【注釈】(3)前編
■マタイ23章1~12節
マタイ23章1~12節を資料として見ると、1節はマタイによる編集で、2~3節はマタイの独自資料(M)から、4節はイエス様語録から、5節は(M)から、6~7a節はイエス様語録から、7b~10節は(M)から、11節はマルコ福音書から、12節はイエス様語録から、ということになるのでしょうか〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)265頁〕。
[1]【群衆と弟子たち】12節までのイエスの批判は、「律法学者とファリサイ派」に直接向けられるのではなく、彼らに「ついて」弟子たち(十二弟子をも含むイエスの信仰者たち)とその周辺の人々に宛てられています(マルコ12章37節後半/ルカ20章45節を参照)。だから、マタイは、この「群衆と弟子たち」に彼の教会の人たちをも重ねていると見ることができます〔ルツ著『EKK新約聖書註解・マタイによる福音書』(3)358頁〕。この節をマタイの頃(80~90年代?)の教会の視座と関連づけて、「弟子たち」をユダヤ人キリスト教徒に、「群衆」を異邦人キリスト教徒たちと関連づけようとする説もありますが、これについては諸説があり一定しません〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)267頁〕。
[2]~[4]【モーセの座】原語は「モーセの『カセドラ』(単数名詞)」。数世紀後に発掘されたユダヤ教の会堂では、トーラー(律法)を納めた櫃(ひつ)の傍らに大理石の特別席があり、これが「モーセの座」とされていました。今回も、この類いを指すという説もありますが、イエスの頃の会堂に、あるいはマタイの教会にそのような特別製の座席があったかどうか確かでありません。ここで言う「モーセの座」は、イスラエルに律法を授与した「モーセ」につながる「権威の座」のことでしょう。なお、「着いている」の動詞はアオリスト形ですから、過去の一定の時から現在もなおその座を閉めていることを指します。マタイは、後出の「わざわい言葉」でも、一貫して「ファリサイ派」を含めていますから、「モーセの座」でも、ファリサイ派主導のヤムニアの学院のことを念頭に置いているのでしょう。
【彼らが言うこと】3~4節では、「言うだけで実行しない」指導層の偽善を鋭く突いています。マタイは「律法学者とファリサイ派」をどちらも定冠詞付きでひとまとめにしています。イエスの頃の多様な律法学者たちやファリサイ派のイメージではなく、マタイの教会と対立関係にある同時代のユダヤ教指導者たちを意識しているからでしょう。
もしもそうだとすれば、続いて「彼らの言うことは、すべてその通り実行せよ」とあるのは「意外で予期しない」〔ルツ前掲書359頁〕言葉です。オリゲネスは、ここで言う「彼ら」とはマタイの頃のキリスト教会の指導者たちを指すと限定しました〔ルツ前掲書359頁〕。マタイの頃の教会には、ファリサイ派から出たユダヤ人キリスト教徒の指導者たちが実際に居たのかもしれません〔デイヴィス前掲書270頁〕。しかしわたしは、3節が意図する内容はイエスにさかのぼると考えます。当時のユダヤ教では、(旧約)聖書の教える文書化されたモーセ律法(モーセ五書)だけでなく、これに伴う口伝による様々な細則が「ハラハー」として存在していて、指導者たちは、これら全体を「一まとめにして」、とうてい実行できない「圧し潰されるほどの重荷」を教えとして人々に説いていたからです(使徒言行録15章10節)。これに対して、自分が教える真理を体現するイエスの荷は軽いのです(マタイ11章30節)。パウロは、イエスのこの批判を受け継いだからこそ「言うだけで行なうことをしないユダヤ人」の偽善を厳しく批判しました(ローマ2章17~29節)。ここには、いかなる宗教的な律法も命令も、それが一般化され普遍化されて強要されるところに生じる避けがたい矛盾が潜んでいます。マタイ福音書のこの箇所は、まさにこの点を突いています。「マタイによれば、すべての神学は、3節後半(「言うだけで実行しない」)が狙いとする理論と実践との(間にある)矛盾によって、疑問に付されることになる」〔ルツ前掲書361頁〕のです。「モーセ律法」は、その「すべて」を実行し成就することを人々に求めます(マタイ5章17~20節/ガラテヤ3章10~12節)。しかし、彼らは「教える」ことはできるが「実行する」ことができないのです。それゆえ「言うだけで実行しない彼ら」の生き方(「業」の意味)に見習ってはならないのです。
4節はイエス様語録の「わざわい言葉」からですが、マタイ福音書では「群衆と弟子たち」に語っていますから、マタイは4節を「わざわい言葉」からはずしたのでしょう。いかなる一般化もそこには必ず漏れ落ちる部分があるように、この箇所の批判にもかかわらず、イエスの頃にもマタイの時代にも、律法を自ら守り、人には軽く自分に重い律法の実践を生きたラビたちもいたことを忘れてはならないでしょう〔ルツ前掲書367頁〕。
[5]ここでは「偽善」が「人に見せるため」の行為だと指摘されます(マタイ6章1~8節)。
【小箱】「小箱」はヘブライ語で「テフィリン」、ギリシア語で「フュラクテーリオン」、英語で”Phylactery”です。出エジプト記13章1~10節と同11~16節と申命記6章4~9節と同11章13~21節に従って、これら四つの聖句を小さな羊皮紙に記したものを通常さいころのような革製の小箱に四つに区分けして入れて四角の台座を付けたもので、これに紐をつけて、箱が額の上部に来るようにくくりつけました。これは「頭(かしら)ティフラ」(単数形)です。これとは別に、やや長方形の皮の袋にこれら四つの聖句(十戒も加えて?)を入れて、その両側に細長い房をつけた「経札」のテフィリンがありました。経札のほうには長い紐がついていて(「祈りの紐」と呼ばれます)、その紐を左の手首のあたりから腕の上までぐるぐる巻き付け、経札がちょうど左の腕のあたりに来るようにすると、祈る時に合掌すると経札がちょうど心臓の上に来ることになります。これは外側から見える場合と衣の内側にあって見えない場合もあったようです。これらのテフィリンは、イスラエルの成人男子が、祈りの期間(例えば祭りの間や神殿に詣でる時)身につけるよう義務づけられていました。しかし、これらを常時身につけることも行なわれていて、これを常時つけていることがファリサイ派の「しるし」とされていたとも考えられます。ただしギリシア語の「フュラクテーリオン」には「魔除けのお守り」の意味もありましたから、当時のパレスチナでも、人々は、テフィリンに魔除け働きを期待していたとも言われています。5節に「小箱を大きくする」とありますが、これは四角ではなく、長方形のやや大型の箱に四つ聖句を別々に分けて入れた特別製のものを指すのでしょう〔ルツ前掲書364~65頁〕。
【房】ヘブライ語「ツィーツィート」、ギリシア語「クラペドン」。民数記15章38~39節と申命記22章12節にあるように、外衣のすその四隅に付ける青あるいは白の毛糸の房のことです。通常、衣は足首の上までですから、衣のすそから地面まで垂れている房(通常2本?)が見えます。「房を長くする」とは、衣の上のほうから太い房を垂らしている状態のことでしょうか。後代には、帯状のかぶり物の四隅に付けて、前に二つと後ろに二つを垂らしたと言われます(ルカ8章44節参照)〔織田『新約聖書ギリシア語小辞典』328頁〕。
[6]~[7]語句の説明は先のイエス様語録の注釈を参照してください。ここでもマタイは、「学者・ファリサイ派」を一括して、「人目に立つことを好む」という一般化した批判を加えています。しかし、イエスの頃もそれ以後も、ファリサイ派は「自己批判」を重視していて、「自己批判こそ最善の批判」であることを彼らは知っていました。むしろ、新約聖書のほうに「キリスト教的自己批判」が明確にされていないと言うべきでしょうか〔ルツ前掲書366頁〕。
【先生】原語は「ラビ」で、この語はアラム語「ラブ」(大きい/偉大な)から出ています。「ラビ」は「わたしの偉大な方」を意味し、イエスの頃には、称号としてではなく、広く目上の尊敬する人に対するユダヤ教での呼びかけでした。この語が、特に宗教的な権威を帯びた指導者に対する「称号」として用いられる発端は、おそらくエルサレム滅亡以後に復興したユダヤ教ファリサイ派のヤムニア学院の頃からでしょう〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)275頁〕。それはちょうど、マタイ福音書が書かれた頃とも一致しますから、マタイはこのことに言及しているのでしょう。しかし、ユダヤ教において「ラビ」の称号が、宗教的指導者の身分として定着するのは2世紀以降のことで、ここから「ラビ的ユダヤ教」が始まります。
[8]~[10]【父】この語は、旧約聖書の「父祖アブラハム」にさかのぼる長い伝統を持つ呼び方です。このことから、故人となった「師/教師」を「父」と呼ぶことが行なわれていました。しかし、、ユダヤ教だけでなくキリスト教会においても生存する年長者や慈善家や教師も「父」と呼ばれることがありました(第一コリント4章15節)。
【教師】原語のギリシア語「カセーゲーテース」は「先達」「案内者」「教師/先生」のことで、日本語の「先生」のように、特に限定されない広い意味で用いられました。現在のギリシア語では中・高と大学の教師を指します〔織田前掲書280頁〕。「ラビ」がアラム語起源なのに対して、「カセーゲーテース」は、始めからギリシア語でヘレニズム時代の「先生」への敬称を指していたと考えられますから、10節は後に追加された編集によるものです。
「ラビ」「父」「教師」と、呼び方が、次第に広範囲になっていくのが分かります。マタイは、1世紀後半の同時代のユダヤ教を念頭においてこれらの称号を用いていますが、それだけでなく、ユダヤ人キリスト教徒が多かった北シリアのマタイの教会の指導者たちへ(「ラビ」)、あるいは一般の信者たちへ(「父」「先生」)向けても警告していると見ることができます(ヤコブ3章1節)〔ルツ前掲書368~69頁〕。イエス・キリストの共同体においては、父なる神と御子イエス・キリストだけが、唯一の「父」であり「師」であること、この父と御子の前にあって、教会のメンバーはすべて対等な「兄弟姉妹」であるというこの教えは、申命記6章4節の「聞け、イスラエルよ」にさかのぼるユダヤ=キリスト教の伝統です。特に9節は、イエスにさかのぼる教えであろうと思われます〔デイヴィス前掲書277頁〕。ただし、10節の定冠詞つきの「キリスト」は、四福音書で、イエスが自分のことを「キリスト」と呼んでいる唯一の例です。
[11]11節は、マルコ10章43節=マタイ20章26節の「偉くなりたい者」から来ています。この重複から見ても、1世紀の教会できわめて重要視された教えであったことが分かります。これほど重視されていながら「これほど軽視されてきた聖書の言葉にはなかなか出合えない」〔デイヴィス前掲書278頁〕と言えましょう。
[12]七十人訳イザヤ書10章33節の「高く立つものは低くされる」にさかのぼります(箴言29章23節)。「敬虔を求める者は多いが、謙遜を求める者は少ない」〔デイヴィス前掲書279頁〕と言われますが、マタイの頃のキリスト教会でも、10~12節の教えがよほど必要だったようです。
■マルコ12章38~40節
マルコ福音書で今回のマタイ23章1~12節に内容的に並行するのはマルコ12章38~40節のごく短い部分です。マルコ12章37~38節前半=マタイ23章1節/マルコ12章38後半~39節=マタイ23章5~6節/マルコ12章40節=マタイ23章14節(この14節はマルコ福音書にならう後からの挿入として、マタイ福音書では省かれています)。今回の箇所ではありませんが、並行箇所はマルコ10章43~44節=マタイ23章11節もあります。両者に共通する語句は以下の注釈を参照してください。マルコは、今回の短い断片で、エルサレムへ入城して以来、イエスが神殿で「教えた」目的は何か?に短く焦点を当てているのです。
[38]マタイ福音書と共通するのは「群衆」ですが、マタイ福音書では複数で、マルコ福音書では「大勢の群衆」(単数)と一まとめにしています。「喜んで」はマルコ福音書だけです。ただし、マタイ福音書では「批判と弾劾」の厳しい論法が用いられていますが、マルコ福音書ではやや抑えられて(?)「イエスの教え」となっています。
【気をつける】原意は「警戒する」。マルコ8章15節では、「ファリサイ派とヘロデ党」に対して同じ言い方がされています。
【長い衣】パレスチナの男性は通常下着の上に、長い長方形の布でできた衣服を足首までからだに巻き付けるようにまとっていました(ギリシア語「ヒマティオン」)。これに対して、「衣」(ストレー)とは、神殿の祭司などがまとうもので、ゆったりとした裾の長い衣で、上流階級の人たちがまとうものでした(創世記41章42節/出エジプト記28章2節/歴代誌下18章9節参照)。ここでは。人前で特に身なりを整えることです。
[39]【好む】通常よりも強い意味で、「意図的に」効果を狙うことです〔フランス『マルコ福音書』490頁〕。
[40]前半を直訳すれば、「やもめたちの家(と孤児)を食い物にする者たち、見せかけの長い祈りをする者たち」です。
【やもめの家】イスラエルの神は、特に「やもめと孤児(みなしご)」を顧みて、彼らを守る神です(イザヤ書1章17節/詩編68篇6節/シラ書35章17節など)。それだけに、ユダヤ教においても、彼らを虐待したり騙したりする行為は、ことのほか恥ずべきこととされていました(イザヤ書10章2節/ゼカリヤ書7章10節など)。律法学者たち指導者は、「やもめと孤児」(「孤児」は異読からの追加です)を管理する責任者ですから、彼らが不当にやもめの家(財産)をだまし取ることは、それだけ許しがたい罪になります。なお、「やもめの家を食いつぶす」とあるのは、比較的裕福な未亡人のことであり、マタイの頃のヘレニズム世界のキリスト教会には、裕福な未亡人も多く居たことから、ここでは、キリスト教の教会の指導者のことをも指すのではないかという指摘があります〔コリンズ『マルコ福音書』584頁〕。
【長い祈り】ここは、やもめの財産目当てのために、口実を設けて「長い」祈祷をすることだという解釈もありますが、むしろ、真心からではなく「(人に)見せるため」の祈りのことでしょう。
【厳しい裁き】終末における神からの裁きですから、「裁き」は「断罪」を意味します。「いっそう」とあるのは、やもめを保護し守る責任を負わされた者であることから、通常の罪人以上に重い罪を犯していることになります。
■マタイ23章1~12節とルカ福音書との対応
マタイ23章1~12節に準じて、対応するルカ福音書の並行箇所を順に並べると次のようになります。
マタイ23章4節→ルカ11章46節。
マタイ23章6~7節→ルカ11章43節=同20章46節。
マタイ23章11~12節→ルカ14章11節=同18章14節=同22章26節。
■ルカ20章
[45]先にルカ20章のほうを採りあげます。ルカは、この短い断片をマルコ福音書から採ったのでしょう。しかし、マルコ福音書の「群衆」(ラオス)をイスラエルの「民衆」(オクロス)へと変えて、「喜んで聞いていた」を単に「聞いていた」だけにとどめています。この断片の狙いは、自分たちに委託された地位と責任を悪用しないことで、この戒めは、半ば「弟子たち」にも向けられているのでしょう。だとすれば、「イエスは<自分の>弟子たちに」と「自分の」を入れる異読も大事な意味を持ちます〔マーシャル『ルカ福音書』749頁〕。
[46]ここはルカ11章と異なりマルコ福音書と同じ「律法学者たち」への警告です。しかし、この節はルカ11章43節と内容的に重複します。ルカはこの警告を特に重視しているのです。
[47]この節もマルコ12章40節から採ったもので、用語も全く同じです。
■ルカ11章
[43]ルカは、イエス様語録の「会堂」と「広場」だけを採りだして、「宴会」を省いています。また、マタイ福音書の「好む」(フィレオー)に対してルカ福音書では「愛する」(アガポー)です。ルカは隣人愛を重視しますから、正しい「愛」と自己中心の誤った「愛」とを比較対照させているのでしょうか〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)162頁〕。
[46]この節で言う「重荷」とは、主として祭儀律法のことでしょう(使徒言行録15章13節を参照)。これに相当する箇所はマルコ福音書にはなく、マタイ=ルカ福音書で共通します。マタイ23章4節とルカ11章46節とでは、「律法学者」と「法律家」の違いだけでなく、マタイ福音書の「荷を束ねる」が省かれています。
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