【注釈】
■イエス様語録について
今回のイエス様語録の始めの1~3行は、ルカ6章39節からの復元で、続く3~6行はマタイ10章24~25節からです。3行目の「弟子は師にまさるものではない」だけが、マタイとルカとで完全に一致しています。この復元はThe Critical Edition of Q.に基づいています。しかし、イエス様語録のここでの復元については、幾つか問題がありますので、ヨハネ福音書からも、この部分の並行箇所を引用します。
アーメン、アーメン、私は言う。
「僕はその主人にまさらず、
遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。
このことを知って、そのとおりに実行するなら、
幸いである。」(ヨハネ13章16~17節)
「『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。」(ヨハネ15章16節)
〔内容について〕まず全体が、「弟子は師にまさるものではない」を中心に構成されているのが分かります。ここでは、弟子が、どういう意味でその師にまさることがないのか? 言い換えると、弟子はどのような意味で師に見習うべきなのか? これが問われることになります。「弟子は師にまさるものではない」は、これに先立つマタイ福音書の10章16節以下に続けて読むと、師であるイエスが迫害を受けたのなら、その弟子たちもまた迫害を覚悟する必要があるという意味になります。
ところが、「弟子は師にまさるものではない」をこれに続くマタイ10章26節以下と関連づけるならば、「体を殺しても魂を滅ぼすことのできないもの」を「恐れるな」という師から弟子への励ましの言葉にもなります。天の父は師であるイエスを守ってくださるように、その弟子たちをも守ってくださるからです。このような励ましあるいは勧めの意味は、ルカとヨハネからの引用を見るといっそうはっきりします。ルカ福音書では、イエスは、「弟子は師にまさるものではない」に続いて、「修行を積めばだれでも師のようになれる」と教えて、師に従って正しい道に歩むよう力づけます。ヨハネ福音書では、イエスが弟子たちの足を洗った後で、弟子たちもイエスに見習ってこれを「実行する」ように教えています。だから、これは『キリストに倣いて』Imitation of Christ(15世紀のオランダの人トマス・ア・ケンピスの作とされるが確かでない)に通じるでしょう。イエスに見習うことで正しい道を歩むようにという教えは、イエス様語録の始めの2行「盲人が盲人を」のたとえとも対照することができます。
このように、ここでのイエス様語録は、伝道することが迫害を招くことへの警告と同時に、イエスの生き方に見習うように勧めるという二重の意味を帯びているのが分かります。迫害を耐え忍ぶという消極的な面と、自らすすんでイエスに見習おうとする積極的な面とが表裏をなしていて、この二重性は、イエス様語録だけなく、今回の箇所全体を理解する上で大事な視点になります。迫害を甘受することとイエスの道を学ぶこととは、決して別のことではなく、ひとつになります。ヨハネはこの点をはっきりと示していて、ヨハネ福音書では、イエス自らが弟子たちの足を洗う行為を通して「弟子が師に見習う」ように勧めていますが(ヨハネ13章13~17節)、その後で、イエスは「僕は主人にまさらない」ことを人々からの迫害と結びつけて語るのです(同15章16節)。
〔文献的な問題〕マタイのほうは、イエス様語録の「盲人が盲人を導く」を師弟関係から切り離して、これをファリサイ派への批判に用いており(マタイ15章14節)、その上で、イエス様語録の弟子と師の関係を迫害と結びつけています。マタイに対してルカは、イエス様語録をほぼ踏襲しています。イエス様語録は、マタイ福音書とルカ福音書以前の段階のもので、二人はそれぞれ別個にイエス様語録から引用していると見ることができます。
〔イエスの言葉の真正性〕文献的な問題と並ぶもう一つの問題は、今回のイエス様語録が、直接イエスを出所としたものではなく、これは一般に言い習わされていた諺(ことわざ)ではないかという見方ある点です。「盲人が盲人を」と「弟子はその師に」とは、二つの異なる諺から来ていると思われます。内容的に見てこれらが格言/諺であったのは間違いないでしょう。しかし諺だから、イエスの口から出た言葉ではないと推論するのは正しくありません。なぜなら、イエス自身も「知恵の人」として、多くの譬えや諺を用いて語り、これを引用したからです。今回の始めにでてくる「蛇のように賢く、鳩のように素直になれ」も諺です(「蛇」は新約聖書では通常悪い意味に用いられますが、ここでは東洋の場合と同じように「賢さ」を表わします)。イエスはこのように、当時の人たちがよく知っている諺を引用しながら独特の霊的な意味を込めて語ったのです。ここにあげたイエス様語録が、イエスから出たことを否定的に見る説もありますが〔ルツ『マタイによる福音書』〕、今回の箇所が、ヨハネ福音書にも引用されていることから、これをイエスの生前の言葉へさかのぼると見ることができましょう〔デイヴィスとアリスン『マタイ福音書』〕。この意味で、ここのイエス様語録は「主から出たもの」"dominical"です。
■マタイ10章16~25節について
マタイ10章のイエスの言葉は、16節/17~20節/21~22節/23節/24~25節の五つのグループから成りなっています。
16節前半では、派遣された弟子たちの状況を狼の中の羊にたとえ、後半でこれに対処する方法を蛇と鳩のたとえで語っています。前半と後半のどちらも、イエスにさかのぼると見ることができましょう。狼の中の羊のたとえは、ほんらい前回の十二弟子派遣の記事に含まれていたのですが(ルカ10章3節)、マタイはこれを切り離して、今回の迫害予告の冒頭に置いたのです。
17~20節は、マルコ福音書(13章)で預言されている終末時の状況と重なります。これは、イエスの弟子たちの実際の状況と言うよりも、復活以後の(マタイたちの)教会が置かれていた伝道の実状に根ざしていると見るほうが適切です(特に総督や王たちの前に引き出されることや異邦の諸民族に福音が証しされること)。ここには、マタイたちの教会で、イエスを証しする際に、弟子たちを通じて実際に聖霊が働いて言葉が与えられた体験が反映していると思われます。だから、マタイの言う「十二弟子」とは、イエス在世当時の弟子たちを理想のモデルと見ているのです。
21~22節もマルコ福音書13章12節の終末預言と重なります。同時に、「人の敵はその家の者」というこの厳しい預言は、南ユダ王国の時代にイザヤと並んで預言したミカの言葉を反映しています(ミカ書7章6節)。皮肉にもこの時代は、北王国イスラエルも南王国ユダも、アッシリアあるいはバビロニアによって滅亡させられる直前の繁栄を楽しんでいました。マタイ福音書はエルサレム滅亡(70年)の10年ほど後に成立したと考えられますから、エルサレム滅亡前後の実際の出来事がここに反映しているのでしょう。17節で「彼ら」とある3人称は18節で「あなたがた」へと2人称へ移行します(「あなたがたはむち打たれる」とある原文は「彼らはむち打つ」です)。同様に21節の3人称も22節の2人称へ移行します。「彼ら」とある周囲の状況と、その中で「あなたがた」に起こることとが対照して描かれているのです。
23節では、「アーメン、わたしは言う」という言い方や、「(人の子が)来るまでに、町々を巡り終えることはない」という言い方、また「逃れなさい」というイエスに似合わない弱気(?)とも思われる発言などが問題にされています。このために、ここはイエスの真正の言葉ではないと見る説があります。しかし、例えばマルコ福音書14章25節は、イエスの真正の言葉であると認められていて、そこには「アーメン、わたしは言う」も「~までは~しない」という独特の言い方も表われます。「逃れなさい」も実際に弟子たちを派遣して全イスラエルに御国を伝えることを目指していたイエスの言葉として適切ですから、この節が「主から出た」"dominical"ものであることを否定する根拠はありません。
24~25節はイエス様語録からです。24節がヨハネ福音書にも2度でてくることから、これはマタイ以前の伝承から来ていると考えられます。また、25節後半の「ベルゼブル」は、ここがユダヤ人キリスト教徒たちによることを示唆します。もしもここに、イエスの家族に向けられたユダヤの人々からの「非難」が伝承されているとすれば、おそらくここは、イエス以後のユダヤ人キリスト教徒の間で伝えられたものでしょう(マルコ3章31~35節/同10章29~30節を参照)〔ルツ『EKK新約聖書註解・マタイによる福音書』〕。
以上で分かるように、マタイ福音書の10章17~22節の部分は、小黙示録と言われるマルコ福音書13章9~12節とルカ福音書21章12~17節での終末のしるしと重なります。マタイは終末の出来事を師に見習う弟子たちが受けるであろう迫害と結びつけているのです。イエスは、「アーメン、わたしは言う」(マタイ10章15節)で語り始めて十二弟子を派遣し、再び「アーメン、わたしは言う」(同23節)で、弟子たちが受ける迫害を語り始め、この弟子たちのために人の子イエスの再臨を約束するのです(同23節)。このようにマタイは、イエスの実際の伝道活動に基づきながら、これを理想の姿として「タイプ化」(モデル化)し、マタイの時代の教会への模範としています。マタイはさらに、現在自分たちが行なっている伝道活動が、全世界の異邦人に福音が広められる道を開き、やがてそのことが、終末をこの世に招く予兆となることをも見通しているのです。
■マタイ10章注釈
[16]【狼の群れに羊を】マタイは、このたとえで、伝道に遣わされる弟子たちの厳しい状況を導入しています。これは暴力を受ける覚悟が要る命がけの伝道です。狼と羊の共存は、終末に訪れる神の絶対的な平和のたとえとされていますが(イザヤ11章6節)、これに対して、主の僕たちを迫害する偽善的な宗教指導者たちは、「羊の皮をかぶる狼」(マタイ7章15節)にたとえられます。文頭に「見よ、このわたしがあなたがたを遣わす」とあるのは、無防備で(身を守る杖を持たないこと)このような伝道に従事することが、弟子たちの意志や信念からでた行為ではなく、「主が彼らを遣わした」結果であって、神のみ心から出ていると強調しています。このような伝道は、神の導きとその加護なしには絶対にできないからです。
【蛇のように、鳩のように】「蛇」は創世記(3章1節)に「ずる賢い」とありますから、この16節のたとえとうまく合わないように思われます。しかし、東洋でも古代オリエントでも、時代が下ってヨーロッパのルネサンス時代でも、蛇は知恵の象徴と見なされました。このたとえは一般的な諺をイエスが活用したものです。
「蛇はとぐろを巻いて自分の頭を守るから、キリスト教徒もそのように自分の頭(キリストとキリストへの信仰のこと)を守る」、「陰険な人間には慎重に、善い人間には誠実に」、「イスラエルは神の前では鳩のように素直であり、異邦人の間では蛇のように狡猾である」(ミドラシュ)など、古来このたとえは、いろいろに解釈されています。
「賢い」とは「慎重で分別がある」ことです。「素直」とは、「純真/純心で嘘偽りがない」ことです。ローマ16章19節にも「善にはさとく、悪には疎く(純心なこと)」とありますから、これはキリスト教徒の間でイエスの言葉として諺になっていたのでしょう。イエスに素直に従うことこそ、人の知恵に勝る神の知恵である御霊の助けを伴うことを指しているのです。
[17]~[18]【人々を警戒】マタイはイエスの時代の出来事だけでなく、現在自分たちが置かれている教会とその伝道を重ね合わせています。しかも彼は、イエスの過去と自分たちの現在を来たるべき終末の相の下で見るのです(10章23節)。マタイは、十字架直前のイエスの弟子たちによる伝道を終末直前の教会の伝道と重ねることで(マルコ13章/マタイ24章3節以下)、特に「艱難の中に置かれた伝道」の状態を描いているのでしょう。だから「人々(を警戒する)」とは、イエスの時代のユダヤ人のだけでなく、マタイたちの周囲のユダヤ人や異邦人たちをも指しています。
【地方法院など】原語の「シュネドゥリオン」は、ほんらい「集会/衆議」を意味するユダヤの自治組織のことです。通常「サンヘドリン」と訳されます。サンヘドリンは、捕囚の時に組織された「ゲルーシア」(祭司と長老たちによるユダヤ人の自治組織)に始まります。ゲルーシアは、捕囚からの帰還以後も、ユダヤの自治組織として受け継がれましたが、ぺルシア後期から、エジプトのプトレマイオス朝の時代へ、さらにシリアのセレウコス朝時代へと、パレスチナの支配政権が変わるにつれて、ゲルーシアの構成員もその権限も機能も変化しました。パレスチナがローマの支配に入ってから(前57~55年)、「ゲルーシア」は「サンヘドリン」となり、通常は71人で構成されるようになります。サンヘドリンも、紀元前から紀元後の第二神殿時代を通じて、その構成も権限も変化しますから一概に述べることはできません。
イエスの時代のサンヘドリンは、ユダヤの行政を司る議会として、また律法(トーラー)に従って裁判を行なう最高法院として、ローマ総督の下に置かれていました。ただしこれの実権は、ユダヤとサマリア地域だけのことで、ガリラヤは領主ヘロデ・アンティパスの支配の下にあり、その東に広がるガウラニティスはヘロデ・フィリッポスが領主でした。これらの領主たちは、ヘロデ大王の後を継いだ支配者として人々から「王」とも呼ばれていたようです。だからイエスの時代には、ユダヤとガリラヤは、「(ユダヤの)総督」と「(ユダヤの)議会/法院」と「(ガリラヤ)の領主/王」とが支配していたことになります。洗礼者ヨハネは領主ヘロデ・アンティパス王(?)によって処刑され、イエスはエルサレムのサンヘドリン(最高法院)とローマ総督の両方によって十字架刑を宣告され、ステファノは最高法院によって石打ちの刑になりました(使徒6章8節以下)。またパウロは、エルサレムの最高法院で取り調べを受け(使徒22章30節)、総督フェリクスの前で弁明し(同24章)、アグリッパ王の前でも弁明し(同26章)、ローマ皇帝に上訴して(同25章11節)ローマへ送られました。「総督」「王」「法院」は、このような制度を指しています。
ただし法院は、エルサレムの最高法院以外に地方でも設けられていました。そもそもローマがパレスチナに「シュネドゥリオン」を導入した時には、これがパレスチナの5箇所に設けられたのが、後にエルサレムにその権限が統一されたという経緯があります。したがって、エルサレムの最高法院以外に、地方にも「シュネドゥリオン」(地方法院)がありました。ミシュナの規定では、男性120名以上の町では、23名で構成される「シュネドゥリオン」を置くように定められていて、重要な裁決/裁判では全員一致が必要でした。その権限は、地方の行政と自治に及ぶものでしたが、中央のサンヘドリンと同様に、主としてトーラー(律法)に基づく裁判が、その重要な役目でした。また、パレスチナ以外の地域でも、ユダヤ人共同体のあるところには地方法院が設けられていましたから、新共同訳に「地方法院」とあるのは、この行政と裁判の機関を指します。
17節に「会堂」とあるように、それぞれの町にある会堂でも、町の会堂司たちがいて、彼らもまた律法違反や異端の取り締まりを行ない、鞭打ちなどの処罰の権限を持っていました。だから、マタイがここで言う「シュネドゥリオン」は、エルサレムの最高法院に準じる地方法院のことではなく、その町の会堂司たちの議決機関のことではないかという説もあります。特にエルサレム滅亡(70年)以後のユダヤ教では、自治機関としてのシュネドゥリオン制度の権限も変化して、主として律法による裁判の機能に限られるようになったようです。もしもマタイが、彼の時代の教会が体験した出来事をここに重ね合わせているとすれば、ユダヤ人共同体の会堂に所属する議決機関ではなかったかと考えられます。
【鞭打ち】この刑は申命記25章1~3節に40回までと定められています。マルコ福音書では「会堂でうちたたかれる」(マルコ13章9節)とありますが、マタイは「鞭打つ」と公衆の面前での処罰を指しています。鞭には皮などの紐状のものも用いられましたが、枝や杖なども使われました。なお新共同訳では「鞭打たれる」と受け身に訳していますが、原文は「彼らは鞭打つだろう」です。「彼ら」とあるのは、処罰を決議する会堂司たちや直接手を下す下役のことだけではなく、「人々に警戒せよ」とあるとおり、会堂司たちに訴えて、鞭打ちを受けさせようとする一般の「人々」をも指します。これも、マタイたちの教会で実際に起こった出来事から来ているのかもしれません。なお、マタイはここで「<彼らの>会堂」という言い方をしていますが、これは、キリスト教がユダヤ教から分離していく過程を示す興味深い用例です。逆に言えば、マタイの時代には、キリスト教徒たちも、まだユダヤ教徒たちと同様に、「彼らの」会堂制度の中にいたことを示しています。
【わたしのために】弟子たちが処罰を受ける理由としては、ユダヤ教の律法に基づく会堂制度への違反とローマの法令に基づく処罰とが考えられます。(1)キリスト教徒が、ユダヤ教の割礼や祭日などを無視したり、あるいは異邦人世界の宗教(偶像礼拝など)や彼らの制度をキリスト教徒が公然と批判した場合が考えられます。さらに(2)特にユダヤ教においては、異端とされ神を冒涜したとされるイエスをメシアとして崇める行為それ自体が処罰の対象になったと考えられます。この場合、キリスト教徒であるというそのことだけが処罰の理由になります。この傾向は、エルサレム滅亡以後のユダヤ教でいっそう強まったようです。
「彼らや異邦人に証しする」とありますが、「彼ら」とは宗教的指導者や支配者たちを指しています。同時にそのような場で支配者や宗教的指導者に「証しする」ことは、彼らが代表している一般の人々への有効な証しの手段でもあったのです。特に、ユダヤ人以外の異邦の諸民族には、この方法が効果的でした。なお「証しする」(ギリシア語の「マルトゥレオー」)は、後のローマ帝国の迫害時代には、「殉教する」(英語の"martyr"「殉教者」はここから)の意味になりますが、マタイの時代にはまだこの意味ではありません。
[19]~[20]この部分は別のイエス様語録とこれに並行するマルコ福音書とルカ福音書とに共通しますので、別項目「聖霊の助け」で扱うことにします。
[21]~[22] この21~22節は、マルコ福音書13章11~12節の終末時の描写とほとんど同じです。マルコの記事は、終末時の出来事への預言ですから、マタイの念頭には、10年ほど前に起こったエルサレムの陥落とユダヤの滅亡という悲惨な出来事があったと思われます。
このような「終末的状況」は、さかのぼれば、セレウコス朝のアンティオコス4世によるユダヤでの暴政の時にも起こりました(前160年代)。その頃書かれた『第一エノク書』には、この世に不義が満ちて、神がこれに罰を与える「末法の世」の姿が次のように描かれています。「そのとき、あるところで、父が子と共に刺し殺され、兄弟が隣人と共に斃(たお)れ、その血が川のように流れるであろう。人はわが子、わが孫をすら平気で殺(あや)め、罪人は敬愛する自分の兄弟をすら平気で殺め、明け方から日暮れまで殺し合いが続くであろう」(第一エノク100章1~2節)〔村岡崇光訳〕。さらにさかのぼって前6世紀の後半に(前535~520頃)、ユダヤの民がバビロニアから帰還した頃に、第三イザヤ(イザヤ66章5節)では、ヤハウェ信仰に改宗した敬虔な異邦人たちが神の律法に固執するユダヤ人たちによって排撃され、ユダヤに住む敬虔な異邦人たちが「わたし(主)の名のゆえに憎まれる」状態が語られています。さらにその前には(前7世紀)、南王国ユダの滅亡という終末的な状況を間近に控えながら、これに気づくことなく、享楽に耽ける民と彼らの家族の崩壊が「息子は父を侮り、娘は母に、嫁は姑に立ち向かう」(ミカ7章2~7節:七十人訳)と描かれています。ミカと同時代のイザヤも、エジプトの国の混乱と家族の崩壊によって、「兄弟は兄弟を、隣人は隣人を憎む」(イザヤ19章2節)と預言しています。
このように、家族の崩壊は、社会の崩壊と滅びのしるしですから、マタイの描く家族内の憎み合いと崩壊は、イエスとそれ以後の教会の時代に、大きな社会的な変動と宗教的な混乱があったことを示唆しています。終末的な描写には、個人と家族の崩壊が、社会と世界、あるいは宇宙的規模での混乱と結びついてくるのです。
【死に追いやり】法的な手段に訴えて処刑されることですから、父が直接手を下すのではありません。わが子を訴えて、子が死刑に処せられることです。迫害の時代には、家族をかばうことが自分の命を危険にさらす場合もあるのです。子が父に「反抗して殺す」とあるのも、親に逆らうことだけでなく、人々の見ている前で公然と親子が対立すること、あるいは裏切りによって父を殺させることです。このような事態は20世紀のナチスの時代でも、それ以後、ソ連の支配下に置かれた東ヨーロッパでも実際に起こりました。
【わたしの名のために】18節の「わたしのために」がここで繰り返されます。この状態はヨハネ15章18~21節と共通します。ここでは、江戸時代のキリシタンのように、「イエスを告白する」行為それ自体が罪に問われます。同じ言い方がマタイ24章9節にもでてきますが、そこでは「あらゆる民に(すなわち異邦の諸民族に)憎まれる」とあります。18節ではこれが抜けていますから、ユダヤ人同士の対立と迫害が示唆されているのでしょう。
【最後まで耐え忍ぶ者】艱難は、必ず主のみ手による救いと結びついて語られます。「最後まで」とあるのは、その困難の時期が過ぎ去るまでという意味ですが、これを「終末まで」、すなわち主イエスの再臨の時までの意味にとることもできましょう。マタイ自身が、自分の存命中にキリストの再臨が来ると信じていたかどうかは確かでありません。ここでは教会が、一つ一つの困難を乗り越えることによって、イエス・キリストの再臨まで救いを待ち望んで歩むように勧められているのです。「堪え忍ぶ」とは「踏み留まる」こと、すなわち「確固と信仰を貫く」ことで、このような「忍耐」は、人の力ではなく神の御霊の働きから生じるものです(ローマ5章3~4節/第二テモテ2章12節/ヘブライ10章32~35節/第一ペトロ4章14節)。
[23]この節はいろいろ議論を呼んでいます。以下に問題点をまとめてあげておきます。
〔文献的に見ると〕この節は前半と後半に分かれていますが、それぞれ別個の伝承からでているのではなく、もともと一つにまとまっていたと見ていいでしょう。また「<この>町で」や「<別のあの>町へ」のように、やや不自然な言い方がされているのは、アラム語の語法が背後にあると考えられます。23節は、イエス様語録にもマルコ福音書にもルカ福音書にもでてきません。したがって、マタイだけの伝承資料からきていると考えられます。では、マタイのその伝承はもとはどこからでたのでしょうか? これについて、イエス様語録からという説とマルコ伝承からという説と、大きく二つに分かれています。
(1)イエス様語録から:マタイ10章21~23節は、イエス様語録はもとよりルカ福音書にもありません。ところが、この23節をマタイの10章18~20節(=ルカの12章11~12節)へ直接つないで見ると、「王や公権力による迫害と弁明→町から町へ逃れる→人の子の到来が近い」のように迫害と励ましの両方が併せられていて、意味がよく通じます。このつながりでは、「この/その町」や「別のあの町」という言い方も、ある王や権力による迫害を受けた特定の町を指すことが分かります。ところが、マタイ10章19~20節=ルカ12章11~12節はイエス様語録と共通します(「聖霊の助け」を参照)。このために、マタイの手元には、10章23節を含む<別の版のイエス様語録>があったのではないかという推定があります〔デイヴィスとアリスン『マタイ福音書』ICCシリーズ〕。
(2)マルコ福音書から:今回の箇所は、マルコ福音書13章と内容的に重なることはすでに指摘しました。マルコ福音書13章9~13節に続けてマタイ福音書10章23節を置くと、マルコ福音書の描く終末的な状況の締めくくりとして、マタイのこの節が適切であるのが分かります。このほかにマルコ9章1節とマタイ16章28節との並行関係もここマタイ10章23節との関連で注目されています。マタイ福音書では「人の子」とあり、マルコ福音書では「神の国」となっていますが、これはマタイが、マルコの「神の国」を「人の子」で置き換えた編集によると考えられます。マルコ福音書では、13章26~27節で人の子の到来が語られますから、13章13節に続く「人の子の到来」は省かれたと推測することもできます。だとすれば、マルコ福音書のもととなる前段階の資料には、マタイ10章23節を含む伝承があったと推定することができましょう〔ジョン・ノゥランド『マタイ福音書』NIGTCシリーズ〕。
〔イエスにさかのぼるのか〕23節にはイエスの母語であるアラム語が背景にあると見ることができます。またこの節とマルコ9章1節(=マタイ16章28節)とは、「アーメン、わたしは言う」や「あなたたちが~するまでは~することがない」という言い回しなどが共通していて、このような語り方はイエスにさかのぼると考えられます。「イスラエルの町を回り終えないうちに」という切迫した終末的な内容もイエスを思わせます。また「人の子」は、ダニエル書7章13節に由来する言葉で、イエスの時代のユダヤ教ではいろいろな意味に用いられました(とりわけ黙示思想との関連で)。「人の子」は、間接的に自分の霊性を指す場合にも用いられましたから、イエスはこの意味でも「人の子」を用いたと思われます(マタイ8章20節/同9章6節)。ただし、「人の子」が指示する内容は、復活以後のキリスト教会では変容して、昇天して神の右に座し世界を裁くために再臨するキリストを指すようになりました。マタイの言う「人の子」もこの原初教会の意味を含んでいます(マタイ26章64節)。したがって、23節はイエスにさかのぼるとは言え、それは二次的な編集を受けており、これの意味する内容も変容していると考えられます。
〔その意味は?〕23節を字義どおりにとれば、イエスの時代のガリラヤとユダヤの町々全部を十二弟子たちが巡回し終わらないうちに「人の子が来臨する」という意味になります。「人の子」がイエス自身を指すのであれば、「来臨する」は、イエスがこの世を去って、再び来ることを意味します。ところが23節には、イエス(人の子)が地上を去ることがどこにも述べられていませんから、この点が問題になります。このために初期教父の時代から、「人の子が来る」については、弟子たちとイエスとが地上で再会するという解釈や〔クリュソストモス〕、受難以後の聖霊降臨の時を指すという解釈〔カルヴァン〕がありました。
マタイ福音書の「人の子」は、マルコ福音書とのつながりから見ると「神の国」と内容的に共通すると見ることができます。直前のマタイ10章22節に「最後まで(堪え忍ぶ)」とあるのも、「終末まで」すなわち神の国が「完成する/成就するまで」の意味だと考えられます。だから、これがイエスの言葉であるとすれば、十字架の死を間近に控えたイエスの言葉としてのみ意味を持つことになります。ちなみにヨハネ福音書14章以下の別れの説話でも、イエスが<再び来る(終末での再臨)>こと、あるいは弟子たちがイエスと<再会する(十字架以後の復活)>ことが約束されています。だから、この23節が、ほんらい、マルコ福音書13章の前段階の伝承に含まれていたとすれば、「人の子は来る」は、受難を間近にしたイエスが、何らかの意味で弟子たちと<再会>を約束した言葉であったことを証しすることになりましょう。
さらにもう一つの問題は、「イスラエルの町々(全部)を回り終えないうちに」とあることです。これを字義どおりに解釈すれば、イエスの当時のユダヤとガリラヤの全地域を弟子たちが巡り終わらないうちに、イエスが「人の子」として再び来臨する、すなわち終末での神の国が成就し完成するという意味になります。この預言が実現しなかったことはマタイにもわたしたちにも明かです。むしろ、弟子たちがイスラエルの全土を回り終わらないうちにイエスは十字架刑に処せられました。その結果イエスは復活し、イエスの復活以後に到来したのは、人の子の到来によるに終末の神の国の実現ではなく、終末を待ち望む教会の実現だったのです。だから、もしも字義どおりの意味でイエスが23節を語ったとすれば、その預言は成就しなかったことになります。
このように、預言の字義どおりの成就が果たされなかったことを説明し弁護するために、「イスラエルの町々」というのは、字義どおりの意味ではなく、パレスチナの外にも広がる離散のイスラエルの民をも含む地上の諸民族の全地域を指すという拡大解釈がなされるようになりました。この解釈では、さらに、「イスラエル」とは、異邦の諸民族を含む全世界の「神に選ばれた霊のイスラエルの民」を指すというように、「イスラエル」の内容にも変容が生じてきます。この解釈によれば、23節のイエスの預言は、まだ実現していない将来の終末を指していることになり、教会は終末の神の国を目指して、全世界の民に福音を伝えることで、「イスラエルの全部の町々を回り終える」ように努めることが要請されることになります。現在では、ここのイエスの預言は、このように受け取られる場合が多いようです。
皮肉なことに、学問的な立場からは、この節の預言が成就しなかったことを説明し弁護するために、この節は、イエスに直接さかのぼるのではなく、後の教会によって創出されたという説が生じました。しかし、成就しなかったことをわざわざイエスの口から言わせるという「教会による創出」説には、無理があります。だとすれば、「イスラエルのすべての町々」がイエスにさかのぼることと、この預言が字義どおりには成就しなかったことと、これの意味が後の教会によって拡大解釈され内容が変容したこととは、相互にどのように結びつくのでしょうか? それとも、これらを結びつけようとすること自体がそもそも無理であって、イエスにさかのぼる預言が成就しなかったことと、後の教会がこの預言を拡大解釈することで説明したこととは、互いに矛盾し対立するのでしょうか? 言い換えると、わたしたちは、偽預言か教会の創作か、そのどちらかを選ばなければならないのでしょうか?
「イスラエルの町々(全部)」が、現在の観光ツアーの案内パンフの文句であれば、これは文字通り、イスラエル全域を指す地理的な意味でなければなりません。しかし、イエスの目に実際に見えていた「イスラエルの町々(の全域)」は、観光案内のパンフを作った人が見ているものとはたして同じだったのでしょうか? イエスの目に映じていたのは、必ずしも字義どおりの地理的な意味だけではなかったのではないでしょうか? わたしたちはこの問題をここまで推し進めて考えてみる必要があります。なぜなら、イエスが「見る」という場合に、そこには、霊的な視野と洞察がこめられていたからです。イエスのこういう霊的な「見る」は、例えばヨハネ福音書では、イエスは「わたしは、あなた(ナタナエル)がフィリポから話しかけられる前に、(すでにあなたが)いちじくの木の下にいるのを見た」(ヨハネ1章48節)と記されています。このような「見る/観る」は、ナタナエルについて「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(同47節)とイエスが言う時の「見る/観る」です。イエスはナタナエルの中に「まことのイスラエル人」の姿を霊視したのです。「真のイスラエル人」というのは、イエスが、現実の人間とは別個の存在を「見て」いたのではありません。そうではなく、イエスは、ナタナエルの内に、ナタナエル自身をも含めて、周囲の誰にも「見えなかった」ナタナエルを「見て」いたことを意味するのです。
このような霊視は、詩人や画家の想像力(空想ではありません)にたとえることができましょう。すぐれた詩人や画家は、描写する物事や人物に潜む真相を洞察するからです。このような想像力(imagination)が働く場合、言葉は象徴性と比喩性(隠喩性)を帯びてきます。こういう詩的な言葉、あるいは画家の絵は、それが語られたり、描かれたりした現実の状況を伝えながら、それが語られ描かれる一時的な状況を超えた普遍性を帯びるのです。言い換えると、すぐれた詩人や画家の言葉や絵には、常に新しい解釈を「呼び込む」不思議な働きが宿るのです。その働きは、その言葉や絵に潜む象徴性にあります。言い換えると、言葉や絵が一種の比喩的な隠喩性を帯びているのです。だから、「霊性」とは言語学の意味論で言えば「隠喩性」ということになりましょう。
イエスが「イスラエルの(すべての)町々」と言う時、彼の目には、字義どおりに広がるガリラヤとユダヤの町々が見えていたのは確かです。しかしそれは、地理的な意味だけではなく、イエスが見ていたのは、イスラエル全土の町の人たち、主から救いの約束を与えられていたイスラエルの民の姿でもあったのです。隠喩は常に新たな解釈を呼び込みますから、そのイメージは、最初にこれを語った創出者が見たり語ったりすることから発しますが、作者の思いもよらない視野や解釈がこれに加わえられることがあるのです。紀元前6世紀の都市バビロンが(エレミヤ50章)、1世紀~2世紀の都市ローマを意味するということが(ヨハネ黙示録18章)、このようにして起こるのです。
以上をまとめると、マタイはイエスによって開始された神の国の福音が、復活した「人の子」の臨在として、まずユダヤ人に向けて、さらに異邦の諸民族へもその臨在が拡大していくことを見通しています。このようなマタイの視野は、彼の教会がユダヤ人キリスト教徒を主体としながらも異邦人キリスト教徒たちをも含む構成であったことを思わせます。福音の伝達は迫害と困難を伴います。しかし、主は、ユダヤ人を見捨てることなく、しかも諸民族へ向けて、福音の証しを終末まで止むことなく継続するのです。このようなマタイの視野は、パウロの視野とも重なるでしょう(ガラテヤ2章/ローマ11章)。わたしたちは、イエスの福音とそれ以後の教会の歩みを、ユダヤ教から出発したキリスト教が、ヘレニズム世界へと拡大するにつれてギリシア・ローマの世界へと適応していった、という過程の中でこれを見る傾向があります。しかし、ここでマタイが語っている視野は、むしろその逆であり、イエスの福音を原点として、「ヘレニズム世界のユダヤ化」が、ここから本格的に開始された。こう見るほうがより正しいと思います。マタイ福音書は、このことをはっきりと意識している書です。この23節は、まさにこのことをわたしたちに伝えようとしているのです。
[24]~[25]これら二つの節も別々ではなく、一つにまとまって並列的に構成されています。
弟子は師に勝らず。
僕はその主人に勝らず。
だから十分である
弟子がその師のようになり
僕がその主人のようになれば。
家の主人をベルゼブルと呼ぶのなら
その家族はもっとひどく言われるだろう。
この二つの節はその前後から独立していますが、これに先立つ迫害への予告と結びつけると、弟子も師と同様に迫害を覚悟せよ、という警告になります。これを続く26節以下と結びつけると、師であるイエスが迫害されたのだから、弟子たちも迫害を恐れる必要がないという「励まし」あるいは「慰め」ともなります。
24節は、本来一般的な諺であって、それが25節のイエスの言葉と後で結びつけられたという説もあります。しかし、24節は25節と内容的に緊密に結びついています。しかも、ヨハネ福音書の「アーメン、わたしはあなたがたに言う。僕は主人に勝らず、遣わされた者は遣わした者に勝らない」(13章16節)も、おそらくもとは、マタイのここ24~25節と同一の口伝伝承から派生したと見ることができますから、イエス自身がこの諺を引用して、これを25節のイエスに向けられた非難と結びつけた。こう考えるほうが自然です。
【僕は】「奴隷」と訳すこともできます。しかし、ここでは「僕」も「奴隷」も、卑賤を示唆しているのではありません(マタイ20章28節)。また「僕/奴隷」が、「弟子」に比べて社会的な身分をより強く意識させているとも思われません。むしろこの点では、パウロの言う「キリスト・イエスの僕/奴隷」(ローマ1章1節)と同じ用法で、キリスト教徒たちの間では、神あるいは「主」イエス・キリストに用いられる「僕/奴隷」とされることは名誉なことでした。
【十分である】この言葉は「もうたくさんだ」という忌避や諦めを意味する場合もありますが、ここではより積極的に「満足である」の意味です。同時に、神の目から見て「それで良しとする/される」ことも意味しています。
【家の主人】24節の師と弟子、主人と僕/奴隷の従属関係から、25節では、「その家の人たち」のように、より広い家族関係へと視点が移ります。一家の主(あるじ)に加えられる非難は、その一族全体に及ぶと考えられているからです。集会/教会全体が「家族」と見られているのです。なおここで「呼ぶのなら」とありますが、いったい誰がそう「呼ぶ」のかが問題になります。ファリサイ派の人たちは、イエスが「悪霊の頭で悪霊を追い出している」(マタイ9章34節/同12章24節)と言ったとありますから、イエスの頃のユダヤの宗教的な指導者たちと、同時にマタイの教会と同時代のファリサイ派の指導者たちをも意識しているのでしょう。
【ベルゼブル】「ベルゼブブ/バブ」と読む異本もあります。「ベルゼブル」は、「悪霊の」頭ベルゼブル」(マタイ12章24節)とあり、この呼び方はマタイだけが用いていて、他では「サタン」が用いられています。旧約では、列王記下(1章2節)にエクロンの神である「バアル・ツェブーブ」(蝿の主)とあり、これが七十人訳では「エクロンの蝿の神バアル」となっています。ここの「蝿の主/神バアル・ツェブーブ」は、おそらくカナンのバアル(主/神)を崇める名称である「ズブルブール」(いと高きバアル/天の主)から出ていて、これのヘブライ語「バアルゼ<ブール>」をわざと貶(おとし)めて「バアルゼ<ブーブ>」(蝿の神)と言い換えたと考えられます。だから、マタイの「ベルゼブル」は、ほんらいカナンの「いと高きバアル」あるいは「天の主」からで、ユダヤ教では、カナンの最高神バアルを異教の神として「悪霊の主/頭」と見なしたことからきたと推定されます。
なお、「ベルゼブル」は、アラム語の「ベエルゼバーバ」(敵対者)からでていて(これも旧約の「蝿の主」から)、このほうが悪霊の頭の「サタン」としてより適切であるという説があります(マタイ13章39節)。25節に「家の主人」とあるのも、 アラム語「ベエル」とヘブライ語「ゼブール」とを組み合わせた「ベエルゼブール」(高き住まいの主)の意味をギリシア語に替えてもじっていると見ることもできます。
なお悪霊どもの指導者としては、「アザゼル」や「セミハザ」(『第一エノク書』8章)、「ベリアル」(第二コリント6章15節)、「アスモダイ」(トビト3章8節)などの名前があげられています。これらに比べると「サタン」は比較的後に用いられる呼び方で、特に「敵対する者」を意味します。「ベルゼブル」が、カナンのバアル崇拝からでた名前であるとすれば、その名称はともかく、その起源はかなり古いと考えられます。
■ルカ6章
[39]『四福音書対観表』では、39節が今回の箇所にでてきません。それなのにこの節をここにあげたのは、イエス様語録ではルカ6章40節とひとつのまとまりにして表われること、またルカが、イエス様語録を39~40節と結びつけいるからです。39節は、イエス様語録以前の段階では、おそらく40節と別個の伝承だったのでしょう。『トマス福音書』(34)では、39節だけが個別に扱われています。またマタイはこの39節だけを15章14節に置いています。
ルカ福音書では、この39~40節が、人を裁こうとせず赦すこと(6章37~38節)と自分の目に丸太があるのに兄弟の目のおが屑を除こうとする偽善者のたとえ(41~42節)との間に置かれてでてきます。だからこの節は、自分の欠陥に目をつぶり、他人のささいな欠点を咎める者、特にそのような指導者たちに対する警告です。マタイも、食事の前に手を洗うなどの律法にこだわり、不必要に人を咎める偽善なファリサイ派への批判にこの節を用いています。前半の「できようか?」は否定的な答えを、後半の「しないか?」は肯定的な答えを導き出すためです。ルカはこれをイエスの平地の説教の中に含めていますから、弟子たちを含む一般の人たちにも語られていることになります。だからマタイ福音書のようにユダヤ教のラビたちへの批判ではなく、ルカ福音書では、キリストの教会とその指導者たちを念頭に置いているのでしょう。自分が霊的に他の信仰者よりもすぐれていると思いこむ指導者が、逆に人々を「誤らせ」て、いっそう危ないほうへ向かわせ、指導する者もされる者も「穴に落ち込む」結果になると警告しているのです。ここでは、指導する者の道徳的な資質だけでなく霊知に基づく知的な能力が問われています(第二テモテ3章13節)。
[40]マタイ福音書では、この節の前半は、師に倣って迫害に耐えるための勧めとして用いられています。しかしルカは(「主人と僕」のたとえを省いて)、40節を先の見えない霊盲の指導者のたとえと結びつけるのです。こうすることで、ルカは、信仰者の一人一人が、師であるイエス・キリストに見習って、霊知において成長したクリスチャンになるように促しているのでしょう。
ではイエスの弟子は、どのような意味で「師のようになる」ことを求めるべきでしょうか? これが後半で与えられます。「修行を積む」とある原語の動詞は「全うする/完成する」で、ここでは、「訓練や修行によってあるべき姿に到達する」ことです。クリスチャンはイエス・キリストに目を留めて、師のようになる/されることを求めるのです。ここで「師のようになる」とは、39節のたとえから判断すれば、己を高くしてうぬぼれることなく、むしろイエスの謙虚さに見習うことです。
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