【注釈】(2)共観福音書による批判
■共観福音書の「律法学者とファリサイ派批判」
 今回の前編では、便宜上、マタイ23章1~12節を中心に扱い、後編ではマタイ23章13~36節を中心に扱うことにします〔Dewey and Miller. The Complete Gospel Parallels. 168-170〕。ただし、今回(前編)のここ注釈(2)では、「律法学者とファリサイ派批判」の共観福音書の記事全体をまとめて概観しておきたいと思います。
〔マルコ12章38~40節〕
 マルコ福音書の律法学者批判は、他の二つに比べると著しく短いことに気がつきます。場所も登場人物も直前の記事と全く変わりませんから、マルコ12章38~40節を直前の「ダビデの子」への言及と結ぶ見方もあり(しかし28節や34節と今回の批判とは合わない)、逆にこの批判記事を続く「やもめの献金」と結んで、「これ見よがし」の指導層と貧しくつつましいやもめとを対比させる解釈もあります〔フランス『マルコ福音書』488頁〕。どちらにせよ、今回の律法学者批判は、メシア・イエスによる神殿での「神の国」伝道がエルサレムの指導層と最終的な対決段階に入ったことを示す点で変わりません。なお資料としては、マルコ福音書のこの部分は、39節だけがイエス様語録と重なります。この部分が独立してマルコのもとに伝えられたのでしょう。
〔マタイ23章〕
 マタイ23章1~39節は、以下の四つに分けて見ることができます〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)257~58頁〕。
(1)1~12節で、イエスは群衆と弟子たちに、律法学者とファリサイ派一般について警告を発します。
(2)13~33節で、イエスは直接に律法学者とファリサイ派に向かって、6項目にわたり{わざわい」の言葉を発します。2節の告発をも含めると全部で七つになりますから、これはイエス様語録の七つの「わざわい言葉」と対応することになります。
(3)34~36節は、これを(2)と一つに見ることもできますが、ここからは、律法学者とファリサイ派に限定されず、ユダヤの指導層全体に向けて弾劾を発しています。
(4)37~39節では、直接エルサレムに向けて嘆きの言葉が発せられます。
 ここに列挙されている弾劾の手法をユダヤの伝統的な弾劾の手法と比較してみると、『第一エノク書』やクムラン文書やヨセフスなどによる文書と以下の点で共通します。「外側だけの見栄」「民を惑わす者たち」「盲目」「無知で愚か」「誤った教え(ハラハー)を説く」「金銭的な罪」「性的な罪」「不浄な者」「義人を迫害し殺す者」「蛇にたとえる」「終末の裁きに処せられる」「神が神殿を見捨てる原因をもたらす」などが共有されています〔デイヴィス前掲書259~60頁〕。だから、今回の批判の手法は、ユダヤの伝統的な手法を踏襲していると観ることができます。
 資料的に見ると、マタイ23章1~12節は対応するルカ11章と内容も用語もかなり違っています。マタイは、イエス様語録だけでなく、マルコ9章35節/同10章43~44節/同12章38~40節なども用いています〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)265頁〕。その上でマタイは、独自の資料(M)を用いていると考えられます。なお、マタイ23章15~22節は、独立した別個の伝承でありながら(5章33~37節参照)、マタイの独自資料(M)に属していたのもので、マタイは、これらをも「災い言葉」に組み込んだと考えられます〔ブルトマン『共観福音書伝承史』(1)193頁〕。
〔マタイ23章とルカ11章の「わざわい言葉」〕
 マタイ23章13~33節には、全部で六つの「わざわい言葉」が並んでいます。なお、23章14節の「わざわい言葉」はルカ20章47節と同じですが、マタイ福音書の有力な写本にはここが抜けています。これを含む写本も13節との前後関係の配置が異なりますから、マタイ福音書の14節は後からの挿入です〔新約原典テキスト批評60頁〕。
 ルカ11章37~54節の「わざわい言葉」も六つです(42節/43節/44節/46節/47節/52節)。ただし、ここのほかに、ルカ20章45~47節にも重複する箇所があります。マタイ福音書では、六つの「わざわい言葉」がすべて「律法学者とファリサイ派」に向けられていますが、ルカ福音書では、始めの三つが「ファリサイ派」に、後の三つが「法律家」に向けられています。マタイ23章とルカ11章との「わざわい言葉」の配列を比較すると、次のような違いがあります。
(1)マタイ23章6~7節の「座席と挨拶」は、ルカ20章46節に移されています。(2)マタイ23章25~26節の「杯の内と外」は、ルカ11章39~41節では「わざわい言葉」からはずされています。
(3)マタイ23章4節の「重荷について」は、冒頭に来ていて、しかもこれは「わざわい言葉」に含まれませんが、ルカ11章46節では4番目の「わざわ」言葉です。
(4)マタイ23章13節の最初の「わざわい言葉」である「天国を閉じる」に対応するのは、ルカ11章52節では最後の6番目の「わざわい言葉」の「知識の鍵をとりあげる」です。
(5)マタイ23章23~24節の3番目の「十分の一献金」は、ルカ11章42節で最初の「わざわい言葉」です。
(6)マタイ23章27~28節の「墓」は最後の6番目の「わざわい言葉」ですが、ルカ11章44節では3番目の「わざわい言葉」です。
(7)マタイ23章15節は2番目の「わざわい言葉」ですが、ルカ福音書にはこれに相当する部分がありません。
 以上のマタイ福音書とルカ福音書との相互対照から、イエス様語録(Q)の「わざわい言葉」のほんらいの配列順を復元することは困難です。マタイ福音書とルカ福音書の間のこれらの違いとそこで用いられている語法の違いから、マタイとルカには、それぞれ異なるイエス様語録が伝承されていた可能性があります。マタイもルカも、それぞれのイエス様語録から編集しているという見方が一般的ですが、マタイのほうは、イエス様語録とマタイの独自資料(M)の両方(とマルコ福音書)を用いているという見方ができます〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)283~84頁〕。さらにこれらの語法の背後にほんらいのアラム語がその背景にあることが指摘されていますから、これらの「わざわい言葉」は、イエスが複数回にわたってアラム語で語られたそもそもの初めから、異なるギリシア語に訳されて、異なる組み合わせて口頭で伝承された(30年頃~45年頃)可能性があります。
 共観福音書の弾劾は、イエスが置かれた特殊な状況から生じたと言うよりも、ユダヤ人同士の間で交わされる、宗教的な論争の常套(じょうとう)手段に基づいています。だから、マタイ福音書の弾劾は、イエス復活信仰以後の教会による自分たちに敵対する者への反論であると同時に、同信の仲間に向けて励ましと結束をうながすメッセージでもあると見なされています。イエス様語録に見るように、イエス復活以後のまだ比較的小さなキリスト教会のセクトが、周囲の批判から身を守ろうとする論法がマタイの教会にも受け継がれていたのでしょう。エルサレムが滅亡した70年以後、北シリアにあったマタイの教会は、ローマによって奴隷にされた多数のユダヤ人などの悲惨な有様を目の当たりにしていました。それだけに、マタイ福音書の場合には激しい怒りと悲嘆がこめられているのでしょう(マタイ8章11~12節のマタイによる付加部分を参照)。だから、この23章は、24章のエルサレム神殿の滅亡への預言と直結し、さらにイエスの受難へ直接つながることになります〔デイヴィス前掲書262頁〕。
〔ルカ福音書のファリサイ派と律法学者批判〕
 ルカ福音書のファリサイ派と律法学者批判は、ルカ11章37~54節の長い記述とルカ20章45~48節の短い断片のふたつに分かれています。11章と20章の記述で内容的に重複する箇所はありません。11章では、マタイ福音書並みに、「わざわい言葉」を含む厳しい批判が見られますが、20章では、人前で見栄を張りやもめのためにことさら長い祈りをする「律法学者に警戒せよ」と彼らを皮肉っています。ただし、マタイ23章の記述は、「律法学者」(グランマテウス)で一貫していますが、ルカ福音書では、11章のほうは「法律家」(ノミコス)で、20章のほうは「律法学者」(グランマテウス)となっていて、ルカは二つの異なる語を用いています。なお、マタイ23章11~12節と並行するのは、ルカ14章11節と同18章14節の重複部分です。これで分かるように、マタイ福音書とルカ福音書では、内容的に共通する部分が多いものの、用語も順番(構成)も大きく異なっています。
〔ルカ11章37~54節〕
 ルカ11章でルカは、37~38節/45節/53~54節を編集して加えることで、物語全体の枠組みを作っています。マタイ23章に比較するとルカの記事は短く思われますが、語法的にはルカ福音書のほうがイエス様語録に忠実だと言えましょうか。また、先にあげたイエス様語録から見れば、ルカは、「いのんど」と「茴香(ういきょう)」を「芸香(うんこう)」と「あらゆる野菜」(11章42節)へと言い換えていることになります。また、マタイ23章8節の「人々からラビと呼ばれる」、同27節の「白く塗られた墓」、同34節の「会堂で鞭打つ」、同35節の異読「<バラキヤの子>ゼカリヤ」などは、マタイによる後の編集として省かれています。しかし、もしもマタイ福音書のほうがイエス様語録ほんらいの読みであったとすれば、今度は逆にルカのほうが、異邦人キリスト教徒の読者には理解しがたいこれらの言い方を省いたことになります〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)943頁〕。今回のイエス様語録の復元にあたっては、マタイ福音書とルカ福音書のどちらを採用すべきか、これがことのほか難しいのはこういうところです。
 内容的に見ると、今回のルカ11章37~54節のファリサイ派と法律家への厳しい批判は、同11章1~13節の弟子たちへの教えと対照されているという見方があります〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)154頁〕。ルカ福音書の場面設定では、ファリサイ派の人からイエスへの丁寧な食事への招待に始まり、イエスの厳しい「わざわい言葉」となり、ファリサイ派一同の激しい敵意で終わります。イエスと人々との好意的な関係で始まり、預言者的なイエスの批判を経て、敵意の中で受難にいたるという、イエスの福音活動の全体がこのルカ11章全体に圧縮されているとも言えます。
 ルカは今回の箇所で、イエス様語録のほかに、マルコ7章1~23節と同12章38~40節をも参照しているのではないかと言われていますから、ルカは、イエス様語録のほかに、マルコ福音書をも参照していたことになります。ルカは、今回の食事の招待でも、ルカ20章19~20節(マルコ12章12~13節をも参照)と同じように、敵対する者たちからイエスに罠が仕掛けられていると見ているようです〔ボヴォン前掲書155頁〕。
 以上をまとめると、マタイはイエス様語録のほかに独自資料(M)を用いており(マルコ福音書も参照)、ルカのほうは、イエス様語録のほかにマルコ福音書をも参照している(ルカの独自資料Lは参照していない?)ことになるのでしょうか。そもそも、マタイとルカのイエス様語録は、同じなのか?それとも、それぞれ異なる版ではないか?という問題をも含めて〔ボヴォン前掲書156頁を参照〕、今回の箇所は、資料問題に関しても相当に複雑で確定が困難なところがあります。
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