神を主語とする「神的な受動態」です。
[45]~[46]マタイはマルコ福音書の「彼らは」を「祭司長たちやファリサイ派の人々」と主語を明確にしています。また、「譬え」をマルコ福音書の単数から複数に変えていますから、先の「二人の息子」の譬えも視野に入れています。また、「なぜなら(群衆は)~と受けとめていた」とあって、イエスの譬えを群衆も聴いていて、その譬えが指導層へ向けられていることを群衆も察知していたことを知らせています。
■ルカ福音書の「悪い農夫たち」
 ルカは、受難までの構成をほぼマルコ福音書に準じていますから、このたとえ話もマルコ福音書に依存していると考えられます。ただし、ルカは、イエスの話し相手を「民衆」に変えています。またルカ福音書の話では、僕たちは誰も殺されず、二度「空手で戻された」が繰り返されます。さらに、イエスの問いかけに答えるのが民衆のほうであることなど、マルコの記事の随所に変更を加えています。ルカは、続く受難物語においても、指導層と民衆とを終始区別しています。ルカ20章18節はマルコ福音書にはなく、マタイ福音書と共通しますが、18節は、『トマス福音書』やマタイ福音書とも共通するほんらいの(口頭?)伝承を受け継ぐルカの独自資料(L)からでしょうか?〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)〕。 ルカが手にしていたマルコ福音書は、現行のマルコ福音書ではない「原」マルコ福音書ではないか?という見方もあります〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)35~36頁〕。 
■ルカ20章
[9]ルカ福音書では、「<民衆に><次のような>たとえ話をはじめられた」で始まります。マルコ福音書では、直接の聞き手が「祭司長や律法学者や長老たち」であることが想定されており、群衆が居合わせていることは最後に出てきますが、ルカは、(指導層をも含めて)民衆が聞き手であることを最初に出しています。なお、マルコ福音書では「オクロス」(群衆/人だかり/人々)ですが、ルカ福音書では「ラオス」(民/国民/民衆)です。政治行動などを行なう集団は「デーモス」で、七十人訳ではイスラエルの「民」が「ラオス」で、無組織の人々の群れは「オクロス」です〔織田『新約聖書ギリシア語小辞典』129頁〕。またルカは「かなりの期間の/長期間の(旅)」を加えています。
[10]~[12]ルカ福音書では、地主が僕を一人ずつ3回派遣します。ルカは「続けて/さらに加えて」を入れて、派遣の継続を強調していますが、それが、同じ年のことなのか、翌年のことなのかは不明です。また、3人とも空手で追い返されますが、マルコ福音書と異なり、彼らは殺されず、初めは「袋だたき」、次は袋だたきに侮辱を加え、3度目は「全身に傷を負わせて」と仕打ちがだんだん乱暴になります。マルコ福音書には「そのほかに多くの僕を送った」とありますが、これは、マルコが旧約の預言者たちを寓意として加えたからでしょう。だとすれば、ルカはこれを省いたことになります。あるいは、ルカの手元にマルコ福音書とは異なる版のもので、より初期の形に近い伝承があったのでしょうか〔マーシャル『ルカ福音書』730頁〕。
[13]~[15]最後に派遣したのは「<わたしの>愛する息子」です。続く主人の独り言の中に、ルカだけが「おそらく」を入れています(『トマス福音書』を参照)。「わたしの息子」とは、神が遣わした独り子のイエスを指すのは確かですから、息子が殺されることを神は予知できなかったという誤解を防ぐために「おそらく」を入れたという説がありますが、17節の預言から見れば、そのような弁護は無用です。なお、マルコ福音書と異なり、息子がぶどう園の外で殺されるのは、マタイ福音書と共通です。マタイ=ルカ福音書は、息子がイエスであること、ぶどう園がエルサレムを指すことを寓意としてはっきりさせようとしたのでしょう。ところで、「おそらく」は『トマス福音書』と共通します。ルカには、『トマス福音書』の作者(とマタイ?)に共通する(口頭の)伝承が、マルコ福音書とは別に伝わっていたのでしょうか〔マーシャル『ルカ福音書』731頁〕。
[16]【そんなことがあってはならない】「メー・ゲノイト」(断じてあってはならない)は強い否定を表わします。この言い方はヘブライ語にさかのぼりますが(創世記44章17節/ヨシュア記22章29節)、共観福音書ではここだけです。パウロ書簡にはしばしば見られます(ローマ3章4節/同6節/同31節/ガラテヤ2章17節など)。今回の主語、「彼ら」とはルカ福音書では民衆のことですから、イエスの話を聴いていたエルサレムの民衆は、イエスの譬えの真意を察知して、エルサレムの指導者たちが殺され、エルサレム(ぶどう園)が他の民族の手に渡されることなど「断じてあってはならない」と答えたのでしょうか。それとも、マタイ=マルコ福音書に従って、神から遣わされた御子が「殺される」ことなど、決してあってはならないという意味でしょうか。
[17]~[18]引用後半の18節はマルコ福音書にはありません。神の裁きを石に譬えていますが、ほんらいは諺で、土器などを石の上に落とせば砕かれ、逆に石が土器の上に落ちれば粉々になることをイメージしています(ダニエル書2章34節参照)。この18節はマタイ21章44節と並行します。しかし、ルカ福音書でもマタイ福音書でも、譬えが、直前の親石の譬えと内容的にうまく結びつかないと指摘されています。マタイ福音書の44節はルカ福音書から出た編集であろうと考えられますから〔新約原典テキスト批評58頁〕、ほんらいは、ルカに伝えられた資料/伝承から出ていて、それが今回のたとえ話に加えられたとも考えられます〔マーシャル『ルカ福音書』732頁〕。
■『トマス福音書』の譬え
 『トマス福音書』では、今回の譬えの部分と、詩編118篇22節からのイエスによる引用とが別項目で並んで置かれています。共観福音書とは異なり、譬えは「弟子たちに」語られます。そこでは、息子以外に誰も殺されることがありません。内容は共観福音書の影響を受けているという見方もありますが、そうではなく、『トマス福音書』は今回の譬えの最も古い伝承である可能性があります。ただし、ぶどう園を持っていたのが「良い人」だとあること、また、帰ってきた僕の言葉「<たぶん>『彼ら』は『彼』を<知らなかった>のだ」は、物事の本質を見抜く目を持たない農夫たちの「無知」を指すこと、続く(66)で、共観福音書の「(頭石に)なった」と異なり「隅の頭石<である>」と現在形になっていること、これらは、後期のグノーシス的な視点から編集されていると思われます。グノーシスでは、「物質世界に閉じ込められて霊界の真理を悟らない無知」が重要なテーマだからです。この理由で『トマス福音書』の初期性を疑問視する説もあります〔荒井献『トマスによる福音書』228~29頁〕。しかしながら、たとえグノーシス的な編集を(後から)受けているとは言え、『トマス福音書』の内容はイエスにさかのぼる原書の形を留めているとみるほうが適切でしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1280~81頁〕〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)187〕。                   戻る