【注釈】
■マルコ福音書の「ダビデの子とは?」
 今回は、イエスのほうから、詩編110篇1節を引用して、「ダビデの子」について人々に問いかけます。「メシア」が「ダビデの<主>」であるのなら、メシアのほうがダビデよりも優位にあるはずではないか。それなのに、どうしてメシアは「ダビデの<子>」だと言われるのか? この問いかけは、「ダビデの子」という名称を「否定はしないまでも、おとしめている」〔フランス『マルコ福音書』483頁〕という印象を受けます。問題は、今回のイエスの問いかけが、すでにペトロがイエスを「メシア」だと告白していることであり(マルコ8章29節)、しかも、エリコでは、イエスが「ダビデの子」だと呼ばれていることです(マルコ10章47節)。その上、エルサレム入城に際して、人々は「父祖ダビデの国」を復興するメシアとして、歓呼してイエスを迎えています(同11章10節)。さらに加えると、後の最高法院での裁判の席で、大祭司から「お前は、ほむべき方の子、メシアか?」と訊ねられて、イエスはこれに肯定的に答えています。この文脈で見ると、今回のイエスの問いかけは、イエスが「メシア」であることと、そのイエスが「ダビデの子」であることとをめぐる謎が、逆に深まります。しかも、イエスがこの問いの答えを明らかに語らないままに終わっていますから、謎はいっそう深まります。
 こういうわけで、今回は、解釈が様々に分かれます。この箇所は、「メシア」と「ダビデの子」の関係について、福音書の記者であるマルコが、彼の同時代のキリスト教徒のメシア観に基づいて創作した「逸話」だという見方があります〔コリンズ『マルコ福音書』582頁〕。その理由として、以下の4点があげられています。(1)ここで引用されている詩編110篇1節は、初期キリスト教徒の間で、イエスがメシアであることを示すものと受け取られていた。(2)ここでは、イエスがメシアであることがすでに前提されている。(3)引用が、七十人訳のギリシア語の「主」(キュリオス)の掛け詞に関係している。(4)「ダビデの子」よりも「メシア」を上位に置いていることから、この記事は、パレスチナのユダヤ人キリスト教徒ではなく、ヘレニズム世界の離散のユダヤ人キリスト教徒の間で作られたと考えられる。
 これに対して、次のような反論がなされています。(1)詩編110篇が初期キリスト教徒の間でメシア・イエスの根拠とされていたことが、イエス自身がこの詩篇を引用<しなかった>根拠にはならない。それどころか、逆にイエスがこの詩篇を引用したことを示唆する。(2)イエスが「メシア」であり「主」であることが前提にされていると言うが、今回の記事は、その逆で、まさに二つの称号の間に潜むあいまいさを問いかけている。「メシア」をめぐるこのあいまいな解釈は、イエスの復活信仰<以前の>からの伝承であることを示唆する。少なくとも、復活信仰<以後に>作られたことの根拠にはならない。(3)今回の引用の「主」には、その背後にアラム語の「マーレー/マーラー」(主・王・領主)の掛け詞を想定することができる。(4)ヘレニズムのユダヤ人キリスト教徒の間で、「ダビデの子」と「主」との間に、意味の違いが存在していた証拠はどこにもない〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)250~51頁〕。
 イエスが「ダビデの子である」という伝承と信仰は、1世紀半ば過ぎのユダヤ人キリスト教徒だけでなく、異邦人キリスト教徒の間でも自明のことだとされていました(ローマ1章3節/第二テモテ2章8節その他)。だから、教会の伝承や信仰に反するとも想われる今回の記事を教会による創出だと見なすのは適切でありません〔フランス『マルコ福音書』484頁〕。 今回の記事は、イエスが「メシア」であると「ほのめかしてはいるが明言してはいません」〔デイヴィス前掲書251頁〕。だから、イエスの出来事を伝える伝承にさかのぼると見なすことができます。「ダビデの子とは?」は、ほんらいイエスの第二に質問「ダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアが『ダビデの子』なのか?」というイエス自身による問いかけから出ているます〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1309頁〕。問題は、イエスがどのような意図で詩編110篇を引用したのか?また、そこに含まれる疑問をイエスがどのように説明したのか?これが見えてこないことです。おそらく、今回のマルコ福音書の記事は、この伝承を通じて、イエスが、イスラエルで伝承されてきた「ダビデの子」だけでなく、「神の子」としての「メシア」でもあると伝えようとしているのでしょう〔フランス前掲書484~85頁〕。
マルコ12章
[35]【神殿の境内】イエスは、マルコ11章27節に始まる権威問答以後も、日ごとに神殿で教え続けています。これが12章44節の「やもめの献金」まで続き、13章1節から終末預言へ移行します。マルコ福音書が言う「神殿内で」とは、「異邦人の庭」と呼ばれる本殿の境内のことです。過越祭で大勢の人たちが集まっていましたから、そこで教えているイエスの姿は、人々の間で評判になったでしょう〔フランス『マルコ福音書』485頁〕。同時に、神殿の城壁では、特別警戒のローマ兵たちが見張っており、神殿警護のユダヤ人の役人も警戒を強め、祭司長たちや律法学者(主としてファリサイ派)たちは、イエスの「教え」に警戒を強めていたと思われます(ヨハネ18章19~20節参照)。
【律法学者】マタイ=ルカ福音書と異なり、マルコ福音書では、「メシア」を「ダビデの子」だと定義しているのは律法学者です。前回の律法学者とは異なり、今回の律法学者に対して、イエスは批判的な様子を見せています。これが、続く律法学者に対する批判になります。律法学者が引き合いに出されていますから、イエスの問いかけは、「メシア」と「ダビデの子」との関係を問う神学的な論争であることが分かります。ちなみに、「メシア」と訳されている原語は、定冠詞付きの「ホ・クリストス」です。「キリストがダビデの子だと言うのか」〔岩波訳〕/「救世主(キリスト)はダビデの子である」〔塚本訳〕。
【ダビデの子】終わりの日には、「ダビデの子」メシアが現われるというイスラエルの伝承は、預言者ナタンによるダビデ王への預言までさかのぼります(サムエル記下7章12~13節)。しかし、イエスの直近の頃の伝承としては、『ソロモンの詩編』があります。現存するのはギリシア語写本ですが、ヘブライ語の原典が想定されています(書かれた時期は、ローマの将軍ポンペウスによるエルサレム占領以後の前63~48年頃〔『聖書外典偽典』(5)旧約偽典Ⅲ22~23頁〕)。『ソロモンの詩編』17章は、「神の王国」とダビデへの約束で始まり、「主よ、ごらんください、あなたが予知なさっている時期に、神よ、あなたの僕イスラエルに君臨するダビデの子を王にたててください」(17章21節)とあります。この伝承は、律法学者を含む主としてファリサイ派に受け継がれていましたから、イエスは「律法学者」を引き合いに出したのでしょう。ただし、「終末に訪れるメシア」をめぐっては、様々な憶測や預言がありましたから、これの正確な意味は、語る人によってそれぞれ異なると言えるほどです。
 マルコ福音書では、「ダビデの子」が、バルティマイの呼びかけに始まり(10章47節)、民衆の歓呼に受け継がれ(11章10節)、今回の記事へ続いています。だから、直前の律法学者と同様に、ここでも、律法学者を引き合いにして「ダビデの子」がでるのは、イエスをたたえるためだと理解できなくもないでしょう。しかし、問題なのは、今回のイエスの問いかけが、「ダビデの子」をそのように肯定的な意味合いで持ち出しているようには、どうも見受けられないことです。イエスは、続く問いかけで、「ダビデの子」を「メシア」よりも一段低く見ている、という印象を受けるからです。今回の律法学者は、直前の律法学者とは対照的に、イエスから批判の対象にされているようです。今回の記事が律法学者への非難へ続くことから判断すると、マルコ福音書では、民衆の「ダビデの子」賛美と律法学者の言う「ダビデの子」とは、相互に対照されているようです。これを背景にしながら、イエスと祭司長・律法学者たちとの間の溝が深まっていく過程を読み取ることができしょう(14章1節)。
 イエスがここで、律法学者の言う「ダビデの子」をやや否定的に扱うのは、この称号がイスラエルの民族主義を煽(あお)る政治的な意味を帯びているからです。このためにイエスに敵対する側から「ダビデの子」称号が利用されることを避けようとしているのでしょう〔フランス『マルコ福音書』484頁〕。しかし、作者であるマルコ自身のほうは、今回の記事を通して、イエスの「メシア性」が、単なる「ダビデの子」伝承に基づくだけでなく、それ以上に、イエスこそ「神の子」であることを読者に読み取らせようとしているのです〔フランス前掲書〕。
[36]【聖霊を受けて】イエスはここで、「ダビデが聖霊にあって語った」と言っています。これは「ダビデが、神あるいは主(ヤハウェ)の霊に感じて預言した」と言う意味です。ダビデが「神の霊感を受けて語った」という伝承は、ダビデの最後の言葉と伝えられる「主(ヤハウェ)の霊はわたしを通して語り、その言葉はわたしの舌の上にある」(サムエル記下23章2節)にさかのぼります。このことから、ダビデはイスラエルの偉大な王であっただけでなく、「預言者」でもあったという伝承が生じました。こういう「預言者」としてのダビデ像は、新約聖書にも受け継がれます。特に今回の箇所との関連では、詩編110篇1節の引用が含まれる使徒言行録2章30~35節が重要です。この箇所では、「預言者ダビデ」が、自分の子孫から「イスラエルの王位」につくメシアが顕れること、メシアが「復活する」と預言されていること、だから、十字架につけられ復活し「神の右に座す」イエスこそが、ダビデに優る「メシア」である、こう証しされています。
 近年の詩編110篇の解釈では、「わが主君へのヤハウェ(主)の御告(みつ)げ」〔岩波訳〕で始まるこの詩編は、ほんらい、王の即位に際して、詩人(わたし)が「わたしの主君」である王に、ヤハウェ(主)からの御加護を祈って献げる詩であったと考えられました。ただし、現在では(2018年)、110篇は、捕囚期以前のイスラエルの王権賛美を受け継いでいるけれども、捕囚期以後(前6世紀後半~前5世紀)に、イスラエルの王権と祭司制が合体したために、新たな解釈がこの詩に加えられたと見なされています。110篇は、王と祭司が合体した理想の王権を体現するメシアが到来することを預言する「捕囚期以後のメシア(預言)の詩編」〔Hossfeld. Psalms (3).144〕だとされています。イエスは、この詩篇を引用して、ダビデ王が、「わたしの主」として仰ぐ「メシア」について「アドナイ(主)・ヤハウェからお告げがあった」と語っている、こう解釈しています。イエスのこの解釈は、現在の詩編解釈に照らしても、決して的外れでないことになります〔フランス『マルコ福音書』487頁〕。ただし、今回の「聖霊」は、二つの定冠詞によって限定されていますから("in the Spirit the Holy")、マルコ福音書には、旧約時代の「神からの聖なる霊」だけでなく、彼と同時代のキリスト教徒が言う「神からの聖霊」をも重ねていると思われます。
【わたしの右に】古代エジプトのアブ・シンベル神殿には、太陽神アムンの(向かって)右にラムセス2世(前1279~1213/12年)が座り、対面して右端から順番に、レ神、ラムセス2世、太陽神アムン、プタ神の順に並んでいます。神々の加護を受けて敵に勝利する王の姿は、エジプトを始め古代オリエントに多く見ることができます〔Hossfeld. Psalms (3).146/151〕。
【足もとに】原文の直訳は「わたしが~あなたの敵(複数)をあなたの足(複数)の真下に置く(アオリスト接続法)まで」です。「足もとに」では、読み方にばらつきがあるので、以下に整理してあげます。
(1)七十人訳詩編8篇7節「あなたはすべてのものを彼の足の<真下に>置いた」
(2)七十人訳詩編110(109)篇1節「わたしが、あなたの敵をあなたの足の<足台>として置くまで」
(3)第一コリント15章25節「彼はすべての敵を彼の足の<下に>置く」」
(4)マルコ12章35節「わたしがあなたの敵をあなたの足の<真下に>置くまで」
  (「真下に」を「足台として」と読む異読がある)
(5)マタイ22章44節「~あなたの足の<真下に>~」
  (「真下に」を「足台として」と読む異読がある)
(6)ルカ20章43節「~あなたの足の<足台>として~」
(7)使徒言行録2章35節「わたしはあなたの敵をあなたの足の<足台>として置く」
  これで見ると、マタイ=マルコ福音書は、全く同じ読みと全く同じ異読になっています。このことは、マルコが、七十人訳詩編110篇1節を引用する際に、「足台として」(名詞)を「真下に」(前置詞 "underneath")と書き換え、マタイもマルコの書き換えに従った。しかし、後の編集者が、二つの読みをルカ福音書=使徒言行録(とおそらく七十人訳110篇)に従って、ほんらいの「正しい」読み方に変更したと見ることができます〔新約原典テキスト批評111頁〕〔コリンズ『マルコ福音書』577頁〕。マルコが「足台として」を「真下に」へ書き換えたのは、七十人訳詩編8篇7節から出ているのでしょうか〔フランス『マルコ福音書』482頁(注)36を参照〕。
[37]【どうして】「何を根拠にして?」というこの問いかけは、「メシア」が「ダビデの子」ではありえないと否定的に断定するのではなく、「いったいどう説明したらいいのか?」と相手に問いかけているのです〔フランス『マルコ福音書』487頁(注)93〕。
【主と呼ぶ】ここでイエスは、詩編110篇を現代のわたしたちの詩編解釈の視点で読むのではなく、この詩が<ダビデ王の作>であることを前提にしています。イエスの問いは「ダビデ自身が彼を『主』と呼ぶのなら、どうして彼の子なのか?」です。「彼を」とは36節の「わたし(ダビデ)の主」ですが、「彼の」は「ダビデの」です。だから「メシアは『ダビデの子』であるよりも、むしろ『ダビデの主』ではのないか?」〔フランス前掲書〕と問いかけるのです。
 ここでイエスは、人々が、律法学者の言う「ダビデの子」をそのまま「メシア」に当てはめることを警戒しているように見えます。当時の人々が言う「ダビデの子」には、神学的・宗教的な意味だけでなく、かつてのダビデ王国時代の再興を願う政治的な意図も含まれていましたから、イエスを「メシア」だと信じる群衆が、これを「ダビデの子」と同一視することで、イエスに対して誤ったメシア観を抱く恐れがあったからでしょう。ただし、イエスの頃の「ダビデの子」は、政治的な王権だけでなく、祭司的な意義も帯びていました。このことから、ここでイエスは、エルサレム神殿の祭司制度を批判していると見る説もありますが、今回のイエスの問いかけをそこまで深読みする必要はないでしょう。マルコ福音書の作者は、今回の記事で、メシアとしてのイエスが「ダビデの子」であるだけでなく、「神の子」でもあることを読者に悟らせようとしています〔フランス前掲書488頁〕。そうだとすれば、わたしたちは、今回の記事に、「人の子」イエスから「神の子」イエスへの移行過程を読み取ることができましょう。「ダビデの<子>」には「子孫」と「息子」の二つの意味があります。律法学者(とファリサイ派)には「子孫」の意味としてしか理解できませんが、キリスト教徒は、これを「息子」ととり、イエスを「神の子キリスト」と重ねることができます。『バルナバの書簡』(95年?/115年?/135年?)は、エジプトのアレクサンドリアで書かれたと思われますが、そこに、マタイ=マルコ福音書の今回の記事を間接的に(口伝?)受け継いだと思われる記事があり、そこでは、七十人訳詩編110篇1節から引用して、イエスは「人の子」ではなく「神の子」だとあります〔コリンズ『マルコ福音書』580頁〕。
【大勢の群衆】これまでの群衆は、一貫してイエスに好意的です(マルコ11章18節/同32節/12章12節)。群衆がイエスに抱く好意は14章2節(そこは「群衆」でなく「民」)まで続きますが、群衆の好意は15章11節で急変します。
■マタイ福音書の「ダビデの子」問答
 マタイ福音書の「ダビデの子」問答には、マルコ福音書とは少し違って、ファリサイ派だけが登場します。マルコ福音書ではイエスだけが問いかけていますが、マタイ福音書では、ファリサイ派がイエスに答えています。だから、「ダビデの子」問答の形をとっています。
■マタイ23章
[41]~[43]【ファリサイ派】マタイ福音書では、直前の「最も重要な掟」でも、今回同様にファリサイ派だけが登場し、これが23章で「律法学者とファリサイ派」に対する厳しい批判へ続くことになります。これはマタイの編集によるのでしょう。イエス自身もファリサイ派から批判を受けましたが、イエスの説く教えは、当時のパレスチナでは、比較的ファリサイ派に近かったのではないか、と言われています。ユダヤ戦争以後も、マタイの属していた教会は北シリアにあって、ユダヤ人キリスト教徒が多かったと考えられます。パレスチナには、ユダヤ戦争以後もファリサイ派が存続して、ユダヤ教を指導していましたから、マタイ福音書の反ファリサイ的な傾向は、マタイの頃のキリスト教徒と同時代のファリサイ派との間の論争をも反映しているのでしょう。
【ダビデの子】イエスの問いかけは、「あなたたち(ファリサイ派)は、『メシア(キリスト)』のことをどう思っているのか?彼は、いったい誰の子なのか?」です。これに対して「ダビデの子です」と答えるのはファリサイ派のほうです。マルコ福音書では、「メシア」と「ダビデの子」との関係が問題にされていますが、マタイ福音書では、「ダビデの子とは誰か/何者か?」のほうに論点が移行しています。ここでは、マタイ福音書の読者によって、「ダビデの子」と同時に「神の子」という答えも予期されているのでしょう。ダビデの子孫からイスラエルを復興するメシアが顕れること、彼が「ヤハウェの子」であることは、サムエル記下7章14節に「わたし(ヤハウェ)は彼(ダビデの子孫)の父となり、彼はわたしの子となる」にさかのぼります。さらに、今回引用されている詩編110篇の3節に「聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現われ、曙の胎から若さの露があなたに降る」とあります。この詩篇の表題は「わたし(=ダビデ)の主(=メシア)への主(=ヤハウェ)の託宣」[フランシスコ会訳]です。だから、3節の「あなた(メシア)」は「神(主であるヤハウェ)から生まれる」という解釈が、マタイの頃のキリスト教徒の間に存在していたと思われます〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)252頁(注)11」。
【霊を受けて】マルコ福音書では、「霊」を「聖なる霊」として、「聖」と「霊」の両方に定冠詞が付けられていますが、マタイ福音書では、「聖」はなく、無冠詞の「霊」だけです。マタイは、ここでダビデが、主ヤハウェの「霊」によって預言していると見ているのです。マタイは、イエスが「ダビデの子」であるだけでなく、「神の子」でもあることを明らかにして、ファリサイ派や律法学者たちからの批判に対して、イエスが「ダビデの子」であるだけでなく「神の子」でもあるとして、十字架にかけられたイエスへの「身の証(あか)し」"vindication"を立てているのでしょう。
[46]【この日以来】これはマタイによる付加です。エルサレムにおけるイエスと指導層との論争/問答は、これで完全にイエスの勝利で終わったのです〔ルツ『マタイ福音書』(3)344頁〕。
■ルカ福音書の「ダビデの子」問答
 ルカ福音書の記述はマルコ福音書だけに準じていますが、マルコ福音書を切り詰めて、イエスの二つの質問を詩編からの引用で挟み込む構成をとっています。結びに来るイエスの「どうしてメシアが?」は、メシアが「ダビデの子」でないという否定を期待するのではなく、「メシアはダビデの主」であるのに、どういうわけで「ダビデの子」でもあるのかと、「メシア」の内容を問いかけているのです〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)82頁〕
■ルカ20章
[41]ルカは、マルコ福音書にある「神殿内で」を省いています。19章47節の「神殿内で毎日教えていた」とあるのが、今回も前提にされているのでしょう。
【彼らに】これは直前の39節の律法学者たちのことで、これが次の律法学者批判へ続きます。律法学者にはファリサイ派の人が多く、ファリサイ派は、メシアが「ダビデの子孫」だと見なす傾向がありました。しかも、共観福音書の今回の記事で、とりわけルカ福音書には、ルカと同時代のファリサイ派とキリスト教徒との間で(あるいは、同じユダヤ人キリスト教徒たちの間で)、イエスへのキリスト観をめぐって、「ダビデの子孫」と「メシア」との関連づけに関して論争があったのではないかと想定されています〔ボヴォン『ルカ福音書』〕。
【どうして】マルコ福音書では、二つの問いかけで、先には「どうして」(原語「ポース?」)とあるのに、後のほうは、「なぜ?」(原語「ポセン」)となっています。ルカ福音書では、二つとも「どうして?」(「ポ-ス」)と問いかけています。ルカは、この二つで、メシアが「ダビデの子」だと言われるのはなぜなのか?と問うよりも、律法に詳しい彼らに向かって、彼らが考えている「メシア」とは、「ダビデの子/子孫」とどう関連づけているのか?と彼らのメシア観を訊ねていることになります〔ボヴォン『ルカ福音書』82頁〕。
[42]マルコ福音書の「聖霊にあって」が抜けていて、その代わりに「詩編に」とあります。これは詩編110篇1節を指すのですが、ルカは「聖霊」を大切にするだけに(使徒言行録2章33~35節)、この入れ替えが注目されます。ルカの時代のキリスト教徒の視点から見れば、イエス・キリストは、「肉によればダビデの子孫」であり「霊によれば神の子」(ローマ1章3節)ですから、ルカもこのキリスト観をここに反映させて、「聖霊にあって」を省くことで、ダビデを「人間のレベル」に置いているのでしょう〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)83頁〕。
[43]イエスの復活信仰以後においても、イエスが「ガリラヤのナザレの出身」であることなどを理由に、ユダヤ教の側からイエスがメシアであることへの反論が出されていたのでしょう(ヨハネ7章41~42節参照)。ルカ福音書は、誕生物語(1~2章)とイエスの系図(3章23~38節)をたどることで、復活したイエスが「ダビデの子孫」であるばかりでなく(使徒言行録13章22~23節)、神の右に座す「主」であること(第一コリント8章6節)、したがって、イエス・キリストは「神の子キリスト」であると今回も示唆しているのです。
【足台】共観福音書で、七十人訳に従って「足台」としているのはルカ福音書だけです。ルカは七十人訳を重視していますから、その例をここにも見ることができます。イエスが「主」であり「敵を足台とする」ことは使徒言行録7章48~51節にも見ることができます。
[44]ルカは、マルコ福音書の「(主と)述べている」を「(主と)呼んでいる」に変えています。ルカは「メシア」が「(ダビデの)主」であるとして、これを読者に「主イエス」と関連づけようとしているのです。わたしたちは、ここに、イスラエルの伝統的な「ダビデの子としてのメシア」観からキリスト教的な「神の子キリスト」観へ移行する過程を垣間見ることができます〔ボヴォン前掲書83頁〕。
                      戻る