【注釈】

■ふたつの出来事とマルコへの伝承について
 今回の箇所では、出血の女性の癒しとヤイロの娘の蘇生(そせい)が語られます。ここでは、出血の女性の癒しが、ヤイロの娘の蘇生の出来事の中に挟み込まれるかたちで語られているのに注意してください。この語り方は、マルコ福音書に見られるもので、「サンドウィッチ手法」と言われています。例えば、マルコ福音書3章20~35節では、イエスの家族が、イエスは「気が変になった」と思いこんで、彼を「取り押さえに」きたことが語られていますが、その中に、律法学者たちとイエスとの悪霊論争が挟み込まれています。しかし、イエスの家族についての語りの枠と、そこに挿入された悪霊論争とは、内容的に見ると、イエスの霊性が「狂っている」あるいはイエスが「悪霊から出ている」という誤解や非難では共通しているのです。また、マルコ11章11~27節では、イチジクの木が枯れる出来事が語られますが、これに挟み込まれて、イエスが神殿をきよめる出来事がでています。そこでも、神の植えたイスラエルがイチジクの木にたとえられていて、それが枯れることと神殿が腐敗していることとが重ねられているのが分かります。このように、、中に挿入された出来事とこれを包み込む出来事とは、内容的に共通する主題を含んでいます。
 ヤイロの娘のよみがえりと出血の女の癒しとは、もともと別個の出来事であって、伝承の過程でこの二つが結びつけられたという見方があります。理由の一つに、二つの話の語りの文体が異なることがあげられています。ただし、この二つの出来事の組み合わせは、マルコによるものではなく、マルコ以前から伝えられた伝承の段階で、すでにこのようなかたちをとっていたと見られるようになってきました。だから、「サンドウィッチ手法」は、必ずしもマルコ独特の手法ではないことになります。
 しかしながら、ほんらい別個の出来事が後で組み合わされたという見方にも疑問があります。ヤイロの話は、実際に起こった出来事です。だとすれば、少なくとも、ヤイロがイエスに願い出た段階では、「死者のよみがえり」は期待されていなかったと思われます。死体に触れることが「汚れを移す」として禁じられていたことを考え合わせると、ヤイロのほうから、わざわざ死者に触れるようにイエスに願い出たとは考えられません(この点ではマタイの描き方が問題になります)。だから、ここで起こったよみがえりの奇跡は、途中で出血の女性の癒しの出来事の結果として生じたことになります。これら二つの出来事は、実際にこの通りに現実に起こった。このように見ることも可能なのです。今回の癒しでは、ヤイロの娘の蘇生と出血の女性の癒しとは、一見すると内容的に直接つながりがないように見えます。しかし、この二つの出来事とこれに先立つ悪霊追放の出来事を通じて見えてくるのは、汚れた霊、汚れた出血、汚れた死体というように「汚れ」が共通するテーマであるのが分かります。「人間の言い伝え」(マルコ7章8節)に基づくこの浄・不浄の問題は、イエスの癒しだけでなくイエスの教えとも深く関わっていて、この主題は7章14~22節へとつながっています。
 さらにもうひとつ加えますと、マタイとルカとが共通していて、しかもマルコの記述とは異なるところがあります。二人が、マルコの記事を踏まえているとすれば、このようなことはありえませんので、マルコ福音書には、現在のマルコ福音書の以前に「原/前マルコ福音書」があったのではないかと想定されています。だとすれば、マタイとルカとは、この原マルコ福音書を踏まえて書いていることになります。ただし、原マルコ福音書と現在のマルコ福音書との違いは、必ずしも明確ではありません。最近では、行きすぎた文献批評への反省から、原マルコ福音書の存在を否定する説もあります〔ヘンゲル〕。ただし、マタイやルカが、どのようなマルコ福音書を踏まえていたにせよ、これに削除や書き直しを加えたのは間違いありません。

■マルコ5章
[21]【向こう岸に】ゲラサでの出来事に続いて、イエスは弟子たちと、船でもう一度カファルナウムへ戻ったと思われます。「湖のほとり」とあるのは、カファルナウムの岸のことでしょう。この町の人たちは、すでにイエスの業を見聞きしていたので、大勢が押し寄せてきたのです。なお、「再び」あるいは「向こう岸」が抜けている異本があります。この場合、語られる出来事は、その前後関係を失うことになります。
[22]【会堂長の一人】「会堂」のギリシア語は「シュナゴゲー」が一般的です。これのヘブライ語の原意は「集会の場所」「祈りの場所」です。会堂の起源はバビロンへの捕囚期に始まったと考えられています。神殿を失ったイスラエルの民が、律法の研究と礼拝のために集まったことから、会堂制度が生まれたと考えられています。これはほんらい普通の信徒たちの集まりでしたから、この性格は以後も続いていて、会堂長は、町あるいは地方の会堂を司り、会堂の全責任を負う人です。「長」は一人の場合もありましたが、ここでは「会堂長の一人」とあるように、複数の人たちが会堂の運営を任されていたようです。これら会堂運営の「委員会」は、「長老」と呼ばれる人たちの中から選ばれて構成されました。彼/彼らは、会堂の建物を管理し(特に重要なのは律法「トーラー」の保管)、会堂での礼拝を取り仕切り、聖書朗読、説教、祈祷などを行なう人たちを選ぶことができました(使徒13章15節)。また、時には町の行政や司法(裁判)や異端の問題なども扱ったようです(ルカ13章14節)。カファルナウムには立派な会堂があったことが、その遺跡から確認されています。ヤイロは、会堂長に選ばれる幾人かの長老の一人だったのですから(35節以下では「会堂長」は単数ですが意味は変わりません)、町の重要な人物であったことになります(カファルナウムの会堂については「カファルナウムの悪霊追放」の注釈を参照)。会堂長がイエスの前に「ひれ伏した」とありますから、この町では、イエスは、癒しの業を行なう神の人として尊敬されていたのが分かります。なお「ヤイロ」という名前は、「彼(神/ヤハウェ)は照らす」あるいは「神は目覚めさせる」の意味です(民数記32章41節/ヨシュア13章30節)。この名前は、娘を死の眠りから「目覚めさせる」という意味にもなりますから、「ヤイロ」は、マルコが伝承に加えたのではないかとも言われています。
[23]【しきりに願った】原文は「懇願してしきりに言う」です。
【幼い娘】原語は「娘」の縮小系で、かわいらしさを表わします("my little daughter"〔NRSV〕)。40節では「子供」となっていますが、実際は12歳であったことが42節にでてきます。
【死にそう】マルコでは「死にそう」とあり("at the point of death"〔NRSV〕)、マタイでは「死にました」とあり、ルカでは「死にかけています」("is dying"〔NRSV〕)です。マルコとルカによれば会堂長が願い出たときには、まだ死んでいなかったことになりますが、すぐ後で娘が「死んだ」という報告が入ります。このことから、イエスが娘に手を置いたときに、彼女は実際は死んではいなかったという解釈もあります。しかし、マルコもルカも、この報告の段階で、娘がすでに「死んでいた」ことをはっきりと告げているのです。
【助かり】原語は「救われる」と同じです。身体的な癒しと信仰的な救いとが、同じ言葉で語られていることに注意してください。なお「手を置く」行為は「按手」と呼ばれて、宗教的な意味だけでなく癒しや医療の場合にもよく行なわれました(6章5節/7章32節/8章23節)。
[24]【押し迫って来た】人びとがイエスの周囲に群がって、イエスの体と触れ合うほどだったという意味です。
[25]【出血の止まらない】ここからマルコは、「ここに一人の女性がいて、彼女は」と別の出来事を導入します。ここで言う「出血」が具体的に何を意味するのかよく分かりませんが、おそらく生理の不調から来ると考えられます。この場合、その女性は、律法によって「汚れた」者と見なされます(レビ15章19~33節)。「汚れた」者は、神殿に入ることができず(したがって神を礼拝することができない)、人と接触することも禁じられていました。ただし、この場合は、生理の血それ自体が「汚れ」と見なされたからであって、女性自身が不浄であるという意味ではありません。だから本人を含めて、その血に「触れる」ことが「汚れ」と見なされたのです。この場合、ハンセン病などとは違って、他者との交流を厳しく制限されることはありませんでした。特に女性の生理による「汚れ」の場合は、律法の適用は必ずしも一定ではなく、場合によって流動性があったようです。それでも、出血が常態化した場合には、様々な制限や差別を免れることができなかったと思われますから、この女性にとって、癒されることは、病気が治ることだけではなく、人間として宗教的、社会的に正常な扱いを受ける状態へ復帰できることを意味していたのです。「救われる」というのは、このように、精神的、身体的だけでなく、差別から救われるという社会的な意味をも含んでいます。
[26]「医者にかかり」、「苦しめられ」、「使い果たし」、「役に立たず」と、畳みかけるようにこの女性の長年の苦しみが描き出されています。これは次に来る彼女の行為が、いかに切実な想いから出たものかを聴く人/読む人に伝えるためです。なお、ここの文体が、ヤイロの娘の出来事を語る文体と異なるという見方があります。
[27]彼女が、他人のしかも男性の体に触れることは、当時の法律によって固く禁じられていました。だから彼女は、群衆に紛れて「後ろから」密かに触れたのです。会堂長のヤイロは、身分をも顧みずに、娘を救いたい一心で、人びとの見ている前でイエスに向かって「ひれ伏し」ました。この女性は、自分のすることが許されないのを覚悟の上で、密かにイエスに触れたのです。公然と言い表わす信仰と人知れず密かになされる信仰と、イエスに対する二つの信仰の有り様がここで対照されています。
[28]【いやして】「癒していただける」の原語も「救われる」です。なお「思った」とある原文は「自分に言い聞かせる」です。
【この方の服に】衣服はその人の霊性を象徴しています。だからこれに「触れる」行為が、その人の霊性に与る働きをするのです(使徒5章15節/同19章12節)。ただし、イエスに関わる物それ自体を通して霊験が与えられるという信仰は、これが行き過ぎると、後代の聖遺物崇拝のように、魔術的あるいは呪術的な行為に陥る危険性があります。
[29]【出血が全く止まって】直訳すると「彼女の血の源が涸れて」です。「血の源」という言い方はレビ記(12章7節)に「出血の汚れ」(直訳:「彼女の血の源」)とある七十人訳のギリシア語から来ています。ここでの出血が、浄・不浄の問題と密接に関係しているのが分かります。
【病気がいやされた】ここでの「病気」の原語は「鞭打ち/処罰/苦しみ」です。この言葉には「神からの罰」の意味もありますから、マルコはここで、この女性に対する当時の社会的、宗教的な見方/偏見を意識してこのように言うのかもしれません。だとすれば、イエスは、彼女の病気を癒しただけでなく、「神の罰を受けている」という差別から彼女を「救った」ことになります(ヨハネ9章1~3節を参照)。なお「いやされた」は完了形で完全に治ったこと。
[30]【自分の内から】原文は「すぐにイエスは、自分の内で、力が彼から発出したのを覚った」です。癒しの力は、通常イエス自身の自覚から出るのですが、この場合のように、イエスがそれと自覚する前に、ほかの人が触れることで力が発出したことをはっきりと語っているのはここだけでしょう(ただしマルコ6章56節/ルカ6章19節を参照)。しかし、この場合でも、イエスはすぐにそれに気づいたのです。このことは、イエスのほうから進んで行なうにせよ、ほかの人のほうからイエスに触れたにせよ、イエスの霊性が働くのは、体の接触ではなく「信仰的」で「霊的な」触れ合いからであること、しかもその信仰が一方的ではなく双方からであることを示しています。この出来事に先立つ悪霊追放の「力」や嵐の海を支配するイエスの「力」のような一方的とも思える霊能と考え合わせるとき、ここでのイエスと人との双方的なの触れ合いによる「力」は、とても重要な意味を持つと言えます。
【わたしの服に触れた】イエスは、だれが霊的に触れたのかと探します。これは、「密かに」触れて癒されたいと願ったその女性にとって、とても「怖いこと」だったに違いありません。なぜなら、「汚れた」人/物に触れると、触れられたその人も汚れると考えられていたからです。だから、女性は、イエスの許しなくして「イエスを汚れたものにした」ことになりかねないのです。なお「わたしの服に触った」の原文では、「触った」が、「わたしに触った」と「服に触った」と両方の意味合いを帯びて語られています。
[31]【弟子たちは】ここで突然「弟子たち」が登場します。弟子たちは、4章の嵐の海の出来事以来、姿を見せませんでした。マルコは、イエスのたとえ話、イエスの自然を支配する力、悪霊追放、ここでの癒しなどの様々な出来事をこの「弟子たち」を登場させることでつないでいるとも言えそうです。弟子たちのイエスへの問いかけは、イエスの「力」が、身体的な接触からではなく、霊的/信仰的な触れ合いから働くことを一層はっきりさせるものです。
[32]女性は、イエスの視線によって、自分の行なったことを隠しきれなくなったのです。
[33]【身に起こったこと】癒しを含むイエスの霊性の働きは、わたしたちに生じる「出来事」となって生起します。だから彼女に求められているのは、「これについての」意見や考えや理論や説明ではありません。起こった出来事をただ「ありのままに」証言することが求められるのです。イエスの福音は「神の出来事」だからです。
【震えながら】このように「信仰」とは、時には神と出会う恐怖に身をさらすことです。ここで彼女は、今までのように「その他大勢」の中の部分ではなく、ひとりの人間として、自分をはっきりと公にするように仕向けられたのです。「密かに」と願っていたのが、イエス様によって、公然と人前に現される結果になったのです。でもそれは、不浄ではなく癒されて浄くされた者としてです。
【すべてをありのまま】原文は「全ての真実」です。霊的な出来事の場合に、これを語るのに最も大事なことは、絶対に誇張したり、逆に自分の判断で「控えたり」しないで、真実を「ありのままに」語ることです。このような場合に、絶対にしてはいけないのは、自分勝手な配慮から「嘘をつく」ことです。大切なのは、誤解や偏見や人の意見を慮(おもんぱか)ることではなく、神のなされたことへの畏怖と謙虚さです(4章41節/5章15節)。彼女のこの姿勢をマルコは「ひれ伏して」と言い表わしているのです。
[34]【あなたの信仰が】ここでイエスは「娘よ」と親しく呼びかけます。イエスは、その人の心を見抜いたのです(2章8節)。イエスの霊性の力を信じる信仰それ自体が、信じる者に力として働くことは、2章1~5節の中風の人の癒しにも示されています。単純に信じること、これが人間が神に対してとることのできる唯一の姿勢です。
【安心して】原文は、イスラエルの伝統的な挨拶あるいは祝福の言葉「シャローム(平和/平安)」から来ています。この言い方は、彼女が今やイスラエルの社会に受け容れられるように神によって正式に認められたことを意味します(士師記18章6節/サムエル上1章17節)。女性の行為は、ひたすらイエスに働く霊能を信じることからでたものです。しかし、女性に起こったことは、単なる霊能の働きだけではなく、彼女の全存在の「救い」に関わることだったのです。イエスのこの言葉は、この救いの出来事を彼女と周囲の人たちに伝えています。
【その病気にかからず】原文は「受けた苦痛から解放されて、救われて健全な状態でいなさい」という意味です。「癒し」が、ここでは彼女の霊性とこれによる生き方全体への拡がりを持つ出来事であることが示されているのです。彼女は、これから正常な社会生活ができることをイエス様はみんなの前で明らかにしたのです。
[35]【まだ話しておられる】ここで24節へ戻ります。イエスがまだ女性に話しているその時に娘が死んだという知らせが入ったのです。
【先生を煩わすには】原文は疑問文です。「どうしてこの上、先生にご迷惑をかけられるのですか。」〔塚本訳〕「煩わす」は、「手間をとらせる」「面倒をかける」とも訳すことができます。娘が亡くなったからには、「これ以上先生にご足労をおかけする必要がない」という意味にもとれまが、死体に触れることは汚れに触れることであり、触れた者も汚れるとされていることを考え合わせるなら、今や、来ていただくのは不可能であるという判断が働いたと思われます。娘が亡くなる前と亡くなった後とでは、事態は全く変わるのです。会堂長もこのように考えたのかどうかは分かりませんが、イエスが傍らでこれを耳にすると、すかさず会堂長に言葉をかけたのは、こういう状態を察したからでしょう。
[36]【そばで聞いて】原語は「立ち聞きする/漏れ聞く」ですが、これには「無視する」という意味もあります。会堂から来た人が会堂長にそっと耳打ちしているのをイエスが聞いても全く動じなかったのです。
【恐れることはない】この段階で、ヤイロが全く予想しなかった事態になったのです。信仰者は、自分が予期しなかった絶望的な事態に直面することがありますが、それでもイエスは「恐れることなく、ただ信じる」よう力づけるのです。「癒し」を願う信仰が「死に勝つ」信仰へと移ったのです。これは単なる霊能信仰ではなく、創造主である神にのみ向けられる信仰の段階です(11章22~24節を参照)。
[37]【ペトロ、ヤコブ、ヨハネ】マルコ福音書によれば、12使徒の中でこの3人だけにあだ名がつけられています(3章17節)。彼らはイエスの最初の弟子であっただけでなく(1章16~20節)、以後も大事な場面で登場します(9章2節/13章3節/14章33節)。ただし3人のこのような特別扱いは、マルコの編集からではなく、伝えられた伝承からでていると考えられます。ペトロとヤコブ(イエスの弟のヤコブのことではありません)とヨハネは、イエス復活以後の教会で重要な人物と見なされていました(使徒2章14節/同3章1節/同4章1節/同8章14節/同12章2節)。このことから判断すると、3人は、弟子たちの中でも特にイエスに近かったと考えられます。
[38]【大声で泣きわめいて】娘がすでに死んでいたことを表わします。当時の定めとしては、弔いの場合には、どんなに貧しくとも、少なくとも二人の笛吹(葦の笛に類するリード楽器)とひとりの「泣き女」がいることになっていました。泣き女たちは、葬儀の行列に加わって、悲しみの歌を歌ったり手をたたいたり大声で泣いたりして、哀悼の意を表したのです。ただしここでは、そのような社会的な「決まり」を念頭においているのではありません。
[39]【眠っている】このイエスの言葉を字義どおりに、「実際は死んでいないで」ただ眠っているだけと受け取ることはできません。また、旧約聖書でも新約聖書でも、「死ぬ」ことを「眠りにつく」と言う場合がありますが、ここではこの意味でもありません。そうではなく、イエスは、これから起こることを予想して、娘は実際は死んでいるけれども、それは一時的な状態で、眠っている状態と同じに過ぎないと言ったのです。イエスにあっては、死の状態も一時的な眠りの状態へと転化するのです。以後のキリスト教会が、信仰者の死を「眠っている」と言うようになったのは、ここから出ているのでしょうか(第一テサロニケ4章14~15節)。
[40]【イエスをあざ笑った】人びとがイエスの言葉を聞いて笑ったのは、彼らがイエスの言葉を字義どおりに「ただ眠っているだけ」だと理解したからでしょう。3人の弟子たちと娘の両親についてはなにも何も述べられていませんが、おそらくイエスを信頼していたと思われます。両親と弟子たちだけを部屋に入れたのは、部屋が狭かったためもありますが、そのほかの人たちを「外へ出した」のは、彼らの弔いの行為それ自体を否定するためです。
[41]【手を取って】癒しの場合に「手を取る」あるいは「手を当てる」行為は、旧約ではあまり見あたりません。しかしマタイ福音書を含めて新約ではしばしばでてきます(マタイ8章2~4節/同14~15節/同9章29節/マルコ1章31節を参照)。ガリラヤはヘレニズムの影響が強かったからこのようなギリシア的な医療の方法が通常行なわれていたのかもしれません。死体に触れると、触れた人の身が汚れた見なされました。しかしここでは、その「不浄」が「浄」へと転換されるのです。イエスを通じて行なわれたこの「よみがえり」は、エリヤ(列王記上17章17~24節)とエリシャ(列王記下4章32~37節)の起こした神の業に通じています。なお「タリタ・クム」は、イエスの時代のアラム語です。「クム」はヘブライ語の「クーム」(起き上がる/蘇生する/再興する)から来ています。
 ヨハネ福音書11章のラザロのよみがえりの奇跡は、イエスの復活を指し示す意味を帯びていますが、ここヤイロの娘の「よみがえり/蘇生(そせい)」は、直接にイエスの復活を予兆するとは言えないかもしれません。しかし、マルコ福音書は、イエスの復活以後に書かれていますから、マルコは、ここでの少女の「死からのよみがえり」にイエス自身の復活をも重ねていると見ることができましょう。
[42]【起き上がって】原語のギリシア語「起き上がる」はヘブライ語の「クーム」の訳で、新約では復活を現わす場合にも用いられますから、マルコも福音書の読者/聴衆もイエスの復活あるいは終末での死者の復活を連想したと思われます。
【我を忘れた】原文は「度肝(どぎも)を抜かれて呆然自失する」「驚愕のあまり呆然とする」です。イエスの発した「タリタ・クム」や、ここでの「驚愕のあまり呆然とする」という言い方は、この出来事がアラム語で伝えられた形跡を示すと言われています。
[43]【だれにも知らせない】原文は「だれもこのことを知ることがないようにとイエスは彼らにしきりに言い聞かせた」。娘が元気になったことは周囲の人たちにすぐに知れ渡ったと思われますが、このようにイエスの働きを「秘密にする」のは、マルコ福音書の特徴のひとつと言われています。しかし先にマルコへの伝承について述べたように、「秘密」は、マルコ独自の視点からではなく、伝承それ自体にすでに含まれていた見ることができます。だからマルコは、伝承にすでに含まれていた「メシアの秘密」を彼なりに引き出しているのです。パレスチナに限らず、古来、魔術によって悪魔払いを行なう場合には、そこで唱えられる「呪文」を絶対に人に知られてはならないという掟がありました。マルコ福音書で、イエスが、奇跡を人に語るなと命じたのもこのような背景があったからではないかと見る説もあります。そうだとすれば、ここでイエスが命じる「秘密」は、マルコが編集する以前の古い伝承から来ていることになります。ただし、マルコ福音書で禁じられるのは、イエスのメシアとしての秘密のことであって、魔術や呪術とは関係がありません。
【食べ物を少女に】大きな出来事の割には、イエスの最後の言葉は日常的です。死者のよみがえりという大事件に比べるとこの日常的な終わり方に違和感を感じるかもしれません。イエスの「タリタ・クム」も、大声ではなく、「娘さん、起きなさい」とごく自然に言われた印象を受けます。イエスは、終始、まるで「なにごともなかった」かのように落ち着いて静かに振る舞っている様子がうかがわれます。

■マタイ9章
 山上の教えが7章で終わり、マタイは8~9章をひとつのまとまりとして、イエスによる癒しと奇跡を語り、これにイエスの教えを組み合わせています。8章から癒しの出来事が三つ続き、弟子となる覚悟が語られ、次いで奇跡と二つの癒しがあり、マタイの召命と断食についての問答が来ます。さらに今回の二重の癒しを含む三つの癒しが続き、イエスの伝道活動のまとめが語られます。7章までで天の国がどのような「かたち」で到来したかが語られた後で、それがどのように具体的に展開し生起したかが描き出され、その有り様が9章35~36節にまとめられています。
 マタイはマルコの記事を縮小する場合が多いのですが、今回は特にこれが目立ちます。マルコの語る出来事の骨組みだけをまとめているようです。だから、ヤイロという名も会堂長も表われず、イエスを取り巻く群衆も描かれず、出血の女性の長い苦しみも語られません。またイエスからどのように癒しの力が出ていったかも述べられていません。娘が死んだ報告のことも、3人の弟子たちのことも略されています。特にイエスが少女に語った言葉が省略されているのが注目されます。マタイは、このような言葉が、魔術的な誤解を招くと考えたのでしょうか。最後に人びとの驚愕した様子も省かれています。これらのことから、マタイは、マルコのように出来事を詳細に語るよりは、イエスのことに話を絞って、教会にこれを伝えるかたちをとっていると言えます。マタイの省略があまりに多いので、原/前マルコ福音書にはこれらが抜けていたという見方もありますが、マルコで語られる出来事の自然な流れから見るとこのような説は支持できません。
[18]【このようなことを】マルコと異なって、「このようなこと」は、直前のぶどう酒と革袋とのたとえのことになります。イエスの福音の出来事は、従来の宗教的な教えとは全く異なる次元の「新しい革袋」を必要とするものだったのです。なお、場所もマルコのように湖畔ではなく、特定されていません。
【ある指導者】マルコの「ヤイロという名の会堂長」ではなく、マタイの原語は「支配者」です。しかし、ここでは政治的な権力者を意味しているのではないから「指導者」と訳してあります。ここに群衆は登場しません。
【死にました】原語は「息絶えた」「臨終が過ぎた」です。マタイは、マルコやルカと異なって、娘はすでに死んでいます。だからマタイは、この出来事を初めからイエスによる「死者のよみがえり」として語っているのです。だからマルコのように「救われる」は省かれて、「生きるでしょう」(原語)とだけ言われています。マタイは、初めから、この出来事をイエスの復活とこれによる信仰者の復活と重ね合わせて見ているのでしょうか。
[19]【立ち上がり】イエスはそれまで食卓についていたのでしょう。指導者のこの驚くべき信仰に応えるためにイエスはすぐに立ち上がったのです。ここで弟子たちが登場するのは、よみがえりの出来事の証人となるためでしょう。
[20]【すると】原語は「見よ」で、新しい状況を導入するときのマタイの言い方です。この節でマタイは、マルコの言葉遣いをかなり変えています。マルコの「血の流出」を「(生理による)出血」と言い換え、マルコの「来る」を「近づく/進んで接近する」に変え、イエスの「服」をイエスの「衣の房」と言い換えています。
【服の房】これは「衣の裾」のことではありません。イエスはユダヤ教の定めに従って「4隅に房のある」外衣を着ていたのです(民数記15章38~39節)
[22]【振り向いて】ここでマタイは、マルコの5章34節へ跳びます。群衆がいないのでイエスは彼女のことがすぐに分かったのです。
【元気になりなさい】原文は「元気を出しなさい」です。「安心しなさい」〔塚本訳〕。これは癒しの時のマタイ独特の言い方です(9章2節)。「汚れ」の規定を破ってまで行なった彼女の行為への恐れや不安を取り除くためでしょう。
【彼女は治った】「治った」の原語は「救われた」です。21~22節でマタイは三度「救われる」を繰り返しています。病気の癒しだけでなく彼女の全存在が霊的に救われたことを明らかにするためでしょう。なお「その時」とあるので、「救われた」のは、イエスが言葉を与えた時と解釈することもできますが、ここはむしろマルコにならって、彼女がイエスの衣の房に触れたときに癒されたのでしょう。ただし、マタイは、病気の癒しそれ自体と、その癒しを祭司に見せて(8章4節)、正常な生活に復帰することとを区別しているのかもしれません。
[23]ここでマルコ5章38節へ跳びます。
【笛を吹く者たち】葬儀のために雇われたリード(フルートの一種)の奏者たちです。この語はマルコにはありません。
[25]【起き上がった】マルコとルカの「起き上がる/生き返る/復活する」とは違う動詞です。ただし、マタイの用語にも「復活する」の意味が含まれますが、ここでは単純に「起き上がった」とだけ述べていると思われます。イエスが、言葉を出さずに手を取っただけで少女が「起き上がった」とあるのはマタイだけです。
[26]【このうわさ】「この出来事のうわさ」は「彼(イエス)のうわさ」という読みもあります。またほかに「彼女のうわさ」と読む異本もあります。マタイは人びとの驚きについては何も語りません。またイエスが秘密を守るよう命じたことも語りません。マタイはただ、出来事だけを簡潔に語り、その結果が人びとに伝えられたことを語るのです。

■ルカ8章
 マルコとルカとは、嵐を鎮めること、ガダラ/ゲラサの悪霊追放、ヤイロの娘のよみがえりという配列では共通しています。また、嵐の出来事を別にして、これらの出来事を通じて、悪霊として排除された者、汚れた者、死者などが、イエスの救いの対象となっていることでも両者は共通しています。ただし、これら一連の出来事の場所と時の設定については、ルカはマルコとは異なっています。ルカはマルコへの伝承をほぼ踏襲しながら、これにルカなりの変更を加えて、出血の女性の癒しの記事を縮小しています。また、弟子たちを代表してペトロがイエスに尋ねていること、あるいは、ふいに力が出ていったことが、イエス自身の口から語られていることなどが注目されます。
[40]【帰ってこられると】マルコでは、イエスは先ずカファルナウムを訪れ(マルコ1章21節)ています。その後、対岸のガダラ/ゲラサから戻って、一連の出来事が起こり、その後でナザレへ向かい、そこで人びとの拒否に出会います(マルコ6章1節以下)。ところがルカでは、先にナザレを訪れて(ルカ4章16節以下)、その後でカファルナウムを訪れています(同4章31節/同7章1節)。それからイエスは、ガリラヤの町や村を巡り歩いていますから(同8章1節)、ゲラサから「戻った/帰った」とあるのがどこなのかは特定できません。おそらく、ガリラヤ湖西岸のゲノサレト辺りではないかと思われます。したがって、イエスを出迎えた「群衆」とあるのは、8章4節にでてくる群衆を指すのでしょう。カファルナウムにせよゲノサレトにせよ、それらの地方では、すでにイエスの名声が人びとの間に広まっていたのです。
[41]【会堂長】マルコは「会堂長」、マタイは「指導者」、ルカは「会堂の指導者」です。ルカは、ユダヤのことにうとい人たちに分かりやすく説明しているのです。なおマルコ福音書では直接ヤイロの口から願い出ていますが、ルカは、語り手として間接的に状況を説明しています。
【ひれ伏す】マルコの「ひれ伏す」には「礼拝する」という意味も含まれるので、ルカはこの誤解を避けるために「平身低頭する」「地面に頭をこすりつける」と言い換えています。町の指導的な人でさえ、イエスの権威に服している様子が見えます。会堂長はユダヤ教を代表する人ですから、ルカはここにユダヤ教がイエスの権威に従っている姿を重ねているのかもしれません。
[42]【十二歳ぐらいの】ルカは、マルコと異なって娘が12歳であることを最初に出しています。すぐ後に続く「12年間」の出血と関連づけるためでしょうか。娘が「一人」とあるのもルカだけです。
【死にかけていた】マルコの「死にそう/終わりが来る」とは言い回しが違い、「死にかける」と分かりやすく言い換えています。
[43]【医者に全財産を】マルコの記事を短くまとめています。ただし、「医者に全財産を使い果たし」の部分が抜けている異本があります。抜けているほうがもとの形だとも考えられます〔『ギリシア語新約聖書テキスト注釈』〕。ルカは、医者を批判するとも受け取れる内容を省略したのでしょうか。
[44]【服の房に】この言い方が注目されるのは、ここではマタイとルカとの言い方が一致していて、しかも、マルコの用語と異なるからです。この一致は偶然でしょうか? マタイとルカのどちらかが、どちらかを踏まえているのでしょうか? それともマタイとルカは、前マルコ福音書の用語を踏まえているのでしょうか? そうだとすれば、マルコはなぜ言い方を「衣に」とわざわざ言い換えたのでしょうか? 一つ考えられるのは、マルコ福音書6章56節に「イエスの衣の房」とあることです。マタイとルカは、この言い方をここでも採っているのかもしれません。
【出血が止まった】ルカは、マルコの「血の源が涸れる」という旧約聖書の言い方を避けて、分かりやすく書き換えています。
[45]【ペトロが】ルカは、出血の女性が密かに触れたというマルコの個人的な信仰の描写を縮めて、その代わり、イエスが周りの群衆に尋ね、群衆がイエスに答え、ペトロが代表してイエスに尋ねるというかたちをとっています。ルカは、ペトロが弟子たちの代表であるという教会の伝承に従っているのです。ここには、イエスとその女性との個人的なつながりよりも、出来事を全体として公(おおやけ)に見るルカの視点があります。イエス様の出来事は、このように密かに行われ、人知れず起きることがありますが、同時に、それが公(おおやけ)になり、人々の前で公然と語ったり行われたりする場合もあります。公と私と、この両面をイエス様のなさることは具えているのです。なおルカは、マルコの「群衆がイエスに押し迫っている」をペトロの口を通して「群衆が互いに押し合っている」と言い換えています。
[46]ここでイエスは、ペトロの問いに応答するように、自分を通して力が働いたことと、その結果として癒しが行なわれたことをはっきり語っています。ルカは、この出来事が、密かで個人的な性質のものではなく、公(おおやけ)の出来事であることを明らかにしようとしているのです。
[47]【隠しきれない】ここでルカは、「隠しきれない」「触れた理由」「たちまちいやさた」「皆の前で/群衆の前で」など、マルコにはない言い方で、女性の出来事を公の「信仰告白」として描いています。
[48]ここでのイエスの言葉は、マルコとほぼ同じです。マルコの「安心して<立ち去りなさい>」をルカは「安心して<行きなさい>」に変えています。
[49]【煩わすことは】マルコでは「今更煩わす必要があるでしょうか?」と否定を予期する疑問文ですが、ルカでは、「煩わす必要はもうないでしょう」となっています。なお「人が来て」はマルコの複数と異なりここでは単数です。また、「亡くなりました」は、マルコの過去形に対して、ここでは「すでに息絶えてしまった」という意味の完了形です。
[50]【信じなさい】マルコではこの動詞は、命令の現在形ですが、ルカでは命令のアオリストになっています。マルコのほうは「(この事態でも)信仰を失わないで保ち続ける」ように告げていますが、ルカでは「(今ここで)思いきって信仰を働かせなさい」という意味になります。またルカは、マルコにはない「そうすれば救われます」を加えています。「そうすれば」の原語は英語の"and"にあたるギリシア語です。命令文の後の"and"は、通常「そうすれば」という意味ですが、ここでは「もしそうするならば」という条件付きの意味ではなく、むしろ「娘はきっと助かるのだから」と意味を強めているととるほうが適切でしょう。
[51]【ペトロ、ヨハネ】マルコでは、ヤコブがペトロの次に来ましたが、ルカでは、ペトロの次にヨハネが来ています。ルカは、ペトロとヨハネという二人の組み合わせを考えているようです(使徒3章1節/同11節/同4章13節)。ルカの頭には、使徒ヤコブは、比較的早く殉教したことがあったのでしょうか(使徒12章2節)。
[52]【泣き悲しんで】直訳すれば「打ちたたいて彼女を悼む」です。これはヘブライ語独特の表現で、人びとが、自分の胸をたたいて彼女のために嘆くことを意味します。ルカのこの言い方は七十人訳のギリシア語からでていると思われます(サムエル記上25章1節)。なおルカでは、これらの人たちは家の外にいたのでしょうか。
[54]【呼びかけ】マルコでは「言った」とあるのをルカは、強い声で「呼びかけた」としています。ルカの読者/聴衆はパレスチナの外の人たちですから、イエスのアラム語の呼びかけは省略されています。
[55]【その霊が戻って】この言い方はマルコにはありません。ルカの教会は、ヘレニズム世界の人たちだったので、彼らに分かるように加えたのでしょうか? しかし、ルカがここで「死者の魂が戻ってくる」というヘレニズム的な考え方にはたして影響されているのかは疑問です。ヘブライ語では「霊」は「命」とほぼ同じですから、神の働きによって「命が戻る」という考え方は、ヘレニズム時代のユダヤ教にもありました。当時のユダヤ人は、死者の霊は死んで三日の間はその人から離れないと考えていたようです。ルカはここで、エリヤが男の子の「命を元に戻らせた」ことを考えていたのでしょう(列王記上17章21~22節)。
[56]【お命じに】ルカはマルコの言い方をより分かりやすく言い換えています。

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