【注釈】
■共観福音書の終末説話
 「やもめの献金」に続く、共観福音書の終末説話全体の構成を次のように区分しました〔『四福音書対観表』255~64頁を参照〕。
(1)神殿崩壊を予言(マタイ24章1~2節=マルコ13章1~2節=ルカ21章5~6節)。
(2)神殿崩壊と終末に先立つ徴(マタイ24章3~8節=マルコ13章3~8節=ルカ21章7~11節)。
(3)迫害の予告(マタイ24章9~14節=マルコ13章9~13節=ルカ21章12~19節)。
(4)憎むべき破壊者(マタイ24章15~22節=マルコ13章14~20節=ルカ21章20~24節)。
(5)偽メシアと偽預言者たち(マタイ24章23~28節=マルコ13章21~23節=ルカ17章22~23節)。
(6)人の子の到来(マタイ24章29~31節=マルコ13章24~27節=ルカ21章25~28節)。
(7)いちじくの木の譬え(マタイ24章32~35節=マルコ13章28~31節=ルカ21章29~33節)。
(8)油断するな(マタイ24章42~44節=マルコ13章32~37節=ルカ21章34~38節)。
(9)忠実と不忠実の二人の僕(マタイ24章45~51節=ルカ12章35~48節)。
(10)ノアの日のように(マタイ24章36~41節)=ルカ17章26~27節/34~35節)。
 ここにあげた区分で(8)と(9)は、『四福音書対観表』と異なっています。『四福音書対観表』(262~264頁)では、マルコ福音書を基準にした「結語」とルカ福音書を基準にした「結語」のふた種類に分けられていて、(8)ではマルコ13章33~37節をマタイ25章13~15節/24章42節と並行させ、(9)では、ルカ21章34~36節を独立させ、これをマタイ24章43~51節/25章13節と並行させています。しかし、上にあげた(8)~(10)の区分では、文献的な正確さよりも内容を汲んで区分しました〔Dewey and Miller. The Complete Gospel Parallels. 176-77を参照〕。
 (1)~(10)の区分では、以下の諸点に注意してください。
(5)では、マタイ=マルコ福音書に対して、ルカ福音書では17章に並行部分が配置されています。ルカは、御国の終末的な到来についてのイエスの教えを旅の途中の出来事として扱っています。
(8)では、マタイ福音書には「盗人が夜訪れるように」主が来られるとあり、マルコ福音書では「遠方に旅立つ家の主人」の譬えが出てきて、ルカ福音書では人の子の訪れが「罠のように襲う」とあって、同じ「油断するな」でも、譬えの内容が三者三様です。
(9)では、善悪ふた種類の僕の譬えが、マタイ福音書では終末説話に続いていて、続く10人の乙女とタラントンの譬えと、三つの譬えが並ぶ構成になっています。これに対して、ルカ福音書では、同じ善悪ふた種類の僕の譬えが、12章の旅の途中で語られています。だから(9)は、終末説話の結びではなく、説話に続く一連の「終末への譬え」に分類するほうがより適切です。なお、わたしの講話と注釈では、マタイ25章のタラントンの譬えは、文献的に区分けして一部を終末説話に組み込むことをせず、まとめて別個に扱うことにします。
(10)「ノアの日のように」は、ルカ福音書に従って、イエス一行の旅の途中で、ファリサイ派からの問いかけに答えてイエスが語った出来事として、すでに153章で扱いました。この部分は、今回と重なる箇所があります。イエスはその在世中に、終末について幾度か繰り返し語ったと考えられますから、ルカの設定は不自然でないでしょう。
 以上の結果として、この講話と注釈では、マルコ福音書を基準にして、上記の区分の(1)~(8)までを終末説話として、全体を次のように三つにまとめて扱うことにします〔(9)の「忠実な僕と悪い僕」は「終末の譬え」のグループに分類します〕。
【Ⅰ】「神殿崩壊と終末のしるし」(1)~(3)。
【Ⅱ】「大苦難と人の子の到来」(4)~(6)。
【Ⅲ】「いちじくの木の警告」(7)~(8)。
 これで分かるように、共観福音書の終末説話は、これを神殿崩壊までと、神殿崩壊以後から終末と人の子の到来までとの二つに大別されてきました。具体的には、マルコ13章5~20節=マタイ24章4~22節=ルカ21章8~24節と、マルコ13章21~32節=マタイ24章23~41節=ルカ21章25~33節です。ただし、問題はそれほど簡単でなく、マタイ=マルコ福音書では、神殿崩壊が終末の到来を象徴する出来事として、二つが重ね合わされていると見るほうが適切で、おそらくこれが、在世中のイエスの預言に近いでしょう。これに対して、神殿の崩壊と人の子の到来を時期的に区別しているのはルカ福音書のほうです。このように、共観福音書の終末説話では、エルサレム神殿の崩壊と終末での人の子の来臨(イエスの再臨)という二つの主題が密接に関連し合っていて、この二つの出来事の時期的な関連性と、これを語る三つの福音書の相互関係をめぐって、終末説話は「福音書批評の中で、最も複雑で困難な問題を提示している」と言われています〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)103頁(注)5〕。
■マルコの小黙示録
 マルコ13章は、弟子からイエスへの「先生」という呼びかけで始まります。この呼びかけは、イエスが、弟子に教える「教師」として語っていることを意味しますから、筆者(私市)は、13章全体を「終末説話」と題しています。しかし、そこで語られているのは「説話」と言うよりも「預言」に近い内容で、しかもその預言は、間近に迫る神殿崩壊に始まる天変地異の終末的な危機状態を告げています。だから、マルコ13章とこれの並行箇所は、共観福音書の「小黙示録」"the little apocalypse"と呼ばれています。「終末説話」とは、そこで語られる<内容>に関するものであり、「小黙示録」とは、語られる<手法>についての言い方です。
 終末にかかわるこの「小黙示録」は、マルコが一貫してまとまった資料を基に書いたものではなく、初めは口頭で、それから文書で伝えられ、口頭と文書の両方にまたがる伝承によるものですから、時期的に見れば、様々な段階の伝承が含まれていることになります。マルコは、この多様な伝承をまとめて一貫した「小黙示録」を編集したのです。
「黙示」というのは日本語独特の言い方で、英語では「啓示」(アポカリュプス)です。ただし、「黙示」は一般的な意味の啓示ではなく、例えば、エノクのように、生きながら天へあげられた人が(創世記5章24節)、天界を旅してその様子を地上の人に「啓示」することを指します(『第一エノク書』=エチオピア語エノク書など)。
 「終末」に関する黙示の最初期の例は、イザヤ書に見ることができます。そこでは産婦の苦しみや天変地異(イザヤ書13章6~10節)、終末での裁きと主の栄光(同24章21~23節)、終末の宴会と万民の救い(同25章6~9節)などが預言されています。イザヤ書では、通常これらの部分は、捕囚期以前のイザヤに分類されていますが、おそらく、捕囚期(前6世紀)に預言した第二イザヤによるものでしょう。
 本格的な黙示文学は、捕囚期以後に書かれたヨブ記に始まると言われますが、とりわけ、前2世紀のマカバイ戦争の頃から、天の場景(じょうけい)だけでなく、終末に向かう人類の歴史の啓示が「黙示文学」と称されるようになりました。黙示文学を代表するのがダニエル書(前164年頃)です。イエスの頃のユダヤ教では、ユダヤの聖典が「ミドラシュ」と呼ばれる解釈法によって人々に教えられていましたから、ダニエル書もこのミドラシュの手法によって解釈されていました。
 マルコ福音書の小黙示がダニエル書の黙示を受け継いでいることを指摘したのは、マルコ13章とユダヤ黙示思想との関係を論じたラーズ・ハートマンです(1966年)。彼はダニエル書7章7~27節/8章9~26節/9章24~27節/11章21節~12章4節で語られている黙示的な預言の内容が、マルコ13章5~8節/同12~16節/同19~22節/同24~27節のイエスの言葉にも反映していると考えたようです〔コリンズ『マルコ福音書』595頁/同(注)11〕。ダニエル書の黙示の雰囲気はマルコ13章のそれと相通じるところがありますが、ダニエル書で展開されるのは、王国の興亡と神の民の救済にいたる救済史的な展望です。これに対し、マルコ13章は、エルサレム神殿の崩壊という明確な歴史的出来事への預言で始まります。だから、これはヴィジョンを伴う黙示よりも具体的な預言/予言に近いでしょう。そこで預言されている出来事は、地上で生じる大変動や天変地異を伴う終末という黙示的内容であり、これは、旧約の黙示的な手法を受け継いでいると見なされています〔フランス『マルコ福音書』498頁〕。
 ただし、マルコ福音書の小黙示を構成する伝承を、例えばダニエル書のような特定の文書だけに限定するのは無理があります。むしろ、イザヤ書に見るように、旧約の預言書などの諸文書から採り込まれて、これらにミドラシュの手法による解釈が加えられて、「終末への黙示伝承」が成立したと見るほうが適切です。イエス自身もこのような黙示伝承に基づいて、終末への預言を語っていたと見るべきです。イエスの幾度かに渡る神殿崩壊への預言が、マルコ13章へいたる伝承の中核を形成していると考えられます〔フランス『マルコ福音書』500頁(注)17〕〔コリンズ『マルコ福音書』601頁〕。
 マルコ福音書の小黙示録と旧約伝承との対応は、イエス自身の預言だけでなく、イエス以後にこれを受け継いだ教会にもよっています。カリギュラ帝(在位37~41年)の迫害や60年代のネロ帝のクリスチャンへの迫害、さらに70年のエルサレム神殿崩壊前後の危機的な状況が、キリスト教徒によってイエスの預言伝承に反映し、これが拡大されて、マルコのもとへ伝承されたのです〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)332~33頁〕。
 マルコ13章に従って、旧約と対応する主な箇所をあげると次の通りです。
マルコ13章2節→エレミヤ書7章14節(サムエル記上4章4節と同16~21節を参照)/エレミヤ9章10節/ミカ書3章12節。
マルコ13章8節→イザヤ書19章2節/同26章17節/エゼキエル書7章15節。
マルコ13章12節→ミカ書7章6節。
マルコ13章14節→ダニエル書9章27節/同11章31節/同12章11節。
マルコ13章19節→ダニエル書12章1節。
マルコ13章22節→エレミヤ書6章13~14節/ゼカリヤ書13章2~3節。
マルコ13章24~25節→イザヤ書13章10節/ヨエル書2章10節。
マルコ13章26節→ダニエル書7章13~14節。
マルコ13章27節→イザヤ書43章5節。
 以上はごくおおざっぱな対応です。中でも、マルコ13章14節の「荒らす憎むべき者」が注目されていますが、この部分は、該当する節の注釈で扱います。
 小黙示録が、ダニエル書に基づくイエスの預言を起源としていることは、古くから言われていたことで、近年ではモーナ・フーカーが提示しており、その他の学者も認めています〔コリンズ『マルコ福音書』596頁/同(注)23参照〕。しかし、ジョージ・ビーズリ=マレーは、幾度かにわたってマルコ13章を扱い、マルコ13章には、「イエスの弟子たちの苦難」(9~13節)と「イスラエルの苦難」(14~20節)と「偽メシアと真のメシア」(21~27節)と「来臨/再臨への心構え」(33~37節)の四つの伝承があることを示しました(1983年)。彼によれば、マルコ福音書の小黙示録は、イエスに起源する預言に基づいて、以後の教会の歩みの中で諸伝承が形成され、これが、70年のエルサレム滅亡の前後にマルコによって(?)総合的に編集されたものです〔コリンズ前掲書595頁/同(注)14〕。
 「イエスの弟子たちの苦難」への予告は、イエス様語録(Q12:11~12)=マルコ13章11節=マタイ10章19~20節=ルカ21章12~15節と内容的に並行していますから〔ヘルメネイアQ312~17頁〕、この部分は、おそらくイエスの予告が口頭で受け継がれてイエス様語録の編集(45~50年?)にいたったと考えられます。
 紀元66年に、ウェスパシアーヌスが率いるローマ軍団が、ユダヤを攻撃した時に、エルサレムに住むユダヤ人キリスト教徒たちが、啓示を受けて、ユダヤからヨルダン川東方のペレアに逃れたと伝えられています〔エウセビオス『教会史』3巻5章3節:秦剛平訳『教会史』(1)139頁〕。この時キリスト教徒たちが受けた「啓示」とは、この小黙示録のマルコ13章14~18節のことではないかと考えられます〔コリンズ『マルコ福音書』596頁〕。だとすれば、マルコ13章14~18節の預言は、ユダヤ戦争の最中に成立したか(68年頃?)、あるいはそれ以前から伝えられていたことになりましょう。マルコ13章2節の神殿崩壊の預言についても同様です〔コリンズ『マルコ福音書』601頁〕。マルコ13章1~4節はマルコによる創出だという説や、小黙示全体が、70年前後のユダヤ戦争以後に編集されたという説などもありますが、わたしは、先にあげたビーズリ=マレーの見解が最も妥当だと考えます。
 この見方に立てば、マルコ13章の構成は、およそ以下のように区分できましょう〔フランス『マルコ福音書』505頁を参照〕。
1~2節:イエスの神殿崩壊予告。
3~4節:弟子たちの問いかけ。
5~8節:神殿崩壊(と終末)への予兆。
9~13節:迫害の予告。
14~23節:(エルサレムと)世界の終末の始まり。
24~31節:人の子の到来。
32~37節:注意して終末に備えよ。
 さらに、今回のマルコ13章1~13節だけに限るなら、弟子の問いかけに応じるイエスの答えは、5節と9節の二つの「気をつけよ/警戒せよ」で区切られています。前者では「終わりへの予兆」が告げられ(8節後半)、9~13節の「気を引き締めよ/警戒せよ」では、宗教的権威者と政治的権力者たちへの証しの機会とともに、福音の世界的な宣教が告げられます。同時に、これに伴う家族の亀裂と世間からの非難が、終末へ向かう「予兆」としてあげられています。
■マルコ13章
[1]~[2]『四福音書対観表』では、この1~2節に「神殿崩壊を予言」という題が付けてあって、この部分だけを個別に扱っています。イエスとエルサレム神殿とのかかわりは、マルコ11章15節に始まるイエスの神殿浄化の行為から、同27節の神殿体制に携わる指導者たちとイエスとの間に交わされる問答へ続きます。問答は、イエスに向けられる問いかけで始まりますが、次第にイエスが相手側をリードするようになり、今回の神殿崩壊への預言にいたる前触れになります。だから、13章1~2節は、イエスと神殿との関係の結末でもあり、同時に、続く終末説話の始まりにもなっています。マルコ福音書の読者は、エルサレム神殿の崩壊だけでなく、これに続く全く新しい「人の子」の時代の到来(マルコ13章24~27節)をも予感するのです〔フランス『マルコ福音書』494頁〕。
【出ていく】神殿から「立ち去る」ことです。イエスが神殿を訪れて、日ごとに神殿に留まり、そこから「立ち去る」というこの構成には、エゼキエル書10章1節~11章12節で、主の栄光に輝く車輪が、悪に染まった都(エルサレム)を訪れて(同11章2~7節)、神殿の「東の門」へ向かう(エゼキエル書10章19節/11章1節/同23節)ことが反映しているという解釈があります〔フランス前掲書495頁〕。エゼキエル書では、続いて神の民に「新しい霊が授けられる」預言が来ます(エゼキエル書11章19節)。ただし、イエスがほんとうに神殿の「東の門」から出て、キドロンの谷へ降り、オリーブ山へ向かったと見るのは憶測にすぎないでしょう。
【すばらしい建物】原意は「なんという石」「なんという建物群」です。イエスの時代のヘロデの神殿の石組みは、正方形の大きな石が寸分の狂いもなく正確に組み合わされていました。今に遺る神殿の巨大な石組みの城壁では、石と石との間の細い溝がまっすぐ縦と横にどこまでも延びるみごとな石組みです。これは「ヘロデの石組」と呼ばれています。
 当時のエルサレム神殿の「建物群」の壮麗さは、ヨセフスの『ユダヤ戦記』(第5巻5章184~226節)に詳しく記されています〔ヨセフス『ユダヤ戦記』(3)秦剛平訳38~46頁〕。これによれば、境内を囲む列柱は高さ11メートル以上の白雲石で、彩色も彫り飾りも必要としないほど磨き上げられていて、境内の床には、遠くエジプトなどから取り寄せたあらゆる種類の石が敷き詰められていました。「建物群」とあるから、神殿全体を東の門(美しの門)から見れば、女性の庭の柱廊の上に、真っ白な4本の石柱がそびえ、その奥に黄金で覆われた扉のある聖所と至聖所の塔の上半身が、ひときわ目立つ姿を見せていたでしょう。塔の高さは100ペクス(約45メートル)あり、太陽が昇ると「燃え盛る炎のような輝きを反射させた」とヨセフスは述べています。
【一つの石も】テトスが率いるローマ第5軍団、第10軍団、第12軍団と15軍団は、紀元70年に、エルサレムの北側から攻め入り、神殿の北側にあるアントニアの砦の側から神殿の境内に侵入して、聖所と至聖所を含む神殿を徹底的に破壊し、さらに、神殿を囲む城壁をも破壊しました。今も遺る神殿の南の城壁の南側に、オフェル考古学ガーデンがあります。その近くの神殿の境内の分厚い石畳は、破壊され投げ落とされた城壁の石で砕かれたまま遺されています。そこには、城壁で見張りのラッパを吹いた塁壁の固まりが、投げ落とされた状態で遺っています。マルコ福音書が書かれたのは70年前後ですから、パレスチナの読者には、神殿破壊の記憶が生々しく残っていたでしょう。
 今回の箇所は、まだこれが起こる前のイエスの預言です。エルサレムの滅亡を預言したのは、イエス一人ではありません。イエスと同名の人物が「エルサレムが呪われる」と繰り返し叫んだと伝えられています〔ヨセフス前掲書6巻5章300~309節〕。イエスも、幾度かにわたって神殿崩壊を預言したと思われます。弟子の一人は、おそらく神殿の壮麗な姿を「人間が作った業」として、これを賞賛したのでしょう(ルカはこの点をよりはっきりさせています)。これに対してイエスは、「人の手で作った」ものは、どんなに壮麗な神殿でも、必ず破壊されることを預言したと思われます。おそらく、このために、イエスの言葉が誤って「イエスが<人の手で作った>神殿を破壊する」と伝えられ、このことが、イエスの裁判の席で証言されました(マルコ14章58節を参照)〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)109頁〕。この預言は、十字架上のイエスを嘲る際にも出てきます(マルコ15章29節)。エルサレムの民衆がこぞってイエスに敵意を抱くようになったのは、おそらくこの預言のためではないかと言われています〔フランス前掲書495頁〕。神殿崩壊の出来事を記している箇所は、マルコ福音書ではここだけです。イエスはここで、この出来事が起こる「時」を特定していませんが、マルコ福音書の読者は、その時がすでに到来したことを知っていたのでしょうか。
[3]イエスと弟子たちとの問答の場の状況が先ず語られます。イエスが神殿に「向かって座る」(原語直訳)"opposit the temple"〔NRSV〕〔REB〕とあることから、神殿に対立するイエスの姿勢を読み取る見方もできます。なお、ここのイエスの姿勢にエゼキエル書11章23節の反映を読み取る説もあります〔フランス『マルコ福音書』507頁〕。
【ひそかに】4人とイエスだけの時に」という意味で、これは、内容が黙示にかかわるからでしょう。
【尋ねた】原語の動詞は未完了3人称単数で、「尋ねる」のは一人です。これら四人の「内弟子」の中で、おそらくペトロが「代表質問」しているのでしょう。
[4]【そのこと】原語「タウタ」は中性複数の代名詞で、同じ代名詞が二度でてきます。新共同訳では同じ代名詞が「そのこと~そのことすべて」とあり、英訳では"this...all these things"〔NRSV〕〔REB〕とあり、フランシスコ会訳では「これらのこと・・・・・これらのことすべて」です。イエスが「神殿のほうに」向いていることから、弟子たちの二つの質問、「いつ起こるのか?」と「どんなしるしが?」は、<直接的には>神殿崩壊の時とその兆候を指していると考えられます。だとすれば、「そのことすべて」は、神殿崩壊にいたるまでの過程の出来事全体を指すことになりましょう。しかし、「いつ?」と「どんな?」の二つには、続く5節以下全体の出来事も含まれてくることになりますから、弟子たちが「そのこと/これらのこと」と言うのは、神殿崩壊を始め、終末までの出来事全体をも指すことになりましょう。
【成就する】原語は、動詞「シュンテロー」の現在受動不定詞です。「シュン(共に)テロー(終わる)」とは、あらゆる要因・要素が総合されることによって、最終の目的(終末)に達し「完成する/成就する」ことです。原文は「成就にいたろうとする」"all these things are about to be accomplished"〔NRSV〕です。弟子たちは、ここで、神殿の崩壊と、これに伴って生じる一連の出来事のことを指しているのでしょうか?〔フランス『マルコ福音書』507頁〕。それとも、マタイ福音書の並行箇所にあるように、「あなた(イエス)の再臨とこの時代(世)の終末にいたるまでの一連のしるし」を尋ねているのでしょうか? イエスに先立つクムラン宗団は、この世の終末に新たな神殿が建てられると信じていましたから、今回のマルコ福音書でも、目の前の神殿崩壊のことだけを指しているとは思われません(マルコ福音書が書かれた時期に神殿崩壊がすでに生じていたのかさえ疑問です)。弟子たちのこの質問は、イエス自身による「黙示的な預言」を示唆していますから、神殿の崩壊(と再興?)と人の子の来臨とが重ね合わされていると見るほうが適切です〔コリンズ『マルコ福音書』601頁〕。たとえマルコ福音書の読者が、エルサレム神殿の崩壊(70年)がすでに起こったことを知っていたとしても、彼らは、神殿崩壊を始め、この出来事に続く終末への過程全体を含めて尋ねていると受けとめたのではないでしょうか。
[5]~[6]【気をつけなさい】この命令は、13章に今回と9節/同23節/同33節と4回でてきます。これは、人々が、これから起こる出来事を素朴な信仰から見誤って、それらの出来事を終末の到来だと思い込んだりしないためですが、ここではそれ以上に、意図的に人々を欺いて信じ込ませようとする偽メシアや偽預言者に警戒するよう呼びかけているのです。誰かが「<あなたたちを>惑わす」ことがないようにとある「あなたたち」とは、直接にはイエスの前にいる4人の内弟子を指すのでしょう。しかし、イエスの言う「あなたたち」は、最終的には「すべての人」に宛てられていることが分かります(13章37節)。だからマルコ福音書は、イエスの言葉をイエスと弟子たちの間のことだけでなく、それ以後に生じたすべての出来事、おそらくマルコ自身も体験したであろう?神殿崩壊にいたるのまでのユダヤ戦争の間に、「多くの人」が惑わされた出来事を視野に入れているのでしょう。
【わたしの名を名乗る】6節は、具体的にどのような事態を指しているのか?解釈が難しいところです。
(1)先ず、ここで言う「わたしの名を名乗る」とは、イエスの弟子あるいはキリスト教徒が、「イエスの名のゆえに/イエスの名のために」行なう業(例えばマルコ9章37節を参照)のことではありません。そうではなく、欺きの意図で「わたし(イエス)の名を悪用する」あるいは「名を騙(かた)る」ことです。
(2)「わたしがそれだ」とある原文「エゴー・エイミ」"I am" は、出エジプト記3章14節の「わたしは『ある』」にさかのぼるもので、これは神御自身の臨在を顕す「名」に由来します。キリスト教会にとって、イエスは、神の唯一の御子として、神御自身の臨在を啓示する方ですから、この意味での「わたしはある」は、ナザレのイエスのみに限られます(ヨハネ8章24節/同58節/同13章19節)。今回の「わたしはある」がこの意味だとすれば、「わたしの名を騙って」出現する「多くの者」は、自分が「神の御子」イエス自身の再臨だと自称することを意味しますから、彼らは、キリスト教会の中のおそらく指導層から出た「偽預言者」たちを指すことになり、「騙される多くの者」とは、教会内のキリスト教徒を指していることになります〔フランス『マルコ福音書』510頁(注)40を参照〕〔コリンズ『マルコ福音書』603頁〕。ただし、イエスが再臨して終末がすでに訪れたというこの解釈だと、続く終末にいたるまでの戦乱や迫害とうまくつながりません。また、このような出来事がマルコ以前のキリスト教会において実際あったのかどうか確認できません。
(3)マルコ福音書の「わたしはそれだ」をマタイは「わたしがキリスト/メシアである」と「キリスト/メシア」を補っています(マタイ24章5節)。ここでのギリシア語「キリスト」はヘブライ語の「メシア」のことです。イスラエルの戦士たちが、ダビデのように「万軍の主の名によって」敵に立ち向かい(サムエル記上17章45節)、イスラエルを「救う者」になることがユダヤの「メシア」の原型です。この意味でのメシアは人間のことで、しかも複数のメシアが現われても不自然ではありません〔コリンズ『マルコ福音書』603~604頁〕。だから、この場合、「わたしの名を騙る」のは、キリスト教徒ではなく、ユダヤ人のことになります。イエスの在世当時、イエスは「メシア」であり、しかもイスラエルを復興するダビデ的なメシアであると信じる者たちが多くいたことが知られています。直弟子たちでさえ、イエスにダビデ的なメシア像を抱いていたと聖書は証ししています(マルコ10章37節=マタイ20章20~21節/ルカ24章21節)。イエスがここで言う「わたしの名を名乗る」は、この意味で、自分こそイスラエルを解放する「メシア(救い主)である」と自称する者たちのことでしょう。「『救世主(キリスト)はわたしだ』と言ってわたしの名を騙り」〔塚本訳〕。
 ユダヤ戦争が近づくにつれて、偽預言者が現われたことが記録されています。ローマの支配下で、ユダヤ総督ファドス(在位44~45/46年)の時代に、テウダという偽預言者が現われて(使徒言行録5章36節)、人々に全財産を持ってヨルダン川に集まるよう呼びかけ、自分が命じればヨルダン川が二つに分かれると言いふらし、400人もの人を集めましたが、ファドスの軍隊によって鎮圧され、彼はとらえられて斬首されました〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』(秦剛平訳)20巻5章1節〕。総督フェリクス(在位52~59年)の時に、一人の男がエジプトからエルサレムへ来て、オリーブ山に人々を集め、自分が命じればエルサレムの城壁はたちまち崩れる奇跡を見せると言いましたが、フェリクスの軍隊が来ると彼は姿をくらましたとあります〔ヨセフス前掲書20巻8章169~172節〕。
 ユダヤ総督フロルス(在位65~70年)の時、ローマへの反乱を企む過激派が、結束してマサダの要衝を襲い、そこに駐屯するローマ兵を皆殺しにしました(66年?)。これが、ユダヤ戦争の直接の発端になります。大祭司アナニアスたちは、何とか反乱を食い止めようとしますが、その甲斐なく、ついに過激派は、神殿に隣接するローマの駐屯地アントニアの砦を襲います。その頃、過激派の一人であったガリラヤ人ユダの息子であるメナヘムは、マサダにあるヘロデ王の武器庫を襲って、仲間を武装させ、まるで「王のように振舞いながら」エルサレムへ戻り、彼らに反対する人たちを殺戮し、大祭司アナニアスもこの反乱暴徒に殺されます。メナヘムは、王を気取ってますます凶暴化して、ついに仲間に殺されました(66年)〔ヨセフス『ユダヤ戦記』(新見宏訳)2巻17章408~448節〕。彼もダビデ王的なメシアを気取る偽メシアの一人です。
 最後に、ヨハネと共にユダヤ戦争を最後まで指揮したギオラの子シモンに触れておきます。彼のことはヨセフスの『ユダヤ戦記』に記録されています〔ヨセフス『ユダヤ戦記』(新見宏訳)2巻22章652~54節/同4巻9章503~584節/同5巻13章527~540節/同6巻9章433~434節〕。ギオラの息子シモンは、革命分子を集めて家財を奪うなどの略奪を行なっていましたが、死海の西にあるマサダの反乱分子の下に逃れて、マサダのグループと共に、ユダヤの南部イドマヤ地方を荒らし回っていました。「独裁者となり、大きな野心を抱いていた」シモンは次第に多くの人を集めて、強力な軍団を持つようになり、過激派の熱心党(ゼロータイ)と衝突し、一時は妻がゼロータイに囚われますが、これに屈せず妻を取り戻し、ついにイドマヤ全土を支配することに成功します。当時エルサレムの城壁内では、残忍なゼロータイと、このヨハネの党とが支配しており、城門の外側では、シモンが支配権をふるっていました。だから、エルサレムの住民には、逃れる道が閉ざされていたのです。大祭司マッティアスは、シモンに、エルサレムの城壁内に入るよう要請したので、彼は入城して、住民から王に対するように「救済者」「保護者」と呼ばれました(69年)。エルサレムを掌握したシモンは、かつての友であるマッティヤとその息子たちをも残忍なやり方で殺し、その暴君ぶりを発揮します。ティトスの率いるローマ軍団は、エルサレムのユダヤ人との激しい戦闘の後に、軍団はエルサレムの北側のアントニアの砦から神殿内に侵攻してエルサレムは制圧されました(70年)。シモンは、エルサレムが陥落した後も、何とか生き延びようとしますが、ついに身柄をローマに引き渡し、ローマへの凱旋行列の曝しものにされて斬首されました。
 ダビデ王的なメシアを騙る偽メシアの最大の事件は、シメオン・バル・コク(ホ)バの反乱(132~135年)でしょう。「バル・コク(ホ)バ」(星の子)を指導者とするこの反乱は、第二次ユダヤ戦争とも呼ばれ、一時、ユダヤとガリラヤの一部を含む地帯をローマ帝国から解放し、独自の貨幣を発行するなどかなりの成功を収(おさ)めました。しかし、ハドリアヌス帝による厳しい弾圧の結果、大量の殺戮によって鎮圧され、このためユダヤ全土は廃墟と化しました。ハドリアヌスは、勅令によって、それ以後、ユダヤ民族がエルサレムとその周辺に近づくことを禁じ、エルサレムは「アエリア」と名を変えられました〔エウセビオス『教会史』4巻6章(秦剛平訳)〕。このために、人々は彼のことを「バル・コシバ」(騙しの子)と呼んだと伝えられています。
[7]~[8]【戦争の騒ぎや戦争のうわさ】直訳は「あなたたちは戦争(複数)と戦争の噂(うわさ)を聞くだろう」です。同じことを繰り返すマルコ福音書の文体だと見る説もありますが、先の「戦争」はパレスチナで起こる身近な出来事のことであり、「戦争の噂」のほうは、遠方で起こる出来事を耳にすることだという解釈もあります。終末での戦いについては、ダニエル書11章40節を参照。「戦争を目の当たりに見たり、また戦争の噂を聞いた時に」〔塚本訳〕。なお、旧約時代では、南王国ユダが新バビロニアに滅ぼされて民が捕囚にされてからも、エレミヤは、主の怒りがバビロンに臨むと告げてその滅亡を預言し、バビロンに囚われている民に、暴虐と支配者同士の争いが起こる時には「主の燃える怒りから逃れて命を救う」よう呼びかけています(エレミヤ書51章44~46節)。また、イエス以後でのパレスチナでは、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスとヨルダン川の東のナバテアのアレタ王との間に戦があり、ローマもこれに巻き込まれました(36~37年)。パレスチナ内部でも、ローマの支配に反抗する大小の反乱がしばしば起こり、その度にローマの駐屯軍によって鎮圧されています。
【民は民に、国は国に】北王国ユダの王アサが、アザルヤの預言によって、偶像礼拝を改めて主のもとに立ち帰った時に、周辺の国々の騒乱の様子を「民は民に逆らい、町は町に逆らう」と伝えています(七十人訳歴代誌下15章6節/イザヤ書19章2節をも参照)。
【起こるに決まっている】黙示思想では、歴史的な出来事が、神の摂理によって必ず生じることが「定められている」と考えます。こういう歴史観は、ヘブライの歴史観の本質を成していますが、とりわけ黙示的な思想は、その源をダニエル書2章26~28節に見ることができます。
【世の終わり】第二テサロニケ2章2節(51年頃?)には、「終末がすでに来ている」という噂がキリスト教徒の間で広まり、動揺が生じていたことに触れています。これらのことが「起こるに決まっている」とあるのは、歴史的に見れば戦争が起こるのは当たり前だから、という意味ではなく、終末にいたるまでには、これの予兆として、国同士の戦争が起こることが「定められている」という意味で、ここに黙示的な歴史観を読み取ることができます。原文に「世の」はありません。新共同訳は、ここでの終わりが神殿崩壊のことではなく、「この世」の終末へ結びついていると見ているのです。
【地震と飢饉】「剣(戦争)と飢饉」の二つと、これに疫病を加えて、これら三つは、古来、人類の生存を脅かしてきました。イスラエルでも同様で、これらは神の怒り、あるいは呪いの象徴と見なされていました(エレミヤ書14章12節/同29章17~18節/エゼキエル書6章11~12節/シラ書40章9節)。イエス以後では、ローマ皇帝クラウディウス(在位41~54年)の時に大規模な飢饉が起こっています(使徒言行録11章28節)。歴史家ヨセフスは、これをユダヤ戦争によるイスラエルの滅びの前兆だと見なしていたようです〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』3巻15章320節〕。地震については、古くは死海の南西沿岸に位置していたソドムが、大地震のためメタンガスが吹き出して火の柱に襲われ、泥炭地であったために死海の中へ引きずり込まれた出来事があります(創世記19章24~25節)。その後も、死海周辺はしばしば地震に襲われました。ヨセフスは、ユダヤでは、大地震などの天変地異が「明らかに人類の終末を示す予兆」だと受けとめられていたと報じています〔ヨセフス『ユダヤ戦記』4巻4章286~87節〕。
【産みの苦しみ】
(1)「産みの苦しみ」にかかわる旧約聖書の用例をさかのぼると、創世記3章16節で、堕罪の後のエヴァに対して神が告げる「産みの苦しみ」は、ヘブライ語の「アーツァブ」(苦しむ/痛みを覚える)です。これは、出産それ自体よりも陣痛などによる「苦痛」を表わす言葉です。ただし、これの動詞の強勢形には「(苦しんで)形成する/ものを形作る」という意味があります。ここの七十人訳創世記3章17節のギリシア語名詞は「ステナグモス」(うめき)です。
(2)これに対して、今回の「産みの苦しみの(始まり)」の原語は、ギリシア語の名詞「オーディン」の複数属格形です。このギリシア語は「陣痛」「生み出す(創造する)ための苦悩」などを意味しますが、「オーディン」それ自体には「苦しみ/痛み」の意味は希薄です。七十人訳で「オーディン」が用いられている例は、「出産の陣痛」を意味するヘブライ語の「ヘーベル」の訳として、雅歌8章5節があります。これは、単に「出産」を指していて、特に苦痛を伴うことを意味しません(特に「出産で<苦しむ>」ことを指すヘブライ語は、動詞「ク(フ)ール」です)〔TDNT(9)669-70〕。七十人訳で「オーディン」が用いられている例では、イザヤ書66章7~9節があります。エルサレムのシオンの民が、捕囚から突然解放されることを預言している箇所ですが、ここでは「死の苦しみ」から「再生」にいたるまでが、「産みの苦しみ」として表わされています。これは、個人の場合でなく、民(共同体)全体に及ぶ「産みの苦しみ」のことです。また、イザヤ書13章6~8節では、ペルシアの軍勢がバビロンを滅ぼす出来事を、諸国の民に臨む「主の日」の訪れの時だと見なされていて、諸民族が「身を震わせて(フール)出産する(ヤーラッド)女」の姿に譬えられています。ここは、終末的な戦による混乱とユダの民の解放(再生)をも予測させる意味で、マルコ福音書の今回の箇所に近いと言えましょう。
(3)新約聖書においても、「産みの苦しみ」は、共同体の再生を表わす象徴になります。ガラテヤ4章27節には、「上にあるエルサレム」こそ、わたしたちキリスト教徒の母であるとあり、彼女は、今まで「産みの苦しみ」を体験していない不妊の女であったのが、一転して多くの子を持つようになるとあります。パウロはこの譬えで、キリストの福音が、ユダヤ人だけでなく異邦人にも開かれたことを指しています。これはイザヤ書54章1節からの引用ですが、ここで第二イザヤは、かつて新バビロニアによって滅ぼされた母なるエルサレムが、再びその子供たち(イスラエルの民)を取り戻して、一度は地上から断たれたかに見えるイスラエル共同体が、再生する喜びを預言しています。パウロはこの預言を、「上にあるエルサレム」を求めるエクレシアの民と重ねているのです。ところが、同じガラテヤ4章19節では、エクレシアの一人一人に「キリストの姿」が形作られるまで、パウロは「産みの苦しみ」を味わうと言うのです。ここでは、集合体としての産みの苦しみから、個人の霊性に生じる産みの苦しみが語られているのが注目されます。
(4)新約聖書では、「産みの苦しみ」が、明確に終末的な意味を帯びてきます。第一テサロニケ5章3節では、安逸(あんいつ)を貪る人たちに、滅びが突然、夜の陣痛のようにやって来るとあり、ここでは「陣痛」が「滅び」と結びつきます。使徒言行録2章24節では、神はイエス・キリストを「出産の死の苦しみから解放して復活させた」とあるように、産みの苦しみは死と隣り合わせです。しかし、女が子供をいつまでも宿すことができないように、陰府は贖い主イエスを留めおくことができなかったのです。ここには「メシア誕生の出産」という、新約独特の「産みの苦しみ」が出てきます。イエスのこの「産みの苦しみ」に立ち合うのが、イエスの弟子たちの体験する「産みの苦しみ」です(ヨハネ16章21節)。弟子たちのこの体験は、終末の時のエクレシアの苦しみとなって描かれます。ヨハネ黙示録12章2節では、エクレシアを象徴する女が、「出産の陣痛と子を産む激痛のために叫び声を上げている」とあります。最後に、ローマ8章22節では、この終末的な「産みの苦しみ」が、新たな新天新地の創造と重なります。宇宙(被造物)全体が、この終末へ向けて、過去から現在まで「産みの苦しみのうめき」を共に発しているのです〔TDNT(9)673〕。
[9]〔9~13節の構成〕9~13節は5~8節と並行しています。「(誰も)あなたたちを惑わさないよう警戒しなさい」(5節)=「あなたたち自身のことで警戒しなさい」(9節)/「これらすべては起こらなければならないが、まだ終わりではない」(7節)=「先ず、すべての民に福音が伝えられることが起こらなければならない」(10節)/「民は民に、国は国に立ち向かう」(8節)=「兄弟は兄弟を、父は子を裏切り死なせる」(12節)/「産みの苦しみの初めである」(8節)=「最後まで堪え忍ぶ者は救われる」(13節)。これらの並行関係は、二つのことが、同時に進行することを示唆するのでしょう〔コリンズ『マルコ福音書』606頁〕。
【気をつける】ここでは、ある事柄や他人に警戒する/用心すること(8章15節/12章38節)ではなくて、「あなたたち自身について」ですから、「自分」が用心の対象になります。「警戒する」のは、その受難から逃げるためではなく、心備えをするためです。9~11節は、そのままイエス自身の受難と重なり合うことが指摘されています〔フランス『マルコ福音書』514頁(注)53〕。イエスの受難がその弟子たちにも反映するからです。
【渡される】イエスが自分の受難を予告する時の言葉で(9章31節/10章33節)、原語は「誰かの手に委ねる」ことです。9章31節では「裏切られる」"The Son of Man is to be betrayed into human hands" 〔NRSV〕と訳されています。受動態で用いられる場合が多いようですが、今回も主語が抜けていますから、権力の下にある一般の人たちによって行なわれる行為です。
【地方法院と会堂】
〔会堂〕「会堂」(シナゴーグ)のヘブライ語は「カハール」でギリシア語は「シュナゴーゲー」です。ただし、後代のラビは、これを「クネセット」(ヘブライ語とアラム語)と読んでいます。「カハール」は、ほんらいユダヤ人の集まりである「会衆」を指していて、これは神殿と国家を失ったイスラエルの民によって、捕囚の地バビロニアで形成されたと推定されています。ユダヤ人の集まりである「カハール」の場/建物は「ベート(家)・カハール(会衆)」と呼ばれましたが〔TDNT(7)809〕、やがて「カハール」それ自体が集まりとその場所の両方を指す「会堂」(シナゴーグ)とよばれるようになりました(キリスト教の「教会」に近い)。「会堂」が制度化するのは、捕囚期以後のエズラの頃からで、帰還した民を規制する安息日と律法制度が重視されるようになってからです(前5世紀末~4世紀初め)。イエスの頃には、「会堂」は、パレスチナだけでなく、離散のユダヤ人の住む東地中海一帯にあって、ユダヤ人が祈りとモーセ律法を学ぶ場であると共に、子供たちの教育の場であり、会衆の集まりの場(公会堂)にもなり、病院にもなりました〔TDNT(7)821-27〕。
〔法院〕マルコ13章9節の「会堂」(複数形)は、「鞭打ち」という刑罰の場を指していますから、通常の意味とは異なり、ギリシア語の「シュネドリオン(法院/議会)」の複数形に近い意味になります〔TDNT(7)834〕。捕囚期以後のイスラエルの民は、外国の政治的な支配権力を別にすれば、大祭司と祭司長たち、及びその一族と長老たちからなる貴族階級(ギリシア語「ゲルーシア」)によって支配されていました。パレスチナがローマの支配下に入った後、総督ガビニウスの時代に、パレスチナは複数の「シュネドリア」に区分され、それぞれの区域に「シュネドリオン(議会/法院)」(ヘブライ語「サンヘドリン」)が設定されました(前57~55年)。しかし、ローマのカエサルによって、これらの区分けが廃止されて、ヘロデ大王の時に、パレスチナ全土は、再びエルサレムの最高議会/法院(大サンヘドリン)の支配下に置かれることになります。「大サンヘドリン」は通常71名(民数記11章16~17節を参照)の議員で構成されます。始めは大祭司・祭司長たちと長老たちによって構成されましたが、王妃サロメ・アレキサンドラが王位につくと(前76年)、ファリサイ派が力を得て議会(サンヘドリン)に入り、これに伴い、ファリサイ派の律法学者たちが議会の重要な構成員になります。イエスの頃には、エルサレムのサンヘドリンが政治的な「最高議会」であり、司法の「最高法院」でした。エルサレムの「大サンヘドリン」に対して、離散のユダヤ人たちを含むエルサレム以外の地域では、ユダヤ人の成人男性120名にあたり「小サンヘドリン」が23名で構成されると定められていました〔『ミシュナ』第4巻「ネズィキーン」の4項「サンヘドリン」〕。
 マルコ13章9節の「法院と会堂」は複数形ですから、地方の諸法院を指します。だから、ここでは地方法院で裁かれて鞭打ち刑の判決が言い渡され、会堂内で、会衆の面前で刑が執行されることを指すのでしょう。キリスト教徒が迫害されたのは、1世紀の後半で、特にエルサレム滅亡以後のことですから、マルコ福音書のこの箇所は、後の教会による加筆ではないかと見る説もあります。マルコ福音書の読者たちには同時代のことだと映ったのは確かですが、イエス自身も会堂での迫害に遭っていますから、今回の預言はイエスにさかのぼると見ることができましょう。
【打ちたたかれる】会堂で「打ちたたかれる」とは鞭打ちのことで、通常39回でした(第二コリント11章24節)。会堂で鞭打たれることは、法によって公の刑罰を受けることを意味します。
【総督や王】地方法院と会堂がユダヤ教の制度であるのに対して、総督と王は、ユダヤをも含むローマの権力を象徴します。続く10節から判断すれば、これは、パレスチナだけでなく、広くローマ(帝国)全般に及ぶ範囲の権力機構のことでしょう。「立たされる」とは、権力による連行を指すのでしょうが、ここでは、そこに働く「神の意志」をも含んでいます。だから、「わたしの名のために証しをする」のは、権力から罰せられるためというよりも、むしろ、公権力に対して「申し開き」をし、公権力に福音を語る機会が与えられるという意味でしょう(続く11節を参照)。
[10]【福音】原語は「エウアンゲリオン」です。ここでは「福音」が、イエスによって語られる言葉から、「イエスの出来事を語る言葉」へ転じます。「ありとあらゆる民へ」イエスの出来事を伝えること、これこそが、イエスの弟子たちの使命です。起こらねばならない「産みの苦しみ」は、福音が<その状況の中で>伝えられる背景を指すのであって、福音宣教の後に起こることではないでしょう。「終わり(最後)まで耐え忍ぶ」(13節)とあるように、伝道はイエスの来臨/再臨まで続くのです。
 ただし、「先ず/初めに」とあることが大きな問題を提起しています。イスラエルの地以外の異邦人への福音伝道は、すでにガリラヤ周辺をめぐったイエス自身によって行なわれています(マルコ7章24節~8章10節)。しかし、今回の10節は、このことを指すのではなく、受難の直前に14章9節で告げられる「世界宣教」のことで、受難直後のローマ兵の告白が(15章39節)これの前触れになっています。ここで言う「世界宣教」には、時期的に見て次の二つの説があります。
(1)字義どおりの地理的な全世界のことを指すのではなく、福音がユダヤ人から異邦人世界へ転移する時期を指しているという解釈があります。その上で、10節の原文に「先ず/初めに~ねばならない」とあるのは、弟子たちが尋ねた「何時起こるのか?」に対するイエスの答えであり、それは、本格的な異邦人世界への伝道の「初まり」のことで、これの「しるし」が「神殿崩壊の出来事」を指すと解釈します。この説では、13章5~13節で語られる戦乱と迫害は、終末におけるイエスの再臨に「先立つ」出来事のことではなく、70年の神殿崩壊に「先立つ」期間のことになります〔フランス『マルコ福音書』516~17頁〕。
(2)13章5~8節は9~12節と多くの点で対応しています。だから、5~13節の戦乱と迫害は、マルコ福音書の読者にとって、神殿崩壊にいたるまでのユダヤ戦争の時期を連想させるものですが、13節に「最後まで耐え忍ぶ者」には報いが約束されています。このことから、10節で言う世界宣教は、神殿崩壊の<後に>顕れる終末の出来事に先立って成就されることだという解釈があります〔コリンズ『マルコ福音書』606~607頁〕。この見方からすれば、終末に顕れる「荒らす憎むべき者」(14節)とは、必ずしも神殿崩壊にかかわるとは限らないことになります。
[11]【引き渡される】原文は「あなたたちを連れて行って引き渡す」と読むこともできますから、「あなたたちを逮捕して、裁判所へ引き渡す時」"when you are arrested and put on trial"〔REB〕という意味でしょう。「引き渡される」所は地方法院(9節)です。
【取り越し苦労】原語は「心配する/思い煩う」で、マタイ6章25~34節に出てくるのと同じ用語です。弟子たちも、彼ら以後のキリスト教徒も、地位や教養を具えた人ばかりではありませんでしたから、裁判の場で「なにをどう答弁するのか」予め心備えをする余裕がなかったでしょう。権力者や王侯たちの前では言うまでもなく、地方法院で尋問を受けるのも、彼らにとって大きな脅威だったと思われます。
【聖霊が語る】マルコ福音書では、「悪霊」「汚れた霊」について語られる場合が圧倒的に多く、聖霊の働きについて語る箇所は多くありません(1章10節/同12節/12章36節/13章11節)。特に<弟子たちとの関わり>で聖霊が語られるのはここだけです。ここでの聖霊の働きはヨハネ福音書の「パラクレートス」に相当します(ヨハネ14章26節/15章26~27節/16章7~11節)。
[12]ここで語られていることは、ミカ書7章2~6節の状況と通じています。ミカは前8世紀末の預言者で、北王国イスラエルの滅亡後に、南王国ユダがアッシリアの攻撃を受けた頃に預言したとされています。ミカ書は後に編集されていますが、その7章は、南王国ユダの頃のエルサレムを中心にその腐敗と堕落を告発しています。母と娘、嫁と姑など、今回の兄弟同士とは異なりますが、家族の崩壊では一致していますから、エルサレムの滅亡を予見させる点で、今回の預言と重なります。なお、ミカ書7章6節は、マタイ10章6節でイエスが家族の分裂を予告する時にも引用されています。
【追いやる】原語は「引き渡す」ことで、これは密告することを意味します。
【殺す】これほどの厳しい迫害は、64年のネロ帝によるクリスチャン迫害の時のことでしょうか? エルサレム滅亡の前後、ヨハネ福音書のヨハネ共同体は、ファリサイ派ユダヤ教と厳しい対立に置かれていました。当時、まだユダヤ教の会堂内にいた多くの「ナザレ人イエスの信者」が、会堂にいる家族の面前でののしられたり、場合によっては処刑さたのではないかと見られています(ヨハネ8章44節参照)。
[13]【わたしの名のために】これは「イエスに従う」ことです(マルコ9章41節)。マルコ9章38~41節では、「イエスの名」が霊能の力を発揮することと結びつけられていますが、今回の箇所では、「イエスの名」が迫害を受ける理由になっています(マルコ10章29~30節をも参照)。それでも、13節の後半から見ると「迫害に耐え抜く力」が与えられるのでしょう。なお、ヨハネ福音書でも、弟子たちへの別れの説話において、「イエスの名」が迫害と結びついて語られています(ヨハネ15章21節)。
【最後まで】「最後」(テロス)に冠詞がついていないので、ヘブライ語の用法では「(迫害が)終わるまで」という一般的な意味にとることもできますが〔フランス『マルコ福音書』519頁〕、今回の箇所は、13章全体の文脈から判断して、終末の「人の子」(イエス・キリスト)の再臨にいたるまでのことをも視野に入れているのでしょう。
【救われる】ミカ書7章6~7節を踏まえていて、7節の「わたしの<救い>である神を<耐え忍んで>待つ」(七十人訳)が反映しています。
【付記】『十二使徒の教訓/ディダケー』は、1883年に、コンスタンティノポリス(現在のトルコのイスタンブール)の修道院で、ブリュエンニオス(Bryennios)によって発見されました。これの断片は、3世紀のパピルスや3/4世紀のコプト語のパピルスにも見ることができます。内容は、最初期のキリスト教会の状態を伝えたものが後に編集されたと考えられます。50~120年という広い成立年代が推定されていますが、1世紀末以前に成立したと見るのが妥当でしょう〔The Study of Early Chiristian Writings. By Jonathan Draper. From an electronic edition.〕。『十二使徒の教訓』は、主の再臨を待望するクリスチャンに宛てられていて、これの16章には、「終わりの日々には、多くの者が躓くこと、偽預言者が増加すること、愛が憎しみに変わること、不法がはびこり、互いに憎み合い迫害し裏切り合い、『人の子』を名乗り世を騙す者が現われて、しるしや不思議を行なうこと、多くの者が躓くこと、最後まで耐え忍ぶ者は呪いから救われること、真理のしるしが顕れて、先ず、天に広がるしるしとなり、それからトランペットの音が響くこと」などが告げられています。
■マタイ24章1~14節
【マタイ福音書の終末説話】マタイ24章の終末説話については、以下に見るように四つの見解があります〔デイヴィス『マタイ福音書』(4)329~31頁を参照〕。
(1)これらすべては、「イエスの時代に」起こったことであるから、80年以降のマタイの視点から見れば、すでに起こった過去の出来事であり、したがって、24章全体は、過去の出来事を「預言」として描く「事後預言」にあたる。しかし、これに対する反論として、終末の到来はすでにダニエル書などに基づく黙示思想において語られていて、イエスの頃のユダヤ教でも存在していたこと、「安息日」(24章20節)への言及などは、既成の事後預言ではないことを証ししていること、終末の来臨が差し迫っていると告げる内容それ自体が、マタイ福音書の書かれた時(80年代?)とは思われないこと、とりわけ、神殿崩壊の時期が示されていないことなどがあげられています〔デイヴィス『マタイ福音書』(4)329頁〕。
(2)(1)とは反対に、24章全体は、マタイの視点から見ても将来に起こりえる黙示的な預言であるという説です。24章の説話が首尾一貫していて、様々の異なる既成の出来事を採り込んでいるとは見られないからです(だとすれば、神殿崩壊がすでに起こっていたことはどうなるのか?)。
(3)マタイは、すでに起こった神殿崩壊と、これに直結するイエスの再臨(パルーシア)との短い狭間の出来事として24章の預言を描いている(だとすれば、マタイ福音書は70~75年頃に書かれたことになるが、現在は、80年代の成立だと考えられている)。
(4)過去の神殿崩壊と未来の来臨とが視野にある点では、(3)の説と同じであるが、この二つは、時間的な前後関係ではない。イエスは、来たるべき神殿崩壊をイスラエルへの裁きを象徴する出来事として、これを人類の終末の到来と重ね合わせて預言した。マタイもこれを受けて、すでに起こった神殿の崩壊を将来の終末(と来臨)に重ねて語っている(したがって、24章15~22節は、必ずしもエルサレム神殿の崩壊だけを指すとは限らない)。このように、過去と現在と未来の出来事を一つに重ね合わせる預言のスタイルは、旧約聖書以来のイスラエルの預言の伝統です。現在では、この(4)の見解が最も妥当だと考えられています〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)329~31頁〕〔ルツ『マタイ福音書』(3)502~503頁をも参照〕。
【今回の部分】マタイ24章1~14節は、三つに区分けすることができます。
(1)1~2節:神殿崩壊への預言。
(2)3~8節:この世における戦乱や地震など終末の前触れ。
(3)9~14節:キリスト教会における迫害と福音宣教。
 マルコ福音書と内容を比較すると、(1)と(2)の部分は、内容的にほぼ並行しています。ところが(3)の部分で、マタイ福音書はマルコ福音書とかなり違っていて、内容的に並行する部分は次のようになります。
マタイ24章9節→マルコ13章13節前半。
マタイ24章11節→マルコ13章6節。
マタイ24章13節→マルコ13章13節後半。
マタイ24章14節→マルコ13章10節。
 これで見ると、マルコ13章9節の「地方法院や王侯への連行」と同11節の「聖霊が尋問への答えを与える」と同12節の「家族同士の離反」の部分がマタイ福音書には抜けています。しかし、抜けている部分は、マルコ福音書とほとんどそのままの形でマタイ10章17~22節にでています。したがって、マタイは、マルコ13章9~13節を踏まえて、そこから、マタイ10章の十二弟子派遣への説話を編集し、同じマルコ福音書の箇所を編集し直して、今回の箇所に組み込んで、終末への説話の一部にしたという見方ができます。しかし、この見方では、例えばマタイ24章の9~12節と13~14節で、マルコ13章13節が拡大され分断されていることが説明できません。このことと、マタイ福音書のこの部分が『十二使徒の教訓/ディダケー』と共通することなどから、マタイには、彼独自の「前マタイ資料」があったという推定もできます。ただし、共観福音書全部に共通する「原資料」を想定する必要はないでしょう〔デイヴィス前掲書327~28頁〕。
■マタイ24章
[1]舞台が神殿から別の場に移った状況はマルコ福音書と同じですが、マタイは、「(イエスが)神殿から出て、そこから<立ち去った>」を加えています。主が神殿を「見棄てた」ことを言おうとしているのでしょう(23章39節を参照/エゼキエル書11章23節をも参照)。
[2]マタイは「アーメン、わたしはあなたがたに言う」を加えています。これは34節でも繰り返されていて、大事な事を告げようとしていることを表わします。
[3]【オリーブ山で】マタイ福音書では、マルコ福音書の「オリーブ山に<向かって>座る」の「向かって/対面して」が抜けています。また「オリーブ山の<上で>」と前置詞も替わっています。「座る」とあるのはユダヤ教の教師が教えを説く時の姿勢ですから、「山」は、とりわけ啓示の場であることを指しているのでしょう(5章1節/15章29節)。
【弟子たち】マルコ福音書の4人が、マタイ福音書では「弟子たち」に替わっています。特定の弟子だけでなく、イエスの弟子たち全員が、「彼らだけで」イエスに尋ねているのです(13章36節参照)。
【あなたが来る】原文は「あなたのパルーシア(来臨)のしるし」ですから、「来臨」は名詞で、これはマタイ福音書だけです。「来臨」は、古代の王や皇帝が特定の場に臨在するために訪れることで、日本語の「(天皇の)御幸(みゆき)」にあたるでしょうか。「来臨」は「隠された神の顕現」を指す場合もあり、ヘブライでは、この語が「主の来臨」として救済史的な意義を帯びていました。復活したイエスがオリーブ山で「啓示を授けた」という言い伝えが初期のキリスト教会にありましたから〔デイヴィス前掲書336頁(注)58〕、マタイはこれを受けているのでしょうか。
【世の終わり】原語は「このアイオーン(時代/世界)の成就/終末」で、これはマタイ福音書だけです。弟子たちは、「これらのこと」と「あなたの来臨」を結びつけて質問していますから、ここでは、神殿の崩壊と「この世の終末」とが密接に関連づけられているのが分かります。
[4]【惑わす】ユダヤ教では、ほんらい異端の教義に誘い込むことを指します。マタイ24章では、偽メシア、偽預言者に注意するよう3度呼びかけられています(4~5節/11節/24節)。ユダヤ教の側からは、イエス自身が「偽メシア」だと言いふらされていたようです(マタイ27章62~64節)。
[5]【わたしがメシア】マタイはマルコ福音書にはない「キリスト(メシア)」を補っています。130年に「メシア」を自称したバル・コクバがローマ帝国に向かって反乱を起こしましたが、それ以前においては、「メシア」を自称した人物を確認することができません〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)339頁〕。しかし、モーセによって預言されていた「終末に顕れる預言者」が「メシア」と同一視されていましたから、マタイは、このような預言者を自称する者を指しているのでしょう。ただし、「キリスト」をマタイの頃のキリスト教会の「イエス・キリスト」のことだと受け取るなら、ここで言われている偽キリスト、偽預言者とは、当時のキリスト教会の中からでた「偽キリスト」であり偽預言者を指すことになります〔ルツ『マタイ福音書』(3)504頁〕。
[6]~[8]マタイは、ほぼそのままマルコ福音書に準じながら、文体を整えています。
[9]9~14節で、マタイはマルコ福音書の並行箇所を編集し、まとめているのでしょうか? あるいは、マタイ独自の資料によっているのでしょうか?「そのときあなたがたは苦しみを受ける」は、以下を導き出すマタイの編集句で、「苦しみ」とは、とりわけ終末における艱難を指します。「あなたがた」は目の前にいる弟子たちですから、全員ユダヤ人です。彼らは、「あらゆる諸民族から」迫害され、殺され、憎悪を受けるであろうと預言されています。「あなたがた」を「あなたがた<の中には>」の意味にとって、これはキリスト教徒のことを指すという解釈もありますが、それなら、迫害するほうは誰で、キリスト教徒は「あらゆる民から憎まれる」のでしょうか?「殺される」とありますが、マタイの教会のキリスト教徒が殺された証拠はどこにも見あたりません。むしろ、イエスの使徒たちが、イエス復活以後のユダヤにおいて、ユダヤの指導層によって殺され、また、ネロ帝によってキリスト教徒たちが殺されました〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)341~42頁〕。このように、「イエスの弟子たち」がパレスチナにおいて殺されたのと同類の出来事が、ほかの国々でも起こることを指していると解釈するほうが適切でしょう〔ルツ『マタイ福音書』(3)505~506頁〕。
【わたしの名のために】イエスを信じてイエスに従っためにです。この9節をヨハネ15章18~25節/同16章1~4節と比較してください。
【あらゆる民に】マタイ福音書でこの語は、通常「異邦の諸民族」を指しますが〔ルツ『マタイ福音書』(3)506頁〕、ここでの「あらゆる」は、ユダヤ人をも含むのでしょう(ローマ11章25~27節)。「あらゆる民」は、同時に、「父と子と聖霊の御名によって」イエスの弟子とするよう命じられている「あらゆる人たち」のことにもなります(マタイ28章19節)。だとすれば、イエスの御名を伝えるとは「敵を隣人に変える」ことでしょうか(マタイ5章43~44節)〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)342頁〕。
[10]10~12節はマタイ福音書だけです。外部からの迫害は、弟子たち(教会)の内部に及び、「多数の躓き」と「相互の裏切り」と「相互の憎悪」が生じるのです。
【その時】9節を受けて、むしろ「その結果」のほうが適切です。
[11]教会の内部のことだと見れば、「偽預言者」とはキリスト教会の中から出る者たちのことです〔デイヴィス前掲書〕〔ルツ『マタイ福音書』(3)506~507頁〕。ここは、後の23~26節を予想させますが、マタイの念頭には、おそらく申命記13章2~6節もあるのでしょう。
[12]「はびこる」も「冷える」(原語は、「愛がすり潰される」)も「愛(アガペー)」もマタイ福音書ではここだけです。10~12節は、マタイの教会を含む当時のキリスト教会の内部で生じている出来事を指すとも考えられますが、どちらかと言えば到来する終末と結びつけられているのでしょう〔ルツ前掲書508頁を参照〕。ヨハネ福音書では、イエスの共同体と対立するユダヤ人・異邦人との間の緊張が、終末的でありながら同時代的のこととして認識されています。ここのマタイ福音書でも、同時代の出来事が終末と結びついて理解されているのです。
[14]在世中のイエスの言葉というより、復活のイエス・キリストから教会に与えられた使命だと見なされています。しかし、14節は、マタイによるマルコ福音書の編集ではなく、マタイ独自の伝承資料から来ているもので、マタイ福音書のほうが、イエスにさかのぼる原型に近いという見方もあります〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)344頁(注)104〕。
【御国のこの福音】イエスが伝えた「御国の福音」だけでなく、十字架を含む「イエスの出来事」全体を伝える宣教内容を指します〔デイヴィス前掲書〕。
【あらゆる民への証し】原語は「あらゆる諸民族が住んでいる全地域(オイクーメネー)」。これに続く「終わりの時」と結んで、福音宣教は終末到来と密接に関連します。ただし、この理念の源は、イザヤ書2章2~4節と第二イザヤ45章21~22節と第三イザヤ56章3~8節へさかのぼるものです。
ルカ21章の終末説話
 ルカ21章の終末説話も、概(おおむ)ねマルコ福音書に準じていると思われています。ところが、ルカ福音書では、21章が、17章20~36節の「神の国の到来」と「人の子の日」に関する部分とダブるところがあります。ルカ17章のこの部分はイエス様語録からだと考えられますから(同23~24節/26~27節/30節/34~35節)、ルカは、イエス様語録とマルコ福音書の両方を用いているのが分かります。今回の箇所がマルコ福音書に準じているのは、マルコ福音書では、ここが受難に直結するからでしょう。
 ルカ福音書の終末説話は、全体として、マタイ=マルコ福音書のそれと比較すると、エルサレムの神殿崩壊の出来事と(21章8~24節)、世の終わりに伴う人の子の到来(同25~33節)とを切り離して、神殿崩壊と終末とを時期的に区別していると見ることができます。これはおそらく、先立つ9節にあるように、「世の終わり」の遅延と関連させているからでしょう。したがって、ルカ21章12~19節のキリスト教徒への迫害は、終末との結びつくのではなく、時期的には、神殿崩壊<以前の>出来事だと見なされています〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1338頁〕。
 ただし、このような時代区分の明確化だけでは、ルカ21章の記述の仕方が納得できない箇所が随所に見られます。終末説話についてのルカ福音書とマルコ福音書との関係では、ルカの独自資料(L)説や、マルコ福音書への準拠説がありますが、ルカはマルコ福音書を踏まえながらも、独自の資料をも挿入しているというのが、現在認められている一般的な見解でしょう〔フィッツマイヤ前掲書1326頁〕。
 ルカ福音書の終末説話を語りの相手によって区分するなら、21章5節で「ある人たち」に向けて語られたイエスの預言は、12節で「あなたがた」のように、弟子たち(とキリスト教会)への語りかけに転じ、20節では、再び、イスラエルの人たちへの預言となり、彼らと異邦の諸民族との間には、終末の到来にいたるまでの中間の時代が予告されます(24節)。25節では、11節を受けて天変地異が一般の人たちに告げられ、28節では、人の子の到来が近づいたことが、再び「あなたがた」に告げられます〔ボヴォン前掲書104頁〕。
 すでに指摘したように、共観福音書の終末説話は、生前にしばしば語られたであろうイエスの預言を核にして、これを後代のキリスト教会が拡大敷衍して伝えたものです。ルカ福音書に限って見るなら、イエスは、ルカ12章35~48節で終末への心備えを説き、13章34~35節では「荒れて見棄てられる」エルサレムのために嘆き、17章20~21節では神の国がすでに始まっていることを告げ、同22~37節では人の子の到来の日について警告しています。このために、ルカ21章は、ルカが単にマルコ福音書を自己流に編集したものではなく、これと並行してルカ自身が、マルコが用いたものとは異なるルカだけの伝承資料を用いているという見方が提示されています。「事情は複雑です。なぜなら、マルコ的でもルカ的でもない(資料からの)諸節から成る全体の一致、という問題に出逢うことになるからです」〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)103頁〕。
■ルカ21章
[5]~[6]ルカは、マルコ=マタイ福音書とは異なって、イエスが神殿に留まったままで、終末の説話を語ったと見ています。したがって、聴衆も限られた弟子たちでなく(マルコ13章1節)、「民が皆聞いている前で」(ルカ20章45節)語っているうちに、その中の「ある人たち」が神殿の建物について語るのを耳にして、イエスが神殿崩壊を預言したことになります。だから、ルカ福音書では、マルコ福音書のようにオリーブ山で弟子たちだけに語る「終末の秘義」ではありません。
[6]【見とれている】ルカは、人々が壮麗な神殿を「人間の業として」褒めそやす姿を「見とれている」と言い表わしたのでしょう。
[7]【そのことが起こる】マルコ福音書では「そのことが<ことごとく成就/実現>する」ですが、ルカ福音書では、「そのことが生じる/起こる」です。また、マタイ福音書の「来臨/再臨」もルカ福音書にはありません。「そのことが起こる」は、直前のイエスの預言から判断して、エルサレム神殿の崩壊だけを指すのでしょう。ルカは、イエスの神殿崩壊の預言を「生きた動物の血を献げる必要がない」時が来るという意味に理解しているのでしょうか〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)110頁〕。
[8]【わたしがそれだ】これはマルコ福音書からの言葉ですが、マルコ福音書では、この言い方がマルコ14章62節で、イエスが自分を「ほむべき方(神)の子メシア」であると告白したことと関連づけられています。これはモーセによって預言されていた終末に到来するメシアのことです。マタイは、マルコ福音書の<この意味>をはっきりさせるために「わたしはメシアである」と「メシア」(原語は冠詞付きの「キリスト」)を加えています。だから、マタイ=マルコ福音書では、ユダヤの伝統的な「メシア」を自称する者たちのことです。ただし、マタイ福音書の読者たちの中には、これをキリスト教徒が信じている「復活したイエス・キリスト」を自称することだと受けとめる人たちもいたでしょう。一方ルカは、マルコ福音書の記事に準じているようにも思われますが、マタイ=マルコ福音書と異なって、マタイの教会の一部の信者と同様に、キリスト教会が信じている「復活のイエス・キリスト」を自称する偽メシアのことを指しているという見方があります〔ボヴォン前掲書110頁〕。ルカの頃のキリスト教会の中に、自分が黙示を受けたとして、再臨のイエス・キリストを自称する者が現われていたのでしょうか。もしもルカが、ここで、ナザレのイエスと、復活して現臨するイエス・キリストとを重ね合わせているとすれば、ここの「わたしである」は、在世中のイエスから復活後も続くイエスの現臨を表わすヨハネ福音書の意味に近くなります(ヨハネ8章28節)。
【時が近づいた】マルコ福音書にはこれが抜けています。ルカは、キリスト教会の中で、終末が差し迫っていると告げる黙示的な傾向に警戒しているのでしょう〔ボヴォン前掲書〕〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1336頁〕。ただし、ルカが終末の到来を否定的とらえていたと見るのは誤解です。ルカは、ユダヤ戦争だけでなくその他の戦乱をも含めて、終末の到来を彼なりの神の摂理による「しるし」だと理解しているのです。
[9]【暴動】マタイ=マルコ福音書では「騒ぎ」ですが、ルカ福音書では「暴動」です。ルカは、外部から襲う出来事ではなく、内部で生じる「反乱」[フランシスコ会訳]を指しています。
【おびえる】マルコ福音書では「スルーマイ」(動揺する/狼狽する)で、ルカ福音書では「プトー」(恐れおののく/おびえる)です。ギリシア語ではほかに「フォブーマイ」(恐怖する/おびえる)があります。七十人訳では、アッシリアの軍隊に囲まれた南王国ユダに向かって「おそれるな(フォブーマイ)、おののくな(プトー)」とあり(歴代誌下32章7節)、反逆のユダ王国の民に向かって預言するエレミヤにも、同じ組み合わせで主が語りかけています(エレミヤ書1章17節)。同様の組み合わせで、頑ななイスラエルに向けて預言するエゼキエルにも主が語っていますから(エゼキエル書3章9節)、ルカは、この七十人訳の用語を用いているのでしょう〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1336頁〕。ルカは、66~70年のユダヤ戦争のことを思い起こし、彼が見た民の現実の様子を思い描きつつ「おそれるな」を記しているのかもしれません。
【こういうこと】ルカは、マルコ福音書にない「なぜならこれらのことは」と「まず(起こる)」とを加えて、「こういうこと」が神殿崩壊を指すことをはっきりさせています。なお、マルコ福音書の「まだ終わりでない」は、ルカ福音書では「まだ、<すぐに>終わりではない」です。神殿崩壊と終末の人の子の来臨とを区別するためでしょうが、この二つの出来事を「遠ざけることをも意味しない」と見るべきでしょう〔フィッツマイヤ前掲書1337頁〕。
【世の終わり】新共同訳では、原文にない「世の」が加えられていますが、これは、神殿崩壊の出来事が起こっても、「すぐに終わり(世界の終末)が来るわけではない」[フランシスコ会訳]ことをはっきりさせるためでしょう。
[10]~[11]ルカは「そこでさらに言われた」を挿入して、10~11節がマルコ福音書からの引用ではなく、ルカの独自資料(L?)からの引用であることを示そうとしているのでしょう〔ボヴォン前掲書106頁〕。
【疫病】これはマタイ=マルコ福音書にでてきません。当時のギリシア文学の言い方を反映しているのでしょうか〔フィッツマイヤ前掲書〕。
【恐ろしい現象】マルコ福音書の「産みの苦しみの始まり」が抜けていて、代わりに「恐ろしい出来事/現象」と「天には大きな徴(しるし)」[フランシスコ会訳]がでてきます。「恐ろしい」ほうは地上での出来事を指し、後者は天での現象のことですから、両方で「天変地異」のことです(25~26節)。マタイ=マルコ福音書では、先ず「産みの苦しみの始まり」が来て、これが「終末」の始まりと関連づけられています。ルカ福音書では、「これらすべてに先だって」民の離反と混乱が来て(12~19節)、それからエルサレムの滅亡(と神殿の崩壊)が預言されます(20~24節)。だから、ルカは、エルサレムの滅亡を人の子の来臨から区別した上で、神殿の崩壊を「これに先立つ出来事」と結び、終末と人の子の来臨のほうを天変地異(25~26節)と結びつけているのでしょう。
[12]~[13]ルカ21章12~19節には(先の「共観福音書の終末説話」の(3)項を参照)、マルコ福音書にはない「これらのことすべての前に」(12節)が挿入されていて、エルサレム神殿の崩壊に先立つ出来事(複数)が告げられています。また、マルコ13章10節の「福音の世界宣教」が抜けていて、代わりに「異邦の諸民族の時が満ちるまで」(24節)が来てます。この部分もマルコ福音書からではなく、ルカの資料からでしょう。
[12]【あなたがた】5節は「ある人たち」で始まります(マタイ=マルコ福音書では、初めから「弟子たち」で始まります)。彼らもイエスの弟子たちであることは「先生」と呼びかけていることから推察できますが、それでも、イエスの語りは弟子たちをも含めてより広い人たちへ向けられているのが分かります。ところが、ここ12~19節では、語る相手が「あなたたち」に限定されます。ルカは、この部分で、彼独自の資料を交えているのでしょうか〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)106頁〕? いずれにせよ、ここからは、在世中のイエスの弟子たちだけでなく、ルカの視野には、彼の時代にいたるまでのキリスト教会の歩みが重ねられていると見ることができます。
 以下に続く様々な迫害を歴史上の具体的な出来事と対応させることは困難ですが、これらの迫害は、四福音書と使徒言行録からパウロ書簡を通じてヨハネ黙示録にいたる新約聖書の随所に表われています(第一テサロニケ2章14~16節/ガラテヤ1章13節/使徒言行録5章17~18節/第一ペトロ1章6節など)。
[15]15節はマタイ=マルコ福音書にない箇所です。イエスによれば、神殿崩壊に先立って、キリストの教会は、ユダヤ教からと異教からと両方の迫害にさらされます。だから、13節のギリシア語の「証し」は「殉教」の意味をも帯びることになります。また、ルカ福音書で「敵対者が反論できない」(15節)言葉を与えるのは、マルコ13章11節にある聖霊ではなく、イエス自身です。これもルカの資料からでしょうか。ただし、ルカ福音書では、弟子たちに聖霊が臨んで、彼らを通して語ることは、すでにルカ12章12節でイエスの口から語られていますから、「聖霊の助け」の欠如が、ルカの独自資料を示す根拠にならないという説もあります〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1328頁〕。
[16]マタイ=マルコ福音書では、この部分が、一般の人々による家族同士の離反として語られていますから、終末の到来と関連づけて起こる一般家族の間の離反を指すと思われます。ところがルカ福音書では、動詞が2人称複数形(あなたたち)ですから、家族の離反がキリスト教会の中で生じることになります。だとすれば、今回の箇所とルカ14章26節の「家族の反対を受ける十字架を負う歩み」との関係が問われることにもなりましょう〔ボヴォン『ルカ福音書』(3)113頁〕。14章では、人間的な妥協を避けて福音に忠実に歩むことを指しており、今回は、家族や親族間での不当な離反や裏切りを指すと解釈することもできます(マタイ10章21節参照)。このようなことは、アッシリアに滅ぼされた北王国イスラエルでも、すでに起こったことです(ミカ書7章6節)。
[18]~[19]ルカ福音書でイエスは、キリスト教会に臨む迫害と困難に向けて、マタイ=マルコ福音書にない「神による保護」の約束を与え(18節)、その上で、「あなたたちに与えられている命」を「勝ち取る/勝ち得る」よう勧めています。
【髪の毛の一本も】この言い方は、民がヨナタンの命を救ったサムエル記上14章45節の故事にさかのぼります(サムエル記下14章11節の出来事も参照/なお使徒言行録27章34節)。なお、19節の「忍耐」は、厳しい試練に最後まで耐え抜くことを指す用語です(ローマ5章3~4節)。
                                     戻る