【注釈】
■マルコ福音書の復活問答
ヘロデ派からの政治的な問いかけとファリサイ派からの律法的な問いかけ、これら両面からのイエスを陥れようとする戦術に次いで、今度はサドカイ派から復活に関する神学的な問いかけが来ます。今回の問答には、人間の「自然の命」とその継続、「生きる者の神」、「結婚」、「永遠の命」など、幾つかの重要な課題が含まれています。マルコ12章26~27節は、後の教会の解釈による追加だという見方がありますが〔ブルトマン『共観福音書伝承史』(1)45頁〕、この部分はイエスの頃のユダヤ教の復活伝承と共通するもので、マルコ福音書のこの箇所に、ブルトマンが言うほどのキリスト教会との関連は認められません〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1300頁〕。この部分はまた、身内を亡くしたキリスト教徒へのヘレニズム世界の教会による後からの追加だという説もありますが、そうとも言えません〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)222~23頁〕。今回の問答で扱われる「死後の復活」を含めて、ここでの問答全体には、それまでのイスラエルの復活思想を受け継いでいるイエスの頃のパレスチナの復活観全体が背景にあることを見落としてはならないでしょう。この意味で、今回の問答は、相当に多様な復活観がその背後に潜んでいます〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)60頁〕。したがって、この問答はイエスにさかのぼるもので、その中核部分はイエスの言葉を保持していると見ることができます〔デイヴィス『マタイ福音書』223頁〕。
■マルコ12章
[18]【サドカイ派】マカバイ戦争のきっかけとなったセレウコス朝のアンティオコス4世は、エルサレムの大祭司職に介入することで、政権によるそれまでの大祭司の「承認」制度を支配政権による大祭司の「任命」制へと切り替えました。この結果、非ツァドク系の大祭司が任命されることになります(前175年)。しかし、これによって、ツァドク系の祭司が力を失ったと見なすのは大きな誤りでしょう。ツァドク系祭司の支持者は、以後も力を失うことがなく、ツァドク系祭司への支持は、クムラン宗団などによって衰えることなく支えられていたからです(『ダマスコ文書』4章1~5節)。
ギリシアのセレウコス政権とユダヤとの間のマカバイ戦争は、ユダヤとセレウコス政権との和睦によって終結しますが(前162/3年)、その和睦を画策したのがセレウコス朝のデメトリオス1世です。彼によって、アルキモスがエルサレム神殿の大祭司に任命されますが、オニアス3世がツァドク系であったのに対して、アルキモスはアロン系だと言われています。ところがアルキモスは、セレウコス朝のデメトリオス1世と組んでマカバイ派と対立し、これを弾圧するようになります。これに抗して、「ハシダイの人たち/ハシディーム」と呼ばれる人たちが迫害と闘い、彼らは異邦の地へ逃れたとあります(第一マカバイ記2章29~48節)。この人たちの中から、後にクムラン宗団を中心とする「エッセネ派」と呼ばれる人たちが生まれました。ハシダイの中には、アルキモスを受け容れる者たちもいましたが、欺かれて虐殺に遭うことになります(第一マカバイ記7章4~25節参照)。これら「ハシダイの人たち」は、ツァドク系の強い支持者であったと考えられています〔TDNT(7)39〕。
「復活」信仰に関して言えば、ツァドク系の場合、クムランの「義の教師」に観られるように、その終末思想は、セレウコス朝あるいはローマ帝国などとの「終末的な闘い」を意図する<地上的な>イスラエルの再興を目指すものでした。だから、新約時代のファリサイ派による「人間の死からの復活」のような復活思想を前1世紀のツァドク系祭司に見出すことはできません〔TDNT(7)40〕。
もう一つ、注意しなければならないのは、ツァドク系祭司たちには、前10世紀頃からのカナン時代から受け継がれてきた「善と悪」、「光と闇」という古い二元論が受け継がれていたことです。したがって、神殿制度の担い手であったイエスの頃(紀元後1世紀)の「サドカイ派」(この名称は「ツァドク」から)と、エルサレム神殿を敵視するクムラン宗団などのツァドク系祭司主義とを同一視することはできません〔前掲書41頁〕。
「ツァドク」と復活信仰に関しては、次のような言い伝えがあります。前2世紀に、ラビのアンティゴノスには、ツァドクとボエトスの二人の弟子がいました。師のラビは、彼らに「弟子は師から、何らかの報いを受けることを期待して奉仕してはならない」と厳しく戒めたと言うのです。このために、このツァドクの流れを汲むサドカイ派とボエトス派の弟子たちは、神への奉仕への見返りとして「死後の復活」を期待するのは誤りであると見なすようになり、これら二つの流派は、復活による来世の報いを期待することなく、祭司職の報いを地上の生活だけに求める道を選んだのです〔TDNT(7)41.Nb(44)〕。このあたりから、サドカイ派とボエトス派は、終末においても「死後の復活」を期待しないという信仰が生じるようになったと考えられます。
〔後1世紀のサドカイ派〕パレスチナがローマ帝国に支配下に入り、クイリニゥスがシリア州の総督になると、徴税のための人口調査(後6/7年)に対抗して、ファリサイ派やクムラン宗団などのツァドク系は、ガリラヤの過激派と手を結んで、ユダによる反乱に荷担します。この際に、ツァドク派は、復活を期待するファリサイ派(主としてヒレル系)から分かれて、地上におけるイスラエルの復興を志向するようになり、ローマの支配権力との闘いを目指します。ところがサドカイ派について言えば、この段階で、エジプトに在住していたツァドク系祭司から〔これについては共観福音書補遺「捕囚期以降のユダヤの大祭司職」を参照〕、過激なゼロータイから手を切るようサドカイ派に対して強い働きかけがあったようです。このために、サドカイ派は、エルサレム神殿体制を維持するため政治的に現実路線を採ることになります〔TDNT(7)42〕。
エルサレムがローマ帝国の支配下に入ると、イドマヤ出身のヘロデが権力を握り、ローマから王の称号を許されて「ヘロデ大王」になります(前40年)。ヘロデ大王は、反ローマ的であったハスモン系の大祭司を斬首し、ここにハスモン系の大祭司が消滅し、以後、ヘロデ家が大祭司職を擁護することになります。ヘロデの体制は、ユダヤ人と異邦人との分離を主張するハスモン系の勢力と真っ向から対立する制度でしたから、ハスモン時代以来の古いサドカイ派(ツァドク系)とも敵対するものでした。ヘロデ大王は、大祭司職の終身制を廃して、ヘロデ系の最初の大祭司にアナネルが任命されました。彼は、バビロニア出身ともエジプト出身とも言われています。もしも彼が、エジプトのレオント・ポリスからだとすれば、ハスモン系に代わって、ほんらいのツァドク系が復帰したことになりましょう。ヘロデ大王の下でボエトゥス系が台頭し、ボエトゥスとサドカイ派とが両立することになります。サドカイ派は、その大祭司制の伝統を引き継ぐものとして、「エルサレム神殿体制の中核を担う」〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1303頁〕と自負するものの、実際は、祭司団の諸グループの一つになっていたと考えられます。しかも、この頃の「サドカイ」は、クムランなどのツァドク系宗団から見れば、半異教的な「背信」グループだと見なされることになり、ヘロデ家の制度の下で、サドカイ派はその歴史的な最終段階を迎えることになります〔TDNT(7)45〕。ただし、この段階での神殿制度においても、古くからの「(ツァドク的)サドカイ主義」が完全に失われたわけではありません。70年のエルサレム滅亡がもたらしたのは、サドカイ派の貴族的祭司制度の消滅と言うよりも、むしろ、「エルサレム聖都思想」の崩壊だったからです〔前掲書〕。
今回の箇所からも分かるように、新約聖書は「サドカイ派」を主として「復活を否定する」指導層だと見なしています。これは、ファリサイ派やユダヤのラビたちの「サドカイ派」に対する見方と共通しますが〔TDNT(7)52〕、すでに見たように、サドカイ派は、イスラエルの伝統的な大祭司制度を受け継いでいました。だから、イエスが出会った「サドカイ派」は、今回の復活問題をも含めて、イスラエルの神殿制度を支えてきた神学それ自体との出会いであったとも言えます。〔詳しくは共観福音書補遺の「サドカイ派」と同じ補遺の「捕囚期以降のユダヤの大祭司職」を参照してください〕。ヘロデ王家の時代のサドカイ派は、神殿の大祭司制を遵守する立場にありましたが、サドカイ派を当時のパレスチナの大土地所有層の貴族階級と同一視することはできません。聖書が証しする「サドカイ派」は、当時のパレスチナ支配層全体よりも限定された意味で用いられています〔ルツ著『EKK新約聖書註解・マタイによる福音書』(3)315頁〕。
【尋ねた】原語は、通常の「尋ねる」(エロートー)よりもやや強い「エペロートー」です。ここで、サドカイ派は、自分たちが信じていない「復活」を持ち出して、イエスの神学を試そうとしているのです。
[19]サドカイ派の人たちは、ここで、当時のユダヤ教の慣例に従って、神学的な問いかけを「先生」という呼びかけで始めています。その際に、これも慣例に従って、先ずモーセ五書からの引用から入ります。モーセ五書には、「復活」に言及する箇所が見あたらないからです。
〔レビラト婚〕ここで問われている「結婚」は、古代世界で行なわれていた「レビラト婚」と呼ばれるもので、部族の家系を絶やさないために行なわれていた慣習から来ています。
「レビラト婚」の「レビラト"levirate"」は、ラテン語 "levir" (義理の兄弟)から出た用語です。長男が跡取りを生まずに亡くなった場合に、その次男が兄の妻と結婚することで子を設け、その家系を絶やさないようにする制度のことです。旧約聖書では、創世記38章1~26節にこの制度のことがでています。ユダにはエルとオナンとシェラの3人の息子がいたのに、エルとオナンが跡取りを設けずに亡くなりました。ところがユダは、死んだ息子エルの妻タマルを末のシェラと結婚させなかったために、ユダがタマルから訴えられる話です。この規定は申命記25章5~6節に明記されています。またルツ記4章7~10節もレビラト婚と関連していると見ることができます。七十人訳申命記25章には「彼のための<スペルマ>(子種/子/子孫)がない場合」「彼女が産む<パイディオン>(子供)は」とあります。マルコ12章19節の「<テクノン>(子供)を遺さない」「<スペルマ>(跡継ぎ)を立てる」という言い方は、七十人訳申命記のこの規定を念頭に置いているのでしょう。ところが、レビ記18章16節では「兄弟の妻との関係」を禁じており、同20章21節には「人が兄弟の妻を娶るなら、それは汚らわしい」とあります。しかしこれは、兄がまだ生存している場合、あるいは、兄が息子を遺して亡くなった場合のことを指すと解釈されています〔フランシスコ会訳20章21節(注)2〕。「レビラト婚」には、妻が複数いた一夫多妻の時代では、どこまで「妻」の範囲を広げるのか、また亡くなった兄の娘あるいはその子孫と兄の兄弟との結婚の問題など、適用の範囲や場合が、遺産相続の問題とも絡んで様々な障害を生じましたから、後代の『ミシュナ』(後200年頃)の「イェバモット」にもレビラト婚に関する規定が論じられています。このような弊害から、後代のユダヤ教のラビたちは、レビラト婚を通常の婚姻関係へできるだけ近づけて解釈するようになりました〔Anchor(7)296〕。しかし、この制度は、イエスの頃にはまだ根強く残っていたようで、とりわけ、サドカイ派は、ツァドク系の長い伝統に根ざしていましたから、地上におけるイスラエルの民の家系の存続に強くこだわっていたと考えられます。
[20]~[23]サドカイ派がここで提示している「7人兄弟」の例は、復活問題と関連づけるなら、第二マカバイ記の「7人兄弟の殉教」物語とつながりがあると見られています。しかし、家系の存続と結婚との観点から見れば、むしろトビト記のほうに、その例を見ることができましょう。
〔トビト記〕今回の復活問答とその背景を理解するためには、「サドカイ派」と「ユダヤの大祭司職」と「レビラト婚」に次いで、ここで「トビト記」について記さなければなりません〔フランス『マルコ福音書』473頁〕。
プロテスタントでは「続編」に属するトビト記は、アラム語が原本であろうと推定されますが、現存するのはギリシア語訳とラテン語訳です。著者は離散のユダヤ人であると考えられますが、正確な執筆年代は不明です。アンティオコス4世の時代(前175~164年)に北シリアのアンティオキアで書かれたという推定があります[フランシスコ会訳トビト記解説]。トビト記の内容は続編で読むことができるので、内容の紹介は控えます。この文書が今回の問答と関係するのは以下の特徴を具えているからです。
(1)この物語は、直接にレビラト婚を扱うものではありませんが、その背景にはレビラト婚に近い「家系の存続」があります(6章12~13節/7章12~14節)。
(2)一人の女性が7人の夫に嫁(とつ)ぎながら、子を設けることがないままに、夫に死に別れたことが語られます。これがその女性にとっても、女性の父(とその家系)にとっても大きな恥辱と不名誉であることが記されています(3章7~10節)。
(3)ラグエル父娘は、悪霊の呪いを受けて、地上で子孫を得ることができず、家系の跡継ぎがないために「生きる望みを失い」かけます(3章12~15節)。神は、この父娘の祈りを聴いて、彼らの恥をそそいで子孫を与えるという大きな祝福を与えます。ここには、悪霊の働きと神からの祝福、この二つを通じて、「地上における家系の存続とその繁栄」が語られますが、死後の命あるいは地上の生命が復活する望みはいっさい表われません。呪いも神からの祝福も、終始この地上において生じる家系の存続と子孫の繁栄にその意義を見出しています。
(4)天使ラファエルが登場します。娘サラの不幸は悪霊アスモダイによる仕業だとされていますが、この悪霊を退治するのも、トビト父子とラグエル父娘の間の結婚をとりもつのも、人間に変装したこの天使の業です。彼はこのために遣わされますが、その正体を明かすことをせず、「アザリア」と名のってトビアと旅を共にします。トビト父子は、ラファエルを人間だと「思い違い」をしますが、それは、神によって隠された「思い違い」であって、最後にラファエルがその正体を明かすと、二人は気が動転します。この段階で、ラファエル/アザリアは、人間ではなく「幻」であったことを彼らは悟るのです(12章12~20節)。
(5)この物語が、イスラエルの民の罪の「赦しと贖い」、これと聖都エルサレムの復興とその完成によって結ばれていることにも注目しなければなりません(13章11~18節)。
サドカイ派は、20~23節で、イエスに「復活問題」を持ち出しますが、その際、7人の夫によっても子を得られなかった「妻の恥辱と不名誉」には触れていません。また、この恥をそそぐためには、<この地上において>子孫と家系を存続させるという神の祝福が欠かせないことにも触れていません。ここでサドカイ派は、「一妻多夫」が受け容れられないこと、「復活」がモーセ律法と整合性がないことを指摘しているのです〔デイヴィス『マタイ福音書19~28』(3)226頁〕。
23節では、「復活にあたり、彼らが復活する時には」と二重に復活が語られますが、「彼らが復活する時」を省く有力な多くの異読があります。繰り返しを避けるために後の写筆者による省略だと考えられますが(わざわざ繰り返しを挿入するとは考えにくい)、どちらの読みも可能です〔新約原典テキスト批評110~11頁〕。ここでは、人類全体の復活が考えられていて、亡くなった「7人全員が(復活する時)」の意味をこめて繰り返されているのでしょうか。
[24]イエスはここで、三つのことを指摘しています。
(1)彼らサドカイ派は「思い違い」をしていること。
(2)「思い違い」の一つは「聖書」の理解の仕方にあること。
(3)「思い違い」のもう一つは「神の力」を見誤っていること。
イエスがあげた3点は密接につながっています。「思い違い」とは、より正確には「誤った方向へ誘導される」ことです。サドカイ派が「誤った方向に誘導されている」とはどういう意味でしょうか?彼らは、ツァドク系の祭司制度を引き継いでいるという自負を抱いていました。彼らの神学は、創世記の天地創造の言葉「生めよ増えよ」で始まり、結婚を通じて、イスラエルの民が、約束の地(パレスチナ)で永遠に存続するという信念に基づくものでした。この「イスラエル存続信仰」が、ダビデ以来の王権思想を受け継ぐと共に、エルサレムの神殿制度とその大祭司職を支えるサドカイ派の政策を決定づけていたのです。パレスチナの地における存続こそ、ユダヤの貴族階級であるサドカイ派にとって、唯一の合理的な選択だったからです。
だから、サドカイ派の神学は、「この地上における」結婚を通じて、神の民イスラエルの繁栄を希求するものでした。地上の結婚による民の存続という合理的な思考様式こそ、サドカイ派の聖書解釈の基本的な姿勢だったのです。したがって彼らの思考は、地上での民と家系の存続を超えるような人間存在、例えば今の時代(アイオーン)を超える「復活」信仰、あるいは死後の霊魂の永遠性に救いを求める思想などには否定的な合理主義に貫かれていました。サドカイ派のこの神学によれば、聖書の言葉は、現世における地上的な有り様を定める「律法」であり、彼らの律法解釈は、この線に沿って行なわれていたと考えられます。
したがって、サドカイ派の立場から見れば、聖書的な意味で言う「復活」とは、それが仮にあったとしても、現世のことではなく、どこまでも「死後の復活」という形でしか想定することができなかったのでしょう。彼らが、「この世での結婚」と「死後に生じる復活」との間に、解き難い矛盾を見出して、「復活」を否定する立場からこの問題をイエスに問いかけたのは、このような理由からです。
イエスは、彼らが「誤った聖書解釈へ誘導されている」と指摘していますが、その「誤った聖書解釈」には、このようなサドカイ派の合理性があったと察知できます。民の地上的な生存と家系の存続を願う「自然な営み」に根拠を置く合理性が、聖書解釈における彼らの盲点となっていたのです。その結果、サドカイ派は、聖書が証しする神の言葉の創造的な働きとその力、人間の合理性それ自体をも超える「神の力」を正しく洞察することができなくなっていたからです。
前6世紀の捕囚期と、前2世紀のセレウコス朝による厳しい弾圧をも生き延びたイスラエルの民は、結婚を通じて民の存続を図るという自然な合理主義では説明できない、人の理解を超えるさらに大きな神の力が働いていることを学び取っていました。イエスはここで、「あなたたちは神の力を見誤っている」と言うのは、まさにこのことを指摘しています。だからイエスがここで「書かれたもの(聖書)」というのは、モーセ五書だけでなく、『第一エノク書』やマカバイ記など、イエス以前に「書かれたもの」全体を指していると考えられます。
イエスもまた創世記の創造にさかのぼって聖書を解釈していますが、その際に、「結婚」をサドカイ派が提起した制度的な狭い意味においてではなく、民が存続するためのこの世の自然な営み全体を表わす象徴として「結婚」をとらえています(ルカ17章26~27節を参照)。その上でイエスは、日常生活の営みの存続を超えるさらに大きな力がイスラエルの民に授与されているそのことを聖書の言葉から読み取るよう諭しているのです。
[25]【天使のように】サドカイ派が口にする「復活の時には/復活に際しては」"in the resurrection "という言い方は、イエスの時代にも、以後の教会においても、ユダヤ教とキリスト教の両方で慣用的になっていたのでしょう。ここでのイエスの答えは、復活が起こり、人が天使のようになるのは「何時か?」という問いに対するものではなく、人間が復活した状態になるとは「どういう存在なのか?」に答えるものです。ここでのイエスの答えは、イスラエルの伝承において、すでに語られていたことです。イエスの頃にも、堕落以前のアダムとエヴァは天使の存在に近かったという説、天使は人間の女性と交わることで堕落した(創世記6章2節)という説、天使は天体のように不滅であるとする説などがありました。
イエスがここで「死者(たち)の中からの復活」に言及するのは、サドカイ派の問う「復活」が「人の死後の復活」に限定されているからです。その上でイエスは、復活した人間存在は、もはや地上における「結婚」から解放されていて、それは言わば「天使」の存在に近いと指摘しています。ちなみにイエス自身は、「復活」の出来事それ自体を「死後」のことに限定しているわけではありません。また、死後の世界とこの世とを対照させる目的で、天使の存在と結婚とを対比させているのでもありませんから注意してください〔この点は、章末の付論「イエス前後のユダヤの復活思想」の「イエス」の項を参照してください〕。トビト記では、天使は、悪霊の働きを退治するための神の祝福をもたらす役割を担っていて、天使ラファエルの働きは、死後の世界に限定されはいません。彼はまた、地上の人間的な生活を超越する働きでもなく、終始、神と共に歩む人間の「友達」として、家系の存続を願うトビト父子の結婚を手助けしています。今回の問答でも、イエスが天使を持ち出しているのは、地上において人と共に歩みつつ、しかも最終的には神からの力を発揮するという「天使の働き」を指しているのでしょう。イエスは、サドカイ派に対して、聖書解釈における彼らの「思い違い」を指摘して「天使」を持ち出していますが、わたしたちはここで、イエスの答えが、「復活」と「結婚」と「天使」についてのイスラエルの伝統的な霊性を背景にしていることを洞察する必要があります。
[26]~[27]25節は「死後の復活」についてサドカイ派の問いに答えていますが、26節は、「復活」それ自体がありえないとする彼らの前提の「誤り」を指摘しています〔コリンズ『マルコ福音書』562頁〕。26節の「死者が復活する」は、「死者が復活させられる/よみがえらされる」と受動態になっています。これは、復活が人の自然な営みからではなく、聖書に証しされている「神の力」による働きであることを指すのでしょう〔フランス『マルコ福音書』475頁〕。サドカイ派は、上述した理由で、モーセは復活を信じていなかったと主張していたのかもしれません。そうだとすれば、イエスがここで、出エジプト記3章6節の「モーセの柴の篇」を持ち出している理由がいっそうよく分かります〔コリンズ前掲書〕。なお、七十人訳出エジプト記3章6節は「<わたしは>、あなたの父の神<である>」"I am the God of your father." で始まりますが、マルコ福音書では、七十人訳の「わたしはある」がなく、「あなたの父の神」も省筆されています(ヘブライ語原典にも<ある>という動詞はでてきませんが、「わたし」が強調されていますから、語法的には七十人訳と同じ意味です)。また、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」はヘブライの伝統的な「命の神」を表わす言い方で(詩編30篇7~11節を参照)、イエスの頃のラビたちも同様のことを述べています〔コリンズ『マルコ福音書』562頁〕。
25節でイエスは、「復活」を「死後」のことに限定して、これを「天使」の有り様と関連させ、地上での「結婚」とは関わりがないと告げています。「復活」を来たるべき後の世(時代)の出来事だとすること、したがって、アブラハムたち父祖は、現在は陰府(シェオル)にいて来たるべき世(時代)が訪れるのを待っているが、終末の神の時には、父祖たちも復活することだと解釈することもできます。ただし、ここには後のキリスト教会の復活観が繁栄しているという見方もあります〔新共同訳『新約聖書注解』(Ⅰ)441頁〕。
しかしイエスのほんらいの言葉は、復活が、人間の死後のことに限定されることを意味するのでは<ない>こと、また人間の救いが、死後の「霊魂」の永遠性と地上の「肉体」の滅性という霊肉二元論に基づいているのでもありませんから、この点で、イエスの復活観を誤解しないようにしてください。
ところで、「死んだ者の神ではなく、生きている者の神」という言い方は、まさにサドカイ派の神概念と一致するものです。ところが、この同じ言葉が、サドカイ派では復活の否定の根拠となり、イエスでは、「神から人に与えられる復活の力」を証しする言葉として引用されています。「あなたたちは大変な思い違いをしている」というイエスからのサドカイ派への警告は、聖書に「神の力」を読み取るイエスと、合理性に徹するサドカイ派との聖書解釈の違いを露わにしています。
■マタイ福音書の復活問答
マタイ福音書の記事はマルコ福音書に依存していますが、サドカイ派の問いかけやイエスの答えの部分で、マルコ福音書の叙述をやや縮めています。マタイ福音書とルカ福音書とがマルコ福音書にはない箇所で一致していますが(「最後に」彼女も死んだ)、これは相互依存によるのではなく、偶発的なものでしょう〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)221頁〕。
[23]【その同じ日に】マルコ福音書にはありません。直前の問答とつなぐためのマタイによる編集です。
【復活はないと言っている】マルコ福音書の「言っている」に対して、マタイは「言いつつ」と分詞形を用いています。だから、サドカイ派は常々復活を否定していたというマルコ福音書の意味ではなく、「復活は存在しない」と直接イエスに告げたという意味にもとれます。「復活なしと主張しながら」〔塚本訳〕。これに対して「(サドカイ派は)甦りはないと言っている者たちである」〔岩波訳〕。マタイは、イエスが復活を信じているのを承知の上で(マタイ16章21節)、サドカイ派が「復活は存在しない」とイエスに向かって主張したと受け取ったのでしょうか。マルコ福音書の内容を汲みつつ、分詞形で形を整えただけでしょうか。
【サドカイ派】マタイ福音書では、「ファリサイ派とサドカイ派」として、全部で7回でてきます(3章7節/16章1節/6節/11節/12節)(マルコ福音書とルカ福音書では今回の箇所だけ)。ただし、今回の2箇所では、サドカイ派とファリサイ派とが区別されています。なお、使徒言行録(4章1節/5章17節/23章6~8節)では、サドカイ派とファリサイ派とが区別される場合が多いようです。
[24]24節でマタイは、マルコ福音書の「(兄の妻を)受け容れる」を「婚姻関係を結ぶ」と言い換えて、結婚による家系の姻戚関係をはっきりさせています。なお、「(兄の跡継ぎを<もうけねばならない>」とある動詞では、マルコ福音書の「子を設ける」をマタイは「種(子)を立てる」(「アニステーミ」の未来形)に変えています。この未来形は命令に近く、「アニステーミ」には、「起こす/復興する/復活させる」の意味もありますから、サドカイ派は、「子孫を通じて復活する」という意味をも含ませているのでしょうか。
[25]25節で、マタイは「わたしたちの間で」を加え、長男の場合だけを詳しく述べ、以下を簡略にしています。「わたしたちの間で」とあるのは、実際にあった出来事を語る言い方だとも受け取れますが、イエスの時代にレビラト婚がここまで徹底していたとは思えません。マタイは、サドカイ派の不誠実を表わすために、彼らに偽り事を語らせているのでしょうか〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)225頁〕。むしろ、「わたしたちの間」は、サドカイ派がトビト記のことを念頭に置いていて、その伝承のことを言うのでしょう〔デイヴィス前掲書(注)27〕。
[27]27節でマタイは、マルコ福音書の「最終的に」(ヘスカトン=最終/終末)を「最後に」(ヒュステロン)へと言い換えています。「終末」と区別するためでしょう。
[29]29節では、マルコ福音書の疑問文をマタイは平叙文に変えて、イエスの語気を強めています。
[31]【あなたたちに言われた言葉】直訳は「あなたたちに言われていること」で、この言い方はマタイ福音書だけです。マタイは、イエスの答えを一般化せずに「あなたたちサドカイ派」に向けています。その上で、マルコ福音書にあるモーセ五書からの引用部分を省いて、「あなたたちは聖書を知らない」とサドカイ派の聖書解釈の基本原則それ自体の誤りを指摘するのです。
[32]マルコ福音書では「わたしは、アブラハムの神・・・・・」とあり、「である/であった」という動詞は出てきません(ヘブライ語原典に近い)。マタイは、「わたしは、~である」"I am " と動詞の現在形を入れています(七十人訳に近い)。イエスがここで言う意味は次のように解釈されています〔デイヴィス『マタイ福音書19~28』(3)231~32頁〕。
(1)神は「アブラハムの神・・・・・<であった>」のではない。神は、今もなお「アブラハムの神・・・・・<である>」から、今もそのまま働いている。だから、アブラハムもイサクもヤコブも「死んでしまった」存在ではなく、彼ら父祖は、今もなお生きているか、あるいは「復活するために」今も陰府で待っている〔ルツ著『EKK新約聖書註解・マタイによる福音書』(3)319頁〕。さらに言えば、「アブラハムやイサクやヤコブは甦って今も生きている。だから甦りはある」という意味にもなりましょう(ヨハネ8章51~59節を参照)。こういう考え方は、イエスの頃のユダヤ教にもありました。
(2)サドカイ派の「不毛」の例えに反論して、神は不毛を克服して、アブラハムにイサクが与えられたように「死の不毛の中から命を創造する」ことができる(創世記15章3~5節参照)。
(3)「アブラハムの神」であるとは、不滅の神が、人間アブラムと契約を交わすことによって、消滅する人間存在をも不滅の霊性へと変容させることを意味する。これはアレクサンドリアのユダヤの哲学者フィロン(前25~後45/50?年)の解釈によるものです。
[33]この部分はマルコ福音書にありません。サドカイ派が聖書解釈の誤りを指摘されて、これを聴いていた群衆はイエスの教えに「驚愕(きょうがく)する」と同時に深く感銘を受けたのです。マタイ福音書では、指導層と群衆とで、イエスの教えに対する反応が対比されています。
■ルカ福音書の復活問答
ルカの記事もマルコ福音書に依存していますが、ルカは、マルコ福音書の用語を訂正したり、セム的な繰り返しを省いたりしています(ルカ20章34節を参照)。とりわけ、ルカは37~39節で独自の編集を加えて、イエスの答えの内容を拡充させています。
[27]ルカは、マルコ福音書の「サドカイ派」を「サドカイ派の<幾人か>が」へと、また、マルコ福音書の「来て」を「近づいてきて」と言い換え、マルコ福音書の「復活はないと言う」を「復活はないと<否定する>」と二重の否定に言い換えて、サドカイ派の姿勢を強めています。ここをマタイ福音書の語順通りに「復活はないと言う」と読む異読がありますが、これはマタイ福音書に影響された読み替えでしょう〔新約原典テキスト批評169~70頁〕。
[29]~[33]ルカは、ほぼマルコ福音書に準じていますが、「子なくして」"childless"など、マルコ福音書の表現を法的な用語に変えたり、繰り返しを縮めています。また、マタイ同様に、長男の場合だけを述べて後を簡略にしています。マタイ福音書とルカ福音書のこの共通性は、相互の影響によるものではないと思われます。
[34]34~36節は、マルコ福音書を採り込みながら、ルカ独自の言い方に変えられています。34節では、マルコ福音書の「イエスは彼らに述べた」を「そこでイエスは彼らに告げた」と言い換えてます。続く34~35節で、ルカはマルコ福音書の言い方を大幅に拡充させています。「この世の子ら」という言い方は、神への信仰に生きる者たちから区別する意味でルカ16章8節にもでてきてます。イエスは今回も、「娶り娶られる(嫁ぐ)こと」を今のこの「アイオーン」(世/時代)の人間の有り様全体を象徴させる意味で語っています(ルカ17章27節)〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)68頁〕。
[35]35節の前半を直訳すれば、「彼(か)の世に与り死から復活するのにふさわしい資格が具えられた者たちは」です。「ふさわしい資格が具えられた」はマルコ福音書にはないルカ独自の用語です。この受動態アオリスト分詞は、「彼(か)の世に与る人」への神からの恩恵を表わすのでしょう〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)68頁〕。ここには、神によって定められた「この時代」と「来たるべき時代」という旧約以来の伝統的な二分法がでてきます。「この世(時代)」と「来たるべき世(時代)」は、ユダヤ教では独特の仕方で対比されています。これの最も典型的な例がマルコ10章30~31節で(ここでは「カイロス」と「アイオーン」が併用されていますが内容的に同じです)、ここでも「この世」と「永遠の命」が対比されています。これに相当するのは、ルカ福音書では今回の34~35節だけです。ただし、後期のラビ文献にはこの二つの対比が出てきます〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1206頁〕。伝統的なユダヤ教では、「彼(か)の世」は「神に祝福された状態」を指しますが、その性格は「この世における祝福体験」の延長あるいは再興/再現にほかなりません。
したがって、ユダヤ教の「この時代と来たるべき時代」の関係は、「死滅する肉体と永遠の霊魂」というギリシア的な二元論から生じる考え方ではありません〔フィッツマイヤ前掲書1301頁〕。ただし、ギリシア哲学の影響を受けたフィロンや、これもおそらくヘレニズムの人たちを意識したヨセフスの生死観には、霊肉の二元的な影響を見ることができます〔付論「イエス前後のユダヤの復活思想」のヨセフスの項を参照〕。「この世」と「彼(か)の世」の対比は、輪廻転生の思想を含む仏教的な「この世」と「あの世」とも異なりますから注意してください。ただし、イエスの頃のユダヤ教は、クムラン文書に見るように、ペルシア帝国以来の二元論的な終末観やギリシア的な霊肉の二元論の影響を受けていますから、一様ではなく多様です。
ルカは、ここの「娶ることも嫁ぐこともない」で、「この世/時代」の人と神に召された者との基本的な違いを言い表わしていますが、それは、死後のこと、あるいは未来のことだけではなく、終末を待望しつつ歩んでいる<現在の状態>にも目を向けているのです〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)68頁〕。おそらくこれは、パウロが結婚生活について述べている状況に近いもので(第一コリント7章31~34節)、イエスと最初期のシリアのキリスト教徒の頃にさかのぼる形態を指すのでしょう。彼らは結婚に関しても禁欲的であり、一度結婚したら、それを変えることをしませんでした〔ボヴォン前掲書69頁〕。
ルカは、ここで、マタイ=マルコ福音書のように、サドカイ派の「思い違い」やその聖書解釈上の「誤り」をいっさい指摘していません。ルカのこの記事は、サドカイ派を批判するよりも、彼らの質問を通じて、そもそも「復活」とはどういうことなのかをイエスの口から語らせようとしているのです。このためでしょうか、今回の結びで、ルカ福音書だけが、イエスの答えに律法学者が賛同しています(39節)。
[36]直訳すれば、「だから、(彼らが)死ぬことはもはやありえない。なぜなら彼らは天使と同等で、神の子であり復活の子であるのだから」です。「天使と同等」はルカだけの言い方です。ルカは「復活の子」を天使と完全に「同一視」することはできませんが、天使と「同等」の霊的な存在であると言うのです〔ボヴォン前掲書70頁〕。「復活の子」とは、神が与える復活に与る者のことで("because they share in the resurrection"〔REB〕)、それゆえ彼らは「神の子」です。この言い方は神との契約に与る「イスラエルの民」を指す用語ですから、自然な営みから生まれる子孫のことではなく、「神との契約」によって生じる「縁組み」を指しています。彼らが「娶り嫁がない」のは、神との契約関係にある「半天使的な」存在として、もはや死ぬことがなく、子孫を残す必要もないからです。「従って子を産む必要がないからである」〔塚本訳〕。
34~36節は、マルコ福音書に依存しているのではなく、ルカ独自の資料からではないか、これだけで独立した資料伝承で、マタイ福音書のそれとも共通するのではないか、という見方があります。ルカは、その独自資料にも「天使と同等」や「復活の子」などの書き加えを行なっています。その結果、マルコ12章24~25節とルカ20章34~36節とは、大幅に異なるものになっていて、ルカ版では、「この世」と「来たるべき世」の対照がはっきりしています。ここでの論議は、1世紀のラビの議論と共通する部分が多く、この意味で、ルカ版のほうがよりイエスほんらいの議論を伝えるものであり、マルコ福音書のほうは、後のキリスト教会とユダヤ人との間の論議の影響を受けているという見方もあります〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)63頁〕。
34~36節で対照されているかに見える「この世」と「彼の世」の関係は、大事なことなので、少し長いけれどもボヴォンの注解から訳出することにします〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)67~68頁〕。
「イエスにさかのぼる(とされる)これらの言説は、ほんらいどういう意味なのだろうか? ここでは、『この時代』と『彼の時代』というユダヤの二つのアイオーン(世/時代)が対照されている。ところが、ユダヤ人は、これら二つのアイオーンを必ずしも継続的に見てはいないし、これら二つが、無時間的な二つの領域のこと、すなわち並行するふたつの支配領域とか、時代ではなく(地上と天上という)二つの空間領域のことを指してもいない。わたしに言わせると、歴史的イエスと最初期のクリスチャンたちの終末観に照らせば、これらの言説は、部分的に重なり合う二つの時代を意味している。『彼の時代』は、すでに『この時代』に始まっている(ルカ16章8節)。この仮説を支持するため、わたしは、文法的な時制、34節(b)~36節の主な動詞がすべて直説法現在形であることをあげたい。さらにわたしが注目したいのは、『彼らが死者からよみがえる時』(マルコ)とか『復活に際して』(マタイ)とか(時間的な)詳細を特定しながらも、マルコも、これに続くマタイも、必ずしも二つの継続する時代を示唆してはいない。なぜなら、そこにも直説法現在が用いられているからである(マルコ12章25節/マタイ22章30節)」
[38]「死んだ者の神ではなく、生きている者の神」とは、「もしアブラハムあるいは他の父祖たちが、死ぬことで存在しなくなったのなら、(生ける)神は、(もはや)彼(アブラハム)の神ではないことになるだろう。『わたしはアブラハムの神<である>』とは、アブラハムは今なお生きているという含みである」〔プランマー『ルカ福音書』(1964年版)471頁〕。38節後半の「すべて」とは父祖たちだけでなく、35~36節で言われているすべての者を指していることになります〔前掲書〕。
[37]【死者が復活すること】ここは、「死者が(これから)復活すること」なのか〔新共同訳『新約聖書注解』(Ⅰ)363頁〕"that the dead are raised to life again"〔REB〕、それとも「死者が(すでに)復活していること」"the fact that the dead are raised"〔NRSV〕なのか?「復活が起こる時期」についてあいまいです。/「アブラハム、イサクなども、皆復活して今生きている」〔塚本訳〕〔岩波訳37節(注)9〕。
【モーセも】「柴の箇所」とは出エジプト記3章4~6節のことで、マルコ福音書では、モーセの柴の篇を通じて神自身が告げているとあります。しかしルカは、これを「モーセが顕した」としています。ルカはまず「主」で始めて神である「ヤハウェ」の名前を示唆します。サドカイ派は、モーセ五書に「人が復活する」ことについて述べていないことを復活を否定する根拠の一つにしていますが、イエスは、これに対して、モーセの出エジプト記3章6節を引用して、モーセの神は命を造り出す「生きた神」であるばかりでなく、アブラハム、イサク、ヤコブたちイスラエルの父祖たちと「今も共にいる」(これが「アブラハム<の>神」の意味)」のだから、彼らは、陰府に捨ておかれることがなく(使徒言行録2章27節/同31節)、すでに復活して今も生きている」と告げるのです。こういう解釈は、マカバイ戦争以前にはなかったものですが、迫害と殉教を経たユダヤ教の中で、前1世紀末からイエスの時代にかけて生じたものです(ルカ9章60節参照)〔ボヴォン前掲書71~72頁〕。
ルカは、(1)マルコ福音書の神からの語りかけをモーセからの語りへと変えているだけでなく、さらに、(2)出エジプト記3章6節だけでなく同3章16節をも併せた内容を含ませています。これによって、神は、モーセに顕した「ヤハウェ」の神名をすでにアブラハムたち父祖にも顕していたことになります〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)61頁〕。そこには、「<ヤハウェ>こそ、<永遠に>わたしの名であり、(イスラエルの)世々代々にわたり覚えるべき名である」(七十人訳出エジプト記3章16節)とあります。(3)その上でルカは、「なぜならすべては神から(の命で)生きる」を加えます。37~38節で、ルカはマルコ福音書を大幅に書き換えるのです。
ここで、「(神は)死んだ者の神ではなく、生きている者の神」というのは、「神」とはすなわち「命を与える神」であることを意味します。だから、死後、陰府(よみ)に留まっていて、将来において「彼の世」が訪れる時には復活する〔新共同訳『新約聖書注解』(Ⅰ)363~64頁〕という意味ではありません。このような解釈は、今回のルカ福音書のイエスの答え(34~38節)を歪めるおそれがあります〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1307頁〕。また、「なぜならすべて(の人)は、神にあって生きるであろう」を自分の時代のキリスト教的な見方を表わすためにルカが書き加えたと見ることも適切でないでしょう。
[38]「死んだ者の神ではなく、生きている者の神」について、次のような解釈があります。「もしアブラハムあるいは他の父祖たちが、死ぬことで存在しなくなったのなら、(生ける)神は、(もはや)彼(アブラハム)の神ではないことになるだろう。『わたしはアブラハムの神<である>』とは、アブラハムは<今なお生きている>という含みである」〔プランマー『ルカ福音書』(1964年版)471頁〕。38節後半の「すべて」とは父祖たちだけでなく、35~36節で言われているすべての者を指しています〔前掲書〕。プランマーのこの解釈以後も、不滅の霊魂と消滅する肉体の二元論や、現在ではなく終末の裁きの時に、父祖たちが陰府からよみがえって命を与えられるという「未来のアイオーン」の復活解釈など、38節については諸説があります。しかし、プランマーの解釈は、現在(2017年)でも、適切だという説が有力です(37節の注釈を参照)。
[39]~[40]この部分はルカによる編集です。「律法学者」とあるのは、おそらく「復活」を支持するファリサイ派の律法学者のことでしょう。「彼ら」は文中にはなく、「もはやだれも~しない」という否定が重なります。しかし、「それ以上問いただそうとする勇気を失った」人たちとは問いかけたサドカイ派を指すのでしょう。彼らは「納得もできず、問いただすこともできない」ままに、「後はただ沈黙」したのでしょう〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)73頁〕。
40節は、内容的にマルコ12章32節と共通します。ルカがマルコ福音書のこの箇所を今回の箇所に移したのは、マタイ=マルコ福音書では、続いて「最重要な掟」が語られますが、ルカはこれを省略しているからでしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1299頁〕。
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